piabuの不可思議blog~内なる光、世界に届け

ものすごく真面目に、本格的に、この世の真実を自分の不可思議体験をもとに探求しています。クラシック音楽の作曲は天使との共同作業です。

先週の記事に動画「この地球に山や森は存在しない」を載せてからというもの凄いアクセス数になっていますが、しかしあの動画はいったい何だったのかということが時間をおいたことによって少しずつ見えてきたので、改めて記事にしてみたいと思います。

あの動画は、ひょっとしたら真実を隠すためのFake動画なのかもしれません。
学者や知識のある人ならすぐ分かってしまうようなFakeを並べ立てておいて、そこに隠したい真実を含ませることによってその真実をFakeに見せ立てる。
Fakeを信じ込ませるような巧妙な仕掛けが動画にはあるので、信じてしまう人は次第に増えていき、話題が話題を呼んで評判となっていく。
そこで、ザウルスでござるさんのような御用学者みたいのが現れて、動画の内容を信じている人たちを人格否定までしてこてんばんにしてこき下ろす。
そうやって、真実を隠していく。
しかしこれはもう、闇の勢力の常套手段です。

だいたい発信元がアメリカではなくウクライナで、しかもロシア語ではなく(頑張って)英語で説明しているということで好感度も上がり、人を信じ込ませる材料になっている所も怪しい。
もしこれがアメリカからだったら、多くの人がタイトルを見ただけで「あぁ、またどうせFakeだ」とすぐ思ってしまい、こんなに評判にはならなかったと思います。

話を元に戻しますが、つまりその真実には闇の勢力にとってよっぽど知られてはならない何かがあるということです。
デビルスタワー、やはりそこには大きな謎が隠されているに違いありません。
動画の中には、Fakeに紛れて真実らしきことを幾つか語っています。
昔の地球は、生き物たちで溢れていたということ。
そして、人間の欲望によって自然が破壊されたと。
果たして破壊したのは、人間だけでしょうか?
そう、闇の勢力にとってアヌンナキの存在こそが、本当に知られてはならないことなのかもしれません。
アヌンナキの現在の姿がグレイだとすれば、デビルスタワーが登場してくる映画「未知との遭遇」に繋がっていきます。
動画では「未知との遭遇」をFake扱いにしていましたが逆で、実は「未知との遭遇」は極めて真実に近い映画なのではないでしょうか。

都市伝説ですが、アメリカの大統領が就任するとまず核のボタンが渡されて、その後に宇宙人に関する機密情報ファイルが渡されて、そして宇宙人に会わされるといいます。
そして、大統領以外にも宇宙人に会った人たちがいるそうです。
その1人が、「未知との遭遇」を撮ったスティーヴン・スピルバーグ監督だといわれています。
ひょっとしたら「未知との遭遇」や「ET」などの映画は、宇宙人の指示に従って作られているのかもしれません。
宇宙人にも地球人を保護している次元の高い宇宙人と、闇の勢力側の次元の低い宇宙人がいます。
スピルバーグ監督が会った宇宙人や「エイリアンインタビュー」に出てくる宇宙人は、きっと次元の高い宇宙人なのでしょう。
そう信じたいです。
Close Encounters of the Third Kind

さて、正直に言いますと、デビルスタワーが切り株だとする説も自分の中でだいぶ怪しくなってきているのですが、つまりデビルスタワーの柱状節理も溶岩が冷えて固まる時に出来る自然現象に過ぎないと思い始めているのですが、しかしデビルスタワー自体に関しては何かがあるという思いが日に日に大きくなっていきます。
動画では、いったい誰がデビルスタワーを切り倒したのかという疑問を投げかけておきながら、結局はその答えを最後まで出さずに終わっています。
仮にそのデビルスタワー切り株説を信じてみるとして、切り倒すことが人間には無理だとすれば、当然それは地球外知的生命体(アヌンナキ)ということになります。
動画では答えを出していませんが、結局はそういうことを言いたいのでしょう。
答えを出してしまうと、信憑性が薄くなると判断したのでしょう。

これはあくまで僕の推測ですが、アヌンナキは地球に大量に埋もれている金を発掘していただけではなく、何だかの目的があって巨木を次々に切り倒していったのかもしれません。
ガイア理論(地球生命体説)が真実だとしたら、そして巨木や緑豊かな大地が地球にとって大切な神経回路のようなものだったとしたら、アヌンナキたちによる自然破壊によって地球は半殺しのような状態にされて、長い間ずっと意識を失っていたのかもしれません。(古代核戦争のようなこともあったかもしれません。)
その事実を知られたくないがために、デビルスタワー切り株説を世の中がとんでもないFake扱いにしていくように仕組んでいったのではないかと考えられるのです。

しかし、僕の中ではデビルスタワーが切り株であるか切り株でないかということは最早どうでもよく、興味があるのはデビルスタワーと宇宙人との関係、そしてアヌンナキとの関係です。
関係があるからこそ、スピルバーグ監督はデビルスタワーを映画の中に取り入れた可能性があります。
そして、そのことを知られたくない存在がいるということです。


それにしても僕はいつの間にか、霊的に見ても現実的に見ても色々な意味でデンジャラスゾーンに潜入してしまっているようです。
サメがうようよいる海を泳いでいるようなものです。
そんなリスクを冒しても何も得ることはなく、寧ろジタバタすればするほど余計に危うくなってくるだけです。
アクセス数が上がるのも考えものです。
もうこの件に関しては十分にジタバタしたので、これで終わりにしたいと思います。
さて、そろそろ作曲を本腰入れて始めないと・・・。


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今月に入ってから体調が良くなかったのと、足の付け根が痛くて座禅が組めなくなっていたので、ずっと瞑想とガヤトリーマントラを唱えるのを止めていました。(ガヤトリーマントラは瞑想をした後に唱えるのが習慣になっているので)
だからここの所、自分に張っていた結界が完全になくなってしまい、また太陽や自然からエネルギーを得ていなかったので体力も弱り、テレビや色々な媒体を通じて邪悪なものが沢山身体の中に入って来ていました。

そんな状態で、しかも寝不足だったにも拘らず、この間ある事情でずっと街を歩き回っていたら、その日の夜にとんでもない悪夢を見ました。
魔女狩りで囚われた人たちが、次々に殺されていく夢です。
余りにグロい夢だったので、詳しく書くのは止めておきます。
その次の夜は、ビジュアル系ハードロッカーみたいな3人の女の子に絡まれる夢を見ました。
「あんたの情報握ってる。知りたきゃこのiPadであんたの顔写真撮ってここに登録しな。」と真ん中の女の子が言うと、右側にいた女の子からそのiPadを渡されて、ついでに何故か鉛筆まで渡されたので僕が「これは要らないんじゃないの?」と言って女の子に返すと、僕の後ろに腕に入れ墨をした如何にも暴走族がそのまま大人になったようなオッサンがいて、その右側の女の子を馬鹿にするかのように笑っていました。
僕がiPadで自分の顔を写そうとすると、何故かそのオッサンも笑顔で一緒に写ろうとします。
ひょっとしたら写真を撮るとヤバいことになるのではないか?という不安がよぎりました。
僕の情報って何だかさっぱり分からないけれど、情報っていうのは口実に過ぎず、本当の目的は僕を魔界へ引きずり落とそうという魂胆かもしれない。
登録っていうのは、地獄への登録ってことか。
オッサンは、何故かそのことを僕に教えてくれているらしい。
そう思った時、目が覚めました。

僕は子供の頃からずっと憑衣体質だったので、もうこういう夢にも慣れてしまっていて、夢が意味しているものも何となく分かります。
取り憑かれると、必ず取り憑いている者たちが夢の中に姿を現します。
そして僕を怖がらせたり、メッセージを伝えてきたり、助けを求めて来たりします。
もう慣れたので恐いという感情はまったくないのですが、嫌な気分にはなります。
僕にとって夢は異次元への扉であって、真実を知ることの出来る貴重な体験です。
ここ最近、どうやら僕はデンジャラスゾーンに入ってしまっていたようです。
お陰で、地獄がどういう世界なのかを教えてくれます。
体調不良で寝不足で高次元からの保護もない状態で街中を歩き回ったりすると、必ずこうなるのです。

昨日は久しぶりに瞑想をして、ガヤトリーマントラも唱えました。
足の付け根は痛かったのですが・・・。
早速、夢の中に何処にでもいるような普通のオジサンの姿をしたシャーマンが現れて、口の中に水を含ませてから僕の身体に霧吹きのように口から水を吹きつけて、溜まっていた悪い気を取り除いてくれました。
そして目が覚めたのですが、何だか身体がとても清々しく感じました。


それにしても、こんな他人の夢の話を聞いたってしょうがない、くだらない、馬鹿馬鹿しいと思う人はどれほどいるでしょうか?
逆に面白い、興味深いと思う人はどれほどいるのでしょうか?
夢は夢、現実ではないという人がきっと大多数でしょう。
しかし僕は夢は真実に近く、現実は幻想に近いと思っています。
僕がこれまでに体験してきた数えきれないほどの不可思議な現象が、自分の中で確かな証拠となっています。
そうした認識の違いは、実に大きなものがあります。
異次元の存在を知るということは、生き方まで変わってきます。

先月、モーツァルトの魂が降りてきたことをブログに書きました。
その記事を真実だと思っている人は1人もいないことを、僕は感知しています。
また、河童の鳴き声を聞いたことや、天狗が天井裏を駆けずり回ったことや、イエスみたいな人(笑)が街中を歩いていたことや、聖母マリアが降臨したことなどもこれまで書いてきましたが、正直まともにはこんなこと人には話せません。(よっぽど親しい友人以外は・・・)
このブログは、それらが何を意味しているのかを自分自身が探る切っ掛けになればと立ち上げ、すべてを懸けて現実に起きたことをありのまま忠実に書いてきました。
次第に、ひょっとしたら似たような体験をしている人がいるかもしれないという期待感も生じてきました。
もしそんな人がいたら、コミュニケーションをとれたらいいなとも思いました。
また、この世は目に見えるものだけが存在しているのではなく、目に見えない不可思議な世界も存在しているのだということを、少しでも多くの人に知って頂けたらというのもありました。
しかし、あまりにぶっ飛んでいる記事は、逆効果でした。
僕としたら、逆にぶっ飛んでいるからこそ信憑性があると思って頂きたいのですが・・・Fakeなら誰も信じないような記事は書きません。


夢の話に戻りますが、夢は真実に近くて、時に異次元からのメッセージも含まれているのではないかと思い始めたのは、4年前にひとりでラオスを旅してきた頃からです。
夢の中で、東南アジアの地図が現れて、その地図に「ラオスはココ」という風に矢印が付いていました。
その時ラオスなんて国があることも知らなかったのですが、目が覚めた後にGoogleマップで調べてみると、驚いたことに夢の中に出てきた矢印の場所に、本当にラオスという国がありました。
神様からラオスに誘われているのだと感じ、8日間掛けてラオスを旅して来たのですが、その8日間中ずっと即視感(デジャヴ)に襲われていました。
ラオスで体験する出来事の殆どが、以前夢で見たことでした。(その体験は、旧ブログのラオス8日間ひとり旅 に書きました。)
あまりにも稀な出来事なのに、すべてが夢の中で既に体験していることでした。

一番印象に残っていて、しかも記事にも書かなかったことがあります。
小学校の前を通りかかったのですが、ちょうど子供たちの下校時間だったようです。
下校するひとりの男の子がすれ違い様に、リュックが肩からズレ落ちそうになっているのを直すために両手を上げるのを見た瞬間、僕はデジャヴを感じて不意に持っていた写真のシャッターを切りました。
焦点も合わさずに撮ったのでボヤけていると思っていたのですが、意外とちゃんと写っていました。
もちろん、その時にデジャヴを感じたのは、僕が子供の頃に見た夢とまったく同じ光景を目にしたからです。
夢の中では、その後ある女の子が僕の姿を見て、何を思ったのかビックリした表情をして持っていたカバンを落としました。
写真を撮っていた時はその女の子の姿に気がつかなくて、その時は夢のことも完全に忘れていましたが、後でその写真を見て思わず僕は眉をひそめました。
「こんなことがあるなんて・・・」と。
その写真がこちらです。
laos01
何ていうことのない、極ありふれたラオスの小学校前での日常風景。
しかし僕は、この写真の中の異次元の悪戯を感じずにはいられません。
間違いなく写真に写っている赤い服を着た女の子は、夢の中に出てきた女の子。
僕を見てカバンを落として、そしていったい何を僕に感じていたのでしょうか?
女の子も夢の中で僕を見たのでしょうか?
異次元的な繋がりが、僕と女の子の間にはあるのでしょうか?


しかし考えてみると、実に面白いのです。
こうして正夢を見るということは、少なくても未来の一場面はもう既に出来上がっているということです。
おそらく生まれる前から・・・。
そうなってくると、時間とはいったい何かという疑問が沸いてきます。
時間も幻想なのかもしれない。
SF作家のフィリップ・K・ディックは、「自分は『フィリップ・K・ディック』であり、同時に古代ローマ人に迫害されたキリスト教徒「トーマス」でもあり、二重の人生を生きている。」と主張していたそうです。
ディックは時々、イエス・キリストや古代ローマの幻影を見たりしていたそうです。
筒井康隆氏の小説「時をかける少女」もただのSFではなく、僕は現実に起こりうる現象だと思っています。
UFOは未来人がタイムマシンに乗ってやって来たのだとする都市伝説もありますが、最新の科学でもタイムマシンは数学的には可能だとする研究発表があります。
巨大な重力を持つブラックホールに近づくにつれて、時間は遅く流れるという証拠も見つかっています。

数学・物理学講師ベン・ティペット(Ben Tippett)氏によれば、湾曲した時空連続体に「Traversable Acausal Retrograde Domain in Space-time(時空間における横断可能で非因果的な逆行可能領域)」と呼ばれる泡のような領域を作ることによって、時空間を自由に前後することが可能という計算が成り立つそうです。
この泡状の領域は光よりも速い速度で移動できるので、タイムトラベルが可能なことが証明されるそうです。
しかしエキゾチック・マターと呼ばれる負の質量を持つ物質が必要なのだそうで、まだまだ現代の科学ではタイムマシン製造は不可能ということですが・・・。

科学の世界でもタイムトラベルが可能となってくれば、僕の数えきれないほどの正夢も、いつか科学で説明が出来る日も来るのではないかと思っています。
現在はタイムマシンは不可能というのが常識ですが、いつかはきっとタイムマシンは可能というのが常識になります。
ひとつの常識の崩壊が、あらゆる常識の崩壊に繋がっていきます。
歴史は覆り、そして世の中のあらゆるFakeが露になって社会は混乱をきたす。
そんな日が来るのも、そう遠くないかもしれません。
今から、心の準備をしておいた方がいいかもしれません。


因みに今日見た夢は、モーツァルトのピアノ協奏曲23番の2楽章を僕は弾いていて、それをどこかの放送局が映していて、最後にこの曲の素晴らしさを説明しているという夢でした。
僕は昔この曲をコンサートで演奏しているのですが、考えてみると僕は知らず知らずの内にこの曲から随分と影響を受けていたみたいです。
なぜなら2楽章のピアノソロが終わって木管と弦が入ってくる所のフレーズなのですが、僕が最近作曲した曲の至る所にもこのフレーズが現れるのです。(↓の動画の12:34〜の部分)
何故なのか、無意識的に使ってしまうのです。
まるでこのメロディーに取り憑かれてしまったかのように・・・。
何故なんだろうとずっと思っていたのですが、原因はモーツァルトだったんですね。
今日の夢で、はっきりと分かりました。
ということで、ポリーニのピアノにベームの指揮という黄金コンビの動画があったので、最後に貼付けておきます。




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何ということでしょうか?
前回、「この地球に山や森は存在しない」という動画を載せたのですが、そうしたらアクセス数がもの凄いことになっていました。
しかし、あまり喜べないのも事実。
前回はこの世のFakeについて記しましたが、その証明とばかりに勢いでついついこの動画を載せてしまったのですが、そもそもこの動画の中にFakeが幾つもありました。
これは素晴らしい動画だと紹介していましたが、これほど間違いがあると、ちょっとそう言い切れなってきます。
ハイ、僕は間違いを認めます。
意地を貫き通すのではく、間違えがあれば素直に認めなければなりません。
大切なのは、真実への道ですから。
しかしこの動画は、既存の科学を覆すようなとても重要な要素も含まれているという最初に見て感じたことは、今も覆っていません。

katoさんという方から、この動画はデタラメだという記事があることを教えて頂きました。
katoさん、ありがとうございました。
それで早速、ザウルスでござるさんのブログ、「デタラメ動画『この地球に山や森は存在しない』(前篇)のトリック」の記事を読みました。
結論から申しますと、こちらの記事の方も僕は半分間違えていると思いました。
それだけではなく、かなり感情的に「一見似ていれば、同じというのは “幼児の論理” である」とか、「これで納得する大人は、幼稚園児と変らない!そう、あなたのことだ!」とまあ、ここまで人格否定をするのは如何なものかと・・・。
この攻撃的な書き方は、どう見てもどこかの御用学者のような・・・。
冷静に考えれば解るとか書いていながら、ご自身が一番冷静ではなくなっているではありませんか?
何故これほどまでに頑に、白か黒か、善か悪か、というようにしか捉えられないのでしょうか?

コメントにも書きましたが、確かに僕もこの動画を見ていて、幾つもの疑問を感じていました。 
7500年前に石は存在しなかったと語っていますが、何を根拠にそう語るのか? 
宇宙ゴーゴーさんの記事にもある「ピラミッドは12500年前に建てられた」という説が真っ向から覆されてしまいますし、そもそも何万年も昔だとする化石がすべてFakeになってしまいます。
1816年に核爆発があって夏が来なかったなんて語っていますが、これはまったくザウルスでござるさんの仰る通りで、この頃は太陽の黒点がほぼ消えて、英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥りました。
太陽活動の低下とアジアでの火山の大噴火による日照量低下が原因であって、決して核爆発があったからではありません。

ヒマラヤも切り株だなんて、それは間違いなく有り得ない話です。
ヒマラヤには貝などの海の生物の化石が沢山見られるので、海の底が隆起して出来たのです。
同じように、富士山が廃棄物を積み上げた巨大な堆積物である筈がありません。
フィリピン海プレートとユーラシアプレートがぶつかって、その圧力によりマグマ溜りが出来て、そのマグマが地上に吹き出し噴火して富士山が出来たのです。

また世界中のメーサ(卓状台地)はすべて巨木の切り株であるというのも、それもまったくの間違いです。
NHKのブラタモリで、よくタモリさんが「河岸段丘大好き!」なんて仰られていますが、まさにあれらは河岸段丘そのものです。
平地が川や雨風によって浸食していったのです。
元々平地だったので、てっぺんが平らになって恰もテーブルみたいに見えるのです。
決して、巨木の切り株なんかではありません。 
想像力が豊かになり過ぎて真実から遠ざかってしまう、よくある話です。 

しかし、本当に冷静になってあのデビルスタワーを見てみると、ただのメーサではないことが解ります。
科学者たちはこぞって、あれは「地球のマグマが冷やされて出来た」と主張し、それに異議を唱えるような人物を変人扱いにします。
Yoshihiraのスペースさんのブログ記事内にある「柱状節理の場所がある。世界中にその姿を見る事が出来る。学説では、地球のマグマが冷やされて出来たとなっている。その学説を信じるだけの理由が見当たらない。それを信じるには心が受け付けない。余りにも学説が専門業界論に終わり、説得するだけの論理性が見えない。」という疑問は至極まともだと思います。
そしてデビルズタワーについて、こう書かれています。

Devils Towerに惹きつけられた。その聳え立つ大岩は根元の盛り上がりと合わせて、まさしく探していた巨樹の化石の見本と感じた。誰も岩石が樹木の化石とは見ていなかろう。この標題(石の囁き 聞こえますか)で世界の隠れた秘密を伝えたいと記事にした。恐竜の住んでいたこの地球の姿を誰も知らない。恐竜の想像の世界を表現した映像を見る事がある。その映像に違和感を禁じ得ない。それは植物も無い表土に生活する無色の恐竜の想像図である。そんな世界に恐竜は生きられなかろう。限りない豊かな巨樹の森と多様な動物が溢れた世界と考える。その巨樹の森があったから、豊富な石炭層ができ、動物が石油となったと理解する。
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そもそも、柱状節理とは何なのか?
なぜ六角形になるのか?
ザウルスでござるさんが「デビルスタワーの六角柱の柱状節理は地質学的、火山学的な理論で十分に説明できている」と書かれていますが、本当にそうなのでしょうか?
自然現象で、溶岩があんなにまっすぐに六角形に割れるものなのでしょうか?
何かおかしくありませんか?
僕には、どうしてもあれが溶岩には見えません。

ちょっと、有名な与那国島の海底地形を思い出してしまいました。
今でも自然地形であるとする説と、人工的な構造物であるとする説の対立は衰えない訳ですが、ザウルスでござるさんが仰る「一見似ていれば、同じというのは “幼児の論理” である」のであるとすれば、海底遺跡と主張する人たちは、みんな幼児なのでしょうか?
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もちろん、想像力が豊かになり過ぎて真実から遠ざかってしまうのは良くありません。
しかし、そういうものに対してすべて幼稚だと言ってはなっから否定していては、真実には近づきません。
昔の地球は火星ほどの大きさで重力も小さかったので、何トンもある恐竜が走り回ることが出来ました。 
きっとノアの大洪水の時に地球が膨張して自転が遅くなり、重力も上がったのでしょう。
現在の重力では、きっと巨大恐竜は立ち上がることさえ出来ないと思います。 
現在のものさしで測っていては、真実が見えてきません。 
現在の科学、そしてこの社会の常識というものに囚われていてはいけません。
見る人の立場によって、常識というものは常に変化していきます。
次元が変われば、この次元とはまったく違う常識というものがあります。
つまり、常識とはまったく当てにならないものなのです。
いつも僕が主張しているように、当てになるものは自分の内側だけです。

最後に、Yoshihiraのスペースさんの記事で、僕がとても感動した言葉を載せたいと思います。

古代の地球の姿の美しさを、どうしても巨樹の緑で覆い尽くした姿で捉えてしまうのである。緑は生命に優しい。いのちの心を豊かにする。巨大さは恐竜の化石として確認出来る。巨樹もその巨大さで捉える必要がある。今地球は人間によって、いのちのみすぼらしい貧弱な姿に変えられてしまった。心を病む生命全体を破壊し尽くさなければ気が済まない如くに、人間の欲望が暴走しているのである。神はその未来を予測してこの地球上に人間を作りだしたのだろうと思う。再び新たな地球を蘇させる時間の仕掛けを、人間に託したとしか思えない。『原子核兵器』を手放せない人間である事を自然の神は見越しているだろう。自ら自分を破壊するまで。昨日「クロ源」で海水温の上昇の問題を取り上げていた。何時か『魚・海洋資源』が絶滅して、人間が食べられなくなる時が来るのは間違いない。人間の欲望ほど恐ろしいものはない。

追記
「この地球に山や森は存在しない」は真実を隠すためのFake動画!?〜デビルスタワーと宇宙人の関係とは?も良かったらご覧ください。


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今月に入ってから体調を崩してしまい、ブログ更新も滞ってしまいました。m(_ _)m
折角良い陽気が続いていたのに、こう体調が良くないとずっと家に閉じこもってしまうことになるので残念です。
外に出たのはGW中に少しだけ友人と会って食事を一緒にしたのと、あと買い物ぐらいです。

それにしても、新緑と花の共演に加えて青空がこう綺麗だと、仕事をしないでただぼぉ〜っと自然を眺めていたいと思っていた人も少なくないかもしれません。
5月病の原因は、ここから来ているのかもしれません。
友人に5月病は大丈夫かと訊いたら、5月に限らずずぅ〜と5月病みたいになっていると言っていました。
「サラリーマンは〜気楽な稼業と〜来たもんだ〜♪」と植木等さんが歌っていた頃の時代はまだ良かった。
今じゃ、何だかすべてが細々としていてそうもいかない。
本当にサラリーマンは大変です。

僕はそうした金儲け主義社会から「いちぬけた!」とばかりに作曲やブログや写真や瞑想など自分のやりたいことをしていましたが、今は両親もだいぶもうろくしてしまっているので、料理など家事の手伝いをしながら、その合間を縫って作曲などをしている感じです。
いったい誰がこの曲を聴いてくれるんだ?誰がこのブログを読んでくれるんだ?それらをする意味はあるのか?・・・などなどの疑問を感じながらも、何故か今の自分の生活スタイルを壊すことが出来ずにいます。
それは、誰かがそんな自分を必要としているのを感じ、こんなにもブログ更新が空いてしまうと何だか急かされているような胸騒ぎも覚えるからです。


僕が実際に体験した数々の不可思議現象をブログに書くこと、それを条件に僕は未知なる存在から守られているような気がして・・・。
自分だけでなく、地球全体を・・・。

前々回に投稿した自作曲は「まったくの無意味・・・」というような意思が飛んでくるのですが、おそらく後半の盛り上がり(恰も戦いを思わせるような)が良くなかったのかもしれません。
宇宙はどうやら静かで美しいものを望んでいるようです。
また、この曲の大まかな構成やフレーズなどは去年の春頃に出来てしまっていたのだけれど(殆ど即興で)、挫折もあってそれから完成するまで1年近くも掛かってしまったので、時間が掛かり過ぎたというのもあるかもしれません。
どちらにしても、宇宙は曲が完成するまでのプロセスを共有したがっているようです。
(天使との共同作業が続いていたら、もっと違う曲に仕上がっていたのかも・・・)

初めてこのブログに来られた方は、何だか急に「はぁ〜?」と思い始めているかもしれませんね。
まあでも、それも今に始まったことではありません。
ずっとこんな調子で、不可思議現象ばかり書いてきましたから・・・。
それを覚悟で書いてきたので、何を今さらですが・・・。
しかし神に誓って書きますが、Fakeはこれっぽっちもないのですよ。
もちろん僕が体験してきた不可思議現象の記事のみになりますが(他の人の体験記や数々のネット情報なども書いたりしてきました)、すべて嘘偽りなく、ありのままあった出来事を忠実に細心の注意を払いながら書いてきました。(特に誇張させないように)
Fakeなら幾らでも想像豊かに書くことは出来ますが、嘘のような真実を正確に書くことはとても難しいです。
もし仮に僕がFakeを書いたとしたら、罪悪感の塊みたいになって辛くて辛くてどうしようもなくなるでしょう。
とてもじゃないけれど、Fakeは書けません。

Fakeではない現実の不可思議現象を正確に書くということは、これはある意味、この社会に対する反逆かもしれません。
こういうことばかり書いていたら、社会人として成り立っていきませんから。
それでも書き続けるには、犠牲的精神や使命感といったことが必要です。
有り得ないような真実を目の前にして、それらをどう捉えていくのか、それが次に重要になってくることです。
それこそ名探偵金田一耕助か明智小五郎か、将又杉下右京にでもなったつもりで推理してみたくなる・・・謎を謎のまま終わらせたくないと思うのは、当然のことです。
またそれは究極的には、人類の本当の歴史、地球の歴史、生きる目的、魂とは?意識とは?といった壮大な人類共通の普遍的なテーマへと繋がっていきます。

これは社会に対する反逆です。
社会は支配者が支配しやすいようなシステムになっているので、上からの指示に忠実な所謂ステレオタイプ人間(マニュアル人間)がこの社会では優れた人間なのです。
この社会システム自体に疑問を持ってしまう人間、それこそ革命とか起こしかねないような人間は、この社会からはじき出さなければならない危険因子なのです。
この社会の常識という枠内での知識は必要だけれども、この社会から外れた知識は持ってはならないということです。

フリーエネルギーが開発されてしまっては、石油業界にとって、原発関係者にとって、ボロ儲けが出来なくなるので困るのです。(100年以上前にニコラ・テスラがフリーエネルギーを実現させています。)
ギザのピラミッドが1万年以上前に建てられたことがバレてしまうと、エジプトの財産ではなくなってしまうので、エジプト政府やエジプト考古学博物館にとっては困るのです。
何としても、クフ王やメンカウラー王が作った自分の墓だと思わせておきたいのです。

人類は猿人類から進化してきたと、学校でそう習うので多くの人がそう思っています。
また、古代人に比べれば現代人の方が遥かにサイエンステクノロジーは発展し勝っていると思っています。
しかしギザのピラミッドを作ることは、現代科学の技術を駆使しても難しいといわれています。
どう見ても、現代人より古代人の方が勝っているのです。
そう、人間は退化してきたのです。(反進化論)
いや、退化させられてきたのです・・・支配者たちによって・・・Fakeによって。

この世はFakeで溢れています。
何もFakeはネットの世界だけに溢れているのではありません。
この社会システム自体がFakeであり、マトリックスであり、幻想なのです。
真理は自分の内側にあるのです。

きっと殆どの方は、さっきよりも更に何を書いているのだか分からなくなっているかもしれませんね。
しかし、ここまで我慢して読んで頂いた方にはとても感謝します。
そして、読んで頂いた方たちが自分の内側に目を向け、自分の内側に秘めた偉大なる力に気づくことを期待します。
それは退化などではなく、素晴らしき進化です。
きっと誰だって退化など望んでいない筈です。
自分の内側には無限大∞の宇宙が広がっていて、それを知ることこそが大きな一歩となるのです。


僕が書いていることがまだ信じられないのならば、↓のウクライナのマネスさんていう方が作成した動画を観て頂ければ、僕が今まで書いてきたことを少しは理解してもらえるかもしれません。
原題は「There are no forests on Flat Earth Wake Up(目覚めよ、この地球に山や森は存在しない)」です。
ちょっと長い動画ですが、とても素晴らしい内容なので是非最後までご覧になって頂きたいです。
元の動画が英語で、翻訳機の訳だからとても分かり難かったのですが、分かりやすく訳してある動画もアップされていたので、そちらの方を引っ張ってきます。





僕はこの動画を観ていて、何だか悲しくて涙が出てきました。
地球は傷だらけでボロボロなんだなと・・・。
木々が地球の全データを蓄積しカーボンファイバーで構成される情報ポータルに保存されるということは、巨木は言わば地球の海馬ということになるのかもしれません。
そんな地球にとってとても重要だった巨木を切り倒し、至る所に採石場も作り、おそらく古代から数えきれないほどの核爆発もあって、地球は瀕死の重傷を負ってしまったのかもしれません。

以前に「人間にはアヌンナキの血が流れている〜戦いと性愛の女神イナンナ」という記事を書いたのを思い出しました。
アンの息子アヌの時代からニビル星は大気の問題を抱え始め、大気層の損壊を補修するために大量の金が必要でした。
そして地球に大量の金が埋もれているを発見し、発掘のためイギギ(労働者のアヌンナキ)が地球へ送り込まれます。
それは地球の時間軸で約50万年前のことでした。
動画にあった世界各地に残る巨大な採石場跡は、イギギが発掘した跡なのでしょうか?
やがてイギギは反乱を起こし全滅して、代わりにアヌ王の長男エンキによる遺伝子操作で生まれたアダムとイブ、そしてその子孫たちが発掘を続けます。
アヌンナキたちが地球に来る以前の地球は、きっと生き物たちで溢れていて想像を絶するほど美しかったのかもしれません。
今の地球には、きっとその欠片もないのです。
そうやって、きっと次元の低いアヌンナキたち、そして人間たちによって、地球は死の寸前にまで追いやられたのでしょう。
しかし地球は宇宙の高次元の者たちによって復活し、進化を遂げようとしています。
ライトワーカーと呼ばれる人たち(動物たち)は、高次元の者たちの生まれ変わりです。

地球を、想像を絶するほど美しかった大昔の状態に戻してあげたいと思いませんか?
心清らかにして祈っていれば、それはきっと叶います。
いや、きっとそれ以上に地球は進化します。


追記
「この地球に山や森は存在しない」はデタラメ動画だということが書かれているブログ記事があることを、katoさんという方からコメントで教えて頂きました。
次の記事「この地球に山や森は存在しない」は半分が間違い〜しかし目の付けどころは良いかもで、そのことについて詳しく書きましたのでご覧ください。


 

sakura08
作曲に限らず、創作活動というものは、イメージが泉の如く沸き上がっている時はとても楽しいですが、一度暗礁に乗り上げてしまうと途轍もない生みの苦しみを味わうことになります。
創作活動といっても趣味でやっているのなら良いですが、これが仕事となると大変です。
自分が納得していなくても、妥協してでも締め切りまでに提出しなければなりません。
それを「飯の糧(かて)」に繋げていくためには、冷や汗かきながら何としても締め切りまでに間に合わせなければなりません。
間に合わなくなりそうになると徹夜をして、眠くなると目を覚ますために缶コーヒーを3缶ほど買ってきて、それをがぶ飲みしながらでもやる。
朝になってやっと仕上がって、朝食も食べずに電車に飛び乗り、現場に行って人に会って聴いてもらって・・・帰りにまた缶コーヒー買って飲む。
もうこれは十数年前の話なのですが、まあ当時はそんな大変な状況を楽しんでいたというか、そうやってやり遂げることで自己満足に浸っていたというのもあるのですが、これは若かったから出来た訳で、今はとてもじゃないけれど出来ません。
身体を壊してしまいます。

そういえば昨日、歯医者さんにも言われてしまいました。
「これだけ歯を悪くするのは、磨き方がどうこうというよりも、甘い飲み物が原因だと思うよ」と。
今あるムシ歯くんたちはあの頃の名残だと考えると何だか愛おしくもあり、かといって、もうあんな痛い思いは嫌だという思いもあり・・・。

しかしそれが今では健康第一主義に変わってしまうのだから、人生というものはまったく分かりません。
缶コーヒーはもちろん、今はカフェインを含むものは一切飲みません。
それから、あの頃は1日3箱吸ってしまうくらいのヘビースモーカーでしたが、約8年前に禁煙してからは1本も吸っていません。
お酒も正月三が日以外は飲まなくなりました。
緊張する仕事がある日の前日の夜とかは、結構日本酒など飲んだりしていましたが・・・。
それだけではなく、昔は結構肉好きだったのですが、今は完全にベジタリアンになってしまったのだから、極端といえば極端。
それもこれも、今から9年前に生まれて初めてUFOを見てからすべてが変わっていったような・・・。

そういえば思い出すのも嫌なのだけれど、9年前といえば僕が初めてCDを出した年。
同時に絶望と悲しみを味わった年。
そしてUFOという異次元の存在を知った年。
そう考えると、ムシ歯くんたちは僕の年輪のようなもの。
20170402
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」と言ったのは、作家の藤沢周平氏。
例えば、それは掃除をするということ。
「飯の糧」だけを追求している人たちからすれば、掃除をすることによって売上が増える訳ではないので、掃除を「くだらないこと」と考えてしまいがちです。
しかし掃除をしてお店を綺麗にしておけば、入ってくるお客さんも気分が良いだろうし、当然それは間接的に収入に繋がってきます。
お店に限らず住んでいる家を掃除すれば、家族全員が気分が良くなる筈です。
自分の家に限らず、住んでいる街を綺麗にすれば街の人の気分が良くなるだろうし、自分の住んでいる街に限らず、日本のどこかの街を綺麗にすれば、その街に住んでいる人たちの気分が良くなる筈です。
収入に繋がらなくても、いや、収入に繋がらないからこそ、それが「心の糧」に繋がっていきます。
掃除は、自分自身の心の浄化にも繋がってきます。
「心の糧」こそが、人間らしく生きていくための必須条件だといえます。

それにしても、今ほど人間らしさが失われてしまっている時代はないかもしれません。
最近の閣僚の相次ぐ失言や暴言は、完全に国民を馬鹿にしてしまっていることの現れです。
野党がだらしがなくて、自民が一党独裁になっていることが原因だという報道がされていますが、政治に限らず、これは日本全体にいえることなのではないかと思います。
つまり、この世の中は「飯の糧」だけを追求している人ばかりで、「心の糧」になるような出来事があまりに少なすぎるのです。
そのため、日本人の心は荒れてしまい、忌まわしい犯罪も頻発してしまいます。

人間らしさを失ったその先にあるのが、人間のロボット化です。
既にスマホを片時も手放すことが出来ない人たちが増えています。
ゲーム機など新商品が発売される前日には、必ずお店の前に徹夜の列ができています。
トランプ大統領の裏の大統領といわれているピーター・ティール氏が本当に支持している政党は、トランスヒューマニスト党です。
この党は、ある意味ではとても素晴らしい目標を掲げています。
科学と人間の融合を目指していて、より人間の潜在能力を引き出し、人間らしい生活を送れることを目指すと公言しています。
それは2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、きっと世界中の人たちが目の当たりにするでしょう。
義足の選手が健常者の記録を越える瞬間を・・・。
しかし、それはある意味ではとても危険なことです。
何故なら、より人間のロボット化が懸念されるからです。(公言している「人間らしい生活」とは正反対の)

トランスヒューマニスト党の代表として2016年米国大統領選に立候補したゾルタン・イシュトヴァン氏は、自身の政党についてこう説明しています。

「私の2016年の選挙戦略は、次の3つの集団をターゲットにしています。無神論者、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たち、そして障がいを持つ人のコミュニティです。彼らを足し上げると米国では3,000万人ほどになり、その一部はすでにトランスヒューマニストコミュニティの中で大きな人数を占め、価値観を共有しています。私はサイエンスとテクノロジーの支持者を動かし、「誰かを傷つけない限り自分の体にはしたいことをする権利がある」という考え方、形態的自由という思想を達成したいのです。・・・(途中略)・・・トランスヒューマニストは、宇宙産業を再燃させ、人々を太陽系全体に送りたいと考えています。我々は巨大な海上国家プロジェクトを作り、あらゆる種類の人や科学実験がそこで受け入れられるようにしたいのです。人間が起こしたあらゆる環境問題の解決法を教えてくれる超人工知能を作り出したいのです。我々が宣戦布告する相手は、ドラッグ、公民権を奪われたマイノリティ、石油依存の小国だけではなく、がんやアルツハイマー、そして加齢です。」

想像しただけでも、まるでSF映画のような世界です。
しかし、SF小説「すばらしい新世界」のようにならないかと心配するのです。
確かに病人や障害者にとっては、夢のような話です。
病気が無くなり、不老不死であることは、それが可能ならそれはそれで素晴らしいことかもしれません。
しかし、それもこれも人間らしさを失わずにすめばの話です。
20170401
ゴッホが生前に売れた絵は、たったの1枚だったといわれています。
では何故、ゴッホは描き続けたのか?
「飯の糧」のためだったら、何も絵を描かなくても他にも仕事がいっぱいあった筈です。
ゴッホにとって絵を描くということは、道(タオ)だったのです。
道とは、人間らしさを追求していくことです。
その道が、誰か他の人にとっての「心の糧」となっていくのです。

モーツァルトが死んだ時、葬儀をするお金がなく共同墓地に野ざらしにされたといわれています。
モーツァルトが亡くなる3年前の1788年には6月に交響曲39番、7月に40番、8月に41番(ジュピター)という風に信じられないようなスピードで作曲しています。
この3曲は謎の三大交響曲と呼ばれていて、誰からも作曲の依頼があった形跡がありません。
1791年に「魔笛」が上演されたその年に、謎の死を遂げます。
またこの年に謎の男からレクイエムの作曲の依頼を受けていますが、死によって未完のまま残されました。
モーツァルトはギャンブル好きで多額の借金を抱えていたので、お金のために作曲していたと思われがちですが、それなら何故、依頼も受けていない三大交響曲を書いたのでしょうか?
しかも亡くなる前の3年間の作品は、どれも恰も神が書いたようなものばかりです。
モーツァルトはひょっとしたらお金などどうでもよくて、神の手が自分に触れるのを感じていて、作曲のためにすべてを犠牲にすることを決心していたのかもしれません。(イルミへの反発?)
借金がかさみ、追い込まれれば追い込まれるほど自動書記の如く、五線紙にペンを走らせる。
それは使命的、いや、天命的なものだったのかもしれません。


人間性のもっとも根源的なもの、それを機械に置き換えることはできません。
しかし人間は今や、それさえも捨て去ろうとしています。
サイエンス、テクノロジーを発展させることは素晴らしいことですが、使い方を間違えてはなりません。
モーツァルトはメーソンでしたが、メーソンの上層部はイルミです。
モーツァルトは魔笛の中にイルミの秘密の儀式を暴露したから毒殺されたのだという都市伝説がありますが、たぶんそれは違うと思いますが、現在のイルミは機械と人間を融合させて人間らしさを失わそうと躍起になっています。
イルミの後ろには、悪魔(ルシファー)がいます。
彼らが行っている秘密の儀式とは、悪魔崇拝です。
イルミは世界の政治経済のすべてを、悪魔の力を借りて自由自在にコントロールしています。
この拝金主義の社会システムを作ったのは悪魔なのです。

神と悪魔の争いに巻き込まれないようにするのが肝要です。
なるべく機械(666、獣)から離れて自然に触れるようにして、慎ましく質素な生活をして、人を愛し、人種を越えて愛し、平和を祈り、そして「心の糧」になることをする。
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」
つまり、お金にならないことをすることこそが、人間らしさを失わずに済む秘訣。
もっと言ってしまえば、悪魔の餌食にならずに済むということかもしれません。
20170404
僕の作曲は1円にもなりません。
しかし、独り善がりの音楽でもありません。
僕の作曲は天使との共同作業です。
それはある意味、モーツァルトと同じです。
そいうえば以前、モーツァルトの魂が降りてきたことがありました。
その時、「ジュピター」が部屋に流れていました。(部屋にステレオがないのに・・・たぶん頭の中で)
モーツァルトは3つのことを教えてくれました。
服毒自殺をしたということ。(信じる人はいないと思いますが・・・本人が言っているのだから)
交響曲41番「ジュピター」が一番好きな曲だということ。
そして「3」という数字の重要性。(因みに「ジュピター」には、「3」という数字が至る所に散りばめられています。ひょっとしたらフラクタル幾何のこと?)

本当に最終的な人間らしさというのは、超常的なものなのかもしれません。
機械やテクノロジーによる進化ではなく、自分の内側に初めから備わっている秘めたる能力的なものの目覚めなのかもしれません。
僕はそれを使って作曲している。(神⦅天使⦆は外にではなく内側に宿る)
モーツァルトもそうやって作曲していた。
モーツァルトと僕を比べるのも、何とも烏滸がましいのだけれど・・・。

だから僕が最近作った音楽には、そうした内側の目覚めを助長させる力があると信じています。
作曲はモーツァルトと同じ、天命なのです。
モーツァルトと違って、僕の作曲は超スローペースですが・・・。
もしこれが仕事だったら、話になりませんね。
しかし、約9年前の仕事が成功して「飯の糧」のための作曲をずっと続けていたら、今の自分はいないと思います。

(写真は水元&みさと公園で撮りました。)


 

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