piabuの不可思議blog~内なる光、世界に届け

ものすごく真面目に、本格的に、この世の真実を自分の不可思議体験をもとに探求しています。クラシック音楽の作曲は天使との共同作業です。

前回、原始キリスト教と神社の繋がりについてちょっと触れましたが、今日はその部分をもっと掘り下げてみたいと思います。
このテーマは以前にも何度か採り上げたことがありますが、改めて考察してみようと思います。

八幡神社の「や」はユダヤ教の一神教の神「ヤハウェ」の「ヤ」で、「はた(わた)」は日本に原始キリスト教を持ち込んだ「秦氏」の「はた」なのだと前回は説明しましたが、ここにひとつの疑問が浮かび上がります。
秦氏が紀元後に日本に持ち込んだ原始キリスト教は、紀元前に物部氏が日本に持ち込んだ旧約聖書の神を悪神としているのに、なぜその「ヤハウェ」を祀っているのかという疑問です。

物部系の神社(物部神道)では、紀元前からずっと血の儀式が行われていました。
主な物部系の神社に出雲大社、籠神社、大神神社、諏訪神社などがありますが、諏訪神社では明治初期頃まで血の儀式が行われていました。
諏訪大社上社の前宮へと続く参道の坂道を登る途中に十間廊(じっけんろう)と呼ばれている建物があるのですが、これが古代イスラエルの幕屋と大きさ、方角、使い方などがまったく同じなので、日ユ同祖論の大きな決め手となっています。
そこでは毎年4月15日の「御頭祭(酉の祭)」に、鹿の頭75が供えられていたそうです。
以前、古代のアニミズム信仰を探る旅 part7〜北斗神社と日本人のルーツ、地球人のルーツという記事のところに書きました。

御頭祭は今は行われなくなりましたが、生きたカエルを串刺しにして神前に捧げる「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」は現在でも行われていて、動物愛護団体が抗議活動をしたりしているみたいです。
また千葉県の君津市にある諏訪神社(諏訪大社を総本社とする神社)では、「ミカワリ」という奇怪な祭りが行われているそうで、儀式の中では切り分けられた肉を奪い合うというのがあって、神社の境内から出なければ子供だろうが容赦なく力ずくで肉を奪ってもいいのだそうです。
(柳田國男「年中行事覚書」によれば「ミカワリ」とは「身変わり」に通じるのだそうで、12月8日に日頃の自分の心身を清め、正月に向けて年神様をお迎え出来るような「身に変わる」ための準備なのだそうです。また12月8日は「事八日」「八日節供」ともいわれていて、様々な妖怪が姿を現す日ともされているそうです。これは不可思議大好き人間にとっては大変に興味深い内容で、その内に詳しく調べあげてアップしたいです。おそらく、これもユダヤに繋がってくるかと思います。)

こうした血の儀式を秦氏が廃止させようとして、秦氏の中の賀茂氏が禰宜を派遣して監視させた訳ですが、どうみてもこれらの残虐的な行事は悪神を鎮めるためのもの、若しくは悪魔崇拝的なものとしか思えない訳です。
神社の鳥居の赤(朱色)は、モーゼの「十の災い」時の「子羊の血」(出エジプト記12:1~13)の血の色を表しています。
子羊どころではなく、世界中の古代遺跡からは人間が生贄にされていたという証拠が沢山出てきています。(特にメキシコのケツァルコアトルの神殿の生贄は有名です。)
それは、日本の神話のヤマタノオロチ伝説の中にも見受けられます。
都市伝説ですが、現在でもイルミナティが悪魔崇拝を行っているという話もあります。

ここからさらに都市伝説的な内容になっていきますが、愛知ソニア著のイナンナバイブルでは、ヤハウェの正体はエンリルだと書いてあります。
エンリルというのはシュメール神話に登場してくる神です。
エンリルにはエンキという兄がいて、古代シュメール文化を研究したゼカリア・シッチン氏によれば、2人の兄弟はとても仲が悪く、孫(イナンナとマルドゥク)の時代の頃には決定的な亀裂が生じて大戦争にまで発展します。
それはやがて、神の代理戦争という形で人間同士が争うようになり、それは今現在も続いているのだそうです。

アカデミズムとはまったく違う独自の視点で遺跡などの調査を行っているはやし浩司さんによれば、神社にはエンリル系の神社とエンキ系の神社があるそうです。
それは狛犬を見れば分かるそうで、片方の狛犬に角が1本生えていたらエンキ系で、角が無いのならばエンリル系なのだそうです。
八幡神社の狛犬は角が1本あったので、エンキ系の神社ということになります。
しかし八幡の「や」はヤハウェ、つまりエンリルを表しているということは、エンリルの怒りを鎮めるためにエンキ系の秦氏が立てた神社ということになるのかもしれません。

シュメール文明といえば、メソポタミア文明よりもさらに古い、現在の歴史学が世界最古としている文明です。
シュメールというのは正しい発音ではなく、実際には古代バビロニア語ではスメル(Sumer)と発音します。
スメルといえば「スメラノミコト」、つまり天皇のことを意味するのではないかとする説があります。
アカデミズムは完全に偽書としていますが、縄文時代に書かれたという本「ホツマツタヱ」によると、神武天皇は日本の初代天皇ではなく、初期の縄文時代の頃からすでに天皇は存在していたようです。
つまり、「日本人シュメール起源説」です。
秦氏によって新約聖書が日本に持ち込まれる以前に物部氏によって旧約聖書が持ち込まれていた訳ですが、それよりも以前には、日本には世界最古のシュメール文明(天皇制)が存在していたということになります。

市川市、八幡神社にて

さて、秦氏は八幡神社だけではなく、稲荷、松尾、日枝などの様々な神社の創建に携わっていて、おそらく日本の神社の半分以上が秦氏による創建といえるかもしれません。
秦氏は間違いなく原始キリスト教の祭祀施設として、これらの神社を建てました。
しかし間違えないで頂きたいのが、現在のほとんどのキリスト教は秦氏の原始キリスト教とは似ても似つかない代物です。
原始キリスト教とは最初期のキリスト教のことで、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいいます。
この頃はまだバチカンの法王の権威が確立されてはいなくて、色々な原始キリスト教がヨーロッパ各地に乱立していました。

特に重要なのがグノーシス派です。
最近、紀元1~2世紀頃の現行の聖書に収められなかった古い福音書が次々と見つかっています。
トマス、フィリポ、ユダ、そしてマグダラのマリアの福音書です。
これらはすべてグノーシスです。
グノーシスとは古代ギリシア語で「知識」や「認識」という意味で、そこがカトリックとは相容れない部分であって、カトリックから弾圧される切っ掛けとなります。
なぜならアダムとイブがヘビに唆されて食べたリンゴは「知識」のリンゴであって、カトリックにとって「知識」は悪の象徴だからです。
弾圧といえば、特に酷かったのが1208年のカタリ派征伐のためのアルビジョア十字軍(フランス皇帝軍)だと思います。
そのことは以前に、執着をなくすということ〜カタリ派とディオゲネスという記事に詳しく書いたことがあります。

カトリックの弾圧によってグノーシス派などの原始キリスト教はほとんど姿を消しましたが、この極東日本に神道という風に形を変えて、その精神だけを残して脈々と受け継がれてきたということかもしれません。
賀茂氏でもあった徳川家康がキリスト教を禁じたのも、原始キリスト教を守るためだったのかもしれません。

原始キリスト教が姿を変えて受け継がれてきたのは、日本の神道だけではありません。
実は、フリーメイソンもグノーシスの流れを受け継いでいるといわれます。
有名なフリーメイソンのシンボル、コンパスと三角定規の真ん中にある「G」は、God(神)、Geometry(幾何学)の他に、Gnosis(グノーシス)という意味もあるそうなのですが、しかし僕の中では、どうしても神道とフリーメイソンが繋がってきません。
これもフリーメイソンがカトリックによって悪の組織に仕立てられ、特に日本人は陰謀という洗脳を掛けられているので、それが原因なのかもしれません。
しかし、もともとの教義は同じということです。
(フリーメイソンにも色々とあって、中には世界征服を企んでいる団体もあるかもしれませんが・・・。)

神道とグノーシスの違いは、イスラエル人(大和民族)かイスラエル人ではないかということです。
これは大きな違いです。
グノーシス派は「知識」を得ることによって、己の中にある神を引き出そうとしました。
一方、イスラエル人である秦氏は幕屋構造(前述した諏訪大社の十間廊のような建物)を応用して神社を建てて、その祈りの中で己の中に宿る神を引き出そうという、新しい信仰を作り出したのだと思います。
イエスが本当に伝えたかったのは、アニミズム(精霊信仰)だったのではないかと思っています。
アニミズムとは自然万物に神様が宿るという考え方で、自然を畏怖し崇拝することです。
つまりイエスの真の教えはカトリックの三身一体とは正反対のことだったと、そう思っています。
秦氏はこの日本で、そのイエスの教えを忠実に守ったということです。
秦氏が物部氏に血の儀式を行うのを禁じたのも、鹿もカエルも生きとし生けるもの皆に、それだけではなく岩や山や川や海にも、月や太陽や宇宙にもすべて、神様が宿っていると信じていたからなのでしょう。



今日の朝方、まだ日も昇らない暗い時間に目が覚めたのですが、真っ暗な筈なのに目を閉じると頭の辺りがとても明るく感じました。
あまりに明るいので昼間なのかと思い目を開けてみると、やっぱり真っ暗でした。
時計を見ると6時近かったので、瞑想をしようと起き上がり座禅を組んで目を瞑ると、額の第三の目の辺りにエネルギーが充満しているのが感じられて、それは痛いほどでした。
さっきまだ暗いのにとても明るく感じたのは、このエネルギーが原因だと分かりました。
そのエネルギーのお陰で今日は一日中でも瞑想が出来そうな予感がありましたが、今日やるべきこともあるので、7時ぐらいに瞑想を終えることにしました。

しかし僕は確かに、自分の中に煌々と輝く光を見ました。
前々からそれらしき光はうっすらと見えていましたが、今日ほど強くその光を感じたことはありません。
何者かが、僕の中の光を引き出してくれているようです。
それは今書いているこの記事と関係がありそうです。
(この記事を書くのに2〜3日掛かっています。)
これは、おそらくこの記事がとても重要なことを意味しています。
その何者かとは、いったい誰なのか?分かりませんが、神社と関係がありそうです。

瞑想とガヤトリーマントラを唱えることは、今年も毎日朝と夜の2回続けて行くつもりですが、実はガヤトリーと原始キリスト教(グノーシス)はとても近いと思っていて、ガヤトリーの光は僕は知識(叡智)だと思っています。
瞑想の最後に、身体中から青白い光が放出されているのをイメージしながら、自分の中に眠っている能力を引き出すということをやっています。
それは、自然万物の神様に感謝することによって可能になるのだと思っています。
今日、それが光の奇跡となって顕われたのかもしれません。


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あけまして、おめでとうございます。
皆様のご健康とご多幸を、心からお祈り致します。


昨日、大晦日の夕方、何年ぶりかに昔の友人が家に訪ねてきました。
あまりに突然のことだったので、ビックリしました。
「友達を失って、はじめて友達の有り難みが分かった。お前って特に良いヤツだったから、お礼を言いに来たんだ。ホントありがとうね。ずっと付き合ってくれて。」
「おい、ちょっと待て。何なんだ、突然・・・何だったら、初詣にでも一緒に行くか?」
「行かない。オレ、クリスチャンになったんだ。だから行けない。もう帰らないと、これから用事があるから。」
「今来たばっかりじゃないか。」
「お礼を言いに来ただけだ。分かったんだ。ホントに大切な友達が・・・。」
「まあいい、じゃあ、途中まで自転車で送っていくよ。外で詳しく話そう。」

お袋がお茶を用意していたみたいですが、それも断って友人は外に出て行きました。
自転車に乗りながら、さっき気になったことを友人が言っていたので、そのことについて切り出しました。
「クリスチャンになったって!」
「うん。」
「・・・・・・。」
実は友人は以前に創○学会に入っていたことがあって、創○学会がどれだけの悪の組織なのかを説教していた時期もあったのですが、今度はクリスチャンだと聞くと正直嫌な予感を感じずにはいられません。
しかしいきなりそれを訊くことは出来ず、以前に僕自身におきた不可思議な体験の話をしました。
「実をいうと、僕は超常現象をよく体験するんだけど・・・・・・イエスに会ったことがあるんだ。だから間違いなくイエスは存在する。だけどイエスは一天使にすぎない。これは原始キリスト教の教えなんだけれど、注意しなければならないのは、旧約聖書の神は悪神だということ。」
「よく知ってるなぁ。聖書を読んだことあるの?」
「僕はクリスチャンじゃないから全部は読んではいないけど、ある意味で普通のクリスチャンよりキリスト教のことはよく知っているつもり。宗派はカトリックじゃないよね。」
「そういうんじゃない。」
「まさか、も○みの塔?」
「全然違うよ。○○○っていう宗派。」
「知らないなぁ。聞いたことないからよく分からないけど、世界が滅んでも信者だけは助かるなんてことは言わないよね。」
「そういうことはない。」
「クリスチャンって本当に良い人たちばかりなんだよね。だけど聖書って、支配者が自分たちのいいように手を加えてしまっている書物。つまり支配しやすいように、良い人にさせられているってこと。でも宗派によってその教えも全然違っていて、いいキリスト教もあるとは思うけど・・・。ところで、さっきクリスチャンだから初詣には行けないって言ってたけど、神道はもともと原始キリスト教だったと僕は思っている。殆どの人は神社とキリスト教には何の接点もないと考えているようだけど、とんでもない間違えだ。例えば八幡神社の「や」は「ヤハウェ」の「ヤ」で「はた」は「秦氏」の「はた」なんだ。秦氏はイスラエルの失われた十支族の末裔で、日本に原始キリスト教を持ち込んだ。そしてそれが神道になったんだ。だから、神社はバリバリのキリスト教だってこと。」

友人は、それでも初詣には行かないと言い張りました。
喧嘩をしたくないそうで、気持ち良くお別れをしたいとのことでした。
お別れも何も・・・だいたい何年も会ってなかったのですが・・・。
僕はまだまだ言い足りない部分もあったのですが、途中でバイバイすることにしました。

創○学会に比べればキリスト教はいい宗派もありますし、もともと神道は原始キリスト教なのですから、我々日本人は知らない内にキリストの教えを教わってきたともいえる訳です。
だから友人のことは、ある意味で安心はしました。
しかしそれにしても、彼とはどんなにバイバイしたところで、完全に縁が切れるなんてことはないような気がしてしまって仕様がないのですが・・・。


そして年が変わり、有言実行ではないけれど、原始キリスト教を意識しながら初詣に行ってきました。
家の近くの愛宕神社、伊弉諾神社、そして八幡神社に行ってきました。
僕は正月三が日の内に初詣に行かないと、1月4日に必ずとんでもない悪夢を見てしまい、初詣に行くまでずっと見続けます。
これは愛宕の神様の怒りに間違いなく、その怒りを鎮めるために愛宕神社だけはどうしてもお参りをしに行かなければなりません。
この地に住まわせて頂いていることに感謝をして、またこの一年も住まわせて頂くことをお願いしに行く訳です。

0時を回って直ぐに行くと、もうすでに列が出来ていて寒い中長いこと待たされるのですが、すこし時間を置いて行くと列は数人程度で待たされる心配がない上に、無料でお祓いをしてもらったり、お神酒やみかんまでもらえます。
しかし時間を置き過ぎると誰も居なくなってしまい、お祓いやお神酒はもらえません。
行くタイミングが大事だったりします。

それからその後で、約30分かけて自転車で八幡神社に初詣に行くのが僕の恒例の行事になっています。
いつも猛烈に寒くてかなりきついのですが、今年は行きはそれほどでもなかったです。
しかし徐々に寒くなってきて、帰る頃にはいつもの寒さが戻っていました。
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参拝した後、注連縄や古札を感謝を込めて古札納所にお返しをしてから、おみくじを引くのも僕の恒例の行事になっています。
去年は吉で、一昨年は末吉だったか?
一時期はおみくじを引けば必ず大吉って頃もあったのですが、最近はまったくお目にかかっていません。(ここの所、初詣以外には神社にお参りしていないせいかもしれません。)
しかしこの行事は、いいことがあるとかないとかではなく、自分は正しい道にいるのか、道を踏み外していないかということを神様に問うことなのだと解釈しています。
神社に初詣をする時も、何かをお願いするのではなく、ただひたすらに感謝をしています。
祈りとは感謝をすることなのです。
おみくじは、その延長線にあるものです。
だから何が出ても、それは神様から自分への大切なメッセージなので、例え悪くても有り難く神様の言葉を頂くという気持ちが重要なのです。

そして、今年の神様からの答えはこれでした。
2017_04
この福を自分だけのものにはしたくなくて、多くの人にシェアしたいという気持ちがあって、それで写真に撮ってブログに載せました。
この調子で、また今年も瞑想をしてマントラを唱えながら、世界の平和を祈り続けていきたいと思っています。

この後、6:40頃まで待ってから、初日の出を拝んできました。
ブログ最初の写真がそうです。
少し気になったのが、太陽の光量が増えたのではないかと思いました。
普通は空気層の厚みによって色が赤っぽくなり、肉眼でも見れる光量なのに、いきなり眩しく感じられました。
それと写真を見てもらえれば分かると思いますが、太陽に黄色い輪が出来ています。

これらは最近NASAのカメラに捉えられている、太陽に接近したり衝突したりしている巨大UFOと何か関係があるのではないかと考えています。
最近、太陽に黒点がまったく見られないそうで、これは太陽の活動が弱まっていることを現しています。
宇宙的には通常であれば、すでに地球に氷河期が到来していてもおかしくないのかもしれません。
もし地球に氷河期が到来すれば、映画「デイ・アフター・トゥモロー」のようなことが起こることが想定されます。

そういう事態にならないよう、人類より遥かに進化したスーパーエイリアンが、どうやら太陽の活動が活発化するような細工をしているみたいです。
僕の考えでは、そのスーパーエイリアンこそがイエスであったりマリアであったり、また神話の中に登場する古代の神々であったりするのです。
3次元世界に生きている我々には、6000℃の太陽の熱に耐えられるものなど存在しないという認識がありますが、亜空間に生きるスーパーエイリアンにとっては温度などまったく関係ないのでしょう。
スーパーエイリアンは、実は我々にとってまさに影で働くスーパーヒーローなのかもしれません。
今我々が生きていられるのは、スーパーエイリアンたちのお陰なのかもしれません。
だからそれを感謝しに、僕は初詣に行くのです。
悪神が祀られている神社も多いですが、スーパーエイリアンが祀られている神社もあります。
要は、その見極めが大事です。

太陽は光量が増えただけではなく、光の波動そのものがどうやら以前と変わってきているようです。
それが、地球の次元の上昇と大きく関わっているようです。
それも、スーパーエイリアンたちのお陰なのでしょうか?
写真の太陽の黄色の輪は、その波動の変化が視覚化したものなのでしょうか?
これからも天使たち(スーパーエイリアンたち)にひたすら感謝をし、お祈りを続け、そして真実を追究して行こうと思っています。

そんな感じではあります、何卒、今年もよろしくお願い致します。


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今日はクリスマスですね。
毎年思うのですが、クリスチャンでもないのにどうしてこんなに日本人はクリスマスを祝うのかと?
しかし50才近くにもなってくると、そういうのもどうでもよくなって、もう大河ドラマの真田丸の長澤まさみさん演じるきりの心境です。(ご覧になっていなかった方は、意味が分からないかもしれませんが・・・m(_ _)m)

しかし何故だか、イブの日の夜に突然イルミネーションの写真が撮りたくなってきて、場所も決めずにカメラを持って電車に飛び乗りました。(イルミの写真を撮りたくなるだなんて、本当はこれは自分らしくないことなのです。)
以前、仕事などで新橋から出ているモノレール「ゆりかもめ 」によく乗っていたので、そういえば「ゆりかもめ」の汐留のイルミネーションがとても綺麗だと聞いていたので、汐留に決めました。
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カレッタ汐留のイルミネーション「カノン・ダジュール」は今年で11回目迎えるそうです。
「Caretta Illumination 2016 カノン・ダジュール Canyon d'Azur ~青い精霊の森~」は、11月17日(木)から2017年2月14日(火)(バレタインデー)まで催されるそうです。
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もう夜10時近かったですが、こんなに大勢人がいました。
流石はイブの夜、それにカップルばかり。
しかしそんなのはお構いなしに、写真を撮りまくっていました。
いい年こいて、心がトキメいちゃって・・・(笑)
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こういうのが、意外と作曲の糧になったりします。
また作曲を始めていて、年内に終わらせようと思っていたのですが壁にぶち当たり、どうやら来年に持ち越しそうです。
しかしまさにこうした世界を思い描いて作っているので、これらの写真を眺めながら仕上げていきたいです。
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さて、このブログのコンセプトは「不可思議」なので、ここからは最近あった不可思議な出来事を書いていこうと思います。
それに、この話はちょっとクリスマスと関係してくるかもしれません。

僕の家から自転車で大体10分ぐらい走ったところに、まだ畑なども残っていますが、洒落た洋菓子屋さんなどが並ぶような、ちょっといい感じの通りがあります。
僕はその辺りでよく買い物をしたりするのですが、今年の10月頃だったか?
僕はこんな夢を見ました。

その通りが、何故か中世ヨーロッパのような街並になっていました。
カラフルな色の家々が立ち並び、道の脇の所々に大きくて丸みを帯びた石があって、その石の周りにはいっぱい花が手向けられていて、その石から胞子のような煙が立ち昇っていました。
どことなく、街全体から妖精(精霊?)のような気配も感じていました。

僕は前々からこの通りでよく不可思議現象に遭遇するのですが、例えば、黒々としたあご髭がお腹の辺りまで伸びている若い男性をその通りで見かけて、後で「あっ!そういえばあの髭の長い人、この間夢の中に出てきた人だ!」なんて思い出したりしたことがありました。
また一番不可思議なのが、その辺りにくるといつも10才ぐらいの見知らぬ女の子が僕に「こんにちは」と声をかけてきて、直ぐに僕も「こんにちは」と返事をするのですが、いったいあの女の子は誰?と首を傾げてしまうのです。
雨の日に友達とカッパを着て自転車に乗っていた時に、突然カッパを着たあの女の子が振り向きざまに「こんにちは」と声をかけてきたこともありました。
いつも突然なので、ビックリしてしまうのですが・・・。
因みに、二十数年が経ってもあの女の子は年をとることはなく、いつまでもあの女の子のままでした。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、こんなことがずっと続くので、きっとあの通りには何かあるに違いないと思っていました。

先月の中頃に急に歯が痛み出して、どんなに忍耐強くても歯の痛みには耐えられなくて、やっと歯医者さんに行く決心がついたのですが、家から歩いて5分ぐらいの所にある歯医者さんは、この日は運悪く休診日でした。
あの通りにも歯医者さんがあったことを思い出し、あそこの歯医者さんに通っているうちに、ひょっとしたらあの通りの謎の解明にも繋がってくるかもしれないなどと思い、自転車を走らせました。

僕の予想通り、その歯医者さんで2つの発見をしました。
歯医者さんの待合室に、中世ヨーロッパの頃らしき家のミニチュアが幾つも飾られていました。
あの夢の中に出てきた街にそっくりでした。
それから、待合室の本棚に日本カトリック教会の本が1冊並んでいました。
歯医者さんからはそれを感じることは出来ませんでしたが、女性の歯科助手さんからは完全にキリスト教のニオいが感じられました。
以前にある教会のシスターにお会いしたことがあるのですが、朝早くから夜遅くまで1日中神様にお祈りをしなければならない、大変に厳しい修行をされている方々だということを僕は知っています。
本当に心の底からイエスを信じていなければ、とても勤まることは出来ないと思います。
だから、そういう方々から発せられる波動は、みんな似てきてしまいます。
そしてその波動は、きっと周りの人たちやその土地にまでも浸透していくのだと思います。

あの夢に出てきた家々の正体は、歯医者さんの待合室に飾られていたミニチュアだったこと。
そしてあの丸みを帯びた石は、歯科助手さんの信仰心を顕していたこと。
自分の中では、もうこれは間違いないと思っています。
ひょっとすると、あの髭の長い人はイエスだったかもしれない・・・なんて。
だけど、あの女の子はいったい何者なのか?
今度会ったら勇気を出して聞いてみようと思っているのですが、そう思った途端に現れなくなってしまいました。
まだまだあの通りの謎は尽きません。

ところで、歯医者さんはある事情で変えなければならなくなってしまいました。
本当はその歯医者さんに通って治したかったのですが、それにこんな不可思議現象多発地帯なので僕にとっては大チャンスでしたが、しかし泣く泣く家から歩いて5分ぐらいの所にある歯医者さんに変えることになりました。
でも、今通っているその歯医者さんもとてもいい歯医者さんで、途中で歯医者さんを変えてこられても普通は困るのかもしれませんが、当然色々と変えた理由などの質問もされましたが、治療について分かりやすく説明して頂けましたし、とても丁寧な治療なので感謝しています。
しかし当然のことながら、不可思議とはまったくの無縁なのですが・・・(笑)
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今年も、あと一週間ですね。
次回の更新は来年になると思います。
その時までに、曲が仕上がっているといいのですが・・・。


今年の最後は、僕の大好きなKalafinaの音楽で締めくくりたいと思います。
以前にもKalafinaの「fairytale」と「Adore」という曲をシェアしたことがあるのですが、この2曲は今日のブログにピッタリでもあると思うのですが、一度載せてしまったので違う曲にしたいと思います。
また欲張って、2曲引っ張ってきます。

「In every nothing」と「Ring Your Bell」の2曲ですが、今の僕の心境はまさにこの2曲の歌詞のようです。
僕が書き綴ってきたこのブログを辿っていくと、行き着く場所はこの音楽たちなのかもしれないと、そんな風にさえ思ってしまいます。
シンクロニシティを感じます。
もっと別の言い方をすれば、これは集団的無意識なのかもしれません。
一人ひとりに、この歌のような想いが伝わっていくことを祈っています。

それでは、良いお年を。







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ここの所、薬物違反による報道が続いています。
写真週刊誌フライデーにコカイン吸引疑惑を書かれた成宮寛貴さんは、その疑惑を否定しながらも芸能界引退を決断されたそうです。
成宮さんは本当にやっていないと思いますが、周りを取り巻く人たちの中に、どうやらそのような関係筋の人がいるようです。

他にも、最近では元女優の高樹沙耶さんも大麻所持の疑いで逮捕されましたし、チャゲ&飛鳥のASKAさんが覚せい剤使用で再逮捕されました。
それから、押尾学さんは危険ドラッグを女性とされていて、その女性が亡くなったという事件や、高島礼子さんの旦那さんの高知東生さんは麻薬を元ホスト女性と使っていて逮捕されましたし、元巨人軍の清原さんも逮捕されました。

また一般人でも、麻薬を使用して銃で従業員を撃ち殺して、自らも銃で自殺するという事件や、少し前には「脱法ハーブ」と呼ばれていたドラッグを吸った男が運転する車が次々と歩行者をはねるという事故もありました。

こうした麻薬の広まる背景には、楽をして喜びを得ようとする考えがあるようです。
この社会では、目標に向かって努力をしていかなければ、成功の喜びを得ることはできません。
そうした努力をせずに、すぐに快楽や喜びを得たくて麻薬に手を出してしまうのだと思います。
またストレス解消や周りの環境というのもあるでしょう。

しかし、そもそもこの世の中の仕組みには、なかなか成功できずに厭世的になってしまうような要素が沢山あります。
3S政策というのがあって、Screen(スクリーン=映画)Sport(スポーツ=プロスポーツ)Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策は確かに存在しています。
麻薬は違法ですが、そもそも国が人民を愚民化させる政策を取り入れているので、違法ではなくても依存性の高いものは多く、そうした怠け者思想が蔓延していくのは当然のことだと言ってもいいのかもしれません。
僕は最近のスマホの普及やFacebookなども愚民政策の一環だと思っています。

人がこの世で生きる目的が霊的進化であるのに、国の政策は国民の霊的退化を押し進めているかのようです。
今月の6日に、IR法案・カジノ法案がろくに議論もされず、なんと衆議院で可決されてしまいました。
カジノや競輪や競馬、そしてパチンコなどのギャンブルは、当たれば簡単に大きなお金を手にすることができます。
一度大勝ちしてしまうとその快楽が忘れられず何度もやり続け、負けが込こんでお金をすってしまうと、今度はそれを取り戻そうとまたギャンブルを続けてしまい、そうやって負のスパイラルへと陥ってしまう。
ギャンブルは麻薬と同じで、依存性がとても高いです。
IR法案・カジノ法案が、いかに愚民政策であるかは言わずもがなです。

「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざがありますが、このことわざには色々が解釈がされています。(現在の日本で一般的な解釈は 「良かれと思って行ったことが悲劇的な結果を招いてしまうこと。 または、悲惨な出来事が皮肉にも善意の行いが発端となっていること。」となっています。)
このことわざには、実は「天国への道は悪意で舗装されている」という意味も含まれています。
「天国への道」には「忍耐」という舗装がされているのであれば、「地獄への道」にはきっと「楽をして快楽や喜びを得る」という舗装がされていると言えるかもしれません。

考えてみると、人間は色々なものを発明して、昔の人たちに比べると現代人は随分と楽な生活ができるようになりました。
このまま進めば、仕事も料理も、面倒なことはすべてロボットがやるなんて時代が来るかもしれません。
本当に、人類の進むべき道はこれでいいのか?という疑問が湧いてきます。
人がこの世で生きる目的は霊的進化であるのに・・・。
mizumisaaki13
この世の本当の真実は、いったいどこにあるのか?
今、ネットでは偽情報が溢れかえり、テレビのニュースも本当に大切なことは流しません。
BSの世界のニュースを見ていると、世界の至る所で戦争が起きていて、この地球という星がいかに平和とはほど遠く汚れた星であるのかがよく分かります。


ところで、老子の「人の妄想とは、現実は幻想ではないというものである」とは、いったいどういうことなのだろう?
つまり幻想が現実より本物であるならば、目に見えているこの現実とはいったい何なのか?
現代でもスピリチュアルな方たちなどが色々と説かれていますが、それらの話だって嘘かホントかわからない。
しかし自分で体験してしまえば、それらは間違いないということになります。
そういう体験をするために、僕は無意識的に神社を巡る旅をしたり、瞑想やマントラを唱えたり、ベジタリアンになったり冷水行をしたりするようになったのかもしれません。

そうなるために、僕は社会的な成功を収めてはいけなかった。(言い訳がましいですが・・・)
つまりどん底を経験しなければ、真実を探求しようと思うこともなかったということです。
それは、自分が生まれてくる直前に自分で計画していたことなのかもしれません。
僕の目の前に現れた謎の人物たちも、生前に示し合わせていたことなのかもしれません。

例えば、僕は地下鉄の駅で悪魔を見たことがあります。
周りの人たちには見えないのか?はたまた普通の人に見えていたのか?わかりませんが、僕は完全に悪魔の姿として捉えていました。
髪は黒く太いはりがねのようで、顔の肌も鉄のように堅そうで青白く、なんだか頭から湯気が立っているように見えました。
なにやら意味不明なことをぶつぶつと言っては笑うということを繰り返していました。
僕は地下街でその悪魔とすれ違ったのですが、悪魔はUターンをして僕の後を付いてきました。
きっぷ売り場に辿り着いてから僕が悪魔の方に振り向くと、悪魔は頻りに「すみません」と謝っていました。
その時、携帯が鳴って(仕事関係の人から)、かかってきた相手と話をしている僕の姿をしばらく見た後、悪魔はきっぷを買って、そのまま改札口から駅の中へ入っていきました。

不思議なのが、これらのすべての出来事は、その日より約30年も前に僕は夢の中で見ているということです。
確か小学校2〜3年生の頃だったか・・・。
あまりにもリアルで衝撃的な夢だったので、はっきりと覚えています。
そしてその夢が現実になったのが、だいたい40才ぐらいの頃だったか・・・。
それまでは仕事はすこぶる順調でした。
しかしあの悪魔を見た日を境に、僕はなぜか周りから白い目で見られるようになりました。

これはほんの一例にすぎず、似たような体験は山ほどあります。
お陰で、僕は社会的地位を求めてはいけないということを悟ることが出来ました。
僕には休閑期によって恩恵を受けられる何かがあることも分かりました。
もし安定した生活を手に入れてしまったら、その分何かを失い、この世の真実には辿り着けません。
真実は自分の外にあるのではなく、自分の中にあるということを、それらは証明しています。
悪魔は僕に、そのことを教えてくれた。
これは誰に対しても言えることで、大事なのはアリのような忙しい生活なのではなく、自分の内側にあるものなのです。
だから「幻想を創造し、それらは現実より本物であるとする者がスピリットの道に従い、天の道を見つける」という老子の言葉の意味が、僕には分かるような気がするのです。
そしてそのことは、今のこの現代に一番求められていることのような気がします。
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ついこの間「僕はこれから千年生きる」と言った人がいました。
どこかで聞いたことのある言葉だなと思ったのですが、おそらく仏教の千年王国信仰(その中核をなすのは弥勒下生信仰)だと思うのですが、もともと旧約聖書のノアの洪水以前の人間の寿命は千年近かったといいます。(ノアは950年生きた)
つまり、これは一部の人たちの間で信じられていることですが、これからノアの洪水以前の地球に戻るというのです。
地球の次元が上昇して、すべての人間が半霊半物質の状態となり、肉体を持ったまま死後と同じような世界を生きられるようになるというのです。
また、地球には地底王国というのが存在し、そこには地上のような有害な宇宙線や紫外線や太陽風の嵐が降り注がないので、そこの住人は千年生き、そして地上に出た途端に急激に寿命が短くなるといわれます。
ヒトラーは、地底王国の入り口があるとされているチベットに何人もの調査隊を派遣していますが、このことは以前にブログで詳しく採り上げました。
その地底王国がやがて地球から顔を出す時(地球の出産)、地球はプラズマで覆われて有害な宇宙線などをシャットアウトして、そして千年王国が復活するのかもしれません。

もちろん、こんなことは実体験を通して証明できる筈もなく(僕自身の中で)、殆どがネットや本からの情報に過ぎないので、実際に「僕はこれから千年生きる」なんて言葉を聞いてしまうと、現実に本当に信じている人が近くにいたのだということに驚いています。
しかし、そう言い切れる根拠か何かがおありになるのかもしれません。
理にかなっている部分もあると思うので(もちろん僕の中で)、僕は8割近く事実だと考えています。
もちろん疑ってもいますが、逆に100%嘘に決まっていると思うなら、その根拠はいったいどこにあるのかと問いたい。

僕は今年の初めぐらいに、今年のテーマは「子供に還ること」だと書きました。
以前に地球は3〜6才のぐらいの少女であると書いたことがありましたが、つまり瞑想を通して地球と繋がることを意味していました。
「地球次元上昇」とはつまり、少女だった地球が大人の女性へと成長するということです。
それは普通は数万年、数億年かけて成長していくのですが、地球はこの十数年で急激に成長していくそうです。
宇宙規模の大イベントなので、今はそれを見届けようと数えきれないほどの異星人が地球に来ているそうです。
もちろん、これもネット情報ですが・・・。
しかし、地球が少女の姿になって僕の目の前に現れたことが何度かあります。
あの少女が大人の女性へと急激に変貌を遂げた姿を想像してしまい、ワクワクしてしまうのです。
僕も地球と共に、霊的進化を目指していきたいと思うのです。
その先に、千年王国が待っているのかはわかりませんが・・・。
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未来は決まっているが決まっていない、これが僕の実体験を通しての真実です。
正夢を見るということは、もう決まっている未来もあるということですが、選択の余地が残されている未来もあります。

要は、幾つかある未来の中で、自分はどの未来を選ぶかということです。
「楽をして快楽や喜びを得る」という舗装がされている道を選ぶのか、「忍耐」という舗装がされている道を選ぶのかということです。
真実は自分の中にあります。
ストイックな生き方をして、耐え忍ぶことは大切です。
闇が深ければ深いほど、光は美しく輝くものです。
人間から発せられる波動は、指紋のように一人ひとり違っていて、まったく同じ波動はありません。
洗脳や愚民政策に惑わされずに、故郷の夜空の星のように美しく輝く波動を発していたいものです。

(写真は水元公園・みさと公園で撮りました。)


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秋はあまり好きではなかった
生命力溢れる春や夏が好きで、冬も雪が降るので好きだった
秋は多くの生命が死に絶えるので、とても悲しかった
秋が好きになったのは、つい最近のことかもしれない
植物たちは自分の役割を終え、次世代に希望を託し土へと還って行く
その健気さに涙する
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光と影が、これほど美しい季節があるのだろうか?
最近、そう思うようになった 
この地球という星は、なんと素晴らしいのだろうか?
宇宙人がこの星に来て、まず最初にこれらの景色を見たら、どう思うのだろう?
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ど田舎の畦道といった感じだが、ここは立派な東京
エセアーティストが多く蔓延るこの世の中、この公園を設計した人、管理している人たちは、きっと素晴らしい芸術家に違いない
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黄金色のススキの穂が風にたなびく
雲と対を成すように
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風はとても冷たく、強く吹いている
池の波もとても荒く、陸に避難している水鳥たちも見かける
しかし、何故だろう?
そういう日こそ、とても美しい写真が撮れるのは?
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過酷な場所ほど美しい
考えてみると、人生もまた同じ
人は涙を流した分だけ、美しくなってゆく
そして、やさしくなってゆく
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寝転ばないと、見えてこない景色がある
ほら、こんなに枯れ葉が落ちて、地面を赤茶色に染めている
光の輝き方も、まるで違って見える
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人は気の持ちようで、未来だけではなく、過去をも変えられるという
この世は波動(エネルギー)で出来ている
大事なのは、この一瞬
この一瞬の波動の動きで、自分の好きなパラレルワールドへゆくことができる
世界は狭くない
狭くしているのは、自分自身に他ならない
ミクロからマクロまで、星の数ほどのありとあらゆるヒストリーが展開されている
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僕らはマザーアースを助けるために、自ら望んでこの地球に生まれてきた
僕らの肉体は神殿であり、その魂は神の火の粉だ
創造主はひとりなのではなく、僕らすべての人間が創造主なのだ
その誇りを思い出そう
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