piabuの不可思議blog~内なる光、世界に届け

ものすごく真面目に、本格的に、この世の真実を自分の不可思議体験をもとに探求しています。クラシック音楽の作曲は天使との共同作業です。

「この世の全ての何もかもは科学で解明できる」という考えが主流だった時代がありました。
たとえば、「金縛りは科学で解明できる」なんていうのもありました。
何という人間の傲慢さなのだろうと思っていたのですが、7年前の311やフクイチの事故の後は、そういうことを言う人は少なくなったような気がします。
あの時日本人は、「科学は万能ではない」ということに漸く気づいたのだと思います。
想定外のことが起きて、人間はやっと目が覚める訳です。
今の科学の力では、それを予知することは出来ません。

未だに「ダーウィンの進化論」は、学校で教えられています。
猿から人間へ進化する過程での「ミッシングリンク」のことを、考古学や生物の先生方はどのように考えているのでしょうか?
NHKスペシャル タモリ×山中伸弥の「人体」という番組を観てもわかる通り、これほど精密な人体が何億年もかけて作られた偶然の産物にすぎないとはどうしても思えないのです。
サムシング・グレート(神)の設計に基づいて作られていると考えた方が、ごく自然だと思うのです。
(その神とは、シュメール神話に登場するエンキなのかもしれません。そのエンキ⦅アヌンナキ⦆を作った神もいるということですが・・・)

普通に考えればおかしな「進化論」を、日本のアカデミズムは正論としています。
(海外では、すでに「進化論」を教科書から削除している国もあります。)
科学の常識が覆っては困る人たちがいるのです。
常識が真実を覆い隠してしまっているということです。
当然そこには、権威やお金の問題も絡んできます。
それだけではなく、日本は未だに闇の勢力の影響下にあるということです。


「人間が神の領域に踏み込んではならない」とよくいいます。
核開発や原発もそうですが、遺伝子組み換えや臓器移植もそうです。
死んでも人の役に立てるのならと、生前にドナー登録をする人がとても多い。
良いことをしているように見えますが、しかし僕は「物質主義の極み」としか思えません。
科学の力で寿命を変えるというのも、これも「神の領域」を踏み荒らしているのと同じです。
死が間近に迫ると誰だって生きたいと願いますが、しかし自分の寿命を受け入れなければならない。
それが自然の摂理であって、人間が死をコントロールすることは許されていない。
それがきっと真実です。

では、臓器移植した人の性格が変わるというのは、いったいどう説明がつくのでしょうか?
臓器移植をすると記憶転移が起こるというのは、ほぼ間違いないことです。
移植した心臓の前の体の持ち主の生前の記憶が現れるということが、現実に起こっているのです。
記憶するのは脳(海馬)だけではなく、心臓などの細胞にもあるということなのでしょうか?
古代エジプトでは記憶を司る臓器は心臓だ考えられていたようで、死者をミイラにする時に他の臓器は死体の腐敗を防ぐために捨てられていましたが、心臓だけはカノプス壺という容器に入れて大切に保存されていました。
そうなると、目に見えない心をハート(心臓)のマークで描くのも合点がいきます。

(僕は記憶というのは、どこかの細胞が司っているというような物質的な存在ではなくて、もっと霊的なものだと思うのです。物質的な視点から抜け出さない限り、それを知ることは不可能なのかもしれません。僕がベジタリアンなのも、臓器移植が危険だと感じるのも、そう考えているからです。)

それにしても、現代人はやっと記憶と心臓の関係について気づき始めたというのに、何千年も前に生きた古代エジプト人がなぜそのことを知っていたのでしょうか?
現代の技術で、ギザのピラミッドを作ることは不可能です。
反進化論、つまり人間は退化しているという証拠は幾らでも見つかるのです。
その原因は、アダムがリンゴを食べたからなのかもしれません。
神の領域を犯したために・・・
それに、アップルコンピュータのマークにもなっているように・・・

神は人間が神に近づくのを恐れて人間を退化させてきた・・・のではなく、精神の成長の伴わない科学の発展を神は危惧していたのかもしれません。
その発展は人類を滅ぼしかねない、いやこの世界を、この宇宙を滅ぼしかねないと・・・
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この間テレビで、元都知事の猪瀬直樹氏が三島由紀夫を「俺が唯一勝てない作家!!」と語っていましたが、僕からしたら彼は「神の領域」に無謀にも踏み込んでいった代表的な人物です。
彼の文学や思想には共感すべき点は見られますが、死を美化しすぎているところがあります。
そんなところに、真の美しさなど存在しません。
自分自身に対しても、自分の外の世界に対しても、彼は理想を追い求めすぎた。
そもそも自分の死を計画するなんて、身の程知らずにも程があります。

自分とは真逆の考えを持っている人がいるから勉強になるのです。
自分の思い通りにならないからこそ、人は成長できるのです。
決してやってはいけないことは、それらを悪として排除しようとすることです。
逆にどんなに理解することが難しくても、それらを受け入れようと努力することはとても価値のあることです。
なぜこの地球上に、これほどまでにありとあらゆる違う価値観が存在するのか?
それは、そういうものを乗り越えたその先にある、本当の意味での「助け合い」を知るためなのかもしれません。
サムシング・グレート(神)の計画は完璧なのだと思います。
人類はそれに感謝するどころか、寧ろその計画を邪魔している存在といえます。


最近、査定ランキング番組みたいなのが流行っていますが、これも「物質主義の極み」みたいなものです。
人と人を比べてそこに差を生じさせれば、当然その行き着く先は差別です。
学歴というのも、それも一種の差別です。
また、別の差別も沢山あります。
貧富の差別、女性差別、肌の色の差別・・・

しかし、精神の世界では正反対のような気がしてきます。
物質主義の親に勉強しろと言われても、そこに本当の親子の愛を通わせているとはいえないのに対し、貧しい国や戦争で明日の命もわからないような場所で生きていて、今日も無事に生きられたというだけでお互いに喜び合う親子の愛はどれほど強いのかということです。

人類は向かうべき道を、どこかで間違えてしまっているようです。
どこをどう修正すべきなのか。
それが、この差し迫った時代に現代人が求められていることのような気がします。
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(水元公園にて)


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ひとつずっと気になっていたことがあるのですが、ちょっとそのことについて書いてみたいと思います。
約2年前に「僕(日本人)とプレアデス星人との繋がりについて〜謎の鳥たち」という記事を書きました。(なぜか、いつもこのブログの人気記事になっています)
今でも僕と昴(プレアデス)には何だかの繋がりがあると思っていますが、これはちょっと出来すぎだろ、と思うことがあります。

僕の家から自転車で5分ほどのところに、すばる書店があります。
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ここでよく本を買ったり、2階はTSUTAYAになっているので、ここでDVDなどをよく借ります。
すばる書店は日本全国にある大企業だと思っていたのですが、調べてみるとそうでもなくて、千葉県に17店、茨城県に1店あるだけでした。

でもまあこれだけなら偶然と思うのですが、近くに市川昴高校なんて学校が出来ました。
僕の出身校は市川北高校なのですが、2011年に市川西高校と統合して市川昴高等学校になり、北高は廃校となりました。
場所は西高の跡地で、北高があった所は今は特別支援学校になっています。

昴高はアンケートを集計してそれに基づいて命名されたそうですが、それにしてもなぜ
選りにも選って市川昴(すばる)なのだろう?
八幡神社へ初詣に行くのに、昴高の脇の道を通ります。
古い友達の家に行く時も、その道を通ります。
人通りも少なく車もあまり通らない、川沿いの道です。
市川八幡駅へ出る時のあまり知られていない近道です。

家から北高まで、確か自転車で約40分だったか?
市川昴高までは、十数分で着いてしまいます。
何から何まで出来すぎです。
谷村新司もビックリです。
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昨日、この写真↑を撮るために自転車で昴高まで来たのですが、ここからいつも通り水元公園まで走ろうと思います。
水元公園は反対の方向ですが、来た道を戻るのもつまらないので、京成市川真間駅の方に行って真間川沿いに進んで江戸川に出ようと思いました。
真間川沿いの真間小学校の近くに住んでいた時があったので、今はそこがどうなっているのかを知りたくて、ちょっと覗いてみました。
あそこに誰々君のお家、あそこは誰々ちゃんのお家・・・
小学生の頃のことが蘇ってきます。
みんな、今はどうしているんだろうか・・・
僕が昔住んでいた所には、黄色を基調としたとても可愛らしい綺麗な家が建っていました。
時代は変わるものです。
昔はここは借家でした。
ここに暮らしていた頃はまだ僕の家族は貧乏だったので、借家に暮らしていました。

ここに暮らしていた頃も、不可思議な出来事が沢山ありました。
銀杏の妖精に出逢ったのも、この頃です。
いい思い出もありますが、恐い思い出もあります。

最初の夢は、真間川沿いを歩いていると、「うぁぁぁ〜」という底から突き上げるようなうなり声が聞こえてくるという夢でした。
何度か同じような夢を見た後、とうとうそのうなり声の正体がわかりました。
夢の中で、真間川沿いに長い白木の台が並べてあって、その台の上に一列に数体の生首が置かれていました。
その生首たちが一斉に口を開けて「うぁぁぁ〜」と叫び始めました。

あの夢で見た場所が今はどうなっているのか知りたくて、その場所に立ち寄ってみました。
そこには浮嶋弁財天が建っていました。
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市川の昔話によると、明治の初めに真間川から弁財天が発見されたそうです。
ここは技芸の神様として知られいて霊験あらたかで、遠方からの参拝者が後を絶たないのだそうです。
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そういえば、あの恐い夢を見た子供の頃にも、確かここの弁財天を見つけて拝んでいたような気がします。
それから恐い夢を見なくなったような・・・

あの夢はただの夢ではなく、おそらく本当に昔ここに生首が晒されていたのだと思います。
ここら辺りは、戦国時代に里見家と北条家が争った場所でした。
負けた里見家の多くの家臣たちが、この場所で処刑されたのかもしれません。
ここの弁財天は、処刑されて生首を晒された人たちの霊を慰めるために建てられたのだと思います。
そうした歴史が記されたものはまったく残されていませんが、何百年経とうが何千年経とうが、その土地で起きた出来事は永遠にその土地の記憶として残り続けるのです。
ひょっとしたらあのうなり声を上げていた人たちは、今も苦しんでいるのかもしれません。
何百年も何千年も、ずっと・・・

僕が今現在住んでいる場所も、引っ越して来た時分には随分とそうした霊たちに悩まされました。
近くに駅が出来てからは街は発展しましたが、それまでは一面畑でした。
その畑から昔の武将や農民たちが、まるでゾンビが墓から出てくるかのように這い上がってくるという夢を随分見ました。
しかし今は、祈りによってこの土地は清められました。
真に土地を清めるのは、何かの儀式や塩に頼ることではなく、人の心の祈りなのです。
祈りが氏神様に伝わり、氏神様によってその土地全体が清められていくのです。
現代人が氏神様のことを疎かにしてれば、悪質な事件や悲惨な事故が多くなるというのは、それは至極当然のことなのです。


さて、弁財天と母校の真間小学校を後にして、真間川沿いに江戸川まで一気に突っ走ります。
江戸川に出た後は、川沿いのサイクリングロードをしばらく北上します。
途中で富士山が見えました。
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空気が乾燥しているから、遠くのものがよく見えます。
東京の高層ビル群の向こうの丹沢の山々まで、はっきりと見えます。

サイクリングロードを松戸まで走り、葛飾大橋を渡ってやっと水元公園に着きました。
結構な距離を走ったと思います。
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カモメに混じって、白鳥がいました。↑
水元公園で白鳥を見るのは初めてです。
白鳥がこの公園でも見られるようになれるといいです。
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昨日はすごく寒くて、結構風もありました。(今日もそうでしたが)
いつもの場所ではいつもの通りに、カモメたちが日光浴をしています。↑
水面に浮いているのも、風が強いと疲れるのかもしれません。
自転車を漕ぐのも、風が強いと疲れます。
家までの道程は急な上り坂がいくつもあるので、さらに厳しくなります。

途中で、夕飯の材料を買わなくてはなりませんでした。
水炊きにしようと思っていたので、白菜やキノコなどを買いました。
水炊きは普通は白菜と鶏肉が中心になりますが、僕はベジタリアンで鶏肉は食べないことにしていて、でも魚介類は食べるので、鶏肉の代わりにつみれと鱈を買いました。

家に辿り着いたのが4時頃で、それから7時頃までずっと夕飯の支度をしていました。(毎日ではないです。夕飯の支度はお袋と交互にやっています。)
大根おろしを沢山入れて、ゆずも加えて、ビタミンCたっぷりの水炊きになりました。
やはり健康にはビタミンCが欠かせません。
錠剤より、自然のものから摂るのがベストだと思います。

かなり足にきていましたが、一晩で治りました。
疲れを取るのは、食事と睡眠です。(シャワーの後の水行も、キツいけれどかなり効きます。お年寄りや身体の弱っている方はお止めください。あと、毎日一粒のすっぱい梅干しを食べるのもお勧めです。家の自家製梅干しは、猛烈にすっぱいです。)
これから益々、寒暖の差が激しくなってきますので、皆さんも体調管理にはお気をつけください。
ビタミンCを沢山摂って、乾燥しているので十分に水分補給をして、寒いからと言って家に閉じこもっているのではなく、晴れている日にはどうか外に出て元気に身体を動かしてください。


日本人とプレアデス星人は、凄く関係が深いような気がしていました。
この日本という国土自体に、プレアデスと深い関係があるような気がしています。
ひょっとしたら氏神様や日本の神々の正体は、プレアデス星人なのかもしれません。
宇宙条約によって地球人への干渉は制限されているのかもしれませんが、愛と美意識の強いプレアデス星人は長い間地球人を見守り続けてきたのだと思います。
僕が美術館に行った時やいい音楽が作曲できた時には、必ずご褒美にクリスタル・ベル(UFO)が出現します。
クリスタル・ベルの搭乗者がプレアデス星人である証拠です。

どうか皆さんも、プレアデスと繋がりがありそうな神社を探してお参りしてみてください。
プレアデス星人のように美を愛し、芸術を愛してください。
氏神様を拝んでください。

自分の外ではなく内側に目を向けて、内側から宇宙との繋がりを、宇宙の至福を感じてみてください。
目に見えないエネルギーを、感じてみてください。
自然に感謝し、太陽の女神様を拝んでください。
どうか、世界の平和を祈ってください。


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ここの所、関東では地震が相次いでいます。
地震の専門家は、いつ巨大地震が来てもおかしくないと言っています。
けれども、僕の中では来るような予感が全然しません。
何というか、地震を起こそうとしている勢力とそれを防ごうとしている勢力がいて、そのせめぎ合いで結局小規模な地震にしかならないような感じがしています。
日本で起こるとしたら、関東以外で人口の少ない、まったく警戒していない地域で起こるかもしれません。
今年だけに限らず、これからは当分地震などの自然災害(人工災害?)が世界中で起こりやすくなってくると思います。

「東京は危険だから離れて」と呼びかけているブログを多く見かけますが、僕は寧ろ東京は今は守ってくれている勢力がいるので安心だと思っています。
「天災は忘れた頃にやってくる」のですから、天災の恐ろしさを知って備えをちゃんとしておけば、関東は大丈夫です。
天皇陛下も、皇居に居られる訳ですし・・・。


ところで日馬富士暴行事件ですが、貴乃花親方が「理事」から2階級降格の「役員待遇委員」となりました。
その理由は、八角理事長への礼を欠いたということらしいです。
この池坊議長の「礼を欠いた」という発言を巡って、ツイッターやSNSやコメント欄などネットでは大炎上しているそうです。
「一番礼を欠いていたのは、一部の力士たちであり、それを隠ぺいしようとした相撲協会じゃないの?」「礼節とか品格って言葉を都合のいいように利用している」「被害者が加害者より処罰が重いという不可解な話」などなど・・・

そもそも元横綱の日馬富士の暴力の背景にある「かわいがり」や「絶対服従」という古い体質がなかなか改善されていかない相撲界の体質にこそ問題がある訳で、貴乃花親方はその体質を変えようとしていた人物です。
結果的に今回の事件によってその古い体質が露になってきた訳ですが、池坊議長の発言を聞いていると、何だか改革をしようとしている貴乃花親方をただの「厄介者」としているような印象を持ってしまいます。


これは相撲界だけに限ったことではなく、この日本社会全体にもいえることだと僕は思っています。
オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、「イノベーション(技術革新)が経済を変動させる」という理論を提唱しました。
従来の方法を繰り返してもイノベーションは起こらず、既存の考え方の延長線上にはない新しい発想やひらめきが突然生まれてくると語ります。
そしてイノベーションは理性的なものではなくディオニソス的(刺激的、陶酔的)であり、理性で制御できないほどの創造欲求や激しい情熱こそがイノベーションを起こす唯一の原動力だと語っています。

この今の社会のどこに、そんな創造欲求や激しい情熱があるのでしょうか?
「イノベーションが成し遂げられた後には不況が来ることは避けられない」とシュンペーターは主張していました。
会社が発展するにつれ組織を合理化する必要性が出てきますが、しかし冷静な計算に基づく合理化はイノベーションを起こす激情的な衝動とは真逆にあるので、必然的に起業家は消えていきます。

つまり経済が発展するためには、合理性ではなく情熱が必要だということです。
つまり頭よりも、寧ろ心が大事なのです。
保守的であれば、いつかは社会が滅びます。
ナショナリズム的であれば、いつかは国が滅ぶのです。
伝統も大事ですが、時代のニーズに合った変革も必要なのです。
今の相撲界は、潰れる寸前です。
そして今の相撲界は、今のこの日本社会の投影なのです。
資本主義はその成功ゆえに
土台である社会制度を揺さぶり
自ら存続不能におちいる
社会主義へと向かう状況が
必然的に訪れるのだ

by Joseph Alois Schumpeter 
以前にもブログに書きましたが、大相撲の数々の儀式には、天皇の神事と同じくらい非常に重要な意味があります。
例えば、四股(しこ)を踏むというのは地震を抑えるという意味があります。
どうも相撲界の体質と日本経済と地震は連動しているような気がしてなりはせん。
異次元レベルでこの日本を壊していこうとしている勢力があるのかもしれないと勘ぐりたくなってくると以前にブログに書きましたが、ひょっとしたらその勢力は今もチャンスの頃合いを見計らっているかもしれません。

そして、その勢力から僕らを守ってくれている勢力が存在するということです。
その存在の期待を裏切らないように、僕らは心を清く保って生きていたいものです。
自然の美しさに触れ、自然からパワーをもらい、自然を敬い感謝すること、それこそが何よりも大切なことなのです。
それこそが、心を清く保つ秘訣です。
それだけで、世界は救われます。
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写真↑は、家の氏神様の愛宕神社の入り口の2本の大銀杏。
生えている木が鳥居になっているというのも、珍しいと思います。
奥に見えるのが、拝殿です。
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そして、これが拝殿と狛犬です。↑
狛犬はゆるキャラみたいなひょうきんな顔をしています。

以前、家の天井裏を動物が駆けずり回っていたことがあったのですが、タヌキだとかハクビシンだとか家では色々といわれましたが、僕は今でもあれは間違いなく愛宕神社の神様が家に来て下さったのだと思っています。
必ず最初に僕の真上に来て、しばらくほうきで掃いているような音がした後、家中を駆けずり回るのです。
僕の真上に来るということは、僕を目掛けて来ているということです。
音からすると、4本足ではなく2本足です。(タカタン、タカタンではなく、ダッダッダッ・・・)
たぶん羽が生えています。
羽が天井の板と擦れる音がします。(ダッダッダッという走り回る音が終わって動きが止まると、今度はサァー、サァーという音が・・・)
姿を見たことはありませんが、おそらく天狗です。

天狗様を怒らせると恐いです。
三ヶ日中に初詣に参拝してこないと、必ず4日の日にとんでもなく酷い悪夢を見せられます。
今住んでいる家に引っ越してきた日にも、酷い夢を見ました。
僕は天狗(のような大男)に思いっきり壁に投げつけられて、倒れたところをまた天狗に持ち上げられてまた壁に投げつけられて、それを何度も何度も繰り返すという夢でした。
三ヶ日中に初詣に参拝するようになってからは、そうした夢はまったく見なくなりました。

しかし、なぜ僕だけなのだろう?
他の人は参拝しなくても何ともないのに、なぜ僕だけそうなのだろう?
それが不思議で仕様がないのです。
今でも謎です。
誰か、その謎を解明して欲しいです。


前回の今年最初の記事にも書いたように、今年の初日の出は雲ひとつなく見事なもので、おみくじも大吉した。
これは昨年の秋頃から徐々に感じ始めていたことですが、僕もこのブログもどこか神懸かってきていて、何とかこの感じを大切にしていきたいと思っているのですが、ひょっとしたらそれも愛宕の神様と何か関係があるのかもしれません。

しかし同時に闇のエネルギーも強烈に感じるので、いかに心の中でバランスを取って対処していくかということが大事になってきます。
今年も色々と自然災害や嫌な事件も増えると思いますが、闇のエネルギーに引き込まれないようにすることが大事です。
鍵となるのが、自分さえ良ければという考えをなくすことと、自然への畏敬の念と感謝です。
つまり、すべては繋がっているのだということ。(ワンネスです)
それを僕に教えてくれたのが、愛宕の天狗様です。


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2018hatu06
あけましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。

今年の初日の出は、雲ひとつなくて見事でした。
素晴らしい1年が期待できそうです。
太陽の女神さんに、大感謝です。

初詣はいつも通り、愛宕神社、伊弉諾神社、八幡神社の3カ所にお参りしました。
自分は道から逸れていないか、心は清らかであるか、このブログで間違ったことを書いていないか、などを確かめるためにいつも八幡神社でおみくじを引くのですが、今年も十二番の大吉でした。
確か昨年も同じ十二番で、写真に撮ってブログに貼付けておいた筈でしたが、昨年のそのブログを開いてみるとやはり書いてあることがまったく同じでした。
2年続けて同じというのは、絶対に何かあります。
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おみくじを引く場所はいつも若者たちでごった返していて、少し離れた場所で引いたおみくじを真剣に読んでいる人もいます。
きっと一番気になるのが、恋愛運なんだろうな、、、なんて。

僕はもう、自分のことは願わなくなりました。
みんなの心が平安でありますようにと祈って、そして感謝をして、ただそれだけです。
自分がお参りするのは、これは自分の務めなのだと悟りました。
天皇陛下と同じです。
いや〜天皇陛下と比べるなんて、もちろんとんでもなく畏れ多いことです。
だいたい天皇陛下は分刻みの忙しさですし、僕は初詣だけですから。

しかし、願っていることは一緒。
どうやら僕の魂は、神武天皇と関係があるみたいで・・・
それで、おみくじが昨年と同じ十二番。
おまけに、雲ひとつない初日の出。
このままいけば、今年は日本は間違いなく安泰です。
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2018年、思えば僕らはすごい時代を生きています。
数々の有名な予言は、この年のことを語っていたりします。
それらの予言が当たっているのかどうかはさておき、物質3次元世界的に見ても、世界情勢などは気の抜けない1年になりそうです。

心の清らな人がひとりでも多ければ、時代は良い方向に進んでいって、それが2年後の東京オリンピックの大成功に繋がっていくのだと思います。
闇の勢力の計画とは違った方向へと・・・
そうありたいです。

僕らは繋がっています。
それを知れば、誰だって自分だけの幸せを望むことが出来なくなります。
また誰かを特別に尊敬したり、誰かを見下したりもしなくなります。
無駄なものなど、この世には一切ない訳ですから。

本当の新時代の幕開けは、そうした人々の理念や想念から始まっていくのだと思います。
繋がりを信じるべきです。
今年1年も、このブログではそうしたことを中心に語っていきたい。
そう思っています。


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このブログは、真実を書くことを信条としてきました。
神に誓って、嘘は書かないと・・・
(もちろん推測や、あとほんの少しの脚色はあったかもしれません。m(_ _)mその場合はそのように書いています。行間を読んでください。)

オバマ前米大統領はヘンリー英王子が編集を務めるBBCのラジオ番組で、「インターネットの危険性の一つは、人それぞれが全く異なる現実を抱いてしまうことだ。」と述べています。
海外と日本の実状は違うかもしれませんが、日本も同じ価値観を持つ者同士が寄り集まって違う価値観を持つ者と対立していたり、矢面に立たされた者を皆で一斉に攻撃しているのを多く見かけました。
映画監督の庵野秀明氏もテレビCMで語っています。
「自分の外には自分の知らない感情が無数に存在し、まったく矛盾する幸福感を持つ人たちがとなり合わせで生きている。」と。
名言だと思います。

この前例がないほどの情報過多の時代。
いったい何を信じればいいのか、非常にわかりにくくなっています。
世の中はFakeで溢れ、そのFakeが世界を動かしているという現実があります。
政治もそれで動きますが、人々の心も動かします。
そして、お金も動きます。


僕は長い間、無意識的に自分の居場所を探し求めていた気がします。
この社会という大きな機械の部品の一部にさえなれれば、それでいいと。
社会を動かす重要人物になどなりたくなく、この社会の片隅でもいいから自分の居場所がそこにあればそれでいいのだと・・・
しかし僕は音楽に出会ってしまい、その音楽というメフィストフェレスの誘惑によって、僕の謙虚すぎるほどの謙虚な夢は脆くも崩れ去ってしまいました。

世の中というのは、なかなか自分の思うようにはいかないものです。
道を歩いていれば、思いもよらぬものに出くわします。
それこそ今自分が持っている価値観など、あっという間に風に吹き飛ばされてしまいます。
そうやって価値観は何度も書き換えられていき、そして最後の最後に残っていくもの・・・
それはいったい、何なのだろう?


世界は年に一千万という数の餓死者が出ているというのに、自分たちはこんな豊かな暮らしをしていていいのだろうか?
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
最近、宮沢賢治のこの言葉が胸の中に痛いほど響いてきます。
世界ぜんたいが幸福になることなど、今のこの世界を見てみれば有り得ないことです。
絶望的なほどに・・・

北の権力者はあんなに太っていて、どれだけ贅沢な暮らしをしているのか?
国内は毎年脱北する人が後を絶たない訳ですから、どれだけ酷い状態なのかが窺い知れます。
しかも、あれだけ何度も日本の上空にミサイルを飛ばしてくる訳ですから、日本人なら誰だって北の権力者のことをよく思っていないと思います。
1機のミサイルの開発費が約5億円ですから、それだけでも国内にいる貧しい人たちにお金が回ればどれだけの人たちが助かることか。
しかしそれを考えると、日本人も北の権力者とあまり変わらないような気がしてます。
世界の貧しい人たちから見れば、日本人の豊かな暮らしによって、自分たちがどれほど犠牲になっていることか?と思うに違いありません。
おそらくそのことに触れると、多くの日本人は耳を塞いでしまうと思います。

牛肉を1kg作るのに必要なトウモロコシの量は8kg。
霜降りの高級和牛の場合は10kg。
トウモロコシの年間生産量6億トンのうち、4億トンが家畜用飼料にされています。 
肉というのは非常にエネルギー効率の悪い食べ物で、肉食文化が拡大することによって途方もない穀物の無駄使いをすることになるのです。
トウモロコシ4億トンという量は、十分に餓死をなくせる量です。
牛肉を食べるだけで、それが世界的な食料危機をもたらしていき、餓死者はますます増えていくということになるのです。
牛肉を食べることは犯罪ではありませんが、間接的に多くの人を餓死させているので、大量殺人者とあまり変わりはないのだと僕は考えています。
(ここまで言ってしまうと殆どの人は反発するでしょうが、このブログでは敢えてここまで書かせて頂きます。)
それこそが、今の僕の中にある価値観。

テレビでは不都合な真実になる情報は流しません。
(最近、ある局ではそうでもないようですが)
流さないというのも、ある意味でFakeです。
(牛肉の話しをすると、ある意味で業務妨害になりかねませんが)
ネットを見ている人も、不都合な真実が書いてあるものは読みません。
結局、面白いかそうでないか、ということになってしまいます。
しかし、現実はシビアな問題がひしめき合っています。
真実を書くというのは臭いものに蓋をしてしまうことではなく、原因となっている根っこの部分を暴いていくということです。

このブログが、スピリチュアル的なことも含めて、Fakeで溢れるこの世界に光をもたらす存在であれたらと、そう思いながら来年も書き続けていきたいと思っています。
宜しくお願い致します。
2017120203


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