piabuの不可思議blog~内なる光、世界に届け

ものすごく真面目に、本格的に、この世の真実を自分の不可思議体験をもとに探求しています。クラシック音楽の作曲は天使との共同作業です。

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作曲に限らず、創作活動というものは、イメージが泉の如く沸き上がっている時はとても楽しいですが、一度暗礁に乗り上げてしまうと途轍もない生みの苦しみを味わうことになります。
創作活動といっても趣味でやっているのなら良いですが、これが仕事となると大変です。
自分が納得していなくても、妥協してでも締め切りまでに提出しなければなりません。
それを「飯の糧(かて)」に繋げていくためには、冷や汗かきながら何としても締め切りまでに間に合わせなければなりません。
間に合わなくなりそうになると徹夜をして、眠くなると目を覚ますために缶コーヒーを3缶ほど買ってきて、それをがぶ飲みしながらでもやる。
朝になってやっと仕上がって、朝食も食べずに電車に飛び乗り、現場に行って人に会って聴いてもらって・・・帰りにまた缶コーヒー買って飲む。
もうこれは十数年前の話なのですが、まあ当時はそんな大変な状況を楽しんでいたというか、そうやってやり遂げることで自己満足に浸っていたというのもあるのですが、これは若かったから出来た訳で、今はとてもじゃないけれど出来ません。
身体を壊してしまいます。

そういえば昨日、歯医者さんにも言われてしまいました。
「これだけ歯を悪くするのは、磨き方がどうこうというよりも、甘い飲み物が原因だと思うよ」と。
今あるムシ歯くんたちはあの頃の名残だと考えると何だか愛おしくもあり、かといって、もうあんな痛い思いは嫌だという思いもあり・・・。

しかしそれが今では健康第一主義に変わってしまうのだから、人生というものはまったく分かりません。
缶コーヒーはもちろん、今はカフェインを含むものは一切飲みません。
それから、あの頃は1日3箱吸ってしまうくらいのヘビースモーカーでしたが、約8年前に禁煙してからは1本も吸っていません。
お酒も正月三が日以外は飲まなくなりました。
緊張する仕事がある日の前日の夜とかは、結構日本酒など飲んだりしていましたが・・・。
それだけではなく、昔は結構肉好きだったのですが、今は完全にベジタリアンになってしまったのだから、極端といえば極端。
それもこれも、今から9年前に生まれて初めてUFOを見てからすべてが変わっていったような・・・。

そういえば思い出すのも嫌なのだけれど、9年前といえば僕が初めてCDを出した年。
同時に絶望と悲しみを味わった年。
そしてUFOという異次元の存在を知った年。
そう考えると、ムシ歯くんたちは僕の年輪のようなもの。
20170402
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」と言ったのは、作家の藤沢周平氏。
例えば、それは掃除をするということ。
「飯の糧」だけを追求している人たちからすれば、掃除をすることによって売上が増える訳ではないので、掃除を「くだらないこと」と考えてしまいがちです。
しかし掃除をしてお店を綺麗にしておけば、入ってくるお客さんも気分が良いだろうし、当然それは間接的に収入に繋がってきます。
お店に限らず住んでいる家を掃除すれば、家族全員が気分が良くなる筈です。
自分の家に限らず、住んでいる街を綺麗にすれば街の人の気分が良くなるだろうし、自分の住んでいる街に限らず、日本のどこかの街を綺麗にすれば、その街に住んでいる人たちの気分が良くなる筈です。
収入に繋がらなくても、いや、収入に繋がらないからこそ、それが「心の糧」に繋がっていきます。
掃除は、自分自身の心の浄化にも繋がってきます。
「心の糧」こそが、人間らしく生きていくための必須条件だといえます。

それにしても、今ほど人間らしさが失われてしまっている時代はないかもしれません。
最近の閣僚の相次ぐ失言や暴言は、完全に国民を馬鹿にしてしまっていることの現れです。
野党がだらしがなくて、自民が一党独裁になっていることが原因だという報道がされていますが、政治に限らず、これは日本全体にいえることなのではないかと思います。
つまり、この世の中は「飯の糧」だけを追求している人ばかりで、「心の糧」になるような出来事があまりに少なすぎるのです。
そのため、日本人の心は荒れてしまい、忌まわしい犯罪も頻発してしまいます。

人間らしさを失ったその先にあるのが、人間のロボット化です。
既にスマホを片時も手放すことが出来ない人たちが増えています。
ゲーム機など新商品が発売される前日には、必ずお店の前に徹夜の列ができています。
トランプ大統領の裏の大統領といわれているピーター・ティール氏が本当に支持している政党は、トランスヒューマニズム党です。
この党は、ある意味ではとても素晴らしい目標を掲げています。
科学と人間の融合を目指していて、より人間の潜在能力を引き出し、人間らしい生活を送れることを目指すと公言しています。
それは2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、きっと世界中の人たちが目の当たりにするでしょう。
義足の選手が健常者の記録を越える瞬間を・・・。
しかし、それはある意味ではとても危険なことです。
何故なら、より人間のロボット化が懸念されるからです。(公言している「人間らしい生活」とは正反対の)

トランスヒューマニスト党の代表として2016年米国大統領選に立候補したゾルタン・イシュトヴァン氏は、自身の政党についてこう説明しています。

「私の2016年の選挙戦略は、次の3つの集団をターゲットにしています。無神論者、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たち、そして障がいを持つ人のコミュニティです。彼らを足し上げると米国では3,000万人ほどになり、その一部はすでにトランスヒューマニストコミュニティの中で大きな人数を占め、価値観を共有しています。私はサイエンスとテクノロジーの支持者を動かし、「誰かを傷つけない限り自分の体にはしたいことをする権利がある」という考え方、形態的自由という思想を達成したいのです。・・・(途中略)・・・トランスヒューマニストは、宇宙産業を再燃させ、人々を太陽系全体に送りたいと考えています。我々は巨大な海上国家プロジェクトを作り、あらゆる種類の人や科学実験がそこで受け入れられるようにしたいのです。人間が起こしたあらゆる環境問題の解決法を教えてくれる超人工知能を作り出したいのです。我々が宣戦布告する相手は、ドラッグ、公民権を奪われたマイノリティ、石油依存の小国だけではなく、がんやアルツハイマー、そして加齢です。」

想像しただけでも、まるでSF映画のような世界です。
しかし、SF小説「すばらしい新世界」のようにならないかと心配するのです。
確かに病人や障害者にとっては、夢のような話です。
病気が無くなり、不老不死であることは、それが可能ならそれはそれで素晴らしいことかもしれません。
しかし、それもこれも人間らしさを失わずにすめばの話です。
20170401
ゴッホが生前に売れた絵は、たったの1枚だったといわれています。
では何故、ゴッホは描き続けたのか?
「飯の糧」のためだったら、何も絵を描かなくても他にも仕事がいっぱいあった筈です。
ゴッホにとって絵を描くということは、道(タオ)だったのです。
道とは、人間らしさを追求していくことです。
その道が、誰か他の人にとっての「心の糧」となっていくのです。

モーツァルトが死んだ時、葬儀をするお金がなく共同墓地に野ざらしにされたといわれています。
モーツァルトが亡くなる3年前の1788年には6月に交響曲39番、7月に40番、8月に41番(ジュピター)という風に信じられないようなスピードで作曲しています。
この3曲は謎の三大交響曲と呼ばれていて、誰からも作曲の依頼があった形跡がありません。
1791年に「魔笛」が上演されたその年に、謎の死を遂げます。
またこの年に謎の男からレクイエムの作曲の依頼を受けていますが、死によって未完のまま残されました。
モーツァルトはギャンブル好きで多額の借金を抱えていたので、お金のために作曲していたと思われがちですが、それなら何故、依頼も受けていない三大交響曲を書いたのでしょうか?
しかも亡くなる前の3年間の作品は、どれも恰も神が書いたようなものばかりです。
モーツァルトはひょっとしたらお金などどうでもよくて、神の手が自分に触れるのを感じていて、作曲のためにすべてを犠牲にすることを決心していたのかもしれません。(イルミへの反発?)
借金がかさみ、追い込まれれば追い込まれるほど自動書記の如く、五線紙にペンを走らせる。
それは使命的、いや、天命的なものだったのかもしれません。


人間性のもっとも根源的なもの、それを機械に置き換えることはできません。
しかし人間は今や、それさえも捨て去ろうとしています。
サイエンス、テクノロジーを発展させることは素晴らしいことですが、使い方を間違えてはなりません。
モーツァルトはメーソンでしたが、メーソンの上層部はイルミです。
モーツァルトは魔笛の中にイルミの秘密の儀式を暴露したから毒殺されたのだという都市伝説がありますが、たぶんそれは違うと思いますが、現在のイルミは科学と人間を融合させて人間らしさを失わそうと躍起になっています。
イルミの後ろには、悪魔(ルシファー)がいます。
彼らが行っている秘密の儀式とは、悪魔崇拝です。
イルミは世界の政治経済のすべてを、悪魔の力を借りて自由自在にコントロールしています。
この拝金主義の社会システムを作ったのは悪魔なのです。

神と悪魔の争いに巻き込まれないようにするのが肝要です。
なるべく機械(666、獣)から離れて自然に触れるようにして、慎ましく質素な生活をして、人を愛し、人種を越えて愛し、平和を祈り、そして「心の糧」になることをする。
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」
つまり、お金にならないことをすることこそが、人間らしさを失わずに済む秘訣。
もっと言ってしまえば、悪魔の餌食にならずに済むということかもしれません。
20170404
僕の作曲は1円にもなりません。
しかし、独り善がりの音楽でもありません。
僕の作曲は天使との共同作業です。
それはある意味、モーツァルトと同じです。
そいうえば以前、モーツァルトの魂が降りてきたことがありました。
その時、「ジュピター」が部屋に流れていました。(部屋にステレオがないのに・・・たぶん頭の中で)
モーツァルトは3つのことを教えてくれました。
服毒自殺をしたということ。(信じる人はいないと思いますが・・・本人が言っているのだから)
交響曲41番「ジュピター」が一番好きな曲だということ。
そして「3」という数字の重要性。(因みに「ジュピター」には、「3」という数字が至る所に散りばめられています。ひょっとしたらフラクタル幾何のこと?)

本当に最終的な人間らしさというのは、超常的なものなのかもしれません。
機械やテクノロジーによる進化ではなく、自分の内側に始めから備わっている秘めたる能力的なものの目覚めなのかもしれません。
僕はそれを使って作曲している。(神⦅天使⦆は外にではなく内側に宿る)
モーツァルトもそうやって作曲していた。
モーツァルトと僕を比べるのも、何とも烏滸がましいのだけれど・・・。

だから僕が最近作った音楽には、そうした内側の目覚めを助長させる力があると信じています。
作曲はモーツァルトと同じ、天命なのです。
モーツァルトと違って、僕の作曲は超スローペースですが・・・。
もしこれが仕事だったら、話になりませんね。
しかし、約9年前の仕事が成功して「飯の糧」のための作曲をずっと続けていたら、今の自分はいないと思います。

(写真は水元&みさと公園で撮りました。)


 

夜空に広がる天の川
それは、銀河系を内側から見た姿だという
しかし実際にこの銀河を外から見ることはできないので、他の星雲の観測から、想像で渦巻き状の円盤型の星雲ではないかといわれてきた
21世紀に入り、ついに銀河系の形、さらにはその動きまでもが仔細に分かってきた

銀河は対称形の美しい渦巻きを持ち、中心(バルジ)が球状(同心円)ではなく棒状の構造があり、そこから4本のスパイラルアーム(タコの足状)が伸びているという
太陽系はそのスパイラルアームの中間にいて、毎秒240キロもの猛スピードで回転していることが明らかになっている

ひょっとしたら、銀河の中心(バルジ)はウパニシャッドの創造神話に出てくるプルシャ(原人)かもしれない
プルシャは自らを半分に分け、夫と妻が生じた
夫は妻を抱き、人類が生まれた
妻は夫から隠れるために牛になり、夫も牛になって妻を抱き、そして牛が生まれた
そうやって、プルシャはこの宇宙を創造していった

セントラル・サン(銀河の中心)は意思を持っている
セントラル・サンの意思はそれぞれの恒星に伝えられ、太陽にもそれは伝えられる
その意思は太陽により光に変換され、地球上のすべての生物に行き渡っていく
光は月にも届き、月に反射された光は、意思がより濃縮されて地球に届く

だから、月の光はマジックとなる
宮古島に生息するのオカガニは、毎年5~6月の満月の夜に産卵のため、数百匹が一斉に海へ大移動するという
サンゴの産卵も、同じく5月の満月の夜だ
人間の出産も、満月の影響を受けているという説がある
命の誕生、それこそが最高のマジック

日本では古代より江戸時代初期まで、中国暦の太陰暦(太陰太陽暦)が使われていた
月は物質面ではなく、精神面での影響を僕らに強く与えている
古代人は、きっとその重要性に気づいていたのだろう
ひょっとしたら、卑弥呼の銅鏡の儀式は、太陽ではなく月の光を利用していたかもしれない



この曲は、そんな月の魔法をファンタジックに想い描きながら作ってみました。
月の魔法だと何だか普通なので、結局「月の幻影」というタイトルに落ち着きました。
是非、聴いてみてください。
良かったら、感想などもください。

尚、もう1曲完成させた後、交響詩「月の幻影」としてオーケストレーションしたいと考えています。
相当に時間がかかりそうですが・・・いったいどうなることやら・・・。




 

(追記あり)

いい加減、そろそろ作曲を仕上げないとと思うのですが、なかなか前に進みません。
やっとコーダに入ったのですが、そのコーダもすごく大きなコーダになりそうで、もうちょっと時間がかかるので、今日は一呼吸置いて更新が滞っているブログを書こうと思います。
作曲の目標は、今総仕上げにかかっている「月下の幻想」という曲(「宇宙創造」という題でしたがやっぱり変えました)の他に、途中で放り投げてしまったのが2曲ほどあるので、それを最後まで仕上げるのと、あと「月下の幻想」のオーケストレーションに挑戦したいと思っています。

hana03

さて、自分の不可思議体験を元にこの世の真実を探求しているこのブログですが、今日は体験というより、「仏教」に対する僕の考え方について書いていきたいと思います。
仏教については、以前にも「ワーグナーによる「輪廻転生」表現をめぐって〜未来永劫に一体となって、そして愛に包まれて」という記事に、インドの古典「シャールドゥーラカルナ・アヴァダーナ」に書かれている仏陀の弟子アナンダの英雄伝のことなどを書きました。

現在の日本の仏教とインドの初期の頃の仏教とでは、まるで教えも考え方も違います。
僕が毎日行っている瞑想やガヤトリーマントラなどは、初期の仏教に近いのではないかと思っています。(もちろん違う部分も多いのですが・・・)
初期の仏教とは、つまり上座部(小乗)仏教のことです。
日本やその他のアジア諸国の仏教徒の殆どは大乗仏教です。
現在、上座部仏教はスリランカなど、ほんの一部の地域でしか行われていないようです。

そもそも、それこそ初期の仏教はすべて上座部仏教でした。
食べ物は托鉢以外は食べてはならず、また一日の殆どの時間を瞑想に費やし、そして日々の暮らしは200以上の厳しい戒律に定められています。
大乗仏教との一番の大きな違いは、偶像崇拝を禁じているということです。
拝んでもいいのは、法輪だけです。

しかし大乗仏教は、そんなに厳しい修行を積まなくても、仏像を拝んだりお布施をしたりすれば誰でも救われるという教えです。
その大乗仏教の極致といってもよいのが浄土宗や浄土真宗で、南無阿弥陀仏と唱えれば誰もが極楽浄土へ行くことができるという教えです。

余談ですが、日本のお坊さんは随分と逞しい体格をされている方が多く、肌の色つやも良く、普段からよっぽど美味しいものを召し上がられているような気がします。
最近のお坊さんの食事は精進料理とはほど遠く、肉食も多いと聞きます。
ベンツにも乗れるようなお金持ちも多いそうです。(神道系の方は逆にまったく儲からないそうですが・・・。)
驚くべきことに「あの世は存在しない。死んだらそれまでだ。」と考えているお坊さんもいるそうです。
仏陀の教えとは、何から何まで正反対のような気がします。 
そんな大乗仏教が、いったいいつ、どこで、どんな風に広がっていったのか?
それが解れば、現在の日本の仏教の現状が見えてくると思います。

大乗仏教が広まったのは、今から1900年前のガンダーラ。
約2500年前(紀元前5世紀)にインドで生まれ、数多くの宗教のひとつに過ぎなかった仏教は、1900年前のガンダーラの地で多くの人々が信仰する世界宗教へと驚くべき変貌をとげていきます。
現在の仏教信仰の拠り所として欠かすことの出来ない仏像も、この頃に初めて作られました。
日々の暮らしの中で、お経を読んだり祈りを捧げたりする分かりやすい信仰の形は、民衆の心を捉え、世界中に広まっていきました。
その礎を築いたのが、中央アジアからガンダーラにかけて広大な帝国を築いた遊牧騎馬民族、クシャン人でした。

クシャン人は卓越した馬術で中央アジア一帯を席巻し、標高6000m級の山々が連なるヒンズークシ山脈を越えて、カブール、そしてガンダーラを激しい戦いの末占領します。
やがてインド南西部まで手中に収め、ローマと後漢を繋ぐシルクロードの要衝の地を悉く抑えたクシャン帝国のカニシカ王は、カニシカ金貨という独自の貨幣を作り、その金貨を広めることによって帝国は巨万の富を得ていきます。
カニシカ王は様々な民族の宗教を認め、そうすることによって多くの異なる民族を治めようとしました。
それが、ガンダーラ仏教に大きな変革を齎すこととなります。

クシャン人は、死んであの世に行っても、天国に行けるかどうかはお金があるかどうかで決まるのだと考えていました。
その為、死者の口に貨幣をくわえさせるという風習がありました。
しかし仏教の教えでは、あの世に行ったらお金はまったく関係がなく、生きている時の行いが重要でした。
では、生きている時に何をすれば良いのか?
それはお布施をし、仏塔を建て、仏像を拝み、祈りを捧げれば誰でも天国に行ける、という教えでした。
そうした教えはクシャン人に受け入れられ、多くのクシャン人が競ってお布施をし仏塔を建てるようになりました。
そうやってクシャン帝国の巨万の富は、仏教を広めることに使われるようになりました。
大乗仏教の誕生です。

考えてみると、大乗仏教は死者の口に貨幣をくわえさせるあの風習と然程変わりないような気がしてきます。
死者の口に貨幣をくわえさせる代わりに、仏塔を建てるようになっただけの話です。
いや寧ろ、以前よりも死者の為に莫大なお金を使うようになりました。
あの世に行ったら、お金などまったく関係がないのに・・・。
そうやって、僧侶たちは私腹を肥やしていきました。
今の日本のお坊さんの姿、そのままではありませんか?
戒名によって、あの世の霊位など変わる筈もありません。
唯物論者が多く蔓延っている日本なのに、こういうものにはお金を惜しまない。
まったく不思議なものです。

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ブラフマン(梵)とアートマン(我)が同一であることを知ることで、永遠の至福に到達しようとする思想が「梵我一如(ぼんがいちにょ)」です。
ブラフマンは元々は「ヴェーダ」の教典の「賛歌」「呪句」を表していましたが、やがてそれらに内在している「神秘力」という意味で用いられるようになり、更にはその力が宇宙を支配すると理解されていって「宇宙を支配する原理」となりました。
(「ヴェーダ」とは「知識」という意味で、「グノーシス」はここから来ているのではないかと思います。それから、ガヤトリーマントラは「ヴェーダ」に書かれていたものを、サイババが現代に復活させたものです。)
アートマンはドイツ語のAtem「息、呼吸」と語源が同じで、ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生して、やがては「個体を支配する原理」とみなされて、更には「ものの本質・本体」という意味でも用いられるようになりました。
(つまり「梵我一如」思想は、ワンネスという考え方と同じだといっても良いかもしれません。この思想は、実は大日如来の観想による即身成仏など密教の中にも見受けられます。)

古代インドのバラモン教は、この「梵我一如」を発展させたものでした。
バラモン教は「ヴェーダ」、そして祭儀を執り行う祭司階級であるバラモンを頂点として、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(庶民)、シュ―ドラ(隷民)という身分制度を生み出し、それはヒンドゥー教のカースト制度の母体となっていきました。
つまり、祭儀を司るバラモン階級のみが「ヴェーダ」を学ぶ資格があり、これを学ぶことで輪廻から解脱できると考えられていたので、ここにブラフマン的思想を源泉として分泌される祭司階級を頂点とした身分社会、圧倒的かつ論駁不可能な不平等、逆立ちしてもひっくり返すことができない「格差社会」が君臨していきました。

仏陀は、祭儀を司るバラモン階級、バラモンを頂点とする身分社会、これらは「空(一切皆空)」(つまりマトリックス)であって、輪廻から解脱する機会はバラモン階級だけではなく、全ての人に開かれているのだと説きました。
自分の身体を取り巻くあらゆる実在を否定し、我執に苦しむ個もまた否定し、ひたすら自らの「道」を全うすべく修行に励めば、いかなる人も涅槃(ニルヴァーナ)に至り解脱できると説きました。
(これは、老子の道「タオ」に繋がってきます。)

自分の外側、つまり自分の周りの環境によって与えられる社会的な役割や肩書きや他者から評価という恰もブラフマンのような実在に惑わされる必要はなく、自身の虚栄心も乗り越えて、自分の内側、つまり自己(アートマン)が本当に良いと思う行いをし、本当に美しいと思うものを追求していくことが、やがては本物のブラフマン(宇宙を支配する原理)と一体化すること(解脱)に繋がっていくのだと思います。
自分を他力によって救済してくれる神など存在せず、頼るべきものはすべて自分の内側に既に備わっているという仏陀の教えは、瞑想やガヤトリーにも繋がってきます。
例え上座部仏教のような厳しい修行を積まなくても、そのように考え方を改めさえすれば日々の生活こそが修行になっていくのだと僕は考えます。

ブラフマンとアートマンが同一であることを知り、永遠の至福に到達するには瞑想するしかありません。
「梵我一如」の思想の背景にヴェーダ祭式の「同一視の論理」というのがあって、例えば獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがあるそうです。
足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないのだそうです。
祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視することによって、祭場にある祭具などを操作し自然を支配しようとしました。
ウパニシャッド(ヴェーダの「奥義書」または「秘教」)の哲人たちは、それを瞑想で用いました。
瞑想でAをBと同一のものとみなして意識の集中し、分別による知を乗り越えて、対象が直観され、主観は対象の中に入り、対象と融和し、対象そのものになり、同化します。
こうして瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を得ることができます。
瞑想とは、それほどの力を持ちます。 

お布施がどうの、戒名がどうのと言っているようなレベルでは、先が思いやられます。
仏像を拝むということは、仏陀を神格化していることに他なりません。
浄土宗や浄土真宗など殆どの日本の仏教は、伝搬する過程で土着の宗教を次々と取り込んでいき、本来の仏教とはほど遠いものになってしまいました。
それは知識などではなく、迷信です。
そもそも本来の仏教とは宗教ではなく、道(タオ)なのです。
老子は、「道」の根本とは、ものごとが生じるその始めを知ることであると説きました。
ものごとがこの世に顕れる以前からの道筋を見極めることが出来れば、制御は可能だと説きました。
自分の想いが生じる以前の本来の自己を知るということを。
それが苦の解脱の根本だということを。
それらは既に、自分の内側にすべて備わっているということを。
迷信ではなく、本物はそこに存在します。

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(写真は水元公園で撮りました。)


(追記)

ひとつ、重要なことを書き忘れていました。
何も、僕は神様を全否定している訳ではありません。
僕は共産主義者でもニヒリストでもありません。
夢の中でイエスに会ったり、マリアが僕の肩に降りてきたり、弘法大使が仏壇の向こう側に座っておられたり、天狗が僕の家に訪問してこられたり・・・そんな奇跡を何度も経験してきました。
悪魔の様な存在にも、何度も遭遇してきました。
そのような目に見えない存在たちがいることを、僕はこのブログで訴えかけてきました。

だから僕は神社や神棚や仏壇にいる彼らに祈りを捧げ、感謝をします。
僕は彼らは神様というより、天使、先輩方という見方をしています。
5次元以上の高次元から僕らを見守り、僕らを指導してくださる方たちです。
時に彼らは猫の姿で現れたり、鳥の姿で現れたり、また人間の姿で現れたりもします。
(もちろんベルさんも、僕は天使の化身だと思っています。)
天使たちは、いつも僕らに寄り添っています。

しかし僕らの心が清くないと、彼らは決して姿を現しません。
だから外側がどうとかではなく、心の内側が重要になってくるということなのです。
彼らとの交流は、心の内側の状態によって可能になるのです。
5次元チューナーを増設できるかどうかは、そこが鍵になってくるのです。

「ウパニシャッドの創造神話では、一切はプルシャ(原人)の姿をしたアートマンであった。世界には、彼しか存在していなかった。彼は、「ここに私がいる」と言った(アートマン=自我)。
プルシャは、一人でいるのは怖いと思い、楽しくないと感じた。そこでプルシャは自らを半分に分けた。こうして、夫と妻が生じた。夫は妻を抱き、人類が生まれた。妻は、もともと私は夫から生まれたのに、どうして夫は私を抱くのかと思って、隠れることにした。妻は牝牛となった。しかし夫は牡牛となって妻を抱き、それから牛が生まれた。このようにして、夫婦は人間や、動物や、神々など、一切のものを創造した。」

僕らも、動物たちも、僕らが神様と呼んでいる天使たちも、こうしてプルシャによって創造されていきました。
重要なのが、すべては元はプルシャというアートマンであったということ。
それこそが「梵我一如」思想の原点です。
僕らはプルシャの一部なのです。

この3次元物質世界は、完全に分離してしまっている世界です。
個(アートマン)が宇宙(ブラフマン)から切り離されてしまっている世界です。
僕らの生きる目的は、如何にしてブラフマンと繋がるか、そして一体化できるのかということを知るということです。
自分の外側に神を求めるのではなく、頼るべきものは自分の内側に既にすべて備わっているというのは、そういうことなのです。
なぜなら、僕らはプルシャの一部なのだから・・・。


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昨日辺りから菜の花が見頃だったので、今日はカメラを持って水元公園までサイクリングしてきました。
午後から曇りの予報だったので午前中に撮ってきたのだけれど、風がとても強くてまだまだ冷たく感じました。
ベルさん(UFO)は出てくれるかなと思っていると、遠くの空に一筋の長い雲が見えます。
その雲が消えてしまっても、またしばらく経つと再び長い雲が姿を現します。
江戸川べりに着いても現れてくれるので、早速リュックからカメラを取り出し、ベルさんと菜の花のツーショットに挑戦してみます。
ベルさんは空、菜の花は地面なので、ひとつの写真に収めるのはなかなか難しいです。
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そういえば、前にこの辺りで全体が緑色で魚の形をした雲を見ました。
一眼レフのカメラを持っていなかったので撮れませんでしたが、明らかに普通ではない雲でした。
魚の形は、イエスと関係があるのか?(魚の形は初期キリスト教で使われたシンボルです。)
緑色といえば、第4チャクラ(アナーハタ)の色と関係があるのか?
携帯で写真を撮ろうとしたら、あっという間に緑色が薄くなり、ただの白い雲になってしまいました。
もう一度あの雲を見たいと思っているのですが、それっきりです。
ここに来る度、あの不思議な雲を思い出します。

ここは矢切の渡し付近なのだけれど↑、しばらく下流の方へ向かうと、スカイツリーが見えてきます。
今度はスカイツリーと菜の花のツーショット。
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その後もベルさんは時々姿を見せましたが、今日はどうしたことか?すぐに姿を消してしまいます。
消えてしまうってことは普通の飛行機では有り得ないことなので、UFOには間違いないのですが・・・。
スピ系サイト&動画はもう見てないし、毎日家事をこなしながら作曲は続けているし、瞑想もマントラを唱えることもやっているし、冷水業も・・・。
なのに何か拙いことでもやってしまっているのか?不安になります。

水元公園の桜はまだまだですが、河津桜?が所々に咲いていました。
ムクドリが近づいていっても全然逃げようとしないので、ちょっとひとつ撮ってみました。
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ここの鳥たちは、完全に人間に慣れてしまっています。
この間、カルガモの列にジョギングをしている人が突っ込んでいって、一匹のカルガモと完全に激突してました。
そのカルガモは悲鳴を上げて、ジョギングをしていた人はしかめっ面。
今思い出してみても、噴いてしまいます。
nanohana03
撮影ポイントイチ押しの菜の花畑に到着しました。
時々ベルさんがまた姿を現し始めているので、またツーショットに挑戦。
nanohana04
3本の雲なのだけど、真上の方まで伸びきてているので、この写真ではよくわからない。
菜の花に拘らず、ベルさんを撮ってみます。
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ただの飛行機雲じゃないかと思われても仕方がないですが、見る人が見れば、これが空に描かれた異次元からのメッセージだと解るはずです。
nanohana05@
良い季節がやってきました。
桜も良いけれど、僕はこの黄色い菜の花も大好きです。
本当は河津桜と菜の花のツーショットが欲しかったのだけれど、伊豆の辺りまで足を運ばないと良いのは撮れません。


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何日か前、瞑想をしていた時に、頭の中にレプティリアンの顔が浮かんできました。
その顔はトカゲでしたが、まったく恐ろしさはなく、寧ろ可愛いと思いました。
ずっとこの世界を支配していた威厳は微塵もなく、どこか悲しげでした。
3次元と5次元のちょうど境、4次元を住処としていたレプティリアンですが、現在4次元は消滅に向かっています。

レプティリアンの食料は人間の恐怖心です。
人間が恐怖心を沢山持ってもらうために、レプティリアンがこの社会のシステムを作り上げました。
戦争や飢餓、そしてこの弱肉強食の経済社会、それはまさに恐怖心を大量生産する社会システムです。
どうやらこの人間社会は、レプティリアンたちの人間牧場だったようです。

レプティリアンといえば、僕は陰謀論者のデーヴィッド・アイクやアレックス・ジョーンズ、そしてはやし浩司先生を思い浮かべます。
彼らの主張が正しいのか否かということは兎も角、トランプ大統領が大統領選に勝利した時、アレックス・ジョーンズが異常な喜び方をしていたのが印象的でした。
今までの大統領はみんなレプティリアンで、やっと人間が大統領になれた!ということなのでしょうか?
YouTubeでのTheAlexJonesChannelは、現在5億以上のビューワー数を誇る人気チャンネルなのだそうです。
大統領レプティリアン説をこれほどの人たちが信じているというのは、日本ではとても考えられないことです。

このレプティリアン説に限らず、そもそもアメリカは先進国にも関わらず、現実離れした聖書に書かれていることをすべて真実だと信じている人たちが非常に多いです。
トランプ大統領やユダヤ教に改宗した娘のイバンカさんやその夫でユダヤ教徒のジャレッド・クシュナー上級顧問もそうした人たちでしょう。
旧約聖書によれば、天地創造は今からたかだか6000年前なのだそうで、そうなればカンブリア紀も恐竜が生きていたとされる白亜紀なども存在しなかったことになり、そのため進化論など学校で教えていることは間違っていると考えている両親が多く、そうした家庭では子供たちを学校に通わせないのだそうです。
現に科学の世界でも、進化論と創造論の対立は日本人が考えている以上に世界では激しさを増してきています。
そして最近では、驚くべきことに創造論の方が優位に立っているのです。

聖書に書かれていることが真実かどうかは兎も角、レプティリアンがこうして瞑想中に現れてくるのだから、いるのではないかと僕は思っています。
どうやら、レプティリアンの低い波長と繋がってしまったようです。
なぜなら瞑想が終わった後、ネガティブな感情が沸き上がってきて、悲しくて悲しくてどうしようもなくなりました。

地球の波動が上昇し、居づらくなっているからなのでしょうか?
地球を離れるのが辛いからのでしょうか?
レプティリアンたちは今まで人類に犯してきた悪道の数々に対し、懺悔をしているのかもしれません。
闇の世界から抜け出したいという思いもあるのかもしれません。

そういえば「同情してはいけない、慈悲の心を持ちなさい」と、どこかのスピ系動画が主張していました。
(もうスピ系動画はいっさい見ないことにしました。)
一カ所でそう主張すると、他のスピ系サイトも同じことを言い始めます。
僕がブログで「死ぬほど辛い経験をしているからこそ、分かることがある。『その気持ち、私にはわかる』というような。それは同情心であると同時に、癒しにもなる。」と書いたことに反応しているのでしょうか?。
慈悲は、上から目線だと思います。
本当にその人と同じ目線になってみないと、その人の本当の気持ちを理解することなどできないと思うからです。
そしてそうしたお互いの経験や体験を通して、霊的に成長していくのだと思うのです。

アカデミー賞授賞式の短編ドキュメンタリー賞は、シリアで命がけで人命救助を行う人々を題材にした「ホワイト・ヘルメッツ シリア民間防衛隊」(オーランド・ボン・アインシーデル監督)が受賞しました。
ホワイト・ヘルメッツは「世界で最も危険な仕事」と言われています。
彼らのことを慈悲の心、つまり上から目線で見れますか?
それとも、遠い国のことだから自分とは関係ないとお思いですか?
これは、この地球上で実際に起こっていることです。
温室育ちの多くの日本人には、きっと想像することさえも難しいと思います。

トランプ大統領は選挙戦時に「アサド政権が倒れれば、よりひどい結果になる。私はアサドは嫌いだが、アサドはISを殺している」と発言しています。
また、アサド政権の後ろ盾となっているロシアのプーチン大統領にトランプ大統領は好意的な発言を繰り返していたので、アサド政権関係者は「オバマと違って、トランプはプーチンとうまくやれそうだ。プーチンの助言を受け入れ、対ISで米国とロシア、我々で協力することも可能になるかもしれない」と語っています。
トランプ大統領がそうした比較的アサド政権寄りに見えるので、最近は更に政権側の攻撃が増しているともいいます。
僕にはオバマ元大統領より、よっぽどトランプ大統領の方がレプティリアンに見えてしまいます。

話が逸れてしまいましたが、瞑想中にレプティリアンの顔が浮かんできた時、僕は彼の気持ちを受け入れました。
そうしたら過去に自分が体験した苦しみや悲しみが、怒濤の如く沸き上がってきました。
レプティリアンはその苦しみや悲しみを、美味しそうに平らげたかもしれません。
しかし次元が上昇してきて、人間も今までの人間とは違ってきています。
それ以降、僕の中に苦しみや悲しみはまったく襲ってこなくなりました。
ただ只管に、僕は彼らに祈りを捧げるだけでした。

多くの日本人が今現在抱いている恐怖は、間違いなく北朝鮮でしょう。
連日ニュースで大きく取り上げられています。
北朝鮮の弾道ミサイル発射に、日本人はもう慣れっこになってしまっているところがあります。
本気で本土には落としてこないだろうと・・・。
しかし、ミサイル1機だけで幾らかかるのか考えてみてください。
単なる北のお坊ちゃまのお遊び道具とは違います。
向こうも本気だから訓練をしているのだと思います。

だからあのようなトランプ大統領でも、日本は仲良くしておかなければならないわけです。
昨日、安倍首相は電話協議でトランプ大統領が「米国は100%、日本とともにある。米国を信頼してもらいたい」と発言したことを明かしました。
しかしいざとなったら、アメリカは本当に日本を助けてくれるでのしょうか?
それは甘いと多くの人が思っているかもしれません。
ひょっとしたら、あのアレックス・ジョーンズがファンと一緒に歓声の雄叫びを上げていたように、レプティリアンではない人間の大統領として、この日本を助けてくれるかもしれませんが・・・。

しかしそうであるとしても、当然他国を頼っているだけでは駄目。
自衛隊がどうのという話ではありません。
今は、日本の国民一人ひとりの想念と祈りが非常に重要になってきているということです。
この地球を守っているのは人間だけではなく、非常に数多くの異星人たちが地球の叫び声を聞きつけ助けに来ています。
そして、果たして地球人は5次元世界に相応しい存在になれたのか?
それを、彼らはずっと観察しています。
この現実世界ではなく、人間の無意識の世界を・・・。
集団無意識の世界を・・・。
平和と心の平安は、そこから訪れます。

この宇宙はワンネスです。
すべては繋がっています。
イエスも、ルシファーも、レプティリアンも、宇宙の果てに暮らす異星人たちも・・・そして地球人も、みな父親は同じ創造主であり、みな兄弟です。
だから、すべて平等です。
だから元来、上も下も、優も劣も、光も闇も存在しません。
この世が闇で覆われているから、調和のために光の存在が必要なだけです。
要は、人はそれを理解できたかということです。
まだ未熟であるのなら、彼らが先輩としてまだ時期尚早だと判断するだけです。
彼らは人類を見放すのではありません。

地球上で繰り広げられて来たすべての物語は、創造主によって最初から出来上がっていて、僕らはそれをただ演じていただけでした。
しかし2012年12月23日を過ぎてからは、僕ら人間一人ひとりの想念がこれからの世界を創っていくのです。
セパレーション(分離)の時代は終わりを告げました。
果たして、人類はユニティ(統合)の世界へと渡ることができるのか?
どうやら時代は、そんな大峠を迎えているようです。
違いますか・・・? 
それを感じませんか・・・?


最後にサミュエル・バーバー(Samuel Barber)の「アニュス・デイ」(Agnus Dei、神の子羊)という曲を載せたいと思います。
原曲は、「弦楽のためのアダージオ、作品11」(Adagio for strings, Op.11)で、映画「プラトーン」などに使われて良く知られるようになりました。
この原曲を作曲者自身がミサ曲に編曲したのが、「アニュス・デイ」です。

僕はこの曲を聴くと、涙が止まらなくなります。
弦楽曲の方よりも、断然このミサ曲の方が好きです。
この曲を聴きながら、一緒に祈りませんか?



Agnus Dei (神の子羊)

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
miserere nobis. 

Agnus Dei, qui tollis peccata mondi:    
dona nobis pacem.

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
我らをあわれみたまえ。

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
我らに平安を与えたまえ。


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