piabuの不可思議blog~内なる光、世界に届け

ものすごく真面目に、本格的に、この世の真実を自分の不可思議体験をもとに探求しています。クラシック音楽の作曲は天使との共同作業です。

水元公園(みさと公園)を自転車で一周してくるのが日課になっているのですが、途中でどうしても謎を感じてしまう場所があって、気になって仕方がなかったのでちょっと調べに行ってきました。

水元公園の北西側(猿町口)に閘門橋(こうもんばし)という美しいレンガ造りのアーチ橋があります。
正式名称は「弐郷半領猿又閘門」といい、レンガ造りのアーチ橋としては東京に現存する唯一の貴重な橋なのだそうです。
竣工が1909年(明治42年)で、約100年前に造られた橋ということになります。
閘門というのは、水位・水流・水量等の調節用の堰(せき)のことで、現在は機能しておらず、新大場川水門の完成により閘門としての役割を終えて、隣接する葛三橋に車道を譲り、歩行者・自転車道に移り変わった・・・ということらしいです。
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まず第1の謎ですが、ユダヤの象徴でもあるメノラー(7つの枝を持つ燭台)らしき模様が、何故橋に描かれているのか?ということです。
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橋だけではなく、街路灯にまで・・・。
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僕は日ユ道祖論は間違いないと思っていますが、しかしこの橋は近代メーソンの臭いがぷんぷんしていて、その辺はややこしくて陰謀論のことを知らない人は訳がわからないと思いますが・・・。
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堰柱(せきちゅう)の上に立つブロンズ像は「閘門橋職人像」というらしく、後年に設置されたもので、「角落し」と呼ばれる木製の堰板を操作する様子を再現しているそうです。
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それにしても、このブロンズ像からさえも自由な石工職人が連想されてきてしまうのだけれど?

さて、僕が本当に気になって仕方がなかった謎は、これではありません。
第2の謎のことですが、この橋の近くに石のモニュメントらしきものがあります。
大概こういうものには、誰々作とか説明が何処かに書かれているものですが、まったくありません。
ひとつではなく沢山あって、どこか古代の雰囲気が漂っています。

まず、このねずみ男みたいな顔をした石の像を見て下さい。
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この写真を撮る時、とても苦労しました。
何故かカメラの焦点が合わず、ボヤけてしまう。
5〜6枚撮って、何とかまあまあのが撮れました。
その時はさして気にも留めなかったのですが、後々考えてみるとこの時大変な霊力が加わっていたようです。
僕はこの日の夜、久しぶりに金縛りに遭いました。
その正体は猿人間(妖怪)でした。
この付近の古い地名は猿又(さるがまた)だそうなので、やはり猿と関係しているのかと思っていましたが、しかしこの顔はどう見てもカッパですね・・・。
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橋を渡ったその先にも、このような像があります。↑
これはボヤけずに、一発で撮れました。

この2つの像の間に、不思議な石のモニュメント?が点在しています。
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その中で特に謎だと思えるのが、このイスとテーブルみたいなもの。↓
テーブルには鳥のようなものが彫られていて、くちばしの先にアルファベットのNの字が見えます。
北を指しているようにも見えますが、しかしその方向は北西です。(北はもう少し手前側)
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また古そうなレンガ造りのベンチには、こんなのがありました。↓
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間違いなく、これもカッパですね。
ということは、この地域にはカッパの伝承みたいのがあるのかもしれません。
ユダヤの象徴に、猿とカッパ・・・どうしても繋がってきません。

それから、このモニュメントは何?
形からするとピアノのPという印象ですが、まったくの意味不明。
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金縛りの話に戻りますが、誰がそうさせているのか、僕はその正体を夢の中で探り当ててしまうことがあります。(因みに、寝る前にUFO音がずっと聞こえていました。)
正体は猿人間のような妖怪だったと書きましたが、2匹いました。
1匹はカメラの焦点がなかなか合わなかったように、まったく目を合わせようとはしません。
もう1匹はニヤけながら僕を見ていました。
顔が人間で身体は猿といった感じで、人間よりも一回り大きく、2匹とも台座のようなものに座っていました。

僕はひたすらガヤトリーマントラを唱えていました。
唱えれば唱えるほど、それを阻止しようとする力が強くなってきて、口がまったく動かなくなり(夢の中ですが)、ほとんど「あ〜ぅえ〜んがぁ〜」状態でした。
それでも必死で唱え続けました。
マントラは直ぐに効き目はないみたいでしたが、しかし徐々に効いてくるもの。
朝方、再び夢の続きを見たのですが、あの凶暴そうだった猿人間が、大人しそうなただのチンバンジーの子供みたいに変わっていました。

おそらく昔、この土地に暮らしていた人たちは妖怪猿人間の悪事に苦しみ続けていて、それを諫めるためにこの像を作ったのかもしれません。
イタズラ好きというとカッパもそうなので、いつの間にかそれがカッパ伝承に繋がっていった・・・。


調べてみて、なんとなく見えてきたものはありますが、やはりそれでもまだまだ謎だらけ。
これだけ不思議に満ち溢れているのにも関わらず、それをブログ記事にしている人がいないということも、これまた不思議。
人通りも多いし、気づかない筈もないのに・・・。
それにしてもカッパの像は誰が作ったのかわかりませんが、ユニークで芸術作品として見てみてもかなりのものに思えるのだけれど・・・。
(何だか飛鳥地方の吉備姫王墓前の猿石を連想させます。)
兎にも角にも、このようなミステリーゾーンがこの東京にあることが驚きでした。


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僕が最近気になって仕方がないのが、ソルビット(ソルビトール)という添加物で、これはリンゴやナシなどの果実に含まれる糖アルコールの一種で、甘味料や保存料になったり化粧品などでは肌の保湿性を高めたり、 また医薬品としても使われていて用途はとても幅広いです。
リンゴやナシなどにも含まれているものなのでソルビットそのものは人体に無害で、世界保健機関(WHO)なども極めて安全性は高いと公表しています。
それだけではなく、キシリトールのように虫歯を予防する効果があるといわれていたり、ダイエットにも効果があるともいわれています。

良い事ずくめのようですが、しかしソルビットの原料には天然のものと人工のものがあって、問題とされているのが人工のものです。
これはアスパルテームやアセスルファムカリウムやスクラロースなどにもいえることだと思いますが、原料に遺伝子組み換えトウモロコシやジャガイモが使われている可能性があるということです。
遺伝子組み換え作物を使用している場合には表示義務がありますが、5%未満であれは遺伝子組み換え作物の混入があっても表示は免除されるので、知らず知らずのうちに遺伝子組み換え作物を口にしている可能性があるということです。

僕はコーヒーなどのカフェインを含む飲み物は一切飲まなくなりましたが、ノンカフェインのハーブティーを毎日飲むようになって、そうするとどうしても甘いお菓子が欲しくなってきます。
我慢しきれなくなって、ついついスーパーでお菓子を買おうと思って手に取って原材料名を見てみると、殆どすべてのお菓子にソルビット(ソルビトール)が入っているのです。
今まで安心して買っていたお菓子にまで・・・。
同じように健康に悪いとされている植物油脂も、少しならいいやとカゴに入れていましたが、流石にソルビットが表示されているものはカゴに入れる気にはなりません。
食べられるお菓子がなくなってしまい困っています。
老舗のお菓子屋となると、また高いし・・・。


そういえば、セブンイレブンが販売期限切れになった食品由来の飼料を使って生産した鶏卵の活用を始めているそうで、武田邦彦氏がその危険性を指摘しています。
https://www.youtube.com/watch?v=cCp8ikfCFxQ
循環形リサイクルというと聞こえがいいですが、狂牛病となるとただ事ではなくなってきます。
そもそもコンビニの弁当は添加物が多く、一週間炎天下に置いておいてもカビひとつ生えないと言われていました。
売れ残ったコンビニ弁当を餌として与えていた豚から生まれてきた子供がみんな死産だったそうで、しかも子供の皮膚の色はみんなどす黒かったという話を聞いたことがあります。
豚はそうでも人間なら大丈夫なんてそんな話、普通に考えてもおかしいに決まっています。
そして今度は養鶏だそうで、狂牛病の心配まであるという。
しかし、多くの人はそれを知らずに安くて便利なコンビニ弁当を食べ続け、病気になって、それがニュースになってはじめて事の重大性に気づく。
でも、それではもう遅い訳です。


しかし、それ以上に危惧していることがあります。
地球が生み出す総量が一定だとして、もし食料を皆に公平に分けることができるのなら、飢え死にする人はひとりもいないのだそうです。
しかし現実には、もの凄く沢山の人が飢えて亡くなっています。
それは、食料が一方に偏りすぎているからです。
スーパーやコンビニで、毎日どれくらいの食料が廃棄されているか知っていますか?
食料が廃棄される分だけ、世界のどこかで人が飢えて死んでいくことになります。

どこかのレストランの美味しそうな牛ステーキのCMがテレビで流れて、貴方は「おいしそう、食べたい!」と思いますか?
その牛ステーキが食糧危機をもたらしていることを知っても、それでも食べたいと思いますか?
牛肉を1kg作るのに必要なトウモロコシの量は8kgなのだそうです。
霜降りの高級和牛の場合は10倍の10kg。
トウモロコシの年間生産量6億トンのうち、4億トンが家畜用飼料にされています。
つまり、肉というのは非常にエネルギー効率の悪い食べ物であって、肉食文化が拡大するということは、途方もない穀物の無駄使いをするということになるのです。
トウモロコシ4億トンという量は、十分に餓死をなくせる量だと思います。

人口13億人の中国で、肉食文化が急速に広がっているそうです。
肉牛の飼料として穀物が大量に消費されていて、このままいくと深刻な穀物不足を招くのは目に見えています。
もしかすると、アメリカが世界に誇るトウモロコシの生産地はパンクをして、そして今よりもっと飢えで苦しむ人たちが増えていくなんてことが起こるかもしれません。
世界的な食糧危機に陥った時には、食料自給率の低い日本が真っ先に打撃を受けるでしょう。
これは発展途上国の問題だけではなく、日本が差し迫っている問題でもあるのです。


近年、ドイツではベジタリアンが急増しているそうです。
特に大都市に住む高学歴の若い女性たちに多いそうです。
ベジタリアンの発祥の地はイギリスですが、ドイツも負けずと劣らないベジタリアン大国になりそうです。
ベジタリアンになる理由のベスト3は、1位がBSE危機、2位が動物愛護のため、3位が環境保護のため。
90年代後半にヨーロッパを震撼させたBSE危機を切っ掛けに、ベジタリアンの数は2倍になりました。
それから動物がかわいそうだし、犬や猫を食べないのに他の動物を食べるのはおかしいという理由も多いです。
僕もベジタリアンですが、この理由が一番近いかもしれない。
そして前述したように、肉は非常に効率の悪い食べ物であって、自然が破壊されていて餓死する人も非常に多いと言う現実を知っている人が多いということです。

ベジタリアンは年々増えていて、1983年にはおよそ45万人でしたが、現在はおよそ300万人とも700万人ともいわれています。
その内の80万人は、バターや卵などの動物に由来する食品を全く摂らない、所謂ビーガンです。
この人たちを対象にした100%植物に由来する食品だけを扱ったスーパーも出来ていて、このチェーンはこの2年で売上を4倍に伸ばしているそうです。


日本には精進料理という独特の文化も根付いているのに、戦後は欧米化が進み、最近では肉食は疎か、炭水化物ダイエットなるものが流行して米を食べないというありさま。
前々回のブログにも書きましたが、天照大御神が高天原で穫れた稲を「日本人が食べて生きていくべきもの」として降臨する際にニニギノミコトに持たせて以来、日本人は稲作を生業とし、米を主食としてきました。
米はただの食べ物ではなく、霊的に日本人の精神が息づいている食べ物といえます。

事実かどうかわかりませんが、6月に急逝した鳩山邦夫氏は炭水化物ダイエットを始めていたといいます。
どこかの番組でも、「炭水化物をやめると長生き!?炭水化物 が人類を滅ぼす」なんてことを言っています。
また、どこかのお偉い医者が「肉を摂らないと血管が弱くなる」とか言っていたり、牛肉には人を優しくする成分が含まれているなどと訳のわからないことを言っていたりもします。
テレビでやっていたことを真に受けてしまう日本人が多いことを考えれば、日本のベジタリアンはいつまで経っても蚊帳の外ってことかもしれません。
テレビでやっていることの殆どは嘘八百なんだけれど・・・。

では、なぜパプア・ニューギニアの方で暮らしている人たちは毎日タロイモしか食べていないのに、あんな筋肉隆々なのか?
実はそれは腸内に窒素固定菌が生息していて、その菌がタンパク質を作り出しているからということがわかってきているのです。
仙人は、空気中に漂うプラーナという宇宙エネルギーを食べていたそうです。
70年前から食べ物も飲み物も摂取していないという83歳のインド人のヨギ氏(ヨガの聖者)は、太陽のエネルギーを額(第三の目)から取り入れているそうです。
「太陽を食べる」という表現をしています。

どうやら人間の身体には、まだまだ未知なる部分沢山あるようです。
問題なのは、真実は何なのか?
それに尽きると思います。
嘘の情報も机上の空論も要りません。
真実を突き止めること、それこそが真の人間の生きる道です。
それには科学的なものだけではなく、目に見えないものも重要ということです。
しかし唯物論者の多いこの日本で、真実に辿り着ける者はほんの一握りかもしれません。
食品添加物やテレビの洗脳で、日本人は落ちる所まで落ちてしまったのか・・・?
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(水元公園にて)

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(葛飾大橋にて)


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日本のメダルラッシュに湧いた今回のオリンピックでしたが、約2週間半におよぶ熱戦もとうとう閉幕しました。
麻薬と暴力が渦巻くにスラム街で生まれ育ったという柔道のラファエラ・シルバ選手の金メダルや難民五輪チームの活躍など、オリンピックの意義を感じることができました。
それから、吉田沙保里選手は負ける悔しさを味わうことができたのだから、負けて寧ろ良かったのではないかと思っています。
人は負けることによって人の痛みを知り、優しくなれます。
そして、勝ち続けることの苦しみからも解放されました。

メダルメダルとあまり言い続けるのは、それこそナショナリズムの思う壷です。
IOCトーマス・バッハ会長の開会式でのスピーチを、もう一度思い出してみます。
「五輪の世界では、皆、平等。人類共通の価値は、私たちを分断しようとする力よりも強いのです。」
五輪の意義は、ここになくてはならない筈。
しかし目に見えてくるものは、やっぱりメダルを取った者とそうではない者との大きな差。


そういえば、誰の言葉だったか・・・「群衆についていってはいけない」という言葉を最近よく思い出します。
それでも、まあオリンピックぐらいはイイやと思ったのが運の尽きだったかもしれない。
応援疲れと、それとこの夏の熱さに完全にやられしまっているので、もとの自分に戻るには時間がかかりそう・・・(このブログの更新が滞っていたのもその所為です。m(_ _)m)
アウトドア派なので旅に出れば乗ってゆけるのだろうけれど、それも事情により許されず、近くの公園をサイクリングしたりはしていますが、100%の大自然の景色に出逢いたいという欲求は日々増すばかり。
一泊でもいいから、どこかへ行ってきたい。。。

もう限界に近づいてきているのかもしれない。
群衆から離れて、ひとりになって、誰もが自分を見つめ直す必要があるのかもしれません。
SMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞が思い浮かびます。
SMAPは解散することが決まってしまいましたが、良い曲を世に残しました。
(因みに木村拓哉くん一人だけ悪者扱いされていますが、彼は大変良い人ですよ。)
これからこの世の中はヒエラルキーというものがなくなって、個々が自立する時代に入って行くのだと思われます。
重要なのが独自性です。

今までは、それは社会の敵でした。
人間はあたかも工場で作られる製品のように教育され、もし独自性を持っていれば不良品とされて社会から爪弾きにされてきました。
なぜそのように教育されてきたかといえば、そうすれば権力者がコントロールしやすくなるからです。
今はその洗脳が解けて、気づきの時代に入ってきているような気がします。
頭の良い人、感覚の鋭い人は、もう既に次の時代の生き方をしています。
外からの影響を極力抑えて、自分の世界に没頭し、自然を愛し、太陽に感謝をして生きています。

益々、世界は二極化しています。
コインの表と裏のように。
オリンピックが終わったと同時に、凶悪な事件が立て続けに起きたりしています。
瞑想して、ガヤトリーマントラを毎日唱えて、新時代への架け橋となる人が多く必要です。
闇の権力者は必死であの手この手を使って、人が橋の向こう側へ行くのを阻止しようとしています。
食品添加物やワクチンなどで身体を汚したり、テレビなどで人をネガティブにさせる波動(デビルス・トーン、悪魔の音、440Hz)を多く浴びせたり、ケム・トレイルのように空から毒を撒いたり・・・。
そんな馬鹿なと思う人は、もう既に闇の権力者のロボットかもしれません。
もし竹下雅敏さんの言う通り、99%の人が第3チャクラ(マニプーラ)以下のチャクラしか開いていないのであれば、殆どの人がまだ覚醒できていないということになります。
(因みに僕は作曲する時、キーボードを444Hzにしたり純正律にしたりと試行錯誤してやっています。)

僕は座禅を組んで瞑想する時、まず第1チャクラ(ムーラーダーラ)と赤い色をイメージして、第2(スワーディシュターナー、橙)、第3(マニプーラ、黄)、第4(アナーハタ、緑)、第5(ヴィシュダ、青)、第6(アージェナー、紫)、第7(サハスラーラ、金)という風に順番にチャクラを意識していきます。
そして、もう一度ムーラーダーラの赤から始めてアージェナーの紫に達する頃には、額(第三の目)の辺りが痛くなってきます。(エネルギーを強く感じた時は1回だけにしています。)
さらにサハスラーラの神界の黄金の光を感じてきたら、心を込めて竹下雅敏さん方式にガヤトリーマントラを唱えます。
唱え終わったら、自分の周りの空気が極めて新鮮なものになっているのを感じながら、もうしばらく瞑想を続けて、最後にクリエーターへの感謝と世界の平和を祈って終わります。
(この瞑想は教わったのではなく、僕独自の方法です。マントラ意外ということですが。)

僕は1日1回、寝る前にしかやっていなかったのだけれど、これからは朝と夜の2回やろうと思います。
時代がそれだけ混沌としてきているような気がするからです。
イタリアの地震、それから台風10号が気になります。
台風10号が来ないように、皆で祈りましょう。



この瞑想を始めてから、感性がとても研ぎすまされてきたように思います。
今日も水元公園までサイクリングしてきましたが、晴れた日もいいですが、今日のような小雨が降り続くような日はなお一層緑が美しく感じられました。
僕が子供の頃、山登りをしていると森の中に少しだけ木が生えていない場所があって、そこの部分の下には雑草が生えていたのですが、その雑草の緑の美しさを忘れることができません。
あの時の感性は、大人になるにしたがって無くなっていくものだと思っていたのですが、瞑想を始めてからというもの、なんだか子供の頃以上に感性が鋭くなったような気がします。
今日、あの時見た雑草を感じることができました。
太陽が出ていないのに、雑草が光り輝いていました。
雑草は雨に濡れて、生き生きとしていました。
僕は今天国にいる、そう思いました。
今この瞬間を、もっともっと感じたい。
そういう新たな欲求が生まれました。

毎日水元公園に来ていると、季節の微かな変わり目を感じます。
行く道を、落ち葉が僅かに黄色く染めていました。
雨粒が池の水面に落ちる度に、水輪の花を一瞬だけ咲かせます。
傘もカッパも着ないで家を飛び出してきたのだけれど、ハンドルを握る手に雨粒が落ちる瞬間、僕という人間と手に落ちてくる雨粒を強く意識したりします。
そうやって五感をすべて研ぎすまし、第六感も使って今この瞬間を強く意識します。

そんなことをやっていたら、何やら一カ所に人が集まってきていたのでびっくりしました。
雨だから人が少なかったのだけれど、この人だかりは何?と思ってキョロキョロしていると、みんな下を向いてスマホを操作している。
もう社会現象と化しているポケモンGO。
公園に暮らしているカラスたちも、きっと何事かとびっくりしているかもしれない。
僕はスマホを持っていないのでポケモンGOはやったことがないのだけれど、確かポケモン(妖精?)を捕まえて育てて強くしていくゲーム。
ポケモンなんか捕まえなくても、この世は妖精のような目に見えない不思議なもので溢れているのに・・・。
なんだか大多数の人たちは、僕が願っているのとは正反対の方向へ動いているように思えて仕方がありません。
これも闇の権力者の仕業?
「群衆についていってはいけない」・・・そういえば、この言葉を言っていた人が誰だったか思い出しました。
宇宙人に拉致されたというミシェル・デマルケ氏でした。
やっと思い出しました。


最近は、写真を撮らずに心に留めておくことにしているのですが、先日の台風9号の後の台風一過はとても気持ちがよくて、景色もすばらしかったので思わず携帯で撮りました。
葛飾橋から撮った江戸川の写真。↓
スカイツリーも見えます。
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これは↓同じ日の水元公園の雑草の緑が、あまりに美しくて撮ったもの。
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優も劣も上も下もない、完全に調和した世界を普段は瞑想しているのだから、当然オリンピックに興味など持ってはいけないのかもしれないけれど、サッカーだけはいいや、ついでに柔道だけはいいやなんて思っているうちに、しっかりと寝不足になっている今日この頃。
始まる前はメイレレス氏が演出する開会式だけ興味を持っていて、日本がいくつメダルを取れるのかなんてどうでもよかったのだけれど、始まってからの日本のメダルラッシュにはしっかりと涙。

オリンピックなんて分離社会の象徴みたいに思っていた時期もあったのですが、開会式の選手の入場行進を見ていたら、メダルを取ったことのない国が沢山あって、オリンピックに出場できること自体に喜びを感じている人も沢山いて、国の代表として出場して祖国に元気や勇気を届けることの意義の高さを選手の中に感じとっていました。

しかし逆に、メダルを取ると国から一生暮らしていけるほどのお金を貰える国もあって、日本もCM出演などで莫大な出演料を貰っていたりして、やはりそこには大きな差異が生じてきます。
ロシアなど国ぐるみでドーピングをする国もあれば、韓国のように日本にだけはなぜか死にものぐるいで挑んでくる国もあって、時に政治的であったり時に民族的であったり、五輪は公平・平和を謳ってはいますが、その意とは逆の影の部分も濃くなっていきます。

最近は、国際オリンピック委員会( IOC)内での汚職も明るみになっています。(東京も汚職を働いているとの報道もあります。)
それから、ブラジルは貧富の差が大きく、犯罪が絶えることはなく、現在の国の状態を考えれば実はオリンピックどころでないといえます。
現実は、オリンピックで掲げている理想とは大きく掛け離れているということです。

なぜ僕らが生きているのか?
唯物論者は物事を合理的に考え、幸せの源はお金であり、社会的地位や名誉でもあると考えます。
しかし僕の考えでは、そもそも幸せという概念は幻想に過ぎません。
人間は農耕文化を取り入れた時から、幸せという亡霊に取り憑かれてしまったのかもしれません。
戦いに勝利したから幸せ、メダルを取ったから幸せ、お金を得たから幸せという風に。
縄文時代には、そもそも誰かが誰かより優れているといった概念はありませんでした。
この世界に存在するものはすべて、精霊、霊魂、神様が宿るというアニミズムの思想があって、そしておそらく誰もがシャーマンであり、目に見えないものと交信していたに違いありません。
力で人が人を支配する時代に入ってから、人間はその能力を失っていきました。
しかし逆にその能力を失ったことで、本当に大切なことを教えられたともいえます。
悪の存在が、人々の魂を成長させました。

僕らが生きている意味が魂の成長だと考えれば、成功はむしろ失敗で、大金はむしろ人を不幸にするということが分かってきます。
至福というのは、大自然の中にあります。
人間もその大自然の一部です。
実は、人間の身体(肉体)は神殿なのです。
至福とは、この神殿(肉体)の内側に存在するものです。
今現在、そのことを思い出す時期に来ているのかもしれません。

この神殿(肉体)をスポーツなどで鍛えることは大切です。
見えない所で厳しい練習をして、それでも試合に負けて自分の未熟さを知り、次こそは勝とうとさらに自分を磨いて、そうやって切磋琢磨して精神的にも肉体的にも成長していく。
どれほど魂の成長が望めるかしれない。
しかし、その目的が地位や名誉やお金だったら、つまり利己主義的であったら、成功しても失敗ということになるのかもしれません。
逆に、オリンピックでの活躍が人に勇気と感動を与えられるのなら、それは素晴らしいことだと思います。
そして、それが多くの人の助けに繋がるのなら、きっと精霊も霊魂も神様も祝福してくれるでしょう。
リオ五輪、IOCトーマス・バッハ会長のスピーチ(抜粋)

この五輪の世界では、すべての人に普遍的な法則があります。五輪の世界では、皆、平等。人類共通の価値は、私たちを分断しようとする力よりも強いのです。そこで五輪選手の皆様に呼びかけます。自分自身を大切にして下さい。回りの人を大切にして下さい。私たちの住む世界では利己主義が幅を利かせ、一部の人々が他者より優れていると主張します。しかし五輪が示す答えは、連帯の精神に基づき、難民五輪チームを歓迎します。難民選手の方々、世界中の何百万人の難民に希望を与えます。他者とは違うという理由で故郷を離れざるをえなかったものの、素晴らしい才能と精神で社会に貢献しています。五輪の世界において、私たちは多様性を受け入れるだけでなく、私たちは皆様の多様性を結束してくれる存在として受け入れます。 
キプチョゲ・ケイノ氏のスピーチ

「この五輪名誉賞を初めてもらい、光栄に思います。私とともに、すべての若者達が人権を得ることができるように、食料、住む場所、教育が得られるように、私と一緒に取り組んでください。
教育は若者の力を支えるだけでなく、より良い市民になり、前向きな変革を起こし、より良い人間になり、より良い世界を作ります。私は何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにいなくなります。神様は偉大です。教育によって、教育を通して、未来の人類を教育で育てていくのです。本当にありがとうございました」

本当に教育は大事ですが、今の日本の教育は間違った方向へと進んでいます。
間違った知識を植え付けられ、間違ったものの価値観を持ち、間違った人生を多くの人が歩んでいます。
なにも縄文時代に還った方がいいとは言いませんが、今こそ、本当は何が正しいのかを問い正すべき時代に入っているのではないかと思うのです。

昨日、ビデオメッセージにて天皇陛下が「お気持ち」を表明されました。
現行憲法では「生前退位」が認められておらず、憲法改正が公然と主張されているようになってきました。 

神社の本宗が伊勢神宮であり、神主のトップが天皇陛下なのですから、天皇は象徴ではあるけれど、実は新嘗祭や神嘗祭などとても大切なお役目がある。
それは米に敬意を示す祀りであって、稲作文化(農耕文化)の象徴といえます。
天照大御神が高天原で穫れた稲を「日本人が食べて生きていくべきもの」として降臨する際にニニギノミコトに持たせて以来、日本人は稲作を生業とし、米を主食としてきました。
(現在の日本人は主食である米をあまり食べなくなり、食生活が欧米化して肉類を多く食べるようになりました。そして唯物論者が多くなり、そうした目に見えないものの役割を軽視する風潮が、皇室の危機へと繋がっているのかもしれません。)

稲作は、人々が集団で生活していかなければ成り立っていきません。
分業制度が発達して、生産性があがり、やがて権力者が生まれます。
人々は集団社会で生きていかなければならず、そこから離脱すれば困難な生活を強いられることになります。
そして縦社会の組織が生まれ、貧富の格差が生じました。
この時、善悪の概念も生まれたのだと思います。
悪を知ることによって、善を知り得ることができたということかもしれません。
狩猟(縄文)文化の時と比べると、農耕(弥生)文化を経て現代に生きる我々の魂は、遥かに成長しているといえます。
(縄文と弥生の関係は、宮崎駿監督の「もののけ姫」によく顕われています。)

この分離社会での修行は、もう終わりに近づいています。
天皇陛下の「お気持ち」表明は、なにかそれを象徴しているようにも感じます。
そして皇太子が天皇になられた時、とてもとても重要なお役目が控えていて、そのお役目こそが新時代の到来の号砲となるのです。


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作曲期間中にブログ更新をするとスランプに陥りやすくなってしまうので、仕上がるまで更新しないと決めていたのですが、更新していないのにも関わらず調子が激落ちしていたので、気分転換に約3週間ぶりとなる更新をしたいと思います。m(_ _)m
ずっと太陽のガン見などをして太陽からエネルギーをもらって生きていたのだけれど、ここの所の梅雨空で太陽さんに会えなかったことが調子を崩した原因なのかもしれません。
でも今日梅雨が明けたので、元気を取り戻せると思います。


さて、このブログの説明の欄↑に「クラシック音楽の作曲は天使との共同作業です。」なんて書きましたが、きっと誰も信じてはいないでしょう。
しかし、僕はこんな不可思議な体験を何度もしています。
曲が仕上がって投稿してブログに貼付けてから何日かした後、その作った曲が何年か前に夢の中で流れていたのを思い出すのです。
音だけではなく、動画のバックの映像も見た夢とまったく同じです。
ということは、もうすでにどこかの次元で作られていた音楽を僕はこの3次元世界で再現したにすぎないのか、若しくは僕がこうした曲を作ることを予め僕が生まれてくる前から計画されていたということになります。
この世はすべてマトリックスであって、僕という人間は僕という人間を演じているにすぎない。
そう思うようになったのは、そうした不可思議体験を何度もしてきたからです。

それを証明することができればいいのですが、それは人が実際に体験してみなければ信じられることではありません。
僕もそうした体験をまったくしていなければ、おそらく完全な否定派に回っていたことでしょう。
しかし、それでも地球は回っています。
真実は、いつでも非常識です。
そんなことを踏まえつつ、今日は僕が今まで撮ってきた非常識な写真を集めてみたいと思います。
以前に載せた写真ばかりだとは思いますが、改めて検証してみたいと思います。
よかったら、最後までお付き合いください。


ほとんどの写真家やカメラの専門家は、まれにデジタルカメラに写り込むオーブと呼ばれる丸いものは、フラッシュ撮影の際に起こる塵や埃のピンボケ画像だったりレンズ表面に発生した光の反射の影響であって、決して霊的な現象ではないと説明しています。
それはその通りだとは思いますが、100%すべてのオーブ写真がそうなのかといえば実はそうではなく、僕は2〜3%ぐらいは本物の霊的な写真があると確信しています。
僕も何度かオーブ写真を撮りましたが、その内の何枚かは間違いなく霊的な写真です。

これは3年前の夏に撮った写真で、伯備線の備中高梁辺りです。↓
前日に伊勢神宮を参拝して、この日は出雲へと向かっていました。
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僕はこの時「なんだか五線紙のような雲がみえるなぁ」なんて思いながら、ぼぉ〜っと空を眺めていたのだけれど、向かい斜め左側に座っていた女性が突然カメラを取り出して五線紙雲を撮り始めたので僕もつられて撮り始めたのですが、これがその一枚目の写真。
ちょうど電信柱が来た所でシャッターを押してしまって「しまった!」と思ったのだけれど、後で見直してみたら、これが凄い写真でした。

まず、電車はかなりのスピードを出していたと思うのだけれど、電信柱がブレずにくっきりと写っています。
これだけでも、僕は何だか神懸かり的なものを感じてしまいます。
写真右側に僕の手とカメラが車窓に写ってしまいましたが、面白いのが写真やや左側に顔を半分隠した仮面をかぶったような人物が写っています。
これは車内に置いてあった何かが、僕のカメラを持つ手のように窓に写ったのではないと思います。
そして、電信柱のちょうど真ん中辺りに写った3つオーブ。
そのオーブが、数秒後にこのようになります。↓
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1枚目の写真が蕾みのように縮んでいるのに対し、2枚目はあたかも花が開いたように大きくなっています。
そしてそのオーブたちの下には、1枚目の仮面をかぶった人物が素戔嗚尊?の姿になってオーブたちを追いかけています。

そしてその数分後、井倉辺りで撮った写真には赤いオーブだけが写っていました。
他の2つのオーブたちは、どこへ行ったのでしょうか?
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他にもオーブらしきものが写っている写真は沢山あるのですが、ほとんどは光の反射の影響だと思われます。
例えば、この写真。↓
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これは籠神社の浦島太郎像を撮った時の写真ですが、場所が場所だけにいかにも霊的ではありますが、僕はこれは光の反射による影響だと考えています。
しかし伯備線で撮った写真には、間違いなく神々の御霊が写っていると思っています。
僕の向かい斜め左側に座っていた女性がいなかったら、これらの写真は存在していませんでした。
女性に感謝です。
ひょっとしたら、あの女性こそ神の化身だったのかもしれないなんて・・・。


次に、この写真↓はいかにも水滴によるピンボケ画像といった感じですが、オーブにはどこか意志が感じられます。(去年の春頃の写真)
僕はこの写真を撮る前に、金峯山寺蔵王堂(世界遺産)内にて蔵王大権現に正座をして拝んできました。
凄まじい霊力を感じていた矢先に撮った写真なので、これは空海さんの御魂が写っているのに間違いないと思っています。
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そして近くの吉水神社(世界遺産)にもお参りしたのですが、そこにもオーブが写っていました。↓
この後にも写真を何枚か撮ったのですが、ほとんどの写真にこのようなぼんやりとした白い玉が写っていました。
必ず建物の屋根の下(木鼻)とか木や山の影とか、色の濃い部分に写るという特徴があります。
そうした所に、意志のようなものを感じるのです。
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金峯山寺蔵王堂のPR動画があったので、貼付けておきます。↓
蔵王大権現は、間近で見ると相当に恐かったです。(苦笑)



今度はUFOです。
下の写真は2年前の夏に伊雑宮に参拝して、上之郷駅のホームで地元のテレビ局によるインタビューを受けた後(笑)、空が一面ピンク色に染まったので(おそらく観音様の降臨)、とりあえず何か写るかもしれないと思って急いでシャッターを切った一枚。
僕にはどうしても、黒い雲が人の形に思えてきてしまう。
その雲の人形の股からエンジェルラダーが放射されていて、その先にUFOらしき黒い点々(子供?)が見えます。
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そのUFOらしき部分(写真右下)を拡大します。↓
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この黒い点を鳥だと言って聞かない人がいます。
よ〜く見て下さい。
これが本当に鳥ですか?

同じ年の晩秋、桐生で同じようなUFOを撮りました。↓
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一緒に写っている飛行機雲も僕はUFO(クリスタル・ベル)だと思っていますが、それはまあ信じられなくても仕方がないですが、しかし沢山写っている黒い点を虫だと言って聞かない人がいます。
よ〜くよ〜く見て下さい。
虫がいたとしても、こんな風に写るものでしょうか?
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この一緒に写っている飛行機雲(クリスタル・ベル)には、ある特徴があります。
例えば、ケム・トレイルなら尾はいつまでも残っていて、徐々に広がり拡散していきます。
しかしクリスタル・ベルの尾は一定の長さも保って、ゆっくりと優雅に進んで行きます。
ただの飛行機にしてはあまりにも速度が遅すぎていて、まるで彗星を見ているかのようです。

ベルが空にXを描く時もあります。↓
一昨年の夏頃、米子のホテルから撮りました。
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これはコメで教えて頂いたのですが、Xはルーン文字のギューフ【7】を顕しているのだそうです。
意味:ギフト、愛情、才能
英字:G
解釈例:やさしさ、恋愛、人類愛、人を助けること、プレゼント
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これは↑、去年の春頃に再び伊雑宮に参拝したすぐ後に撮った写真です。
僕の真上でクロスしていましたが、飛行機のエンジン音はまったく聞こえず、周りもとても静かだったので、無音状態で僕だけに向けられたこの壮大なベルのイベントを鑑賞していました。
まるで海の底から水上を見上げているようでした。


下の写真は、太陽が2つに見える「幻日(げんじつ)」という自然現象です。
一昨年の秋に撮りました。
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そしてこれは↓3年前の冬に携帯で撮ったものですが、左端に妙な虹色の光が見えます。
僕はこの時、肉眼で妙な虹を見ていたのだけれど、「幻日」にしてはどうもおかしいと思っていて、それで試しに写真に撮ってみました。
その妙な虹は撮れなかったのだけれど、このように妙な虹色の光が左端に写っていました。
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これは巨大UFOの縁に出来る光の屈折によるものだと考えています。
肉眼で見えていた虹が写真でこのように写るという事実は、どうみても自然現象とは考え難く、マトリックスを感じざるを得ません。


最後に霊的な写真を幾つか・・・。
これは去年の桜の咲く時期に撮った富山城の写真ですが、妙な光が写っています。
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この写真を撮る時、なぜかなかなかシャッターが下りず、指にもの凄い力を入れてやっとのことで撮ったのですが、噂によれば、そういう時は霊的な何だかの力が働いているそうです。

妙な光の部分を拡大します。
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やや右側の赤と緑の丸い光は右下のライトの屈折かもしれませんが、天守閣の上に写っている伊達政宗の兜のような大きな半円は霊的なものがあると思います。
僕の父方のご先祖様は前田利家公の家臣だったそうなので、そういったことも何か関係があるのかもしれません。

これも去年に撮った写真です。
飛鳥地方にある吉備姫王(きびひめのおおきみ、きびひめのみこ)の墓ですが、写真にはぼやけている部分があります。
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最初は雨で水滴がレンズに付着したためだと思っていたのですが、どうもそうではなさそうです。
時空の歪みのようなものが写っている可能性があります。
幼い頃にここに来た夢を見ていて、ここの主と会ったのを憶えています。
夢のデジャブです。
ここを立ち去ろうとした時、女性の声が聞こえてきました。
周りには僕以外、誰もいませんでした。
この不思議な体験も、ご先祖様と何か関係があると感じています。


この世の中は、今日書いたようなこれらの記事をくだらない産物だと捉えて、一笑に付す人たちばかりのように思えます。
それはテレビによる影響が大きく、オカルト番組にお笑い芸能人を起用したりして、こんな馬鹿げたこと信じている人はきっと頭がおかしいとか幼いとかいう風に仕向けられてきた社会的背景があるのです。
この世に宇宙人など存在しない、幽霊など存在する筈がない、すべては科学で証明できると主張している人たちは実際には井の中の蛙であって、この世の本当の姿が見えないか、見ようとしていない人たちなのです。

しかし本当に大切なのは、こうした目に見えない世界であって、本来はそうした世界こそがすべての人間にとって人生の指針となるべきものなのです。
縄文時代の人たちは、きっとそうでした。
誰もが第三の目で、多くの現代人には見ることが出来ない超現実世界をしっかりと捉えていたに違いありません。

この物質社会、資本主義社会は完全に行き詰まっています。
この社会の崩壊は、もうすでに始まっています。
今は、セパレーション(分離)の時代からユニティ(統合)の時代へシフトしている時期。
パラレルワールドの使者たちは、頻りにそのことを訴えかけているような気がしています。
大事なのは物質→精神を自分の中で確立させ、周波数を上げて世界の平和を願うこと。
地球の裏側にいる人も、金持ちも貧乏人も、動物も植物も、生きとし生けるすべてが掛け替えのない命であり、優も劣も、善も悪も、上も下もない、完全に調和した世界を瞑想すること。
ひとりでも多くの人が、その瞑想に参加して頂きたいのです。
オーブたちも、空海さんも、クリスタル・ベルたちも、きっとそう思っているに違いありません。


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