piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

ここのところ、ある方からよくコメントをいただくのですけれど、その方には大変申し訳ないことなのですが、コメの返信ではなくてこれは一層のことブログ記事にしてしまおうかと思い立ちました。
また、これはできるだけ多くの人に知っていただきたいことでもありますので・・・
それは「常識」っていうことについてです。

このブログをずっと読んでくださっていた方ならご存知だとは思いますが、僕は社会の常識を壊そうとしている人間です。
そこに決して悪意がある訳ではなく、その常識は本当に理に適っているのか?このままその常識を疑いもせずに生きていて大丈夫なのか?本当の真実はいったいどこにあるのか?ということを、僕はロジカルに表現したいと思っているのです。

社会の常識を壊すためには、実は誰よりもまず自分が社会の常識人になっていなければ真に常識を壊すことはできません。
ただ闇雲に「社会のルールがなんだ!壊しちまえ!」などと言っていたら、犯罪者になって捕まるか、あるいは病院送りになるだけです。
真に壊していくためには、博学になって常識というものを知り尽くした上に、それこそシャーロック・ホームズや杉下右京もびっくりな頭脳明晰さが求められるのかもしれません。

考えてみると、僕も今まで随分と失敗を繰り返してきました。
その原因は、殆どが社会的常識のなさだったような気がします。
だからこそ常識の大切さがわかり、その上で更なる高みを目指して新たなる世界を築くために、「その常識を疑え!常識を壊そう!」とブログ内で持ちかけている訳です。

なんたってあなた、巨大な闇の勢力に立ち向かおうっていうんですから・・・(笑)
正義の味方になって、弱者の味方になって、別にアニメのヒーロー気取りになったっていいじゃないですか!
実は、それぐらいの気持ちが必要だったりします。
これは、「ことなかれ主義」には絶対できないことです。
受験勉強ややりたくもない仕事よりも、ちょっと視点を変えただけで、こっちのほっがよっぽど大事なことに思えてくるのです。


話しがだいぶ逸れてしまいました。
僕は人に対して、だいぶ許容範囲は広いと思っています。
どんな人に対しても決して差別をせず、公平かつ平等に判断しています。
そんな自分でさえも、ある一線を越えられると我慢ができなくなります。

最低限度の誰もが当たり前のように持っている常識ってやつがある筈です。
真夜中の1時過ぎに、「今地震がありました。大丈夫ですか?」というメールを受け取ったら、どう思いますか?
よっぽど親しい友人だったとしても、怒るのが普通ですよね。
しかも親しい友人でもなんでもなくて、つい最近コメのやり取りするようになって一度お会いしただけなのに、真夜中の1時過ぎにメールはあり得ないですよね。
(◯さん、ごめんなさいm(_ _)m、でも、こうでもしないと、わかってもらえないと思い・・・)

前にも、二度ほど似たようなことがありました。
今までは大目に見ていしたが、今度ばかりは一線を越えてしまったのです。
それは、僕がまだまだ未熟だからでしょうか?
親切も、度が過ぎればいい迷惑になるのです。
地震や台風がある度にメールしてきたら、誰だってウザくなりませんか?
それさえも我慢しろと・・・?

きっと◯さんには理解ができないんでしょうね。
心配してメールしているんだから、そんなことで相手には迷惑がかからないのだと、そう思っているのでしょうね。

だから、僕は◯さんはきっと宇宙人に違いないと思っているのです。
地球人の気持ちが全然わからない。
この社会での最低限度の常識というものが理解できない。
ただただ良いことは良くて、悪いことは悪いと・・・。
しかしこの世の中、そんなに単純ではないのです。
人の心の中には、色々な思いが重なり合い絡まり合っているのです。
人との繋がりは、暗黙の了解と本物の思いやりの上に成り立っていくものなのです。
それはもう、僕の記事を読んでいただいているのなら、おわかりいただける筈です。
本当の親切心は、言葉ではないのです。

前述しましたように、まず何かを成すためには、誰よりも常識人である必要があるのです。
そのためには、想像力が必要不可欠です。
こういう行動をしたら相手はどう思うか?とか、こういうことを書いたら人からどう解釈されるか?とか、そういうことが何よりも大前提になってくるのです。
そしてさらに人を動かすということになってくると、二手三手先を読んで挑んでいかなければならないという高度さが要求されるのです。

それには、自分を客観視することができなければ不可能です。
決して自分を中心には考えない。
自分はこの広い宇宙の一部にすぎない。
自分はこの世界のすべてと繋がっていて、この世界のためなら自己犠牲をも厭わない。
そこまでやって、はじめてアセンションという言葉を口にできる。
そうではありませんか?
2018091201


追伸

記事を書いた後すぐにコメントをいただいたのですが、統合失調症という病気を患っているらしいです。
◯さんのブログに病気のことがちょっとだけ書かれていたような気がしたのですが、僕はすっかり忘れていました。
◯さん、すみません。m(_ _)m

実は、30年もの長い間付き合っていた友達が、同じような病気を患っていました。
随分その友達とは喧嘩をしてきましたが、友達はずっと病気のことを僕に隠していて、病気のことを僕に告げたのは10年くらい前だったかな?
それからは、僕は喧嘩をしないように気をつけるようにしました。
一昨年に友達が別れを告げて、それからはまったく会っていませんし、電話もかかってきません。

だから、僕はこの病気のことをとてもよく知っています。
もともとは、彼らは天使のような心を持っているのです。
彼らの本心は、ただみんなと仲良くしたい、多くの友人を持ちたいと思っているだけなのですが、周りの空気を読むのが苦手で、なかなか上手く周りと打ち解けることができません。
だんだん妄想癖が強くなり、被害妄想まで出てきてしまうともう手に負えません。
今は薬である程度までは抑えることができるそうですが、完治することはないのだそうです。

脳学者のジル・ボルティ・テーラー博士が脳の研究をするようになったのは、統合失調症という脳障害を持つ兄のためだと語っています。
博士は自分自身も脳卒中で倒れてしまい、その体験を「奇跡の脳」という本にしたためました。
その中で博士は、右脳は今を生きる脳でスピリチュアル的であり、左脳は過去と未来を考え、計算や言語をつかさどり、周りから独立して個性となる脳だと語っています。
↓のテーラー博士のTEDの動画は、とても参考になります。
是非、ご覧になってみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=BsSWaYITW4g

統合失調症の原因は、医学的にはまだ不明なのだそうです。
僕の考えでは、情報伝達物質の量が極端に少なくなって、右脳と左脳の情報のやり取りが上手くいかなくなる病気なのだと思っています。
比較的傷つきやすい繊細な人が、長い間何かに悩み苦しんでいたり、とても大きなショックを受けると、この病気にかかりやすくなるのだと思われます。

僕が大好きな作曲家マーラーも、同じ病いに苦しんでいたといいます。
精神科医のフロイトは、マーラーの芸術の根源にはこの病気があるとして、完全には治さなかったといいます。
実は統合失調症の芸術家は非常に多く、妄想癖ではなくて豊かな創造性の方に目を向けてあげれば、素晴らしい才能が開化する例も少なくありません。
だから、統合失調症だからといって、全然落ち込む必要なんてないのです。
むしろ、正常な人間よりも優れている部分が沢山ある訳ですから、そこを生かしていくべきなのです。
(もちろん、それには周りにいる人たちの協力が必要なのですが・・・)

それだけではなく、僕がブログでずっと追い求めてきた「自然の真実」、つまり「目に見えない真実」が見えている可能性があるのです。
もちろん、ただの妄想もあれば、魔界と繋がっている場合もあります。
だから、周りにいる人たちが、上手くリードしていってあげる必要があります。

僕の経験上、彼らは時々、本当の「真実」に触れています。
何故か知りませんが、本人たちは必ず否定しますが・・・


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「この世には、知らない方がいい真実もある」と語る人たちがいます。
日本に、そう考えている人たちが結構いるということに驚かされます。
この考え方は、正直僕には理解ができません。
たとえどんなに自分にとって不都合な真実であるとしても、それでも真実を知ろうとすることこそが、人が生きていく上でもっとも大切なことだと思うからです。
知らなくてもいい真実など、この世には絶対にないと思います。
もちもんショックを受ける真実もあるとは思いますが、それよりもウソを信じてしまう方がよっぽど恐ろしいです。
真実を知っていれば、たとえどんなに大きな危機に対しても、それなりの対処ができる筈です。

しかし、そもそもなぜ「知らない方がいい真実もある」などという考えが生まれてくるのでしょうか?
多くの歴史は、権力者たちによって捩じ曲げられてきました。
たとえば、キリスト教カトリックには「知識は罪」という教義があります。
知識の実だけは絶対に食べてはいけないと神が言ったのに、蛇が唆してイブがその実を食べたという話しは、まさに「知識は罪」に繋がっていきます。
支配する者が支配される側の反発を恐れて、そういう教えを世界に撒き散らしてきたのです。
知識を持つことは、教皇や枢機卿などの権力者のみが許されていることで、下層部の人間には許されていないのです。

だからカトリックは、グノーシス(知識)などの原始キリスト教を徹底的に弾圧しました。
知識を人類に教えてくれた蛇を良い存在だとするグノーシスが許せなかったのです。
1209年の「アルビジョワ十字軍」によるカタリ派大虐殺は有名です。
13世紀に魔女裁判が本格化していきましたが、そもそも魔女が行っていた術というのは目に見えない世界(アストラル界)の「真実」をこの物質世界に応用した訳です。
時には動物の骨や薬草を使って惚れ薬などを作ったりと、ある意味で知識人であり知恵者だったのです。
このように「真実」を追求しようとする者を、カトリックは徹底的に世界から排除していきました。

ガリレオが2回目の異端審問の際に、「それでも地球は動いている」とつぶやいたという説は有名です。
それから映画『薔薇の名前』では、教会にとって都合の悪いことが書かれているアリストテレスの『詩学』第二部を殺人まで犯して隠そうとする教会側と名探偵ウィリアム(ショーン・コネリー)の対立が描かれています。


日本にも、似たようなことはありました。
古事記と日本書紀は、地方の有力豪族をとりまとめ、天皇家の正当性を主張するために天皇家が編纂したものです。
本当にあった出来事を、天皇家にとって都合のいいものに作り替えていったのです。

こう考えていくと、真実を知ってしまうことで権力者たちから命を狙われる危険があるということを、我々はどこか潜在的な部分で感じているのかもしれません。
「触らぬ神に祟りなし」というか「ことなかれ主義」というか、特に日本人というのは「お上には逆らわない方が安全だ」という思考になりやすい人種なのかもしれません。
日本はずっと封建社会だったので、将軍家が通る時には町民は土下座をしなければならなかったですし、地方によっては下級武士は上級武士が通る時には必ず土下座をしなければならなかったようです。

現在の日本も、世界に比べると相変わらず強い縦割り社会の構図が続いています。
最近でも、貴乃花親方の引退がメディアを賑わかせていますが、相次いでいたスポーツ界のパワハラ問題も、これも「お上には逆らわない主義」の表面化であったように感じます。
先日の総裁選で安倍首相が圧勝したというのも、言ってみれば周りがみんな「ことなかれ主義」だったということ。
現に石破氏に一票を投じたと明かしていた小泉進次郎氏は、今日の第4次安倍改造内閣で筆頭副幹事長を退任させられています。
破門が恐くて何も出来ない構造、それがこの日本社会の実態です。
しかし、時代はピラミッド型社会から格差のない公平な社会への過渡期に入っているので、こうした構造はなし崩しになっていくと思われます。
2018092801
日本のアカデミズムは長い間、縄文時代には文字はなく原始的な狩猟生活を送っていたと発表していました。
しかし、三内丸山遺跡の最新の研究で、どうやら縄文文化は約15000年前におこったということがわかってきています。
世界最古の土器は、青森県蟹田町の大平山元1遺跡から出土したもので、なんと16500年前とのことです。
それは、四大文明を遥かに遡ります。
トルコで発見されたギョベクリ・テペ遺跡でさえ、11600年前です。
超古代史『ホツマツタヱ』によれば、初代天皇は神武ではなく、縄文時代草期にはすでにクニトコタチという天皇(アマカミ)がいたようです。

日本のアカデミズムは、なぜか神武以前の神代の時代を解明することをタブーとしていました。
日本のペトログリフ研究は、1980年代になって吉田信啓氏によって進められました。
しかし日本では相手にされず、吉田氏はアメリカに渡って「日本のペトログリフの99%はシュメール文字として解読できる」と発表したところ、なんと国際会議でその研究結果の承認を勝ち得ているのです。
そして今や、縄文研究は世界の注目を集めるようになりました。
日本の学会で、人類は縄文から始まったなどと発表していたら破門されていたというのに、世界の学者たちがそれを認め始めると、日本は慌てて漸く調査を始めたのだから皮肉なものです。
今まで「鶴の一声」ですべてが決められていたツケが回ってきたのです。


「知らない方がいい真実がある」ということを認めることは、権威主義を認めていることと同じです。
僕らには知る権利があるし、そして知らなければならない多くの本当の真実があります。
しかし、未だに多くの本当の真実がメディアによって歪められ、多くの人が洗脳されている訳です。

日本は太平洋戦争において、敗戦国になりました。
戦後70年、未だ「敵国条項」は機能しています。
アメリカの属国とまでは言いませんが、少なくとも戦後に歴史の教育がGHQによって大きく書き換えられたことは事実です。
日本が二度と立ち上がれないようにするために、3S政策などが取り入れられたのも事実です。
そうやって、日本人は骨抜きにされていきました。
 
闇の勢力ともいっていいアメリカに強い反発心を燃やしているのは、知事選で辺野古新基地反対派の玉城デニー氏を初当選させた沖縄県民ぐらいなものです。
あとの殆どの人たちは、正義など微塵もない「ことなかれ主義」なのです。
たとえそれが、どんなに間違ったことであろうと・・・
違いますか?
2018092802
新しい発見がある度に、常識は塗り替えられていきます。
ただでさえ、本当に正しい真実がどこにあるのかということを追求していくことは、実に困難です。
しかし少なくとも、13世紀の天動説を真実と考えていた人たちと同じような思考回路に我々はなっていないだろうか?
そういう疑問を常に、世間に呈していく必要はあるのだと思います。

人類には、まだまだ未知の領域が沢山残されています。
その未知の領域を開拓していこうとする精神が、そもそも人間には誰しもが持っていた筈です。
UFOとか宇宙人とか幽霊とか、そういう話しを聞いただけで馬鹿馬鹿しいと思ってしまっていては、いつまで経っても井の中の蛙から抜け出せないでしょう。
 
Eテレの『100分de名著 ウンベルト・エーコ 薔薇の名前4「謎は解かれるのか」』で、人類学者の中沢新一氏が面白いコメントをしています。
「人間は記号によるしか世界を解釈する方法を持っていないんですよ。で、自由に作ることはできるんですけれども、自然の真実にはそのまま触れることができないというのが人間の運命だっていうのが、記号論の世界観だったですねえ。」

ロズウェル事件の真相は明らかにされてはいませんが、しかし僕自身はUFOを目撃したり宇宙人らしき人物に遭遇しているので、異星人がこの地球に来ているのは間違いないと思っています。
僕ら人間は、言葉などの記号を使って誰かに何かを伝えたり解釈したりしていますが、高次元にいけばいくほど記号といった物質的なものはなくなり、何か今の僕らには到底理解できないようなエネルギー的な方法を使ってコミュニケーションをしていくような気がするのです。
文化というものを持たない自然には、そういうエネルギーで満ち溢れているような気がするのです。
人間は文化を持ったために、そういった何かを失ってしまったのかもしれません。


上の2枚の写真は、先週(台風が来る前)撮りました。
彼岸花に5〜6匹のアゲハチョウが来ていました。
普通のアゲハチョウは僕の目の前まで飛んできてくれるのですが、クロアゲハやアオスジアゲハはなかなか来てくれなくて、すばしっこく目の前を通り過ぎるだけでした。
僕は彼岸花が咲いている場所からすぐ近くにあったベンチに腰を下ろして、クロアゲハが来てくれるのをしばらく待っていました。
クロアゲハの孔雀のような模様をした美しい後ろばねを撮りたかったのですが・・・

しかし来てくれそうな予感がなかったので、諦めて帰ろうと思った瞬間、1匹のクロアゲハが僕の目の前に飛んできてくれました。
写真を撮ろうと思ったのですが、恥ずかしいのか、彼岸花の後ろの方に隠れてしまいます。
やっぱり撮らせてはくれないのかなと思っていると、さっきまで愛想よくしてくれていたアゲハチョウがクロアゲハに近づいて来て2〜3回ちょっかいを出すと(写真↓)、クロアゲハが前の方に出てきてくれて、僕の気が済むまで写真を撮らせてくれました。
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羽は、写真を撮るには痛々しいほどボロボロした。
繁殖期なので、メスを巡ってオス同士がぶつかり合うのでしょう。
上のアゲハチョウも、羽がボロボロです。
蝶を綺麗に撮るには、ちょっと時期が遅すぎたようです。

「あんたちょっと、羽がボロボロじゃない」と言いながら僕はクロアゲハに手を近づけていったのですが、クロアゲハは逃げるどころか、なんと手に乗っかってきそうになりました。
僕はびっくりして手を引っ込めたのですが、あんなにすばしっこくて警戒していたのに、1回気を許すと本当にフレンドリーになるのだなと、この時僕はスゴい新たな発見をしたような気持ちになりました。

凄く愛想の良かったアゲハチョウの紹介で、僕はこのクロアゲハと友達になれたような気がしていました。
僕は何度もクロアゲハに手を振って別れを告げて、家に帰りました。
周りにいた人たちからは、変に思われていたかも知れませんが・・・

僕がどんなにテレパシーの能力があったとしても、蝶たちがそれを受信してその言葉を理解する筈がありません。
蝶たちに僕の思いが伝わったのは、人間が暗黙の了解で使っている記号などではなく、「自然の真実」に僕が触れることが出来たからということになるのです。
それこそがきっと、魔女が利用していた目に見えない世界の「真実」なのです。

今、時代はその「真実」に目覚めようとしているのです。
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台風一過の今日、またいつも通りに水元公園までサイクリングしてきましたが、大きな木が何本も倒れていて凄かったです。
だいたいの想像はしていましたが、想像以上でした。
ついつい写真を撮るのに夢中になっていると、大きくて重そうなカメラを持ったおねえさんが、倒れている木を見ながら「凄いですね」と声をかけてきました。
「ホントに凄いですね。自転車も通れない」と僕は笑いながら言いました。
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関東は台風の進路から少し外れていたのにこんなに酷いのだから、沖縄や四国や紀伊とかはどれほど酷かったのだろうかと思うと、ちょっと恐くなります。
でも、それほど死者が出なくて、本当によかったです。
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台風でこんな光景(写真↑)、今まであったでしょうか?
こうなるともう、台風ではなくてハリケーンですね。
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葉っぱも青々としていて、倒れなければあと何十年、何百年と生きられる木だろうに、根元のところで完全に折れてしまっています。

こんな凄い風の中、生き物たちはどうしていたのか心配でした。
一匹だけアゲハチョウの死骸を見かけました。
だけど、チョウやトンボが何匹か元気に飛び回っていたので、無事に乗り越えた虫たちもいるのだなと思いました。
鳥たちも夜眠れなかっただろうに、何事もなかったかのように魚を捕まえていました。↓
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実は2〜3日前から「知らない方がいい真実などあるのだろうか?」という、ちょっと難しい記事を書いていたのですが、台風が衝撃的すぎて、台風の記事を先に更新してしまいました。
難しい方の記事はまだ出来ていませんが、明日更新しようと思っています。

今日は簡単に書きましたが、明日更新する記事は相当に悩みながら書いていますので(苦笑)、ご期待ください。
2018100106


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また、箱根の方へ行ってきました。
箱根で一泊した後、河口湖まで行って、その後山中湖で一泊して帰ってきました。
ひとり旅ではないので自由行動はあまりできませんでしたが、二カ所ほど神社に参拝することができました。
曇りの日が多かったのでクリスタル・ベル(UFO)がなかなか出現しなかったりと、いつもに比べると不可思議現象は少なかったのですが、最後に素晴らしい奇跡の連続がありました。

5月に箱根の九頭竜神社にお参りしてきたのですが、今回も初日にお参りしてきました。
前回来た時には紫色の蝶が道案内をしてくれたのですが、今回は現れませんでした。
本当は神社に参拝するのは午前中がいいのですが、午後だったので、それでなのか?
それとも、初めての参拝の時は手招いてくれたけど、2回目からは〜ということなのか?


今日のブログは、写真を中心にして書いていきたいと思っています。
特に、苔に注目して写真を撮ってみました。
鮮やかな緑色をした苔がびっしりあるところは、それだけ自然の良い波動がいっぱい出ているという証拠です。
逆に、黒ずんでいたり色の薄い苔が生えている場所は良くありません。
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ここのところ嵐のような天気が続いていたので、九頭竜神社へと続く道は落ち葉がいっぱい落ちていました。
道の脇の木製の手すりを見ると、びっしりと苔が生えていました。
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石垣にも、ご覧の通り。↓
晴れている日よりも、曇りの日の方が、苔は美しく感じられます。
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九頭竜の森にある白龍神社の御神木の根元のところにもびっしり。↓
三つ葉などの食べられる草もたくさん生えています。
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写真↓の倒れている木の水面に近いところにも、苔が生えています。
芦ノ湖の水は、富士山の高地に降った雪や雨が数十年もの歳月をかけて地下水としてロ過されてきたものなので、水自体にすごく良いエネルギーが満ちています。
だから、この辺りの水を飲んでいるだけで、元気になったり病気が治ったりするのです。
東京の水とは、同じ水でも波動がまるっきり違います。
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緑の森に、九頭竜神社の赤いお社が映えます。↓
お参りする人たちの、それぞれの思いが詰まった場所。
龍神様の気配を感じつつ、僕も手を合わす。
世界が平和でありますように・・・
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どんなに小さな芽にも、宇宙からの意志が宿っているような、ここはそんな場所です。
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ホテルに戻る途中、森の向こう側に見える芦ノ湖がひときわ美しく感じられて、自分の中の何かが化学反応でも起こしたかのようです。
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翌日は、河口浅間神社にお参りしてきました。
ここは数ある浅間神社の中で、もっともパワーがあるといわれている神社です。
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平安時代初期、貞観六年(865年)に富士山の噴火があったそうで、甚大な被害に見舞われたそうです。
翌年に富士山鎮火祭が行われて、その時にこの神社が建てられたそうです。
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参拝した後は、御本殿の裏側に「境内七本杉」というのがあるのですが、この7本の杉が北斗七星の形をしていて、そこから発せられているパワーが凄いらしく、見に行くことにしました。
北斗七星の柄杓の部分が、この池なのだそうです。↓
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写真↑右上に見えるのが拝殿。
真ん中上のやや左に見えるのが、一号杉です。
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奥から順に二号杉、三号杉、四号杉。↓
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五号杉と六号杉は、合わせて両柱杉(二本杉)、または男女杉とも呼ばれているそうです。↓
「伊邪那岐命(男神)と伊邪那美命(女神)の二柱の神、男対女その交媾によって創造の世界を生ずる思念が形姿に現した神樹(良縁・縁結びの杉)」と書いてあります。
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写真↑の左に見えるのは、諏訪社。
右側には、出雲社があります。(屋根)
物部系ですね。
奥に見える七号杉は天壌杉(てんじょうすぎ)と名づけられていて、根廻りは30m、樹高43mもあって、7本の中で一番大きくてパワーも一番強いです。

木の根元を見てください。
苔の鮮やかな緑色が、とても美しいです。
それだけ、素晴らしい波動が発せられているということです。

他にも、連理(れんり)の楓、美麗石(ひいらいし)などなど、見所がいっぱいあります。


この後は、山中湖にて一泊しました。
ホテルに着いた後、まだ夕食まで時間があったので、カメラを持って少し辺りを散策しました。
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富士山は残念ながら、雲で覆われていました。
でも、雲の合間から溢れてくる光がとても美しくて、僕はもうこれだけで十分満足でした。
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ちょっと荒い波、そして白鳥たちのその向こうの雲が、少し虹色を帯びていました。
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僕の頭上にも、エンジェルラダーが降りてきているようでした。
ススキの穂が、黄金色に光っていました。

ホテルに戻ったら驚きました。
富士山のてっぺんが顔を出していて、そこから一筋の長い龍雲が浮かんでいました。
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富士山を覆っていた雲が、見る見る間に消えていきました。
写真↓の左上には、また新たにクリスタル・ベルが空に白線を描いていました。
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写真↑の右上には、黒い点のように見えますが、黒いUFOが出現しました。
鳥や虫などではなく、間違いなく黒いUFOです。
パワーのある神社に参拝した後は、必ず現れます。
まさか、天気まで変えて現れてくれるとは思いませんでした。
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富士山が顔を出してくれたのは、本当にこの一瞬だけ。
あっという間に、また厚い雲に覆われてしまいました。

他にも何枚か同じような写真を撮ったのですが、黒いUFOが写っている写真がないか探してみました。
そうしたら、ありました。↓
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富士山のてっぺんよりやや左上にひとつと、右上の木に近いところにもひとつ。↑
これで、わかるかと思います。
神社に祀られている神様とは、宇宙人のことなのです。
宇宙人やUFOは異次元の存在なので、普段は見ることができませんが、時々次元を下げて波長を人間たちに合わせて、その姿を僕らに示してくれるのです。
とてもとても手の込んだ、遠回しなやり方で・・・

この後も、不可思議なことは続きました。
露天風呂に入ったら、白くて綺麗な羽根が湯船のすぐ傍の石の上に落ちていました。
天使からのメッセージだと、すぐにわかりました。

家に帰ってスーパーで買い物をしていたら、宇宙人おばさんと僕が呼んでいるおばさんに、また遭遇しました。
僕の傍にきて、僕が買おうとしている品物に先に手を出してきたりしました。
何だかそうやって、僕の波動を測っているみたい・・・

今日、朝目覚めたら、久しぶりにUFOのエンジン音が聞こえていました。
それから、お散歩中の犬が、僕に興味を示して近寄ってくる。
何だか、次元がわずかに変わったのを感じます。
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帰りの途中、富士吉田の道の駅で、野菜を沢山買いました。
(写真↑は、だいぶ料理に使った後ですが・・・)
富士山の湧き水で育った野菜だから、野菜から発せられる波動が高いんだと思います。
みずみずしさが違うし、味もしっかりしています。
そして、値段がすごく安い。

こんなに良いことずくめなのに、どうして人は都会に集まって来るのだろうか?
どうして僕は、それでも都会から離れられないのだろうか?


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僕は映画は好きなのですが、映画館のあの大音量がとにかく苦痛で、とても座って観ていられたものではないので、観たい映画がある時はTSUTAYAで借りてきてPCで観るようにしています。
そうすれば、音量は自分で調節できます。
TSUTAYAは5本借りて1080円ですが、そんなに沢山は観たい映画はないので、2〜3ヶ月に5本一気に観るといった感じにしています。

ホラーやアクションなどは殆ど観ません。
たまに間違えて借りてきてしまうことがありますが、その時は途中で観るのをやめます。
相変わらず、脳に悪影響を与えてしまう映画は多いようです。
がっかりすることが多いです。
本当に、人が沢山殺されるシーンを見て楽しんでいる人たちの気が知れない。

借りる映画は、殆どがSFか歴史モノです。
SFは映画も小説も、結構隠された真実が描かれていることが多いです。
スピルバーグは宇宙人に会っていたとか、『スター・ウォーズ』は実際にあったオリオン大戦を再現しているという話しもあります。
もちろん常識的に考えれば有り得ないことですが、僕もずっとブログに書いてきたように、何度もUFOを目撃したり、宇宙人らしき人物に遭遇したりしてきました。
古代人がずっと神と崇めてきた宇宙人が、今でもこの地球を傍観し続けているのは間違いないと思っています。
この世の中は、まだまだ未知なるもので溢れているのです。
『ET』や『未知との遭遇』は、高度に進化した知的生命体から感化されて作られた可能性が高いです。

しかし、作り話も多く、どの部分が本当の真実なのかを見極める目を持っていなければ大変危険です。
特に、恐怖心を煽るような映画は要注意です。
また一見良さそうな映画でも、闇の勢力の罠が仕掛けられていたりする場合が多々あります。
僕はそういう映画を観ていると波動で感じ取って、とても不快な気分になります。
そういう映画を観ていても何も感じない人は、すでに洗脳されている可能性があります。
だからこそ第三の目を開いたり、自然の法則を感じ取れる能力を身につけたりする必要があるのです。


最近、『ダークタワー』という映画を観ました。
かなり過激なガンアクションもありましたが、主人公が見る夢のこと、大地震が起こる原因、この現実世界(根本世界)と仮想世界(中間世界、異次元世界)の関係性などなど、「あっ!コレ体験してる!」と思う箇所が幾つもありました。
映画『マトリックス』もそうでしたが、この映画も所々で真実に近い描写があると感じました。

原作はあのスティーヴン・キングで、僕は読んでいませんが、ネットで調べてみると映画とは全然違うようです。
原作もすごく面白いらしいのですが、かなりの長編らしく読むには覚悟が必要のようです。
僕は以前、スティーヴン・キングに結構嵌まっていた時期があるのですが、今色々と思い浮かべてみると、スティーヴン・キングも隠された本当の真実を知っていた人物だったのではないかと感じます。
何割かは空想で書いて、何割かは隠された真実をもとに書いているのではないかと思います。
そうじゃないと、たぶんああいう小説は書けません。
僕が苦手なホラー小説も多いですが、読んでいるうちについついのめり込んでしまうのは、人間の心理描写がとても上手いだけでなく、これは真実が描かれていると無意識的に感じるからかもしれません。
潜在意識の中に眠っている何かが、呼び起こされるのかもしれません。
意外にスティーヴン・キングが好きな人は、覚醒しやすく洗脳され難いかもしれません。
thedarktower
もうひとつ、ずっと楽しみにしていた映画があったのですが、こちらの方はちょっと期待はずれでした。
『空海―KU-KAI―』という映画なのですが、空海に関する歴史ミステリーを描いた作品なのかと思いきや、まったく違っていて、1200年以上前の中国の長安で起きた事件を染谷将太君扮する空海が解決するといった、所謂歴史モノ風の探偵映画でした。
中国版、映画『薔薇の名前』といった感じ。(ショーン・コネリーと染谷将太君では、だいぶ違いがありますが・・・)

中国語のタイトルは『妖猫伝』となっていて、主役は空海ではなく黒猫クンでした。
最初からそういう映画だとわかっていれば、こんながっかりすることもなかっただろうに・・・
セットや衣装がとても美しかったし、染谷将太君の演技も結構良かったし、全体のストーリーもなかなか面白かったと思います。
失敗は、日本版のタイトルを『空海―KU-KAI―』にしてしまったことだけ。
これでは観客が勘違いしてしまいます。


それはそうと、この映画を観ているうちに、僕の中で新たな歴史ミステリーが浮かび上がってきました。
空海と楊貴妃の関係です。
映画では、空海が留学僧として長安に渡る30年前に、楊貴妃は「安禄山の乱」の際に亡くなっています。
空海と楊貴妃が、こんな近い年代に生きていたのだろうかと調べてみました。
楊貴妃は756年に37歳で亡くなっていて、空海はそれから18年後の774年に生まれています。
そして空海は804年の30歳の時に唐に渡り、それは楊貴妃の死後48年後のことでした。
(楊貴妃がもし生きていれば、85歳です。)

映画の中で空海の探偵の相棒役になっていた白楽天(白居易)は、「長恨歌(ちょうごんか)」で楊貴妃の美しさをこれでもかというくらい詠んでいます。
白楽天は772年生まれなので、空海より2歳年上です。
当時長安では空海と白楽天は互いに詩人、仏教家として著名な人物だったので、実際に2人が会っていた可能性は非常に高いです。
そして白楽天が「長恨歌」を書いたのが806年で、空海が日本に帰国するのと同じ年です。
つまり空海と楊貴妃は、白楽天が書いた「長恨歌」で繋がってくるのです。

楊貴妃といえば、玄宗皇帝が寵愛しすぎたために「安禄山の乱」を引き起こしたので、「傾国の美女(尤物)」と呼ばれています。
なぜ安禄山(あんろくさん)が反乱を起こしたのかは謎とされていますが、きっと安禄山も楊貴妃にハートを射抜かれてしまったひとりなのでしょう。
楊貴妃を自分のモノにしたいがために反乱を起こしたのだけれど、それが切っ掛けでまさか楊貴妃が殺されてしまうとは思わなかったのです。
楊貴妃を失った空しさに、きっと耐えられなかったのだと思います。
安禄山は折角落とした長安を離れ、自暴自棄な生活を送ったうえに、反乱から半年後に息子に暗殺されてしまいます。
(美女の奪い合いで戦争が起こるというのは、何だかギリシャ神話のトロイア戦争に似ています。)

一方玄宗は、唐の宰相の楊国忠(ようこくちゅう)が敗れると、将軍の陳玄礼(ちんげんれい)に護衛を命じ、蜀への脱出を計ります。
ろくな食糧の用意もなく旅立った兵士たちは不満を爆発させて、仲間たちを死に追いやった楊国忠を惨殺し、放漫な生活を送っていた夫人たちにも次々と襲いかかり殺害します。
そこで、玄宗は兵士たちをなだめるために、兵士たちの上司である陳玄礼に兵士たちの気持ちを代弁させます。
そして、陳玄礼は楊貴妃の死を要求します。
玄宗は宦官の高力士(こうりきし)に楊貴妃の殺害を命じ、高力士は楊貴妃を近くの仏堂に引き入れて締め殺しました。 
楊貴妃の死を確認した陳玄礼は、兜を脱ぎ鎧を捨てて玄宗に罪を請うたそうです。

しかし、高力士は近くの仏堂に楊貴妃を引き入れて締め殺したフリをして、実は楊貴妃を眠らせただけだった可能性もあります。
兵士たちは高貴な楊貴妃の遺体に触れる事はできなかったので、触って死を確認したのは陳玄礼だけということになります。
高力士が陳玄礼と密約を交わしていれば可能です。
実は高力士も安禄山と同じく、楊貴妃に憧れを抱いていたという噂があったようです。
ずっと憧れ続けていた女性を、絞め殺すなんてことができるでしょうか?
(映画ではどうなっているのかを書いてしまうと、ネタバレになってしまうので書きません。もっと意外な展開になっているとだけ書いておきます。)
kukai
日本の山口県長門市には、楊貴妃が阿倍仲麻呂と共に「安禄山の乱」を逃れて小舟に乗り、この地に漂着したという伝説が残されています。
阿倍仲麻呂は遣唐使として唐に渡り、そのまま唐の高級官僚になっていた人物です。
阿倍仲麻呂が楊貴妃を連れて、自分の故郷まで逃げてきていたというのも考えられなくもありません。
長門市油谷町の二尊院というお寺には、楊貴妃の墓と伝わる五輪塔もあります。
「長恨歌」にも詠われているのですが、「天に還った楊貴妃がいた蓬莱が日本である」という伝承があるようです。

また、楊貴妃は熱田神宮の明神の化身であるという伝説があったり、京都市泉涌寺にある観音菩薩坐像は楊貴妃をモデルに作られたという伝承があって、楊貴妃観音とも呼ばれているそうです。
もっとも興味深いのが、和歌山県の龍神温泉にも楊貴妃渡来伝説があったということです。
龍神温泉の名前の由来ですが、「空海が難陀竜王(なんだりゅうおう)の夢のお告げによって泉源を得たので草庵を結んで自作の薬師如来を安置した後、宝永2年(1705年、徳川吉宗が紀州藩主になった年)明算という僧が、頑固なはれものをこの湯でなおしたことで龍王社薬師堂を再建し、温泉寺と名づけた」と言われているそうです。

空海といえば高野山を開きましたが、龍神温泉と高野山は同じ紀州で目と鼻の先。
ひょっとしたら楊貴妃は晩年を龍神温泉で過ごしていて、空海はその足跡を辿って紀州に行き着き、そこで高野山を開いたのかもしれません。
空海にとって、楊貴妃とはそれほどの存在だったのかもしれません。
空海と楊貴妃は、地球に溜まってしまった人間たちの悪い想念(バッドエネルギー)を浄化するために、この地球に生まれてきた存在たちだったのかもしれません。

空海は今でも、オーブの姿になって現れます。
楊貴妃は今でも、龍雲の姿になって現れます。
この映画も、たぶん空海と楊貴妃のことを多くの人に思い出してもらうために、原作の夢枕獏さんや監督の陳凱歌さんが天に感化されて作られたのかもれません。

(途中、蓑虫さんの記事「龍神楊貴妃伝」を参照しながら書きました。)
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もう9月も中旬。
秋の気配が、チラホラと感じられるようになりました。
銀杏の葉っぱも、わずかに黄色を帯びてきています。↓
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ちょっと事情により、また箱根の方に行くことになりました。
できたら、また九頭竜神社にお参りしてきたいと思います。
また不可思議現象が沢山起こるかもしれません。
来週は、そういった記事になると思います。
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