前回の「地震をはね除けた」という記事は、流石に誰も信じてはいないと思います。
いつもならこんなことを書いたらヤバイと感じて自制が働くのだけれど、この時ばかりは作曲の方で頭を使いすぎたのか、何の考えもなく思っていることをたらたらと書いてしまいました。
こういうことは書いてからしばらく経ってみると、自分でさえもひょっとしたら気のせいだったかもしれないと疑い始めるものです。
しかし僕はこれまでに、気のせいだと思っていたことが後から新たな証拠が出てきたりして、あれは本当だったのだと思い知らされたことが何回あったかしれません。



言い換えると、極日常的に起こるそんな信じられない様な出来事がいったい何を意味しているのか、当然自分なりに探り始めるのですが、それがある日突然、謎が簡単にわかってしまうことがあるのです。
それも、到底わかりそうもない様なとんでもない様な謎がです。
例えば、僕はよく飛行機雲の様なクリスタル・ベルの写真をブログに貼付けますが、それらがただの飛行機ではない決定的な証拠(動画には撮っていないので自分の心の中だけの証拠)があって、機体が2回強烈な光を放ったのを見たのです。
それは雷とは明らかに違う、カメラのフラッシュの様な人工的な光で、空全体がその光に包まれてしまうほど強烈でした。
反対側から別のベルが近づいて来ていて、すれ違う少し前に光ったので、あの光は挨拶の様なものだったのではないかと思っています。

その強烈な光を動画に撮ってYouTubeに載せている人がいました。
しかも一人ではなく何人も。
YouTubeのUFO動画の殆どは偽物だと思いますが、その映像は間違いなく本物です。
NHKの「幻解!超常ファイル」という番組でそのトリックを解明していましたが、NHKさんには申し訳ないですが、真実は間違いなく本物です。
その映像というのがこちら。↓





さて、前置きがだいぶ長くなりましたが、ここからがやっと本題です。
僕はさして歴史や戦国武将といったものに興味がある訳ではありませんが、自分に起こる不可思議現象を辿って行くと、そういう所に辿り着いてしまうことがあります。
ちょうど1年前に飛鳥地方や諏訪周辺を旅してきて「古代のアニミズム信仰を探る旅」と題してブログを書いたことがあるのですが、その旅の途中で下諏訪のとある民宿に泊まった時、民宿の看板の武田菱が何だか妙に気になっていました。↓
animism69
この紋は、ひょっとしたらガヤトリーの女神を顕しているのではないかと・・・。
僕は毎日寝る前にガヤトリーマントラを唱えるので、この紋を見た瞬間にガヤトリーの女神様のお導きがあったのではないかと思ってしまいました。
その後、「まさか〜(苦笑)」と思っていたのですが、今ではあながち間違えではないかもしれないと思っています。

この武田菱、そういえば花菱紋によく似ています。
花菱紋(はなびしもん)とは大陸由来の連続文様で、平安時代には有識文様として公家の調度品や衣装の文様として用いられていたそうです。(wikipediaより)
それを家紋として、甲斐武田家が最初に使用したそうです。
また、和家具の金具などの装飾にも用いられているそうですが、そういえば古い箪笥にこんな形の装飾を見たことがあります。

そういえば神社のお守りにも、この花菱を見たことがありました。
↓は、一昨年伊勢神宮内宮にお参りしてきた時に買ってきたお守り。
hanabishi
この伊勢神宮の他にも、花菱を神紋として使用している神社は結構多いです。
氷川神社や住吉大社のお守りにも、花菱紋が見受けられます。
出雲大社の神紋は、二重の「亀甲紋(きっこうもん)」の中に「剣花菱(けんはなびし)」を入れています。
剣花菱とは、武家を意味する剣紋と花菱紋を組み合わせたものです。
この紋は「三種の神器(剣・鏡・勾玉)」を示しているともいわれています。
東京大神宮や大國魂神社も、出雲大社と同じ亀甲花菱紋が使われています。
日光東照宮、世良田東照宮、久能山東照宮にも亀甲花菱紋がびっしりと描かれています。

因みに、それが武田と徳川との繋がりを示す証拠だとする学者がいます。
甘利信恒が徳川家康になったことを示す位牌が、長野の善光寺にあります。
甘利信恒の父が甘利晴吉で、この晴吉が信玄だとする説があって、こうなってくると武田信玄の子供が徳川家康という、とんでもない話になってくる訳ですが・・・。

しかし僕にとってこの話を放っておくことができないのは、この甘利晴吉をwikipediaで調べてみると幾つも別名を持っていて、信忠や昌忠とも名乗っていて、また武田諸将より信玄宛で提出された「下之郷起請文」(当時の武田氏の有力な将士の殆どの名がある)では、甘利源左衛門尉信康の名で記されているそうです。
甘利左衛門尉といえば、僕が先月書いた「謎の夢と椹池伝説〜火の玉を吐くナーガ」というブログ記事を思い出してしまいます。
この甘利左衛門尉が武田信玄だとする説はちょっと疑問に感じますが、甘利左衛門尉の子供が徳川家康(若しくは顔が瓜二つだったとされる影武者、世良田家康)だとすれば、実は僕の見た椹池(さわらいけ)の夢と繋がってくるのです。

僕の母方の祖母は本多姓でした。
しかも、ご先祖様は家康の側近だったとも言っていました。
ということは、本多正信か本多忠勝ということになります。
しかし家康の死後一族は追放されたとも言っていたので、本多正信ということになります。
時代劇を見る度に祖母は、「またご先祖様が悪人にされていた」と言っていたそうです。
昔の時代劇の悪人の名前の殆どが「本多〜」でした。
大河ドラマ「真田丸」の近藤正臣演じる本多正信も、何だか悪そうですが・・・(笑)
しかしwikiを見てみると、家康は本多正信を参謀として重用し、「友」と呼んでいたそうです。
どうやら息子の正純の時に謀叛の嫌疑をかけられた様です。

つまり僕は本多正信の血を引いているのだとすれば、徳川家康とも縁があるともいえるので、その徳川家康が元は甘利信恒であり、その父が甘利左衛門尉であって、その2人の息子(家康の兄弟?)が椹池で鮒を釣っている時に下条婆(げじょばんば)の大蛇に呑み込まれたという風に、僕の見た夢と繋がってくる・・・。


僕が今書きたいのは、そんなことではありませんでした。(ちょっと脇道に逸れすぎました)
実は徳川家康は賀茂氏だったとする説があるのですが、こちらの方は真実味があります。
家康は自分の出生の秘密を隠すために、賀茂一族を皆殺しにしているそうです。

賀茂氏というのは渡来人である秦氏の末裔といわれていて、その秦(はた)氏はシルクロードを越えて養蚕、織物などの技術を持ち込んだと言われています。
京都の太秦(うずまさ)には木嶋神社、または蚕の社と呼ばれる社があります。
蚕の社の神紋は、二葉葵になっています。
徳川の家紋が三つ葉葵というのを考えれば、当然徳川家康の先祖は秦氏ということになってきます。

因みに「古代のアニミズム信仰を探る旅 part6〜万治の石仏に出会う(蚕玉は木霊?)」の記事に書きましたが、諏訪大社上宮本宮の近くに蚕玉社という小さな社殿があって、その社殿には徳川家の「葵紋」がありました。
またその本宮の近くに北斗神社というのがあって、その北斗神社の脇に御堂があって、そこも蚕玉社となっていて、やはり「葵紋」がありました。
蚕玉社(蚕の社)と徳川の「葵紋」の関係が、ここで繋がってきます。

また諏訪大社下社秋宮へ行く途中で、蚕玉神社(こだまじんじゃ)というのがありました。
大中小と3つ祠があったので、これは古事記の最初に登場してくる造化三神(天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)を顕しているのではないかと記事に書きました。
実は京都の蚕の社(木嶋神社)には、三柱鳥居というのがあります。
それはキリスト教の「父と子と精霊」の三位一体(若しくは三位三体)を顕しているのではないかという説があります。
つまり、古事記の造化三神はキリスト教の「父と子と精霊」に同じであって、秦氏はイスラエルの失われた10支族の末裔であり、将又徳川家康も失われた10支族の末裔であったということになります。
三つ葉葵の3も、三位一体(三位三体)を顕しているのだと思います。
家康はキリスト教禁止令を発しましたが、しかし原始キリスト教は禁じてはいなかったのだと思います。
原始キリスト教は寧ろ仏教に近く、西洋の仏教とも言われています。
いや、日本の神道そのものが原始キリスト教ともいえるので、家康はそれを知っていたと思います。
賀茂氏は、物部神道が血の儀式をやらない様に見張る役目をしていました。
カタリ派(原始キリスト教)の教義では、旧約聖書の神は悪神で、新約聖書の神は善神だとしていました。
つまり、物部神道の血の儀式は悪神に捧げる儀式なので止めなさいというのが、秦氏の主張でした。
家康は、それに従っていたのだと思います。


話をもとに戻しますが、武田菱、あるいは花菱紋とは、いったい何を顕しているのでしょうか?
僕はひょっとしたら、「沙沙貴神社」の神紋「四ツ目結紋」が変形したものかもしれないと思っています。
「沙沙貴神社」の神紋「四ツ目結紋」は、造化三神の一柱「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」の子供「少彦名命(スコナビコナ)」を顕す紋です。
はやし浩司さんはYouTudeの動画の中で、高御産巣日神はシュメール文明のエンキ(Enki)と同一神であり、神産巣日神(カミムスビノカミ)はエンリル(Enlil)であり、少彦名命はマルドック(Marduk)であると主張されています。
↓の動画をご覧下さい。



本当はこの後で、マルドックと闘ったといわれているイナンナ(イシュタール)について書きたかったのだけれど、記事が長くなり過ぎてしまうので、またにします。
次回こそ「新印象派の絵によるモノローグ、第2曲/アニエール、洗濯船(ポール・シニャック)」を完成させて、記事にしたいと思います。
女神イナンナの記事は、その後にします。


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