sakura08
作曲に限らず、創作活動というものは、イメージが泉の如く沸き上がっている時はとても楽しいですが、一度暗礁に乗り上げてしまうと途轍もない生みの苦しみを味わうことになります。
創作活動といっても趣味でやっているのなら良いですが、これが仕事となると大変です。
自分が納得していなくても、妥協してでも締め切りまでに提出しなければなりません。
それを「飯の糧(かて)」に繋げていくためには、冷や汗かきながら何としても締め切りまでに間に合わせなければなりません。
間に合わなくなりそうになると徹夜をして、眠くなると目を覚ますために缶コーヒーを3缶ほど買ってきて、それをがぶ飲みしながらでもやる。
朝になってやっと仕上がって、朝食も食べずに電車に飛び乗り、現場に行って人に会って聴いてもらって・・・帰りにまた缶コーヒー買って飲む。
もうこれは十数年前の話なのですが、まあ当時はそんな大変な状況を楽しんでいたというか、そうやってやり遂げることで自己満足に浸っていたというのもあるのですが、これは若かったから出来た訳で、今はとてもじゃないけれど出来ません。
身体を壊してしまいます。

そういえば昨日、歯医者さんにも言われてしまいました。
「これだけ歯を悪くするのは、磨き方がどうこうというよりも、甘い飲み物が原因だと思うよ」と。
今あるムシ歯くんたちはあの頃の名残だと考えると何だか愛おしくもあり、かといって、もうあんな痛い思いは嫌だという思いもあり・・・。

しかしそれが今では健康第一主義に変わってしまうのだから、人生というものはまったく分かりません。
缶コーヒーはもちろん、今はカフェインを含むものは一切飲みません。
それから、あの頃は1日3箱吸ってしまうくらいのヘビースモーカーでしたが、約8年前に禁煙してからは1本も吸っていません。
お酒も正月三が日以外は飲まなくなりました。
緊張する仕事がある日の前日の夜とかは、結構日本酒など飲んだりしていましたが・・・。
それだけではなく、昔は結構肉好きだったのですが、今は完全にベジタリアンになってしまったのだから、極端といえば極端。
それもこれも、今から9年前に生まれて初めてUFOを見てからすべてが変わっていったような・・・。

そういえば思い出すのも嫌なのだけれど、9年前といえば僕が初めてCDを出した年。
同時に絶望と悲しみを味わった年。
そしてUFOという異次元の存在を知った年。
そう考えると、ムシ歯くんたちは僕の年輪のようなもの。
20170402
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」と言ったのは、作家の藤沢周平氏。
例えば、それは掃除をするということ。
「飯の糧」だけを追求している人たちからすれば、掃除をすることによって売上が増える訳ではないので、掃除を「くだらないこと」と考えてしまいがちです。
しかし掃除をしてお店を綺麗にしておけば、入ってくるお客さんも気分が良いだろうし、当然それは間接的に収入に繋がってきます。
お店に限らず住んでいる家を掃除すれば、家族全員が気分が良くなる筈です。
自分の家に限らず、住んでいる街を綺麗にすれば街の人の気分が良くなるだろうし、自分の住んでいる街に限らず、日本のどこかの街を綺麗にすれば、その街に住んでいる人たちの気分が良くなる筈です。
収入に繋がらなくても、いや、収入に繋がらないからこそ、それが「心の糧」に繋がっていきます。
掃除は、自分自身の心の浄化にも繋がってきます。
「心の糧」こそが、人間らしく生きていくための必須条件だといえます。

それにしても、今ほど人間らしさが失われてしまっている時代はないかもしれません。
最近の閣僚の相次ぐ失言や暴言は、完全に国民を馬鹿にしてしまっていることの現れです。
野党がだらしがなくて、自民が一党独裁になっていることが原因だという報道がされていますが、政治に限らず、これは日本全体にいえることなのではないかと思います。
つまり、この世の中は「飯の糧」だけを追求している人ばかりで、「心の糧」になるような出来事があまりに少なすぎるのです。
そのため、日本人の心は荒れてしまい、忌まわしい犯罪も頻発してしまいます。

人間らしさを失ったその先にあるのが、人間のロボット化です。
既にスマホを片時も手放すことが出来ない人たちが増えています。
ゲーム機など新商品が発売される前日には、必ずお店の前に徹夜の列ができています。
トランプ大統領の裏の大統領といわれているピーター・ティール氏が本当に支持している政党は、トランスヒューマニスト党です。
この党は、ある意味ではとても素晴らしい目標を掲げています。
科学と人間の融合を目指していて、より人間の潜在能力を引き出し、人間らしい生活を送れることを目指すと公言しています。
それは2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、きっと世界中の人たちが目の当たりにするでしょう。
義足の選手が健常者の記録を越える瞬間を・・・。
しかし、それはある意味ではとても危険なことです。
何故なら、より人間のロボット化が懸念されるからです。(公言している「人間らしい生活」とは正反対の)

トランスヒューマニスト党の代表として2016年米国大統領選に立候補したゾルタン・イシュトヴァン氏は、自身の政党についてこう説明しています。

「私の2016年の選挙戦略は、次の3つの集団をターゲットにしています。無神論者、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たち、そして障がいを持つ人のコミュニティです。彼らを足し上げると米国では3,000万人ほどになり、その一部はすでにトランスヒューマニストコミュニティの中で大きな人数を占め、価値観を共有しています。私はサイエンスとテクノロジーの支持者を動かし、「誰かを傷つけない限り自分の体にはしたいことをする権利がある」という考え方、形態的自由という思想を達成したいのです。・・・(途中略)・・・トランスヒューマニストは、宇宙産業を再燃させ、人々を太陽系全体に送りたいと考えています。我々は巨大な海上国家プロジェクトを作り、あらゆる種類の人や科学実験がそこで受け入れられるようにしたいのです。人間が起こしたあらゆる環境問題の解決法を教えてくれる超人工知能を作り出したいのです。我々が宣戦布告する相手は、ドラッグ、公民権を奪われたマイノリティ、石油依存の小国だけではなく、がんやアルツハイマー、そして加齢です。」

想像しただけでも、まるでSF映画のような世界です。
しかし、SF小説「すばらしい新世界」のようにならないかと心配するのです。
確かに病人や障害者にとっては、夢のような話です。
病気が無くなり、不老不死であることは、それが可能ならそれはそれで素晴らしいことかもしれません。
しかし、それもこれも人間らしさを失わずにすめばの話です。
20170401
ゴッホが生前に売れた絵は、たったの1枚だったといわれています。
では何故、ゴッホは描き続けたのか?
「飯の糧」のためだったら、何も絵を描かなくても他にも仕事がいっぱいあった筈です。
ゴッホにとって絵を描くということは、道(タオ)だったのです。
道とは、人間らしさを追求していくことです。
その道が、誰か他の人にとっての「心の糧」となっていくのです。

モーツァルトが死んだ時、葬儀をするお金がなく共同墓地に野ざらしにされたといわれています。
モーツァルトが亡くなる3年前の1788年には6月に交響曲39番、7月に40番、8月に41番(ジュピター)という風に信じられないようなスピードで作曲しています。
この3曲は謎の三大交響曲と呼ばれていて、誰からも作曲の依頼があった形跡がありません。
1791年に「魔笛」が上演されたその年に、謎の死を遂げます。
またこの年に謎の男からレクイエムの作曲の依頼を受けていますが、死によって未完のまま残されました。
モーツァルトはギャンブル好きで多額の借金を抱えていたので、お金のために作曲していたと思われがちですが、それなら何故、依頼も受けていない三大交響曲を書いたのでしょうか?
しかも亡くなる前の3年間の作品は、どれも恰も神が書いたようなものばかりです。
モーツァルトはひょっとしたらお金などどうでもよくて、神の手が自分に触れるのを感じていて、作曲のためにすべてを犠牲にすることを決心していたのかもしれません。(イルミへの反発?)
借金がかさみ、追い込まれれば追い込まれるほど自動書記の如く、五線紙にペンを走らせる。
それは使命的、いや、天命的なものだったのかもしれません。


人間性のもっとも根源的なもの、それを機械に置き換えることはできません。
しかし人間は今や、それさえも捨て去ろうとしています。
サイエンス、テクノロジーを発展させることは素晴らしいことですが、使い方を間違えてはなりません。
モーツァルトはメーソンでしたが、メーソンの上層部はイルミです。
モーツァルトは魔笛の中にイルミの秘密の儀式を暴露したから毒殺されたのだという都市伝説がありますが、たぶんそれは違うと思いますが、現在のイルミは機械と人間を融合させて人間らしさを失わそうと躍起になっています。
イルミの後ろには、悪魔(ルシファー)がいます。
彼らが行っている秘密の儀式とは、悪魔崇拝です。
イルミは世界の政治経済のすべてを、悪魔の力を借りて自由自在にコントロールしています。
この拝金主義の社会システムを作ったのは悪魔なのです。

神と悪魔の争いに巻き込まれないようにするのが肝要です。
なるべく機械(666、獣)から離れて自然に触れるようにして、慎ましく質素な生活をして、人を愛し、人種を越えて愛し、平和を祈り、そして「心の糧」になることをする。
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」
つまり、お金にならないことをすることこそが、人間らしさを失わずに済む秘訣。
もっと言ってしまえば、悪魔の餌食にならずに済むということかもしれません。
20170404
僕の作曲は1円にもなりません。
しかし、独り善がりの音楽でもありません。
僕の作曲は天使との共同作業です。
それはある意味、モーツァルトと同じです。
そいうえば以前、モーツァルトの魂が降りてきたことがありました。
その時、「ジュピター」が部屋に流れていました。(部屋にステレオがないのに・・・たぶん頭の中で)
モーツァルトは3つのことを教えてくれました。
服毒自殺をしたということ。(信じる人はいないと思いますが・・・本人が言っているのだから)
交響曲41番「ジュピター」が一番好きな曲だということ。
そして「3」という数字の重要性。(因みに「ジュピター」には、「3」という数字が至る所に散りばめられています。ひょっとしたらフラクタル幾何のこと?)

本当に最終的な人間らしさというのは、超常的なものなのかもしれません。
機械やテクノロジーによる進化ではなく、自分の内側に初めから備わっている秘めたる能力的なものの目覚めなのかもしれません。
僕はそれを使って作曲している。(神⦅天使⦆は外にではなく内側に宿る)
モーツァルトもそうやって作曲していた。
モーツァルトと僕を比べるのも、何とも烏滸がましいのだけれど・・・。

だから僕が最近作った音楽には、そうした内側の目覚めを助長させる力があると信じています。
作曲はモーツァルトと同じ、天命なのです。
モーツァルトと違って、僕の作曲は超スローペースですが・・・。
もしこれが仕事だったら、話になりませんね。
しかし、約9年前の仕事が成功して「飯の糧」のための作曲をずっと続けていたら、今の自分はいないと思います。

(写真は水元&みさと公園で撮りました。)