「エピクロスの庭」の楽譜作りは、1曲目のラストに差し掛かっていますが、前回の記事にも書きましたが、この曲はトランス状態になって即興演奏をして出来た作品です。
当然のことながら、音楽理論からは完全に逸脱しています。

たとえば、長7度の第3音を省いた音なんていうのが平気で出てきます。
そんな和音を使っている音楽は、おそらく無いかもしれません。
しかし、この音が実に日本的な不思議な音になるのです。
ひょっとしたら、邦楽にはこういう音があるかもしれません。
こんな風に、楽譜作りをしながら同時に曲の分析もしているのですが、無意識に弾いたとは思えなくて偶然にしては出来過ぎている箇所が非常に多いのです。

トランス状態で演奏している時、何かが降りて来ているというよりも、今思い返してみると、自分の身体に取り憑いている何かが反応しているといった感じです。
夢を見ているような状態になっていますが意識ははっきりとしていて、もっとテンポを緩めたいとか、ここはこんな和音を使いたいとか、このメロディーはもっとこうしたいとか、かなりハードに頭の中を色々駆け巡らせて考えながら弾いています。
時々2〜3回ぐらい弾き直したりする時もあるのですが、確か1~4曲目まではまったく弾き直しはなかったと思います。

仕上がってYouTubeで自分の動画を観ながら曲を聴いていると(今はPCが古過ぎて見れませんが・・・)、数十年前に夢の中で見たことを思い出したりします。
動画のバックの映像も自分が作った流れてくる曲も、子供の頃に見た夢のままだったりします。
こうなってくると、もう時間という概念がなくなってきます。
ひょっとしたら僕が生まれるずっと前から、この曲たちは存在していたのかもしれません。
この不可思議な感覚はいったい何なのか?
それこそが生きる上ですべての核となる、極めて重要な部分に思えてくるのです。

楽譜作りはあまり根を詰め過ぎる気が狂いそうになるので、楽しみながら毎日少しずつ進めていきたいと思っています。
あとこのブログの更新とか、料理したりとか、本を読んだりとか(電子書籍なども)、不可思議現象を追求したりとか、それから新曲も作っているので、それらと平行しながらやっていきます。
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最近、サアラ・池川明(著)の『「あの世」の本当のしくみ』というのを読んだりしています。
これまでずっとブログに書いてきたように、僕は不可思議な体験を何度もしてきたので、スピリチュアル系の本には興味が人一倍あるのですが、殆どは最初の何行かを読んだだけで読むのを止めてしまいます。
魔界的な陰謀や洗脳を感じたりして、気味悪くなってすぐに止めてしまうのです。
最後まで読もうと思えるような内容の本には、滅多にお目にかかれません。

最後まで読めた本(オカルト系)は、OSHOさんの本や『エイリアンインタビュー』という本ぐらいなものです。
『エイリアンインタビュー』は僕はかなり信憑性が高いと思っているのですが、『「あの世」の本当のしくみ』の内容は『エイリアンインタビュー』にとても似ていると思いました。
どちらも地球は宇宙文明の犯罪者を処分する「流刑地」だったと書いてあるし、「輪廻転生して成長していく」ことをどちらも完全否定しています。
サアラ氏は、「魂は輪廻を繰り返せば繰り返すほど、どんどん劣化していく」と語っています。
どちらの本も、輪廻転生から抜け出せるような生き方をするように呼びかけています。

多少気になるのが年などが違っていたりしますが、たとえば『「あの世」の本当のしくみ』では、地球が流刑地ではなくなったのが2300年前になっていますが、『エイリアンインタビュー』では地球の西暦1235年、つまり783年前になっています。
しかし、流刑地であった頃のトラップ(罠)はまだ完全に壊されていないというのは一致しています。

『「あの世」の本当のしくみ』では、「あの世」の実状がより克明に説明されています。
人が死ぬと幽界(低層4次元)からお迎えが来て天国へ連れて行こうとするのですが、それは神様ではないので付いていってはいけないそうです。
お花畑で先にあの世に行った人が現れて手招きしていてもそこから動いてはならず、しばらくすると闇に包まれるので、その後にアストラル界(魂のリハビリを受ける施設、魂が本当に行くべき場所)からお迎えがくるそうです。

しかし、うっかり幽界からの使者に付いていってしまうと、それこそとんでもないく酷い目にあわされて生前の記憶を失い、嘘の記憶を植え付けれて、前世で受けた魂の傷も癒えないままに、また地球人として生きていかなければならないのだそうです。
現在もおそらく殆どの人が、幽界のトラップに引っかかっているのだと思われます。

幽界の支配者たちも、時々地球人として生まれてくるのだそうです。
そして地球人に生まれてきた時も、やはり地球の支配者になるのだそうです。
僕は思うのですが、きっとその支配者たちが、多くの人間が輪廻転生の罠に引っかかるような社会を作って来たのだと思うのです。
今のこの社会のありとあらゆる所に、幽界へ引きづり込むトラップが仕掛けられているのだと思います。
この拝金主義社会を作ったのは闇の勢力だと、僕はずっとこのブログに書いてきました。
闇の勢力とは、幽界の支配者たちのことだと思います。
(トランプ大統領や金正恩氏も、ひょっとしたら・・・)

また、イエスが地球で多くの人々を導けば、それによって地球という牢獄から抜け出す人が増えてしまっては困るので、幽界の支配者は地球人として生まれて来て、イエスの教えを逆に利用し聖書を改竄して、イエスを通さなければ天国へは行けないことにしてしまったのです。
キリスト教信者は死後にイエスに会うと、まったく疑うことなくイエスに付いて行くと思いますが、しかしイエスは幻であってそこに神様など存在せず、着いた場所は天国とはほど遠い幽界であって、まさしくそこは地獄であって、電気ショックを受けて記憶喪失になり、また地球へ送り返される・・・。
そうやって、同じことを繰り返して魂を劣化させていくということです。

では、どうすれば地球人が死後に辿るべき最善のルート(幽界をすり抜け→アストラル界でリハビリと研修→マスターソウルに戻って次の可能性を模索→地球以外の惑星や領域に生まれる。もしくは新しい次元の地球に生まれる)に行けるのでしょうか?
『「あの世」の本当のしくみ』では、生きている時から「自分の人生に満足している」「よくやっている」というように、日々自分を認めて思うことが大事だと語っています。
この世に未練があったり、後悔していたり、恨み辛みがあったら、どうやら幽界を抜け出すのは難しいようです。

あと、「好奇心」を持つことがとても大事だとも書いてあります。
ストレスなく、やりいことをやって今を楽しんで生きることが大事なのかもしれません。
動かなければ心が淀んで汚れてしまうので、何事にも「関心」を持って積極的に行動していれば、自ずと心は清らかになっていきます。

僕はずっと、心を清くすることが大事だと主張してきました。
僕は思うのですが、幸福感を持ちながら生きていたり、自然に触れて自然のエネルギーをいっぱい浴びて生きたり、自分の意識を宇宙の意識に合わせたり(超意識)することによって、常に高い波動を放つことができるようになるので、つまり心が清くなるので、幽界(闇の勢力)が放つ低い波動を簡単に見破ることができるようになるのだと思います。
逆に危険なのは、したくもない仕事をいやいやさせられていたり、いやいや勉強させられたり、何にも興味が湧かず何もしないことです。
波動が低くなるので、幽界の支配者たちの格好の餌食になってしまいます。

以前ブログに、修行をして魂を磨くためにこの世に生まれて来たのだと書いたことがありました。
そのように書いているスピ系ブログも多いですが、実はその教えの中にもトラップが隠されているかもしれません。
厳しすぎる体罰やいじめに遭うことは修行とはいえず、寧ろ魂を劣化させてしまうということになります。

この世に悪は必要で、悪に感謝するぐらいでないと・・・と書いたこともありましたが、捉え方によってはその考えもとても危険です。
畑で野菜を栽培していると毛虫が付いたりしますが、毛虫を悪と捉えて処分してしまうか、はたまたこの世に無駄なものは無く、人間目線から見れば毛虫は悪だけれども自然界全体から見ればとても大切な存在で、鳥の食料にもなると考えれば「悪は必要」となり毛虫を処分しなくなります。
人の捉え方によって悪は善にもなり、善は悪にもなります。
僕はそういうことを言いたかったので、決して体罰やいじめを容認している訳ではありません。

今日も水元公園までサイクリングしてきました。
10km以上は走ったと思います。
まだまだ春は遠いですが、久しぶりに良く晴れて太陽が暖かかったです。
こうした運動を続けていれば、身体が丈夫になっていつまでも健康でいられます。
幾つもある坂道を登るのはキツいですが、坂道は悪ではありません。
人生にも、幾つもの坂道があります。
どんな坂道も自分自身を鍛えるために登るのだと考えれば、それが目標になって、目標が達成されて坂道を登りきった時の喜びは一入になる訳です。

それは飽くまでも僕の考えで、そんなことは本には書かれていませんが、要するに好奇心を持って活発に楽しく活動し、本を読んだりして沢山活字に触れて、また文章をしたためたりして、そうやって魂の劣化を防ぎ、幽界のトラップに引っかからないような霊力を養う生き方をするべきだということなのかもしれません。
この「流刑地」でもある地球でも、そうやって魂を進化させることは幾らでもできるのだと思います。
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芸術も魂を進化させると思います。
しかし、芸術の中にも沢山トラップが仕掛けられています。
音楽でいえば、19世紀末期〜現代の無調音楽やロックや歌謡曲の中にもそうした音楽はあります。
売れているアーティストの殆どは、イルミの広告塔だともいわれていますから、気をつけなければなりません。

イエスは夢の中で、ヘンデルを聴くことを僕に勧めてくれました。
最近「メサイア」を聴いていないで、また聴こうと思っています。
モーツァルトやベートーヴェンも良いと思います。
(モーツァルトの魔笛にはイルミの儀式が描かれているようですが、これを話すとまた長くなるので・・・)
同じクラシックでも、バッハやブルックナーは僕は良くないような気がしています。
飽くまでも、僕の勘ですが・・・


地球が流刑地になる前は、色々な異星人が地球にいたそうです。
その内の一種アヌンナキのことを、以前に「人間にはアヌンナキの血が流れている〜戦いと性愛の女神イナンナ」という記事に書きました。
人間(アダム)を作ったエンキ(エア)のことは、以前に読んだ本にはあまり書かれていなかったので知りませんでしたが、この本には、エアは優秀なだけではなく人格的にも温和な人で、地球に「宇宙で最も優秀な存在を作ろう」としたのだと書いてあります。
だから、本来地球人は宇宙一優れた人種だったのかもしれません。
しかし、何も知らず人間は輪廻転生を繰り返しているうちに、退化していったのだと思います。
つまり反進化論です。

魚座の時代、つまり目に見えない何者かに支配されたり、巨大で合理性に欠けた組織にコントロールされる時代は終わりました。
今は水瓶座の時代、つまり嘘が全部暴かれて、意味のない社会のルールや、個人が自由に力を発揮することを妨げるルールなどがどんどんなくなり、一人ひとりが発言し力を発揮することが大事な時代だということです。

幽界の支配者の言いなりになっていた時代は、終わりを告げようとしています。
これから我々は、地球人本来の姿、宇宙で最も優秀な存在であった頃の姿を取り戻していこうではありませんか。
キーワードは、僕は「言葉」と「美」だと思っています。
だから僕は、これからもこのブログで「言葉」を発信して、作曲で「美」を極めていきたいと思っています。
アヌ王の息子のエア王子は父に似て優秀で、遺伝子工学の分野でも秀でた能力をもっていました。頭脳だけでなく人格のバランスのとれた温和な人でした。社会不安のある環境で育ったことから、自分たちが作ろうとしている生き物がどうあるのが理想かと考えた結果、使う人と使われる人の関係がアンフェアではいけないということで、きちんとした判断力をもった生命体を作ることにしたのです。
自分たちの最善最良なる遺伝子と、原人たちのもっている地球に適応性の高い遺伝子を組み合わせて、「宇宙で最も優秀な存在を作ろう」と最終的には思うようになったのです。
それまでの間には、何度も試みてことごとく失敗しています。
最初は、よく働いてもらうために強い生命体にしようとしました。ストレスに敏感だと強くならないので、感覚器の機能を極力控えめにしました。そうすれば免疫力が上がると思ったのです。
ところが、我々が生命としてここに存在する理由はたったひとつ、好奇心です。そのため、感覚器の機能が控えめだと、つまり感性が鈍いと、好奇心はもてないというジレンマを抱えることになりました。好奇心が生命力の源なので、ある程度の感性と好奇心をもたせて、しかも生命力を強くするというバランスをとるのがものすごく難しく、苦労したようです。
そのプロセスで、マザーアース(地球)にコンタクトをとりました。惑星は生きていて意思をもっているからです。そのそきにマザーアースに言われたのが、「誰かのために隷属するような、霊的な尊厳をもたない存在を、これ以上ここに作らないでほしい」というものです。「本当の意味でここの住民になれる美しくて優秀な人間がほしい」とリクエストされたのです。

『「あの世」の本当のしくみ』/サアラ・池川明(著)より


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