こうして海の向こうの遠くに霞む山々を眺めていると、人間というのはこうして何度も何度も生まれ変わってきたのだということを教えられている様な気分になります。
しかしほとんどの人間は、前世の遠い記憶のことなど忘れてしまう。
それは、魂を霊的に成長させていくには、前世の記憶は邪魔に他ならないから。
やがて人間は常識というフィルターを通してしか、物事を見ることが出来なくなっていきます。
知識人ほど、その傾向はより強くなります。
たとえ、どんなに有益と思われる情報を数多く手に入れることが出来たとしても、そこに霊的成長がなければ何の意味も持ちません。
大概、この世のほとんどの情報は何の意味も持っていなかったりするものです。
その情報に意味があるかないかは、人間一人ひとりの直感力に委ねられてきます。
魂が霊的に成長を遂げていくにしたがって、何が本当に役立つ情報なのかが分かってくるものです。
しかしそうした情報は得てして、知識人や権力者の反感を買うものだったりもします。
一個人の記憶、人類の記憶、宇宙の記憶・・・。
そこに大した差はない。
一瞬は永遠。
今、この瞬間を感じてみる。
普段よりも強く、感じてみる。
過去と未来に挟まれた、この一瞬を・・・。
僕が今、ここに存在していることの意味を、強く意識してみる。
自由意志の法則を、強く強く意識してみるのだ。
この魂が、いったい何を求めていけばよいのかを・・・。
北近畿タンゴ鉄道に乗って西舞鶴に行き、そこで青春18きっぷにスタンプを押してもらい、JR舞鶴線に乗り換えます。
本当は京都に寄っていきたいところだったけれど、目指したのが三輪山(大神神社)だったので、時間的にも余裕が無く、一気に奈良へ。
奈良でホテルを予約してから、桜井線に乗って三輪で下車。
↑の写真に写っているのが、本当に見た目はなんていうことのない普通の山なのだけれど、大物主大神(ニギハヤヒ)が封印されているという三輪山です。
旧ブログの鉄道ひとり旅 2013 総括編にも書きましたが、かの陰陽師安倍晴明は三輪山を眺めながら、こうつぶやいたそうです。
ここには我が国において、文字や数字や楽や舞や風習行事の中にそのすべてを象徴として隠し、その本性は記紀においても隠された〝知恵と魔術の神〟が封印されている。実は、大物主大神を強く意識しながら大神神社に向かっている途中、ふと三輪山を見上げたらビリビリと体に電気が走りました。
「おぉ、やっぱり大物主大神様はここにいらっしゃる。」
↑の大神神社大鳥居は高さが32,2m、柱間が23mもあります。
昭和五十九年十月十三日の昭和天皇の行幸、御親拝、またご在位六十年を奉祝して、この大鳥居が建てられたそうです。
ここでも不思議な人物に遭いました。
↑の鳥居を潜る前に、僕以外にもうひとり、若くて背の高い丸刈りの男性が参拝に来ていました。
僕は鳥居の写真を撮ろうと思ったのだけれど、撮る位置がなかなか定まらなくて随分と時間を費やしてしまいました。
鳥居を潜ってしばらく歩くと祓戸神社があったので、ここでお祓いしようと思って中に入ろうとしたら、先ほどの若い男性が僕の目の前を横切って祓戸神社の中に入っていきました。
僕は鳥居の前でかなりの時間を費やしたのだけれど、それなのにあたかもその男性はわざわざ僕が来るのをここで待っていたかの様でした。
祓戸神社はとても狭いので、その男性のお祈りが済んでから中に入ろうと思っていました。
その男性も僕と同じ様な大きな旅行用バックを持っていたのだけれど、そのバックを地面に置き、右の手で左肩を払い、左の手で右肩を払い、最後に右の手で首の後ろを払って、そして「な〜んと〜か〜、な〜んと〜か〜」と、祝唄なのか、それとも祓い唄なんていうものがあるのか、何を言っているのかまったく分からなかったのだけれど、とにかく何かを唱え始めました。
その唄はなかなか終わりそうになかったので、ちょっとお邪魔をしてその男性の隣に立ってお祈りをしました。
僕も真似をして、バックを地面に置き、右の手で左肩を払って・・・。
その時、隣の男性の言葉の意味がはっきりと分かる様になりました。
「はらい〜たまえ〜。きよめ〜たまえ〜。」
僕は心の中で、ついつい思ってしまいました。
「右に同じ。」そして薄笑い。
いけないいけないと思い、背筋を正して真剣にお祈りをしました。
僕は先に一礼をして出てきました。
その時、その男性はまだ唱え続けていました。
そういえば、これも旧ブログの鉄道ひとり旅 2013 part1〜瀬織津姫に想いを抱いてと鉄道ひとり旅 2013 part2〜ベルと白鷺と不思議な球にも書きましたが、祓戸大神には、瀬織津姫(せおりつひめ)、速秋津姫(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良姫(はやさすらひめ)がいて、この四柱が揃って、この世の中に蔓延する禍事(まがこと)、罪穢れを洗い流すことができるのだといいます。
瀬織津姫は禍事、罪、穢れを川から海へと流し、速秋津姫は海の底で禍事、罪、穢れを待ち構えていて飲み込む。気吹戸主は速秋津姫が禍事、罪、穢れを飲み込んだのを確認してから、根の国、底の国に新鮮な息吹(波動)を放つ。速佐須良姫は根の国、底の国に持ち込まれた禍事、罪、穢れを浄化して無くす。
その旧ブログで、〝現在、この四神は封印されている。だから、この世は禍事や罪や穢れが蔓延しているのかもしれない。〟と書きました。
三輪山に封印されている大物主大神と共に、その封印が解けた時、「ミロクの世」「千年王国」が訪れる・・・のかもしれません。
「この夫婦岩は大物主大神と活玉依姫の恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされ・・・」と書かれています。
なんだか処女マリア様のお話に酷似しているとは思いませんか?活玉依毘売(いくたまよりひめ)というたいそう美しい姫がいた。毎夜、みめかたち振る舞いのいい青年が訪ねてくる。そのうち姫は身ごもった。両親は驚き姫に尋ねると「名も知らない美しい若者が通ってきて、夜々を共に過すうち身ごもりました」と答えた。両親は身許を知りたいと思い「赤土を部屋に撒いて邪悪を払いなさい。そして、麻糸を針に通して男の着物の裾に射すのですよ」と姫に教えた。その夜、いつものようにやってきた男に、姫は教えられたように着物の裾に針を射した。夜が明け、男の姿は消えたが麻糸は戸の鍵穴から通り抜けていた。麻糸をたどっていくと三輪山にたどりついた。夜な夜な訪ねてくる青年は、三輪の大物主大神の化身だったのだ。
姫は神の子を孕んだのだった。糸巻きには三勾(三巻き)の糸が残っていたのでこの地を美和(三輪)といった。
巫女さんの紅白の衣装が深緑の景色に映えます。
大神神社の拝殿に参拝した後、石段を降りる途中で、先ほどの男性とすれ違いました。
男性は僕に頭を下げたので、僕も男性に頭を下げました。
今、色々と考えてみると、やはりあの男性は大物主大神の化身だった様な気がしてきます。
次回へと続く<<<
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