ユニティの時代を迎えるに当たって、波動の低い行動や愚痴や他人への批判を極力避け、心を高い波動で維持していくことは大事だと思います。
現在は、その最重要期間に入っていると思われます。
その高い波動ということですが、スピ系のブログなどをざっと読みあさっていくと、その捉え方は人によりまちまちの様に感じます。
今日はそのことについて僕なりに感じていることを、ありのままに書きたいと思います。

スピ系ブログの多くで語られている、ただただ明るくニコニコと笑顔を周りに振りまくことが高い波動を放つことだとは、残念ながらどうしても思えません。
おそらくこれはそんな単純なことではなく、色々な人の意見を聞いたり読んだりして高い知識を持った上で考えを深め、また自身の第六感を信じながら波動を高めていくこと、それが大事なのだと思うのです。

世の中の暗いニュースを、まったく次元の違う世界の出来事だと考えて無視をするということは、どうも宗教じみていて腑に落ちないのです。
もちろん低い次元に同調していくことは、とても危険なことです。
しかし本当に高い波動を放つためには、中庸が肝心だと感じるのです。
暗いニュースを無視をするのではなく、僕はむしろ被害者や加害者の心理を読み取り、何がそこで起こったのかを推理小説の探偵にでもなった様な気持ちで探ったりもします。
また、テレビや新聞などが伝えている情報とネットの情報には、かなりの違いがあります。
やはりここでもどちらかに偏り過ぎず、冷静になって真実を読み取っていくことが重要なのだと思うのです。


愛という言葉を最近よく目にします。
苦しんでいる人たちが世界にはごまんといて、そういう人たちを助けることもできないのに、愛という言葉をやたらと使うのは、やはりどうも不自然さを感じてしまいます。
しかしだからといって、苦しんでいる人たちひとりひとりを助けていってもきりがないと考えるのも間違っているとは思います。
もちろん、そういう姿勢を地道に周りに示していくことは重要なことです。

しかし、それよりももっと重要なことがあると思うのです。
こんなことを書いても信じる人は少ないとは思いますが、思考は現実化されるのです。
以前の記事にも何度か書いてきたことですが、ここで再びインドの神秘思想家のOSHOさんの言葉を引用したいと思います。
もし人類の1パーセントが瞑想するようになれば、戦争はなくなるだろう。それ以外に方法はない。それほど多くの瞑想のエネルギーが放出されなければならない。

もし人類の1パーセント、100人のうちの1人が瞑想者になれば、物事のありようはまったく違ったものになる。貪欲さは少なくなり、自然に貧困が少なくなるだろう。なぜなら貧困は物が少ないために起きているのではなく、貧困は人々が蓄えをするから起こるのであり、人々が貪欲だから起きているのだ。もし私たちが今に生きていれば、すべては十分にある。地球は私たちに与えてくれるものを十分に持っている。しかし私たちは将来を計画し、そこで私たちは蓄えをする。そこに問題が起きているのだ。
(Joy(喜び)/OSHO著より)
大事なのは、自身が100分の1の瞑想者になることなのではないでしょうか。
どのくらい人助けをしているとか、人からどう思われているとか、地位とか年収がどうとかは幻に過ぎず、どう思うかとかどう感じているかということの方がどれほど真実に近いかわかりません。
瞑想者になるということは、そうしたメンタル的なことをコントロールできる人間になるということなのだといってもいいのかもしれません。

この世界全体と自分自身との一体感(ワンネス)を意識すると、他者への貢献心や利他主義といったことが極自然に沸き起こる様になり、貪欲さが無くなり、生きていることへの純粋な喜びと感謝が芽生え始めて成長していきます。
これこそが本物の愛であって、この愛のみが世界を救うのだと感じるのです。
この愛を成長させていく唯一の方法が瞑想だと思うのです。

この世に完全な人間などいません。
人の心には、例外なく善と悪が共存しています。
偽善者ぶっていれば、当然どこかで悪を吐き出さなければなりません。
心の成長とは悪を征することではなく、心の善悪をコントロールできる様になるということだと思うのです。
それを可能にするのが、宇宙との一体感(ワンネス)なのです。
それこそが、高い波動を生み出す根源となるのです。


しかし、瞑想のみをやっていればいいということではありません。
瞑想を実生活の中心に据えるということであって、本当に大事なのは実生活です。
実生活でとくに大切なのが、食事です。
瞑想の中で生きとし生けるものの心の平和を祈っていながら、肉食をしていてはいけません。
牛や豚や鳥は、僕は完全に食べなくなりました。
例えば「ちょっとぐらい肉を食べても大丈夫だよ」と人に誘惑されて食べたりでもしたら、数分間後にトイレに駆け込んでとんでもない苦しみ味わうことになります。
これは精神的なものではなく、明らかに心霊的なものなのです。
牛が屠殺された時に感じた恐怖が食肉となっても肉に染み込んでいて、それを僕の神経細胞が受け付けない訳です。

それから小魚などは結構食べますが、マグロなどの大きい魚はちょっと避ける様になってきています。
牛乳や乳製品もダメです。
植物でも、ダイズは毒素があるので食べません。
納豆や味噌や醤油といったダイズを発酵させた食品は毒素が中和されていて健康にもとても良いので、納豆などは沢山食べています。
けれど豆腐など発酵させていないダイズは、なるべく控えたいとは思っています。(豆腐は大好物だったので辛いけれど・・・)
コーヒーや紅茶などのカフェインのある飲み物も避ける様になりました。
普段は緑茶を飲む様にしていて、最近はハーブティーにハマっています。
もちろんアルコールもタバコもダメです。

なぜここまで食べ物にこだわる様になったのかといえば、腹は人の中心であって、そこに魂があるからです。
人間が食べてもいい食べ物は、神様によって決められているのです。
例えば恐怖の染み付いた肉を食べれば、当然魂は穢れます。
肉を食べても何も感じないのは、魂が穢れてしまっているからなのです。
腹とは原のことです。
原とは即ち、高天原のことです。
古事記に出てくるあの高天原のことです。
神々の住まうあの高天原です。
つまり、腹とは神様の宿る場所なのです。
つまり、どんなに神様に精通されている様な方でも肉食を自分に禁じていないのであれば、僕はどうもこの人は魔界の人なのではないかと疑いたくなってしまう訳で、またそんな臭いもしてくる訳です。
肉食は神が宿り難くなりますが、魔界の住民たちは飛びつきます。
そしてもっともらしいことを言って多くの人を信用させ、最後には魔界へ引きずり込みます。


瞑想をして、食事に気を付けているだけでもまだダメです。
太陽を拝み、感謝して、時には大自然を満喫することも大事です。
それは宇宙の創造者(サムシング・グレート)を讃えることにも繋がります。
宇宙の創造者と自分との一体感を味わう訳です。
また捧げものとして絵を描いたり、自然を描写した様な穏やかな音楽を作ることが出来るのなら、それは最高のことなのです。
(もちろん、そうして描かれた絵を見たり、自然描写の音楽などを聴いて共感することも大事です。)

僕はこれだけ出来ても、まだ不十分さを感じています。
僕は寝る前に、ガヤトリーマントラを欠かさず唱えています。
あまり大きな声で唱えると寝ている人を起こしてしまいますが、小さい声でもイントネーションに気を付けながら唱えれば大丈夫です。
実はこのガヤトリーマントラこそが最重要だと、最近強く感じるのです。
このガヤトリーマントラを本当に最強のマントラにするために、僕は瞑想したり食事に気を付けたりして魂を清らかにしているのだと感じるのです。
その「感じ」というのは、第六感的な感覚としてのメッセージが降りてくるという「感じ」です。
そしてその「感じ」をさらに示してくれているのが、実は我が家の猫ココちゃんなのだけれど(言葉もニャ〜しか言わないけれど)、このことはまた何時か記事にしたいと思っています。
(ココちゃんは本当に信じられない様な猫ちゃんです。間違いなく神様⦅宇宙人⦆からのメッセージを全身を使って受信しています。僕の様な人間が毎日一緒に暮らしていれば、それぐらいわかってきます。)

ココちゃんだけではありません。
様々な場所から様々な霊的な人たちからのメッセージが届きます。
会ったこともなければメールやブログでのコメントのやり取りなども一切ない、まったく接点のない人たちからシンクロニシティなどを駆使してメッセージが届くのです。
そして僕は感謝に堪えない気持ちになるのです。
これもきっと、瞑想やガヤトリーの成せる技なのでしょう。


明後日ぐらいには、きっと全国的に一斉に綺麗な桜が咲き始めると思います。
別にそれが目当てではないのですが、また青春18きっぷを使って旅をしてきたいと思います。
気になる神社にお参りすること以外に、エネルギーに満ち溢れた春の自然と一体になりたいというのもあります。
なので、今回はハイキングをすることにもなりそうです。
その場所は今は秘密ですが、とても綺麗な写真が撮れると思いますので、次回の更新を楽しみにしていてください。

そういえば、神社と自分との相性というものがあるらしいです。
相性の悪い神社にお参りすると逆効果になることもあるらしいです。↓

行ってはいけない!運気がさがるパワースポット

これによると僕は「地・水・火・風・空」のうち属性が「風」に当たるので、「風・地・水」とは相性が良く、「火・空」とは相性が悪いそうです。
例えば「風」の僕は、伊勢神宮は「水」で出雲大社は「地」なので相性が良く、熱田神宮は「空」で富士山(山宮浅間神社)は「火」なので相性が悪いということになります。
そういえば、昨年熱田神宮にお参りしたその日の夜に怪奇現象に襲われたということがありました。
それから富士山がとても綺麗に見える場所だとされている所に行っても、必ず曇っていたりして見れません。
なので、これ凄く当たっていると思うので、ぜひ調べてみて下さい。
(でも熱田神宮にもう一度お参りしてきなさいという啓示があったので、おそるおそるお参りしてきたいと思います。)

どこと相性が良いのか、頭にインプットして行かないと・・・。


最後に前回に引き続き、エハン塾の動画を載せておきます。
ちょっとだけ、今回の僕の記事とシンクロしていると思うので・・・。




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