piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

2015年05月

この旅の連載記事も、とうとうpart9になってしまいました。
まだ色々と載せたいこともあるのですが、これで最終回にしたいと思います。
実はずっとお休みしていた自作曲動画の投稿を再開したいと思っているのですが、次回は旅の思い出を曲にして記事にして載せたいと考えています。

思えば、今回の旅でも数々の不可思議な体験をしました。
その体験はいったい何を意味しているのか?
朝起きる度に、いつの間にか頭の中で謎解きが始まっています。
クリスタル・ベル(飛行機雲)は本当にUFOなのか?
あの謎の人物たちは、いったい何者なのか?
デジャヴが示すものは?
オーブは?
夢の啓示は?
しかし、それらが僕の目の前に実在していたのは、歴史の教科書を見るよりアキラか。
見間違え?錯覚?とんでもない!
僕の頭がおかしいって?
僕は毎日約30分瞑想して、約30分アーシング(裸足で土を踏んだり歩いたりすること)をして、肉類はいっさい食べず、酒タバコもやらず、カフェインの入っている飲み物(コーヒーや紅茶)も飲まず、毎日本を読んだり作曲をしたりして、身体的にも精神的にも誰よりも健全になっていると思います。
僕の頭がおかしいのではなく、むしろ感覚が研ぎ澄まされて、実在しているけれど目に見えないものが次元を超えて見えてくるのだと、そんな風に思えるのです。
けれども、僕は決して霊能者などではありません。
次元を超えて、向こうにいる何者かが僕の目の前に現れて謎解きを迫ってくる訳です。
それが神なのか悪魔なのかは分かりませんが・・・。(おそらくドチラも)


さて、この旅の記事のラストスパートをかけたいと思います。
諏訪湖の周りをしばらく歩いてきたのですが、途中に素晴らしい美術館が2つありました。
まずはハーモ美術館ですが、ここはシュールレアリズムの巨匠サルバドール・ダリの絵が多く展示されていました。
特にダリの「不思議の国のアリス」(エッチング1点、エリオグラヴュール12点入りの挿画本)は見応えがあります。
他にもアンリ・ルソーやアンリ・マティス、グランマ・モーゼス、カミーユ・ボンボワ、シャガール、ミロ、ミレーなどがあり、葉加瀬太郎さんのメッセージ入り色紙やジミー大西さんの絵なんていうのもありました。
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エントランスホールに飾られているダリの「時のプロフィール」↓という作品だけは写真撮影が可能ということだったので、早速撮らせて頂きました。
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続いて北沢美術館にも行ってきました。
僕はエミール・ガレが好きなので、ここで展示されている「ひとよ茸ランプ」だけが見たくて来た様なものでした。
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ルネ・ラリック展をやっていました。
ガラス工芸の大量生産に力を注いだ方なので、僕の中ではガレと比べるとちょっと落ちます。
しかし数多く残した香水瓶のデザインなどは、今ではなかなかお目にかかることのできないとても味わい深いものがあると感じました。

それから日本画コレクションも沢山展示されていて、僕の大好きな東山魁夷や山口蓬春、上村松篁もありました。
あと、ここの喫茶店で頼んだハーブティーと桜のケーキがとても美味しかったです。
因みにハーモ美術館の時もそうでしたが、あいにくの空模様の所為なのか、お客さんは僕ひとりでした。
人目を気にすること無く回れるので、なんとも贅沢なひと時でした。
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今時珍しい、投げ縄漁をしている人がいました。↑
消費者の淡水魚離れや漁業者の漁獲意欲減退、漁業者の高齢化などによって漁をする人が近年激減しているそうなので、こういう光景が見られたというのも貴重な体験だったかもしれません。
諏訪湖はワカサギが漁業の中心なのだそうですが、バスやブルーギルといった外来魚や魚食性の鳥カワアイサによる捕食、また湖底の低酸素化によって2000年代以降極端に減少しているそうです。
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今回の旅では、カラスをよく見かけました。
あまりに多くて気にも留めていなかったのだけれど、この時どういう訳だか1枚ぐらい写真に撮ってやろうという気持ちになりました。
意外に面白い写真が撮れたかと思います。
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凄い数の猛禽類が、突然一斉に飛び立ちました。↑
種類は分かりませんでしたが、おそらくトンビだと思います。
猛禽類は単独行動が多い筈だから、群れをなしているというのは不思議です。
ここだけではなく、別の場所でも見たことがあります。
しかも、人が近づいていってもあまり遠くまで逃げません。
ちょっと異様は感じがしました。


ここまで私鉄ばっかり乗っていたので、なんと青春18きっぷはまだ3日分も残っていました。
使わないと勿体無いので、富山に行くことに決めました。
湖畔のホテルで一泊して、翌朝諏訪湖を散策した後、JR線で松本まで行って大糸線に乗り換え糸魚川に到着。
ここから富山までは、なんとまた私鉄に乗らなければならない。
北陸新幹線が出来るまでは青春18きっぷが使えたのだけれど、新幹線開通後は使えなくなってしまいました。
青春18きっぷ愛用者からの嘆きの声が、全国から聞こえてくる様です。
ひょっとしたら、僕がその被害者第一号だったかもしれないけれど・・・。
もちろんこのことを知っていたら普通の人ならこの区間は避けるとは思うのだけれど、自分の心の声には逆らえません。
心が富山に行きたいと言っているのだから、仕様がありません。

富山に着いた時には、もう19時を過ぎていました。
予約しておいたホテルへ向かう途中、夜桜祭りをやっていたので、しばらく人ごみに混じって夜桜見物をしていました。
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富山城のライトアップもとても綺麗だったので写真を撮ったのだけれど、とても妙な光が写っていました。
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光の屈折でこの様に写ったのでしょうか?
もう一枚続けて撮った↓の写真と見比べてみても、う〜ん、どう見てもやっぱり不思議な写真です。
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富山城の近くのホテルに泊り、翌朝JR高山線に乗って西富山で降りて歩くこと数分、皇祖皇太神宮にやってきました。
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道幅が狭い上に雨で道がぬかるんでいて、流石に凄い場所にあるなという印象でした。
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皇祖皇太神宮のいわれは、ご覧の通りです。↓
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アカデミズムは当然のことながら、竹内文書を偽書としています。
太古の昔は富山が世界の中心で、モーゼやキリストが修行をした場所だなんて信じられる筈がありません。
しかし、これが100%偽書であると言い切れる証拠はありますか?と訊ねたいのです。
歴史の教科書は、支配者たちによって改竄が繰り返されてきた訳です。
地獄への道は善意で舗装されていると言います。
だから、常識という罠にかかってはなりません。
常に疑う姿勢が大切なのです。
もちろん竹内文書が100%本物だとも言えません。
プラス、マイナス、ニュートラル。
中庸であることが大切なのです。
つまり竹内文書が偽書であると、誰もそう断言することはできないということです。
しかも調べれば調べるほど、他の古文書との共通点が見出せる様になってくるのです。

僕らはもうそろそろ、真実を知らなくてはならない時期に来ています。
それは誰かから教えてもらうのではなくて、自分自身の目で確かめなくてはならないのです。
それには、真実を見通す目が必要になってきます。
いつまでも、ネットやテレビなどの偽情報に惑わされていてはいけないのです。
毎日の様に報道されているものほど、実は裏に何かが隠されていると見るべきなのです。

アカデミズムが竹内文書は偽書だと言って唾を吐けば吐くほど、その裏には何かがある様な気がして仕様がなくなってくる訳です。


「古代のアニミズム信仰を探る旅」と題して記事を書き続けてきましたが、僕が最近思うことは、僕らが生きているこの3次元世界というのは木の年輪のひとつに過ぎないのかもしれないということです。
ひとつの年輪のもうひとつ外側にも内側にもその先の先にも別の年輪(別の次元)が存在しているということです。(つまりこの世はパラレルワールドということ)
しかしほとんどの人は、その存在を知ることができません。
狭い空間、本当にこの狭い空間だけがすべてだと思い込まされ、その様に教育されてきました。

しかし南米やアフリカの原住民たちは、精霊の世界があることを誰ひとり疑いません。
そして彼らは裸足で歩いているので、足から地球のメッセージを受け取ることが出来ます。
人間界の作り出す欲の所為で地球は悲鳴を上げていて、もう限界にきているそうです。
それを知らないのは人間だけです。
人間以外のすべての動植物や原始的な生活を送っている人たちが、そのことを知っています。

この次元と別の次元は繋がっています。
だからこそ、アニミズム信仰が存在しているのです。
磐座神道などに見られる様に、日本の文化もそうでした。
日本人はもともと、そういうことにとても敏感な民族だったのです。
これからは、本当にひとりひとりの心と気づきが大切になってきます。
エゴを捨て、今この瞬間をしっかりと見つめていてください。
いったい何が真実なのかを・・・。

終わり


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諏訪大社二社四宮をすべてを参拝して、これでするべきことはすべて終わった様な気がしていたので、いよいよ前々から行きたかった御射鹿池に行って自然を満喫しようと思いました。
観光案内所で訊いてみるとバスは1日2回しか運行していないので、乗り遅れると大変。
それからベストシーズンではないので見所も少ない様で「帰りのバスが約30分後なので、だいたい30分あればひと回りしてこれるとは思いますが、そのバスを逃すと次の最終のバスが約3時間後になります。」とのことでした。
「もし3時間も空いてしまった場合なのですが、近くに横谷渓谷というのがあって、ここの遊歩道は夏場はとても綺麗なのですが、今はおそらくまだ雪が解けていないと思います。地場がとても悪くて大変危険です。危険だと思ったら無理をなさらずに引き返して下さい。」と脅かされました。
何はともあれ、とにかく行ってみないことには分からない。
ということで茅野で一泊して、翌朝そのバスに乗ることにしました。

バスには、八ヶ岳に登る重装備をした人が5〜6人乗っていました。
軽装なのは僕ぐらいなものでした。
ひょっとしたらもの凄く寒いのではないかという不安も一瞬よぎりましたが、標高はそんなに高くない筈だし大丈夫だろうと思っていました。(本当は堤体標高が1528mもあったのですが・・・)
それと結構凄い急カーブの坂の連続だったので、ちょっと肝を冷やしました。

明治温泉入口で下車。
降りてみるとそれほど寒くはなかったので一安心。
けれど周りに池らしきものは見当たらず、とりあえず坂を下りて行きました。
しばらく下りて行くと、やっと池が見えてきました。
僕はただただ夢中でその池に近づいて行き、シャッターを切っていました。
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東山魁夷の絵「緑響く」や、シャープのアクオスのCMで有名になった人工池。
ベストシーズンではないけれど、それで却って人がいなくて、この大自然を独占している様な気持ちになりました。
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鏡の様な湖面は、シーズン問わず健在です。(冬は凍結していますが・・・)
東山魁夷の絵に登場してくる白馬はいませんでしたが、白くて美しい残雪がとても印象に残りました。
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数日前までは一面氷に覆われていたのを物語るかの様に、池の片隅には↑の様な氷が残されていました。
おそらく昨日、今日、明日と絶えず様相は変わっていくのでしょう。
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池に注ぎ込む小川から、川霧が発生していました。
僕はこの時、完全に魅了され打ちのめされていました。
ベストシーズンなど存在しない、その一瞬一瞬がベストなのだとその時悟りました。
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ここはカナダなのかと思ってしまいます。
本当に誰もいません。
この大自然に僕ひとりっきりです。
いつの間にか雲の切れ間から、青空が覗く様になりました。
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暖かい日差しによって、森に生命の息吹が輝き出す。
贅沢なひと時です。
実に、何日ぶりかに拝む太陽です。 
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「緑響く」は、おそらくこの辺りのこの角度からの景色↓を描いたと思われるので、故東山魁夷氏がここからスケッチしておられる姿を想像していました。
きっとその時は真夏で、汗を拭き拭き描いていたのでしょう。
きっと湖面には、緑が響き渡っていたのでしょう。
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水鳥が泳いでいました。
池の水はpH:4前後という極めて強い酸性で魚は住めない筈なのだけれど、水鳥たちは頻りに水中に潜って何かを捕っている様でした。
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約2時間があっという間に経過しましたが、最終バスが来るまでまだだいぶあるので、少し横谷渓谷の方を散策しました。
明治温泉旅館へ向かう坂道を下って行くと、水の音が聞こえてきました。
旅館の脇にある鉄製の梯子を使って下りると、おしどり隠しの滝という滝がありました。
雪解けと最近降った雨で激流となっていました。
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マイナスイオン指数15000という告知がされていました。↓
身体にとても良さそうです。
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毎年冬には氷のオブジェが見られるそうですが、その形跡だけ見てきました。↓
夜にはライトアップもされていたみたいです。(彼女と来ないと、ただただ寂しいだけになりそうですが・・・)
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このGW中に周りの木々もようやく新芽が出始めたそうで、朝から沢山のカメラマンが来ていたそうです。
もう雪もほとんど残っていないでしょう。
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出来れば、夏にもう一度来たいと思います。
来年になるか、再来年になるのか分かりませんが・・・。



日本には素晴らしい自然が、まだまだいっぱい残されています。
きっと自然の法則には、人智では計り知れないものがあるのです。
時には人間に鋭い刃を向けることもありますが、人の心を癒す優しさも持っています。
そしてその自然を創っているのが母なる大地、この地球なのです。
しかし人間は、その地球の愛の結晶ともいえる自然を破壊し続けてきました。

昔の日本人は自然を理解し、自然に対して畏敬の念を持ち、自然と共に生きる知恵(里山の様な)を持っていました。
つまり、それがアニミズム信仰です。
しかし今の日本人は悲しいことに私利私欲に走り、自分さえ良ければそれで良いという様な人たちばかりになってしまいました。
例え社会に何が起こったとしても、ほとんどの人は自分に関係がなければ社会を変えていこうとは思いもしないでしょう。
しかしそう考えているすべての人たちが、いずれはそれを自身が体験することになるのです。
それが自然の法則、そして宇宙の法則なのです。
地球が浄化するために、人間はただ苦しみ、悲しみ、失望を通してしか変えていかざるを得なくなってくるのです。
そうではなく、日本古来から続けられてきたアニミズム信仰の精神を復活させることこそが、結果的に多くの人たちを助けることに繋がって行くのだと、そう確信しています。

道端に生えている雑草でさえも、自分のことの様に愛おしく感じてしまうほどの思いやりと精神。
それこそが霊性の成長を高め、人類と地球を救うことに繋がるのです。

part9へ続く<<<


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