前回に引き続き、ワーグナーについて掘り下げていきたいと思います。
そして何よりこれらの物語は、アナンダとプラクリティの物語(過去世数万劫の輪廻転生の因縁譚の経典の世界)から着想を得て作られていることは間違いありません。
その物語から伝わってくるのは、一言で言ってしまえば仏教語でいう「因果応報」なのかもしれません。
またこれは、前回のブログにも書きましたが「他者の痛みは自分の痛みである」という仏教の教えにも繋がってくると思います。
それを悟るために、人は何度も同じ過ちを繰り返すのかもしれません。
ニーチェの「永劫回帰」は、そのことを言わんとしているのかもしれません。
そして苦難の末にもう誰も恨まなくなった時、この世の中のすべてのものを許せた時、きっと人は解脱することができるのかもしれません。
それはワーグナーの「救済」の物語と音楽に触れることによって、僕らはカタルシス、つまり心の浄化作用を引き起こしているということにも繋がってくるのでしょう。
そして漂泊者さん曰く、「その輪廻転生の中に『愛』の位置づけをしている」ということなのでしょう。
(余談ですが、仏教の経典には現代の我々が信じることすら困難なほど想像を超えた膨大な輪廻の世界が存在することが述べられているのですが、実はUFOコンタクティーの元祖アダムスキーも、この経典世界で述べられていることとまったく同じことを語っています。)
「ヴァーグナーの示導動機による「輪廻転生」表現をめぐって〜『トリスタンとイゾルデ』にみる3種の『調べ』の考察 」という論文を読みました。
漂泊者さんからこの論文のことを教えて頂いたのですが、本当に漂泊者さん、度々ありがとうございます。
漂泊者さんからこの論文のことを教えて頂いたのですが、本当に漂泊者さん、度々ありがとうございます。
示導動機(ライトモチーフ、Leitmotiv)とは、特定の人物・理念・状況などを表現するために繰り返し現れる楽節・動機のことで、ワーグナーの楽劇によって確立されました。
早い話が、その示導動機が「輪廻転生」にまで及んでいるという論文です。
前回にも書きましたが、インド・ヨーロッパ語族の先祖は同一のアーリア人であるというアーリアン学説をワーグナーは肯定していました。
しかし、このアーリアン学説は現在では否定されている訳ですが、この様にワーグナーのインド理解、仏教理解には多数の誤りがありました。
しかしそれでも、ワーグナーによる「輪廻転生」表現を、その思想解釈の不備を超えて、むしろ音楽研究領域において評価し跡づけていくことが大切だと論文には書かれています。
あまり知られていない「勝利者たち」という未完のオペラがあるのですが、これはインドの古典「シャールドゥーラカルナ・アヴァダーナ」を原典としていて、ブッダの弟子アナンダの修行と禁欲の生涯に基づく一種の英雄伝なのだそうです。
物語はこうです。(論文中の「勝利者たち」散文スケッチではなく、原典の方に近い内容で書いてます。)
ブッダが最後の旅をしていたある夏の日のこと、アナンダというブッダの侍者がサーヴァッティという町で托鉢を終えて帰る時、当時のバラモン教による不当な階級制度(カースト制度)の最下位と見られていたマータンガ(シュードラより下の不可触民)と呼ばれる種族の住む地域を通りかかりました。
母親は仕方なく、呪術を始めました。術のせいでアナンダの心は乱れましたが、ブッダの法力で妖術は破られました。
自分流に書けたらいいなと思って書いてきましたが、書いている内に論文をただそのまま書き写しているだけの部分も多くなってきてしまいました。
それでも、なるべくクラシックに精通していない方でも解りやすい様に工夫を懲らしてきたつもりですが、漂泊者さん、如何だったでしょうか?
自分でもかなり勉強になった部分があったので、とても感謝しています。
記事の冒頭にも書きましたし、論文の最後の結びにも書かれていますが、ワーグナーのインド理解、仏教理解には多数の誤りがありました。
しかしそれでもワーグナーによる「輪廻転生」表現を、その思想解釈の不備を超えて、むしろ音楽研究領域において評価し跡づけていくことは大切です。
早い話が、その示導動機が「輪廻転生」にまで及んでいるという論文です。
前回にも書きましたが、インド・ヨーロッパ語族の先祖は同一のアーリア人であるというアーリアン学説をワーグナーは肯定していました。
しかし、このアーリアン学説は現在では否定されている訳ですが、この様にワーグナーのインド理解、仏教理解には多数の誤りがありました。
しかしそれでも、ワーグナーによる「輪廻転生」表現を、その思想解釈の不備を超えて、むしろ音楽研究領域において評価し跡づけていくことが大切だと論文には書かれています。
あまり知られていない「勝利者たち」という未完のオペラがあるのですが、これはインドの古典「シャールドゥーラカルナ・アヴァダーナ」を原典としていて、ブッダの弟子アナンダの修行と禁欲の生涯に基づく一種の英雄伝なのだそうです。
物語はこうです。(論文中の「勝利者たち」散文スケッチではなく、原典の方に近い内容で書いてます。)
ブッダが最後の旅をしていたある夏の日のこと、アナンダというブッダの侍者がサーヴァッティという町で托鉢を終えて帰る時、当時のバラモン教による不当な階級制度(カースト制度)の最下位と見られていたマータンガ(シュードラより下の不可触民)と呼ばれる種族の住む地域を通りかかりました。
一人の娘が井戸で水をくんでいたので「 妹よ。私はのどが渇いています。どうか、水を飲ませて下さい。」とアナンダが頼むと、その娘は「 私はプラクリティという名前のマータンガの娘です。あなたに水を差し上げるような身分ではありません。」と答えました。
アナンダは「 妹よ。私はブッダの弟子で、身分の区別など考えたこともありません。どうか、水を飲ませて下さい。」と再び頼みました。
アナンダは水をもらって礼を言ったのですが、プラクリティはその時に恋に落ちました。
それからというもの、プラクリティは着飾って再三アナンダに近づきましたが彼女の思いは通じず、そこである日、呪術を得意とする母親に何とかして欲しいと頼みました。
母親は「 自分の術はアナンダの様な欲望を超越した人と死人には通用しない。」と言って断りましたが、「 思いが叶わないのであれば死んでしまう。」と言ってプラクリティは泣き出しました。母親は仕方なく、呪術を始めました。
がっかりした娘は再度母に頼みましたが「 私の妖術もブッダの法力にはかなわない。」と言って母親はもう取り合いませんでした。
それでも娘は諦めきれず、托鉢に出かける修行者の中にアナンダを見つけると「この方は私の夫です。」と言ってどこまでも付いてきてしまうので、困り果てたアナンダはプラクリティをブッダのもとに連れて行きました。
ブッダはそこでプラクリティの前世について語り始めます。
しかし娘は誇りと傲慢さから賤民の王子の愛を拒み、不幸な彼を嘲りました。
その罪を償うために彼女は現在、賤民の娘として生まれ変わり叶わぬ愛の苦しみを甘受せねばならないのでした。
しかしここで愛を断念し、ブッダの共同体(サンガ)に受け容れられるなら、彼女は完全な救いに導かれるだろうとブッダは言いました。
それでも娘は諦めきれず、托鉢に出かける修行者の中にアナンダを見つけると「この方は私の夫です。」と言ってどこまでも付いてきてしまうので、困り果てたアナンダはプラクリティをブッダのもとに連れて行きました。
ブッダはそこでプラクリティの前世について語り始めます。
彼女の前世は誇り高きバラモンの娘でした。
ある賤民の王が、前世で自分がバラモンに生まれたことを覚えていて、息子の嫁に息子が激しく恋するこのバラモンの娘を望んでいました。しかし娘は誇りと傲慢さから賤民の王子の愛を拒み、不幸な彼を嘲りました。
その罪を償うために彼女は現在、賤民の娘として生まれ変わり叶わぬ愛の苦しみを甘受せねばならないのでした。
しかしここで愛を断念し、ブッダの共同体(サンガ)に受け容れられるなら、彼女は完全な救いに導かれるだろうとブッダは言いました。
プラクリティはブッダの最後の問いに喜んで「はい」と答えます。
アナンダは彼女を妹として受け入れます。
アナンダは彼女を妹として受け入れます。
その時プラクリティには、真理を見る清らかな眼(まなこ)が生じたといいます。
そして、ブッダの最後の説教が行われました。
プラクリティは修行を続け、やがてアラハンという聖者の位に到達したと仏典には書き残されているそうです。
この仏教素材は「勝利者たち」の構想の断念と共に表面上は放棄されましたが、ワーグナーが死の直前まで執着したそれらは、他の作品に継承され吸収され潜在的に主題化されていきます。
その様な「指環」「パルジファル」に隠された「勝利者たち」の痕跡に焦点をあて、「輪廻転生」の概念を中心にワーグナーの「仏教計画」を追跡したのがオストホフ論文です。
例えば「ジークフリート」第3幕に出現する「世界の遺産の動機」という示導動機は、 元来「勝利者たち」の音楽動機として考案されたとオストホフは指摘しているそうです。
プラクリティは修行を続け、やがてアラハンという聖者の位に到達したと仏典には書き残されているそうです。
この仏教素材は「勝利者たち」の構想の断念と共に表面上は放棄されましたが、ワーグナーが死の直前まで執着したそれらは、他の作品に継承され吸収され潜在的に主題化されていきます。
その様な「指環」「パルジファル」に隠された「勝利者たち」の痕跡に焦点をあて、「輪廻転生」の概念を中心にワーグナーの「仏教計画」を追跡したのがオストホフ論文です。
例えば「ジークフリート」第3幕に出現する「世界の遺産の動機」という示導動機は、 元来「勝利者たち」の音楽動機として考案されたとオストホフは指摘しているそうです。
「ニーベルングの指環」の第2日の「ジークフリート」第3幕の「ブリュンヒルデの目覚め」をYouTubeから引っ張ってきたので聴いてみて下さい。
「世界の遺産の動機」は、ここでは全部で8回(9回)出てきます。(論文[譜例1]、譜例はこの記事の冒頭の論文にアクセスして下さい。)
↓の動画でいうと(7:30、8:38、10:02、17:24、⦅17:39?⦆、18:37、25:01、26:41、30:08)の辺りに出てきます。
どの様な場面でこの示導動機が使われているか、注意深く聴いてみるのも面白いと思います。
この動機は当初ブッダあるいはプラクリティの「新しい認識」「諦念」「目覚め」「救済」等を表す動機だったそうですが、『指環』においてはヴォータンが世界支配を断念してジークフリートに後継を譲る決断を下す箇所で初出することから「世界の遺産の動機 」の名が付いたそうです。
次に論文は「パルジファル」の白鳥とジークリンデの転生について書かれていますが、ちょっと長くなってしまうので、ここは飛ばしてこの論文の核となる楽劇「トリスタンとイゾルデ」にいきます。(ブログの最後に「トリスタンとイゾルデ」の第3幕全曲の動画を載せますので、この動画と照らし合わせながらお読み下さい。)
「トリスタンとイゾルデ」の第3幕には、主に「嘆きの調べ 」「別の調べ」「この調べ」の3つの示導動機が見られ、この三種の「調べ」の交替によって進行するドラマの構成が浮き彫りになってくるのです。
この内、輪廻転生の表現の観点から「嘆きの調べ 」(↓の動画 4:43、11:07、31:15、35:18、36:33)(論文[譜例4])を分析していくと、トリスタンの長大な回想の意味が明らかになってきます。
「トリスタンとイゾルデ」の第3幕の幕が開き海を臨む廃城の中庭にトリスタンが瀕死状態で横たわっています。
彼の誕生時(母の死亡時)、彼の脳裏に刻まれたカレオールの土着の旋律は、その後に彼が無意識でしばしば知覚した 「嘆きの調べ」そのものであって、それは故郷の旋律に父母の愛と死の運命を凝縮合併させたひとつの記憶体でした。
⑤「なつかしい調べは/答えを返して言う/恋に焦がれて死ぬと!/いや、そうではない!/恋焦がれる、いちずに焦がれる!/死にのぞんで焦がれ/焦がれる思いのために死ねないと」(35:24)(論文[譜例9])
(36:33) に再び「嘆きの調べ」が流れます。
⑥「傷口の毒が/心臓の近くまで回ってきたために/死を間近に/口もきけずに小舟に横たわっていたときも/あの調べが、あこがれを訴えるようにめんめんと響いていた/船は、帆をはらませた風のため/アイルランドの娘の方へと押し流された。」(37:29)(論文[譜例10])
(⑥に入る少し前に、弦による「病めるトリスタンの動機」が流れます。⦅37:14⦆⦅論文[譜例11]⦆また⑥の後の間奏に「病めるトリスタンの動機」と「嘆きの調べ」が交差してきます。⦅38:10⦆⦅論文[譜例12]⦆「病めるトリスタンの動機」の詳細は、この後の「2つの疑問」の所で説明します。)
(因みに⦅27:15⦆のクルヴェナールの歌の所からも、この「病めるトリスタンの動機」が数回現れています。これは最良の女医「イゾルデ」のことを示していると思われます。)
イゾルデ(アイルランドの娘)の婚約者モーロルトを征伐し重傷を負ったトリスタンは、小舟に横たわって意識下で「嘆きの調べ」を知覚し、「調べ」は彼を死へと運ぶことを中止し、かわりにイゾルデのもとへと送りつけます。
⑦「彼女は手当てをして/いったんふさいだ傷口を/ふたたび/太刀を使って切り裂いた。/しかし彼女は振りかざした太刀を/思いなおして下におろした。」(38:24)
⑧「それから彼女は/毒薬をわたしに飲ませようとした。/そのときわたしは/今度こそあらゆる病から癒えることを期待したが/差し出されたのは/身を灼くような魔法の酒。/ためにわたしは/死ぬこともかなわず/永劫の苦しみをわが身に負う羽目になった!」(38:40)
⑨「この身を/苦悩にゆだねた恐ろしい飲みものは/このわたしが/わたし自身が醸したのだった!」(40:32)
⑩「父の苦痛や/母の陣痛/恋人たちの流した/ひと知れぬ恋の涙/笑いと悲しみ/歓びと苦しみ/それらのものを混ぜ合わせ/有毒の飲みものを作ったのはこのわたしだった!」(40:51)
⑪「わたしが醸し/わたしのために注がれ/わたしが歓びをすすりながら/飲み干したおそろしい飲みものよ!/呪われてあれ/それを醸したこの身も呪われてあれ!」(41:20)
論文ではこの後、『リヴァリーンとブランシェフルール』というトリスタンの父母についての補足が付け加えられています。
トリスタンの父リヴァリーンが騎士修行のためコーンウォール王マルケの宮廷を訪れた時に、王の妹ブランシェフルールと恋に落ちます。
彼はコーンウォールの武将として戦闘に出かけ勝利に貢献するのですが、瀕死の重傷を負ってしまいます。
死を待って伏せる彼をブランシェフルールは秘密裡に訪ね、身を挺して彼を愛し、その愛によって彼を死から生還させました。
こうして彼女が身ごもったのがトリスタンでした。
回復したリヴァリーンはその後故郷から敵の侵攻を知らされ帰国し、この時にブランシェフルールの懐妊を知った彼は、彼女を密かに連れ帰り妻としました。
しかしリヴァリーンは戦闘で再び重傷を負い、死亡してしまいます。
ブランシェフルールは絶望し、難産の末にトリスタンを産み落として死んでしまいます。
この後、論文では「2つの疑問」が提示されます。
「別の調べ」の作用によりトリスタンはイゾルデに抱かれ至福の死を遂げました。
「このしらべが聞こえているのは/わたしだけかしら?」(1:14:29)(論文[譜例16])
この台詞の箇所の旋律が、第2幕2場において恋人たちの二重唱「死の歌」を代表した旋律であることに着目すると(論文[譜例17])、「このしらべ」のもつ特別な意味が理解されることになります。
つまり「このしらべ」とは、この劇の2幕2場において先取される二人の「死による愛の合一」を表す示導動機であったと同時に、さらには二人の「死後の再生上での愛の成就」を音楽上で告知するという、この作品の最重要示導動機だったのです。
この作品は恋人たちの愛の進行図であると同時に、過去世、現世を経て、死後の再生へとつながるトリスタンの、あるいはその原点リヴァリーンの「魂の遍歴」を示すと考えていいでしょう。
いま唯一イゾルデに聴かれる「調べ」とは「この調べ」だけ、すなわちトリスタンとイゾルデとがもろともに死に、「未来永劫の一体化」を果たす「愛の死の調べ」ただひとつだけなのだ、と 。
「世界の遺産の動機」は、ここでは全部で8回(9回)出てきます。(論文[譜例1]、譜例はこの記事の冒頭の論文にアクセスして下さい。)
↓の動画でいうと(7:30、8:38、10:02、17:24、⦅17:39?⦆、18:37、25:01、26:41、30:08)の辺りに出てきます。
どの様な場面でこの示導動機が使われているか、注意深く聴いてみるのも面白いと思います。
この動機は当初ブッダあるいはプラクリティの「新しい認識」「諦念」「目覚め」「救済」等を表す動機だったそうですが、『指環』においてはヴォータンが世界支配を断念してジークフリートに後継を譲る決断を下す箇所で初出することから「世界の遺産の動機 」の名が付いたそうです。
しかし「指環」初演時の舞台稽古においてはワーグナーが同動機の演奏に対し、「新たな宗教の告知」の表現を要求したことが記録に残されていて、記録者のハインリヒ・ポルゲスもこの動機を「救済の動機」と呼んでいたそうです。
それはこの動機が「勝利者たち」における仏教概念を前提として「指環」に転用されたことを示す証拠であるとオストホフは述べているそうです。
示導動機とは関係がないですが、この動画を観ていて改めて思ったことなのですが、ブリュンヒルデの歌詞の中にも「輪廻転生」を漂わせている箇所が至る所に見受けられます。
(19:35)からジークフリート牧歌(妻コジマへの誕生日およびクリスマスの贈り物として準備された)の旋律が流れてきますが、その部分のブリュンヒルデの歌詞も「輪廻転生」を示す重要な箇所だと僕は思うのです。
「永劫の昔から、ずっと何時(いつ)も、甘い憧れの歓びを永久(とわ)に感じながら、永遠(とわ)にあなたの幸せを願って来たのよ。」
それはあたかもジークフリートの父母(ジークムントとジークリンデ)のエピソードに留まらず、もっとずっと以前の前世から繋がりがあった様な言い方です。それはこの動機が「勝利者たち」における仏教概念を前提として「指環」に転用されたことを示す証拠であるとオストホフは述べているそうです。
示導動機とは関係がないですが、この動画を観ていて改めて思ったことなのですが、ブリュンヒルデの歌詞の中にも「輪廻転生」を漂わせている箇所が至る所に見受けられます。
(19:35)からジークフリート牧歌(妻コジマへの誕生日およびクリスマスの贈り物として準備された)の旋律が流れてきますが、その部分のブリュンヒルデの歌詞も「輪廻転生」を示す重要な箇所だと僕は思うのです。
「永劫の昔から、ずっと何時(いつ)も、甘い憧れの歓びを永久(とわ)に感じながら、永遠(とわ)にあなたの幸せを願って来たのよ。」
次に論文は「パルジファル」の白鳥とジークリンデの転生について書かれていますが、ちょっと長くなってしまうので、ここは飛ばしてこの論文の核となる楽劇「トリスタンとイゾルデ」にいきます。(ブログの最後に「トリスタンとイゾルデ」の第3幕全曲の動画を載せますので、この動画と照らし合わせながらお読み下さい。)
「トリスタンとイゾルデ」の第3幕には、主に「嘆きの調べ 」「別の調べ」「この調べ」の3つの示導動機が見られ、この三種の「調べ」の交替によって進行するドラマの構成が浮き彫りになってくるのです。
この内、輪廻転生の表現の観点から「嘆きの調べ 」(↓の動画 4:43、11:07、31:15、35:18、36:33)(論文[譜例4])を分析していくと、トリスタンの長大な回想の意味が明らかになってきます。
「トリスタンとイゾルデ」の第3幕の幕が開き海を臨む廃城の中庭にトリスタンが瀕死状態で横たわっています。
そして城壁の外からは、羊飼いによるもの悲しいシャルマイの旋律が切れ目なく響いてきます。(4:43)
イゾルデとの関係(禁じられた)が発覚し、メロートの刀に身を投じたトリスタンは、腹心クルヴェナールによって故郷カレオールに運ばれたのです。
そこで羊飼いの吹く土着の笛の旋律「嘆きの調べ」を耳にして、彼は奇蹟的に意識を回復します。(12:00)
「なつかしい調べだ/どうしてそれで目が覚めたのかなあ?」(12:05)(論文[譜例5])
(↓の動画では「昔ながらの調べだ・・・なぜ私を起こすのだ?」となっています。)
昔ながらの牧人の調べが彼を死から生へと強引に引きもどしたのですが、しかしこの 「調べ」の機能はトリスタンの蘇生ひとつに留まりません。
それは、トリスタンの父母の物語が「嘆きの調べ」のもっとも根底にあって、この示導動機が彼自身にも影響を及ぼしているのです。
時を経てなおイゾルデの船は到着せず、そのことと「嘆きの調べ」との関連を認めたトリスタンは「調べ」の意味を察知してこうつぶやきます。
「おまえの嘆くような調べには/そういう意味があったのか?」(32:18)(論文[譜例6])
(↓では「そのように受け止めねばならぬのか」)
そしてそこから「嘆きの調べ」を伴ったトリスタンの長い独白が始まるのですが、それを追跡していくと、この「嘆きの調べ」には様々な過去の意味的要素があることが明らかになってきます。
そこで羊飼いの吹く土着の笛の旋律「嘆きの調べ」を耳にして、彼は奇蹟的に意識を回復します。(12:00)
「なつかしい調べだ/どうしてそれで目が覚めたのかなあ?」(12:05)(論文[譜例5])
(↓の動画では「昔ながらの調べだ・・・なぜ私を起こすのだ?」となっています。)
昔ながらの牧人の調べが彼を死から生へと強引に引きもどしたのですが、しかしこの 「調べ」の機能はトリスタンの蘇生ひとつに留まりません。
それは、トリスタンの父母の物語が「嘆きの調べ」のもっとも根底にあって、この示導動機が彼自身にも影響を及ぼしているのです。
時を経てなおイゾルデの船は到着せず、そのことと「嘆きの調べ」との関連を認めたトリスタンは「調べ」の意味を察知してこうつぶやきます。
「おまえの嘆くような調べには/そういう意味があったのか?」(32:18)(論文[譜例6])
(↓では「そのように受け止めねばならぬのか」)
そしてそこから「嘆きの調べ」を伴ったトリスタンの長い独白が始まるのですが、それを追跡していくと、この「嘆きの調べ」には様々な過去の意味的要素があることが明らかになってきます。
①「まだ幼かったわたしに/父の死が伝えられたとき/胸をしめつけるようなあの調べが/夕風にまぎれて聞こえていた。」(33:01)(論文[譜例7])(以降、動画↓の訳は省きます。)
②「物心のついたわたしが/母の悲しい運命について聞かされたときも/朝まだきの空に/悲しみをいやますあの音が響いていた。」(33:35)
③「父はわたしを残して死に/母もわたしを生んで死んだが/やるせないあこがれをそそる/あの調べは/彼らの死の床にも/せっせっと響いていたにちがいない。」(34:09)
④「かつてわたしに問いかけたあの調べは/いままたわたしに問いかける/生まれ落ちたとき/おまえを待ちもうけていた運命は何だったのか?/おまえはどんな運命に生まれついたのか?と。」(34:49)(論文〔譜例8〕)
②「物心のついたわたしが/母の悲しい運命について聞かされたときも/朝まだきの空に/悲しみをいやますあの音が響いていた。」(33:35)
③「父はわたしを残して死に/母もわたしを生んで死んだが/やるせないあこがれをそそる/あの調べは/彼らの死の床にも/せっせっと響いていたにちがいない。」(34:09)
④「かつてわたしに問いかけたあの調べは/いままたわたしに問いかける/生まれ落ちたとき/おまえを待ちもうけていた運命は何だったのか?/おまえはどんな運命に生まれついたのか?と。」(34:49)(論文〔譜例8〕)
彼の誕生時(母の死亡時)、彼の脳裏に刻まれたカレオールの土着の旋律は、その後に彼が無意識でしばしば知覚した 「嘆きの調べ」そのものであって、それは故郷の旋律に父母の愛と死の運命を凝縮合併させたひとつの記憶体でした。
そしてそれがのちには彼の運命譜として機能することになり、彼が人生の局面を迎えるたびに意識下で発動しては彼に運命を認識させ、彼を方向づけていきました。
(35:18)に「嘆きの調べ」が流れてきます。
「嘆きの調べ」がトリスタンの意識下で再生されるたびに彼の行動を規定していき、運命を現実化させていきます。
(35:18)に「嘆きの調べ」が流れてきます。
「嘆きの調べ」がトリスタンの意識下で再生されるたびに彼の行動を規定していき、運命を現実化させていきます。
⑤「なつかしい調べは/答えを返して言う/恋に焦がれて死ぬと!/いや、そうではない!/恋焦がれる、いちずに焦がれる!/死にのぞんで焦がれ/焦がれる思いのために死ねないと」(35:24)(論文[譜例9])
(36:33) に再び「嘆きの調べ」が流れます。
⑥「傷口の毒が/心臓の近くまで回ってきたために/死を間近に/口もきけずに小舟に横たわっていたときも/あの調べが、あこがれを訴えるようにめんめんと響いていた/船は、帆をはらませた風のため/アイルランドの娘の方へと押し流された。」(37:29)(論文[譜例10])
(⑥に入る少し前に、弦による「病めるトリスタンの動機」が流れます。⦅37:14⦆⦅論文[譜例11]⦆また⑥の後の間奏に「病めるトリスタンの動機」と「嘆きの調べ」が交差してきます。⦅38:10⦆⦅論文[譜例12]⦆「病めるトリスタンの動機」の詳細は、この後の「2つの疑問」の所で説明します。)
(因みに⦅27:15⦆のクルヴェナールの歌の所からも、この「病めるトリスタンの動機」が数回現れています。これは最良の女医「イゾルデ」のことを示していると思われます。)
イゾルデ(アイルランドの娘)の婚約者モーロルトを征伐し重傷を負ったトリスタンは、小舟に横たわって意識下で「嘆きの調べ」を知覚し、「調べ」は彼を死へと運ぶことを中止し、かわりにイゾルデのもとへと送りつけます。
⑦「彼女は手当てをして/いったんふさいだ傷口を/ふたたび/太刀を使って切り裂いた。/しかし彼女は振りかざした太刀を/思いなおして下におろした。」(38:24)
イゾルデが、治療をしたトリスタンに刀を振り上げたのは、彼がモーロルトの殺害者と知り復讐の衝動に駆られたためでしたが、しかしトリスタンの万感こもる眼差しに心かき乱された彼女は、刀を振り下ろすことができずそれを手から落下させます。
トリスタンはここでも死を免れました 。
トリスタンはここでも死を免れました 。
なぜなら、すでに定められたイゾルデとの 「恋に焦がれ、焦がれる思いのために死ねない」運命が、ここでも彼の意識下で鳴る「嘆きの調べ」によって推進され現実化したからです。
台詞を伴う示導動機「嘆きの調べ」の段階を終了し、以後は「管弦楽の言語能力」が一切を代弁する様になります。
⑧「それから彼女は/毒薬をわたしに飲ませようとした。/そのときわたしは/今度こそあらゆる病から癒えることを期待したが/差し出されたのは/身を灼くような魔法の酒。/ためにわたしは/死ぬこともかなわず/永劫の苦しみをわが身に負う羽目になった!」(38:40)
「死の薬」が「愛の薬」に替わり、「死」が「愛」に転じ、彼は三度死にそこね、三度イゾルデとの愛に引き戻された訳です。
それが彼の原理、すなわち「嘆きの調べ」の誘導する運命であったとトリスタンは述べているのです。
それが彼の原理、すなわち「嘆きの調べ」の誘導する運命であったとトリスタンは述べているのです。
⑨「この身を/苦悩にゆだねた恐ろしい飲みものは/このわたしが/わたし自身が醸したのだった!」(40:32)
⑩「父の苦痛や/母の陣痛/恋人たちの流した/ひと知れぬ恋の涙/笑いと悲しみ/歓びと苦しみ/それらのものを混ぜ合わせ/有毒の飲みものを作ったのはこのわたしだった!」(40:51)
⑪「わたしが醸し/わたしのために注がれ/わたしが歓びをすすりながら/飲み干したおそろしい飲みものよ!/呪われてあれ/それを醸したこの身も呪われてあれ!」(41:20)
論文ではこの後、『リヴァリーンとブランシェフルール』というトリスタンの父母についての補足が付け加えられています。
トリスタンの父リヴァリーンが騎士修行のためコーンウォール王マルケの宮廷を訪れた時に、王の妹ブランシェフルールと恋に落ちます。
彼はコーンウォールの武将として戦闘に出かけ勝利に貢献するのですが、瀕死の重傷を負ってしまいます。
死を待って伏せる彼をブランシェフルールは秘密裡に訪ね、身を挺して彼を愛し、その愛によって彼を死から生還させました。
こうして彼女が身ごもったのがトリスタンでした。
回復したリヴァリーンはその後故郷から敵の侵攻を知らされ帰国し、この時にブランシェフルールの懐妊を知った彼は、彼女を密かに連れ帰り妻としました。
しかしリヴァリーンは戦闘で再び重傷を負い、死亡してしまいます。
ブランシェフルールは絶望し、難産の末にトリスタンを産み落として死んでしまいます。
「父の死」と「母の悲しい運命」を幼いトリスタンが「嘆きの調べ」を背景に伝え聞いたことが、その後の彼に「嘆きの調べ」が父母の運命を想起させる一方で、彼自身の「生まれついた運命」とも化して「死にのぞんで焦がれ、焦がれる思いのために死ねない」針路を彼に示すのです。
トリスタンは父の生涯を再現して生きてきたのです。
つまり、彼は父の 「再生」として生を受けたのです。
つまり、彼は父の 「再生」として生を受けたのです。
この後、論文では「2つの疑問」が提示されます。
「(薬を)自分で醸し、自分で飲んだ」というトリスタンの告白は、第1幕の劇進行とは一致していません。
そこで薬を命じたのはイゾルデであり、薬を注ぎイゾルデに手渡したのは侍女プランゲーネでした。
もう1つの疑問は、父リヴァリーンの孤独な最期と違って、トリスタンはイゾルデに抱かれ歓喜して絶命します。
そこで薬を命じたのはイゾルデであり、薬を注ぎイゾルデに手渡したのは侍女プランゲーネでした。
もう1つの疑問は、父リヴァリーンの孤独な最期と違って、トリスタンはイゾルデに抱かれ歓喜して絶命します。
それは「嘆きの調べ」が彼に規定した死とは別のものになります。
第1の疑問ですが、「嘆きの調べ」がトリスタンの行動を規定し方向づける様に、イゾルデにも彼女を支配し誘導する示導動機が存在します。
第1の疑問ですが、「嘆きの調べ」がトリスタンの行動を規定し方向づける様に、イゾルデにも彼女を支配し誘導する示導動機が存在します。
そしてイゾルデとの経緯に言及した箇所に限り、「病めるトリスタンの動機」と呼ばれる第1幕の示導動機(論文[譜例11])が「嘆きの調べ」と並行し対をなして出現してきます。(38:10)(論文[譜例12])
つまり、この「病めるトリスタンの動機」こそ「薬の交替」を直接に引き起こしたイゾルデの示導動機と考えられます。
「病めるトリスタンの動機」というのは、第1幕3場におけるイゾルデの回想モノローグ「タントリス語り」であって、それはモノローグ全域を支配した示導動機でもありました。
それは「瀕死でアイルランドに漂着したタントリスを治療した自分が、彼の所持する剣の刃こぼれから、彼が婚約者モーロルトの仇敵トリスタンであると知って手に持った剣を振り上げたが、彼の見つめる眼差しに心乱されて剣を落とし、復讐に失敗した。」という悔恨でした。
また、その当のトリスタンに導かれて敵国の老王に嫁がねばならないイゾルデの激しい屈辱でした。
「タントリス語り」では「トリスタンを殺したくても、彼への愛のため殺せない」、彼女自身の分裂した感情が示されていました。
そして、イゾルデがブランゲーネに「死の薬」を運んでくる様に命令したにも関わらず、それに反してブランゲーネが「愛の薬」を手渡してしまったのは、ブランゲーネが「病めるトリスタンの動機」を伴った「薬の命令」を集中して聞かされている内に、イゾルデの口頭の命令ではなく、むしろ「病めるトリスタンの動機」が伝えるイゾルデの本心の要求に反応してしまったからです。
(論文では、この部分は「ニーベルングの指輪」でブリュンヒルデが父ヴォータンの命令に背いた理由と同一ではないかと書かれています。)
トリスタンが挙げる薬の原料「父の苦痛、母の陣痛、 恋人たちの流したひと知れぬ恋の涙、笑いと悲しみ 、歓びと苦しみ」というのは、父母の悲恋の凝縮以外のなにものでもありません。
つまり、この「病めるトリスタンの動機」こそ「薬の交替」を直接に引き起こしたイゾルデの示導動機と考えられます。
「病めるトリスタンの動機」というのは、第1幕3場におけるイゾルデの回想モノローグ「タントリス語り」であって、それはモノローグ全域を支配した示導動機でもありました。
それは「瀕死でアイルランドに漂着したタントリスを治療した自分が、彼の所持する剣の刃こぼれから、彼が婚約者モーロルトの仇敵トリスタンであると知って手に持った剣を振り上げたが、彼の見つめる眼差しに心乱されて剣を落とし、復讐に失敗した。」という悔恨でした。
また、その当のトリスタンに導かれて敵国の老王に嫁がねばならないイゾルデの激しい屈辱でした。
「タントリス語り」では「トリスタンを殺したくても、彼への愛のため殺せない」、彼女自身の分裂した感情が示されていました。
そして、イゾルデがブランゲーネに「死の薬」を運んでくる様に命令したにも関わらず、それに反してブランゲーネが「愛の薬」を手渡してしまったのは、ブランゲーネが「病めるトリスタンの動機」を伴った「薬の命令」を集中して聞かされている内に、イゾルデの口頭の命令ではなく、むしろ「病めるトリスタンの動機」が伝えるイゾルデの本心の要求に反応してしまったからです。
(論文では、この部分は「ニーベルングの指輪」でブリュンヒルデが父ヴォータンの命令に背いた理由と同一ではないかと書かれています。)
トリスタンが挙げる薬の原料「父の苦痛、母の陣痛、 恋人たちの流したひと知れぬ恋の涙、笑いと悲しみ 、歓びと苦しみ」というのは、父母の悲恋の凝縮以外のなにものでもありません。
この部分の声部「aus Lachen und Weinen,Wonnen und Wunden 」に注目すると、その旋律が「嘆きの調べ」後半部分の変容であることが認められます。(41:07)(論文[譜例14])
次に第2の疑問ですが、ではどうすればトリスタンは死ねるのだろうか?ということになります。
ここで第2の「 調べ」「別の調べ」が登場してきます。(50:44)(論文[譜例15])
つまり「別の調べ」とは、単に羊飼いの「イゾルデ到着の合図」ではなく、「嘆きの調べ」を払拭し、トリスタン固有の死の到来を音楽上で告知することが「別の調べ」の機能なのです。この木製トランペットによる「別の調べ」が新たに生起して「嘆きの調べ」を撤回し「嘆きの調べ」の機能、すなわち「死のうとしても死ねなかったトリスタンの(父の)運命」「イゾルデに会いたくても会えなかった(父同様の)死に方」を全解除して、父リヴァリーンとは別個の彼独自の運命をトリスタンに与えたのです。
「別の調べ」の作用によりトリスタンはイゾルデに抱かれ至福の死を遂げました。
しかしイゾルデは残されました。
そしてその状況を解決するのに、さらに後続の第3の「調べ」に委ねることになります。
それが「愛の死」においてイゾルデが歌う「この調べ」です。(1:11:47)そしてその状況を解決するのに、さらに後続の第3の「調べ」に委ねることになります。
「このしらべが聞こえているのは/わたしだけかしら?」(1:14:29)(論文[譜例16])
この台詞の箇所の旋律が、第2幕2場において恋人たちの二重唱「死の歌」を代表した旋律であることに着目すると(論文[譜例17])、「このしらべ」のもつ特別な意味が理解されることになります。
「それでは、もろともに死にましょう/離れずに/未来永劫に/一体になって/目覚めも/怖れもなく/言いようもなく/愛に包まれ/たがいにふたりだけのものになって/愛ひとすじに生きましょう!」
つまり「このしらべ」とは、この劇の2幕2場において先取される二人の「死による愛の合一」を表す示導動機であったと同時に、さらには二人の「死後の再生上での愛の成就」を音楽上で告知するという、この作品の最重要示導動機だったのです。
この作品は恋人たちの愛の進行図であると同時に、過去世、現世を経て、死後の再生へとつながるトリスタンの、あるいはその原点リヴァリーンの「魂の遍歴」を示すと考えていいでしょう。
いま唯一イゾルデに聴かれる「調べ」とは「この調べ」だけ、すなわちトリスタンとイゾルデとがもろともに死に、「未来永劫の一体化」を果たす「愛の死の調べ」ただひとつだけなのだ、と 。
自分流に書けたらいいなと思って書いてきましたが、書いている内に論文をただそのまま書き写しているだけの部分も多くなってきてしまいました。
それでも、なるべくクラシックに精通していない方でも解りやすい様に工夫を懲らしてきたつもりですが、漂泊者さん、如何だったでしょうか?
自分でもかなり勉強になった部分があったので、とても感謝しています。
記事の冒頭にも書きましたし、論文の最後の結びにも書かれていますが、ワーグナーのインド理解、仏教理解には多数の誤りがありました。
しかしそれでもワーグナーによる「輪廻転生」表現を、その思想解釈の不備を超えて、むしろ音楽研究領域において評価し跡づけていくことは大切です。
そして何よりこれらの物語は、アナンダとプラクリティの物語(過去世数万劫の輪廻転生の因縁譚の経典の世界)から着想を得て作られていることは間違いありません。
その物語から伝わってくるのは、一言で言ってしまえば仏教語でいう「因果応報」なのかもしれません。
またこれは、前回のブログにも書きましたが「他者の痛みは自分の痛みである」という仏教の教えにも繋がってくると思います。
それを悟るために、人は何度も同じ過ちを繰り返すのかもしれません。
ニーチェの「永劫回帰」は、そのことを言わんとしているのかもしれません。
そして苦難の末にもう誰も恨まなくなった時、この世の中のすべてのものを許せた時、きっと人は解脱することができるのかもしれません。
それはワーグナーの「救済」の物語と音楽に触れることによって、僕らはカタルシス、つまり心の浄化作用を引き起こしているということにも繋がってくるのでしょう。
そして漂泊者さん曰く、「その輪廻転生の中に『愛』の位置づけをしている」ということなのでしょう。
(余談ですが、仏教の経典には現代の我々が信じることすら困難なほど想像を超えた膨大な輪廻の世界が存在することが述べられているのですが、実はUFOコンタクティーの元祖アダムスキーも、この経典世界で述べられていることとまったく同じことを語っています。)
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