piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

2015年11月

前回に引き続き、ワーグナーについて掘り下げていきたいと思います。
ヴァーグナーの示導動機による「輪廻転生」表現をめぐって〜『トリスタンとイゾルデ』にみる3種の『調べ』の考察 」という論文を読みました。
漂泊者さんからこの論文のことを教えて頂いたのですが、本当に漂泊者さん、度々ありがとうございます。
 
示導動機(ライトモチーフ、Leitmotiv)とは、特定の人物・理念・状況などを表現するために繰り返し現れる楽節・動機のことで、ワーグナーの楽劇によって確立されました。
早い話が、その示導動機が「輪廻転生」にまで及んでいるという論文です。

前回にも書きましたが、インド・ヨーロッパ語族の先祖は同一のアーリア人であるというアーリアン学説をワーグナーは肯定していました。
しかし、このアーリアン学説は現在では否定されている訳ですが、この様にワーグナーのインド理解、仏教理解には多数の誤りがありました。
しかしそれでも、ワーグナーによる「輪廻転生」表現を、その思想解釈の不備を超えて、むしろ音楽研究領域において評価し跡づけていくことが大切だと論文には書かれています。


あまり知られていない「勝利者たち」という未完のオペラがあるのですが、これはインドの古典「シャールドゥーラカルナ・アヴァダーナ」を原典としていて、ブッダの弟子アナンダの修行と禁欲の生涯に基づく一種の英雄伝なのだそうです。

物語はこうです。(論文中の「勝利者たち」散文スケッチではなく、原典の方に近い内容で書いてます。)
ブッダが最後の旅をしていたある夏の日のこと、アナンダというブッダの侍者がサーヴァッティという町で托鉢を終えて帰る時、当時のバラモン教による不当な階級制度(カースト制度)の最下位と見られていたマータンガ(シュードラより下の不可触民)と呼ばれる種族の住む地域を通りかかりました。
一人の娘が井戸で水をくんでいたので「 妹よ。私はのどが渇いています。どうか、水を飲ませて下さい。」とアナンダが頼むと、その娘は「 私はプラクリティという名前のマータンガの娘です。あなたに水を差し上げるような身分ではありません。」と答えました。
アナンダは「 妹よ。私はブッダの弟子で、身分の区別など考えたこともありません。どうか、水を飲ませて下さい。」と再び頼みました。
アナンダは水をもらって礼を言ったのですが、プラクリティはその時に恋に落ちました。

それからというもの、プラクリティは着飾って再三アナンダに近づきましたが彼女の思いは通じず、そこである日、呪術を得意とする母親に何とかして欲しいと頼みました。
母親は「 自分の術はアナンダの様な欲望を超越した人と死人には通用しない。」と言って断りましたが、「 思いが叶わないのであれば死んでしまう。」と言ってプラクリティは泣き出しました。
母親は仕方なく、呪術を始めました。
術のせいでアナンダの心は乱れましたが、ブッダの法力で妖術は破られました。
がっかりした娘は再度母に頼みましたが「 私の妖術もブッダの法力にはかなわない。」と言って母親はもう取り合いませんでした。

それでも娘は諦めきれず、托鉢に出かける修行者の中にアナンダを見つけると「この方は私の夫です。」と言ってどこまでも付いてきてしまうので、困り果てたアナンダはプラクリティをブッダのもとに連れて行きました。
ブッダはそこでプラクリティの前世について語り始めます。
彼女の前世は誇り高きバラモンの娘でした。
ある賤民の王が、前世で自分がバラモンに生まれたことを覚えていて、息子の嫁に息子が激しく恋するこのバラモンの娘を望んでいました。
しかし娘は誇りと傲慢さから賤民の王子の愛を拒み、不幸な彼を嘲りました。
その罪を償うために彼女は現在、賤民の娘として生まれ変わり叶わぬ愛の苦しみを甘受せねばならないのでした。

しかしここで愛を断念し、ブッダの共同体(サンガ)に受け容れられるなら、彼女は完全な救いに導かれるだろうとブッダは言いました。
プラクリティはブッダの最後の問いに喜んで「はい」と答えます。
アナンダは彼女を妹として受け入れます。
その時プラクリティには、真理を見る清らかな眼(まなこ)が生じたといいます。
そして、ブッダの最後の説教が行われました。
プラクリティは修行を続け、やがてアラハンという聖者の位に到達したと仏典には書き残されているそうです。

この仏教素材は「勝利者たち」の構想の断念と共に表面上は放棄されましたが、ワーグナーが死の直前まで執着したそれらは、他の作品に継承され吸収され潜在的に主題化されていきます。
その様な「指環」「パルジファル」に隠された「勝利者たち」の痕跡に焦点をあて、「輪廻転生」の概念を中心にワーグナーの「仏教計画」を追跡したのがオストホフ論文です。

例えば「ジークフリート」第3幕に出現する「世界の遺産の動機」という示導動機は、 元来「勝利者たち」の音楽動機として考案されたとオストホフは指摘しているそうです。
「ニーベルングの指環」の第2日の「ジークフリート」第3幕の「ブリュンヒルデの目覚め」をYouTubeから引っ張ってきたので聴いてみて下さい。
「世界の遺産の動機」は、ここでは全部で8回(9回)出てきます。(論文[譜例1]、譜例はこの記事の冒頭の論文にアクセスして下さい。)
↓の動画でいうと(7:30、8:38、10:02、17:24、⦅17:39?⦆、18:37、25:01、26:41、30:08)の辺りに出てきます。
どの様な場面でこの示導動機が使われているか、注意深く聴いてみるのも面白いと思います。



この動機は当初ブッダあるいはプラクリティの「新しい認識」「諦念」「目覚め」「救済」等を表す動機だったそうですが、『指環』においてはヴォータンが世界支配を断念してジークフリートに後継を譲る決断を下す箇所で初出することから「世界の遺産の動機 」の名が付いたそうです。
しかし「指環」初演時の舞台稽古においてはワーグナーが同動機の演奏に対し、「新たな宗教の告知」の表現を要求したことが記録に残されていて、記録者のハインリヒ・ポルゲスもこの動機を「救済の動機」と呼んでいたそうです。
それはこの動機が「勝利者たち」における仏教概念を前提として「指環」に転用されたことを示す証拠であるとオストホフは述べているそうです。

示導動機とは関係がないですが、この動画を観ていて改めて思ったことなのですが、ブリュンヒルデの歌詞の中にも「輪廻転生」を漂わせている箇所が至る所に見受けられます。
(19:35)からジークフリート牧歌(妻コジマへの誕生日およびクリスマスの贈り物として準備された)の旋律が流れてきますが、その部分のブリュンヒルデの歌詞も「輪廻転生」を示す重要な箇所だと僕は思うのです。
「永劫の昔から、ずっと何時(いつ)も、甘い憧れの歓びを永久(とわ)に感じながら、永遠(とわ)にあなたの幸せを願って来たのよ。」
それはあたかもジークフリートの父母(ジークムントとジークリンデ)のエピソードに留まらず、もっとずっと以前の前世から繋がりがあった様な言い方です。



次に論文は「パルジファル」の白鳥とジークリンデの転生について書かれていますが、ちょっと長くなってしまうので、ここは飛ばしてこの論文の核となる楽劇「トリスタンとイゾルデ」にいきます。(ブログの最後に「トリスタンとイゾルデ」の第3幕全曲の動画を載せますので、この動画と照らし合わせながらお読み下さい。)

「トリスタンとイゾルデ」の第3幕には、主に「嘆きの調べ 」「別の調べ」「この調べ」の3つの示導動機が見られ、この三種の「調べ」の交替によって進行するドラマの構成が浮き彫りになってくるのです。
この内、輪廻転生の表現の観点から「嘆きの調べ 」(↓の動画 4:43、11:07、31:15、35:18、36:33)(論文[譜例4])を分析していくと、トリスタンの長大な回想の意味が明らかになってきます。

「トリスタンとイゾルデ」の第3幕の幕が開き海を臨む廃城の中庭にトリスタンが瀕死状態で横たわっています。
そして城壁の外からは、羊飼いによるもの悲しいシャルマイの旋律が切れ目なく響いてきます。(4:43)
イゾルデとの関係(禁じられた)が発覚し、メロートの刀に身を投じたトリスタンは、腹心クルヴェナールによって故郷カレオールに運ばれたのです。
そこで羊飼いの吹く土着の笛の旋律「嘆きの調べ」を耳にして、彼は奇蹟的に意識を回復します。(12:00)
「なつかしい調べだ/どうしてそれで目が覚めたのかなあ?」(12:05)(論文[譜例5])
(↓の動画では「昔ながらの調べだ・・・なぜ私を起こすのだ?」となっています。)
昔ながらの牧人の調べが彼を死から生へと強引に引きもどしたのですが、しかしこの 「調べ」の機能はトリスタンの蘇生ひとつに留まりません。
それは、トリスタンの父母の物語が「嘆きの調べ」のもっとも根底にあって、この示導動機が彼自身にも影響を及ぼしているのです。

時を経てなおイゾルデの船は到着せず、そのことと「嘆きの調べ」との関連を認めたトリスタンは「調べ」の意味を察知してこうつぶやきます。
「おまえの嘆くような調べには/そういう意味があったのか?」(32:18)(論文[譜例6])
(↓では「そのように受け止めねばならぬのか」)
そしてそこから「嘆きの調べ」を伴ったトリスタンの長い独白が始まるのですが、それを追跡していくと、この「嘆きの調べ」には様々な過去の意味的要素があることが明らかになってきます。

①「まだ幼かったわたしに/父の死が伝えられたとき/胸をしめつけるようなあの調べが/夕風にまぎれて聞こえていた。」(33:01)(論文[譜例7])(以降、動画↓の訳は省きます。)

②「物心のついたわたしが/母の悲しい運命について聞かされたときも/朝まだきの空に/悲しみをいやますあの音が響いていた。」(33:35)

③「父はわたしを残して死に/母もわたしを生んで死んだが/やるせないあこがれをそそる/あの調べは/彼らの死の床にも/せっせっと響いていたにちがいない。」(34:09)

 ④「かつてわたしに問いかけたあの調べは/いままたわたしに問いかける/生まれ落ちたとき/おまえを待ちもうけていた運命は何だったのか?/おまえはどんな運命に生まれついたのか?と。」(34:49)(論文〔譜例8〕)

彼の誕生時(母の死亡時)、彼の脳裏に刻まれたカレオールの土着の旋律は、その後に彼が無意識でしばしば知覚した 「嘆きの調べ」そのものであって、それは故郷の旋律に父母の愛と死の運命を凝縮合併させたひとつの記憶体でした。
そしてそれがのちには彼の運命譜として機能することになり、彼が人生の局面を迎えるたびに意識下で発動しては彼に運命を認識させ、彼を方向づけていきました。 

(35:18)に「嘆きの調べ」が流れてきます。
「嘆きの調べ」がトリスタンの意識下で再生されるたびに彼の行動を規定していき、運命を現実化させていきます。 

⑤「なつかしい調べは/答えを返して言う/恋に焦がれて死ぬと!/いや、そうではない!/恋焦がれる、いちずに焦がれる!/死にのぞんで焦がれ/焦がれる思いのために死ねないと」(35:24)(論文[譜例9])

(36:33) に再び「嘆きの調べ」が流れます。

⑥「傷口の毒が/心臓の近くまで回ってきたために/死を間近に/口もきけずに小舟に横たわっていたときも/あの調べが、あこがれを訴えるようにめんめんと響いていた/船は、帆をはらませた風のため/アイルランドの娘の方へと押し流された。」(37:29)(論文[譜例10])

(⑥に入る少し前に、弦による「病めるトリスタンの動機」が流れます。⦅37:14⦆⦅論文[譜例11]⦆また⑥の後の間奏に「病めるトリスタンの動機」と「嘆きの調べ」が交差してきます。⦅38:10⦆⦅論文[譜例12]⦆「病めるトリスタンの動機」の詳細は、この後の「2つの疑問」の所で説明します。)
(因みに⦅27:15⦆のクルヴェナールの歌の所からも、この「病めるトリスタンの動機」が数回現れています。これは最良の女医「イゾルデ」のことを示していると思われます。)

イゾルデ(アイルランドの娘)の婚約者モーロルトを征伐し重傷を負ったトリスタンは、小舟に横たわって意識下で「嘆きの調べ」を知覚し、「調べ」は彼を死へと運ぶことを中止し、かわりにイゾルデのもとへと送りつけます。 

⑦「彼女は手当てをして/いったんふさいだ傷口を/ふたたび/太刀を使って切り裂いた。/しかし彼女は振りかざした太刀を/思いなおして下におろした。」(38:24)

イゾルデが、治療をしたトリスタンに刀を振り上げたのは、彼がモーロルトの殺害者と知り復讐の衝動に駆られたためでしたが、しかしトリスタンの万感こもる眼差しに心かき乱された彼女は、刀を振り下ろすことができずそれを手から落下させます。
トリスタンはここでも死を免れました 。
なぜなら、すでに定められたイゾルデとの 「恋に焦がれ、焦がれる思いのために死ねない」運命が、ここでも彼の意識下で鳴る「嘆きの調べ」によって推進され現実化したからです。
台詞を伴う示導動機「嘆きの調べ」の段階を終了し、以後は「管弦楽の言語能力」が一切を代弁する様になります。 

⑧「それから彼女は/毒薬をわたしに飲ませようとした。/そのときわたしは/今度こそあらゆる病から癒えることを期待したが/差し出されたのは/身を灼くような魔法の酒。/ためにわたしは/死ぬこともかなわず/永劫の苦しみをわが身に負う羽目になった!」(38:40)

「死の薬」が「愛の薬」に替わり、「死」が「愛」に転じ、彼は三度死にそこね、三度イゾルデとの愛に引き戻された訳です。
それが彼の原理、すなわち「嘆きの調べ」の誘導する運命であったとトリスタンは述べているのです。 

⑨「この身を/苦悩にゆだねた恐ろしい飲みものは/このわたしが/わたし自身が醸したのだった!」(40:32)

⑩「父の苦痛や/母の陣痛/恋人たちの流した/ひと知れぬ恋の涙/笑いと悲しみ/歓びと苦しみ/それらのものを混ぜ合わせ/有毒の飲みものを作ったのはこのわたしだった!」(40:51)

⑪「わたしが醸し/わたしのために注がれ/わたしが歓びをすすりながら/飲み干したおそろしい飲みものよ!/呪われてあれ/それを醸したこの身も呪われてあれ!」(41:20)

論文ではこの後、『リヴァリーンとブランシェフルール』というトリスタンの父母についての補足が付け加えられています。
トリスタンの父リヴァリーンが騎士修行のためコーンウォール王マルケの宮廷を訪れた時に、王の妹ブランシェフルールと恋に落ちます。
彼はコーンウォールの武将として戦闘に出かけ勝利に貢献するのですが、瀕死の重傷を負ってしまいます。
死を待って伏せる彼をブランシェフルールは秘密裡に訪ね、身を挺して彼を愛し、その愛によって彼を死から生還させました。
こうして彼女が身ごもったのがトリスタンでした。
回復したリヴァリーンはその後故郷から敵の侵攻を知らされ帰国し、この時にブランシェフルールの懐妊を知った彼は、彼女を密かに連れ帰り妻としました。
しかしリヴァリーンは戦闘で再び重傷を負い、死亡してしまいます。
ブランシェフルールは絶望し、難産の末にトリスタンを産み落として死んでしまいます。
「父の死」と「母の悲しい運命」を幼いトリスタンが「嘆きの調べ」を背景に伝え聞いたことが、その後の彼に「嘆きの調べ」が父母の運命を想起させる一方で、彼自身の「生まれついた運命」とも化して「死にのぞんで焦がれ、焦がれる思いのために死ねない」針路を彼に示すのです。 
トリスタンは父の生涯を再現して生きてきたのです。
つまり、彼は父の 「再生」として生を受けたのです。 



この後、論文では「2つの疑問」が提示されます。
「(薬を)自分で醸し、自分で飲んだ」というトリスタンの告白は、第1幕の劇進行とは一致していません。
そこで薬を命じたのはイゾルデであり、薬を注ぎイゾルデに手渡したのは侍女プランゲーネでした。
もう1つの疑問は、父リヴァリーンの孤独な最期と違って、トリスタンはイゾルデに抱かれ歓喜して絶命します。
それは「嘆きの調べ」が彼に規定した死とは別のものになります。

 第1の疑問ですが、「嘆きの調べ」がトリスタンの行動を規定し方向づける様に、イゾルデにも彼女を支配し誘導する示導動機が存在します。
そしてイゾルデとの経緯に言及した箇所に限り、「病めるトリスタンの動機」と呼ばれる第1幕の示導動機(論文[譜例11])が「嘆きの調べ」と並行し対をなして出現してきます。(38:10)(論文[譜例12])
つまり、この「病めるトリスタンの動機」こそ「薬の交替」を直接に引き起こしたイゾルデの示導動機と考えられます。

「病めるトリスタンの動機」というのは、第1幕3場におけるイゾルデの回想モノローグ「タントリス語り」であって、それはモノローグ全域を支配した示導動機でもありました。
それは「瀕死でアイルランドに漂着したタントリスを治療した自分が、彼の所持する剣の刃こぼれから、彼が婚約者モーロルトの仇敵トリスタンであると知って手に持った剣を振り上げたが、彼の見つめる眼差しに心乱されて剣を落とし、復讐に失敗した。」という悔恨でした。
また、その当のトリスタンに導かれて敵国の老王に嫁がねばならないイゾルデの激しい屈辱でした。

「タントリス語り」では「トリスタンを殺したくても、彼への愛のため殺せない」、彼女自身の分裂した感情が示されていました。
そして、イゾルデがブランゲーネに「死の薬」を運んでくる様に命令したにも関わらず、それに反してブランゲーネが「愛の薬」を手渡してしまったのは、ブランゲーネが「病めるトリスタンの動機」を伴った「薬の命令」を集中して聞かされている内に、イゾルデの口頭の命令ではなく、むしろ「病めるトリスタンの動機」が伝えるイゾルデの本心の要求に反応してしまったからです。
(論文では、この部分は「ニーベルングの指輪」でブリュンヒルデが父ヴォータンの命令に背いた理由と同一ではないかと書かれています。)

トリスタンが挙げる薬の原料「父の苦痛、母の陣痛、 恋人たちの流したひと知れぬ恋の涙、笑いと悲しみ 、歓びと苦しみ」というのは、父母の悲恋の凝縮以外のなにものでもありません。
この部分の声部「aus Lachen und Weinen,Wonnen und Wunden 」に注目すると、その旋律が「嘆きの調べ」後半部分の変容であることが認められます。(41:07)(論文[譜例14])

次に第2の疑問ですが、ではどうすればトリスタンは死ねるのだろうか?ということになります。
ここで第2の「 調べ」「別の調べ」が登場してきます。(50:44)(論文[譜例15])
この木製トランペットによる「別の調べ」が新たに生起して「嘆きの調べ」を撤回し「嘆きの調べ」の機能、すなわち「死のうとしても死ねなかったトリスタンの(父の)運命」「イゾルデに会いたくても会えなかった(父同様の)死に方」を全解除して、父リヴァリーンとは別個の彼独自の運命をトリスタンに与えたのです。

つまり「別の調べ」とは、単に羊飼いの「イゾルデ到着の合図」ではなく、「嘆きの調べ」を払拭し、トリスタン固有の死の到来を音楽上で告知することが「別の調べ」の機能なのです。
「別の調べ」の作用によりトリスタンはイゾルデに抱かれ至福の死を遂げました。
しかしイゾルデは残されました。
そしてその状況を解決するのに、さらに後続の第3の「調べ」に委ねることになります。
それが「愛の死」においてイゾルデが歌う「この調べ」です。(1:11:47)

「このしらべが聞こえているのは/わたしだけかしら?」(1:14:29)(論文[譜例16])

この台詞の箇所の旋律が、第2幕2場において恋人たちの二重唱「死の歌」を代表した旋律であることに着目すると(論文[譜例17])、「このしらべ」のもつ特別な意味が理解されることになります。 

「それでは、もろともに死にましょう/離れずに/未来永劫に/一体になって/目覚めも/怖れもなく/言いようもなく/愛に包まれ/たがいにふたりだけのものになって/愛ひとすじに生きましょう!」

つまり「このしらべ」とは、この劇の2幕2場において先取される二人の「死による愛の合一」を表す示導動機であったと同時に、さらには二人の「死後の再生上での愛の成就」を音楽上で告知するという、この作品の最重要示導動機だったのです。

この作品は恋人たちの愛の進行図であると同時に、過去世、現世を経て、死後の再生へとつながるトリスタンの、あるいはその原点リヴァリーンの「魂の遍歴」を示すと考えていいでしょう。
いま唯一イゾルデに聴かれる「調べ」とは「この調べ」だけ、すなわちトリスタンとイゾルデとがもろともに死に、「未来永劫の一体化」を果たす「愛の死の調べ」ただひとつだけなのだ、と 。



自分流に書けたらいいなと思って書いてきましたが、書いている内に論文をただそのまま書き写しているだけの部分も多くなってきてしまいました。
それでも、なるべくクラシックに精通していない方でも解りやすい様に工夫を懲らしてきたつもりですが、漂泊者さん、如何だったでしょうか?
自分でもかなり勉強になった部分があったので、とても感謝しています。

記事の冒頭にも書きましたし、論文の最後の結びにも書かれていますが、ワーグナーのインド理解、仏教理解には多数の誤りがありました。
しかしそれでもワーグナーによる「輪廻転生」表現を、その思想解釈の不備を超えて、むしろ音楽研究領域において評価し跡づけていくことは大切です。

そして何よりこれらの物語は、アナンダとプラクリティの物語(過去世数万劫の輪廻転生の因縁譚の経典の世界)から着想を得て作られていることは間違いありません。
その物語から伝わってくるのは、一言で言ってしまえば仏教語でいう「因果応報」なのかもしれません。
またこれは、前回のブログにも書きましたが「他者の痛みは自分の痛みである」という仏教の教えにも繋がってくると思います。
それを悟るために、人は何度も同じ過ちを繰り返すのかもしれません。
ニーチェの「永劫回帰」は、そのことを言わんとしているのかもしれません。
そして苦難の末にもう誰も恨まなくなった時、この世の中のすべてのものを許せた時、きっと人は解脱することができるのかもしれません。

それはワーグナーの「救済」の物語と音楽に触れることによって、僕らはカタルシス、つまり心の浄化作用を引き起こしているということにも繋がってくるのでしょう。
そして漂泊者さん曰く、「その輪廻転生の中に『愛』の位置づけをしている」ということなのでしょう。

(余談ですが、仏教の経典には現代の我々が信じることすら困難なほど想像を超えた膨大な輪廻の世界が存在することが述べられているのですが、実はUFOコンタクティーの元祖アダムスキーも、この経典世界で述べられていることとまったく同じことを語っています。)


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僕の猫は音楽が大好きです。
僕が作曲した音楽を聴かせると、曲が終わった瞬間に僕に駆け寄ってきて、膝に飛び乗って口の周りをペロペロと舐めます。
モーツァルトが好きで、流すとステレオの近くに行って身体を丸めて目を瞑って聴いています。
逆に大嫌いなのがワーグナーとR.シャトラウス。(どちらもリヒャルトだけど・・・)
僕の猫は目がとても大きいのだけれど、ワーグナーを聴いているとその大きな目をさらに大きくして、「なんでこんな音楽を聴かせるのだ!」とでも言っているかの様に僕を凝視します。

理由はたぶん、どことなく魔界と繋がっている雰囲気もあるし、それにヒトラーが崇拝していた作曲家ということで、人々の潜在意識の中にネガティブなイメージが植え付けられているからかもしれません。
僕の猫はそういう人類の潜在意識的なことも感じ取っているのかもしれません。
僕がどうしてもワグネリアンにはなれない理由は、そうしたところにあるのです。 
しかし、それでもどういう訳だか、僕は時々ワーグナーの毒を味わいたくなってしまう。
してはいけない危険な遊びをするかの様に・・・。

ブログに何度も書いてきたことですが、人がこの世に生きている目的は、霊的に成長することだと思っています。
何でも自分の思い通りになってしまったら、霊的に進化していきません。
この世は光と闇が同居しています。 
闇が深ければ深いほど、光はより一層輝きを増していきます。
昼間に星は望めません。
ワーグナーの世界は、絶望と救済が互いに渦を巻いています。
カタルシス、つまり精神の浄化作用がそこにはあるのです。
天国の素晴らしさをより一層強く感じるために、この地獄世界の隅から隅まで味わい尽くしているのです。
ワーグナーの毒の魅力は、そうしたカタルシスにあるのです。


ところで、漂泊者さんからワーグナーとUFOについてとても興味深いコメントを頂いたので、今回はそれについて掘り下げていきたいと思います。
毎回そうですが、今回もちょっと長い記事になるかと思いますが、是非最後までお付き合い下さい。

ワーグナーといえば、当然クラシックファンであっても結構苦手な方が多いと思います。
しかし逆にワグネリアンと呼ばれている方たちは、ワーグナー以外は音楽だと認めないほど心酔しています。
前述した様に、ワーグナーの音楽には毒があります。
ナチスがワーグナーの音楽をプロパガンダとして利用した理由も、そこにあります。
しかしヒトラーがワーグナーの音楽を本当に理解していたかというと、意外にそうでもなかったのかもしれません。
ヒトラーが本当に興味があったのは、音楽よりも舞台装置だったともいわれています。

さらに、実はワーグナーは文筆家としても良く知られているのですが、ドイツのある音楽雑誌に匿名で「音楽におけるユダヤ性」という反ユダヤ主義の論文を発表しているのですが、それをワグネリアンであるヒトラーが読んでユダヤ人大虐殺(ホロコースト)に繋がっていったといわれています。
つまり、ヒトラーがワーグナーをプロパガンダとして利用した最大の理由は音楽ではなく、インド・ヨーロッパ語族の先祖は同一のアーリア人であるというアーリアン学説(ワーグナーが肯定している)にあった訳です。
それは最も純血のアーリア人はゲルマン民族であると言う考え方を生み出し、それがイギリスではインド支配の正当化に利用され、建国間もないドイツではドイツ民族の一体化に利用されていき、さらにナチスによって極端なアーリア人崇拝とスラブ支配を正当化していきます。
しかし当然のことながら、このアーリアン学説は現在では否定されています。


ナチスというとヒトラーが作ったと思っている人が大多数だと思いますが、実はそうではなく、ヒトラーに思想的影響を与えたカール・ハウスホーファーという人物が作ったといってもいいのかもしれません。
ハウスホーファーは第一次世界大戦で数々の軍功をあげた将軍でしたが、大戦後はミュンヘン大学の地政学の教授になり、またインドやチベットで諜報活動に従事していて、チベットではラマ僧から奥義も受けたそうです。
1908年からはしばらく武官として日本に滞在していて、その間に禅の研究も行なっています。
そしてアカデミズムはその存在すら否定していますが、「緑龍会」という日本の秘密結社に入会していたといわれています。
「緑龍会」の目的は、人間に内在する神秘能力を修行によって開花させることにあって、その起源はチベットにありました。
ハウスホーファーはベルリンに「ヴリル協会」という秘密結社を立ち上げるのですが、その目的はアーリア人種の根源を探り、ヒンズー教のクンダリニー・エネルギーに相当する「ヴリル」の気力(ヴリル・パワー)を呼び起こすための精神集中訓練を行なうことでした。

1923年にハウスホーファーはランズベルク刑務所で、ミュンヘンのビヤホール暴動に失敗して捕らえられていたアドルフ・ヒトラーと運命的な出会いをします。(教え子のルドルフ・ヘスによる仲介にて)
彼は毎日のようにヒトラーを訪れてはユダヤ人によるドイツ支配を崩し、優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されなければならないと説き、オカルティズムによる世界征服という思想をヒトラーに植え付けていきました。
そして彼はブルワー・リットンのSF小説「来たるべき民族」が真実であると本気で考えていて、ヒトラーにも本を渡して読ませているのですが、それがヒトラーがチベットのシャンバラ伝説を目覚めさせるきっかけとなりました。
著者のリットンは、「来たるべき民族」はフィクションであると主張していましたが、イギリスの秘密結社「黄金の夜明け団」は、リットンが神秘主義に深く通じていて薔薇十字系の結社の会員でもあったので、リットンは実際に「地底人」と接触しているのではないかと考えていました。
この「黄金の夜明け団」のドイツ支部のメンバーに、なんとカール・ハウスホーファーがいたのです。

ハウスホーファーは、チベットの地底王国アガルタは「瞑想の場、神の隠れた都市、世界のどんな人間も入れない場所」であり、その首都シャンバラは「その力が個々の人間や集団に命令を下し、人類が時代の転換点へと達するのを助ける町」であると述べています。
また彼は、アガルタを中心とした中央アジア地域こそゲルマン民族発祥の地であると信じ、地政学の観点からもこの地域を制する者こそが世界の覇権を握るのであると主張していました。
ヒトラーは学者たちにリットンの生活を詳しく調査させ、リットンが「ヴリル・ヤ(地底民族)」に至る坑道を発見したと思われる鉱山の正確な場所や、訪れた日時までも割り出させました。
その後もハウスホーファーや「ヴリル協会」の後押しで、ナチスは何度もチベットに調査団を派遣させます。

また、シャンバラと深い関わりがあると思われるチベットの僧侶を大勢ベルリンに迎え入れ、彼らのヴリル技法によって軍事政策を支援させようとしました。
やがて、ベルリンとミュンヘンにもちょっとした「チベット人区」が出来上がっていきました。
しかしナチスに協力していたのはチベットの一派だけで、彼らは「緑の男の会」として知られていて、その名前の通り「緑龍会」との繋がりもありました。
彼らは透視力と予知力のある僧侶で、ドイツ議会で選出されるナチスの代表議員を3度も正確に予言しただけではなく、ヒトラーがドイツの指導者になる正確な日付、そして第二次世界大戦が始まる日付まで言い当てたそうです。



1934年、ドイツの探検家テオドール・イリオンは、理想郷「シャンバラ」を捜し求めて、当時領内に外国人がいることが違法とされていたチベットに単身入国しました。
外国人だと分かれば殺されるので、顔と頭髪を茶色の染料で染めてチベット人に変装し、ロシア南東部から潜入したそうです。
彼は2年も孤独な旅を続け、ついにサンポ渓谷(別名「神秘の谷」)に地下都市があるという情報を耳にして潜入していきます。
地下の出入口から粗末なガウンを着た地底人の集団が出てきて、「ゾンビのような目」をした無表情な女性に導かれて、地下の聖都へ入る階段を降りていきました。
彼女は、この地下都市には約100名の住人がいると説明しました。
やがて彼は、「光の王子」と名乗る最高位の人物に会うことに成功するのですが、徐々にここは聖なるシャンバラどころか、人肉食の習性を持ち人間の魂を奪い取る「闇の霊団」の国であることに気づきはじめ、決死の脱出を図ります。
彼は3日間しか滞在しなかったのですが、それは数十年に匹敵するほどの思いだったそうです。
1937年にそのショッキングな体験記録は各国のラジオ・新聞などで大々的に報じられ、同じ年にドイツの出版社から本となって出版されました。





飛鳥昭雄先生のこの話↑が本当なら、ホロコーストはワーグナーでもヒトラーでもなく、日本人の意志によるものだという、とんでもなく空恐ろしいことになってきます。
先生はモルモン教徒ということもあるし、時々怪しさも感じるのですが、しかし僕は8割程度は真実なのではないかと思っています。(どこからその情報を入手しているのかは兎も角として・・・)


地底人の話に戻りますが、そういえば俳優の的場浩司さんが、以前にテレビのトーク番組で皮膚が緑色をした人が街を普通に歩いていたと話していたのを思い出しました。
僕は現実には見ていないのですが、全身が緑色の女性を夢の中で何度か見ています。
飛鳥先生が仰っている巫女かどうかは分かりませんが、その人は五色人の青(緑)人なのかもしれません。

またこれも僕の体験談なのですが、知人から小さな秋田のなまはげの人形がついているストラップを頂いたその日の夜に、こんな夢を見ました。
どんよりとした薄気味悪い夜空に、ぼぉ〜とした光が幾つも現れて、その光の物体から霧状の小さな白いものを僕に向けて噴出してきて、僕は必死でその白いものから逃げるという夢でした。
この夢は間違いなく霊的な夢で、しかも頂いたなまはげが関係しているのを強く感じました。
それから、場所が何となく秋田の黒又山を連想させました。
黒又山(クロマンタ)は日本のピラミッドとしても有名で、UFO多発地帯でもあります。
ひょっとするとチベットのサンポ渓谷の様な地下世界の入り口が、このピラミッド(クロマンタ)の内部にもあるのかもしれません。

そういえば、ワーグナーの舞台祝典劇「ニーベルングの指輪」のニーベルング族というのは地下世界に住んでいます。
アルベリヒが、その地下世界の長。
そのアルベリヒが「ラインの黄金(世界を支配する力を持つ)」を盗んだことから世界が危機的状況に陥っていくのですが、ひょっとしたらアルベリヒは地底王国アガルタを追放された赤鬼青鬼と関係があるのかもしれません。
ワーグナーは、地下世界の存在を知っていたかもしれない。

前回の記事にも書きましたが、ワーグナーの作品の所々に、ついついUFOや宇宙人を連想してしまいそうになる箇所があったりするのです。
コメントにも書きましたが、例えばワルキューレが戦死した英雄をヴァルハラへと導く場面も、死者を天上に連れていくというのはUFOを連想させます。
異星人は死者の霊をUFOに乗せて別の惑星(天国)へ連れて行くのだと、あるスピリチュアルでは言われているのですが、僕も経験上それは事実だと思っています。
ローエングリンが白鳥に乗って空から降りてくる場面などは、まさに異星人の到来です。

トリスタンとイゾルデの前奏曲の冒頭は、まず短いトリスタンを示すフレーズ(弦)が流れて、そのすぐ後にイゾルデを示すフレーズ(木管)が続きます。
その短い2つのフレーズが何度も互いに絡まりあいながら、音楽は徐々に盛り上がっていきます。
その2つのフレーズのやり取りが、僕は何だかUFOから発せられるシグナルの様に感じてしまうのです。
またトリスタンとイゾルデは前世から繋がりがあり、この現世では禁じられた恋愛で成就しなかったけれど、死によって星となり別世界で結ばれるというエンディングは、いかにも日本の織姫と彦星を連想してしまい、前述した「異星人が死者の霊をUFOに乗せて別の惑星(天国)へ連れて行く」ということとの繋がりを感じてしまう訳です。
そういうことで、僕にはどうもワーグナーは「異星人」、言い換えれば「地底人」からメッセージを受け取っていたとしか思えなくなってくる訳です。

ワーグナーは確かに反ユダヤ主義者でした。
しかしヒトラーとまるで違うのは、ワーグナーはそのことでとても苦しんでいました。
それは、最晩年の楽劇「パルジファル」にも顕されています。
純血のアーリア人である主人公がユダヤ人女性の誘惑をしりぞけて退廃した官能の城を粉砕、病めるキリスト教世界に救いをもたらすという物語なのですが、実際には女性の誘惑の口づけこそが他者の苦しみを主人公に教えて悟りを導き出すのであって、そこに「闇あってこその光」という警告を放っているのです。
つまりこの作品は、他者の痛みは自分の痛みであるという仏教の教えにも通じていて、またそれは宇宙の叡智だと言ってもいいかもしれません。
ワーグナーの歌劇は異星人(若しくは地底王国アガルタ)から現代人へのメッセージ、言い換えれば警告なのです。
MET_WAL-1
iclassic 様 の記事より勝手に拝借しましたm(__)m



下記は漂泊者さんから頂いたコメントを抜粋したものです。
漂泊者さん、どうもありがとうございました。

「いったい音楽の精霊は、ワーグナーにいったい何を伝えたかったのでしょうか。神々の黄昏の物語は、黄金の指環の魔力によって、神々の世界が崩壊してゆく物語であり、それは現代の社会では、国際金融資本主義の持つ富と権力が地球を破壊してゆくことに繋がり、まさに北欧神話の世界は、経済の世界では現実の姿を示しています。そしてその先に核戦争があるのであれば、今の世界に表されている現象とは、過去の世界で起きた北欧神話の実体のカルマの再現なのかもしれません。 」

金星人オムネク・オネクの本に書かれているそうですが(読んでいませんが)、過去の金星での資本家達が支配する高度な都市文明の中で、多くの人々が都市文明の価値観を拒否して自然の世界に戻っていったそうです。
ドイツでも多くの若い青年達の世代の中にワンダーフォーゲルという社会現象が流行の様に起きて自然の世界に戻っていったそうです。
この様にドイツと金星はどこかで深くシンクロしていて、ドイツの中で起きたことは過去の金星の中で起きた出来事の縮図ではないかという記事を読みました。

ワーグナーが描いたのは、環境から疎外された人間の内なる心(自然)のうめきに他なりません。
ワーグナーが生きていた時代は、産業革命と貨幣経済によって自然が破壊されて、人の絆も薄まっていった時代でした。
彼の「未来の芸術作品」という本には、こう書かれているそうです。
「機械化した労働では個人は歯車の一部にすぎず、文学や音楽など個々の芸術ジャンルも孤立による限界を示している。自分の作品はそれらをドラマという有機的な全体に束ねあげ、同時に人間性の回復を謳(うた)うものなのだ。」



最後にワーグナーの「トリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死」を載せておきます。
因みに僕は以前に、このショルティ&シカゴ響の演奏を聴いてからワーグナーの虜になってしまったのです。

勝手に拝借しますm(__)m




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今日は唯物論者ではない方も、きっとかなり信じられない様な記事になると思います。
でも、推測や憶測が外れることはあるとは思いますが、現実に目の前で起きていることはすべて忠実に書いています。
勘違いや見間違えなどは、一切ありません。
その殆どが検証など出来ないほど不可思議に満ち溢れているのですが、自分なりに考えてみたので、是非最後までお付き合い下さい。

ちょっと気になることがあってイエス・キリストについて調べていたのですが、そのせいなのか、ここの所イエスの夢を何度か立て続けに見ています。
といっても夢の中でイエスに会えたというよりも、夢の中でもイエスの足跡を辿っている様な感じで、でも夢の内容はほとんど忘れていて、目覚めた時、あっまた似た様な夢を見たなと思う程度です。

ずっと寝る前にガヤトリーマントラを唱えているせいなのか、実は夢を見ることが少なくなっていました。
ひょっとしたら夢を見ているのかもしれないけれど、まったく覚えていない・・・。
最近、夢を見るというのは精神的にあまり良くない状態を表していて、夢はその良くない状態を補正する役割があるのではないかと思う様になりました。
それは確か、フロイトの「夢判断」にも書かれていたことだと思います。
しかしマントラを唱えて眠ると夢を見なくても誰かが補正をしてくれて、しかもそれ以上の良い効果が得られるということなのかもしれません。

何日か前、マントラを唱えるのを忘れたというよりも、ちょっと都合で唱えなかった日がありました。
そうしたら途端に夢を見て、しかも夢の中で金縛りに遭いました。
金縛りはよく疲れている時に起きて、身体が半分眠って半分起きている状態に起きるのであって、それは科学的に解明されているという学者もいますが、そういう金縛りもあるのかもしれませんが、でもこれは間違いなく霊的なものでした。
僕は夢の中で必死にマントラを唱えていましたが、「そんなもの効くか」とばかりにさらに激しく攻撃してきました。
何とか身体をねじる様にして金縛りから抜け出し、目を覚ますことができました。
夢から覚めた後もマントラを唱え続けていましたが、夢の一場面一場面を思い出しながら唱えていると、体中に電気が走る様になりました。
決して相手を攻撃するのではなく、相手を思いやり相手の心の平和を願いながら唱えていたのですが、その思いを強くすればするほど、電気の走り方は一層強くなりました。
僕は最近、あるポップスのグループの音楽が好きになって、その音楽を何度も聴いている内に、そのグループの裏側に悪魔の存在を感じる様になって、つまりその魅力的な音楽は悪魔が醸し出していた魅力だったのだけれど、金縛りは間違いなくその悪魔によるものです。

こうしたことは前にも2〜3度あったのですが、その度ごとにマントラの効力を実感するのです。
それはそうと普段はマントラを唱えた後は夢を見なくなるのですが、今回はその後にイエスの夢を立て続けに見ている訳です。
キリスト教信者の方もひょっとしたらこの記事を読むかもしれませんが、その方には大変申し訳ないのですが、僕はキリスト教(特にカトリック)こそが悪魔崇拝教だと思っているのです。(過去に異教徒への大虐殺があった)
しかし、ことイエス・キリストに関してはまったくネガティブなものは感じられず、むしろとても良いイメージがあります。
イエスは一神教の神だとは思えませんが、間違いなく霊的な存在としてこの世に関与しています。
イエスだけでなく、聖母マリアの存在も感じます。

ひょっとしたら、僕は何度か道でイエスとすれ違っているかもしれません。
僕だけではなく、家族もそうかもしれません。
お袋が以前、こんなことを話してくれました。
長髪で背の高い男の人から、すれ違い様に突然抱きつかれたそうです。
あまりにびっくりして何も考えられなかったそうですが、不思議と全然嫌な気はしなかったそうです。
つまり、変態ではなかった。(笑)
僕は直ぐさま「その人はイエス・キリストじゃなかったの?」と訊いたのですが、「えっ、わからない」と言ってさらにお袋は驚いてしまいました。


ところで、僕がよく見るのは子供の姿をした神様です。
3人の子供の神様で、1人は面長で利発そうな顔立ちの子供で、1人は小太り気味で丸顔でお喋りで、最後の1人は女の子。
例えば僕が自転車に乗っていると、面長の子がキックボードに乗って近づいて来て、正面衝突しそうになったので右にハンドルを切るとその子も右側へ、左に切ると左側へ切ってきて、寸前の所で僕はまた右に切って男の子とすれ違ったのですが、その時その男の子は「この人は〜、この人は〜、あっ!がんばってる!」と言って、その後何度も何度もバンザイをしていました。

それからかなり昔の話なのですが、丸顔の子と初めて道端ですれ違った時、僕を見て「あっ!タバコ吸ってる!」と言いました。
そうしたら隣にいた母親が「何言ってるの」と言いながら笑っていました。
僕は今はタバコは止めて吸っていませんが、十数年前の当時は結構なヘビースモーカーでした。
不思議なのが、あたかもこの子はこの時間この場所で僕と道端ですれ違うのを知っていたかの様でした。
2度目にその子を見た時、遠くから僕に手を振りながら「がんばって!がんばって!」と言っていました。
この時、僕は重要な仕事が控えてた。
本当に僕のその時の現状とか未来とか、すべて知っている様でした。

最後の女の子ですが、十数年前の大学時代に僕は精神的にかなり乱れていた時代があって、憂さ晴らしにゲーセンに1人で遊びに行った時、ひょっとどこからともなく女の子が現れてメダルゲームのコインを一枚、僕の座っているテーブルの上に置いてどこかへ行ってしまいました。
僕は同じことが確か以前にもあったことを思い出していて、デジャヴの様なものを感じました。
3人の子供はそれからそれぞれ何度か見かけましたが、それが最近、3人が同時期に現れました。
その時初めて3人はひょっとしたら神様の化身、しかも古事記の最初に出てくる造化三神なのかもしれないと思いました。
若しくは、三大天使(ミカエル、ラファエル、ガブリエル)かもしれない。
確か女の子をゲーセンで最初に見たのは二十数年前。
二十数年経っていればもう成人になっている筈なのに、5〜6才の女の子のままで顔もまったく変わっていない。
そしてその時、面長の子がやっていたバンザイをその女の子がやっていた。

最近、『エクソダス:神と王』(1956年の映画『十戒』のリメイク)という映画を観たのですが、この映画では神(ヤハウェ)が子供の姿で描かれています。
神は人が一番親しみやすい姿で現れるのかなと思って、あの僕が遭遇した3人の子供を思い出して、思わず笑ってしまいました。
笑うっていうと語弊があるかもしれませんが・・・。



僕がたとえどんな状態にあっても、神や天使は常に僕の傍にいるのかもしれない。
ise01
↑はもう以前に何度かブログに貼付けたものですが、伊勢神宮にお参りした後に空に現れたクリスタルベルの写真。
これがただの飛行機雲ではないという証拠に、飛行機が逆さまの4という数字を描く様に飛んでいるのが分かるのです。
写真の左上から描き始め、右下に行ってから急激に135度左下に折れ曲がり、その間は雲は描かれていなくて、しばらく行ってから再び135度右上に折れ曲がってまた雲が描かれている。
つまり、直角二等辺三角形です。
右下の135度の折れ曲がりは、雲が薄くなっていてこの写真では分かりづらいですが、真ん中からやや左下の135度の折れ曲がりの所では、その曲がり口が雲ではっきりと描かれているのが分かるかと思います。
しかし普通の飛行機が、こんな曲がり方をしますか?
風で折れ曲がるにしてもおかしい・・・。

空のX印はルーンの「ギューフ」の様だと、ちるまさんがコメントで教えて下さいました。
贈り物、無償の愛という意味があって、「愛しているよ」という上の方達からのメッセージかもしれないとのことです。
ちるまさん、ありがとうございました!!
ルーンというのは、北欧ルーン文字のことです。
ゲルマン人が用いた古い文字体系で、2〜3世紀頃から中世後期にかけてスカンディナヴィアで用いられていたそうです。
僕は北欧神話と聞いただけでゾクゾクしてしまうほど好きなので、ちるまさんのコメントを読んでかなり興奮してしまいました。
なんと言ったって、あのワーグナーの「ニーベルングの指輪」の世界ですから・・・。(通称「リング」は、ワーグナーが北欧神話や英雄伝承からモデルを得て物語を作っています。)
ワグネリアン(ワーグナーの音楽に心酔している人)ってほどではないにしても、僕は作曲をすると無意識的にワーグナーのコード進行を多用してしまうほど好きです。
そのワーグナーの作品の主題で一貫しているのが「救済」です。
まさに、ルーンでいう所のX(ギューフ)な訳です。
またワーグナーの作品の所々に、ついついUFOや宇宙人を連想してしまいそうになる箇所があったりするのです。
ワーグナーとUFOが、何だかの関連性を持っていることは間違いありません。



何故なのか、近頃はクリスタルベル(UFO)を目撃することがまったく無くなってしまったのですが、UFOの「ウォンウォンウォン〜」という音は毎日の様に聞こえてきます。
寝る前に聞こえてくることは以前からあったのですが、最近は目覚めた後も聞こえてきます。
UFOコンタクティ、UFO撮影家の武良信行さんがUFOを呼ぶ時に、色んなグッツや撮影許可証を掲げながら「グァングァングァン〜、グォングォングォン〜」なんて叫んでいますが、本当にそんな音です。
武良さんが仰っているディスク・スキャナーと呼ばれる小型UFOなのかもしれません。
以前に実際に僕も、金属色の丸いボールの様なUFOをハッキリと目撃したことがあります。
クリスタルベルも、この丸いボールの様なUFOが飛行機形に変化したのだと考えています。
また、鳥の様な動物や人間にも変化しているのかもしれません。
あの3人の神の子供たちや、よく僕の目の前に現れる不思議な謎の人物たちも、ひょっとしたら丸いボールの様なUFOが変化したものなのかもしれません。
だからあの音が聞こえてくると、寝ながらそうした謎の人たちを思い出して愛おしく思ったり、感謝したりしているのです。

僕が飼っている猫は、人の感情を読み取ることができます。
それと同じ様に、ディスク・スキャナーのUFOも人の感情を読み取っているそうです。
僕の猫は、波長が下がったり何かが身体に憑依していると怒り出します。
普段は愛情深くて大人しい猫なのだけれど・・・。
それだけではなくて、明らかに遠くにいる誰かと交信していて、傍にいる人たちの状況を誰かに伝えています。
武良さんによればディスク・スキャナーUFOも、地球の人間の意識や動物や植物や鉱物や地球の状態を調べていて、南極の地下深くにあるセントラル・コンタクト・ルームにディスク・スキャナーで読み取ったものを転送して未来をシュミレーションしているそうです。

もちろん闇側の異星人もいますが、クリスタルベルやディスク・スキャナーUFOはマイナスな感情や恐怖心を持っていると現れなくなったりするので、ポジティブな異星人に違いありません。
UFOは何千年も昔から地球に来ていて人類にずっと干渉し続けてきたのなら、ひょっとしたらあのイエスが行った数々の奇跡も、モーゼの十戒や海が割れたことも、異星人が絡んでいたとしか思えなくなってきます。

問題なのが、今のこの社会を作ってコントロールしているのが闇側の異星人だということです。
光側の異星人はこの社会の隙間を縫って、密かに人間たちを助けようとしているのがよく分かります。
だから僕も、密かにこのブログを書いているのですが・・・。
光側の異星人は密かに・・・だけど、きっと出来るだけ多くの人を助けようとしているのです。
それはワーグナーの「救済」の様にです。
ルーンのX(ギューフ)の様にです。
長髪イエスやバンザイをする神の子供たちの様にです。


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