piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

2016年02月

「物質界(3次元世界)に焦点を当てすぎている」
スピリチュアルの世界で生きておられる方たちが前回の記事を読んだら、きっとそう思うかもしれません。
確かに、政治の話はジャッジが付きものです。
精神世界において、人をジャッジするのではなく(自分の外側に重きを置かずに)、自分の内側に意識を集中させることが重要なのはよく分かっています。
しかし、まったく世間から離れてしまうのも良くないのではないか、むしろこの物質世界で繰り広げられているありとあらゆるドラマを味わい、味わい尽くすことによって得られる慈悲の心こそ、僕らがこの世に生まれ求めているものではないかと思うのです。

例えば、僕がもっとも尊敬しているアッシジの聖フランチェスコ、(1182年〜1226年)という人物は、俗世間から離れて山の中で禁欲的な生活を送っていたと思われていますが、実は教会を建て直したり貧しい人を助けたり精力的な布教活動を行ったりと、ちゃんとこの現実世界に寄り添って生きていました。
それはもちろんイエス・キリストからの啓示があったからですが、要するに外界に対してまったく相手にしないなんてことはしていなかったのです。

ペルージャとアッシジの戦いで捕虜になったフランチェスコは、牢獄で幻視や神の声を聞くなど不思議な体験をします。
1年以上を牢獄で過ごした後に釈放されて、和議が成立していたアッシジの町に帰ることができて、裕福だったフランチェスコの両親は息子の帰還に盛大なパーティーを開きます。
しかしフランチェスコはそのパーティーから抜け出して、街で見かけたハンセン病の人を思わず抱きしめます。
ハンセン病(ライ病)は当時、神罰を受けた「穢れた病気」として忌み嫌われていて、医学知識が十分に発達していないこともあって感染力が強いという誤解を受けていました。
フランチェスコは、そのハンセン病の人に自分の財産さえ渡してしまいます。

そしてアッシジ郊外のサン・ダミアノの聖堂で祈っていた時、「わたしの家を建て直しなさい。」という啓示を受けたフランチェスコは、父の不在中に商品を持ち出して近隣の町で売り払い、その代金をサン・ダミアノの下級司祭に差し出します。
それを知った父親は怒り、アッシジ司教の前で父子の対決をするのですが、フランチェスコは服を脱いで裸となり、「全てをお返しします」と言って衣服を父に差し出し、フランチェスコにとっての父は「天の父」だけだとして親子の縁を切って、裸で森の中へと消えて行きます。

フランチェスコが宣教を始めたのは、1208年か1209年の頃です。
街頭や広場に立ち、聖職者が用いるラテン語ではなく日常語のイタリア語で聖書を教えました。
彼は歌や音楽も利用して、巧みな説話で人々の心を捉えました。
そうした芸能的ともいえる活動から、フランチェスコは「神の道化師」とも呼ばれました。

彼は動物と会話をすることが出来たといいます。
彼は人間だけではなく、鳥にも説教をしていたそうです。
また村に大きなオオカミが出没して農作物を荒らされて村人たちが困っていた時、彼はそのオオカミと会話をして、餌を置いてくれたらもう農作物を荒らさないとオオカミが約束してくれたので、それを村人に話しました。
村人が餌を置く様になってからは、オオカミが出没することはなくなったそうです。

ちょうどそれと同じ頃、教皇イノケンティウス3世の呼びかけによって約1万の十字軍がリヨンに集結していました。
あの悪名高きアルビジョア十字軍です。
そして、カトリックによる人類史上稀に見る大虐殺が行われていく訳です。

同じく僕が尊敬して止まないのが、ジャンヌ・ダルク。
彼女は、王太子シャルル7世を助けてイングランドに占領されていたフランス領を奪還せよという神(イエス)の啓示を受けてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収めます。
しかしブルゴーニュ公国軍によって捕らえられ、そして異端審問にかけられて、彼女は魔女であってキリスト教の敵であるとして異端の判決を受け、19歳で火刑に処せられます。
彼女は最期に「肉体は滅んでも、魂は永遠に生き続ける。」と叫んだといいます。


聖フランチェスコ、そしてジャンヌ・ダルク、2人に共通して言えることが神(イエス)とのコンタクトです。
コンタクトがあったからこそ、2人は聖人になったのです。
重要なのが、そのコンタクト。
我々凡人にコンタクトなどある筈はないと思われがちですが、そんなことはありません。
現代でもイエスを見た、啓示があったと言う人は後を絶ちません。
実は僕も2〜3度、イエスの啓示と思われる夢を見ています。

前回のブログ記事を書いた翌日にも、こんな夢を見ました。
夢の中で、イエス・キリストという言葉が浮かんでいました。
そして、紙に書かれた3333333という数字を見ていました。
目が覚めた後、僕はあの3並びの数字はイエスを顕しているのではないかと思いました。
僕が原発に関して危惧していることは、イエスもまったく同じなのではないか、そして福島の人々を、今も見守っているのではないかと思いました。
いやそれだけではなく、もう2度と福島の様な事故が起きない様に、この日本の全体を見守っている様な気がするのです。

因みに、僕はキリスト教信者ではありません。
僕はイエスは一神教の神ではなく、グノーシス派の考えに近くて、一天使にすぎないのではないかと思っています。
というより、高次元に住む異星人だと捉えています。
イエスは時々、自分の存在を地球人に示すために、UFOという人間の目に見える姿となって現れるのではないかと思っています。

UFOの目撃情報が急激に増えたのが、あの広島、長崎の原爆投下の後でした。
冷戦時代の米ソの水爆実験の時にも、多くのUFOが目撃されています。
核開発とクローン技術は、人間が踏み込んではならない神の領域だと警鐘を鳴らしている人もいます。

一昨年、米国物理学協会で有名なプラズマ物理学者が「火星の古代文明は宇宙人からの核攻撃により滅亡した」という論文を発表し話題になりました。
前世で火星に住んでいたというロシアの少年ボリスカ君によれば、現在も核戦争で生き残った火星人たちは地下で生活していると言います。
また旧約聖書のソドムとゴモラの話の中には、核爆発によって都市が滅びたとしか思えない様な惨状が詳細に書かれています。
モヘンジョダロ遺跡も、古代の核戦争の跡地だと主張している考古学者がいます。
最近の多くのUFO目撃情報は、過去にあった火星や地球の過ちを再び繰り返してはならないという、高次元からの強いメッセージとも受け取れます。

これは以前にもブログに書いたことなんですが、日本に原発が必要なのは電気が不足するからだと言っているのは口実に過ぎず、本当の目的は原発から核兵器を作れる様にしておくことにあるのです。
その分野での日本の技術は、実は世界一なのだそうです。
つまり、原発は抑止力になるのだと政治家や官僚たちは考えているのです。
こうなってくると、日本は立派な核保有国だと言えるのかもしれません。
しかし実状は抑止力どころか、自然災害による原発事故のリスクの方が非常に高いということです。

考えてみると、福島の人たちの苦しみを知りながら原発を望んでいる人たちがいるというのは、とても奇妙なことです。
闇の勢力たちによって洗脳され、コントロールされてしまっているからなのでしょうか?
この世界を支配しているのは、人類に友好的な異星人(神)ではありません。
遥か昔、古代の時代から、この地球は闇の勢力が支配してきました。
地球のことを、異星人たちは悲しみの星(サラス)と呼んでいます。
聖フランチェスコが宣教を始めた頃、カトリックによる大虐殺がありました。
ヒトラーによるホロコーストがありました。
悲劇の歴史が計り知れないほどありました。 
それらの殆どが闇の勢力の仕業だと言っても、信じる人は少ないかもしれませんが・・・。

しかし高次元の存在は、闇の勢力の思いを一瞬で知ることができます。
闇の勢力が高次元の存在の思いを知るには、高度なテクノロジーがなければできません。
ここに、高次元の存在に対する彼ら闇の勢力の恐れがあります。
闇の勢力たちは必死でこの重たい3次元世界に僕らを引き留めようと、ありとあらゆる策を練ってきます。
しかし高次元の存在たちは、いつでも僕らに手を差し伸べています。
 

少し古いものですが、ドランヴァロ・メルキゼデク氏のインタビ­ューの動画をYouTudeから引っ張ってきて貼付けておきます。
メルキゼデク氏は天使という言葉を使っていますが、高次元の存在たち、あるいはハイアーセルフと同じだと思います。
 




僕らがなぜ生まれて来たのか?
それは、地球を救うため。
そして脱原発を唱えることも、重要な使命なのではないかと思えてくるのです。
新天地に向かうためには、まず、この3次元世界(物質世界)に対して僕らがどんな見方をしているかということが大事になってくる様な気がするのです。
汚れたものは見ない、触れない、考えないでは、霊的成長は望めず、むしろ魂は退化していきます。
どの様な問題も他人事とせず、自分のことの様に想像して思い、考える精神が、今一番求められているのではないかと思うのです。


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東日本大震災から、もうすぐ5年が経とうとしています。
5年前の3月11日に、いったい何が起こったのか?
福島第一原発事故による放射能漏れもまだ収束したとはとてもいえない状況で、そして何より核廃棄物の最終処分の方法はまったくの未解決のままなのに、川内原発に続いて高浜原発も再稼働させてしまう政府の目的とはいったい?

2011年3月11日14時46分18.1秒、牡鹿半島の東南東約130km・仙台市の東方沖70km付近の太平洋(三陸沖)の海底、深さ約24kmを震源として発生し、そこから始まった断層の破壊は3分間も続き、震源域は南北450km、東西200kmに及び、地震の規模はマグニチュード9.0で、そのエネルギーは阪神大震災の1400倍に達したそうです。

陸側のプレートの先端部分が海底で大きく跳ね上がったために、海水が大きく持ち上げられて巨大な津波になりました。
山手線の内側の9倍に相当する561平方キロメートルが、津波に浸水しました。
現時点で死者は12都道府県で1万5894人(関連死除く)、行方不明者は6県で2563人となっています。
震度6弱の揺れが収まった後、南三陸町役場の本庁舎を出て、隣の防災対策庁舎 2階の危機管理室に駆け込みました。しかし、波が川を遡上しているのが窓から見え、高さ12mの屋上に避難しました。海岸線が土煙で黄色くなり、建物はドミノ倒しのように崩れていきます。映画の特撮を見ているようでした。津波にのまれたのは間もなくです。

波は、本庁舎をバリバリと音を立てて壊し、こちらに襲ってきました。私は、たまたま非常階段の手すりに足がひっかかり、流されずにすみました。しかし、50人ほどいた職員や町の人たちは私を含めて10人になっていました。 皆ずぶぬれで、ぼうぜん自失でした。周囲の建物もほとんど消えてしまいました。

その後も続く津波を警戒しているうち、日が沈み、 雪が降ってきました。庁舎の中で、おしくらまんじゅうまでしましたが、歯がかちかち音を立て、震えが止まらない。地獄のような寒さでした。助かったのは、たばこを吸う職員のライターでした。朝まで生きていられる。そう思いました。


約1000人が身を寄せる町総合体育館に入り、災害対策本部を設置します。そこはやがて、天国と地獄が同居したような場所になります。何日かぶりに再会できて、感激の涙を流す人。遺体安置所になったエリアで泣き崩れている人。避難所だから近くでご飯を食べている人もいる。悲惨でした。

まず、やらないといけなかったのは被災状況の把握と食料の確保です。震災翌日、記者会見を開きます。「津波が引くと、50人いた職員や町民らが10人になっていたんだ」「うちの情報流してけろ」。ありのままを泣きながら話しました。役場も流され、金もない。ともかく惨状を伝え、支援物資を届けてもらうしかない。そんな思いでした。記者会見はその後も、ほぼ毎日2回開くようにしました。


小学生の時、1960年のチリ地震津波で旧志津川町(現南三陸町)の自宅を流され、今回の震災でまた流された。南三陸は約120年の間に4度も津波に襲われている。この経験と教訓を次世代に生かさないといけない。高台移転を復興の基本にしました。

ただ、国のやり取りでは苦労しました。土地のかさ上げや集団移転をしようにも、規則や制限などがあるため、仕事がいちいち止まる。「制度を復興に当てはめるのではなく、復興に制度を合わせてください」と復興庁に何度も言いました。災害はいつ、どこで起きるか分かりません。迅速に対応するべきです。
(2016年1月25日⦅月⦆の読売新聞、震災5年—証言— ①から抜粋、宮城県南三陸町長、佐藤仁さん)
生きていれば、いつどこで何があるかわからない。
特にこの日本は地震大国であり、世界でも有数な火山列島な訳で、台風なども含めれば毎年日本のそこかしこで自然災害が発生しています。
記事には、南三陸は約120年の間に4度も津波に襲われていると書かれていますが、この経験と教訓がまったく活かされていなかったと言わざるを得ません。

そして今、最も危険視されているのが南海トラフ地震。
いつ起こるのかは分かりませんが、政府が発表した南海トラフ地震の被害想定は「死者32万人」となっています。
高知県の人だったか?忘れましたが、テレビで観たのですが、沿岸部に住んでいる人のインタビューが忘れられません。
「来たら、その時が最後だ。」と言って完全に諦めていました。
きっとあの東日本大震災の地獄の光景をテレビで観ていたでしょうし、新聞や雑誌で情報は掴んでいるとは思いますが、お金も余裕もないのでしょうね。
せめて政府が「死者32万人」と被害想定を出しているのなら、政府が資金を出して住居を高台へ移転させるなどすべきだと思うのですが(防衛費などにお金を加算させるのではなく)・・・今の政府がやる筈ありませんね。(因みに、2016年度の予算で防衛費は5兆500億円以上になる見込み)
高知県など地元では、高くて丈夫な建物の建設が進められているそうですが・・・30m級の津波が来ても耐えられる高層ビルの様な建物じゃないと、なんだか簡単に流されそうです。(津波避難タワーも見ましたが、とても低すぎて話にならない)
まったく東日本大震災の教訓が活かされていない。
1時間の予定だった福山哲郎副長官(当時)との面会は、2時間半になっていました。「村をゴーストタウンにしたくない」。その一心でこちらが粘ったからです。

渡された紙には、三つの要点が、大きな文字で書かれていました。〈計画的避難区域〉〈年間被曝線量20ミリシーベルト〉〈おおむね1か月の間に避難〉。頭のいい人たちが考えた言葉だなと思いました。1か月かけて計画的に村民全員を避難させるエリア、というわけです。私は何度も食い下がりました。避難するにしても、再生への足がかりを残す具体的な方法を示してもらいたかったのです。

しかし、福山さんは「住民の健康を守るのが大切」「避難してもらいたい」と言うばかりです。政府が原子力災害対策特別措置法に基づく避難指示を出したのは4月22日。この日付を生涯忘れません。


20ミリシーベルト以上は避難、計画的避難区域では事業も認めないというのが原則です。ただ、ちゃんとした建物の中なら、毎日8時間仕事して1年間積算しても20ミリシーベルトにならないのではないか。そんな発想が浮かびました。
 
村にある精密機械工場などが操業を続けることができれば、避難指示が解除された後の足がかりになる。あちこち測って換算すると、やはり年間20ミリシーベルトに満たない。室内勤務の会社に声をかけました。8事業所が操業継続に前向きでした。

村の特別養護老人ホームも20ミリシーベルト未満でした。福島県内では当時、病院や福祉施設にいた高齢者が、避難後に亡くなるケースが相次ぎました。県内の病院にいた妻の母親も転院1か月後に亡くなりました。特養はやはり残したほうがいい。

特養と8事業所が事業継続を国に要望し、何度も激しいやり取りをした末、全村避難中の特例として認められました。ゴーストタウン化を極力抑えられる。踊らんばかりの喜びでした。通いの約550人の雇用も確保できました。


 原子力災害はゼロからのスタートではない。マイナスからゼロに向かい、何世代にもわたって不安と闘って進まなければならないからです。人口も減るでしょう。

ただ、いま村に戻ろうとしている人は、かなり前向きな古里志向の人です。ないものねだりより、あるもの探し。道は平たんではないけれど、まるきり閉ざされているわけではない。そう考えるようにしています。 
(2016年1月26日⦅火⦆の読売新聞、震災5年—証言— ②から抜粋、福島県飯舘村長、菅野典雄さん)
そこに暮らしている人たちの苦しみは、テレビなどからではなかなか伝わらない。
村長さんという立場として村民のことを思う時、やはり雇用など生きていく上で最低限度のこと、避難指示が解除された後のことを考えるのは当然のことだと思います。
村民の健康のことしか考えていない政府とのやり取りでの苦悩が窺えます。

そういえば一昨日、丸川環境相が除染の基準が年間被曝量1mSvとなっている点について「何の科学的根拠もなく細野環境相(当時)が決めた」と発言した問題で、国会で「誤解を与えた」と発言を撤回して陳謝しました。
しかし政府は「20mSvまでは帰宅してよい」と決めていますが、「1mSv以上は危険だ」という錯覚が人々に刷り込まれたために除染も帰宅も進まなくなっているので、丸川氏の指摘は、実は正しいのかもしれません。
3月12日午後3時36分、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋から白煙が上がりました。そのテレビ映像を首相官邸の一室で見た時、すぐに悟りました。「ああ、水素爆発だ」

津波で電源を失った原子炉は冷却できなくなり、燃料が過熱して水素が発生します。その日の朝、福島第一原発へ視察に向かうヘリの機内で、菅直人首相(当時)に水素の危険性を聞かれたのですが、「格納容器には(燃焼を防ぐ)窒素を入れている。水素による爆発はないでしょう」と話したばかりでした。

それより私が心配したのは、高温の蒸気によって格納容器の圧力が限界を超え、容器が壊れて大量の放射性物質が飛散する事態でした。午後2時半、格納容器から蒸気を排出して圧力を下げる「ベント」が成功したと聞き、危機は去ったと喜んでいました。

しかし、実は水素が格納容器の中にとどまらず、建屋内に漏れ出していたのです。それが爆発を起こしたのです。「考えてみれば当たり前の話。なぜ気付かなかったのだろう」。胸の内で、自分の見通しの甘さを何度も責めました。爆発は、科学者としての信用をも吹き飛ばしてしまいました。


12日朝、菅首相と一緒に福島第一原発まで行った時のことです。なぜベントがなかなかできないのか、東電の武藤栄副社長の説明は、とても参考になりました。電源や弁がどういう状態なのか分かったのです。次の対策を考えるため、原発で何が起きているのかをもっと聞き出したかった。ところが、首相はその話を遮ってしまった。大事な機会を逸しました。

原子力を知らない政治家との対話には苦労しました。その一つが海水注入問題です。管首相は海水によって再臨界が起きないかと聞いてきました。科学者はデータがない限り、断定的に言いません。それで私は「(可能性が)ゼロとは言えない」と答えました。これを政治家たちは「危険性がある」と受け止めてしまった。科学者が使う言葉を、違う意味に取られてしまったのです。

もちろん、自分自身に対する反省と後悔も大きいですよ。11日夕方、原子炉を冷やせない緊急状態になったことを伝える報告文が、東電から届きましたが、そこに書かれていた「念のために(報告する)」という言葉に引きずられ、「大丈夫だ」と思い込んでしまいました。私は甘かったのです。

その結果、(炉内のデータを得るのに必要な)直流電源すら失っていた惨状に、思いが至りませんでした。福島第一原発へバッテリーを空輸するよう、早い段階で提案していたら、その後の相次ぐ爆発を食い止められたかもしれません。


1986年、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きても、日本は過酷事故対策に向き合ってきませんでした。99年のJOC臨界事故の後に誕生した保安院も、万が一に備えた対策の強化には後ろ向きでした。想定を超えた事故を認めると、「原発は安全」という考え方を否定することになるからです。

私は2010年に原子力安全委員会に就き、安全委で過酷事故対策を強化しようとしました。しかし、手始めとなる公開会合の5日前、福島の事故が起きてしまった。

多くの被災者を生む事故を招いたことに、責任を感じています。なぜもっと全速力で改革に取り組まなかったのでしょう。結局、私は何ができたのか。今も同じ問いを繰り返す日々です。せめて、あの事故で何が起きたのかを忘れないうちに後世に伝えねばという思いで、最近は講演や執筆をしています。
(2016年1月27日⦅水⦆の読売新聞、震災5年—証言— ③から抜粋、元原子力安全委員長、斑目春樹さん)
思い違いや思い込みが、大惨事に繋がることは多いです。
それに、こういうことは多くの人の命がかかっているので甘かったでは済まされない。
しかし考えてみると、当時は原子力ムラという産・官・学の癒着によって、世間では「想定外」などという言葉はタブーとされていました。
そんな中、斑目さんが行おうとしていた過酷事故対策強化は一筋の光だったのかもしれません。
しかし、いかんせん遅過ぎた。

起きてしまったことはもう後戻りできませんが、再度繰り返しになりますが、問題はこの教訓をどう活かしていくかにあると思います。
しかし、危険視されている南海トラフ地震の対策に国は消極的で、それどころか川内原発と高浜原発を再稼働させてしまった。
耳にタコができるほど聞かされた「安心安全」という言葉に誤摩化されていますが、よりにもよって川内原発の目と鼻の先にある桜島が、今年の1月4日と2月5日に噴火を起こしました。

福島第一原発事故は、不幸中の幸いだったと言ってもいい部分が確かにあります。
しかし桜島の噴火による川内原発の事故なんてことがあったら、不幸中の幸いなんてことは決してありません。
なぜ、国はそんなことにも気がつかないのか?
そんなに利権が大事なのか?
国民の命よりもそれが大事なのか?


読売新聞の「震災5年—証言—」は全部で⑥まであったのですが、今日はここまでにしておきます。
でもこれだけではただの普通のブログになってしまうので、次回は不可思議blogならではの原発に関する記事を書きたいと思っています。


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前回、不可思議な現象を色々と書きましたが、魔界的な要素のある話ばかりだったので、お気を悪くされた方がいらしたらすみませんでした。
しかし事実は事実ですし、それらがどんな意味を持っているのかはっきりさせたくて、敢えて隠しておかずに記事にした方がいいと考えました。

でも、書いてみるものですね。
何があるかわからない。
僕は2年近く前に、あるスピリチュアリストさん(お名前は伏せておきます)のブログに一度だけコメントを書かせて頂いたことがあります。
そのスピリチュアリストさんは芸能人がお忍びで相談に来られる程の凄い力を持った方で、僕のブログにコメントを頂いたことはないのですが、僕がそのコメントを書いて以来、度々僕のブログを見に来られている様な気がしていました。
実は最近、そのスピリチュアリストさんがブログで度々僕にしかわからない記事を載せる様になりました。

僕の前回の記事についても、どうやら言及されている様に読んでいて感じました。
前回は謎の人物(鼻が黒い霧の様なものに覆われて見えない男の人など)に監視をされていることなどを書いたのですが、人類はこの3次元世界での「不条理」を学ぶ場に生きることと引き換えに、その監視を受け入れてきたそうです。(僕個人に限らず)
しかし今は、太古の昔に天が設定した次元上昇と言う時を迎えていて、そしてその時に必要となってくるキーワードが「解放」なのだそうです。
「監視下からの離脱、解放」をイメージすることが大事なのだそうです。
全てを否定せず、全てを排除せず、全てを疎まず、ただただ「監視の目」の役目の終わった事を自らの中でアナウンスするだけなのだそうです。

スピリチュアリストさん、お名前は伏せておきますが、本当に教えて頂いてありがとうございました。
「私は自由である、私は何人にも依存をしていない、私には天の力がある」
この言葉、マントラを唱える時に付け足そうと思います。



前回、謎の人物たちのことや不可思議な夢などを採り上げましたが、ひとつ書き忘れていたことがありました。
僕のお袋さんが家に帰る途中、もう日も暮れて午後の7時になろうかという頃だったそうですが、家のちょうど真上の空に沢山の光る物体を車の窓から目撃したそうです。
その光を見た瞬間に僕がUFOに拉致されると思ったらしく、急いで家に帰ったら僕が普通にいたので安心したそうです。
僕は「テレビの見過ぎじゃないの?」と言って笑っていましたが、それにしてもUFOを見ただけですぐに拉致と結び付けてしまうのだから、テレビによる洗脳の脅威は計り知れないと思ってしまいます。

確かに僕はUFO(クリスタル・ベル)をよく見ます。
夜寝ている時にも、UFOのエンジン音らしき音をよく聞きます。
その正体は僕にもよくわかりませんが、UFO=悪玉宇宙人とは限りません。
プレアデス星人かもしれないし、シリウス星人かもしれない。
アシュター・コマンドが乗ったUFOを何度か見たことがあるので、それかもしれない。

しかしお袋さんはその時に生まれて初めてUFOを見たらしく、思わず恐怖を感じてそれが拉致というイメージに繋がったのかもしれません。
「あの光、あの光はいったい何だったの?」と僕に血相を変えて訊いてきたので「UFOといっても、この地球を守ってくれている有り難い宇宙人もいるんだよ。何にも心配いらないんだよ。」と伝えておきました。

それにしても家の上空に沢山のUFOがいたなんて、僕でさえそんなのは見たことがありません。
彼らは僕目当てで来ているのかもしれませんが、いったい目的が何なのかさっぱりわかりません。
僕の中では8〜9割の確率でプレアデス星人ではないかと思っています。
最近、僕が住んでいる市川市はUFOの出没地帯となっている様です。
UFO撮影家の武良信行さんも、近頃は市川でよく撮影している様です。
ひょっとしたら、僕がUFOを呼び寄せてしまっているのかもしれない。

私たちプレアデス星人は、あなた方人類の純粋な種の祖先です。そして、現在の人類のほぼ全員がハイブリッドです。長い年月をかけて種族同士、民族同士が交わり、それだけでなく、さまざまな種類の異星人の遺伝子も受け継いでいる混合種があなた方です。

私たちは、超古代に各大陸に暮らしていた先史民族の直接の祖先です。たとえばそれが、古代プエブロ族の祖先で“アナサジ”と呼ばれていた人々や、私たちの星団の1つであるマヤと同じ呼び名を持つ“古代マヤ”の人々です。彼らはある時集団で地上から姿を消した、不可解な民族としてあなた方に知られています。

私たちは、あなた方人類の経験を豊かにするお手伝いをしたいのです。そのためには、あなた方の制限されたDNAのいくつかがアップグレードされるための協力をする必要があります。
 
あなた方は今、銀河のある特殊な領域へと移動中です。それは、あなた方を伴った太陽系がかつて経験したことのない領域です。その領域は放射能に覆われていて危険ですが、同時に人類の進化を促す特殊なエネルギーが強化されているゾーンです。
 
あなた方は無事そこを通過できるはずです。そして、そこを通過することで、あなた方1人1人の力が増加し、集合覚醒の可能性が高まります。このプロセスによってあなた方のDNAが変容されるからです。結果的に、あなた方はさらに賢くなります。
 
銀河の中心はブラックホールで、そこは赤みがかったガンマ線が放出しており、あなた方が宇宙天体望遠鏡で観察すると赤く見えます。それは火星もそうで、特にサイドニア地域は、大規模な核破壊が起きたことを物語っています。赤とは一種の放射能が存在するという現われなのです。
 
2015年というあなた方人類のタイムラインにおいては、システムを含んださまざまな対立が激しくなっています。これはおそらく、2016年の秋頃まで続くでしょう。そして2017年にかけて、除々に融合の兆(きざ)しが現われて来るでしょう。
 
現在、こうした活発なエネルギーが地上へ降り注ぐ中、DNAが変容した人たちは変化し、DNAが限界ある過去のままの人たちは、まだ古い信条や信念のシステムと計画を信じ続けるでしょう。この2つに分かれたのグループのうち、どちらに誰が属するのかは、除々にですがはっきりわかるようになってきます。
 
DNAが変容すると、あなた方のアカシックレコードに記されている、あらゆる叡智を思い出すことが可能となります。それはエネルギーとして記録されたものなので、あなた方は必要な情報をダウンロードすることができます。そうすると過去世から現在に至るまでに、あなた方が習得したあらゆる叡智を今に再現できるようになります。
 
あなた方が銀河のこの特殊な領域をうまく通り抜けるためには、日常生活におけるあらゆる面で“自信”を強く持つことがさらに要求されます。あなたを長い間がんじがらめに縛っていた、あらゆる恐怖心を手放してください。それは未来に対する心配や恐れを手放すことであり、これから何が起きるのかに期待し、ワクワクする気持ちを大きくすることです。あなたが視点さえ変えることができるならば、それはとてもエキサイティングな時代であり、悲観的になる必要はまったくないのです。
 
人々は、多くの新しい真実を発見するでしょう。そこにはあなた方を大きく解放する真実もあれば、気持ちが掻き乱されて、混乱させられる多くの真実があるでしょう。そうなのです。あなた方が長い時間をかけて自らに構築してきたあらゆる宗教的、信条的、信念形態を手放し、その結果、新天地に向かうということは、精神的な調整が非常に困難なのは確かなことです。
(『プレアデス 融合次元での生き方』 愛知ソニア著より )

冒頭にも「監視下からの離脱、解放」をイメージすることが大事ということを書きましたが、ここでも↑未来に対する心配や恐れを手放すことの重要性が書かれています。
そして何より胸を打つのが、日常生活におけるあらゆる面で“自信”を強く持つことがさらに要求されるという言葉です。
近頃は嫌なニュースばかりですが、そうした情報に右往左往せず、難しいことかもしれませんが、一歩一歩着実に新天地を目指していくことが、尚一層要求されていきます。
プレアデスに関連した動画を、3つほど貼付けておきます。↓
ちょっと古い動画もありますが、よかったらご覧下さい。


次回は、福島第一原発事故からもうすぐ5年を迎えますが、川内原発に続いて高浜原発も再稼働してしまいましたが、そのことについて思う所を書こうかと思っています。











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