日本のメダルラッシュに湧いた今回のオリンピックでしたが、約2週間半におよぶ熱戦もとうとう閉幕しました。
麻薬と暴力が渦巻くにスラム街で生まれ育ったという柔道のラファエラ・シルバ選手の金メダルや難民五輪チームの活躍など、オリンピックの意義を感じることができました。
それから、吉田沙保里選手は負ける悔しさを味わうことができたのだから、負けて寧ろ良かったのではないかと思っています。
人は負けることによって人の痛みを知り、優しくなれます。
そして、勝ち続けることの苦しみからも解放されました。
メダルメダルとあまり言い続けるのは、それこそナショナリズムの思う壷です。
IOCトーマス・バッハ会長の開会式でのスピーチを、もう一度思い出してみます。
「五輪の世界では、皆、平等。人類共通の価値は、私たちを分断しようとする力よりも強いのです。」
五輪の意義は、ここになくてはならない筈。
しかし目に見えてくるものは、やっぱりメダルを取った者とそうではない者との大きな差。
そういえば、誰の言葉だったか・・・「群衆についていってはいけない」という言葉を最近よく思い出します。
それでも、まあオリンピックぐらいはイイやと思ったのが運の尽きだったかもしれない。
応援疲れと、それとこの夏の熱さに完全にやられしまっているので、もとの自分に戻るには時間がかかりそう・・・(このブログの更新が滞っていたのもその所為です。m(_ _)m)
もう限界に近づいてきているのかもしれない。
群衆から離れて、ひとりになって、誰もが自分を見つめ直す必要があるのかもしれません。
SMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞が思い浮かびます。
SMAPは解散することが決まってしまいましたが、良い曲を世に残しました。
(因みに木村拓哉くん一人だけ悪者扱いされていますが、彼は大変良い人ですよ。)
これからこの世の中はヒエラルキーというものがなくなって、個々が自立する時代に入って行くのだと思われます。
重要なのが独自性です。
今までは、それは社会の敵でした。
人間はあたかも工場で作られる製品のように教育され、もし独自性を持っていれば不良品とされて社会から爪弾きにされてきました。
なぜそのように教育されてきたかといえば、そうすれば権力者がコントロールしやすくなるからです。
今はその洗脳が解けて、気づきの時代に入ってきているような気がします。
頭の良い人、感覚の鋭い人は、もう既に次の時代の生き方をしています。
外からの影響を極力抑えて、自分の世界に没頭し、自然を愛し、太陽に感謝をして生きています。
益々、世界は二極化しています。
コインの表と裏のように。
オリンピックが終わったと同時に、凶悪な事件が立て続けに起きたりしています。
瞑想して、ガヤトリーマントラを毎日唱えて、新時代への架け橋となる人が多く必要です。
闇の権力者は必死であの手この手を使って、人が橋の向こう側へ行くのを阻止しようとしています。
食品添加物やワクチンなどで身体を汚したり、テレビなどで人をネガティブにさせる波動(デビルス・トーン、悪魔の音、440Hz)を多く浴びせたり、ケム・トレイルのように空から毒を撒いたり・・・。
そんな馬鹿なと思う人は、もう既に闇の権力者のロボットかもしれません。
もし竹下雅敏さんの言う通り、99%の人が第3チャクラ(マニプーラ)以下のチャクラしか開いていないのであれば、殆どの人がまだ覚醒できていないということになります。
(因みに僕は作曲する時、キーボードを444Hzにしたり純正律にしたりと試行錯誤してやっています。)
僕は座禅を組んで瞑想する時、まず第1チャクラ(ムーラーダーラ)と赤い色をイメージして、第2(スワーディシュターナー、橙)、第3(マニプーラ、黄)、第4(アナーハタ、緑)、第5(ヴィシュダ、青)、第6(アージェナー、紫)、第7(サハスラーラ、金)という風に順番にチャクラを意識していきます。
そして、もう一度ムーラーダーラの赤から始めてアージェナーの紫に達する頃には、額(第三の目)の辺りが痛くなってきます。(エネルギーを強く感じた時は1回だけにしています。)
さらにサハスラーラの神界の黄金の光を感じてきたら、心を込めて竹下雅敏さん方式にガヤトリーマントラを唱えます。
唱え終わったら、自分の周りの空気が極めて新鮮なものになっているのを感じながら、もうしばらく瞑想を続けて、最後にクリエーターへの感謝と世界の平和を祈って終わります。
(この瞑想は教わったのではなく、僕独自の方法です。マントラ意外ということですが。)
僕は1日1回、寝る前にしかやっていなかったのだけれど、これからは朝と夜の2回やろうと思います。
時代がそれだけ混沌としてきているような気がするからです。
イタリアの地震、それから台風10号が気になります。
台風10号が来ないように、皆で祈りましょう。
この瞑想を始めてから、感性がとても研ぎすまされてきたように思います。
今日も水元公園までサイクリングしてきましたが、晴れた日もいいですが、今日のような小雨が降り続くような日はなお一層緑が美しく感じられました。
僕が子供の頃、山登りをしていると森の中に少しだけ木が生えていない場所があって、そこの部分の下には雑草が生えていたのですが、その雑草の緑の美しさを忘れることができません。
あの時の感性は、大人になるにしたがって無くなっていくものだと思っていたのですが、瞑想を始めてからというもの、なんだか子供の頃以上に感性が鋭くなったような気がします。
今日、あの時見た雑草を感じることができました。
太陽が出ていないのに、雑草が光り輝いていました。
雑草は雨に濡れて、生き生きとしていました。
僕は今天国にいる、そう思いました。
今この瞬間を、もっともっと感じたい。
そういう新たな欲求が生まれました。
毎日水元公園に来ていると、季節の微かな変わり目を感じます。
行く道を、落ち葉が僅かに黄色く染めていました。
雨粒が池の水面に落ちる度に、水輪の花を一瞬だけ咲かせます。
傘もカッパも着ないで家を飛び出してきたのだけれど、ハンドルを握る手に雨粒が落ちる瞬間、僕という人間と手に落ちてくる雨粒を強く意識したりします。
そうやって五感をすべて研ぎすまし、第六感も使って今この瞬間を強く意識します。
そんなことをやっていたら、何やら一カ所に人が集まってきていたのでびっくりしました。
雨だから人が少なかったのだけれど、この人だかりは何?と思ってキョロキョロしていると、みんな下を向いてスマホを操作している。
もう社会現象と化しているポケモンGO。
公園に暮らしているカラスたちも、きっと何事かとびっくりしているかもしれない。
僕はスマホを持っていないのでポケモンGOはやったことがないのだけれど、確かポケモン(妖精?)を捕まえて育てて強くしていくゲーム。
ポケモンなんか捕まえなくても、この世は妖精のような目に見えない不思議なもので溢れているのに・・・。
なんだか大多数の人たちは、僕が願っているのとは正反対の方向へ動いているように思えて仕方がありません。
これも闇の権力者の仕業?
「群衆についていってはいけない」・・・そういえば、この言葉を言っていた人が誰だったか思い出しました。
宇宙人に拉致されたというミシェル・デマルケ氏でした。
やっと思い出しました。
最近は、写真を撮らずに心に留めておくことにしているのですが、先日の台風9号の後の台風一過はとても気持ちがよくて、景色もすばらしかったので思わず携帯で撮りました。
葛飾橋から撮った江戸川の写真。↓
スカイツリーも見えます。
これは↓同じ日の水元公園の雑草の緑が、あまりに美しくて撮ったもの。
ランキングに参加しています。
麻薬と暴力が渦巻くにスラム街で生まれ育ったという柔道のラファエラ・シルバ選手の金メダルや難民五輪チームの活躍など、オリンピックの意義を感じることができました。
それから、吉田沙保里選手は負ける悔しさを味わうことができたのだから、負けて寧ろ良かったのではないかと思っています。
人は負けることによって人の痛みを知り、優しくなれます。
そして、勝ち続けることの苦しみからも解放されました。
メダルメダルとあまり言い続けるのは、それこそナショナリズムの思う壷です。
IOCトーマス・バッハ会長の開会式でのスピーチを、もう一度思い出してみます。
「五輪の世界では、皆、平等。人類共通の価値は、私たちを分断しようとする力よりも強いのです。」
五輪の意義は、ここになくてはならない筈。
しかし目に見えてくるものは、やっぱりメダルを取った者とそうではない者との大きな差。
そういえば、誰の言葉だったか・・・「群衆についていってはいけない」という言葉を最近よく思い出します。
それでも、まあオリンピックぐらいはイイやと思ったのが運の尽きだったかもしれない。
応援疲れと、それとこの夏の熱さに完全にやられしまっているので、もとの自分に戻るには時間がかかりそう・・・(このブログの更新が滞っていたのもその所為です。m(_ _)m)
アウトドア派なので旅に出れば乗ってゆけるのだろうけれど、それも事情により許されず、近くの公園をサイクリングしたりはしていますが、100%の大自然の景色に出逢いたいという欲求は日々増すばかり。
一泊でもいいから、どこかへ行ってきたい。。。
もう限界に近づいてきているのかもしれない。
群衆から離れて、ひとりになって、誰もが自分を見つめ直す必要があるのかもしれません。
SMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞が思い浮かびます。
SMAPは解散することが決まってしまいましたが、良い曲を世に残しました。
(因みに木村拓哉くん一人だけ悪者扱いされていますが、彼は大変良い人ですよ。)
これからこの世の中はヒエラルキーというものがなくなって、個々が自立する時代に入って行くのだと思われます。
重要なのが独自性です。
今までは、それは社会の敵でした。
人間はあたかも工場で作られる製品のように教育され、もし独自性を持っていれば不良品とされて社会から爪弾きにされてきました。
なぜそのように教育されてきたかといえば、そうすれば権力者がコントロールしやすくなるからです。
今はその洗脳が解けて、気づきの時代に入ってきているような気がします。
頭の良い人、感覚の鋭い人は、もう既に次の時代の生き方をしています。
外からの影響を極力抑えて、自分の世界に没頭し、自然を愛し、太陽に感謝をして生きています。
益々、世界は二極化しています。
コインの表と裏のように。
オリンピックが終わったと同時に、凶悪な事件が立て続けに起きたりしています。
瞑想して、ガヤトリーマントラを毎日唱えて、新時代への架け橋となる人が多く必要です。
闇の権力者は必死であの手この手を使って、人が橋の向こう側へ行くのを阻止しようとしています。
食品添加物やワクチンなどで身体を汚したり、テレビなどで人をネガティブにさせる波動(デビルス・トーン、悪魔の音、440Hz)を多く浴びせたり、ケム・トレイルのように空から毒を撒いたり・・・。
そんな馬鹿なと思う人は、もう既に闇の権力者のロボットかもしれません。
もし竹下雅敏さんの言う通り、99%の人が第3チャクラ(マニプーラ)以下のチャクラしか開いていないのであれば、殆どの人がまだ覚醒できていないということになります。
(因みに僕は作曲する時、キーボードを444Hzにしたり純正律にしたりと試行錯誤してやっています。)
僕は座禅を組んで瞑想する時、まず第1チャクラ(ムーラーダーラ)と赤い色をイメージして、第2(スワーディシュターナー、橙)、第3(マニプーラ、黄)、第4(アナーハタ、緑)、第5(ヴィシュダ、青)、第6(アージェナー、紫)、第7(サハスラーラ、金)という風に順番にチャクラを意識していきます。
そして、もう一度ムーラーダーラの赤から始めてアージェナーの紫に達する頃には、額(第三の目)の辺りが痛くなってきます。(エネルギーを強く感じた時は1回だけにしています。)
さらにサハスラーラの神界の黄金の光を感じてきたら、心を込めて竹下雅敏さん方式にガヤトリーマントラを唱えます。
唱え終わったら、自分の周りの空気が極めて新鮮なものになっているのを感じながら、もうしばらく瞑想を続けて、最後にクリエーターへの感謝と世界の平和を祈って終わります。
(この瞑想は教わったのではなく、僕独自の方法です。マントラ意外ということですが。)
僕は1日1回、寝る前にしかやっていなかったのだけれど、これからは朝と夜の2回やろうと思います。
時代がそれだけ混沌としてきているような気がするからです。
イタリアの地震、それから台風10号が気になります。
台風10号が来ないように、皆で祈りましょう。
この瞑想を始めてから、感性がとても研ぎすまされてきたように思います。
今日も水元公園までサイクリングしてきましたが、晴れた日もいいですが、今日のような小雨が降り続くような日はなお一層緑が美しく感じられました。
僕が子供の頃、山登りをしていると森の中に少しだけ木が生えていない場所があって、そこの部分の下には雑草が生えていたのですが、その雑草の緑の美しさを忘れることができません。
あの時の感性は、大人になるにしたがって無くなっていくものだと思っていたのですが、瞑想を始めてからというもの、なんだか子供の頃以上に感性が鋭くなったような気がします。
今日、あの時見た雑草を感じることができました。
太陽が出ていないのに、雑草が光り輝いていました。
雑草は雨に濡れて、生き生きとしていました。
僕は今天国にいる、そう思いました。
今この瞬間を、もっともっと感じたい。
そういう新たな欲求が生まれました。
毎日水元公園に来ていると、季節の微かな変わり目を感じます。
行く道を、落ち葉が僅かに黄色く染めていました。
雨粒が池の水面に落ちる度に、水輪の花を一瞬だけ咲かせます。
傘もカッパも着ないで家を飛び出してきたのだけれど、ハンドルを握る手に雨粒が落ちる瞬間、僕という人間と手に落ちてくる雨粒を強く意識したりします。
そうやって五感をすべて研ぎすまし、第六感も使って今この瞬間を強く意識します。
そんなことをやっていたら、何やら一カ所に人が集まってきていたのでびっくりしました。
雨だから人が少なかったのだけれど、この人だかりは何?と思ってキョロキョロしていると、みんな下を向いてスマホを操作している。
もう社会現象と化しているポケモンGO。
公園に暮らしているカラスたちも、きっと何事かとびっくりしているかもしれない。
僕はスマホを持っていないのでポケモンGOはやったことがないのだけれど、確かポケモン(妖精?)を捕まえて育てて強くしていくゲーム。
ポケモンなんか捕まえなくても、この世は妖精のような目に見えない不思議なもので溢れているのに・・・。
なんだか大多数の人たちは、僕が願っているのとは正反対の方向へ動いているように思えて仕方がありません。
これも闇の権力者の仕業?
「群衆についていってはいけない」・・・そういえば、この言葉を言っていた人が誰だったか思い出しました。
宇宙人に拉致されたというミシェル・デマルケ氏でした。
やっと思い出しました。
最近は、写真を撮らずに心に留めておくことにしているのですが、先日の台風9号の後の台風一過はとても気持ちがよくて、景色もすばらしかったので思わず携帯で撮りました。
葛飾橋から撮った江戸川の写真。↓
スカイツリーも見えます。
これは↓同じ日の水元公園の雑草の緑が、あまりに美しくて撮ったもの。
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