piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

2017年03月

(追記あり)

いい加減、そろそろ作曲を仕上げないとと思うのですが、なかなか前に進みません。
やっとコーダに入ったのですが、そのコーダもすごく大きなコーダになりそうで、もうちょっと時間がかかるので、今日は一呼吸置いて更新が滞っているブログを書こうと思います。
作曲の目標は、今総仕上げにかかっている「月下の幻想」という曲(「宇宙創造」という題でしたがやっぱり変えました)の他に、途中で放り投げてしまったのが2曲ほどあるので、それを最後まで仕上げるのと、あと「月下の幻想」のオーケストレーションに挑戦したいと思っています。

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さて、自分の不可思議体験を元にこの世の真実を探求しているこのブログですが、今日は体験というより、「仏教」に対する僕の考え方について書いていきたいと思います。
仏教については、以前にも「ワーグナーによる「輪廻転生」表現をめぐって〜未来永劫に一体となって、そして愛に包まれて」という記事に、インドの古典「シャールドゥーラカルナ・アヴァダーナ」に書かれている仏陀の弟子アナンダの英雄伝のことなどを書きました。

現在の日本の仏教とインドの初期の頃の仏教とでは、まるで教えも考え方も違います。
僕が毎日行っている瞑想やガヤトリーマントラなどは、初期の仏教に近いのではないかと思っています。(もちろん違う部分も多いのですが・・・)
初期の仏教とは、つまり上座部(小乗)仏教のことです。
日本やその他のアジア諸国の仏教徒の殆どは大乗仏教です。
現在、上座部仏教はスリランカなど、ほんの一部の地域でしか行われていないようです。

そもそも、それこそ初期の仏教はすべて上座部仏教でした。
食べ物は托鉢以外は食べてはならず、また一日の殆どの時間を瞑想に費やし、そして日々の暮らしは200以上の厳しい戒律に定められています。
大乗仏教との一番の大きな違いは、偶像崇拝を禁じているということです。
拝んでもいいのは、法輪だけです。

しかし大乗仏教は、そんなに厳しい修行を積まなくても、仏像を拝んだりお布施をしたりすれば誰でも救われるという教えです。
その大乗仏教の極致といってもよいのが浄土宗や浄土真宗で、南無阿弥陀仏と唱えれば誰もが極楽浄土へ行くことができるという教えです。

余談ですが、日本のお坊さんは随分と逞しい体格をされている方が多く、肌の色つやも良く、普段からよっぽど美味しいものを召し上がられているような気がします。
最近のお坊さんの食事は精進料理とはほど遠く、肉食も多いと聞きます。
ベンツにも乗れるようなお金持ちも多いそうです。(神道系の方は逆にまったく儲からないそうですが・・・。)
驚くべきことに「あの世は存在しない。死んだらそれまでだ。」と考えているお坊さんもいるそうです。
仏陀の教えとは、何から何まで正反対のような気がします。 
そんな大乗仏教が、いったいいつ、どこで、どんな風に広がっていったのか?
それが解れば、現在の日本の仏教の現状が見えてくると思います。

大乗仏教が広まったのは、今から1900年前のガンダーラ。
約2500年前(紀元前5世紀)にインドで生まれ、数多くの宗教のひとつに過ぎなかった仏教は、1900年前のガンダーラの地で多くの人々が信仰する世界宗教へと驚くべき変貌をとげていきます。
現在の仏教信仰の拠り所として欠かすことの出来ない仏像も、この頃に初めて作られました。
日々の暮らしの中で、お経を読んだり祈りを捧げたりする分かりやすい信仰の形は、民衆の心を捉え、世界中に広まっていきました。
その礎を築いたのが、中央アジアからガンダーラにかけて広大な帝国を築いた遊牧騎馬民族、クシャン人でした。

クシャン人は卓越した馬術で中央アジア一帯を席巻し、標高6000m級の山々が連なるヒンズークシ山脈を越えて、カブール、そしてガンダーラを激しい戦いの末占領します。
やがてインド南西部まで手中に収め、ローマと後漢を繋ぐシルクロードの要衝の地を悉く抑えたクシャン帝国のカニシカ王は、カニシカ金貨という独自の貨幣を作り、その金貨を広めることによって帝国は巨万の富を得ていきます。
カニシカ王は様々な民族の宗教を認め、そうすることによって多くの異なる民族を治めようとしました。
それが、ガンダーラ仏教に大きな変革を齎すこととなります。

クシャン人は、死んであの世に行っても、天国に行けるかどうかはお金があるかどうかで決まるのだと考えていました。
その為、死者の口に貨幣をくわえさせるという風習がありました。
しかし仏教の教えでは、あの世に行ったらお金はまったく関係がなく、生きている時の行いが重要でした。
では、生きている時に何をすれば良いのか?
それはお布施をし、仏塔を建て、仏像を拝み、祈りを捧げれば誰でも天国に行ける、という教えでした。
そうした教えはクシャン人に受け入れられ、多くのクシャン人が競ってお布施をし仏塔を建てるようになりました。
そうやってクシャン帝国の巨万の富は、仏教を広めることに使われるようになりました。
大乗仏教の誕生です。

考えてみると、大乗仏教は死者の口に貨幣をくわえさせるあの風習と然程変わりないような気がしてきます。
死者の口に貨幣をくわえさせる代わりに、仏塔を建てるようになっただけの話です。
いや寧ろ、以前よりも死者の為に莫大なお金を使うようになりました。
あの世に行ったら、お金などまったく関係がないのに・・・。
そうやって、僧侶たちは私腹を肥やしていきました。
今の日本のお坊さんの姿、そのままではありませんか?
戒名によって、あの世の霊位など変わる筈もありません。
唯物論者が多く蔓延っている日本なのに、こういうものにはお金を惜しまない。
まったく不思議なものです。

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ブラフマン(梵)とアートマン(我)が同一であることを知ることで、永遠の至福に到達しようとする思想が「梵我一如(ぼんがいちにょ)」です。
ブラフマンは元々は「ヴェーダ」の教典の「賛歌」「呪句」を表していましたが、やがてそれらに内在している「神秘力」という意味で用いられるようになり、更にはその力が宇宙を支配すると理解されていって「宇宙を支配する原理」となりました。
(「ヴェーダ」とは「知識」という意味で、「グノーシス」はここから来ているのではないかと思います。それから、ガヤトリーマントラは「ヴェーダ」に書かれていたものを、サイババが現代に復活させたものです。)
アートマンはドイツ語のAtem「息、呼吸」と語源が同じで、ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生して、やがては「個体を支配する原理」とみなされて、更には「ものの本質・本体」という意味でも用いられるようになりました。
(つまり「梵我一如」思想は、ワンネスという考え方と同じだといっても良いかもしれません。この思想は、実は大日如来の観想による即身成仏など密教の中にも見受けられます。)

古代インドのバラモン教は、この「梵我一如」を発展させたものでした。
バラモン教は「ヴェーダ」、そして祭儀を執り行う祭司階級であるバラモンを頂点として、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(庶民)、シュ―ドラ(隷民)という身分制度を生み出し、それはヒンドゥー教のカースト制度の母体となっていきました。
つまり、祭儀を司るバラモン階級のみが「ヴェーダ」を学ぶ資格があり、これを学ぶことで輪廻から解脱できると考えられていたので、ここにブラフマン的思想を源泉として分泌される祭司階級を頂点とした身分社会、圧倒的かつ論駁不可能な不平等、逆立ちしてもひっくり返すことができない「格差社会」が君臨していきました。

仏陀は、祭儀を司るバラモン階級、バラモンを頂点とする身分社会、これらは「空(一切皆空)」(つまりマトリックス)であって、輪廻から解脱する機会はバラモン階級だけではなく、全ての人に開かれているのだと説きました。
自分の身体を取り巻くあらゆる実在を否定し、我執に苦しむ個もまた否定し、ひたすら自らの「道」を全うすべく修行に励めば、いかなる人も涅槃(ニルヴァーナ)に至り解脱できると説きました。
(これは、老子の道「タオ」に繋がってきます。)

自分の外側、つまり自分の周りの環境によって与えられる社会的な役割や肩書きや他者から評価というあたかもブラフマンのような実在に惑わされる必要はなく、自身の虚栄心も乗り越えて、自分の内側、つまり自己(アートマン)が本当に良いと思う行いをし、本当に美しいと思うものを追求していくことが、やがては本物のブラフマン(宇宙を支配する原理)と一体化すること(解脱)に繋がっていくのだと思います。
自分を他力によって救済してくれる神など存在せず、頼るべきものはすべて自分の内側に既に備わっているという仏陀の教えは、瞑想やガヤトリーにも繋がってきます。
例え上座部仏教のような厳しい修行を積まなくても、そのように考え方を改めさえすれば日々の生活こそが修行になっていくのだと僕は考えます。

ブラフマンとアートマンが同一であることを知り、永遠の至福に到達するには瞑想するしかありません。
「梵我一如」の思想の背景にヴェーダ祭式の「同一視の論理」というのがあって、例えば獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがあるそうです。
足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないのだそうです。
祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視することによって、祭場にある祭具などを操作し自然を支配しようとしました。
ウパニシャッド(ヴェーダの「奥義書」または「秘教」)の哲人たちは、それを瞑想で用いました。
瞑想でAをBと同一のものとみなして意識の集中し、分別による知を乗り越えて、対象が直観され、主観は対象の中に入り、対象と融和し、対象そのものになり、同化します。
こうして瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を得ることができます。
瞑想とは、それほどの力を持ちます。 

お布施がどうの、戒名がどうのと言っているようなレベルでは、先が思いやられます。
仏像を拝むということは、仏陀を神格化していることに他なりません。
浄土宗や浄土真宗など殆どの日本の仏教は、伝搬する過程で土着の宗教を次々と取り込んでいき、本来の仏教とはほど遠いものになってしまいました。
それは知識などではなく、迷信です。
そもそも本来の仏教とは宗教ではなく、道(タオ)なのです。
老子は、「道」の根本とは、ものごとが生じるその始めを知ることであると説きました。
ものごとがこの世に顕れる以前からの道筋を見極めることが出来れば、制御は可能だと説きました。
自分の想いが生じる以前の本来の自己を知るということを。
それが苦の解脱の根本だということを。
それらは既に、自分の内側にすべて備わっているということを。
迷信ではなく、本物はそこに存在します。

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(写真は水元公園で撮りました。)


(追記)

ひとつ、重要なことを書き忘れていました。
何も、僕は神様を全否定している訳ではありません。
僕は共産主義者でもニヒリストでもありません。
夢の中でイエスに会ったり、マリアが僕の肩に降りてきたり、弘法大使が仏壇の向こう側に座っておられたり、天狗が僕の家に訪問してこられたり・・・そんな奇跡を何度も経験してきました。
悪魔の様な存在にも、何度も遭遇してきました。
そのような目に見えない存在たちがいることを、僕はこのブログで訴えかけてきました。

だから僕は神社や神棚や仏壇にいる彼らに祈りを捧げ、感謝をします。
僕は彼らは神様というより、天使、先輩方という見方をしています。
5次元以上の高次元から僕らを見守り、僕らを指導してくださる方たちです。
時に彼らは猫の姿で現れたり、鳥の姿で現れたり、また人間の姿で現れたりもします。
(もちろんベルさんも、僕は天使の化身だと思っています。)
天使たちは、いつも僕らに寄り添っています。

しかし僕らの心が清くないと、彼らは決して姿を現しません。
だから外側がどうとかではなく、心の内側が重要になってくるということなのです。
彼らとの交流は、心の内側の状態によって可能になるのです。
5次元チューナーを増設できるかどうかは、そこが鍵になってくるのです。

「ウパニシャッドの創造神話では、一切はプルシャ(原人)の姿をしたアートマンであった。世界には、彼しか存在していなかった。彼は、「ここに私がいる」と言った(アートマン=自我)。
プルシャは、一人でいるのは怖いと思い、楽しくないと感じた。そこでプルシャは自らを半分に分けた。こうして、夫と妻が生じた。夫は妻を抱き、人類が生まれた。妻は、もともと私は夫から生まれたのに、どうして夫は私を抱くのかと思って、隠れることにした。妻は牝牛となった。しかし夫は牡牛となって妻を抱き、それから牛が生まれた。このようにして、夫婦は人間や、動物や、神々など、一切のものを創造した。」

僕らも、動物たちも、僕らが神様と呼んでいる天使たちも、こうしてプルシャによって創造されていきました。
重要なのが、すべては元はプルシャというアートマンであったということ。
それこそが「梵我一如」思想の原点です。
僕らはプルシャの一部なのです。

この3次元物質世界は、完全に分離してしまっている世界です。
個(アートマン)が宇宙(ブラフマン)から切り離されてしまっている世界です。
僕らの生きる目的は、如何にしてブラフマンと繋がるか、そして一体化できるのかということを知るということです。
自分の外側に神を求めるのではなく、頼るべきものは自分の内側に既にすべて備わっているというのは、そういうことなのです。
なぜなら、僕らはプルシャの一部なのだから・・・。


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昨日辺りから菜の花が見頃だったので、今日はカメラを持って水元公園までサイクリングしてきました。
午後から曇りの予報だったので午前中に撮ってきたのだけれど、風がとても強くてまだまだ冷たく感じました。
ベルさん(UFO)は出てくれるかなと思っていると、遠くの空に一筋の長い雲が見えます。
その雲が消えてしまっても、またしばらく経つと再び長い雲が姿を現します。
江戸川べりに着いても現れてくれるので、早速リュックからカメラを取り出し、ベルさんと菜の花のツーショットに挑戦してみます。
ベルさんは空、菜の花は地面なので、ひとつの写真に収めるのはなかなか難しいです。
nanohana01
そういえば、前にこの辺りで全体が緑色で魚の形をした雲を見ました。
一眼レフのカメラを持っていなかったので撮れませんでしたが、明らかに普通ではない雲でした。
魚の形は、イエスと関係があるのか?(魚の形は初期キリスト教で使われたシンボルです。)
緑色といえば、第4チャクラ(アナーハタ)の色と関係があるのか?
携帯で写真を撮ろうとしたら、あっという間に緑色が薄くなり、ただの白い雲になってしまいました。
もう一度あの雲を見たいと思っているのですが、それっきりです。
ここに来る度、あの不思議な雲を思い出します。

ここは矢切の渡し付近なのだけれど↑、しばらく下流の方へ向かうと、スカイツリーが見えてきます。
今度はスカイツリーと菜の花のツーショット。
nanohana02
その後もベルさんは時々姿を見せましたが、今日はどうしたことか?すぐに姿を消してしまいます。
消えてしまうってことは普通の飛行機では有り得ないことなので、UFOには間違いないのですが・・・。
スピ系サイト&動画はもう見てないし、毎日家事をこなしながら作曲は続けているし、瞑想もマントラを唱えることもやっているし、冷水業も・・・。
なのに何か拙いことでもやってしまっているのか?不安になります。

水元公園の桜はまだまだですが、河津桜?が所々に咲いていました。
ムクドリが近づいていっても全然逃げようとしないので、ちょっとひとつ撮ってみました。
mukudori01
ここの鳥たちは、完全に人間に慣れてしまっています。
この間、カルガモの列にジョギングをしている人が突っ込んでいって、一匹のカルガモと完全に激突してました。
そのカルガモは悲鳴を上げて、ジョギングをしていた人はしかめっ面。
今思い出してみても、噴いてしまいます。
nanohana03
撮影ポイントイチ押しの菜の花畑に到着しました。
時々ベルさんがまた姿を現し始めているので、またツーショットに挑戦。
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3本の雲なのだけど、真上の方まで伸びきてているので、この写真ではよくわからない。
菜の花に拘らず、ベルさんを撮ってみます。
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ただの飛行機雲じゃないかと思われても仕方がないですが、見る人が見れば、これが空に描かれた異次元からのメッセージだと解るはずです。
nanohana05@
良い季節がやってきました。
桜も良いけれど、僕はこの黄色い菜の花も大好きです。
本当は河津桜と菜の花のツーショットが欲しかったのだけれど、伊豆の辺りまで足を運ばないと良いのは撮れません。


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何日か前、瞑想をしていた時に、頭の中にレプティリアンの顔が浮かんできました。
その顔はトカゲでしたが、まったく恐ろしさはなく、寧ろ可愛いと思いました。
ずっとこの世界を支配していた威厳は微塵もなく、どこか悲しげでした。
3次元と5次元のちょうど境、4次元を住処としていたレプティリアンですが、現在4次元は消滅に向かっています。

レプティリアンの食料は人間の恐怖心です。
人間が恐怖心を沢山持ってもらうために、レプティリアンがこの社会のシステムを作り上げました。
戦争や飢餓、そしてこの弱肉強食の経済社会、それはまさに恐怖心を大量生産する社会システムです。
どうやらこの人間社会は、レプティリアンたちの人間牧場だったようです。

レプティリアンといえば、僕は陰謀論者のデーヴィッド・アイクやアレックス・ジョーンズ、そしてはやし浩司先生を思い浮かべます。
彼らの主張が正しいのか否かということは兎も角、トランプ大統領が大統領選に勝利した時、アレックス・ジョーンズが異常な喜び方をしていたのが印象的でした。
今までの大統領はみんなレプティリアンで、やっと人間が大統領になれた!ということなのでしょうか?
YouTubeでのTheAlexJonesChannelは、現在5億以上のビューワー数を誇る人気チャンネルなのだそうです。
大統領レプティリアン説をこれほどの人たちが信じているというのは、日本ではとても考えられないことです。

このレプティリアン説に限らず、そもそもアメリカは先進国にも関わらず、現実離れした聖書に書かれていることをすべて真実だと信じている人たちが非常に多いです。
トランプ大統領やユダヤ教に改宗した娘のイバンカさんやその夫でユダヤ教徒のジャレッド・クシュナー上級顧問もそうした人たちでしょう。
旧約聖書によれば、天地創造は今からたかだか6000年前なのだそうで、そうなればカンブリア紀も恐竜が生きていたとされる白亜紀なども存在しなかったことになり、そのため進化論など学校で教えていることは間違っていると考えている両親が多く、そうした家庭では子供たちを学校に通わせないのだそうです。
現に科学の世界でも、進化論と創造論の対立は日本人が考えている以上に世界では激しさを増してきています。
そして最近では、驚くべきことに創造論の方が優位に立っているのです。

聖書に書かれていることが真実かどうかは兎も角、レプティリアンがこうして瞑想中に現れてくるのだから、いるのではないかと僕は思っています。
どうやら、レプティリアンの低い波長と繋がってしまったようです。
なぜなら瞑想が終わった後、ネガティブな感情が沸き上がってきて、悲しくて悲しくてどうしようもなくなりました。

地球の波動が上昇し、居づらくなっているからなのでしょうか?
地球を離れるのが辛いからのでしょうか?
レプティリアンたちは今まで人類に犯してきた悪道の数々に対し、懺悔をしているのかもしれません。
闇の世界から抜け出したいという思いもあるのかもしれません。

そういえば「同情してはいけない、慈悲の心を持ちなさい」と、どこかのスピ系動画が主張していました。
(もうスピ系動画はいっさい見ないことにしました。)
一カ所でそう主張すると、他のスピ系サイトも同じことを言い始めます。
僕がブログで「死ぬほど辛い経験をしているからこそ、分かることがある。『その気持ち、私にはわかる』というような。それは同情心であると同時に、癒しにもなる。」と書いたことに反応しているのでしょうか?。
慈悲は、上から目線だと思います。
本当にその人と同じ目線になってみないと、その人の本当の気持ちを理解することなどできないと思うからです。
そしてそうしたお互いの経験や体験を通して、霊的に成長していくのだと思うのです。

アカデミー賞授賞式の短編ドキュメンタリー賞は、シリアで命がけで人命救助を行う人々を題材にした「ホワイト・ヘルメッツ シリア民間防衛隊」(オーランド・ボン・アインシーデル監督)が受賞しました。
ホワイト・ヘルメッツは「世界で最も危険な仕事」と言われています。
彼らのことを慈悲の心、つまり上から目線で見れますか?
それとも、遠い国のことだから自分とは関係ないとお思いですか?
これは、この地球上で実際に起こっていることです。
温室育ちの多くの日本人には、きっと想像することさえも難しいと思います。

トランプ大統領は選挙戦時に「アサド政権が倒れれば、よりひどい結果になる。私はアサドは嫌いだが、アサドはISを殺している」と発言しています。
また、アサド政権の後ろ盾となっているロシアのプーチン大統領にトランプ大統領は好意的な発言を繰り返していたので、アサド政権関係者は「オバマと違って、トランプはプーチンとうまくやれそうだ。プーチンの助言を受け入れ、対ISで米国とロシア、我々で協力することも可能になるかもしれない」と語っています。
トランプ大統領がそうした比較的アサド政権寄りに見えるので、最近は更に政権側の攻撃が増しているともいいます。
僕にはオバマ元大統領より、よっぽどトランプ大統領の方がレプティリアンに見えてしまいます。

話が逸れてしまいましたが、瞑想中にレプティリアンの顔が浮かんできた時、僕は彼の気持ちを受け入れました。
そうしたら過去に自分が体験した苦しみや悲しみが、怒濤の如く沸き上がってきました。
レプティリアンはその苦しみや悲しみを、美味しそうに平らげたかもしれません。
しかし次元が上昇してきて、人間も今までの人間とは違ってきています。
それ以降、僕の中に苦しみや悲しみはまったく襲ってこなくなりました。
ただ只管に、僕は彼らに祈りを捧げるだけでした。

多くの日本人が今現在抱いている恐怖は、間違いなく北朝鮮でしょう。
連日ニュースで大きく取り上げられています。
北朝鮮の弾道ミサイル発射に、日本人はもう慣れっこになってしまっているところがあります。
本気で本土には落としてこないだろうと・・・。
しかし、ミサイル1機だけで幾らかかるのか考えてみてください。
単なる北のお坊ちゃまのお遊び道具とは違います。
向こうも本気だから訓練をしているのだと思います。

だからあのようなトランプ大統領でも、日本は仲良くしておかなければならないわけです。
昨日、安倍首相は電話協議でトランプ大統領が「米国は100%、日本とともにある。米国を信頼してもらいたい」と発言したことを明かしました。
しかしいざとなったら、アメリカは本当に日本を助けてくれるでのしょうか?
それは甘いと多くの人が思っているかもしれません。
ひょっとしたら、あのアレックス・ジョーンズがファンと一緒に歓声の雄叫びを上げていたように、レプティリアンではない人間の大統領として、この日本を助けてくれるかもしれませんが・・・。

しかしそうであるとしても、当然他国を頼っているだけでは駄目。
自衛隊がどうのという話ではありません。
今は、日本の国民一人ひとりの想念と祈りが非常に重要になってきているということです。
この地球を守っているのは人間だけではなく、非常に数多くの異星人たちが地球の叫び声を聞きつけ助けに来ています。
そして、果たして地球人は5次元世界に相応しい存在になれたのか?
それを、彼らはずっと観察しています。
この現実世界ではなく、人間の無意識の世界を・・・。
集団無意識の世界を・・・。
平和と心の平安は、そこから訪れます。

この宇宙はワンネスです。
すべては繋がっています。
イエスも、ルシファーも、レプティリアンも、宇宙の果てに暮らす異星人たちも・・・そして地球人も、みな父親は同じ創造主であり、みな兄弟です。
だから、すべて平等です。
だから元来、上も下も、優も劣も、光も闇も存在しません。
この世が闇で覆われているから、調和のために光の存在が必要なだけです。
要は、人はそれを理解できたかということです。
まだ未熟であるのなら、彼らが先輩としてまだ時期尚早だと判断するだけです。
彼らは人類を見放すのではありません。

地球上で繰り広げられて来たすべての物語は、創造主によって最初から出来上がっていて、僕らはそれをただ演じていただけでした。
しかし2012年12月23日を過ぎてからは、僕ら人間一人ひとりの想念がこれからの世界を創っていくのです。
セパレーション(分離)の時代は終わりを告げました。
果たして、人類はユニティ(統合)の世界へと渡ることができるのか?
どうやら時代は、そんな大峠を迎えているようです。
違いますか・・・? 
それを感じませんか・・・?


最後にサミュエル・バーバー(Samuel Barber)の「アニュス・デイ」(Agnus Dei、神の子羊)という曲を載せたいと思います。
原曲は、「弦楽のためのアダージオ、作品11」(Adagio for strings, Op.11)で、映画「プラトーン」などに使われて良く知られるようになりました。
この原曲を作曲者自身がミサ曲に編曲したのが、「アニュス・デイ」です。

僕はこの曲を聴くと、涙が止まらなくなります。
弦楽曲の方よりも、断然このミサ曲の方が好きです。
この曲を聴きながら、一緒に祈りませんか?



Agnus Dei (神の子羊)

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
miserere nobis. 

Agnus Dei, qui tollis peccata mondi:    
dona nobis pacem.

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
我らをあわれみたまえ。

神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
我らに平安を与えたまえ。


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いったい何が本物で、何が偽物なのか
手当り次第に探っては壁にぶち当たり、心の傷は大きく腫れ上がるばかり
私の心は闇で覆われています・・・毎日そう唱えてる
それは宿命だから?

何も無いところから何かが生み出されるのは、それは何かの見えない力が働いているから
それが自分ひとりだけの力だと考えるのは、とても烏滸がましいこと
しかしその何かを求めれば求めるほど、それは遠ざかっていってしまう
自分には、それは相応しくないから?
それなら、なぜ見えない力は時々姿を現す?

それにしても、なぜそんなにも僕は外の世界に頼れるものを探そうとしてしまうのだろう?
これほど何度も、裏切られても、裏切られても、裏切られても・・・
人に嫌われるのはもう慣れっこになっている
僕はただ裸になって、包み隠さず自分のすべてを曝け出し、自分とはこういう人間なのだと外の世界に主張したいだけ
それで嫌われるのだったら、それは仕方の無いこと?

たった今、それらの疑問のすべてが解決したとしても
またすぐに新たな別の迷宮に入り込んでしまうだろう
鏡に映った鏡を見るかのように
そしてその中で、どれだけ苦しみに耐えられるかが試されているのかもしれない

それは、何が本物で何が偽物なのかがわかるようになるために・・・?
何かの見えない力の正体がわかるようになるために・・・?
答えのすべてが外の世界ではなく、自分の内側にあることを実感するために・・・?
この地球という迷宮から逃れるために・・・?

すべて天の謀なのだろうか?
どれだけ信じられるかということなのだろうか?
信じるも信じないも、もう天の徴は飽きるほど見てきた
しかし現代という荒波に、これほど晒され続けてきたこの身
そんな僕でさえも、まだチャンスはあると教えてくれているのか?
苦しみを乗り越えたその先に、救いはあるのか?

今はただ、なりふり構わずに己が心の底から本当に美しいと思うものを追い求めよ
例えそれを人が見て何と思おうと、そんなことはどうでもいいこと
何かの見えない力こそが真実、それこそが紛れもない心の内側の真実
それこそが穢れなきピュアな心
この世界に真の光を齎すもの


英国誌エコノミスト2017の表紙のタロット図について、kagomeさんがこんな風にコメントしていました。
(kagomeさん、すみません。動画ではなく、この部分の解説があまりにも面白かったので、コメントの一部をブログに紹介させて頂きます。)
英国誌エコノミスト2017
上段左から、①The Tower(塔)、②Judgment(審判)、③The World(世界)、④The Hermit(隠者)
下段左から、⑤Death(死神)、⑥The Magician(魔術師)、⑦Wheel of Fortune(運命の輪)、⑧The Star(星)です。
何やら恐ろしげな予言もありそうですが、kagomeさんは⑥The Magician(魔術師)と⑧The Star(星)を採り上げて、こう説明されていました。
3次元の肉体である私達=3次元チューナーは内蔵していますが、5次元チューナーは内蔵していないため、5次元を受信する事ができません。
旧人類とは3次元チューナーのみですが、新人類とは3次元チューナーに5次元チューナーを増設する、事をいいます。
エコノミスト2017のタロットカードにあった「マジシャン」がそれらを示唆しています。
カードには杖をもった神のような姿の男性が3Dホログラムグラスを装着していますが、5次元チューナーを増設している人=新人類を現しています。
左=5次元(天界)を表していますが、左指は3Dプリンターボタンにあり、家を増産しています。 
5次元チューナーを増設した男性は天界から得た知識やテクノロジーを3次元地球に降ろす事と、もう一つ意味があります。
私の動画に発光体からUFOにシェイプシフトしている映像がありますが、発光体とはプラズマ生命体です。
プラズマ生命体はETの想念(イメージ)で様々なUFO(宇宙船)に変化しています。
つまり知性を有する3Dプリンターなんです。 
いわゆるプラズマ生命体は魔法、万能でもありますが、5次元領域以上に存在するため3次元チューナーしか有していない人間とはコンタクトできません。
5次元チューナーを増設した人間がプラズマ生命体を引き寄せる事ができる、 
エコノミスト2017「マジシャン」はそうした新人類が2017年より増えてくる、、という意味です。
しかし、もう一つ「ザ、スター」というカードがあります。 
中央にSirius女神(天照大御神)と子供たちの顔が描かれていますが、誕生した時からすでに3次元チューナーと5次元チューナーを内蔵している子供たちです。
私達のようにチューナー増設ではなく、誕生する子供たちの中には2つもしくはそれ以上の能力を有した超人が存在する、、という意味でもあります。 
僕には霊能力もなければ、5次元チューナーもまだ増設されていません。
未だに心は闇で覆われているわけですが、ではどうすれば5次元チューナーを増設した新人類になれるのか?
僕が空でクリスタル・ベル(UFO)たちをよく見かけるのは、どうやら僕がリサーチ中もしくは調整がはじまっているのいずれかということらしいです。
しかし、進化を望むのだったら「情報」に注意しなければならないとのことです。
メジャーなスピ系サイトで行われているチャネリングは別のノイズと繋がってしまい、5次元チューナー増設が中止となってしまうそうです。
一旦中止となると、よほどの事がない限り再開はないそうです。
実は娯楽がてらに僕は結構チャネリング系情報動画を観ていたのだけれど、今後は一切見ないことにします。

それだけではなく、僕はすべてではないにしても、ハリウッドなどの映画や最近流行のゲームには進化を妨ぐ要素が多く含まれていると感じます。
ゲーム依存症のような状態になったこともあるので、よくわかります。
映画やドラマでも、人が殺されていくシーンを多く見せらていれると、人はそれに慣れっこになってしまいます。
その人に注意をしても「これは作り話で現実ではないから何とも思わない。見ない方がいいなんて言うのは理解できない」と言われてしまいます。
しかし、感覚が5次元に近づけば近づくほど、そうしたシーンには耐えられなくなるはずなのです。

ライブハウスのけたたましい音にも耐えられなくなります。
おそらく、音にもの凄く敏感になるからなのでしょう。
究極的に敏感になると、それこそ雨が地面に落ちた瞬間の音が爆発音に聞こえるといいます。

5次元チューナー増設を希望している人は、そうした流行から離れて、なぜ生きているのか?生まれてきた意味は?という「自問自答」を1人繰り返す必要があるということらしいです。
彼ら(Sirius)は昨年、リサーチ対象となっている人達に対し無意識下で“進化”を希望するか否かを確認し、YESの人は介入がはじまります。
しかしその時、同時に約束をしているんです。
“ノイズ”と繋がってしまった場合は中止する、、という約束です。
進化する、、という事はパワーを授かる、、という事です。
パワーを授かる、、という事はそれだけ責任を伴います。
自分の頭で考え、自分の足で行動する、、頑固なほど軸足がぶれない、、これが重要で、天界の神々と繋がるには「自問自答」だけが唯一の手段となります。
「自問自答」を繰り返す過程で感性(アンテナー)の精度が上がってくるからです。

kagomeさん、色々と教えていただき、ありがとうございました。

今も僕は作曲期間中です。
こんなに作曲が長引いてしまうのは、まったく充電期間がないからです。
でも、そんな贅沢を言ってられない状態なので、何とか耐えて作り上げたいです。
僕にとって、作曲は天界の神々と繋がる最重要ツールです。
きっとこれを止めてしまったら、僕が僕でなくなってしまいます。


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