今月に入ってからずっと体調が悪くてあまり外に出ていなかったのですが、「外に出た方がイイよ。」と何人かの人から言われたので、先日久しぶりに水元公園までサイクリングをしてきました。
人から言われたからそうする・・・思えば、僕は子供の頃からずっとそうでした。
だから誰からも指示されなくなると、何をすればいいのか分からなくなってしまう。
自主的に何かをやろうなんてことはまったく考えない。
そんな子供でした。
しかし不思議なのだけれど、自然への憧れだけはどうしても抑えることができなくて、学生時代はひとりで山に登ったり、海を見に行ったりしていました。
ひとりでリュックを背負って電車に飛び乗り見知らぬ駅で降りて、気がつけば見知らぬ山を登っていました。
子供の頃からの憧れ・・・それを忘れかけた時、無意識の中の何かがざわめいた
何万年も昔の猿人の血が騒いだ
あたかも、何かから強く抵抗するが如くに
僕は何者かに誘われるがまま、森を彷徨った
草原に出ると、その輝きに眩暈を覚え、その場に倒れた
草の臭い・・・そして、森の精霊は確かに存在した
広場には、紫や黄色や白といった色とりどりの小さな花が咲いていました。
ネットで調べてみると、紫と白は「ニワゼキショウ」という花だと分かりました。
6 月下旬から 7 月上旬くらいに芝生の中や道ばたに咲くそうですが、今はまだ5月なので随分と早いです。
アヤメ科なのですが花は一日でしぼんでしまうそうです。
黄色は「かたばみ」という花で、春から秋まで咲きつづけ畑では繁殖力の強い雑草なのだそうです。
僕は木はもちろん好きですが、雑草もすごく好きです。
木よりも、寧ろ草の方がエネルギーを強く感じます。
こうしてしゃがみ込んで草の花の写真を撮っているだけで、ハートチャクラ(アナーハタチャクラ)が振動してきて、その振動が体中に響き渡っていくような感じがします。
(シューマン共振と何か関係があるのかも?)
これは↑、南アメリカ原産の帰化植物 「アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)」。
「ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)」の花粉をいっぱいつけたカナブンがいました。
花菖蒲は、あともう少しで見頃かなといった感じでしたが、もうすでに何本か写真↑のように綺麗に咲いていました。
花菖蒲祭りが6月から催されるみたいです。
その頃は人がいっぱいだそうです。
ナナホシテントウが姿を見せてくれました。
テントウムシは、漢字で書くと「天道虫」。
天道とは太陽神のことで、昔の日本人にとってテントウムシは神様に近いような存在だったのかもしれません。
つまり「天照大御神」。
フランスではテントウムシが身体に止まると、どんな心配事も一緒に飛んで行ってしまうといわれていて、ベルギーでは若い女の子の手にテントウムシが止まると、一年以内に結婚するといわれていて、スイスでは、夫婦に赤ちゃんが授かる前兆だといわれているそうです。
そういえばテントウムシ、久しぶりに見たな・・・。
白いスイレン(睡蓮)の花が見頃です。
こちらも、古代エジプトでは太陽のシンボルとされていて、エジプトのレリーフや神話などに多く表れます。
太陽神ラーは、ナイルの三角州のスイレンの花から生まれて昇っていくと考えられていたので、太陽の神聖な花とされ「ナイルの花嫁」とも呼ばれていました。
またスイレンの花が夕方に萎んで水底に沈み、翌朝に再び水面から出て咲くので、復活の象徴ともされていました。
そのため、スイレンはミイラにも載せられていたそうです。
チベット密教の「オーム・マニ・ペーメ・フーン」は、「ハス(女性)の中の宝石(男性)」の意です。(英名のLotusは、ハスとスイレンの両方を指します。)
ウパニシャッドの創造神話に登場するプルシャ(原人、男神)は、自分は万物の創造主だとしていましたが、そのプルシャを産んだのは原初の女神であって、彼女は「ハスから生まれた者」と呼ばれていました。
僕は子供の頃から自然に憧れ、そして音楽にも憧れてきました。
あらゆる生命は波動だと言ったのは、確かアインシュタインだったか?
この自然から発せられる波動も、音楽なのかもしれません。
人々の音楽を聴いて楽しむのではなく
自分自身がそれをやって楽しむことだ
自らそれをして、幸せになるのだ
人々を癒すためにじゃなく、自己開発のために
自身の霊的成長のために
だからもっと歌え、もっと踊れ、そして恋をせよ
高次元エネルギーは、そこに宿る
この大自然の営みの中にも、それは宿る
この大自然の中に、人智を超えた高揚が存在する
それこそが、アニミズムの精神
北欧神話に登場するユグドラシルの巨木は、きっと存在しました。
ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の「神々の黄昏」の冒頭「ワルキューレの岩」で第一のノルン(運命の女神)が「一人の大胆な神が水を飲みに泉にやって来て 永遠の叡智を得た代償に片方の目を差し出しました そして世界樹のトネリコの木から枝を一本折り その枝から槍の柄(つか)を作りました 長い年月とともに その枝の傷は 森のような大樹を弱らせました 葉が黄ばんで落ち 木はついに枯れてしまいました」と歌います。(Wikipediaより)
きっと古代の地球は、巨樹の緑で覆い尽くされていたのだと思います。
巨木によって、この世界の秩序は保たれていた。
しかし人間が神と崇めてきた異星人によって、悉く切り倒されたのかもしれません。
そのせいで、この地球は不協和を意図的に作り出す星になってしまったのだと思います。
宇宙の秩序は捩じ曲げられ、人間は自然を悪と見なして次々と木々を倒し都市を開発していき、そして戦争や更なる便利さへの追求によって、空気はますます汚れて水も汚染され人々の心も傷ついていきました。
けいさんという方から、こんなコメントを頂きました。
「あなたは、地球のために何が出来ますか?が、生き方として大切になってきますね。 」
僕は毎日、裸足で梅の木の前に立って、大地のエネルギーを身体に取り入れていた時がありました。
その年は、今までの倍の梅の実が採れて、しかも実が大きかった。
毎日僕がそこに立っていたことで、梅の木に何だかの良い影響を及ぼしたということです。
それは当然、僕にも・・・。
自然と人間は、互いに関係しあいながら共存しています。
植物がいなくなってしまったら、人間は生きていけません。
それは僕が思うには、植物は地球の意志や宇宙の意志を発信(受信)する、電波塔のようなものだからです。
雑草の意志、地球の意志、宇宙の意志がわかる人がひとりでも多く増えてくれば、きっとこの世界は素晴らしいものに生まれ変わるに違いありません。
人から言われたからそうする・・・思えば、僕は子供の頃からずっとそうでした。
だから誰からも指示されなくなると、何をすればいいのか分からなくなってしまう。
自主的に何かをやろうなんてことはまったく考えない。
そんな子供でした。
しかし不思議なのだけれど、自然への憧れだけはどうしても抑えることができなくて、学生時代はひとりで山に登ったり、海を見に行ったりしていました。
ひとりでリュックを背負って電車に飛び乗り見知らぬ駅で降りて、気がつけば見知らぬ山を登っていました。
子供の頃からの憧れ・・・それを忘れかけた時、無意識の中の何かがざわめいた
何万年も昔の猿人の血が騒いだ
あたかも、何かから強く抵抗するが如くに
僕は何者かに誘われるがまま、森を彷徨った
草原に出ると、その輝きに眩暈を覚え、その場に倒れた
草の臭い・・・そして、森の精霊は確かに存在した
広場には、紫や黄色や白といった色とりどりの小さな花が咲いていました。
ネットで調べてみると、紫と白は「ニワゼキショウ」という花だと分かりました。
6 月下旬から 7 月上旬くらいに芝生の中や道ばたに咲くそうですが、今はまだ5月なので随分と早いです。
アヤメ科なのですが花は一日でしぼんでしまうそうです。
黄色は「かたばみ」という花で、春から秋まで咲きつづけ畑では繁殖力の強い雑草なのだそうです。
僕は木はもちろん好きですが、雑草もすごく好きです。
木よりも、寧ろ草の方がエネルギーを強く感じます。
こうしてしゃがみ込んで草の花の写真を撮っているだけで、ハートチャクラ(アナーハタチャクラ)が振動してきて、その振動が体中に響き渡っていくような感じがします。
(シューマン共振と何か関係があるのかも?)
これは↑、南アメリカ原産の帰化植物 「アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)」。
「オシロイ花」として広く知られている花ですが、白い花も存在するようで、区別する為に「赤花」と付けているそうです。
明治時代に観賞用として渡来したのが野生化したそうです。
とても小さい花なので、なかなか焦点が合わなくて撮るのが難しいです。
明治時代に観賞用として渡来したのが野生化したそうです。
とても小さい花なので、なかなか焦点が合わなくて撮るのが難しいです。
「ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)」の花粉をいっぱいつけたカナブンがいました。
昼咲き月見草の原産地は北アメリカ南部。
大正時代末期に観賞用として渡来したそうですが、今は野生化して道脇の草むらなどでもよく見掛けるようになりました。
大正時代末期に観賞用として渡来したそうですが、今は野生化して道脇の草むらなどでもよく見掛けるようになりました。
学名の「Oenothera speciosa」は、ギリシャ語の「oinos(酒)とther(野獣)」が語源だそうで、根にブドウ酒のような香りがあって、それを野獣が好むためだそうです。
野獣って名前が名前だけに、オオカミ男?
それとも、美女と野獣・・・?
野獣って名前が名前だけに、オオカミ男?
それとも、美女と野獣・・・?
花菖蒲は、あともう少しで見頃かなといった感じでしたが、もうすでに何本か写真↑のように綺麗に咲いていました。
花菖蒲祭りが6月から催されるみたいです。
その頃は人がいっぱいだそうです。
ナナホシテントウが姿を見せてくれました。
テントウムシは、漢字で書くと「天道虫」。
天道とは太陽神のことで、昔の日本人にとってテントウムシは神様に近いような存在だったのかもしれません。
つまり「天照大御神」。
フランスではテントウムシが身体に止まると、どんな心配事も一緒に飛んで行ってしまうといわれていて、ベルギーでは若い女の子の手にテントウムシが止まると、一年以内に結婚するといわれていて、スイスでは、夫婦に赤ちゃんが授かる前兆だといわれているそうです。
また、アメリカでは家の中でテントウムシを見つけると、その星の数だけお金が舞い込むといわれていて、アジアの多くの国では、テントウムシは人の言葉がわかり神に祝福された生き物であると考えられていて、とても大切にされているそうです。
そういえばテントウムシ、久しぶりに見たな・・・。
白いスイレン(睡蓮)の花が見頃です。
こちらも、古代エジプトでは太陽のシンボルとされていて、エジプトのレリーフや神話などに多く表れます。
太陽神ラーは、ナイルの三角州のスイレンの花から生まれて昇っていくと考えられていたので、太陽の神聖な花とされ「ナイルの花嫁」とも呼ばれていました。
またスイレンの花が夕方に萎んで水底に沈み、翌朝に再び水面から出て咲くので、復活の象徴ともされていました。
そのため、スイレンはミイラにも載せられていたそうです。
チベット密教の「オーム・マニ・ペーメ・フーン」は、「ハス(女性)の中の宝石(男性)」の意です。(英名のLotusは、ハスとスイレンの両方を指します。)
ウパニシャッドの創造神話に登場するプルシャ(原人、男神)は、自分は万物の創造主だとしていましたが、そのプルシャを産んだのは原初の女神であって、彼女は「ハスから生まれた者」と呼ばれていました。
エジプトの太陽神ラーも自分が創造主であると言いましたが、前述しましたように彼もハスの女神によって産み出されています。
林を抜けてシロツメクサが一面に咲いている大きな広場に出ると、何とも言えない優しい空気が身体全体を包み込みます。エジプトの女神のほぼ全員が、ハス(スイレン)をシンボルとしています。
東方の秘教ではハスは女神の門であって、性はその門を通って女神の内なる神秘に到達する「道」でした。
真の意味での賢者は正しい性行為によって、最後には啓示の花を咲かせることができるのだそうです。
この啓示の花は、骨盤に発して脊椎のチャクラを上昇し、頭頂から流出している「目に見えない光のハス」で、千枚の花弁を持つと記述されています。
僕は瞑想する時、 まず第1チャクラ(ムーラーダーラ)の赤を意識して、それから第2チャクラ、第3チャクラとだんだん上昇していって、そして一番てっぺんの第7チャクラ(サハスラーラ)に達したら啓示の花「目に見えない光のハス」を意識するようにしています。
第7チャクラは「真の生き方に目覚める場所」ともいわれていて、他のチャクラは背骨にそってありますが、サハスラーラ(クラウンチャクラ)だけは真っ直ぐ天を向っているので、宇宙から流れてくる「気(エネルギー)」を取り入れやすい場所だといわれています。
瞑想の後ガヤトリーマントラを唱えるのですが、 ガヤトリーマントラと「オーム・マニ・ペーメ・フーン」は同じくらい強力なマントラなのだそうです。
ガヤトリーマントラには、「全チャクラを開き強化する」効果があるそうです。
僕は瞑想する時、 まず第1チャクラ(ムーラーダーラ)の赤を意識して、それから第2チャクラ、第3チャクラとだんだん上昇していって、そして一番てっぺんの第7チャクラ(サハスラーラ)に達したら啓示の花「目に見えない光のハス」を意識するようにしています。
第7チャクラは「真の生き方に目覚める場所」ともいわれていて、他のチャクラは背骨にそってありますが、サハスラーラ(クラウンチャクラ)だけは真っ直ぐ天を向っているので、宇宙から流れてくる「気(エネルギー)」を取り入れやすい場所だといわれています。
瞑想の後ガヤトリーマントラを唱えるのですが、 ガヤトリーマントラと「オーム・マニ・ペーメ・フーン」は同じくらい強力なマントラなのだそうです。
ガヤトリーマントラには、「全チャクラを開き強化する」効果があるそうです。
僕は子供の頃から自然に憧れ、そして音楽にも憧れてきました。
あらゆる生命は波動だと言ったのは、確かアインシュタインだったか?
この自然から発せられる波動も、音楽なのかもしれません。
人々の音楽を聴いて楽しむのではなく
自分自身がそれをやって楽しむことだ
自らそれをして、幸せになるのだ
人々を癒すためにじゃなく、自己開発のために
自身の霊的成長のために
だからもっと歌え、もっと踊れ、そして恋をせよ
高次元エネルギーは、そこに宿る
この大自然の営みの中にも、それは宿る
この大自然の中に、人智を超えた高揚が存在する
それこそが、アニミズムの精神
北欧神話に登場するユグドラシルの巨木は、きっと存在しました。
ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の「神々の黄昏」の冒頭「ワルキューレの岩」で第一のノルン(運命の女神)が「一人の大胆な神が水を飲みに泉にやって来て 永遠の叡智を得た代償に片方の目を差し出しました そして世界樹のトネリコの木から枝を一本折り その枝から槍の柄(つか)を作りました 長い年月とともに その枝の傷は 森のような大樹を弱らせました 葉が黄ばんで落ち 木はついに枯れてしまいました」と歌います。(Wikipediaより)
きっと古代の地球は、巨樹の緑で覆い尽くされていたのだと思います。
巨木によって、この世界の秩序は保たれていた。
しかし人間が神と崇めてきた異星人によって、悉く切り倒されたのかもしれません。
そのせいで、この地球は不協和を意図的に作り出す星になってしまったのだと思います。
宇宙の秩序は捩じ曲げられ、人間は自然を悪と見なして次々と木々を倒し都市を開発していき、そして戦争や更なる便利さへの追求によって、空気はますます汚れて水も汚染され人々の心も傷ついていきました。
けいさんという方から、こんなコメントを頂きました。
「あなたは、地球のために何が出来ますか?が、生き方として大切になってきますね。 」
僕は毎日、裸足で梅の木の前に立って、大地のエネルギーを身体に取り入れていた時がありました。
その年は、今までの倍の梅の実が採れて、しかも実が大きかった。
毎日僕がそこに立っていたことで、梅の木に何だかの良い影響を及ぼしたということです。
それは当然、僕にも・・・。
自然と人間は、互いに関係しあいながら共存しています。
植物がいなくなってしまったら、人間は生きていけません。
それは僕が思うには、植物は地球の意志や宇宙の意志を発信(受信)する、電波塔のようなものだからです。
雑草の意志、地球の意志、宇宙の意志がわかる人がひとりでも多く増えてくれば、きっとこの世界は素晴らしいものに生まれ変わるに違いありません。
ランキングに参加しています。
↓クリックのご協力をお願い致します。↓