piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

2019年08月

2019081503
街に出てもスマホ歩きをしている人、電車に乗ってもスマホを見ている人、バスに乗ってもスマホ、レストランに入ってもスマホ、どこへ行ってもスマホスマホスマホ・・・
まだインターネットが登場して間もない頃は、お金が凄くかかるとか、騙されるとか、個人情報が取られるとか、とても怖いイメージがあったと思うのですが、今やスマホの登場で誰もが自分の写真や個人情報を何のためらいもなくアップするようになりました。
「大衆操作を目的とした悪のツール・・・」なんて言葉も、最近はあまり見かけなくなりました。
慣れとは、本当に恐ろしいものです。

スマホの普及により、スマホによる犯罪やSNSによるいじめなども多く発生するようになりましたが、それ以上に問題視されているのが、スマホ依存症(SNS依存)や、また今までに無かったような精神的な病いも増えてきているようです。
日本人は1日当たり平均でゲームは83分、動画は96分、SNSは88分の時間を費やしているのだそうです。
4時間以上の時間をそれらに費やしていることになりますが、スマホ依存の人はもっと多いということになります。
スマホからちょっとだけ離れただけでも、とても不安に感じてしまうのだそうです。



ということで今日は、スマホの登場により人類はいったい何をもたらしたのか?ということをさらに深堀りしていきたいと思いますが、もちろん悪いことばかりではありません。
共通の趣味趣向を持った者同士で繋がって情報交換したりイベントを行ったり、話し相手や新しい友人を作ることができたり、悩みや苦しみを共有することができたり、今まではとてもコストの高かった情報収集も即座にできたりするので、とても便利で自分を幸せにしてくれるものでもあります。

それから、興味のあるもの、関心のあるものがAIによって最適化されて、24時間365日いつでも自分に合ったものを表示してくれて、また社会的な立場に影響を与えたり、自己達成感を味わうことが容易に出来てしまうような仕組みまであって、それがスマホという小さなボックスたったひとつだけで全部出来てしまう訳です。
言ってみれば、対価をまったく気にせずに、皆が一斉に同時に協力できるようなシステムにSNSは仕上がっているということです。
まったくのただの1人の一般市民が、数万人分のパワーを持ってしまうことだってあり得る訳です。
まったくの無名の人間でも、自分のスキルを発信して仕事が作れる時代にもなったということです。

しかし、何かを得れば必ず別の何かを失うものです。
SNSやツィッターやインスタグラムにゲーム・・・そうやって人間は暇な時間や退屈な時間を無くしていったために、脳を休める時間を極端に減らしてしまいました。
ひょっとしたらSNSの開発者は、それを意図してやっているのかもしれません。
暇で退屈な時間、つまり彼らは「隙間時間」という、まったく新しい概念を生み出してしまった。
この「隙間時間」が、実はもの凄いお金を生み出しているのです。
人間のボーっとしている時間こそが、彼らにとっての金のなる木になったということです。
つまり、そもそもが人間をスマホ依存にさせるために作られているということです。

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」が決め台詞になっている番組が流行っていたりしますが、実はボーっとしている時にこそ、すごい発見や閃きがあったりするのです。
脳を休める時間、つまり人間には何も考えていない時間が必要なのです。
しかし、彼らによってボーっとする時間さえも失ってしまった人間の脳は、さらに退化していくことになるのです。

彼らは本当に、お金目的のためだけにこんなことをやっているのでしょうか?
これまでもスマホの電磁波による身体への影響が懸念されてきた訳ですが、5Gの登場によって、この問題もさらに酷くなっていくことが予想されます。
要するに、これらは全部NWOによる人口削減の一環か?・・・ということです。
「なんだぁ、陰謀論かぁ」って、あなたは笑えますか?



SpaceXやテスラ・モーターズのCEOを務めるイーロン・マスク氏が、コメディアンのジョー・ローガン氏の番組で、インスタグラムの問題点をこう指摘しています。↓


https://www.youtube.com/watch?v=ASQCchvxeLk

皆が実際よりも良い人生を送っているように見えてしまう。
つまり、幸せなところだけ切り取られた世界。
すごく幸せそうな時に写真を投稿したり、見た目を良くするために加工したり。
だから、「皆最高に幸せそうだしカッコいい。私は見た目も良くないし、幸せでもない。私はクズだ。」って思ってしまう。
それが皆を悲しくさせている原因。
でも実際はどんなに幸せそうにみえる人たちも、そんな幸せではないし、鬱になっている人だっている。
一番幸せそうにみえる人たちが、実は一番悲しい人だったりする。

なぜそんなに皆に良くみられたいの?
比較することによって、皆を悲しくさせている。
他人と比較することによって、常に自分の期待値の基準線を引いている。
幸せ=現実ー期待。
インスタグラムはまるで自分自身の広告塔で、自分を実際以上に魅力的なものに作り上げる。
「フィルターなし」で投稿したら、「勇気あるね!」「メイク無し?」なんて言われかねない。

この先にあるのは・・・拡張現実?
バーチャルなインスタの延長線上のもの?
現実で生活したいと思わず、SNSで作り上げた自己を通して世界と繋がるの?
シミュレーションの中に入るとか・・・


最近よく「リア充」なんて言葉を聞きますが、インスタグラムに投稿する人は上昇志向が強いので、「インスタ映え」するために過剰な「リア充」感を出したりして実際よりも良く見せようとします。
でも、それは現実の自分ではなく「疑似生活」で、言うなればそれはフェイクであって、そんな「疑似生活」を見せられた人はかなりの劣等感を抱いてしまうことがわかっています。
つまり、自分を良く見せれば見せる程、劣等感を抱いてしまう人も多くなるということです。

しかし、投稿した人は「いいね!」をもっとつけてもらいたくて、もっともっと幸せそうな「疑似生活」の写真を投稿することになります。
やがて投稿した人も現実とのギャップがありすぎて、鬱になってしまったりもする。



SNSの開発者はそれらを意図的にやっていて、お金儲けのためにSNS依存になってしまうような「からくり」をたくさん仕掛けているのだとしたら、本当に恐ろしいことです。
繰り返しになりますが、暇や退屈を「隙間時間」という金のなる木に変えてしまうという、彼らはとんでもないイノベーションを引き起こしたのです。

また彼らは最近、無限スクロール機能なるものを開発していて、これがまた最大の中毒を引き起こすテクノロジーなのだそうです。
ページというものがなくなって、次から次へと情報が提示されていくので、実はコレが相当なギャンブル性を秘めているのだそうで、益々止められなくなってくる。

彼らは、いかに見てもらう時間を長くするか、そのことしか考えていません。
見ているユーザーに最適な広告を表示することで、利益を生む構造になっているのです。
見てもらう時間が長くなればなる程、広告が表示される時間も長くなり、それが収益に繋がっていく。
つまり、見てもらう時間をいかに増やすかということをエンジニアのスペシャリストたちによって考え抜かれているので、何も知らない一般人が中毒を引き起こすのは当たり前なのです。
これは、ドラッグやアルコール中毒とはまったく質が違うものなのです。
これはもう自己責任なんてものではなく、紛れもない陰謀なのです。

それから、一昔前は社員と会社のパワーバランスは圧倒的に会社側の方が大きかったのですが、それが今ではSNSの登場で大きく変わってきていて、個人が会社を簡単に潰してしまえる時代になりました。
悪意があれば、大企業でさえ潰してしまえます。
だから、最近ではSNSを禁じている企業も出てきているようです。
会社がリスク回避のために社員のSNSを監視するというのは、もうすでに常識化しつつあるそうです。
また、国もそれを徹底強化していく方向で指導しています。

そうなってくると、社員は業務の範囲を超えて行動することが制限されることになります。
超監視社会の到来です。
SNSの何気ない書き込みなどによって、積み上げられてきた労働者としての権利が一気に崩壊してしまう可能性も出てきます。
それこそツィッターなどで誰かの誹謗中傷などしてしまったら、もう完全にアウトです。



以前にブログでちょっと採り上げましたが、イーロン・マスク氏はシミュレーション仮説を提唱しています。
この世界がポストヒューマンのコンピュータの中であるという説が反証不可能であるのなら、我々人類が作ったコンピュータの世界に我々自身の魂が入ることだって可能かもしれません。
理想的な夢のような仮想空間が作れるのなら、そんな世界で暮らしてみたいと思う人も多くいるのではないかと思います。

現に今もブロックチェーンなどのユーザー同士の相互監視システムが出現して、アバターを作ってコンピュータ内で友達を作ったり、友達と遊んだり買い物をしたりプレゼントを交換しあったり・・・
そうやってこれから益々すべてが拡張現実化していき、SNSで理想とする自己を作り上げていき、バーチャルなインスタグラムの中で生活していくことになります。
つまりそれは、この現実世界が無くなっていくことを意味しています。

その先に待っているのは、仮想現実の中で永遠に生活するという、人類が始まって以来の途轍もない大革命なのかもしれません。
マトリックスの中にできたマトリックスの世界。
問題なのは、果たしてそれが人類にとって本当に幸せなことのなのかどうかということなのですが・・・
以前のブログで述べましたが、僕はそこには大きな罠が仕掛けられているのだと考えている訳です。
2019081507




僕は子供の頃から皮膚が弱くて、今もあせもがかなり酷くなっているので、なるべく汗をかかないようにしていました。
なので、水元公園までのサイクリングは、しばらくお休みにしていました。

お盆は地獄の釜が開くといわれていますが、8月になると僕は昔から本当に不可解なものを目撃したりするのです。
いったい何があったのかは、すでにこのブログにだいたい述べてきているので割愛させていただきますが、今月に入ってからもここの所ずっとマントラを唱えていなかったので(実験的にわざと)、悪いものが憑依しているのを感じていました。

先週、初めて家族を連れて車で水元公園に行ってきたのですが、クリスタルベルは現れない、蝶やトンボは近寄らない、猫は逃げていく、ドバトが僕にちょっとだけ興味を示す程度・・・という感じで、だいたい僕の波動の状態がわかると思います。(苦笑)
最近夜になると、自分が昔やってしまった大失敗や苦しい体験などが頭の中で再現され、そんなネガティブな感情が何度も何度も襲ってきて、ちょっとかなり酷い状態に陥っていました。
そんな状態を、動物たちはいとも簡単に見破ってしまうのです。

しかし、公園に吹き抜ける風はもう秋の風になっていて、サイクリングでは味わえないような、なんというか異次元的なものを感じていました。
今まで感じることのなかった公園の不可思議な美しさ、たとえば木々の色や水面の波の色を、こんなにも深く感じたことはありませんでした。
それは現代のコンピュータ社会とは対照的な世界・・・

その日の夜、目が覚めるとUFOのエンジン音が聞こえていました。
最初は車がエンジンをふかしている音だと思ったのですが、すぐにそれは違うとわかりました。
UFOの音はベッドの左側から聞こえてきたのですが、音は真上を横切って右側に移動し、寝ている僕のやや頭の方に行って、小さい音でずっと「ウゥー」と唸るように鳴っていました。
音が真上を横切っていく時に、家の壁が柔らかくなって波打っているような感じがしました。
またそれと同時に、UFOに乗っている5〜6人の宇宙人たちの顔が浮かんできました
本当にスピルバーグ監督の映画『ET』に登場してくるような顔をした宇宙人でした。

そして、はっと気がつきました。
あの水元公園には、高次元宇宙人たちの基地があるのではないかと・・・
この3次元物質世界では、あそこはただの公園にしかすぎないけれど、高次元の世界では、あそこは宇宙人たちの基地になっているのではないのかと思ったのです。
そして、久しぶりに公園に訪れた僕があまりにも波動が低くなっていたので、宇宙人たちが心配をして夜に僕の家に訪ねて来てくれたのだと・・・(T_T);

この頃は悪夢に唸れることも多かったのですが、この後に見た夢はとても良い夢でした。
もう宇宙人たちに心配をかけないように、またガヤトリーマントラを唱え始めました。
皮膚の炎症が治まってきたら、また水元公園までサイクリングしてきたいと思います。
以前にも増して、自然と繋がる感覚が味わえるかもしれません。
2019081506



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2019080101
何かをするのにも、どうしてこうも書類とか手続きとか、本当に世の中はしち面倒臭いことばかりあるのでしょうか?
実は、今月に入ってから父が入院していまして、入院するにも色々と手続きが必要でした。
父の要介護のレベルは2だったのですが、レベルを3に引き上げる必要が出てきて、それにも色々と調査が必要だったり、手続きが必要だったりと・・・
それから、ヘルパーさんをお願いするにも手続きが必要で、いやはやどんしてこんなにも手続きが必要なのでしょうか?

これは病院とは関係ない話ですが、父はもうひとりでは外に出られないので、父がずっと使い続けてきた携帯はもう使わなから携帯電話会社の近くのショップに行って退会してきたのですけれど、入会する時はあんなにラク〜に入れたのに、どうして退会する時はこんなにも大変なのだろうと思ってしまいます。
書類にサインするのにも父がサインしなければならないのですが、父はもう字を書くのも侭ならない状態なので、これには困りました。
どうしても父のサインがなければ退会できないとお店の人がいうのです。
何て書かれているのか全然わからないグジャグジャなサインでもいいから、無理矢理父に書いてもらって、やっと退会することができました。
本当に、たかがサインぐらいでと思ってしまうのですが・・・

決まりは決まりだからと、マニュアル通りに、決められた通りにやらなければ何もすることができないこの世の中って、いったいどうなの?・・・って僕は思ってしまう訳です。
世の中がだんだん融通が利かなくなって、窮屈になればなる程、人間性は失われていくような気がします。
その場その場によって、臨機応変に対処していくというのが人の道だと思うのですが・・・

それからこの世の中、何でもかんでもお金次第というのも本当にどうにかしてもらいたい。
お金の払う金額によって人の態度まで違ってくる、ワーキングプアも年々深刻化していく、老人ホームもピンキリで人生の最後の最後まで社会の格差がつきまとう・・・
大げさなのかもしれませんが、最近僕は愛のないというか、優しさがないというか、何というかディストピアを彷彿としてしまうような出来事が結構あったりする訳です。

政治家が何を言おうと、政治家自身が弱者の身にならなければ、弱者の気持ちなどまったくわかりません。
元来、お金がないから、学歴がないから、障害者だからという理由で政治家になれないということはない筈です。
だから、山本太郎氏の功績は大きい。
そして、世襲のおぼっちゃまなど以ての外なのです。
しかし現実は、この世の中に法の下の平等などは存在せず、監視社会、マニュアル化などによって雁字搦めにされて自由を奪われた不平等社会なのです。
2019081505


さて、話はまったく違うのですが、僕は次元上昇をこのブログの重要なテーマとして扱ってきました。
アセンションではなく次元上昇という風に日本語で表記してきましたが、それはなぜかといえば、アセンションという言葉自体にとても不気味なものを感じていたからです。

Ascensionとは、元々は新約聖書のAscend(昇天)がルーツで、十字架にかけられて死んだキリストが3日後に復活して、40日間を弟子たちと過ごした後に天に昇っていった(Ascend)ことを指しています。
僕は聖書というのは、本当にあった話を悪魔が改竄した書物だと思っているので、特にこのAscendのシーンは聖書の最重要部分だと思われるので、悪魔最大の罠が仕掛けられていると考えられます。
弟子たちによれば、復活したキリストは通常の肉体とはちょっと違う体だったと述べています。
つまり、半霊半物質・・・5次元以上の世界へ昇天したということだと思います。
それから2000年の月日が経ち、今度は我々人類がキリストのようにAscensionするのだと語る人たちが出てきた訳です。

2012年12月21日にマヤのカレンダーが終わっていることから、マヤ研究家のホゼ・アグエイアス博士らが「これはアセンションだ」と言い始め、そしてそれを元にスピ系の人たちやらチャネラーやらがその説に様々な脚色をしていき、挙げ句に2012年人類滅亡説まで出始めました。
2012年には何も起こらなかった訳ですが、今でもアセンションは2020年だとか2023年だとかいう人も出てきたり、いやもう2016年にアセンションは終了しているという人もいたりする訳です。

しかし、アセンションを完全否定しているスピ系の方もいます。
感じるスピリチュアルしゅうさんさんは、アセンションはビジネスだと語っておられます。↓(勝手に拝借しますm(_ _)m)

https://www.youtube.com/watch?v=I2VRjK_yrqo&t=312s

僕もブログで、次元上昇という言葉を随分と使ってきているので耳が痛いのですが(苦笑)、今まで僕は波動のことがよくわからなかったので、流行に乗せられていた部分もあったかもしれません。
しかし前述しましたように、僕はアセンションという言葉を初めて聞いた瞬間からずっと不気味さは感じていたので、次元上昇という日本語の言葉に置き換えていました。
同じ意味ではありますが、なぜか次元上昇という言葉なら大丈夫なのです。
ひょっとしたらアセンションという発音もまた、魔界へのポータルになっているのかもしれません。



それにしてもです。
問題なのは地球は次元上昇するのか?(したのか?)ということです。
その前に、そもそもこの3次元物質世界以外に別の次元なんて存在するのか?という疑問も出てくると思いますが、物理学界では「多元宇宙論」を指示する人が多くいます。
M理論(ひも理論)によれば、この宇宙は11次元までは科学的に存在していることがわかっているそうです。
実はもっともっと数えきれない程の次元が宇宙に存在している可能性があり、そうなると砂浜の砂の数程のもの凄い数の惑星が存在していることになるので、地球のように(知的な)生命に適した惑星が誕生する可能性は低いですが0ではなく、偶然に偶然が重なってゴルディロックス・エニグマが起こったというのが多元宇宙論の概要になっています。
この説には僕は異を唱えますが、しかし学界でも既に異次元の存在は認められつつあるのです。

また、イーロン・マスク氏やニック・ボストロム教授のように、シミュレーション仮説を唱える人たちもいます。
シミュレーション仮説においては、もっとも決定的なのが大腸菌の鞭毛運動です。
鞭毛は自動車のモーターのような役割を持っていて、これによって大腸菌は動き回ることができるのですが、実はそのモーターにはクラッチが付いているのだそうです。
それはもう高度なナノマシンで、そんなものが自然界に存在するということは、もはや進化論でいわれている自然淘汰や適者生存では説明がつかなくなってしまうということです。
つまり、誰かが設計したということになります。
もちろん人間も、ありとありゆる生き物も、この地球全体も・・・

この世界はポストヒューマンのパソコンの中身なのかもしれないし、パソコンの中身ではないにしても、我々人間の身体はポストヒューマンの高度なテクノロジーによって作られたロボットである可能性は極めて高いのです。
そのポストヒューマンはいったい何のためにこの世界を、そして我々人間を創ったのか?ということです。

時間という概念は地球だけのものであって、5次元以上は過去も現在も未来も同時に存在しているのだといわれています。
僕自身の実体験から考えてみると、人の一生は生まれてくる前からだいたい決められていて、その決められていたことを体験してどう思ったか?それによって何を考え、そしてどう行動したか?が問われているのだと思うのです。
そして、このアドベンチャーゲームがGood EndになるかBad Endになるのかはあなた次第、ということになるのかもしれません。
Good Endの人は地球の次元上昇を体験することができ、Bad Endの人は地球滅亡を体験することになるということなのかもしれません。
きっと僕の憶測に過ぎないと思う方ばかりでしょうが、僕自身の数々の不可思議体験を照らし合わせてみると、どうもその可能性は高いような気がするのです。

映画『インターステラー』のように、実はそのポストヒューマンは人間自身、もしくは自分自身なのかもしれません。
その可能性だってあります。
平行に向かい合った鏡の中のように、数えきれない程のパラレルワールドが存在していて、そしてそれぞれの世界には必ず自分自身が存在していて、ありとあらゆる人生を同時に自分は体験している、とも考えられます。
ある世界での自分は悪人だけれど、また別の世界の自分は善人になっている、ということもあり得る訳です。
そうやってありとあらゆる体験をして、自分自身の霊的成長を促しているということです。

また、人間は知らず知らずのうちにあっちの世界の自分、こっちの世界の自分へと移動しているのかもしれません。
そしてそれが、波動と密接な関係があるということです。
波動が高くなればなる程、次元も高くなっていくのです。
波動を高くする為には、今までもずっとブログで述べてきたように、自然にいっぱい触れて、エゴをなくし、嘘をつかないということです。
もちろんそれだけではなく、運動したり、本を読んだり、波動が良くて好きな音楽を聴いたり、感動したり、感謝したり、愛したり・・・ということも大事になってきます。
そうすれば、より良いパラレルワールドへ行くことができるという訳です。

だから僕はアセンションという聖書的な意味合いの強い言葉には、何だか人類の足を引っ張っているような強い悪魔の呪術みたいなものを感じてしまうのですが、しかし地球の次元上昇というのはやはり本当に起こっていることなのではないかと考えるのです。
最近の自然界の動物たちの不思議な行動を見ていても、そう感じるのです。
自然界の動物たちの行動を見て、自分がGood Endに近づいてきているのか?Bad Endに近づいてきているのか?がわかるのかもしれません。
あなたの肩に蝶かトンボがとまったりしたら、それはきっと・・・

因みに、Bad Endだからといって、残念がることはありません。
また1からゲームをスタートさせるだけです。
何度も何度も失敗を繰り返して、Good Endに近づいていけばいいだけです。
2019081502


最後にまた、クラシック音楽の動画をYouTubeから引っ張ってきたいと思います。
R.シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』です。
この曲は、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』で使われて有名になりましたが、キューブリック監督といえばアポロ11号の月の映像はキューブリック監督がグリーンランドかどこかで撮影したものだとか、映画『アイズ ワイド シャット』で某団体の悪魔崇拝の儀式と思われるシーンを公開したから殺されたのだとか色々といわれていて、陰謀論者にとっては堪らない題材だったりします。

それはそうと、この曲を載せようと思ったのは、ニーチェの思想が凝縮されている「ツァラトゥストラ」は次元上昇と何か関係があるのではないか?と思ったからです。
ニーチェは、ルサンチマン(恨み、妬み、嫉妬の感情)を持たず、これまでの価値観にとらわれないで絶えず創造的でクリエイティブなパワーにあふれて生きていける人、また「生の高揚」をとことん実現した人のことを「超人」と呼びました。

「超人」になるには、どうすればいいのか?
ツァラトゥストラは、こう語りかけます。
「私は君たちに精神の三つの変化を告げよう。すなわち、精神がラクダになり、ラクダが獅子になり、最後に獅子が幼子になる有様を。」 
ラクダになって色々な重いものを担い、自ら求めて担い、色んな義務を全て引き受けることによって力を貯めていく。
今度は獅子になってすべてを否定し、反抗期みたいに従来の常識にすべて逆らい、ライオンのように歯向かっていくけれど、しかしそれでは「超人」にはなれない。
今度は幼子になって夢中になって遊び、何も考えずに綱遊びをしたりして遊び、全く無垢に楽しいことに全力で向かっていって、でもそれは子供に戻るということではなくて、大人で理性もあって知性もある。
その姿こそが、まさに「超人」。

そして、幼子にように無垢ではあるけれど、しかし気力をみなぎらして生きるためには「永遠回帰」の思想を受け入れなくてはならない、とニーチェはいいます。
「永遠回帰」とは、自分の人生が寸分違わず何度も何度も永遠に繰り返されるという思想です。
ニーチェは、「永遠回帰」を理解すると「超人」になれるのだといいます。
たとえどんなに自分の人生が最悪であっても、それを受け入れれば「超人」になるのだそうです。
最悪の自分の人生を肯定して「超人」になると、その人は「光に包まれたもの」になるのだそうです。

指輪が、人の一生を象徴しているのだといいます。
指輪にはダイヤが付いていて輝いている箇所もあれば、サビていて汚い箇所もあります。
人生にはダイヤのように輝く時期もあれば、忘れてしまいたいほど最悪の時期もあります。
ニーチェは「ダイヤと共に、イヤなことも引き連れて、自分の人生を全部肯定せよ」といい、さらに「自分のイヤなこと、耐え難いことなどの苦しみを仕方なく受け入れるのではまだ甘い。その苦しみを欲さなければならない。」ともいいます。
そういう生き方のことをニーチェは「運命愛」と呼んでいて、この「運命愛」の態度を持てた人は、自分の人生を何度でも繰り返そうとするので、「永遠回帰」を受け入れたことになるのです。

ここで「ツァラトゥストラ」の第3部の「深夜の鐘の歌」を載せておきます。
O Mensch! Gib Acht!
おお人間よ!しかと聴け!

Was spricht die tiefe Mitternacht?
深い真夜中は何を語るか?

Ich schlief! Aus tiefem Traum bin ich erwacht!
私は眠った!深い夢から 今 目が覚めた

Die Welt ist tief!
世界は深い

Und tiefer als der Tag gedacht!
昼が考えてたよりも深い

Tief ist ihr Weh!
世界の苦しみは深い

Lust,tiefer noch als Herzeleid!
悦び それは心底からの苦悩よりもいっそう深い

Weh spricht:Vergeh!
苦しみは言う『終わってくれ』と

Doch alle Lust will Ewigkeit!
しかし 全ての悦びは永遠を欲する

Will tiefe,tiefe Ewigkeit!
深い 深い永遠を欲する
因みにこの歌は、マーラーの交響曲第3番の第4楽章「夜が私に語ること」の歌詞に使われています。
ユダヤ人でありキリスト教に改宗したマーラーが、対照的とも思えるニーチェの言葉を自分の交響曲に取り入れているのは奇妙ではありますが、第5楽章から一転して天上界の世界になるので、ニーチェの「超人」を凌ぐ「神の世界」を表現したかったのかもしれません。



世界の「苦しみ」は深い、しかし「喜び」は心の底からの苦悩よりも一層深い・・・
たった1回でも本当に「喜ばしいこと」があったのなら、他のイヤなこと全部引き連れて、この人生を何度でも生きるに値するのではないのか・・・
あなたが一番「喜び」としているもの、それはいったい何?
しかし、ルサンチマンやニヒリズムは、その「喜び」を忘れてしまう。

「ニヒリズム」とは、「すべてのものは無価値である」とする考え方です。
「ニヒリズム」は「末人(まつじん)」とも「最後の人間」とも訳されますが、「安楽がよい、冒険しない、憧れというものを持たない」ような人のことをいいます。
つまり、「超人」とは正反対の人間。

人間は、常に憧れの矢を持っていなければいけないということです。
そして、「超人」は「光に包まれたもの」になるのです。
これって、次元上昇ですよね・・・


https://www.youtube.com/watch?v=l-P5Wp_CZUw



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前回の記事の最後の方で、この世の中は平気で嘘をつく人が多いけれど、その原因は裏に魔界の存在や悪い宇宙人が憑いていて、コントロールされているからではないかというようなことを述べました。
スピ系の動画とかを観ていても、お話をされている方が一見とても良さそうな方に見えて、それにとても良い波動を出していたのに、動画の途中辺りから突然吐き気を催す程の気持ちの悪い波動を僕は感じ始めたりすることがあるのです。
突然息が詰まるような息苦しさが襲ってくるので、これはいったい何なのかと不思議に思っていたのですが、最近漸くその謎が解けたような気がしています。
今日は、そのことについて述べていきます。



最近、「宇宙はひとつ」という言葉が流行っているように思われます。
実はこの言葉こそ、魔界へのポータルになっているのではないかという気がしています。
「宇宙はひとつ」だけではなく、「3」という数字や「ワンネス」という言葉にも似たようなものを感じます。

僕もずっとブログで、「ワンネス」の重要性について述べてきました。
宇宙はもともとひとつの塊(ワンネス)で、その塊が爆発してこの宇宙ができた。
つまり、ビックバンです。
そうやって、もともとひとつだったものがバラバラになって、色々な「波動」が生じていった。
そう、もっとも重要なのは「物質」なのではなく、「波動」です。

この宇宙で起こる現象には、すべて意味があります。
偶然など存在せず、すべては起こるべくして起こる・・・つまりマーフィーの法則。
なぜビックバンが起きたのか?
それは「高い波動」と「低い波動」に分ける必要があったから・・・

たとえば、学校の生徒が100人いたとして、ABCDという4つのクラスに分けるとします。
Aクラスは成績優秀な生徒ばかりを集めて、Bクラス、そしてCクラスと段々成績が下がっていって、Dクラスは落ちこぼれの集団です。
100人全員を1クラスとして括ると、クラスの中には成績優秀者も落ちこぼれも一緒くたにいることになります。
これがビックバンが起きる前の状態。
そこでビックバンを起こし、ABCDの4つのクラスに分けてしまえば、あるいはもっともっと細かく分けていけばいく程、1クラスの中の個人差がなくなっていきます。
これが次元とかパラレルワールドといったものなのだと思います。

僕が以前に述べていた「ユニティ」の世界というのは、つまり上も下もない、善も悪もない、金持ちも貧乏人もいない、すべての人が公平で、愛に満ち溢れたとても波動の高い世界というのは、まさに地球のAのクラス、上級クラスに入るのに相応しい人たちが集まった世界です。
そして、残りのBCDのクラスはこの地球から消滅してしまうので、それぞれの波動に合った別の惑星へ移動することになるのです。
ビッグバンの1つの集大成として、地球でアセンションが起こったということです。

今まではヒエアルキーの社会、つまり弱肉強食の社会でした。
戦争で勝った方が生き残ったり、また支配者と服従者、金持ちと貧乏人という風に分かれていました。
この一見平和な現代社会の中にも、様々な差別があります。
たとえば女性なら結婚相手を選ぶ時に、学歴、収入、ものの価値観、それにルックスで判断したりしています。
男性なら、女性の見た目が可愛いかどうかとか・・・
僕らはそんな風に無意識的に、知らず知らずのうちに、人を区別してしまっているのです。

ルックスなんて、生まれた時に決まってしまうものだから、自分の努力ではどうにもなりません。
整形してしまう人というのは、そういうことにものの価値観を置いているということになります。
つまり、自分はピラミッドのできるだけ上部にいて人から憧れの目で見られていたいという欲求にかられている、完全に洗脳されてしまっている人なのです。

障害を持って生まれてきた方にとっては、最近はパラリンピックとかバリアフリーなんていっていても、まだまだ生き難い世の中には違いありません。
しかし高い次元からみれば、彼らは都会で普通に働いている一般人よりもよっぽど波動が高かったりします。
このピラミッド社会なんていうのは、幻想に過ぎません。
この世の幻想に憧れるのではなく、現代人はもっともっと「本当の真実」に目を見開くべきです。
Aクラスに入れる人たちというのは、波動の高い、その「本当の真実」に気がついている人たちなのです。

しかし、Dクラスの連中が黙っていない訳です。
昔はどこの学校でも、番長なんていうのがいました。
番長の命令で、下っ端のつっぱり連中がAクラスの生徒たちを引きずり落とそうとしている訳です。
何でもわかってしまうスピリチュアリストのフリをして、「宇宙はひとつ」とか「光と闇の融合」とか「“3”に見られる命の共通性」とか言ったりして、ABCDのクラス分けをグジャグジャにして何が何だかわからなくしてしまう。
そしてその「宇宙はひとつ」といった言葉がいつしか強烈な魔法の言葉(言霊)と化し、そして魔界の扉を開けてしまう鍵になっていたという訳です。

因みに、僕のいう「ワンネス」というのは「原初の世界(塊)」、あるいは「宇宙は繋がっている」という意味合いで使ったりしますが、「宇宙はひとつ」という意味ではありません。
なぜなら宇宙はひとつ・・・になっていないからです。
「光と闇の融合」や「“3”の共通性」も同じく幻想であって、この言葉こそが魔界の罠になっているのです。

現実は、二極化していっているのです。
「2」という数字こそ、今の地球に相応しい数字です。
Aと、あとひょっとしたらBも新しい地球に残り、CとDは残念ながら間違いなく別の惑星へ移住することになるのです。
Dの行き先は、おそらく火星です。
(僕は以前に「光と闇の融合」や「3」についてブログで述べていたことがありますが、それは間違っていたということになります。訂正してお詫び申し上げます。m(_ _)m)



僕は呼吸法ではなく、主にアージェナーチャクラを使って波動の高さを測ります。
僕は子供の頃からずっと鼻炎を患っていたので、だからたぶん呼吸法ではわからないのです。
波動を第三の目から取り入れると、強い波動ならこめかみ辺りが痛くなってきて、高い波動は頭のてっぺん(サハスラーラチャクラ)がジンジンしてきたり、愛の波動は胸まで波動が落ちていって、包み込まれるようなとても気持ちの良い気分になったりします。

逆に悪い波動の場合、波動がこめかみ辺りで止まって、だんだん頭痛が強くなってきて息苦しくなって吐き気がしてきます。
そうなったらすぐに不動明王の真言を唱えたり、蓮の花の写真をずっと眺めたりして波動を上げていきます。
それでも大概、まる一日中具合の悪さは取れなかったりします。

水元公園までサイクリングしてくると、もう完全に悪いものはとれて、自分の波動が上がっているのがわかります。
自然に触れている時に、「その瞬間どう思うのか」「何を想像するのか」といったことが大事で、それによって自然の自分に対する反応が変わってきます。

太陽をガン見して「太陽さん、ありがとう、感謝します」と思いながら第三の目から太陽の波動を取り入れると、頭痛がなくなって眼底がもの凄く気持ち良くなってきます。
それから、木々や草花を眺めながら高次元世界をイメージして、その美しさに感嘆したりします。
その波動は鳥や虫たちにも伝わり、それはやがて「宇宙全体」にも広がります。
高次元への扉となってくるのは、ずばり「愛」という言葉です。
「愛」の波動を、額から、そして頭のてっぺんから、放出します。
すると、必ず奇跡が一度起こります。
その奇跡こそ、宇宙からの答えです。
(もちろん「宇宙全体」というのは、「宇宙はひとつ」という意味合いで使われている「ワンネス」ではありません。高次元宇宙のことです。)



今日は風が強かったせいか、飛んでいる蝶はあまり見ませんでした。
トンボさんはいつも通りたくさんいました。
写真を撮ろうと近づくと、大概トンボは逃げてしまうものです。
しかし、カメラが大接近してもまったく逃げる気配を見せなかったら、これは奇跡と呼べるのではないでしょうか。

風が強いから今日は駄目かなと思っていたら、シオカラトンボの♀が僕のすぐ近くに枯れ葉の上にとまっているのに気づきました。↓
2019080801
シオカラちゃんの顔をもっとどアップで写そうと、僕はそっと音を立てないようにゴロンと寝そべりました。
その瞬間、飛んで逃げようとしましたが、また戻ってきて同じ場所にとまりました。
しかも、さっきより僅かに近くなってる・・・(嬉)
2019080802
結構長いことこの子と向き合っていたのですが、何で逃げないのでしょうか?
逃げないどころか、まるで僕に写真を撮ってもらいたくて仕様がない感じです。
こんな体験をする度にいつも思うのですが、マクロレンズを持っていたら・・・

シオカラトンボの♂もいました。↓
2019080803
♂の方も結構近づけましたが、さらに近づいていったら逃げてしまいました。

あと今日、スジグロシロチョウという蝶を見かけました。↓
モンシロチョウにも似ていますが、もうちょっと大型の蝶です。
春型と夏型ではねの色が違うのだそうです。
2019080804
最後に、めぐり研究所さんの動画を載せます。↓(勝手に拝借しますm(_ _)m)
今日のブログのテーマにも繋がってくると思います。
是非、ご覧になってください。


https://www.youtube.com/watch?v=zQ07-OLH_rA



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気がつけば、もう8月です。
季節の移り変わりが、本当に早い。
ジメジメの梅雨が明けたと思ったら、今度は猛暑日ばっかり。。。
あまりに暑くて、僕も思考力が減退気味です。

皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?
熱中症には、呉々もお気をつけください。
水分をこまめに摂って、エアコンをつけるなどして涼しいところでお過ごしください。



こんなに暑いのに気が知れないと思われるかもしれませんが、僕は水元公園までの十数キロの道程をサイクリングしたりしています。(毎日ではありませんが)
途中、急な上り坂も7カ所程あるのですが、自転車から降りないで立ち漕ぎもしないで、坂の上まで上り切るようにしています。
かなりハードなトレーニングで、坂の上まで上り切った時は目眩が半端ないです。(実はこの目眩が、霊感アップにはかなり効果的だったりする)

もう今日は嫌だと思っていると、アオスジアゲハが僕の部屋の窓辺に飛んできたりして誘うので、僕は行かざるを得なくなる訳です。
たぶん、、、アオスジアゲハにシェイプシフトした何者かがです。(暑さで頭がやられたかと思うかもしれませんが、本当なんです)
普段は重いのでカメラは持っていかないのですが、誘いを受けた日には何かあるに違いないと思い、必ずカメラを持っていきます。
それでやっぱり、面白いものが撮れたりすることもある。
そこで今日は、最近撮った面白い写真をいくつか載せたいと思います。



先月末に、車にはねられたかなんかして死んでいるキジバトをカラスがついばんでいるのを見てしまって、それからというもの鳩を見る度にあのキジバトのことを思い出してしまい、とても嫌な気持ちになっていました。
水元公園に着くと、いつも釣りをしている人がたくさんいる場所も流石にこれだけ暑いからか誰もいなかったので、その場所から自転車に乗ったまま小合溜(こあいだめ、用水池)をしばらくぼんやりと眺めていました。
すると後ろの方から、「クッククルルルルッ」という鳴き声が聞こえてきたので振り向いてみると、オスの鳩がメスの鳩を追いかけ回しながら、ノドを膨らませて「クルルルルッ」と鳴いていました。
またあのキジバトのことを思い出してしまいそうになったのですが、オスの鳩の求愛行動を観察しているうちにネガティブなことは全部忘れてしまい、なんだか可笑しくなってきて、僕もオスの鳩に負けずに頭のてっぺんから愛の波動を出したりしていました。
2匹の鳩は僕を恐れることもなく、僕の足元まできて追いかけっこをしていました。

僕は2匹の鳩に十分に癒されたので、「じゃあね」と言って鳩たちに手を振ってまた自転車を漕ぎ始めました。
するとメスの鳩が自転車の前まで飛んで来て、道端にとまりました。
そういえば、さっき僕は冗談でオスの鳩と愛の波動で競い合っていました。
どうやら、僕はそれでメスの鳩に好かれてしまったようです。
僕は笑顔でメスの鳩に「ありがとう」と言って、また手を振ってお別れしました。

同じ鴿(どばと)でもやはりその性格は様々で、このメスの鳩はオスに求愛されるだけあって、とても気品に満ちていて見た目もすごくカッコ良かったです。
でも、なんだかオスの鳩からメスを奪ってしまったような気がして、オスに悪いような気がしました。
このことを人に言ったら、どうせなら鳩ではなくて人間の女性に好かれるようにすればいいのにと言われてしまいましたが、もちろん今はそういう術は持ち合わせています。
でも、そういう術は人間には使わないことにしています。
僕がもっと若ければ使っているかもしれませんが、もうそんな年でもないので・・・
術のことを知るのが、ちょっと遅すぎた・・・
2019080301
高い波動に満ち溢れている僕のとっておきの場所に、最近必ずアオサギくんが姿を現します。
しかも、必ずこの場所 ↓ にいます。
2019080102
この写真には写っていませんが、この池の奥にも必ずシロサギくんがいます。
昨日も一昨日もここのところずっと、サギくんたちはこのような状態で姿を現します。
まるで、デジャヴです。

しかも、このサギくんはこれまで何度も何度も写真を撮っているのですが、必ず顔だけピントがズレてしまいます。
この写真 ↑ も、背中の羽はそんなにボヤけてはいないのに顔はボヤけてる。
撮る瞬間に頭を動かしたとか、そんなことはないです。

極めて霊力の強いものを写真に収めようとする時に、焦点が合わなくなったりシャッターが下りなくなったりすることがよくあります。
だからこのサギくんたちも、僕はただものではないと思っています。
古代エジプトの壁画にも、特別な存在としてアオサギが描かれています。
アオサギや猫の霊力によって、あのギザのピラミッドが建てられたのだとする説もあるくらいで・・・
この池には蓮の花もいっぱい咲いていて、蓮の花は極めて波動の高い植物なので、同じように波動の高いアオサギくんがこの池の主になっているのかもれません。
2019080303
池の主といけば、この鯉 ↓ もそうかもしれません。
鳩さんの時と同じように、鯉さんに「こいこいこい、こっちにこい」なんて思いながら頭のてっぺんから愛の波動を出していたら、鯉さんが本当に近くまで寄ってきてくれました。
2019080104
僕は人間とのコミュニケーションは苦手ですが、自然界の動物たちにはモテモテなんです。

このトンボくん ↓ と僕は、完全にお友達になりました。
2019080305
カメラをかなり近づけていっても、全然逃げません。
小さい虫が撮れるようなレンズは持っていないので、被写体にカメラが近づき過ぎるとシャッターが下りていかないから顔のどアップは撮れませんでしたが、マクロレンズを持っていたらかなり面白いものが撮れていたと思います。

いったい何で逃げないのだろうと思っていたのですが、ひょっとしたら次元上昇と関係があるのかなぁ?なんて思った瞬間、トンボくんがあたかもそうだそうだと言っているかのように首を縦に3回程振りました。
「あっ、そうなんだ」と思いながらも、そのやり取りが信じられなくて笑ってしまいました。
笑ったあとに、僕は何だか怖くなってしまいました。
その瞬間、トンボくんは確かに首を横に振りました。
2019080306
それにしてもこのトンボくん、ずっとオニヤンマだと思っていたのですが、図鑑で調べてみるとちょっと種類が違うみたいです。
サナエトンボのようにもみえますが、後ろの方から撮った写真 ↑ を見てみると、黄色のラインが足の方まで入っているトンボは見当たりません。
ひょっとしてシェイプシフト・・・?
僕の勘違いの可能性もあるので、このトンボくんの種類がわかる方は教えて頂けると幸いです。
(追伸:ウチワヤンマと判明しました)

他にも色々な種類のトンボも飛んでいます。
こちら ↓ は、コフキトンボのオス。
2019080107
こちら ↓ は、コシアキトンボ。
2019080108
今年はどうしたことか、アゲハチョウの数がいつもより少ないような気がします。
昨年はこの場所で10匹くらいのアゲハチョウを見かけましたが、今年は2〜3匹しか見かけていません。

セミはたくさんいます。↓
2019080309
この木には、数十匹ものまだ羽化して間もないセミがいました。

昨年、この木に日本で一番美しいといわれているアカスジキンカメムシの幼虫がたくさんついていて、成虫になった姿を見るのを楽しみにしていたのですが、今年はなぜか一匹もいません。
何度もここに来て探していたのですが、どうやらヨコヅナサシガメという虫が大量発生したみたいで、この虫にやられてしまったのかもしれません。
ヨコヅナサシガメは昆虫などの体液を吸って生きているという、まるで吸血鬼ドラキュラみたいな虫で、とてもおぞましい姿をしています。
一応写真を貼付けておきますが、苦手な方はあまり見ないように・・・
2019080310
お口直しに、綺麗な花の写真を貼付けておきます。
花の種類はわかりませんが・・・
2019080111
もう一枚。
2019080312
クリスタル・ベル(UFO)も時々見かけます。
飛行機雲のような白い線が2本、平行して飛んでいたのでカメラに収めようとしたら、ピントが合わなくてシャッターが全然下りません。
右側のベル(写真 ↓ )にピントを合わせようとしていたのですが、右側のベルがそれを嫌って機体が消えてまいました。
消えた後に飛行機雲にピントを合わせたら、ピントが合ってシャッターが下りました。
2019080113
あまりに太陽光が眩しいので、画像処理をしてベルを見やすくしています。↑
右側のベルが機体を消した瞬間に撮っているので、右側の白い線の先端が点線になっているのがわかるかと思います。
きっと数秒の間に、異次元と3次元世界を行ったり来たりしていたのです。

それにしても、なぜこんなにも写真に撮られるのを嫌がるのかがわかりません。
ひょっとしたら、この写真をブログに貼付けた時に、まったく信用しない人が写真を見てしまうと何だかの支障を来すのかもしれません。
唯物論者に写真を見られるというだけで、大問題なのかもしれません。



僕はそうやって、動物たちや植物たちを観察したり、不可思議現象にも何度も遭遇したりしてきたので、この世界の本当の姿は、普通の人が考えているのとはまるで違うのだということを悟りました。
そしてもっとも大切なのは、その瞬間その瞬間にどう思い何を考えるのかということだと知りました。

車にはねられたキジバトのことをいつまでも引きずるのか、オスの鳩の求愛行動を見て、自分も真似して愛の波動を出したりして愉快な気持ちになるのとでは、まるで違います。
自分から放出される波動は、自然界の動物たちにもしっかりと伝わっていきます。
ネガティブな感情を持つということは然程悪くはないみたいなのですが、低い波動は自然界は本当に嫌います。

波動が低くなる原因は、主にエゴだったり傲りだったり、あと嘘だったりします。
フェイク、フェイク、Fake・・・と、何度もブログに書いてきましたが、この世の中は何でこんなにも平気で嘘をつく人が多いのだろうと思ってしまいます。
嘘は宇宙の節理に反することなので、嘘をつけば自ずと波動が歪んでいきます。

どれだけ嘘が多いのかは、この感じるスピリチュアルしゅうさんさんの動画をご覧になればわかると思います。↓(勝手に拝借しますm(_ _)m)


https://www.youtube.com/watch?v=TzfG2Mw0Mvk

おそらく僕の勘では、裏に魔界の存在や悪い宇宙人が憑いていて、コントロールされている人が多いのだと思います。
コントロールされていることに気づいていない人もいますが、気づいてはいるのだけれど、その悪魔崇拝的なエネルギーに魅せられてしまい、その力を利用している人も多いのだと思います。
たぶん、スピ系の本の殆どがそれです。

たとえばascension・・・をいくら本の中で詳しく説明していても、この人こそascensionすることなんか難しいのではないかと思ったりしてしまいます。
次元上昇は、このブログでもとても重要なテーマとして扱ってきましたが、僕がそのように考えているのは、動物たちや植物たちや異次元の存在たちがヒントを与えてくれるからです。
ヒントは与えてくれますが、しかしそう易々と答えを教えてはくれません。
謎解きが与えられるだけです。
そして、その答えがわかった人のみが、漸く「アセンション」という言葉を口に出来るのだと思います。



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