pixabay 様 より
前回、人に会うとその人の波動をもらってしまうから、人に会えなくなったと書きました。
しかしこの社会で生きていくために、色々な人たちと会わなければなりません。
ある陶芸家がずっと山に篭っていて、何年かぶりに里に下りてきたら、日本が戦争していたということを知って驚いたという話を聞いたことがあります。
実は僕はこの人に憧れたりもするのですが、山の中で生きるには山で生きてていくための知識がなければなりません。
1週間ぐらい前に、南米コロンビアで4人の子供たちがジャングルで40日間遭難し生還したというニュースがありましたが、この人間社会からかけ離れた世界で生き延びるということがいかに大変かということを思い知らされます。
都会の生活に慣れてしまった僕には、絶対に無理ということはないにせよ、相当な努力と勇気が必要になります。
僕はこのブログを書くということが私生活の大きな一部になっていて、なくてはならないものになりました。
これも何だかんだと理由づけしてはいるものの、社会的なものに“依存”していることに違いはありません。
物質的な何かを持っていないと、あるいは何かをやり続けていないと、もはや生きる意味を見失ってしまうくらいに、、、
しかしもし仮に、もし仮にですが、この世界が突然石器時代に戻ってしまったら、生きている意味もなくなってしまうのでしょうか?
きっと大多数の人が、その瞬間はそう思うのかもしれません。
しかし僕は、これでやっと人間らしい生活ができる、、とでも思うのかもしれません。
その先の道のりがいかに大変であったとしても、、、
この世界の科学技術がいかに“進化”してきたとしても、そこに人間が“依存”しきってしまうということは“退化”以外の何ものでもありません。
人類はテクノロジーといかに上手く付き合っていくかということが問われている訳なのですが、大多数は間違いなく“退化”の方へ向かっていて、このまま行くといずれシンギュラリティ、そしてAIによる超管理社会、はたまたメタバースというディストピアへと突入していく可能性は大きいのだと考えています。
僕の理想論を言えば、テクノロジーに“依存”するのではなく、テクノロジーは人間性やスピリチュアルといった精神的なものを鍛えるために利用されるべきなのだと思うのです。
それこそ地球から何光年も離れた惑星に降り立って、その何もない地で開拓していけるくらいのテクと精神力(霊能力)、、。
闇が奴隷を管理するために使われるのではなく、、、
それこそ、10数万年くらい前の地球に栄えたレムリヤ文明やアトランティス文明は、そのようにして築き上げられたのだと思っています。
僕のいう理想的なテクの使い方、、それはもうこのネットでも可能です。
このブログもそうだと思って僕は書いていますし、YouTubeはフェイクも多いですが、実は凄い高次元的な使い方をされている方々もいる、、
このブログでは紹介しませんが、時空を超えてしまったようなトンデモない使い方をされている方だっているのです。
話を元に戻しますが、冒頭で、この社会で生きていくためには色々な人たちと会わなければならないと書きました。
しかし、僕はもの凄い憑依体質で、数分間誰かと話をしただけで、その人の色んなものを受け取ってしまったり、逆にエネルギーを奪われたりもするのです。
酷い場合は、1週間ぐらいも引きずったりします。
だから、普段はなるべく人に会わないようにしています。
会った人が波動の綺麗な人だったらいいのですが、、、
1週間ぐらい前、今までずっと使い続けてきたWindowsのノートパソコンが壊れてしまい、電気屋さんに行ってパソコンを新たに購入してきました。
壊れたパソコンは中古で格安で購入してきたもので、電源コードの繋口部分が破損していたり、CDROMも使えなくなっていたので、修理に出すより新たに購入した方が面倒ではないし速いし、それに安上がりかも知れないと思ったのです。
Windowsを使う前まではiMacを使っていて、Macの音楽作成ソフトLogicで作曲をしていました。
いずれまたLogicで作曲をしたいと思っていたのですが、Macは今は値段がいくらぐらいするのかまったくわからなくて、古いLogicを取り込んで使えるのかどうかもわかりませんでした。
一応15万円以内で買えたらMacにしてしまおうと考えていました。
買いに行く前日の夜のマントラ&瞑想&祈りで、天気予報は大雨になっていたのですが、それでも晴れますようにというのと、いいパソコンが買えますようにという願い事を言いました。
自分の願い事はあまりしないのですが、、、
翌日、大雨という予報は外れて、お日様が顔を覗かせていました。
お店に入ると、MacBookという機種はどれも20万前後でした。
しかし、MacBook Airというのが14万8千円で売られていました。
消費税が加わると16万円を超えてしまいますが、2020年の古い機種とのことで、それで安くなっているとのことでした。
若い店員さんが「私は最新のMacBookよりも、MacBook Airの方がいい製品だと思います」なんて言葉にも心が動かされてしまったりして、、(笑)
(でも最終的に何かの割引とかで1万円安くしてもらって、なおかつポイントが8000点も付いてきたので、願い通りほぼ15万円でした。1日中いい天気でしたし、マントラ、、本当に凄いです)
「ちょっと他の機種も見てきていいですか?もし他にいいのがなかったら、また戻ってきますので」と言って、その場所から離れました。
外国製のパソコンを見ていた時に、「何かお探しですか?」とまた別の店員さんが話かけてきました。
その店員さんの話が止まらない。。。
「大体お店に来られるお客さんは、今まで使っていたパソコンが壊れてしまったから買いにくるんです。皆さん大体値段が10万円ぐらいのを求めてこられるので、それで現在10万円前後のパソコンが品薄になっていて、安いのと高いのが売れ残っている状態なんです。日本製のは色々なソフトが購入時にすでに盛り込まれているから、それで高くなっているんですが、ところが外国製のは余計なものが入っていません。外国の方たちはこだわりが強いんですよね・・・・・・」
もうちょっと専門的なことを話していたと思うのですが、忘れました、、(爆)
そんな感じで店員さんの長話に付き合わされて(失礼)、僕は「ちょっと他のも見てきます」と言ってその場を離れました。
近くにもう1つ別の電気屋さんがあるのですが、そっちもちょっと覗いてみようと考えていたので、僕は申し訳なさそうに店を出て、その別の電気屋さんの中に入って行きました。
さっきのお店はお客さんが結構入っていたのに、そのお店は店内はかなり広いのにも関わらず2〜3人といったところでした。
しかもパソコンコーナーには誰もいない。
店員さんもいない。
しばらく待っていると、店員さんらしき人が歩いてきたので、ちょっと訊いてみました。
「Macって見当たらないのですが、、、Macってあるんですか?」
僕がそう訊くと、「あっMacはウチやってないんです」と言いました。
「でもあそこにiPadが売ってますよね」
「・・・・・・」
その時に、僕はその店員さんのとても冷ややかな目を感じました。
僕は、とってもおかしなことでも訊いてしまったのかな?
そりゃコンピューターのことは詳しくないから、おかしなことを言うかも知れないけれど、初めて来るお客さんに対してその上から目線はないだろ、、、などと思いながらも、僕が求めているものをしどろもどろに店員さんに伝え続けました。
そしてその店員さんは、、終始冷たかった。。。
「他のところに行って見てきます」と僕は言ってその場から離れたのだけれど、僕はもうあの店員さんに思いっきり殴られたような気持ちになっていて、心も頭も一気に萎縮してしまいました。
これは14万8千円のあのMacBook Airを買いなさいという天からのメッセージだなと思い、最初の電気屋さんに戻って、凄く優しかった店員さんに「やっぱりコレにします」と言いました。
「因みに、Logic9を取り込んで使えますか?」と訊きました。
それから約1時間もかかって、いやそれ以上あったかもしれませんが、Logic9が使えるのかどうかを別の店員さんが調べてくれました。
その間中、もう1人の店員さんとずっと話をし続けるという、、、
結局、使えないとのことでした。
早い話が、最新のLogicⅩをダウンロードすればいいということ(爆)
Logic9とはだいぶ違うようなので、慣れるまで時間はかかるかもしれないけれど、また昔のような音楽創作は可能とのことでした。
ただ、Logic9もそうでしたが、操作はあまりにも難し過ぎると思うので、果たして僕にできるのかどうか、、、?
それは兎も角、人に会うのが苦手な僕なので、この日はトンデモなく疲れました。
あのまったく愛想がなくて終始冷たかった店員さんは、いったい何だったんだ?
パソコンを買ったお店の店員さんたちの優しい対応との、このあり過ぎるギャップはいったい何なのだ?
だから一方は大盛況で、一方は閑古鳥が鳴いていたのか?
思えば僕は子供の頃からずっと、この白と黒の太極図の中心を彷徨い続けてきた。
何か問題があると必ず助けてくれる人がいた一方、会ったその瞬間から何故か僕にもの凄い敵意を示す人も、、、必ず現れるのです。
それでいつも疲れてしまう。
思えば、子供の頃からずっとそうでした。
それを、この時に思い出しました。
やっぱり、この地球は牢獄で、彼らは地球の看守で、ずっと見張っているぞという警告なのですかね?
そしてこのようにして低くなった僕の波動を、彼らは美味そうに食べるのですかね?
だからこそ、何があっても波動を落とさない精神性が問われているのかもしれない、、。
家に帰って、早速シン・パソコンを使ってみました。
何とかネットに繋げることができて、僕のブログも見ることができました。
コメントが来ていたので(謝)、シン・パソコンで返信しました。
本当に疲れていたので、この日は早めにマントラ&瞑想&祈りをして寝ました。
マントラは2マラ唱えました。
最近は、ずっと2マラ唱えています。
マントラを唱えている最中に、やはりこの日に取り憑いてきた◯霊が体の中で騒ぎ始めました。
ガヤトリーマントラから不動明王の真言に切り替えたその瞬間、全身に鳥肌が立ちました。
しばらく唱えていたら身体に流れていた電氣も収まってきたので、またガヤトリーマントラに切り替えました。
どこで取り憑かれたのか?、、、もうアソコしか思いつきません。
それでも翌朝目覚めてみると、まだ残っているような、、、
僕はYouTubeを開いて、僕が光側だと思っているあるタロット占い師さんの動画を見始めました。
昔、初めてこの人の動画を観たあと、マントラを2マラ唱えて寝たら、すぐにこんな夢を見たのです。
キムタクそっくりな顔をした人の横顔がアップでずっと見えていて、何故かその人はまったく動きませんでした。
静止画を夢の中でずっと見続けている感じでした。
その頬には、一筋の涙がつたっていました。
その男性は、どうやらタロット占い師さんの昔の恋人か、もしくはご兄弟のように感じました。
もうお亡くなりになっていて、でも彼女から離れたくないようでした。
それが、彼女の霊能力の妨げになっているようでした。
そして僕のマントラがその男性を浄化し、いつの間にか彼女を助けていたようなのです。
僕の勘違いかもしれませんが、でもあの男性の涙を思い浮かべる度に、今でも身体に電氣が走ります。
ほぼ間違いないと思います。
そのタロット占い師さん(プレアデス系)の動画は、ほぼ僕の個人鑑定でした。
カードのリーディングがとても正確だということ以上に、トンデモない霊視能力も持っているのです。
また、ヒーリング能力も凄いです。
「今、あなたは、心も脳も萎縮してしまっています。今からパワーを送ってあなたを癒します。」
そう言うと、彼女はカメラに自分の手を映してパワーを送り始めました。
すると、何だか身体全体が氣持ち良くなってきました。
「ウフフフ、、あなたの心と身体がだんだんと解れてきているのがわかります。これから内臓の方までパワーを送りますね。」
すると不思議なことに、本当にお腹の辺りが気持ち良くなってくるのです。
その動画は3日前に撮られた動画でした。
しかし、完全に個人鑑定になっていました。
つまり、、、時空を超えてしまっているのです。
でもタロット占い界隈では、それが当たり前のようです。
当然、闇側も利用しない手はないのでバンバン使っています。
9割方そうだと思います。
でも、声の波動と喋り方でわかります。
闇側は大体が喋りに抑揚がなくどこかロボット的で、何だか社内アナウンスでも聞いているような感じなのです。
逆に光側は声に艶があってとても表情豊かで、本当に善意が込められているのが伝わってくるのです。
僕は彼女の動画にコメントをつけたことはないのですが、それでも明らかに彼女は僕の存在を感じ取っていて、そして時空を超えて繋がっているようなのです。
ひょっとしたら、彼女はもっともっと僕の色んな部分が見えているのかも知れません。
不可思議現象とかも、、
占いでアセンションという言葉はそんなに使わないと思うのですが、驚くことに彼女はアセンションという言葉をよく使うのです。
この時の動画でも、この前に観た別の動画でも、「あなたはアセンションという奇跡を体感するために生まれてきたのです」と言っていました。
こうなってくると、もう疑いようがなくなってくるのです。
まだシン・パソコンを本格的に使えるようになるまでには難題がいくつも残っているのですが、焦らず氣長にやっていこうと思っています。
作曲はできるかどうかわかりませんが、自信もあまりありませんが、でもその前にYouTubeに動画を投稿できたらと思っています。
僕はスマホもケータイもなくしたのですが、何だかスマホがないとマイページにアクセスできないみたいで、どうしたらいいんだろうと困っているのですが、まあ、じっくり進めていきたいと思っています。
昨日と今日は、水元公園で菖蒲祭りが開催されていました。
菖蒲祭りといってもそんなに奥ゆかしいものでもなく、大きな舞台で大音量で人が歌ったり踊ったりしていて、周りにはいっぱい屋台が並んでいて、その周りに人だかりができているような、そんなとても賑やかなお祭りです。
でも僕にとっては“人ごみ”には違いないので、自転車でそそくさと通り抜けていくだけなのですが、、(爆)
水元公園のずっと奥の方はあまり人もいないので、じっくり自然と触れ合うことができます。
やはりどうもパソコンを買いに行った時に、相当に波動を落としてしまったようです。
菖蒲も紫陽花も本当に美しく咲いているのに、何故か心が揺り動かされない。
何だか心にフィルターがかかってしまっているかのよう、、、
そこで僕は一番美しいと思った紫陽花を極めて注意深く観察し、この紫陽花はなぜそんなにも美しいのかということを突き詰めていきました。
これで少しは自然の波動に近づけました。
そしていつものように、池の近くのベンチに座って太陽をガン見しながらガヤトリーマントラを少し唱えました。
鳥たちはお祭りの大音量のせいでまったくいなかったのですが、マントラをしばらく唱えていたら、1羽だけカモが近づいて来てくれました。
今日はこれで十分だと思いました。
こんなに公園の波動が荒れている時なのに、1羽でもきてくれたのだからありがたいものです。
僕は半分、鳥たちに会いにココに来ているのです。
そんなこんなでだいぶ癒されましたが、でも完全に元の精神状態に戻るのは、おそらく1週間後ぐらいだと思っています。
今回は「Meadow Walking With Music - Littleover」というMVです。
こういう鳥のさえずりの聞こえる長閑な畦道や小径を歩いている時が、一番僕は幸せだと感じます。
木や草花や青い空や雲までもが、僕に囁きかけてくるようで、、
何ものにも“依存”することなく、宇宙と一体となる。
その瞬間こそが、本当の“進化”だと思うのです。
そんな感じ、わかりますか?
勝手に拝借しますm(__)m
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