piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

カテゴリ: 自作曲

今日は一般的なごく普通のブログを書きます。
不可思議なことは、今日は書かないことにします。
超現実的なことではなく、ただの現実的なことのみです・・・(笑)

今年に入ってからずっと進めてきたピアノ曲集「エピクロスの庭」の音取りが終わって、今はそれを楽譜にする作業に入っています。
PCが壊れた時に、中に入っていた楽譜が全部消えてしまったのですが、CDに焼き付けておいた音を頼りに、何とか楽譜が完成しそうです。
現代音楽の楽譜を書くなんてもう二十数年ぶりのことなんで、書き方を忘れてしまって間違えていないか心配です
音大生だった頃の記憶を頼りに、書いています。

自分の曲に、アナリーゼをしているようなものです。
即興で作ったカオス的な音の一つひとつの中に秩序を発見する。
これはやってみなければわからないと思いますが、結構大変な作業です。
それだけに、色々な意味で訓練になります。
episcore
「無理だよ、止めるなら今のうちだよ」というテレパシーが、どこからともなく聞こえてくるような感じもありました。
「いや、これだけは絶対成し遂げないと」と、ずっと思ってやっていました。
随分と時間が掛かってしまいましたが、あともう少しです。

それから、音も新しく作り直しました。
YouTubeに投稿した音はちょっと雑な演奏という感じでしたが、新しく作り直した音は考え抜いた末の完璧に近い音になっていると思います。
もちろんPCの演奏で、僕にはもう生演奏はできません。
作り直した音は、楽譜が完成次第、またYouTubeにアップロードしてブログに貼付けようと思っています。
今の僕のPCでは古すぎて投稿するのは無理ですが、家にもう一台ノートPCがあるので、それで何とかなると思います。

楽譜作成の依頼をしてくださったsitaniさん、ずっと連絡していなかったので、ひょっとしたら遅いからもう待っていないかもしれないなんて思ったりしてしまうのですが、ちゃんと続けていますので、必ず完成させますので、もうしばらくお待ちください。

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話しは変わりますが、外環道の三郷南IC(埼玉県三郷市)から高谷JCT(千葉県市川市)が6月2日に開通しました。(祝)
僕の家のすぐ近くで、開通式が行われていました。
写真↑は、開通前に撮ったものです。
まだ、信号機が作動していません。

そして開通してから1週間が経ちましたが、自動車の音がうるさいんだろうなと思いきや、昼も夜も静かなものです。
全然車の音が聞こえてきません。
防音壁の技術は大したものです。
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これだけ防音壁があると、何だか宇宙基地に来てしまった気がしてきます。(写真↑)
ここは宇宙人の火星基地か?
それとも、地球のアメリカのエリア51か?
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僕は免許を持っていないのであまり関係がないのですが、サイクリングはよくするので、よく整備された出来たてほやほやの自転車道を通るのは、なかなか気持ちが良かったです。
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道の駅「いちかわ」はオープンした時はもの凄い人でしたが、最近はそれほどでもなくなってきました。
でも車の数は、平日でもご覧の通りです。(写真↓)
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自転車道はまだ所々完成していなくて、迂回を強いられます。
それに、江戸川まで行く自転車道はありません。
僕は江戸川によく行くので、外環道の脇にずっと途切れることなく自転車道を作って欲しかったのだけれど・・・
水元公園に行くのにも、だいぶ遠回りになってしまうし・・・
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「エピクロスの庭」の楽譜作りは、1曲目のラストに差し掛かっていますが、前回の記事にも書きましたが、この曲はトランス状態になって即興演奏をして出来た作品です。
当然のことながら、音楽理論からは完全に逸脱しています。

たとえば、長7度の第3音を省いた音なんていうのが平気で出てきます。
そんな和音を使っている音楽は、おそらく無いかもしれません。
しかし、この音が実に日本的な不思議な音になるのです。
ひょっとしたら、邦楽にはこういう音があるかもしれません。
こんな風に、楽譜作りをしながら同時に曲の分析もしているのですが、無意識に弾いたとは思えなくて偶然にしては出来過ぎている箇所が非常に多いのです。

トランス状態で演奏している時、何かが降りて来ているというよりも、今思い返してみると、自分の身体に取り憑いている何かが反応しているといった感じです。
夢を見ているような状態になっていますが意識ははっきりとしていて、もっとテンポを緩めたいとか、ここはこんな和音を使いたいとか、このメロディーはもっとこうしたいとか、かなりハードに頭の中を色々駆け巡らせて考えながら弾いています。
時々2〜3回ぐらい弾き直したりする時もあるのですが、確か1~4曲目まではまったく弾き直しはなかったと思います。

仕上がってYouTubeで自分の動画を観ながら曲を聴いていると(今はPCが古過ぎて見れませんが・・・)、数十年前に夢の中で見たことを思い出したりします。
動画のバックの映像も自分が作った流れてくる曲も、子供の頃に見た夢のままだったりします。
こうなってくると、もう時間という概念がなくなってきます。
ひょっとしたら僕が生まれるずっと前から、この曲たちは存在していたのかもしれません。
この不可思議な感覚はいったい何なのか?
それこそが生きる上ですべての核となる、極めて重要な部分に思えてくるのです。

楽譜作りはあまり根を詰め過ぎる気が狂いそうになるので、楽しみながら毎日少しずつ進めていきたいと思っています。
あとこのブログの更新とか、料理したりとか、本を読んだりとか(電子書籍なども)、不可思議現象を追求したりとか、それから新曲も作っているので、それらと平行しながらやっていきます。
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最近、サアラ・池川明(著)の『「あの世」の本当のしくみ』というのを読んだりしています。
これまでずっとブログに書いてきたように、僕は不可思議な体験を何度もしてきたので、スピリチュアル系の本には興味が人一倍あるのですが、殆どは最初の何行かを読んだだけで読むのを止めてしまいます。
魔界的な陰謀や洗脳を感じたりして、気味悪くなってすぐに止めてしまうのです。
最後まで読もうと思えるような内容の本には、滅多にお目にかかれません。

最後まで読めた本(オカルト系)は、OSHOさんの本や『エイリアンインタビュー』という本ぐらいなものです。
『エイリアンインタビュー』は僕はかなり信憑性が高いと思っているのですが、『「あの世」の本当のしくみ』の内容は『エイリアンインタビュー』にとても似ていると思いました。
どちらも地球は宇宙文明の犯罪者を処分する「流刑地」だったと書いてあるし、「輪廻転生して成長していく」ことをどちらも完全否定しています。
サアラ氏は、「魂は輪廻を繰り返せば繰り返すほど、どんどん劣化していく」と語っています。
どちらの本も、輪廻転生から抜け出せるような生き方をするように呼びかけています。

多少気になるのが年などが違っていたりしますが、たとえば『「あの世」の本当のしくみ』では、地球が流刑地ではなくなったのが2300年前になっていますが、『エイリアンインタビュー』では地球の西暦1235年、つまり783年前になっています。
しかし、流刑地であった頃のトラップ(罠)はまだ完全に壊されていないというのは一致しています。

『「あの世」の本当のしくみ』では、「あの世」の実状がより克明に説明されています。
人が死ぬと幽界(低層4次元)からお迎えが来て天国へ連れて行こうとするのですが、それは神様ではないので付いていってはいけないそうです。
お花畑で先にあの世に行った人が現れて手招きしていてもそこから動いてはならず、しばらくすると闇に包まれるので、その後にアストラル界(魂のリハビリを受ける施設、魂が本当に行くべき場所)からお迎えがくるそうです。

しかし、うっかり幽界からの使者に付いていってしまうと、それこそとんでもないく酷い目にあわされて生前の記憶を失い、嘘の記憶を植え付けれて、前世で受けた魂の傷も癒えないままに、また地球人として生きていかなければならないのだそうです。
現在もおそらく殆どの人が、幽界のトラップに引っかかっているのだと思われます。

幽界の支配者たちも、時々地球人として生まれてくるのだそうです。
そして地球人に生まれてきた時も、やはり地球の支配者になるのだそうです。
僕は思うのですが、きっとその支配者たちが、多くの人間が輪廻転生の罠に引っかかるような社会を作って来たのだと思うのです。
今のこの社会のありとあらゆる所に、幽界へ引きづり込むトラップが仕掛けられているのだと思います。
この拝金主義社会を作ったのは闇の勢力だと、僕はずっとこのブログに書いてきました。
闇の勢力とは、幽界の支配者たちのことだと思います。
(トランプ大統領や金正恩氏も、ひょっとしたら・・・)

また、イエスが地球で多くの人々を導けば、それによって地球という牢獄から抜け出す人が増えてしまっては困るので、幽界の支配者は地球人として生まれて来て、イエスの教えを逆に利用し聖書を改竄して、イエスを通さなければ天国へは行けないことにしてしまったのです。
キリスト教信者は死後にイエスに会うと、まったく疑うことなくイエスに付いて行くと思いますが、しかしイエスは幻であってそこに神様など存在せず、着いた場所は天国とはほど遠い幽界であって、まさしくそこは地獄であって、電気ショックを受けて記憶喪失になり、また地球へ送り返される・・・。
そうやって、同じことを繰り返して魂を劣化させていくということです。

では、どうすれば地球人が死後に辿るべき最善のルート(幽界をすり抜け→アストラル界でリハビリと研修→マスターソウルに戻って次の可能性を模索→地球以外の惑星や領域に生まれる。もしくは新しい次元の地球に生まれる)に行けるのでしょうか?
『「あの世」の本当のしくみ』では、生きている時から「自分の人生に満足している」「よくやっている」というように、日々自分を認めて思うことが大事だと語っています。
この世に未練があったり、後悔していたり、恨み辛みがあったら、どうやら幽界を抜け出すのは難しいようです。

あと、「好奇心」を持つことがとても大事だとも書いてあります。
ストレスなく、やりいことをやって今を楽しんで生きることが大事なのかもしれません。
動かなければ心が淀んで汚れてしまうので、何事にも「関心」を持って積極的に行動していれば、自ずと心は清らかになっていきます。

僕はずっと、心を清くすることが大事だと主張してきました。
僕は思うのですが、幸福感を持ちながら生きていたり、自然に触れて自然のエネルギーをいっぱい浴びて生きたり、自分の意識を宇宙の意識に合わせたり(超意識)することによって、常に高い波動を放つことができるようになるので、つまり心が清くなるので、幽界(闇の勢力)が放つ低い波動を簡単に見破ることができるようになるのだと思います。
逆に危険なのは、したくもない仕事をいやいやさせられていたり、いやいや勉強させられたり、何にも興味が湧かず何もしないことです。
波動が低くなるので、幽界の支配者たちの格好の餌食になってしまいます。

以前ブログに、修行をして魂を磨くためにこの世に生まれて来たのだと書いたことがありました。
そのように書いているスピ系ブログも多いですが、実はその教えの中にもトラップが隠されているかもしれません。
厳しすぎる体罰やいじめに遭うことは修行とはいえず、寧ろ魂を劣化させてしまうということになります。

この世に悪は必要で、悪に感謝するぐらいでないと・・・と書いたこともありましたが、捉え方によってはその考えもとても危険です。
畑で野菜を栽培していると毛虫が付いたりしますが、毛虫を悪と捉えて処分してしまうか、はたまたこの世に無駄なものは無く、人間目線から見れば毛虫は悪だけれども自然界全体から見ればとても大切な存在で、鳥の食料にもなると考えれば「悪は必要」となり毛虫を処分しなくなります。
人の捉え方によって悪は善にもなり、善は悪にもなります。
僕はそういうことを言いたかったので、決して体罰やいじめを容認している訳ではありません。

今日も水元公園までサイクリングしてきました。
10km以上は走ったと思います。
まだまだ春は遠いですが、久しぶりに良く晴れて太陽が暖かかったです。
こうした運動を続けていれば、身体が丈夫になっていつまでも健康でいられます。
幾つもある坂道を登るのはキツいですが、坂道は悪ではありません。
人生にも、幾つもの坂道があります。
どんな坂道も自分自身を鍛えるために登るのだと考えれば、それが目標になって、目標が達成されて坂道を登りきった時の喜びは一入になる訳です。

それは飽くまでも僕の考えで、そんなことは本には書かれていませんが、要するに好奇心を持って活発に楽しく活動し、本を読んだりして沢山活字に触れて、また文章をしたためたりして、そうやって魂の劣化を防ぎ、幽界のトラップに引っかからないような霊力を養う生き方をするべきだということなのかもしれません。
この「流刑地」でもある地球でも、そうやって魂を進化させることは幾らでもできるのだと思います。
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芸術も魂を進化させると思います。
しかし、芸術の中にも沢山トラップが仕掛けられています。
音楽でいえば、19世紀末期〜現代の無調音楽やロックや歌謡曲の中にもそうした音楽はあります。
売れているアーティストの殆どは、イルミの広告塔だともいわれていますから、気をつけなければなりません。

イエスは夢の中で、ヘンデルを聴くことを僕に勧めてくれました。
最近「メサイア」を聴いていないで、また聴こうと思っています。
モーツァルトやベートーヴェンも良いと思います。
(モーツァルトの魔笛にはイルミの儀式が描かれているようですが、これを話すとまた長くなるので・・・)
同じクラシックでも、バッハやブルックナーは僕は良くないような気がしています。
飽くまでも、僕の勘ですが・・・


地球が流刑地になる前は、色々な異星人が地球にいたそうです。
その内の一種アヌンナキのことを、以前に「人間にはアヌンナキの血が流れている〜戦いと性愛の女神イナンナ」という記事に書きました。
人間(アダム)を作ったエンキ(エア)のことは、以前に読んだ本にはあまり書かれていなかったので知りませんでしたが、この本には、エアは優秀なだけではなく人格的にも温和な人で、地球に「宇宙で最も優秀な存在を作ろう」としたのだと書いてあります。
だから、本来地球人は宇宙一優れた人種だったのかもしれません。
しかし、何も知らず人間は輪廻転生を繰り返しているうちに、退化していったのだと思います。
つまり反進化論です。

魚座の時代、つまり目に見えない何者かに支配されたり、巨大で合理性に欠けた組織にコントロールされる時代は終わりました。
今は水瓶座の時代、つまり嘘が全部暴かれて、意味のない社会のルールや、個人が自由に力を発揮することを妨げるルールなどがどんどんなくなり、一人ひとりが発言し力を発揮することが大事な時代だということです。

幽界の支配者の言いなりになっていた時代は、終わりを告げようとしています。
これから我々は、地球人本来の姿、宇宙で最も優秀な存在であった頃の姿を取り戻していこうではありませんか。
キーワードは、僕は「言葉」と「美」だと思っています。
だから僕は、これからもこのブログで「言葉」を発信して、作曲で「美」を極めていきたいと思っています。
アヌ王の息子のエア王子は父に似て優秀で、遺伝子工学の分野でも秀でた能力をもっていました。頭脳だけでなく人格のバランスのとれた温和な人でした。社会不安のある環境で育ったことから、自分たちが作ろうとしている生き物がどうあるのが理想かと考えた結果、使う人と使われる人の関係がアンフェアではいけないということで、きちんとした判断力をもった生命体を作ることにしたのです。
自分たちの最善最良なる遺伝子と、原人たちのもっている地球に適応性の高い遺伝子を組み合わせて、「宇宙で最も優秀な存在を作ろう」と最終的には思うようになったのです。
それまでの間には、何度も試みてことごとく失敗しています。
最初は、よく働いてもらうために強い生命体にしようとしました。ストレスに敏感だと強くならないので、感覚器の機能を極力控えめにしました。そうすれば免疫力が上がると思ったのです。
ところが、我々が生命としてここに存在する理由はたったひとつ、好奇心です。そのため、感覚器の機能が控えめだと、つまり感性が鈍いと、好奇心はもてないというジレンマを抱えることになりました。好奇心が生命力の源なので、ある程度の感性と好奇心をもたせて、しかも生命力を強くするというバランスをとるのがものすごく難しく、苦労したようです。
そのプロセスで、マザーアース(地球)にコンタクトをとりました。惑星は生きていて意思をもっているからです。そのそきにマザーアースに言われたのが、「誰かのために隷属するような、霊的な尊厳をもたない存在を、これ以上ここに作らないでほしい」というものです。「本当の意味でここの住民になれる美しくて優秀な人間がほしい」とリクエストされたのです。

『「あの世」の本当のしくみ』/サアラ・池川明(著)より


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「2011年4月・・・もう7年前のことになるのか・・・」
昔作曲した「エピクロスの庭」というピアノ曲集をCDに焼き付けておいたのですが、それを探していてやっと見つけました。
作曲した日付を見て、311の後にこのCDを作ったことを思い出しました。
「エピクロスの庭」は8曲あるのですが、CDには6曲目までしか入ってなくて、他に「3つの小品」という作品が入っていました。

「エピクロスの庭」を5曲作った後、僕はなぜか「3つの小品」というとても悪魔的な曲を作っていました。
(6〜8曲目はその後に作りました。6曲目は311のレクイエムです。)
4曲目は「洪水」という副題を付けていました。
大洪水が起きた後、神々が流れ着いた島で新たな国を築くというある日本神話に基づいて作ったのですが、ひょっとしたら僕は311を予言していたのか、はたまた僕がこのような曲を作ったために神の怒りを買って311が起きたのか、なんてことまで考えていました。
しかし僕が作曲している時、目に見えない世界と繋がるというのは本当です。
今考えてみても、5曲目の「温羅伝説」と「3つの小品」によって神の怒りを買ってしまったのは、どうやら間違いないようです。
僕はこの後、神が安らげるような音楽を作ろうと、8曲目の「南の島 」という曲を作りました。

(YouTudeでは公開した日付が、この頃の作品はすべて2012/04/11になっています。そんな筈はないし5曲目までは311の前だとはっきり覚えているので、YouTudeの方で何かあったのかもしれません。)

今の僕のパソコンでは、YouTudeで動画を観ることができません。
約10年前に買ったパソコンなので、機種が古過ぎてバージョンアップできないのです。
YahooのHPも正しく見られなくなりました。
要するに、買い替えろということなのでしょう。
世界には明日の命さえもどうなるかわからないような貧しい人たちが沢山いるというのに、まだ使えるパソコンを新しく買い替えるなんて僕にはできません。
とにかく、日本人はモノを大切にしなくなりました。
日本の古代人は、生き物だけではなく、すべての物に魂が宿る、つまりアニミズムという考えを持っていました。
今でもその精神は一部では受け継がれていますが、大多数の日本人は戦後に肉食文化が欧米から入ってきたことによって、日本人の心までもが欧米化してしまったようです。
僕がパソコンを買い替えないのは、そうした今の日本社会に対する反乱でもあります。

しかし、困りました。
ある方からコメントで「エピクロスの庭」の楽譜の配布や販売は行っていないのでしょうかという質問を受けたのですが、楽譜の配布や販売をしていないだけではなく、一度パソコンが壊れたことがあって技術屋さんに直して頂いたことがあったのですが、その時にパソコンに入れておいた「エピクロスの庭」などの楽譜はすべて消えてしまいました。
それ以降は、外付けハードディスクなどに保存するようになりました。

「エピクロスの庭」の楽譜を改めて作らないととずっと思っていたので、いい機会なので作ろうと思いました。
「エピクロスの庭」は即興で演奏したものをパソコンに取り込み、それを元にして作っています。
前半の5曲目までは、テンポやベロシティーを変えた以外は殆ど即興のままです。
何かが降りて来てトランス状態になって即興演奏しているので、自分が作曲したという意識があまりありません。
つまり理詰めで作曲した訳ではなく、霊的なエネルギーによって作られています。
そして、無調の部分も多い。
調性音楽なら簡単に楽譜は作れますが、無調音楽の音をひとつひとつ取り上げていくのは至難の業です。

しかも音ももちろんパソコンが壊れた時に一緒に消えてしまっていて、YouTudeで動画が観れないとなると、音が聴けるのは昔焼き付けておいたCDだけということになります。
そして、やっと見つけたのが「2011年4月・・・」と書かれたCD。
でも7と8が入っていない・・・(やっぱりパソ買い替えるか・・・誰かから借りるか・・・)

とりあえず、1曲目「森の精霊」から始めてみました。
頭から無調ですが、和音をアルペジオで弾いているので何とか音は聴き取れました。
その調子で、何とかやれそうな気がしてきます。
どうしても聴き取れなかったら、その場で作曲してしまってもいい。
特に1曲目の最後は、何をやっているのだか訳がわからないので・・・

8曲全部仕上がるまで、おそらく半年以上は掛かると思います。
(sitani urawaさん、すみませんが、それまでお待ちください。)
それと後、このブログももちろんペースを落とさずに書き続けていこうと思っています。
新曲を作っている途中だったのですが、それも平行してやっていきます。
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作曲に限らず、創作活動というものは、イメージが泉の如く沸き上がっている時はとても楽しいですが、一度暗礁に乗り上げてしまうと途轍もない生みの苦しみを味わうことになります。
創作活動といっても趣味でやっているのなら良いですが、これが仕事となると大変です。
自分が納得していなくても、妥協してでも締め切りまでに提出しなければなりません。
それを「飯の糧(かて)」に繋げていくためには、冷や汗かきながら何としても締め切りまでに間に合わせなければなりません。
間に合わなくなりそうになると徹夜をして、眠くなると目を覚ますために缶コーヒーを3缶ほど買ってきて、それをがぶ飲みしながらでもやる。
朝になってやっと仕上がって、朝食も食べずに電車に飛び乗り、現場に行って人に会って聴いてもらって・・・帰りにまた缶コーヒー買って飲む。
もうこれは十数年前の話なのですが、まあ当時はそんな大変な状況を楽しんでいたというか、そうやってやり遂げることで自己満足に浸っていたというのもあるのですが、これは若かったから出来た訳で、今はとてもじゃないけれど出来ません。
身体を壊してしまいます。

そういえば昨日、歯医者さんにも言われてしまいました。
「これだけ歯を悪くするのは、磨き方がどうこうというよりも、甘い飲み物が原因だと思うよ」と。
今あるムシ歯くんたちはあの頃の名残だと考えると何だか愛おしくもあり、かといって、もうあんな痛い思いは嫌だという思いもあり・・・。

しかしそれが今では健康第一主義に変わってしまうのだから、人生というものはまったく分かりません。
缶コーヒーはもちろん、今はカフェインを含むものは一切飲みません。
それから、あの頃は1日3箱吸ってしまうくらいのヘビースモーカーでしたが、約8年前に禁煙してからは1本も吸っていません。
お酒も正月三が日以外は飲まなくなりました。
緊張する仕事がある日の前日の夜とかは、結構日本酒など飲んだりしていましたが・・・。
それだけではなく、昔は結構肉好きだったのですが、今は完全にベジタリアンになってしまったのだから、極端といえば極端。
それもこれも、今から9年前に生まれて初めてUFOを見てからすべてが変わっていったような・・・。

そういえば思い出すのも嫌なのだけれど、9年前といえば僕が初めてCDを出した年。
同時に絶望と悲しみを味わった年。
そしてUFOという異次元の存在を知った年。
そう考えると、ムシ歯くんたちは僕の年輪のようなもの。
20170402
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」と言ったのは、作家の藤沢周平氏。
例えば、それは掃除をするということ。
「飯の糧」だけを追求している人たちからすれば、掃除をすることによって売上が増える訳ではないので、掃除を「くだらないこと」と考えてしまいがちです。
しかし掃除をしてお店を綺麗にしておけば、入ってくるお客さんも気分が良いだろうし、当然それは間接的に収入に繋がってきます。
お店に限らず住んでいる家を掃除すれば、家族全員が気分が良くなる筈です。
自分の家に限らず、住んでいる街を綺麗にすれば街の人の気分が良くなるだろうし、自分の住んでいる街に限らず、日本のどこかの街を綺麗にすれば、その街に住んでいる人たちの気分が良くなる筈です。
収入に繋がらなくても、いや、収入に繋がらないからこそ、それが「心の糧」に繋がっていきます。
掃除は、自分自身の心の浄化にも繋がってきます。
「心の糧」こそが、人間らしく生きていくための必須条件だといえます。

それにしても、今ほど人間らしさが失われてしまっている時代はないかもしれません。
最近の閣僚の相次ぐ失言や暴言は、完全に国民を馬鹿にしてしまっていることの現れです。
野党がだらしがなくて、自民が一党独裁になっていることが原因だという報道がされていますが、政治に限らず、これは日本全体にいえることなのではないかと思います。
つまり、この世の中は「飯の糧」だけを追求している人ばかりで、「心の糧」になるような出来事があまりに少なすぎるのです。
そのため、日本人の心は荒れてしまい、忌まわしい犯罪も頻発してしまいます。

人間らしさを失ったその先にあるのが、人間のロボット化です。
既にスマホを片時も手放すことが出来ない人たちが増えています。
ゲーム機など新商品が発売される前日には、必ずお店の前に徹夜の列ができています。
トランプ大統領の裏の大統領といわれているピーター・ティール氏が本当に支持している政党は、トランスヒューマニスト党です。
この党は、ある意味ではとても素晴らしい目標を掲げています。
科学と人間の融合を目指していて、より人間の潜在能力を引き出し、人間らしい生活を送れることを目指すと公言しています。
それは2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、きっと世界中の人たちが目の当たりにするでしょう。
義足の選手が健常者の記録を越える瞬間を・・・。
しかし、それはある意味ではとても危険なことです。
何故なら、より人間のロボット化が懸念されるからです。(公言している「人間らしい生活」とは正反対の)

トランスヒューマニスト党の代表として2016年米国大統領選に立候補したゾルタン・イシュトヴァン氏は、自身の政党についてこう説明しています。

「私の2016年の選挙戦略は、次の3つの集団をターゲットにしています。無神論者、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たち、そして障がいを持つ人のコミュニティです。彼らを足し上げると米国では3,000万人ほどになり、その一部はすでにトランスヒューマニストコミュニティの中で大きな人数を占め、価値観を共有しています。私はサイエンスとテクノロジーの支持者を動かし、「誰かを傷つけない限り自分の体にはしたいことをする権利がある」という考え方、形態的自由という思想を達成したいのです。・・・(途中略)・・・トランスヒューマニストは、宇宙産業を再燃させ、人々を太陽系全体に送りたいと考えています。我々は巨大な海上国家プロジェクトを作り、あらゆる種類の人や科学実験がそこで受け入れられるようにしたいのです。人間が起こしたあらゆる環境問題の解決法を教えてくれる超人工知能を作り出したいのです。我々が宣戦布告する相手は、ドラッグ、公民権を奪われたマイノリティ、石油依存の小国だけではなく、がんやアルツハイマー、そして加齢です。」

想像しただけでも、まるでSF映画のような世界です。
しかし、SF小説「すばらしい新世界」のようにならないかと心配するのです。
確かに病人や障害者にとっては、夢のような話です。
病気が無くなり、不老不死であることは、それが可能ならそれはそれで素晴らしいことかもしれません。
しかし、それもこれも人間らしさを失わずにすめばの話です。
20170401
ゴッホが生前に売れた絵は、たったの1枚だったといわれています。
では何故、ゴッホは描き続けたのか?
「飯の糧」のためだったら、何も絵を描かなくても他にも仕事がいっぱいあった筈です。
ゴッホにとって絵を描くということは、道(タオ)だったのです。
道とは、人間らしさを追求していくことです。
その道が、誰か他の人にとっての「心の糧」となっていくのです。

モーツァルトが死んだ時、葬儀をするお金がなく共同墓地に野ざらしにされたといわれています。
モーツァルトが亡くなる3年前の1788年には6月に交響曲39番、7月に40番、8月に41番(ジュピター)という風に信じられないようなスピードで作曲しています。
この3曲は謎の三大交響曲と呼ばれていて、誰からも作曲の依頼があった形跡がありません。
1791年に「魔笛」が上演されたその年に、謎の死を遂げます。
またこの年に謎の男からレクイエムの作曲の依頼を受けていますが、死によって未完のまま残されました。
モーツァルトはギャンブル好きで多額の借金を抱えていたので、お金のために作曲していたと思われがちですが、それなら何故、依頼も受けていない三大交響曲を書いたのでしょうか?
しかも亡くなる前の3年間の作品は、どれも恰も神が書いたようなものばかりです。
モーツァルトはひょっとしたらお金などどうでもよくて、神の手が自分に触れるのを感じていて、作曲のためにすべてを犠牲にすることを決心していたのかもしれません。(イルミへの反発?)
借金がかさみ、追い込まれれば追い込まれるほど自動書記の如く、五線紙にペンを走らせる。
それは使命的、いや、天命的なものだったのかもしれません。


人間性のもっとも根源的なもの、それを機械に置き換えることはできません。
しかし人間は今や、それさえも捨て去ろうとしています。
サイエンス、テクノロジーを発展させることは素晴らしいことですが、使い方を間違えてはなりません。
モーツァルトはメーソンでしたが、メーソンの上層部はイルミです。
モーツァルトは魔笛の中にイルミの秘密の儀式を暴露したから毒殺されたのだという都市伝説がありますが、たぶんそれは違うと思いますが、現在のイルミは機械と人間を融合させて人間らしさを失わそうと躍起になっています。
イルミの後ろには、悪魔(ルシファー)がいます。
彼らが行っている秘密の儀式とは、悪魔崇拝です。
イルミは世界の政治経済のすべてを、悪魔の力を借りて自由自在にコントロールしています。
この拝金主義の社会システムを作ったのは悪魔なのです。

神と悪魔の争いに巻き込まれないようにするのが肝要です。
なるべく機械(666、獣)から離れて自然に触れるようにして、慎ましく質素な生活をして、人を愛し、人種を越えて愛し、平和を祈り、そして「心の糧」になることをする。
「飯の糧にならないことが、心の糧になる。」
つまり、お金にならないことをすることこそが、人間らしさを失わずに済む秘訣。
もっと言ってしまえば、悪魔の餌食にならずに済むということかもしれません。
20170404
僕の作曲は1円にもなりません。
しかし、独り善がりの音楽でもありません。
僕の作曲は天使との共同作業です。
それはある意味、モーツァルトと同じです。
そいうえば以前、モーツァルトの魂が降りてきたことがありました。
その時、「ジュピター」が部屋に流れていました。(部屋にステレオがないのに・・・たぶん頭の中で)
モーツァルトは3つのことを教えてくれました。
服毒自殺をしたということ。(信じる人はいないと思いますが・・・本人が言っているのだから)
交響曲41番「ジュピター」が一番好きな曲だということ。
そして「3」という数字の重要性。(因みに「ジュピター」には、「3」という数字が至る所に散りばめられています。ひょっとしたらフラクタル幾何のこと?)

本当に最終的な人間らしさというのは、超常的なものなのかもしれません。
機械やテクノロジーによる進化ではなく、自分の内側に初めから備わっている秘めたる能力的なものの目覚めなのかもしれません。
僕はそれを使って作曲している。(神⦅天使⦆は外にではなく内側に宿る)
モーツァルトもそうやって作曲していた。
モーツァルトと僕を比べるのも、何とも烏滸がましいのだけれど・・・。

だから僕が最近作った音楽には、そうした内側の目覚めを助長させる力があると信じています。
作曲はモーツァルトと同じ、天命なのです。
モーツァルトと違って、僕の作曲は超スローペースですが・・・。
もしこれが仕事だったら、話になりませんね。
しかし、約9年前の仕事が成功して「飯の糧」のための作曲をずっと続けていたら、今の自分はいないと思います。

(写真は水元&みさと公園で撮りました。)


 

夜空に広がる天の川
それは、銀河系を内側から見た姿だという
しかし実際にこの銀河を外から見ることはできないので、他の星雲の観測から、想像で渦巻き状の円盤型の星雲ではないかといわれてきた
21世紀に入り、ついに銀河系の形、さらにはその動きまでもが仔細に分かってきた

銀河は対称形の美しい渦巻きを持ち、中心(バルジ)が球状(同心円)ではなく棒状の構造があり、そこから4本のスパイラルアーム(タコの足状)が伸びているという
太陽系はそのスパイラルアームの中間にいて、毎秒240キロもの猛スピードで回転していることが明らかになっている

ひょっとしたら、銀河の中心(バルジ)はウパニシャッドの創造神話に出てくるプルシャ(原人)かもしれない
プルシャは自らを半分に分け、夫と妻が生じた
夫は妻を抱き、人類が生まれた
妻は夫から隠れるために牛になり、夫も牛になって妻を抱き、そして牛が生まれた
そうやって、プルシャはこの宇宙を創造していった

セントラル・サン(銀河の中心)は意志を持っている
セントラル・サンの意志はそれぞれの恒星に伝えられ、太陽にもそれは伝えられる
その意志は太陽により光に変換され、地球上のすべての生物に行き渡っていく
光は月にも届き、月に反射された光は、意志がより濃縮されて地球に届く

だから、月の光はマジックとなる
宮古島に生息するのオカガニは、毎年5~6月の満月の夜に産卵のため、数百匹が一斉に海へ大移動するという
サンゴの産卵も、同じく5月の満月の夜だ
人間の出産も、満月の影響を受けているという説がある
命の誕生、それこそが最高のマジック

日本では古代より江戸時代初期まで、中国暦の太陰暦(太陰太陽暦)が使われていた
月は物質面ではなく、精神面での影響を僕らに強く与えている
古代人は、きっとその重要性に気づいていたのだろう
ひょっとしたら、卑弥呼の銅鏡の儀式は、太陽ではなく月の光を利用していたかもしれない



この曲は、そんな月の魔法をファンタジックに想い描きながら作ってみました。
月の魔法だと何だか普通なので、結局「月の幻影」というタイトルに落ち着きました。
是非、聴いてみてください。
良かったら、感想などもください。

尚、もう1曲完成させた後、交響詩「月の幻影」としてオーケストレーションしたいと考えています。
相当に時間がかかりそうですが・・・いったいどうなることやら・・・。




 

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