piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

カテゴリ: 映画

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今年の8月に何かが起こると、ブログに書いてきました。
僕は予言めいたことを度々このブログに書いてきましたが、、、自分では、だいたい当ててきたと思っています。
しかし、今回はあまり自信はない。
ハッキリと確信が持てないのです。
僕自身も何が起こるのかよくわかっていないのです。

スピ系界隈では、今はライオンズゲート(シリウスと太陽と地球が一直線に並ぶこと、7/26〜8/12、8/8がピーク)が開いていると騒いでいます。
つまり、太陽の波動の変化と地球の次元上昇が著しいのです。
その変化に身体がついていけなくて、不調を訴えている人が多いようです。
この夏の暑さが原因だと思われがちですが、本当はそうではありません。

果たして、それは僕の8月の予感と何か関係があるのでしょうか?
過去のブログ記事にヒントが隠されているかもしれません。
ひょっとしたら、これまで書いてきた“陰謀”が表に出てくるとか、“祈り”が現実になるとかいったことかもしれません。
人類のDNAの変容が、目に見える形で現われてくるのかもしれません。
あるいは、いよいよ高次元異星人が公の場に姿を現すとか、、
それは、それこそ予言者さえも想像だにしなかったことかもしれません。
そんな氣がしています。

何にせよ、8月中にそれが起こらなかったとしても、タイムリミットがかなり近づいてきているのは間違いありません。
多くの科学者や都市伝説系やスピ系の人たちも、2025年にリセットが起こり、2026年に新しい時代が訪れるのだと語っています。
その新世界がユートピアになるのかディストピアになるのか、、、今はその大きな分岐点になっているのだと僕は考えます。
きっとその時を迎えた時、ある人にとってそれは最高に嬉しいニュースとなり、またある人にとっては地獄のような最悪なニュースになるのかもしれません。
その時、きっと二極化は極まるのです。

僕はずっと、この世の本当の真実を追求してきました。
随分と見えない力に妨害されてはきましたが、最後は真実を語る者が勝利するのだということを信じたいです。
どうか皆さん、AI側ではなく、“生き抜く”側になってください。



先日、宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』を観てきました。
まだ1回しか観ていないので、正直よくわからない部分が多いのですが、予想通り、僕が今まで書き続けてきたこのブログに通ずるものを、、、否応なしに感じざるを得ませんでした。
もちろん、この映画には至る所にメタファーが散りばめられていて、非常に抽象的なので、各々が独自の視点で独自の解釈ができる映画になっています。
子供でも楽しめますが、深掘りすればするほど大人でも非常に難解に思えてくる部分もあって、だからこそ最高傑作だと讃えているYouTuberもいます。
しかし賛否両論いて、まったく理解できないと最低の評価を下している人も多いです。

この映画は吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』とジョン・コナリー著『失われたものたちの本』をベースにして作られているとのことですが、僕はどちらも読んだことがありません。
読んだら、またこの映画が違った風に見えてくるのかもしれませんが、しかしもちろん読んでいなくても十分に伝わってくるものがあって楽しめます。
ただ、吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を主人公の眞人が読んで涙を流してから、眞人少年の性格が一変するので、この本が凄く重要な意味を持っているのがわかります。

戦争中に実母(ヒサコ)を失い、父親(ショウイチ)は実母の妹(ナツコ)と再婚、母方の実家へ疎開しますが義母には馴染めず、また学校ではイジメを受けたり(ルサンチマン)、父親と義母がイチャイチャしているところを目撃してしまったりと、、、
これほどのことがあれば、眞人少年の心が歪になってしまうのも当然です。
大人(父親のこと)は何もわかってくれない。
実母を失い、その悲しみも癒えていないのに再婚して子供まで作ってしまう。
学校でイジメにあえば「仇をとってやる」なんて言ったり、カネで解決しようとしたり、、、(この部分は殆ど宮﨑監督自身の私小説)
しかしナツコは、こめかみの傷(眞人の中にある“悪意”)を撫でながら「ごめんなさい」と言ってくれた。
自分のことを一番理解していたのは、ナツコだった。
そして眞人は、吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を読んで涙を流す。
そうやってアオサギとキリコと一緒に、森の中に1人で入って行った義母ナツコを探しに行く訳ですが、、

この辺までの物語の展開は、共感できる人も多かったのではないでしょうか?
しかし謎なのが、人の言葉を喋るアオサギだったのではないでしょうか?
最初の方のアオサギの描写は、とても美しくて感動しました。
飛び方や池に降り立った時の動きなんか、本物のアオサギの動きをよく捉えています。
アオサギのことは以前から何度もこのブログに採り上げてきましたが、宮﨑監督はアオサギにいったいどんな意味合いを込めているのか、非常に気になるところです。
因みに、海外でも同時上映されていますが、映画のタイトルが"The Boys and the Heron"になっています。
つまり「少年とサギ」ですから、アオサギはやはりとても重要な意味を持っているということになります。
兎にも角にも、この現実世界においても、アオサギだけではなく、やはり鳥という生き物には何かがあるようです。

この映画が理解できなかった人は、おそらく眞人がアオサギを追って謎の塔に入っていく辺りから、だんだんとわからなくなっていったのではないでしょうか?
この辺りからたくさんのメタファーが複雑に散りばめられていくので、急に難易度が上がった感じです。
人それぞれに好き勝手に色々な解釈ができてしまうので、だから「これはアートだ」なんて表現をしている人もいたりするのです。
この辺りから、賛否両論に分かれていきます。

もし仮に、この映画の監督が宮﨑監督ではなくまったくの無名だったら、おそらくこの映画は殆ど注目されずに終わってしまうと思います。
少し似た映画を思い出します。
新海誠監督の初期の『星を追う子ども』という映画。
ジブリを真似していると、随分と酷評されていました。
因みに僕は、この映画は宮崎監督へのオマージュとして作られた作品だと思っていて、そういった明確な意図があったので、この作品はこの作品でとても素晴らしいと思っていました。
そして、今回の宮﨑監督の『君たちはどう生きるか』も、これも間違いなくセルフオマージュです。
冒頭は「風立ちぬ」で、途中から「千と千尋」あり「ハウル」あり「ナウシカ」ありで、、
そうしたアイデアは、ひょっとしたら『星を追う子ども』からヒントを得ていたのかもしれない。
『君たちはどう生きるか』も『星を追う子ども』も、どちらの映画も地下世界が舞台で、内容も所々カブるところがあります。
新海監督が「星を追う」で宮崎監督を賞賛し、そしてきっと宮﨑監督も「君たちは」で新海監督に応えたということかもしれません。
(黄金の門に記されてあった「ワレヲ学ブ者ハ死ス」が、その答えなのか?新海監督は「星を追う」のあと、独自の世界を創り上げていった、、)



しかし、宮﨑駿監督は単なるアニメーターではない。。。
宮﨑監督はゾーンに入ると、監督自身が異世界に入って行ってしまうような方なのだと思います。
制作途中で行き詰まり、悩みに悩みまくると、鼻の奥から血のニオイがしてきて、その瞬間に「これだ!」と思うようなことが降りてきて、そうしたらもう行き詰まることなく納得のいく作品に仕上がるのだそうです。
鼻の奥というと松果体に近く、五感の中で嗅覚刺激だけは大脳辺縁系という内側の脳に直接伝わります。(他の四感は大脳新皮質という外側の脳に伝わる)
つまりニオイというのは直感を司る脳、第六感とか目に見えない世界に繋がっていく感覚なのです。
だから宮﨑監督の作品は、どこか異世界からのメッセージを強く感じるのです。
彼はある意味、シャーマンなのです。

今回は宣伝なし、パンフレットも公開後に発売予定ということで、しかもこんなにもよくわからない作品なので、批評家たちの戸惑いようも半端ない、、。
試写会で監督自身が「おそらく、訳がわからなかったことでしょう。私自身、訳がわからないところがありました」と語る始末。
でも僕は、これも監督の演技だと考えているのです。
僕はどうも、世間がこの作品に対してどのような考察をするのかを試しているような気がするのです。
監督ではなく、異次元の存在たちがね、、、
そのように考えた瞬間に、正しい時に起こる“身体に電氣が走る”という現象があったので、僕の中ではこれは間違いないことなのです。
ひょっとしたら、これは人類の最終試験なのかもしれない、、
次元上昇できるか否かの、、、

前述したように、映画の中にはたくさんのメタファーが散りばめられていました。
聖書っぽいとか、日本神話っぽいとか、アオサギはヤタガラスっぽいとか、眞人はヨハネだとか大おじ様はモーゼだとか、、、
するとヒミは火水でカミなのか?(火を操れるからカグツチっぽい)
キリコは巨大魚を釣り上げたからエビス?

しかしなぜなのか?
人喰いセキセイインコはレプティリアンのメタファーだという人が見当たらない。
僕は観終わって、まずそれを考えました。
確かに“肉食”(ベジタリアン)のことを意味しているという風にも受け取れますが、だけどそれだとちょっと弱すぎる。
これは、この映画のもっとも肝となる部分だと感じるのですが、やはり触れてはイケないかなり危険な部分なのかもしれません。

確かに、すべてのジブリ映画に共通するメッセージというのは、“命の大切さ”ということだと思います。
それを明確にさせるために、数々の残酷な戦いが描かれてきました。
しかしこの映画は、そういった部分が今までとはかなり異質に感じました。
ペリカンがワラワラを食べるシーンや、セキセイインコが包丁を背中に隠し持つシーンなんて、まさにといった感じです。
ワラワラは、人間が生まれる前の姿ということでした。
主人公の眞人も、セキセイインコに料理させられそうになりました。
つまりこの映画は、この地球は異星人のための人間牧場になっているのだということを、危険のないように遠回しに伝えている、とても恐ろしい映画なのかもしれないということ、、、

あの謎の塔も、本を読みすぎた大おじ様の頭の中の世界だと思わせておきながら、実は塔は宇宙から落ちてきたものだということが後半になってわかる訳です。
僕はあの塔は、パラレル移動装置なのだと考えます。
不思議の国のアリスなのです。
でも勘違いしないでいただきたいのは、その世界はこの現実世界と直結しているのです。
いやむしろ、この現実世界こそがマトリックスであって、その世界こそが本当の真実の世界なのです。
この世界とその世界は鏡のように逆転しているのです。
人間がこの世界では鶏肉を食べるように、その世界では鳥が人肉を食べているのです。
そのようなシステムを作ったのが、闇側の異星人。

たとえ僕のこの考察が間違っていたとしても、この映画の最大のテーマになっているのが“食”というのは間違いないと思います。
“食”とは、いったい何なのか?
それを考えて欲しいと、この映画は語っているのです。
それこそが、“生き方”全体に繋がってくるのです。
そして、“生き抜く”ためにもです、、。

(追伸:なぜなのか?多くの考察動画が、この“食”のことに関して何の説明もしていません。この映画の肝となる部分なのに、その部分だけが完全に欠落してしまっているのです。殆どのYouTuberが、まるでその部分だけ観ていなかったかのように避けて話しています。よっぽど都合が悪いことなのでしょう。映画の冒頭から食べ物のなかった戦中 《戦後間もなく》が舞台になっていますし、映画全体がこのテーマで占められているといえます。映画前半で、アオサギが魚を捕らえて飲み込むシーンなんかも実に印象的です。それにも関わらず、殆どの批評家たちがこの部分のことをまったく語らないのは、なぜなのでしょうか?《私小説、セルフオマージュは、おそらく闇側を欺くためのカモフラージュ。誰が闇側なのかを浮き彫りにするためか?》僕は、彼らは闇の傀儡なのではないかと考えています。)



タヒに際のペリカンがこのように語っていました。
「私たちは、ワラワラを食べるためにここに連れてこられた。ここに餌はなく、ワラワラを食べるしかなかった。何度も空を飛んだが、この島から抜けることはできなかった。ここは呪われた海だ」
誰しも、何かを食べなければ生きてはいけない。
この世界もあの世界も、すべてが何かの犠牲の上に成り立っている、、、
それは食べ物だけではなく、新海誠監督の『スズメの戸締り』に出てくるダイジンのように、、。

大おじ様(ニーチェ)は13個の石の積み木(宇宙の“秩序”、オーム 《聖音》、アルファとオメガ、古代マヤ神聖歴、カタカムナ数歌歴、13の月の暦、十三原律《神道の奥義、宇宙の始まりと終わり、地球の次元上昇》、宮﨑監督がこれまで手掛けてきた映画の数も”13” 《、、、と多くのYouTuberが語っていますが、おそらく関係ないと思います》)を動かして安定させると、眞人に「これで世界は1日大丈夫だ」と言いました。
しかし、インコ大王がその積み木を刀で切ってしまうと大爆発が起きて、塔の中の世界(パラレル移動装置)は崩壊してしまいます。
これはまさに、幽界の崩壊を表していると思いました。
もちろん、インコ大王が積み木を壊さなくても、タイムリミットは真近だった訳ですが、、
それは、この現実世界においては、2025年ごろに現れてくるのかもしれません。
大事なのは、そのリセットによって天国が訪れるのか?地獄が訪れるのか?ということです。
今、人間1人ひとりの心の中にあるものは、“悪意”なのか?
それとも、、、

ドイツの思想家ニーチェは、このように述べています。
「“悪意”というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、われわれ自身の享楽を目的とする」と、、



僕は、ワラワラを夢の中で何度か見たことがあります。
真っ白い丸いのボールのようなものに顔があって、ピョンピョンと飛び跳ねていました。
僕をずっと探していたようで、あたかも「やっと見つけた、やっと会うことができた」とでも言っているかのように喜んでいました。
そのワラワラは、前世で僕と一緒に過ごしていたようです。
しかし当然のことながら、僕はすべてを忘れてしまっています。
記憶を失うということほど、残酷なことはないと思っています。
失ったすべての記憶を取り戻すためにも、僕はどうしても新世界がユートピアでなくてはならないのです。
だから毎日マントラを唱え、今この記事を書いているのです。

今回のMVはもちろん、『君たちはどう生きるか』の主題歌、米津玄師さんの「地球儀」にします。
歌詞を読んでいて、あの夢の中に出てきたワラワラを想いました。
この道が続くのは 続けと願ったから〜 ♪
眞人(すべての人々)がこの現実世界で大おじ様の意志(石、真のメーソン、レムリアンクリスタル、アダム《イエス》の血統、Dの意志、イア 《エンキ》の意志、、、)を受け継いでいくためにも、、、



勝手に拝借しますm(__)m




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pixabay 様 より



時々、本当にこの世界のことがわからなくなる
たとえば瞑想している時とかに、悟りにも似た何かを掴みかけるのだけれど、あとちょっとのところでそれはスルリとかわしてすり抜けていってしまう
その何かをもう一度掴もうと試みれば試みるほど、余計に泥沼にハマっていってしまう
もし自分が唯物論者だったら、目に見えるモノがすべてだと考えていたら、きっとこんなに頭を悩ますこともなかったのだろうに

これまで、数々のあり得ないような信じられないような体験を、僕は確かにしてきた
勘違いしないで頂きたいのは、僕は霊能者でもなければ超能力者でもない
透視をすることなんて、第3の目を活性化させるような訓練を毎日しているけれども、未だにできやしない
しかし僕は確かに、、確かにだ、、、
人間の姿をした人間ではない何者かに出逢ってきた
幼い頃から、今に至るまで、、
彼らはいったい全体、本当に何者なのだ?



そのことで、いくらだって妄想に耽ることはできる
あれは幽霊だったのかもしれない、異星人だったのかもしれない、、あの地に封印されている神様だったかもしれない、、、なんてね
牢獄地球の看守だと、以前にブログに書いたこともあった
だけど本当のことは、何もわからない
確かなことは、彼らは間違いなく、人間の姿をした人間ではない何者かだということ

なぜなのだ、なぜ僕にだけ、このような体験をさせるのだ
なぜ僕にだけ、その複雑極まりない宇宙の真理を突きつける
誰か、僕と同じような体験をしている人がいたら教えて欲しい
是非、名乗り出てきて欲しい
しかし、未だ出会ったことはない
まるで、僕ひとりだけの宿命であるかのように、、、

今は光と闇の最終局面であることを彼らが教えてくれているのだと、僕はいつしか無意識的にそう信じることに決めていた
確信することはできないけれど、自分の直感を信じて前に突き進むことに決めていたんだ
答えが見つかってからでは、もう遅い
何が何だか訳が分からないけれど、これからも目に見えない何かに突き動かされるままにしていようと
それが闇ではなく、光であるのなら、、。

闇ほど、自分は光だと語る
だから、気をつけていなければならない
得てしてマスクを取れば、その正体は見た目とは正反対の存在だったりする
見た目に騙されるな
闇ほど、自分は高次元の人間だと、もっとも優れたスピリチュアリストだと偉そうにほざく
その言葉にコロッと騙されて、どれだけの人間が闇落ちしていったことか、、、
だいたい、自分を光だとか高次元だとか言っている時点で、もうそこに上下関係ができてしまっているではないか
このヒエラルキー社会と、奴隷社会と、何ら変わりがないではないか
真の神を知っている人間は、恐ろしくてとてもじゃないけれど、そんなことは口が裂けても言えない
本当の光側の人間というのは、‟要石”のような存在、、、だから自分の幸せなどコレっぽっちも考えていない
天命を全うするのに必死なのだから、自分の地位とか幸せなどを考える余裕はない



真の神の意志は、昨年のW杯に中にも示されていた
驕ったり相手を見くびっていれば叩き落され、怒りを秘めていたり常に相手をリスペクトしていれば勝ち上がっていった
勝って大騒ぎするなんて、以ての外
何が光で何が闇なのか、、これを見れば一目瞭然

3次元的に誰が光側で誰が闇側なのか、、、それはその人の言葉や行動でだいたいわかってしまう
しかし霊的な存在、別次元の存在たちを見分けるのは意外と難しい
チャネリングの大部分は、光のフリをしている闇だ
霊的な闇は頭がよく、実にずる賢い
ヤツらに騙されている人は、とても多い
しかし当然のことながら、本物の光だって存在している

そして、僕の目の前に現れた不可思議な謎の人物たち、、
それは間違いなく、人間の姿をした人間ではない何者かだった
勘違いや気のせいなどでは絶対にない
その闇とか光とかを、真の意味で超越しているような存在たち、、
そうした存在たちは、言葉ではなく、その仕草やその存在を示すことで僕にメッセージを残していった
そして、とても難解なクイズを僕に与えた

僕は僕なりに考えて答えを出してブログに書いてはきたけれど、真実は果たしてどうなのか?
マントラ&瞑想&祈りを毎日繰り返し、その答えを体感を通じて導き出そうと試みてきてはいるけれど、答えを見出しそうになる寸前のところでスルリとかわされすり抜けて行ってしまう、その歯がゆさ、、
まるで、弄ばれているかのように、、、
山を越えても、その先にはまた山があるように、次元を超えてもまたその先に別の次元があって、その答えはどんな賢者であろうとも、そうそうに導き出せるものではないのかもしれない
しかし、それでも唯物論者たちに比べれば、まだマシだと思っている
宇宙の真理に近づこうと常に試みていることが、もっとも重要なのだから、、。



2023年に入ってからも、相変わらず闇の傍若無人さを強く強く感じます。
何度も何度も、闇は僕を闇側へ引きずり込もうと憑依してきます。
その度にガヤトリーマントラを唱えて、何とか堪えています。

先日、YouTubeで映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』(1954年公開) がアップされていたので、ちょっとだけ観てみようと思ってクリックして観ていたら、あまりに面白過ぎて最後まで観てしまいました。
東千代之介が犬塚信乃をやっていて、中村錦之助(萬屋錦之介)も犬飼現八役で出演しています。
以前にもブログに書いたと思いますが、僕は何度か里見氏と関係ありそうな霊に取り憑かれたことがあります。
また、馬琴の「南総里見八犬伝」に登場してくる8人の犬士たちの母「伏姫」が籠ったとされる「伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)」で、僕は不可思議な人物に出逢っています。
間違いなく、何かがあるのです。
だから「里見八犬伝」という字を見ただけで、いつも見過ごせなくなってしまうのです。

5年ほど前に、里見氏の彷徨える霊たちを解放する目的で、房総を旅したことがあります。
館山城、稲村城跡、犬掛古戦場(里見の墓)、それから伏姫が生まれ育ったといわれる滝田城跡でも、そこに来ると必ず決まって聞こえてくる音があるのです。
その音は、どうやら僕にしか聞こえてこないのです。
以前に友達と一緒に来た時に「あの音何?聞こえない?変な音」と訊くと、「わからない、何にも聞こえない」と、誰に訊いてもそう答えるのです。
その音は、草刈り機で草を刈っているような、あるいは大きな空調機が回っているような、そんなような音でした。
一軒の家も建っていない、山の奥深くなのに、、、
耳を澄ましてよく聞いてみると、何だか大勢の里見の兵たちが気勢を上げて敵地へ攻め込んで行く時の声のようで、その音に重いフィルターがかかったような感じなのです。
そしてそのように思った瞬間に、確かに身体中に電気が走ったのです。

5年前の時はひとり旅だったので、それこそ誰もいない山の中をひとりで歩いていたので、それはもう大変でした。
手を合わしてガヤトリーマントラを唱えて、里見氏の霊を慰めました。
しばらくしたら、その不可思議な音は聞こえなくなりました。
しかし、家に帰ってきたら、背中がもの凄く重くて痛い。。。
憑依されているのは間違いありませんでした。
何日もマントラを唱えて霊を慰めて、一週間くらいでやっと除霊できたと思います。

先日、映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』を見終わったあとのことですが、またあの時の背中の痛みを感じました。
なんとなんと!映画を観ただけなのに、またあの厄介な里見氏の霊が取り憑いてきたようです。
霊は、こういう媒体(電磁気)を伝って憑依してくることもあるのです。
瞑想していてわかったのですが、実はまだ彷徨い続けている里見氏の霊たちがたくさんいるようなのです。
それもこれもすべて、おそらく闇の策略。
闇が僕に、この映画を観るように意図的に仕組んだ。
でも、毎日行っている儀式のお陰で、1日で背中の痛みも辛さもなくなりました。

瞑想している時に、ふと思い出したことがあります。
そういえば僕は、「伏姫籠穴」の入り口の少し前のところで、何度も同じ人物とすれ違い、すれ違いざまに僕はその人物に「伏姫籠穴はまだまだ先ですか?」と尋ねるのです。
そしてその人は毎回、「あっ!伏姫籠穴はすぐそこです。あそこに入り口があるので、そこを入ってず~っと階段を登っていったところにあります」と答えるのです。
丸眼鏡をした今時の若い女性で、ボーイッシュな声でハキハキと喋る感じです。
同じ場所でその女性と3回すれ違い、僕は3回同じ質問をし、3回その女性はその質問に答えたことになります。
最初は確か中学の時に学校で行って、2回目は友達との自転車の旅、そして3回目は5年前のひとり旅。
2回目も3回目も、僕は以前にその女性とすれ違っていることをすっかり忘れてしまっていました。
もう、忘れることはないでしょう。
もし、もう一度あの場所に行ってあの女性とすれ違ったら、いったい僕はどうなってしまうのやら、、心臓破裂しそうになるかもしれない。。。

それにしても、あの女性はいったい何者なのだろう?
考えてみると、学校で行った時も友達と行った時も、山道があまりにも長くて、なかなか着かなくて、いつの間にかみんなと逸れてたったひとりになってしまい、とても心細くなった瞬間にあの女性は現れて、それでいつも僕は本当にこの道でいいのかを訊いてしまうのです。
そして、あんなに行きは長くて大変だったのに、なぜか帰りはあっという間で楽だった。
おかしいんです、、絶対に、、。

それだけではなく、里見氏ゆかりの地はどこも嫌な感じがするのだけれど、「伏姫籠穴」だけはとても清らかな空気が流れていて、自然や建造物もとても美しく、ずっといたいと思うような場所なのです。
伏姫にはモデルがいて、それは里見家6代目当主の里見義堯の娘「種姫」だといわれています。
北条氏との戦(国府台の戦い、1564年)で25歳の夫、正木信茂を亡くし、種姫は25歳で未亡人となり、この山中深くに寺を建てて籠り、夫の菩提を弔いながら生涯を終えたといいます。

僕はどう考えても、どう考えても、あの女性は種姫の御霊が現代風の女性の姿になって現れたとしか思えないのですね。
馬琴の「南総里見八犬伝」を読んだたくさんの読書女子たちが、この聖地を訪れ祈ったのだと思います。
そして種姫の御霊が、彼女たちのファッションを真似て現代の女子に扮して僕の目の前に現れたのだと、、
そんなバカなと思うかもしれませんが、僕にはそうとしか考えられない、、。

でもなぜ、僕にしかその姿を現わさないのか?
それと同時に、いったいなぜ、これほどまでに里見氏の霊は僕を憎むのか?
その本当の真実は、まったくわかりません。
でも、推測ですが、おそらく僕の前世とは関係ありません。
血が関係している。。。

里見家最後の当主の里見忠義は、僕のご先祖様でもある徳川家康の側近だった本多正信の謀略により改易され、館山から伯耆の倉吉へ配流されています。
忠義はさらに鳥取藩主池田光政に4千石まで取り上げられ、百人扶持の知行とされ、享年28歳の若さで無念の死を迎え、里見氏は事実上滅亡します。
忠義の死去から3ヶ月後、板倉昌察ら8人の側近が殉死し、忠義とともに大岳院に葬られ「八賢士」と讃えられます。
この話を元にして、馬琴は「南総里見八犬伝」を書いたといわれています。
つまり、僕が里見氏の霊に呪われてしまうのは、きっと本多正信への恨みがあるからなのです。

でもなぜ、他の親戚たちには何もなく、僕だけにこんな目に遭わせるのか?
そしてなぜ、種姫が僕の目の前に現れたのか?
本当にこれも僕の憶測になってしまいますが、おそらく僕はこの里見氏の怨念を鎮めるために生まれてきた。(本多家と里見家を仲直りさせるため)
種姫も多くの人の祈りによって位の高い神のような存在になり、そして彼女もまた、里見氏の怨念を鎮めようとしていて、それができる人間が現れるのを待っていた。
そして、さらに深堀りをしてみれば、こうした怨念や呪いがかけられている土地が多く存在している限り、地球と、そしてできる限りの多くの人々の心と身体を次元上昇させるのは難しい、、、ということもあるのかもしれません。



でもいったい全体、僕は何者なのだろう?
普通に生きたかったのに、普通でいることを神は許さなかった

レミヤ様、、、つい最近、夢の中で僕はそう呼ばれた
夢の中で、喫茶店で同席した女性が僕にそう言ったのだ
「あなたは、レミヤ様なのですか?」と、、、
僕は「いいえ、違います」と言った
目が覚めてすぐにネットで検索してみたら、古代ユダヤの預言者エレミヤが出てきた

ウーン、、まさかね
でも、ひょっとしたら、、、



今回の最後のMVは、Mustafa Avşaroğluで「The Girl in the Woods, She Is Your Destiny」です。
タイトルの意味は、「森の中の少女、彼女はあなたの運命です」。
不可思議なことが起こるのは、森の中が多いです。
森は、もともと神聖な場所だったのでしょうね。



勝手に拝借しますm(__)m




追伸
レミヤではなく、レミネだったかもしれません。
どちらにしても、僕はレミ何とかではないと思っています。
預言者エレミヤだなんて、とんでもないこと、、、
ただ数年前にも、似たような夢を見ているのです。
やはり知らない女性から「あなたはレミ〇様ですか?」と訊かれました。
その時も、レミはドレミファソのレミだから、そうやって覚えていました。
2回同じような夢を見るということは、間違いなく何かがあります。
いつの日か、答えが見つかればいいなと思っています。



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pixabay 様 より



先日、映画「すずめの戸締まり」を観てきました。
ネタバレが含まれてしまうと思うので、まだこの映画をご覧になられていない方は、ご覧になってからこのブログを読んだ方がいいかもしれません。
でも一応、ご覧になられていない方でも理解できるように書いていこうとは思っています。
それから、世に広く出回っているような一般的な感想や考察とはあまりにもかけ離れていると思うので、あらかじめご了承ください(笑)

前回のブログに僕と同じようなことを語っている動画を見つけたと書きましたが、実はその動画とこの映画がとてもリンクしていたので、これも偶然とはとても思えなかったので、今回はそのことについて深堀していきたいと思います。

まず、その動画の方から書いていきたいと思いますが、かなりぶっ飛んだ内容になっています。
その動画というのは、R国にシリウスのチャンネルというのがあるらしいのですが、そこからの記事をYouTuberのエンドゥさんという方が翻訳したものです。
3回にわけられていて、全部観るとかなりの時間になってしまいます。
ですので、この動画を咀嚼した上で僕なりに考察した記事にしていきたいと思います。
この3つの動画は、最後にURLを張り付けておきますので、よかったらご覧になってみてください。



この地球にまだ人類が誕生すらしていない遥か遠い昔、2つの太陽が存在していました。
年上の太陽(ラジャ・サン)が爆破された時、地上は燃え尽き地獄と化しました。
テルーラ、アスラ、レムリア(縄文)の人々(異星からの移住者)は、地下に逃げたので生き延びることができました。
彼らはヨガの体現者でした。
超能力を使って岩盤層を非物質化させて巨大な空洞を作り、そこに真空のマトリックスから物質化現象を起こして地下都市を作りました。

彼ら光の種族たちは、ラジャ・サンがなぜ意図的に破壊されたのか?、、それが理解できませんでした。
崩壊というのは自然現象として起こるというのが彼らの常識であり、生物がタヒ滅していくことを意図的に引き起こすという意識性に、今まで出会ったことがなかったのです。
つまり、悪とか闇とかいった存在(黒いレプや黒いドラゴンなど)に、、

火の海となった地上には、様々な怪物たちが飛び降りてきました。
彼らにとって、火に満ちた地上世界は天国でした。
ラジャ・サンを破壊し、地上を火の海にしたのは彼らでした。
闇はピラミッド(須弥山)のポータルを使い、新たな領域(地下世界)にも侵略を試みようとしてきました。
テルーラ、アスラ、レムリアの人々は宇宙に助けを求め、SOSを発信しました。
その信号は微弱なものでしたが、信号を最初にキャッチしたのはレムリア族と同種属の者たちでした。
その存在とは、爬虫類属の光をもたらすドラゴンたちでした。
その光のドラゴンたちは、過去にも黒いドラゴンと戦った経験を持っていたので信号に気づくことができたのです。
(因みに、レムリア族と同種属ということなので、おそらくスサノオの種族のことだと思われます。これまでブログに書いてきたように、僕はなぜかスサノオとは縁があって、不可思議現象もスサノオに関係していることが多いです。)

火の海となっている地上で、光のドラゴンと闇のドラゴンとの戦いが繰り広げられていきました。
またSOSは、ナーガと呼ばれる光の爬虫類属の存在にも届き、彼らも戦闘に加わりました。
ナーガは半分が人間で、半分がコブラという姿をしていました。
これはエンキの姿がそうですし、 伏犧と女媧もまたそうです。
(2013年の春頃に、僕は神に呼ばれてラオスに行ってきたのですが、至る所に寺院があって、ナーガたちが寺院を守っていました。でもその姿はドラゴンそのものでした。↓の僕が撮った写真の1枚目はヤマタノオロチ、2枚目はケツァルコアトルを彷彿とさせます。)
ワット・タートのナーガ
ワット・タートのナーガ
パバーン像安置祠のナーガ
パバーン像安置祠のナーガ



何世紀にも渡り、戦争は続けられました。
特に偉大なクリスタルが隠されている須弥山を巡り、両者は激しく対立しました。
闇側はそこを首都にし、ここに近寄ってきた者たちを焼き尽くしました。
テルーラ、アスラ(アスラという悪い異星人もいましたが)、レムリア(ムー)の人々、それに光のドラゴンと蛇たちは、再度生きた宇宙に願いを唱えました。
そして、助けが訪れました。
シリウス、そして北極星のポータルの穴から訪れました。
それにより光は闇を地上から追い出すことに成功し、闇は地中のもっとも奥深い場所へと隠れ、そこで非物質的な存在へと変化していきました。
この戦争のあと、地上では荒廃した廃墟の山の中から、生活を再構築する必要がありました。
そして須弥山は生まれ変わり、アスラの土地は開花しました。
その土地は、スワ(諏訪)の国と呼ばれました。
事実、地元の方々は諏訪大明神は龍神だと信じています。



しかし、平和な時間は長くは続きませんでした。
アヌンナキ、もしくは聖書に書かれているネフィリムといった存在たちが、カイラス山(チベット最奥の聖地)に侵入することに成功したのです。
(アヌンナキが最初に創造したのはアダム⦅人間⦆ではなく、イギギという黒いレプだということです。アヌンナキを世に広めたゼカリア・シッチンはイルミの手先で、闇の指示で噓八百ばかりを書いていたようです。)
要は、アヌンナキという闇のラスボスが地上に降り立ったということです。
彼らによって偉大なクリスタルは機能を失い、ねじれた時空間へと後退していきました。
地球は急激に周波数を下げ、宇宙との繋がりも絶たれました。
高い周波数を持っていた存在たちは、より高い周波数を持った宇宙から投げ捨てられてしまった状態となり、地球は荒廃し、より一層3次元的な世界になっていきました。
それ以降、より高い周波数を持った神々たちが、この私たちの密度の世界に来るためには、人間の体に転生する形で来るしか方法がなくなりました。

そのようにして、ホモサピエンスは登場してきたのです。
おそらく、蛇の種族たちによってです。
アヌンナキも、遺伝子操作によって人間を作り出しました。
それが、旧約聖書に登場してくるアブラハムの一族です。
カタリ派などの原始キリスト教では、旧約聖書に登場してくる神は悪神だと教えています。

その旧約聖書に描かれている「イサクの燔祭」が、須弥山があった地、アスラの土地、スワの地(諏訪大社)に残されているというのも、何か深い意味がありそうです。
そして、そこにある小袋石(おふくろいし)という磐座が、ノアの方舟と呼ばれているということも、、
この磐座が日本の4つのプレートを繋ぎとめているということも、、そして巨大地〇が来るのを防いでくれているということも、、、

まさに、映画「すずめの戸締まり」に登場してくる要石です。
その要石は映画ではダイジンという猫の姿で描かれているのですが、僕はこれは光のドラゴンのことだと考えます。
(僕は家の氏神様の姿を実際に見たことがあって、その姿はまさに猫でした。)
地中の奥深くで非物質化してしまった闇の存在たちは、今でも地上に暮らす人間をコントロールし、ネガティブな想念を社会に蔓延させ、そのエネルギーを地下に溜めて地〇を引き起こそうとしている訳です。
それを映画では、ミミズという存在で顕されていました。
そして、そのミミズが地上に出てこないように、常世(あの世のこと)と現世(うつしよ)の扉を閉じるのを家業とする「閉じ師」という存在がいるということ。
(実は僕は常世に行ったことがあって、そこは誰一人いない紫色の世界でした)

閉じ師である草太は、ダイジンに3本足の椅子に変えられてしまいましたが、これは草太がヤタガラスであるということを意味していると思われます。(あるいは三柱鳥居、造化三神、ひょっとしたら人身御供?)
ヤタガラスはスサノオのお仕えであり、また裏天皇でもあるのです。
僕は新海誠監督は、古代から存在している日本の秘密結社の八咫烏なのではないかと考えます。
日本サッカー協会もそうです。
暗〇されたあべぴょんもそうです。
あの事件は、闇たちが八咫烏を標的にし始めたのだと僕は考えているのです。
長い間続けられてきた神と悪〇の戦争は、今や人間の代理戦争になっているということです。



勝手に拝借しますm(__)m




聖書には、神は7日間でこの世界を創造したとあります。
それはアヌンナキの実験場をこの地上に作るということで、エデンの園とかアガルタとか呼ばれています。
この時代、様々なカタストロフィや戦争が起きました。
当時、インドにはミロクと呼ばれている国もあったのですが、モヘンジョダロの遺跡に現在でも木亥戦争の痕跡が見られるように、地上の多くの国々が焦土と化しました。
アヌンナキたちは、この時代を創造の時代と名付けたのです。
人々はルーと呼ばれる国か、あるいは現在C国がある地に移動しました。
たくさんの悪〇たちがまた物質化し、ルーの人々に襲い掛かりました。
ナーガの一族はルーの人々に放射能に対抗する方法を教え、水源を浄化する方法も教えました。
するとアヌンナキたちは木亥を使うことを止め、奇妙な新しい武器を使用し始めました。
1000にも及ぶ空飛ぶ機械がルーの人々に襲い掛かり、その奇妙な新しい爆弾が数えきれないほどルーの国に降り注ぎました。
その武器とは内部が空洞になっている石で、その石には蓋が付いていて、着弾すると蓋がバラバラになります。
この爆弾が落ちた場所からは、酷い疫病が発生しました。
この疫病によって、ルーの殆どの人々がタヒ亡しました。
神殿で生き残った僅かな人々も、記憶を失ってしまいました。

この石でできた爆弾は、現在でも目にすることができます。
僕は、その石の爆弾があるラオスのシェンクワーンのジャール平原にも行ってきました。
神はいったいなぜ、僕にこの巨大な石の壺を見せたのか?
それはきっと、忘れ去ってしまった遠い過去の記憶を呼び覚ますため、、、
きっと、いたのでしょうね、、僕もその戦争の只中に、、。
ジャール平原にて
ジャール平原にて
ジャール平原、サイト3
ジャール平原、サイト3



闇は今現在でも多くの人間を地獄の底へ引きずり込もうと、地上に罠を仕掛けています。
それは偽りの情報という罠です。
インターネット、、、その本当の意味は墓穴を掘るで、クモの巣をも表しています。
この社会は、あまりにも多くの情報が錯綜しすぎています。
いったいどの情報を信じていいのか、殆どの人がわからなくなっています。
多くの識者たちが、ネットの情報には気をつけなさいと語ります。
しかし最近は、むしろ大手メディアの方がフェイクニュースを多く流しています。

5の6の7、枠々、U国の戦争、SDGs、、、NW〇樹立へ向けて、支配層たちは着々とシナリオを実行に移していっています。
陰謀論でも何でもなく、現実をありのままに見れば、それは明らかなことです。
たとえば、世界経済フォーラムでシュワブ会長は「グレート・リセット」を主張していましたが、彼はそれだけではなく、NW〇創造のためのプログラム全体を策定していました。
おそらく5の6の7も枠々も、あのあべぴょん暗〇だって、、、秘密の会議で話し合われたことに違いありません。
なぜこれほどのことが行われているのに、多くの人は陰謀論などと言って笑って済まそうとするのでしょうか?

数多くの事件、それに自然災害だって、彼らによって引き起こされてきました。
彼らは「46」と「11」という数字の魔術を使ってマーキングしていきます。
とてもあからさまに、、、
阪神淡路大〇災→1995年1月17日5時46分
東日本大〇災→2011年3月11日14時46分
米国同時多発テ〇→2001年9月11日8時46分(NY時間)
いずれも46分に起きています。
乃木坂46、櫻坂46、当然こうしたアイドルグループも、闇の息がかかっているということになります。
地球が誕生したのは46億年前ということになっていますが、本当にそうなのでしょうか?
放射性炭素年代測定法というのは、いったいどれほど当てになるものなのでしょうか?
46という数字を使って、地球の支配者は我々だということをアピールしたいのでしょうか?

11という数字については、米国同時多発テ〇では2001年9月11日8時46分にアメリカン航空11便が、110階建てのツインタワー北棟に激突、、、という風に11が3度も出てきます。
東日本大〇災が起きたのは2011年3月11日で、11が2度出現します。
先月公開された映画「すずめの戸締まり」は、東日本大〇災を大きなテーマとして扱っているので、11月11日に公開されました。
それはまるで、〇災が起きた日付というより、闇の暗号を強調しているかのように、、、



映画には流石に闇のことは描かれていませんでしたが、しかし新海誠監督は、この世に隠された本当の真実を知っているように感じました。
これはただの〇災で傷ついた人たちを慰めるための映画ではなく、その裏に隠されている本当の真実を多くの人に気づいてもらうための起爆剤としての役割があるように感じます。
ダイジン&サダイジンとミミズとの戦いは、間違いなく人類が誕生するずっと以前から戦い続けられてきた光の龍と闇の龍の戦いを表しています。
つまり、巨大地〇を引き起こそうとする存在と、それを阻止して人間を救おうとする存在の戦いです。
それは詰まるところ、人〇削減してNW〇を樹立させ、世界全体をAI(獣)による超監視社会にしようとする存在と、この地球を愛と自由の5次元以上の世界に次元上昇させて、人類を宇宙の仲間入りにさせようとする存在との戦いということです。

最近も、スピ系動画なんかを観ているとワンネスという言葉をよく聞くのですが、「すべては1つ、すべては繋がっている(ワンネス)」というのは世界統一政府(NW〇)という言葉と同じで、これは光も闇も善も悪もごちゃ混ぜにしてわからなくさせようとする支配層の企みであり、大変に危険な言葉です。
この世界には、この宇宙には、とんでもなく凶悪な存在がいます。
その存在は決して光と仲直りしようなどとは思わず、どこまでもどこまでも光を滅ぼそうとしてきます。
ワンネスとかノンデュアリティとかを多用してくるスピリチュアルリストは、後ろに〇魔がついていると見た方がいい。。。
彼ら(彼女ら)に騙される人が多ければ多いほど、この世は闇化します。
そうした集団意識が、巨大地〇を引き起こすのです。
彼らはそれを狙っています。
映画「すずめの戸締まり」に決して公にはできない裏のテーマが隠されているのだとしたら、たぶんそのことなのだと思うのです。

それからあともう1つ、この映画にはとても重要なメッセージが隠されています。
この映画は、「すべての幸せは誰かの犠牲の上に成り立っている」という非常に残酷な現実を突きつけている映画だということです。
ダイジンは、本当は大好きなすずめと一緒にいたかった。
しかし、要石になってしまいそうな草太を救うためにすずめは自分が要石になると言い出し、それを聞いたダイジンはすずめのために再び自分が要石になっていく、、、この映画を観た多くの人が、この部分でダイジンが可哀想だと言って涙していました。
まさにこの部分がこの映画の肝で、新海監督はそれこそがこの世の本当の真実なのだと語っているのです。



自分は今、なぜ生きることができるのか?
心の臓は、自分の意思とは関係なく動いている
他の臓器たちも、休むことなく働き続けている
臓器の1つでも動かなくなれば、僕らは生きることができなくなってしまう
臓器だけではない
数えきれないほどの微生物が、皮膚の表面や腸の中でも生きている
それらの微生物たちが、あらゆる病気から防いでくれている
それなのに殆どの人間は、そういった存在たちに感謝さえしない
それだけではない
この地球という存在、この宇宙という存在
神と呼ばれるような存在にも

僕らはそのことに気づくべきだ
そうすれば、病気にもならない
戦争も起こらない
巨大地〇だって、僕らの力で防ぐことができる
だって今はもう、水瓶座の時代、光の時代なのだから、、。



ところで僕は、いつの間にか閉じ師になってしまったのか?
だから僕は先月、諏訪に導かれたのか?



勝手に拝借しますm(__)m




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pixabay 様 より



どうも前回の記事は、僕はちょっと間違えたことを書いてしまったようです。
そのような感覚が、どこからともなく飛んできます。(表現が難しいのですが、、)
でも大きな間違えはなく、記事全体としてはまあまあの点数のように感じます。
でも、具体的にどこが間違っているのかがわかりません。

僕の中で心当たりがあるのは、闇側が最後の悪足掻きをしていることに気がついている国民が、今のところわずか1%という少なさらしいと書いたことと、僕らはいつしか空を飛ぶこともできるようになり、きっとタヒぬことさえも無くなると書いたことですかね。
気づいている人が1%ということはないのかもしれない、、、意外に10%ぐらいいるのかもしれませんね。
それから、人類が映画『マトリックス』のトリニティのように空を飛べるようになるのは、もっとかなり先のことなのかもしれません。
正直、わかりません。
おそらく、今現在の全人類の覚醒の程度によるのでしょう。
少なくとも今現在の全人類の‟思考”が、、集団意識が、、、未来を形作っているのは間違いないようです。
そのように未来が形成されたあとに、そうなるまでの‟過去”というプロセスが形作られていく訳です。
僕はその集団意識を、毎日の祈りと瞑想によって無理やり光側へと押し上げている訳です。



今日はレムリアの日、、スサノオが復活する日。
本来はこの日は、新しい時代の夜明けを祝う日であるハズなのですが、しかし闇側はこの日をきっかけに、世界大戦や天変地異を起こそうと画策してきました。
メディアはR国が木亥を使うかもしれないと国民を脅しています。
C国が、、北朝魚羊が、、今度は日本の都市にアレを落とすかもしれないと、、、
首都直下型を、、南海トラフを、、、そうやってヤツらは本当に起こしたいのです。
メディアを使い、‟恐怖”という名の集団意識によって、本当に起こそうとしているのです。

日月神示には、9月と10月の8日と18日が要注意日と書いてありました。
占星術的には、10月7日辺りが危険ということでした。
そして10月8日に、クリミア半島とR国を結ぶ「クリミア橋」で爆発が起き、一部が崩落するというニュースがありました。
クリミア橋はプーさんが肝煎りで建設したもので、R国のU国南部への侵攻を支える補給線とのことでした。
爆発原因を調査していた捜査委員会のバストリキン委員長は、「U国の特殊部隊によるテロ攻撃だと明確な結論を導き出すことができる」とプーさんに報告しています。
U国側は、ポドリャク大統領府長官顧問が爆発後に、「これが始まりだ。違法なものはすべて壊されなければならない」とツイッターに投稿しています。

それだけでなく、今月に入ってからノルドストリーム2(R国から独を始めとするEU諸国に天然ガスを供給するパイプライン)が爆破されて、ガスが漏れて使用不能になりました。
「バイ爺さん民主党御用達」の欧米オールドメディアは、何の証拠もなく「R国犯人説」を押し出した記事を垂れ流しました。
これに対しR国際問題評議会のコルトゥノフ氏は、「R国はいつも非難されるが、(パイプラインは)R国の財産なので、R国が損害を与えるというのはあまり論理的とは思えない。欧州の人々の生活を苦しくさせる方法は他にもある。インフラに損害を与えず、ガスの供給をストップさせるだけでいい」と、、、

まあ、こうしたU国の、、いやもっと言ってしまえば、米のDS側の、つまり〇魔崇拝者たちのR国へのこうした嫌がらせはある程度は予想はしていました。
問題は、プーさんがどれだけ耐えることができるのかということ。。
ヤツらの挑発に乗らないかということ。。。

しかし昨日の10日、R国はU国の首都キーウなどに80発以上のミサイルが撃ち込み、少なくとも14人がタヒ亡、97人がけがをしたとのことです。
そしてプーさんは、これをクリミア橋爆破の報復攻撃だと認めたとのことです。

これはフェイク報道ではないと思います。
決して、茶番ではないのです。
本当に今、こうしたことが現実に起こっているということを、しっかりと認識することです。
2つの眼で、耳の穴をかっぽじって、これらの事実を真で捉えることが何よりも大事です。
こんな状況になっても、厭世的で頭がお花畑になっているのであれば、それこそが〇魔の誘惑であり、あなたは騙されているのです。
このような状況になっても、「世の中どんどん良くなっている」などと言っているヤツは、間違いなく〇魔側の人間です。

今はどちらに転ぶかわからない非常に緊迫した状況なので、本当に油断が出来ないのです。
世の中がこれから本当に良くなるかならないかは、今のこの瞬間にかかっているといってもいいのです。
覚醒者が各々で祈り、瞑想して、未来設定を変えていくしかないのです。
そして重要なのが、今のこの苦境を乗り越えた先に、必ず人類は5次元世界へ行くことができるということ。。
人類が生き残る術は、もはやそれしかない訳です。
そして、これからの数年間、モノの価値観が180度変わっていきます。
すべて地球的なものから宇宙的なものへと変化していきます。
それがあなたにとって喜ぶべきことなのか?悲しむべきものなのかはわかりませんが、、、
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pixabay 様 より



昨年の末に、木亥戦争が起こる夢を僕は見ました。
あまりにリアルな夢だったので、間違いなくこれは霊的なメッセージの夢だと思いました。
年が明けるまで修行をして身を清め神に祈り、それによって木亥戦争だけはとりあえず回避されるのを初日の出を見て僕は知りました。
しかし修行を怠ったら、どうやらすべてが水の泡になるようでした。

これは修行によって僕だけ世界線が変わっていくということなのか、それとも自分の修行が全人類を救うことになっていくのか、、、というのがわかりませんでした。
しかしどうやら、僕も含めて殆どの人は、肉体を持ったままこのパラレルワールドから抜け出すことなど不可能とのことです。
つまり、自分だけが世界線を乗り越えていくのではなく、詰まるところ、人類が5次元に行くことができるかどうかに、僕の祈りが大きく関わっているということになります。
本当に信じられない話ですが、そういうことになるのです。
あまりにも突飛押しもない話なので、信じなくてもいいです。
僕の天命は、ただひたすらに神に忠実に従うことを喜びと捉え、魔法の言葉とイメージ力で地球を浄化し、封印されし古代の神々を復活させ、地球を宇宙の仲間にし、全人類を5次元世界へと誘導すること。
僕のような存在は、他にもこの地球上に何人もいると思います。
彼らと共に、この地球を闇のシナリオのようにはさせません。

実をいうと、ここ数日間、もの凄い体調不良に襲われたり、〇霊に取り憑かれそうになったりと、かなり大変でした。
7日の辺りに、ある事情で1日マントラを唱えなかった日があったのですが、それだけでとんでもないことになってしまったのです。
危機的状況に追い込まれてからが僕の真骨頂で、翌日の夜は凄まじいイメージ力で光を地上に降ろし大地を浄化しました。
その次の日はさらに強く、、
「クリミア橋」の爆発によって、戦禍がこれ以上広がらないようにと、、、
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イランのマフサ・アミニさんの悲劇(9月13日にヒジャブ着用を義務づける法律に違反したとして、道徳警察に逮捕・拘束され、その後死亡した)に対し、イランだけでなく、中東・北アフリカ地域や世界各国の女性たちも立ち上がり、多くの女性たちが街頭に出て、ヒジャブを脱いだり燃やしたり髪を切ったりして抗議デモを起こしているそうです。
魚座の時代(男性性優位の時代)から水瓶座の時代(女性性優位の時代)に移り変わった訳ですから、こういったことが目に見える形でこれからもっと起きてくるハズです。

伊初の女性首相になったメ〇ーニ首相について、日本でもムッソリーニのファシスト政権(1922~43)以来100年ぶりの「極右首相」などと報道していましたが、メ〇ーニ首相の思想は極普通だと思うのですが、DS側にとっては極右なのでしょう。
仏のル〇ン氏についても極右という表現をしていましたが、僕から見ればマク〇ン大統領の方がよっぽど○○ですがね。
兎にも角にも、仏のル〇ン氏は叶いませんでしたが、メ〇ーニ氏が首相になったことは、これも時代が大きく変化していく先駆けになればと願ってやみません。

それから、北京大学の教授の袁紅氏が、あべぴょん暗〇の首謀者は、C国の極秘国際テロ組織・中央対外連絡部のトップ、劉建〇であると暴露しています。
このことはきっと、日本のル〇ン氏である高〇早苗氏が中心となって解明していくのでしょう。
高〇氏といえば、9月28日にBSフジ「プライムニュース」で、今年5月に成立した経済安保推進法について、「セキュリティー・クリアランス」制度の追加が焦点となっていることを司会者が質問すると、高〇氏は「経済安全保障推進法の改正案として、これを入れ込んだものを出したい。この秋は(提出は)全然間に合わない。それと、担当相に就任した日に『C国という言葉を出さないでくれ』と、『来年の通常国会に提出するとは、口が裂けてもいわないでくれ』といわれた」と暴露していました。
そして、「明日クビになったらすいません。ごきげんよう」と、、、
これに対しダ―キシは沈黙しています。

このように、光と闇の戦いが一進一退を繰り返してのがわかるかと思います。
U国での火種がこれ以上広がらないように、プーさんがこれからも光側でいるように、そしてまかり間違っても○○だけは起こさないように、闇の勢力のこれまでの悪事の数々が暴露され、多くの人が目覚めていくように、日本が中心となってレムリアの時代、精神中心の文化が発展していくように、僕はこれからも毎日祈り続けます。
このブログを読まれた方も、一緒に祈ってください。
アクセス数は少ないですが、何人かの人気YouTuberさんがいらしているのはわかっています。
とても有難いことです。
僕の意志が、このブログを通して、多くの人に伝わっていっているのがわかります。
目に見えない繋がりが、この世の中を大きく動かしています。
すべては無駄ではない、、でもこれからが本番。。。

印では、エリザ英女王タヒ去を機に英王室の王冠に飾られたダイヤモンド「コイヌール」の返還を求める声が再燃しているそうです。
「印から盗まれた」「英が働いた歴史的略奪の証しだ」と、、、
コイヌールは「世界で最も有名なダイヤの一つ」と称されていて、ペルシャ語で「光の山」を意味するそうです。
印では独立以来、所有権に関する議論がたびたび浮上してきたそうです。
しかし度重なる返還要求に、英は応じてきませんでした。
言い伝えでは、コイヌールは男性が所有すると破滅するとのこと。
英紙デーリー・メール(電子版)は、チャールズ国王の即位を受け、コイヌールの次の持ち主はカミラ王妃になるだろうと伝えています。

「支配の象徴」だったダイヤ、そしてそれを男性が所有すると破滅する、、、
これも世界が女性性の時代へと移り変わろうとしている、何とも象徴的な出来事ですね。
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最近なぜだか、映画『ロード・オブ・ザ・リング』がどうしても観たくなってしまい、そういえば「スペシャル・エクステンデッド・エディション」(完全版)はまだ観たことがなかったなと思い、DVDを借りてきて観ました。
三部作の3作目はずっと戦闘シーンが続いていくので、とても観られたものではなかったのですが、1~2作目は僕は結構好きで、特にエルフたちが住むロスローリエン ( Lothlórien 、「花咲く地」の意)の森に僕は魅了されてしまったのを覚えています。
公開されたのが2001年ということなので、実に21年ぶりにこの映画を観たということになります。

急にこの映画が観たくなったというのも、何かあるのかと思っていたのですが、、、観ていて大切なことを2つ見つけました。
主人公フロド・バギンズの仲間であっても、ボロミアのように指輪への欲望を抑えられない者もいました。
ロスローリエンの森の奥方のガラドリエルも、フロドから指輪を奪おうとしますが、その欲望を克服することによって「試練に勝った!私は海の向こうのエルフの故郷に去ります」と言いました。
ワーグナーの『ニーベルングの指輪』も、指輪を手にしたものは世界を征することができるが、しかしタヒの呪いもかけられているというものでした。
原作者のJ.R.R.トールキンは、おそらくこのオペラをオマージュして作っているのでしょう。
これはキリスト教の「七つの大罪」から来ているような気がします。
七つの大罪とは、「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「暴食」、「色欲」のことです。
この7種類の悪しき感情、欲望を人間は必ず1つは持っていて、それを克服することによって、天国に行くことができるというものです。
僕はこの欲望を克服することによって、レムリアへの道が開かれるのだと思っています。
その道というのは宗教とは凡そかけ離れたもので、それは宇宙の秩序に沿ったもので、真の神の愛と調和に満たされた世界へと向かう道なのです。

それから2つ目は、1作目の最後の魔法使いガンダルフの「今、自分が何をすべきかを考えることだ」という言葉。
本当に、胸に突き刺さる言葉です。
今僕がすべきことは、ガヤトリーマントラを唱えること、瞑想すること、、そして祈ること。
それによって、地球を闇支配から救うということ。
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今日の最後のMVは、「The Lord of the Rings: Lothlórien Ambience & Music」という動画にします。
3時間もある動画ですが(どうやら長いヴァリエーション⦅変奏曲⦆&ループになっているようです)、僕が是非聴いて欲しい部分は、39:35(1:05:41)からの数分間です。
その部分は、まさにレムリアンミュージックです。
作曲したハワード・ショア(Howard Shore)さんは、レムリアを意識して作ったのではないかと思ってしまうくらい、、

僕にはどうしても、ホビットというのは古代の日本人のように思えて仕方がないのです。
背が低く、欲が無く、お人好しで、働くのが大好きで、、、そしてどこから来た人に対してもウェルカム。
そして、ホビットのフロド・バギンズの冒険が世界を救う。
ガラドリエルはフロドに、「もっとも小さき者たちが、世界の未来を変えるのです」と言いました。
ロスローリエンの森は、ひょっとしたら日本の東北地方にあるのかもしれない。
東北地方は縄文時代の中心地であり、縄文とはレムリアのことであり、レムリアで拝まれていた神はスサノオであり、艮の金神であり、国之常立神であり、この神様が今日、10月11日に復活する。。。
この曲を聴きながら、レムリアを想うのもいいかもしれません。



勝手に拝借しますm(__)m




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あべぴょんがいなくなり、自民と旧統〇教会の癒着が問題となって、人々は新興宗教=悪という認識が強くなって、その波は宗教だけに留まらず、それはやがてはスピ系などの非科学的な分野を端へ追いやり、唯物論・科学崇拝を正論とする考え方を主流にしていくのでしょう。
これから益々、目に見えないものすべてを否定する論調が強くなっていくのが目に見えます。
共産化を抑える役割を持っていた旧統〇教会(勝共連合)の崩壊により、いよいよ日本を共産化させようとする勢力が本格的に動き出すという訳です。
天皇制廃止論が強くなり、やがては日本中の神社仏閣は倒され、教会も倒され、その内に神や仏を拝んだだけで逮捕されるような時代が来るかもしれません。
自民の崩壊は、このようにして最終的には日本国全体の崩壊へと繋がっていき、それが現実化すれば闇側の念願だったNW〇樹立をこの日本で起こすことができる訳で、そうなればもう闇の世界征服は完了したも同然で、そして我々に待ち構えているのがAIによる超監視社会です。
運良く5億人に入れればということですが、、もしくはメタバース世界に送られるか、、、

そう書いたところで、いったいどれだけの人がこのことを信じるというのでしょうか?
最近矢鱈と、「日本終了」とか「殲滅」といったようなタイトルの動画が多い気がします。
ただ煽っているだけなのか?本心から危機を伝えているのか?、、わかりませんが、、、
殆どの視聴者は、とても面白い陰謀論だね、凄くワクワクするね、としか思っていないのかもしれません。
でも、色々と自分で調べてみてください。
そして、考えてみてください。
賢い人なら、きっとその信憑性は高いと思えるハズです。
枠々打って、テレビに洗脳されて、テレビで御用学者が言っていることを真に受けて思考停止状態になっているのなら、コレっぽっちも信じないとは思いますが、、

つまり、日本は徐々に左翼化していっているっていうことです。
日本だけでなく、世界中が、、特に米が、、、
そしてそのことは、この前の参院選の時にもあまり触れられることはなかった。
触れていた候補者は少しだけいましたが、まったくメディアに採り上げられることはなかったですし、まったく相手にもされなかった。
なぜならNW〇は、誰にも気づかれないように、ゆっくりとゆっくりと計画を推し進めていかなければならないのだから、、、

そして逆らう者は容赦しない、、たとえ元首相だろうが何だろうが、、、
きっと犯人はモ〇ド、、、ヤツらは「靴のデザート」で警告し、そして実行した。
これは、ア・ユダヤ人とス・ユダヤ人の裏側で起こっている大戦争。
そしてそれは同時に、プーさんへの脅迫状でもあった。
つまり、すべての元凶はU戦争にあるということです。
もし、このことを徹底的に完全否定する人がいたら、その人は闇側(NW〇、〇魔崇拝者、地球の看守)の手先と見て間違いありません。
普通の人間ならどんなに洗脳されていても、そもそも洗脳されるくらいなのだから、完全否定までする能力はないハズ。



もし、コレっぽっちもこのような世界に「希望」を見出すことが出来ないのだったら、このようなブログ記事を書いていても無用の長物になるだけです。
パンドラの箱に唯一残された「希望」のように、たとえ今がどのような状態であるにせよ、「希望」は最後まで必ず残されているものです。

前回のブログは、タルコフスキーを採り上げました。
僕はタルコフスキーの映画にこそ、その唯一の「希望」が隠されているのだと考えているのです。
彼の映画は「覚醒」するための智恵の宝庫であり、彼の映画を知らずして、この地球の次元上昇はあり得ないとまで思っているのです。

「覚醒」とは、この世界は闇側に支配されているということに気づくこと、、、という風に陰謀系やスピ系ではいわれていますが、僕の中の真実はだいぶ違います。
もちろん僕もそうしたことをこれまでずっとブログに書いてきた訳ですし、それはとても大事なことには違いありません。
しかし、それはあくまで最低限度の話であって、本当の本質はそうしたことではありません。
都市伝説系で、サムネに「いい加減気づけよ!」なんて書いてある動画もたくさんありますが、闇側はそういうのも上手く利用していて、8割本当のことを語り、2割のウソで人々を闇側へ誘導したりしています。
本当の「覚醒」とは、そんな知識とか3次元物質的なものではなく、もっと奥深いもので、言うなればそれは次元を超越したというか、言葉で言い表すことの出来ない感覚(超感覚)的なものだと僕は考えるのです。
本当の「覚醒」とは、闇側が一番恐れているものです。

タルコフスキーの映画は、まさに「霊的」といえるものです。
意味不明と思われがちなタルコフスキーの映画を観て、もしそれを理解することができたのなら、あるいは少なくとも「好きだ」と思えたのなら、その人は「霊的」に「覚醒」した人、あるいはその見込みのある人ということになります。
日本人でタルコフスキーが好きと答える人が意外と多いのは、日本という国が極めて「霊的」な国だからです。
タルコフスキー自身、日本が大好きで、『惑星ソラリス』では日本の首都高を近未来都市に見立てて撮影していたり、『サクリファイス』では日本の松が出てきたり、主人公が日本を思わせる服を着たりしていました。
首都高のシーンは飽きてしまうくらいにとても長いのですが、なぜあんなにも長くする必要があったのか?
おそらく近未来都市というのは本心からではなく、タルコフスキーにとって日本という国がとても重要な意味を持っていたからなのだと感じます。
solaris_tarkovsky
僕がタルコフスキーの映画(6本)を映画館で初めて観たのは、考えてみると、もう30年以上も前のことです。
その後、テレビで放映されているのを観たり、レンタルで借りてきて観たりしたこともあったのですが、前回のブログ記事を書いた後でまた観たくなってきて、SFにターゲットを絞って『惑星ソラリス』と『ストーカー』の2本のDVDを借りてきてもう一度観てみました。
どちらも観るのは、おそらく3回目だと思います。
どちらの映画もあまりに抽象的というか哲学的なので、最初に映画館で観た時には僕はおそらく半分も理解できていなかったかもしれない、、
でも今回DVDを借りてきて観て感じたことは、まったく難しいとは感じなくて、むしろ何の抵抗もなくスーっと映画のすべてが身体の中へと浸透していくような感じがしました。
その衝撃を、いったいどのように言い表せばよいのやら、、、?
僕はこれらの映画を観るために、これらの映画と出会うために生まれてきた、、といっても大袈裟ではないくらいに、、、
なんとなく、、だったのが、なんとなくどころではなく、それがすべてだと言い切れてしまうくらいに、、、

『惑星ソラリス』で、スナウトという学者がこんなことを語っています。↓


科学?バカバカしい。
こんな状況にあっては、科学もクソもありゃしない。
我々は宇宙の征服など考えるべきではない。
地球の開発だけで充分だ。
別の世界は理解できないし、する必要もない。
我々に必要なのは‟鏡”だ。
だが、接触すべき対象はいまだ見つからず、化け物に向かい、猪突猛進するような愚かな状況に陥っている。
人間には人間が必要なのだ。


また『ストーカー』において、作家が教授にこんなことを言います。↓


ねえ 教授さん さっきのひらめきの話だが
私が部屋(人間の一番切実な望みを叶えるといわれている部屋)に入った結果
天才作家になっても何の意味もない
人間が物を書くのは苦しみ 疑うからだ
自分や周囲に己の価値を証明したいからですよ
自分が天才だと分かったら 何のために書くんです?、、必要ありません
・・・(途中略)・・・
あなた方の科学技術など 溶鉱炉や車輪、その他もろもろは
より少なく働き より多く食らうための 怠惰の象徴ですよ
人類が存在するのは 創造するためです、、、芸術作品をね
それは人間の他の活動に比べれば無欲に近い
真理の探究など意味がない 錯覚に過ぎません
聞いてますか 教授?


いずれも、科学妄信者への知的で痛烈な皮肉を語っていると思うのです。
作家はさらに続けて、教授にこう言っています。
「知的特権階級とは 抽象的思考力がない、、、」
これは当時のソ連という社会主義政治体制への、タルコフスキー自身の心の叫びだったような気がします。
思えば今の日本も、今の世界情勢も、共産化への勢いが増している訳です。
今一度、タルコフスキーの映画を見直してみるべき時に来ているのではないかと思うのです。

作家は、またこんなことも語っています↓


こうして実験を続け 事実を証明するのか? 事実など存在するものか
ゾーン(言わば複雑な罠で、その罠にかかれば命がない、ゾーンの中に「部屋」がある、ストーカーとはその部屋への道先案内人)の謎だって?
そんなもの だれかの想像上の産物さ
それを究明しようという 何のために?
その知が何を生むのだ? 良心の呵責が理由か? 私の良心か? 良心などない
あるのは神経だけだ どこかのバカに罵られて傷つき 別のバカに褒められまた傷つく
みんな私の魂も心も食いつくそうとする 恥まで引きずり出し むさぼる
ひとりひとりは教養もあるが 皆 感覚的に飢えてるんだ
束になって原稿を急かす ジャーナリストや編集者 批評家 女どもが騒ぐ
‟早く書け 早く書け”と
私が作家だと? 書くことを嫌悪している この私が?
苦しみだ 病的で恥ずべき行為だ 痔を押しつぶすような
自分の本がだれかのためになるとも考えたが そうはいかない
私が死ねば忘れられ 別の人間が餌食になる
私は奴らを変えようとして 逆に同類になってしまった
以前は未来が現在の続きにすぎなかったが
地平線のあたりで混乱して 未来は現在に合流した
分かっているのか? 奴らは知ろうとしない むさぼるだけだ


『惑星ソラリス』にも、‟良心”という言葉が出てきます。
我々人間は、大切な何かを忘れて生きています。
しかしタヒを目前にした時に、なぜなのか?、、みんな忘れていた何かを思い出すのです。
だから、安らかに眠ることさえもできない、、、
でも実に奇妙なことに、子供の頃からすでに気づいている者たちもいる訳です。
あるいは僕のように、目に見えない者たちによって大人になってから気づかされる者もいたりする。
気づいたところで だからどうなるというのだ!
それを誰かに伝えたところで 病院送りにされるだけだ!
そのように考える人も多い訳です。

しかし宇宙は人々に伝えたいのです。
だから宇宙は地球に、次々と使者を送り込む。
ニュートリノとは結局、人間の心の奥の‟良心”であり、‟鏡”なのです。
しかしその‟良心”は この現代社会で生きる我々にとっては‟苦痛”であり、しかしその‟苦痛”こそが 我々にとって唯一の‟希望”。
『ストーカー』では、ヨハネの黙示録第6章の一節が登場してきます。
そして今がその黙示録の時、、いや、ヤツらの計画、、、
しかし、その唯一の‟希望”を大切にする者たちが きっとこの地球を再生することができるのです。
今こそ、‟カガミ(鏡)”の‟ガ(我)”を取って ‟カミ(神、火水)”と向き合うべき時なのです。
それができれば、真の神のお導きにより、大難を小難に、そして無難にしていくことができるのです。
それはそのように信じているということではなく、霊的な側面から、そして科学的な側面からも見て、僕の中でその可能性は極めて高いということなのです。


ヨハネの黙示録第6章12‐17

私が見ていると 大地震が起こって
太陽は毛織の荒布のように黒くなり 月は全面血のようになり
天の星はいちじくのまだ青い実が 大風の揺られて振り落とされるように地に落ちた
天は巻き物が巻かれるように消えていき
すべての山と島とは その場所から移されてしまった
地の王たち 高官 千卒長 富める者 勇者 奴隷 自由人らは
ほら穴や山の岩かげに身をかくした
そして山と岩とに向かって言った
さあわれわれをおおって御座にいます方の御顔と 小羊の怒りとからかくまってくれ
御怒りの大いなる日が来たのだ
その前に立つことができようか


このストーカーの言葉も、「覚醒」するためのとても素晴らしいヒントです。↓


振動させ続けなさい あなたの心に
生じたその響きを 情熱と称するものは魂の力ではなくて 魂と外界の摩擦だ
気をいっぱいにして脆弱であれ 幼子のように 弱くあれ
弱いことは偉大であり 強いことは無価値だ
人は生まれたときは 弱くやわらかい
死ぬときは堅く干からびている
木は成長するとき やわらかくしなやかだ
乾き堅くなると木は枯れる
堅さと強さはタヒの仲間だ
やわらかさと弱さは みずみずしさの表れだ
堅くなったものは勝つことがない


‟信じる”という言葉は僕は嫌いだ
何かを信じてみたところで いつも碌なことにはならない
あの山〇容疑者の母親のように 〇魔崇拝者たちの格好の餌食になるだけだ
信じるということは 現実から目を背け 盲目になるということにも繋がるのだ

何かを‟体感”するということは より真実に近づくということだ
信じるのではなく 体感することによって 疑う余地がなくなる訳だ
要は 体感することができるかできないか それによって今を生きる意味も天と地ほどに変わってくる
科学的にというのもそうだが 同時に霊的にということもだ

高次元と繋がるのは難しいが 最初は繋がりやすい低次元に繋がるのも1つの手かもしれない
ただし 命の保証はできないが、、
思い存分に体感できたのなら しっかりとお祓いはしておくべきだ
願いが叶ったからとか 占いが当たったからといって信じてはダメだ
ヤツらは決まって 人間の欲望を引き出し罠にハメようとする
いっぱい甘い汁を吸わせた後で ヤツらは地獄に落とすぞ

真の神を知ることだ
真の神は 絶対に個人の幸せなど叶えない
大事なのはそういうことではなく 兎にも角にも神と繋がり その存在を知るということなのだ
弱くあれ 柔軟であれ そしてみずみずしくあれ
それはタルコフスキーの映画だけではなく 宮崎駿監督のアニメの中にも顕されている
ナウシカやもののけ姫の中にもね
彼らは間違いなく この世の真の姿を知っている
彼らはきっと 真の神と繋がったのだ
そして真の芸術とは そうしたものでなければならない
だから闇側の人間は 彼らの作品を毛嫌いするのだ



最後に、『惑星ソラリス』のテーマ曲のJ.S.バッハの「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639の電子音楽編曲の動画を載せます。
どうしてこんなにも、タルコフスキーの映画はバッハがよく合うのでしょうか?
ブリューゲルの絵画も、とても感慨深いものがあります。



勝手に拝借しますm(__)m




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