piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

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前回の記事に、6月11日に何かあるかもしれないとか書いていたんですが、特に何もありませんでした。
この日は、東京アラート解除と関東地方が梅雨入りしたぐらいかな?
悪いことが起こらなくて良かったという見方もできますが、、
それにしても、予言みたいなことをブログに書いたのは初めてで、しかも外れた時の言い訳なんかも考えたりして、柄にもないことはするもんじゃないですね。。。(大汗)

それは兎も角、夢に出てきた本当の日付は11月6日だからまだ5ヵ月も先ですが、こちらの方はかなり可能性が高いと思っています。
6月11日という日付は「あの世とこの世は鏡合わせ・・・」とか言って自分の頭の中で考え出してしまったことなので、そういうのはだいたい間違っているもの、、
予言というのは、そもそも人間が頭で考え出すものではなく、人知を超えたところから降って来るものです。
でも、もちろん何度も書いているように、人知を超えたところといってもその約7~8割は魔界系なので、気をつけていなければなりません、、、

世の中には色々な方がいらして、「願いが叶う」系の殆どは魔界系なので、魔界系を好む人は結構います。
(本物は個人の幸せよりも、より多くの他人の幸せを願い叶えるもの、世界平和とか)
黒魔術とかに嵌る人も多いようですが、今の僕は頭痛や吐き気を催してきてしまうのでとてもとても無理です。
僕もこれまで似たような世界にずっといて、その世界からやっと抜け出して新鮮な空気を吸っているところで、魔界にはもう懲り懲りで、あの世界には二度と戻りたくはない訳です。

そんなことを書いても、普通の人にはまったく理解できませんね。。
そこで今日は、前々回の記事にも予告していましたが、スウェーデンボルグ(1688~1772)という人物について書いていこうと思います。
彼は霊界(あの世)の世界のことを詳細に書き記していて、僕の不可思議体験と符合する部分もとても多いです。
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エマニュエル・スウェーデンボルグ
は18世紀のスウェーデンの偉大な科学者で、自然研究家で、発明家で、また貴族院議員でもあり、霊能者でもありました。
日本ではあまり知られていないかもしれませんが、もしスウェーデンボルグが現代に生きていたらノーベル賞を鼻歌を歌いながら5つも6つも取っていただろうといわれている人物です。
彼はゲーテやヘレン・ケラー、日本人では内村鑑三や鈴木大拙などに影響を与えています。
(ゲーテの『ファウスト』は、まさにスウェーデンボルグによるところが大きい)
またリンカーンやドストエフスキー、夏目漱石にも影響を与えていたとする学者もいます。
逆にカントは、『視霊者の夢』という彼を批判した本を書いています。

彼は11歳でウプサラ大学に入学し、大学を出ると当時の科学の先進国イギリスに渡り、ニュートンなどの一流の学者と交流し、28歳までの時期はイギリス、フランス、オランダなどの各国の一流物理学者、天文学者、数学者などと接触して自分の学問の基礎を固めていきました。
帰国した彼は、スウェーデン国王カール12世から鉱山局の監督官に任命され、戦争の資金やスウェーデンの工業発展に貢献していきます。
そして蒸気機関・潜水艦・飛行機などを構想したり、現代の物理学につながる先駆的な理論をも生み出していて、30歳になるかならないかという若さで、様々な分野で学者たちを驚愕させる著作を次々と発表していきます。

やがて彼は科学や工学の研究を続けていく中で、真理は物質の中にではなく有機的な生命の中にあると考えるようになり、生理学や解剖学の研究に没頭し始めます。
特に脳と身体の関係に注目し、大脳作用の意義を初めて明らかにしたり、右脳と左脳の理論などを発表したりして、現代の脳科学の先駆者となりました。
しかし、いくら脳と身体の関係を研究しても人間の本質には辿り着けず、真理は肉体の生命の中には無いのではないかと考えるようになり、今度は宗教の研究に没頭し始めます。



そして58歳のある日、イギリスのとあるレストランでひとり夕食をとっていた時、「ちょっと食べすぎたな」と思っていると、彼の目にヘビやカエルなどの気味の悪いヴィジョンが突如として現われ、それが消えた後に今度は一人の人物が現れて、「汝、あまり食を過ごすなかれ」と言って消えたのだそうです。
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家に戻ってから、机で明日の仕事で使う書類をまとめているうちに寝落ちしてしまい、ハッと目を覚ますとあのレストランに現れた人物が再び現れ、「我、汝を人間死後の世界、霊の世界へ伴なわん。汝そこにて霊たちと交わり、その世界にて見聞きしたることをありのままに記し、世の人々に伝えよ・・・」と言ったそうです。
このイエス・キリストと思われる人物の出現によって、彼は身体をこの世に置いたまま霊界に行けるようになります。

彼はヘビやカエルのヴィジョンによって、「学問」というものが「食」と大差のない低級で現世的な楽しみに過ぎないことを悟り、もっと高い自分の使命に進むことを決心します。
「ガラクタのような」学問を捨て、霊界の真理、宇宙と人間の真理を人々に伝える「霊界のレポーター」に変身したのです。

しかし、それはキリスト教の伝統的教説と異なる点が多いので、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展するのですが、王室の庇護により回避されています。
生前には公開されなかった『霊界日記』にも、使徒パウロが地獄に堕ちているとしていたり、ダビデを「ドラゴン」と呼び彼も地獄に堕ちていると記されているので、現在でもキリスト教会からは批判されています。
また、彼は月や火星などの惑星にも人間が暮らしていると主張しているのですが、キリスト教にとって空は神の領域であって、月人や火星人など以ての外なのです。

もちろんキリスト教徒でなくても、現代人の多くは「地球以外の太陽系惑星に人間が暮らしている」なんて話はまったく信じないと思います。
金星は灼熱地獄で、木星はアンモニアの嵐が吹き荒れていて、とてもとても生物が生きられるような環境ではないからですが、真実はどうやら5次元以上の高次元に暮らしているようです。
現在、ネットでは異次元の存在が色々と叫ばれていますが、今から300年も前に、もうそのことを知っていた人物がいたということです。



永遠の眠りについた死者・・・物質界、自然界的にみれば、人間の肉体の死は、この世のすべての終わり、、
しかし霊界の側からみれば、その肉体をこの世におけるひとつの道具として使用していた霊が肉体の使用を止め、その支配力を失ったに過ぎない
やがて霊界から大いなる光と共に、導きの霊がやって来る
(この辺は、サアラ(Saarahat)さんの本と照らし合わせていくと面白いです)

霊は何かを失ったのではなく、ひとつの世界からもうひとつの世界へ移住するだけ
以前と同じように身体とその感覚もあり、理性も意志も生きていた時と同じ
考え方も情愛も、また感覚も欲望もまったく同じ

衣服はその人の理知に反映され、食事は真理を知ることであり
住居は神から無償で与えられ、その人の理性と意志の状態に応じて姿形や環境も変わる
そこは心の中の本性がストレートに反映されていく世界

そして、この世に太陽があるように、あの世にも「霊界の太陽」というものが存在している
実は、すべての生命の根源がこの「霊界の太陽」であり、「霊界の太陽」から発している「霊流(間接霊流)」によって、霊界全体が繋ぎ合わされ存在している
この光は霊たちにものを見せ、ものを考える理性の基本となり、その熱は霊たちに生命を与える
「霊流」はこの3次元物質世界にも届き、地球上のすべての生きとし生けるもののエネルギー源となっている
「霊界の太陽」に近づけば近づくほど天国(高次元)となり、離れれば離れるほど地獄(低次元)となる
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「霊界の太陽」、それこそが神であり、その熱と光によって万物を育むように、神はその愛と智恵によって人間を育む
人間は神から意志と理性が与えられ、意志は神の愛を受け、理性は神の智恵を受け、意志によって善を求め、理性によって真理を求め、善と真理を究めれば究めるほど、人間は神に向かって上昇していく

「神への愛」と「隣人への愛」に生きる者は天国を造り、「自己愛」と「世間愛」に生きる者は地獄を造る
(「自己愛」とは、自分のために他人から喜びを奪い取ることであり、「世間愛」とは、隣人が持っているものを自分のものにしたいという欲求のこと)
天国と地獄の違いは、「愛の質」の違いだということ

人間の死後、精霊となった者のうち、どんな者が地獄へ行くのか・・・
それは「自己愛」や「世間愛」が強いがために「霊」に眼ざめることができず、霊界の存在が見えない精霊たち
その者たちは、神の愛である「霊流」から逃げるように、自ら進んで光の届き難い地下世界へと入っていく
その者たちは、人間界にいた時、物質的欲望、色欲、世間的名誉欲、支配欲といった人間の外面的、表面的感覚を喜ばすことのみに心を用いて、本当の「霊的」な事柄を極端にないがしろにしていたのだ
だから地獄から発する臭いに引き寄せられ、卑しい欲の満足のために自ら好んで頭から突っ込んで行く
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そこで待っているのは、永遠の苦しみ
一度足を踏み入れたら最後、彼らの餌食となり、彼らの奴隷としての生涯を送ることになる
欲に引き寄せられて酷い目にあい、酷い目にあった後で再び欲に引き寄せられ、そうやって何度も何度も同じことを繰り返していく中で自分の罪を厭うようになる
その時初めて、地獄から抜け出すことができる

霊たちがどの世界に属すのかということは固定されてはいない
つまり、絶えず変化している
霊たちは常に霊的純化の修行を続けていて、その霊的人格の向上に伴って、より上のレベルの世界へと移っていく
そして最上の天上界は、美しさと輝きに満ち溢れた世界
その世界を一言で言い表すとしたら・・・

ひとりの霊の幸福が
すべての霊の幸福であり
すべての霊の幸福が
ひとりの霊の幸福である

他者の罪を負い、他者のために自分を犠牲にする者の世界
「霊界の太陽」に近い天上界は、怠惰とは無縁の生命と活動に溢れかえった世界
天上界の霊たちは、霊界全体に役立つことをそれぞれの仕事として絶えず遂行している
究極の天上界においても、そのような止むことのない修行と純化
————いわば新たな創造が続けられている
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スウェーデンボルグが見てきた霊界を簡単に要約すれば、こういうことになるのではないかと思います。
この世界がいかに地獄世界に似ているかということが、これでよくわかるかと思います。
「自己愛」や「世間愛」は、持っていて当たり前という世界です。
「隣人への愛」とか「自己犠牲」なんて言ったら、頭がおかしいのではないかと思われてしまいます。

聖書のマタイ伝には、このような記述があります。
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。
「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24・1-3)
「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。」(マタイ24・37-39)

つまり、ノアの大洪水の時の状況と今の現在の状況はまったく同じだと、今から2000年前にイエスが語っているのです。
長い間人口は2憶人程度だったのが、産業革命の時に突然人口爆発が起き、そして今や世界人口は77憶人。
1%の支配層が9割の富を握りしめ、後の1割の富を99%の人間が醜い奪い合いをしている。

日本の一般人の殆どが今の自分の幸せのことしか考えていなくて、あの世のことなんて考えてもわからないから葬式などはすべてお坊さん任せ。
困った時だけは神頼みで神社へお参りに、、、
我欲ばかりで感謝も何もないから、神様も飽き飽きして今や神様のおられる神社などめっきり少なくなりました。
神様がいなくなった神社は、完全に悪霊たちの温床と化します。
神社が汚れれば街が汚れていき、そこに住む住民たちの心が汚れていきます。
それはそれは酷い状態といえます。
この世はまさに、悪魔が思い描いていた世界。
つまり、「霊界の太陽」の光が最も届き難くなった時代といえるのです。

現代科学において確認できる最小の素粒子は、10マイナス19乗という大きさ。
ひも理論によれば、最小の素粒子は10マイナス35乗・・・
しかし、それよりももっと小さな素粒子があって、それを元に作られたのがフリーエネルギーらしいのです。
宇宙人は、このフリーエネルギーを使ってUFOをコントロールしているとのこと。
この未知の素粒子(ダークマター)は宇宙中、宇宙の隅々にまで存在しているということ。
宇宙は真空ではないのです。
これが人々に知れ渡ったら、1%の支配層は富を独り占めできなくなります。
だから宇宙は真空であり、石油以外に人類の発展は無いと法螺を吹き続けているのです。
フリーエネルギーは、今からもう100年も前にニコラ・テスラによって発明されています。

このもっとも小さい素粒子こそ、「霊界の太陽」から放たれる「霊流」なのだと思います。
神から人間に与えられる「意志」(愛)と「理性」(調和)は、原子核の「陽子」と「中性子」に蓄えられ、電子によって現実化されている。
魂とは、原子核の集合体。(足立育郎著、波動の法則より)
自分の魂、そして自分の身体の中にも、「霊流」が流れてきている。

ガヤトリーマントラを唱えて瞑想していると、自分の中の仏性が視覚化されて現れてくることがあります。
突然、この現実世界の地獄性が入り込んできて、瞑想中に浮かんだ美しい天上界が乱れることもあります。
その場合、「霊界の太陽」を意識して、この地球が美しいアルスの世界になることをイメージしながら現実世界の地獄性を包み込んでいきます。
そうすることによって、自分の身体がさらに光に包まれていくような感覚になるのです。
そしてその光は、世界中の人々に行き渡っていくのです。

ノアの大洪水のようなことが起こらないようにするためにも、この「霊界」のシステムを多くの人が知る必要があるのだと思います。
今までは1%の支配層によって隠されてきた訳ですが、今は裏に隠されていた事実が表面化していく時代に入ったのですから、これは人類にとって大きなチャンスだと思うのです。
ネットを最大限に活かして、こうした真実の情報をシェアしていきましょう。



参考資料
エマニュエル・スウェデンボルグの霊界 マンガ版―私は霊界を見てきた!!(日本語) 単行本
Wikipedia エマヌエル・スヴェーデンボリ
死後の世界とは? スウェーデンボルグ 真理の研究 様
霊界日記 第1巻―遺稿(日本語) 単行本




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前々回、この世界は誰が創造したのか/冨島佑允(著)』という本を紹介しましたが、やはりこの本の最大の焦点は、「意識の自然法則」をコンピューターで再現できるのか?ということになるかと思います。
つまり、心のメカニズムを解き明かし、魂を数値化することが可能か?ということです。
もしそれができないのであれば、魂は物理的世界の外に存在することになるので、「シミュレーション仮説」どころではない大騒ぎになるそうです。
しかし今のところ、魂の正体を科学的に解き明かすことはできていません。

今の科学で魂を理解可能なものにするにはまだまだ時間がかかりそうですが、科学とは正反対のスピリチュアルの世界では、昔から色々と語られ続けてきました。
そして、量子物理学(量子力学)とスピリチュアルが、今や同じ結論に達しつつあるのです。

考えてみれば、魂(心)というものは目に見えないので、どうとでも語ることがきます。
だから、いつまで経っても異なる宗教の対立が絶えませんでした。
今のこのネット社会も、眉唾物でいっぱい溢れています。
また、僕の感覚では、本物っぽいものの殆どは魔界と繋がっています。
魔界の主は甘い言葉で人を誘惑し、魔界へ引きずり込もうとしているのです。
本物のスピリチュアル、つまり高次元と繋がっている人は僅かしかいません。

結局、本物かどうかわかるようになるためには、あるいは自分自身がスピリチュアルな体験ができるようになるためには、真に宇宙と繋がるための訓練をして、直感を鍛えて波動を上げていくしかありません。
自分にはそうした能力はないからと最初から諦めているようでは、それこそ何も掴めません。
唯物論も、唯物論教という立派な邪教です。
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」・・・ということです。
実体験こそ、自分にとって一番信頼できるものになります。
自分教こそが、本物の真の宗教です。
自然(宇宙)に対して心を開くことができれば、徐々に目に見えないものの存在が明らかになってきます。
朝は太陽に手を合わせて感謝をし、花が咲けばその美しさを詳細に観察し、木々を通り抜ける風の音や鳥の鳴き声に耳を澄ませれば、それだけできっと誰もがスピリチュアル的な何かを感じる筈です。
そして、その道が正しければ、やがて神の徴を目にすることになるのです。



ニューヨーク市立大学の理論物理学者ミチオ・カク(加來道雄)教授は、こう断言しています。
神は実在し、しかも数学者であると・・・
この世界は一見すると、すべてが連続的(アナログ)に変化しているように見えます。
しかし、ミクロなレベルで見れば、自然界は不連続(デジタル)になっていることがわかっています。

『この世界は誰が創造したのか』という本の中に書かれていましたが、テレビが連続的な静止画を秒間30回差し替えて表示することによって、人間の目には動いて見えます。
この現実世界もまったく同じで、驚くべきことに5.4秒 × 100兆分の1 × 100兆分の1 × 100兆分の1 × 100兆分の1が最小の時間間隔であると考えられていて、これを「プランク時間」と呼ぶのだそうで、今の科学はそこまでわかっているのです。

この現実世界がデジタルである証拠は、他にもあります。
なぜ化学反応はすべて簡単な整数比になるのでしょうか?
銅を熱して酸素と化学反応させると、必ず元の銅の5/4倍になります。
4(銅)+1(酸素)=5(酸化銅)という比率になり、40gの銅を熱すると50gの酸化銅が、80gの場合は100gの酸化銅が作られます。
他の化合物でも簡単な整数比になるのですが、なぜそうなるのかがとても不思議です。
つまり、コンピューターでシミュレーションするためにデジタル化されているのだと推測することもできる訳です。

ミチオ・カク教授によれば、光よりも速く動くと信じられている「原初の半ラジアン・タキオン」という仮説的素粒子は、物質粒子間にある宇宙物質、すなわち真空空間を「脱し」て、あらゆるものを周囲にある宇宙から何の影響も受けないものにし、これらの粒子に関して幾つか分析した結果、人間は、映画にも描かれたような「マトリックス」の中で生きているということがわかったのだそうです。
ともかく、偶然と呼ぶ一切のものは、もはや意味をなさない。神の存在こそがこのことを説明し得る。われわれは、宇宙的知的存在が創造し形成した法によって支配されている、ある計画の中に存在しているのであって、偶然に存在しているのではない。これははっきりしている。

神は非常に知的な数学者であり、神の意志は音楽に例えられる。最終的結論は、神が数学者であるということ。神の意志は宇宙的音楽、11次元の超空間を通って鳴り響く弦楽器の音楽だということ。

https://www.christiantoday.co.jp/articles/21163/20160615/theoretical-physicist-michio-kaku.htm





「神の意志」という言葉を聞いて、『波動の法則 ― 宇宙からのメッセージ/足立育郎(著)』という本のことを思い出しました。
物質というのは原子でできていて、原子は核(中性子と陽子)の周りを電子が回っていますが、なんと!中性子は「意識」であって「調和」の役割があり、陽子は「意志」であって「愛」の役割があり、そして電子は「現実化」の役割があって、3次元的(物質的)に目に見えるものにしているのだと・・・

そして、原子の電子(現実化、物質化)がない状態、つまり中性子と陽子だけになると目に見えない存在になり、その中性子と陽子が集合していくと魂になるのだそうです。
その「原子核集合体」はどんどんスタディをして成長していき、そうすると原子核の数が増えて回転運動が速くなって、そして波動もどんどん上がっていって魂が進化するのだそうです。

これらの情報は、宇宙から際限なく送られて来る情報を足立氏が直観でキャッチしたものなのだそうです。
もちろん、僕にはそのような情報をキャッチできる能力などないので僕自身の体験ではありませんが、しかしそのように考えていくと、すべての辻褄が合ってきて腑に落ちます。

この「原子核集合体」を科学的に発見できるかどうか、それがひょっとしたら「意識の自然法則」、つまり心のメカニズムを解き明す最大のカギになってくるのかもしれません。
「魂」=「原子核集合体」
それが科学的に証明されれば、魂を数値化して、コンピューターの中で人々が何不自由なく永遠に暮らすということも可能になるのではないかということです。
あるいは、それこそ自分がポストヒューマンになって、自宅にあるノートパソコンで「賢者型シミュレーション」を行うことも、そう遠くない未来に可能になるかもしれません。

しかし、それは危険だする見方もできます。
もし我々がコンピューターの中で暮らすことができたとしても、それが魂の進化にどのような影響を及ぼしていくのかということです。
ポストヒューマンのコンピューターのシミュレーションの中のそのまたシミュレーションな訳ですから、井の中の蛙状態のまた更にその奥へと深くに入り込んでいって、宇宙の本当の真実からは更に遠ざかっていくような気がします。
もし『エイリアンインタビュー』という本に書かれていることが真実なら、まさに牢獄の中に更に牢獄を作るようなもので、当然それは魂にとって真の幸せではありません。
騙されて、偽の幸福感を味わわされているようなものです。

魂の真の目的は魂の進化であり、それには本物の宇宙の真理というものが不可欠です。
ひょっとしたら、足立氏が直観でキャッチしているものこそが、それなのかもしれません。
僕にはどうも、それはポストヒューマンのコンピューターを飛び越えてやって来るもののような気がします。
そして降り注ぐ太陽の光や、宇宙の彼方からやってくるエネルギーの中に、魂の進化に不可欠な要素が含まれているのです。
コンピューターの中で暮らすということは、ますますそうした宇宙エネルギーの届かない世界で生きるということになるということです。
スマホの普及、体内へのマイクロチップの導入、シンギュラリティ・・・そこには人間を更に退化させようとする魔界(幽界)が仕掛けた罠のようなものを感じるのです。
所謂、666(獣、コンピューター、AI・・・)のことです。
最早、これは陰謀論どころの騒ぎではないのです。

今、時代は二極化が進んでいます。
足立氏も述べていますが、この地球には未熟な段階の原子核集合体が沢山いるのだそうです。
自然の法則に反するような意識、つまり、自分だけは、自分の家族だけは、自分の会社だけは、自分の国だけは、自分の民族だけは、人間だけは、というような意識になると不調和になり、魂は歪んでしまいます。

宇宙と自分は繋がっていて、そして関係し合っている・・・(ワンネス)
それを体感し、実感することが、自分を救い、地球を救い、宇宙全体を救うことになります。
前々回の記事で述べたことですが、この3次元物質世界で起こることはすべて設計者(ポストヒューマン)によって設定されていて、そして時間というのは地球固有のもので、異次元に行けば過去も未来も同時に存在している訳です。
しかし100%レールの敷かれた人生ではなく、結局このアドベンチャーゲームをプレイしながら、自分は何を思い、そしてどう選択していくのかが重要なのです。
魂(心)は「調和(中性子)」と「愛(陽子)」でできている訳ですから、皆がその「宇宙の意志」に従って生きていれば、宇宙全体の波動が上がるのです。
そして、皆でこのアドベンチャーゲームをGood Endで終わらすことができるのです。

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水元公園にて



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庭のお手入れを怠っていると、繁殖力の強い雑草はどんどん生えてきて、土の栄養分は雑草に奪われ、育てている植物を枯らしてしまいます。
雑草を手で毟っても根までなかなか取りきることができないので、残ったその根の部分からまた繁殖してしまいます。
除草剤を撒けば根まで枯らすことはできますが、土は薬品まみれになってしまい、植物にまた別の意味で悪影響を齎します。

この人間社会も、まったく同じなのではないかと思うのです。
雑草をこの人間社会に例えれば、葉や茎の部分は目に見えるので誰もが真実だとわかりますが、一般人には根の部分が見えないので、存在していないと思ってしまいます。
しかし根の部分の方が、葉や茎よりもよっぽど重要だったりする。
なぜなら、目に見えるこの現実の世界というのは氷山の一角に過ぎないからです。
目に見えない残りの大部分から、我々人間は多大な影響を受けて生きているのです。

古代日本人は、その目に見えない世界のことを「根の国」と呼んでいました。
日本神話にも登場してくるその世界は、死者の霊が行く地下世界です。
おそらく、パラレルワールドとか異次元世界というのも、同じことを示しているのだと思います。
人は死んだら意識もなくなるのではなく、別の次元で生きることになるのです。
波動の高い次元や波動の低い次元が存在していて、そうした世界から僕らは多大な影響を受けるのです。

結局、どうしてそう言い切れるのかということです。
科学的な証拠があれば、誰もが納得できる筈です。
長い間、そうした精神世界のことは科学によって否定されてきました。
しかし、今や量子力学によってパラレルワールド(多次元宇宙)の存在が明らかになつつあり、欧米ではこの世が仮想現実かもしれないという「シミュレーション仮説」について、物理学者や哲学者の間で真剣に議論が交わされているのです。
日本は未だに「シミュレーション仮説」なんて言うと、「頭がおかしいんじゃないか?」と思われてしまうほど遅れています。

この社会には、そうした目に見えない世界のことを徹底的に隠そうとする人たちがいます。
特に日本は、そうした人たちが多いのではないかと、テレビを観ていると痛感します。
一般人に知られては困るのです。
目に見えない世界のことを知られてしまうと、国民を操れなくなるからです。
人類を、支配できなくなってしまうからです。
だから、彼らはメディアを使って国民を洗脳し、目に見えない世界のことを真剣に唱えている人を馬鹿にしたり笑い者にしたりするような社会を作り上げてきました。

しかし徐々にですが、今はそうした隠されてきた真実が明らかになりつつあります。
このシミュレーション世界を形作ってきた彼らのコンピューターが壊れてきていて、バグが沢山出始めているのです。
その証拠の動画を最後に載せますが、このネット社会はフェイクニュースなどの負の一面もありますが、どうやら多くの人たちを目覚めさせる起爆剤にもなっているようです。
日本はもともと波動の高い国なので、高次元からの救済もとても多いので、気づいている人も多いのではないかと思います。
むしろ遅れているのは、政治家や法律家や教育に携わるの方たちだと思います。



先日、川崎・登戸で陰惨な事件が起こりました。
被害に遭われた方に、心から御悔やみ申し上げます。
こんなことを書くと不謹慎と思われるかもしれませんが、本当に無差別に人を次々と殺していくなんてことが、一人の人間のできることだと思いますか?
どんなにこの世の中に強い恨みがあったとしても、たった一人の力でこんなに何人も人を殺すなんてことができる筈がないのです。
僕にはどうしても、目に見えない何者かが取り憑いたとしか思えません。

池袋の暴走事故にしてもそうです。
あの事故の後に、似たような事故が続いています。
いずれも、だいたい5才ぐらいの子供とその子の母親だけがお亡くなりになっていたりします。
もし事故ではなくこれが事件だとしたら、刑事は同じ者の犯行だと思うでしょう。
登戸の事件とは別の何者かですが、車の事故はいずれも同じ魂によるものです。
おそらく最近、凶悪犯が刑務所で死刑になり、その死刑囚の魂がドライバーにのりうつって事故を起こさせた・・・
警察は凶悪犯が死刑になればすべて解決すると思っていますが、逆で、凶悪犯が死亡すればむしろ魂は解放されて自由になり、好き放題に人間に憑依して、また悪事を重ねることになるのです。

だから、凶悪犯が二度と悪事をしないようにさせるには、自分が犯した罪をはっきりと認識させるしかないのです。
つまり、凶悪犯の魂を根こそぎ処理するには、凶悪犯を教育させるしかないのです。
臭いものにはただ蓋をしてしまえばいいとするこの社会のやり方を根本的に変えていかなければ、いつまでたっても同じことは繰り返されていきます。
そして、いつかは限界に達します。



2年ほど前、僕は「この世はマトリックス(仮想現実)〜仏教と量子論」という記事を書きましたが、この頃はまだ殆どの方が「この世はマトリックスだ」といっても、きっと信じなかったと思います。
しかし、漸く日本にも『この世界は誰が創造したのか: シミュレーション仮説入門/冨島佑允(著)』という本が発売されました。
一見難しそうですが、そんなことはなく、とてもわかりやすく書かれていて、速読ができる方なら1日で読めてしまうような本です。
まだ「この世の不思議現象はすべて科学で証明できる」などと考えておられる方は、是非ご一読下さい。
きっと目から鱗の本になると思います。
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この本の中で、オックスフォード大学のニック・ボストロム教授が、「この世界がシミュレーションである可能性はほぼ100%」だと語っていると書かれてあります。
SpaceXやテスラ・モーターズなどのCEOを務めるイーロン・マスク氏もこう語っているそうです。↓
40年ほど前、2つの板で点を跳ね返して遊ぶ『ポン』というテレビゲームがありました。当時は、ゲームなんてその程度のものだったんです。しかし今では、ゲームの映像は現実と見分けがつかないくらいに精巧になっているし、たくさんの人が同時にログインして遊べるようになっています。
(途中略)
そう考えると、たとえば今から1万年後には、1台のゲーム機やパソコンの中に、現実と区別ができないほど精巧な仮想現実を作れるようになっているかもしれません。そういうゲーム機やパソコンが無数に存在する世の中になるわけです。見方を変えれば、私たちが住んでいる世界は、未来の時代に稼働している無数のゲーム機の1つが作り出した仮想現実だと考えることだってできてしまうんです。

「コード・カンファレンス2016」にて イーロン・マスク氏の話
映画『マトリックス』の中で、モーフィアスは主人公のネオにこう語っています。↓
『現実』とは何だ?『現実』をどう定義するんだ?もし君が感じたり、嗅いだり、味わったり見たりできるもののことを言っているなら、その『現実』とは君の脳が解釈した、単なる電気信号に過ぎない。
モーフィアス
「この世はマトリックス」の記事に書きましたが、2015年にオーストラリア国立大学の研究所の物理学者たちが、「この現実は人間が観測するまで存在しない」ということが実験によって証明されています。
つまり、これをシミュレーション仮説に置き換えれば、圧縮と解凍(.zip .lzh .rar)によっポストヒューマン(このシミュレーション世界の創造主)のコンピューターのメモリーを軽減しているということです。
量子物理学者デヴィッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」のことです。
(posthuman⦅ポストヒューマン⦆とは、人間⦅human⦆を超えた⦅post⦆存在という意味)

そして古代の人たちは、すでにこの真実に気づいていました。
「色即是空、空即是色」とは、まさにこのことを示しているのだと思います。
ゴータマ・シッダールタが宇宙人であっても、何ら不思議ではありません。


因みに、僕が「この世はシミュレーションだ」と思うようになったのは、信じられないような不可思議現象を何度も体験してきたからです。
なぜ、こんなにも正夢を見てしまうのか?
また、自分が未来に体験する出来事だけではなく、他人が体験する未来まで見てしまったりもする。
なぜそれが他人の現実の未来だとわかったかといえば、実話をもとにした映画と僕が見た夢がまったく一緒だったりしたからです。
たとえば僕は夢の中で、宇宙人にアブダクションされたアメリカ人とまったく同じ体験をしてしまったのです。

それから、僕は子供の頃に夜中に宇宙人(魔人?)みたいな人に何度も攫われたことがあって、ある夜に宇宙人と家に戻ってきてから僕は廊下に立たされ、そして窓から庭を見ていたのですが(目を開けたまま眠っているような状態で)、それはまるでビデオを早回しで見ているかのようで、木が風に揺らされている様が振動しているかのように細かく速く動いて、そしてだんだん外が明るくなってきたと思ったら、あっという間に数秒間で夜から朝になってしまいました。
実際には何時間も経ったのだと思いますが、僕の感覚では数秒でした。

そしてある時、気づきました。
すべては設定されている。
時間など存在していない。
まるでこの世は、アドベンチャーゲームのようだ。
だけど時々、僕らは選択を迫られるケースに遭遇する。
どうやら100%レールの敷かれた人生ではないようだ。
現世での体験で何を思い、そしてどう選択していくか・・・
Good Endになるか、Bad Endになるかは、あなた次第・・・



ある学者が、「時間は実在せず、人間の幻想に過ぎない」と唱えています。↓
http://mahoroba19.com/archives/3397
現実とは、時間の経過にともなって事象が生起する三次元世界であると考えても、どんな事象も起こらない四次元世界であると考えても、どちらでも説明をつけることができる。
そして後者が正しいとすれば、変化とは幻想であるということになる。
過去・現在・未来すべては同時にあるのであって、変化は起こらない。

いついかなる時も、過去はすでに起こったことであり、未来はまだ起こっていない。
そして物事は変化していく。
私たちはそのように錯覚しているが、実際には私が意識するすべてのことは、今この瞬間の脳の状態である。
過去が存在すると私が感じる唯一の理由は、脳が記憶を保存しているからだ。

米マサチューセッツ工科大学の物理学者マックス・テグマーク教授 

我々の住む世界は、時間と空間を繋ぎあわせた「ブロック宇宙」であり、「ブロック宇宙」の中で起こるすべての事象は、アインシュタインの一般相対性理論で記述される四次元時空の中で、その事象固有の座標を持っています。
過去にあったとされる事象、未来に起こるであろう事象も含め、すべての事象は、様々な座標を取って四次元時空内に同時に存在している・・・

要するに、時間とは地球固有のものということになります。
異次元に行ってしまえば時間というものは存在せず、過去も未来も同時に存在しているのです。
しかし前述しましたように、僕らはすでに決められたレールの上を歩いているのではなく、選択の余地が残されているということです。

それだけではなく冒頭の方でも述べましたが、このシミュレーション世界を形作ってきたポストヒューマンのコンピューターが壊れてきていて、バグが沢山出始めているのです。
今、地球は急激に次元上昇をしていて、きっと彼らのコンピューターがその次元上昇ついていけないのです。
マンデラ・エフェクトとは、まさにこのことを示しているのだと思います。↓


https://www.youtube.com/watch?v=gSauPOKggXk

雑草の根の部分、氷山の海に沈んでいて目に見えなかった部分が、やがて姿を現すに違いありません。
ポストヒューマンのコンピューターは、やがて崩壊するのだと思います。
我々は、この地球という牢獄から解放されるのです。
ひょっとしたら、これは『エイリアンインタビュー』に登場する宇宙人エアル、そして「ドメイン遠征軍」のお陰なのかもしれません。

最後に、動画内でジョーダン・マックスウェル氏が語っていたある箇所を文字起こししておきます。
昔から名前や言葉やシンボル、エンブレムに興味がありました
なぜなら魂はシンボルを通して、我々に働きかけると思うからです
古代のローマの法には、こういう件(くだり)があります
騙されたいと願う者は騙されておけ
単純に言えばローマの法は、騙されたいと言うなら、どうぞ──
それが嫌なら学ぶんだ
そして長い月日をかけ、ローレンス・ガードナーがしたようにね
長い時間をかけて研究し、観察し、気づく事になる
この世界で見てるのは合意的な認識であって、本当の真実とはほとんど関係がない
本当の真実を見るなら、目を覚まして探さないと
今までずっと周りにあっても、見えなかった物をね

この宇宙全体がシミュレーションなら、いったい本当の世界はどうなっているのでしょうか?
地球の次元上昇によって、本当の世界が姿を現したとしても、その世界もまたシミュレーションである可能性だってある訳です。
この世の世界も、あの世の世界も、どんな高次元の世界にあっても、シミュレーション仮説は続いていくのかもしれません。
いや、大日如来ほど悟ることができれば、ひょっとしたらその世界こそが本当の真実の世界なのかもしれませんが・・・


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もうこのことは何度もブログに書いていることですが、この社会の殆どの人は唯物論者だといってもいいかもしれません。
しかし、本当に死後の世界が存在しないのなら、それではいったいこの世で生きている意味とは何なのでしょうか?
魂は永遠ではなく、死んだらそれまでだと考えるのなら、いくらでも悪事を働いたっていい、どれほど人を騙したっていい、生きるのが嫌になったら簡単に人生をリセットしてしまってもいい、そういう考え方になってしまいませんか?

もちろん、日本人は神社にお参りしたりお墓参りに行ったりと、神様や仏様やご先祖様を何となく信じている人が沢山います。
しかし、神様と交信したとか超常現象に遭ったとか超能力を持っているだとか、そういうことをはっきりと具体的に言ってしまうと、そういうことを言う人のことは信じられない、となる訳です。
あの世があるかどうかは死んでみなけらゃわからない、超能力を見せられたってトリックを使っているかもしれない、わからないものはわからないから、だからそういうことには触れない、そして考えない。
これが、この社会の常識になってしまっています。
(これは孔子⦅儒教⦆的な思想だと思います。孔子は都会的な思想といえます。それに対して老子は自然の思想です。)

マルクスが提唱した「共産主義唯物論(戦闘的唯物論)」になってくると、この世界には物質しか存在しない、それが科学的に正しい、神も霊魂も存在しない、だから神社にお参りすることもお墓参りをすることもしてはいけない、宗教は詐欺だ、そもそも心というものは脳という発達した物質の電気信号でしかない・・・と、さらに極端になってくる訳です。
だから神は幻想、人を思いやる心も幻想、倫理や道徳も幻想、目に見えないものすべてが幻想だというのです。
人間はロボットと同じで、さらにもっと突き詰めていけば人間は石と同じで、だから共産主義国は平気で政府に逆らう人々を次々と殺していったという歴史があります。
人間は石と同じなのだから、幾らでも殺しても構わないのです。

日本は共産主義国ではないにしても、共産主義的な思想を持っている人が沢山いるともいえます。
なぜ、今こんなに沢山の振り込め詐欺が横行しているのでしょうか?
警察庁は、2017年に全国の警察が認知した振り込め詐欺などの特殊詐欺の被害総額は390億円(前年比4.3%減)、件数は1万8千件(前年比28.6%増)で、7年連続で増加したと発表しています。
今年も上半期だけで、特殊詐欺の被害総額はすでに約175億円にまで上っているとのこと。
被害総額は減少してはいるものの件数は年々増加していて、その手口はかなり巧妙になってきていて、自分は絶対に騙されないと思っている人ほど危ないのだそうです。

幾らでも人を騙したって、お金を手に入れさえすればこっちのものだという考え方は、まさに目に見えないものを一切信じない共産主義唯物論そのものともいえます。
しかし、現実はそうなってはいない訳です。
現実は共産主義唯物論とは正反対のことが起こっていて、人を騙せば騙すほど、悪事を働けば働くほど、実は真綿で自分で自分の首をゆっくりと締めていくことになるのです。
なぜ、そんなことが言い切れるのかということですが、その証拠は調べれば幾らでも見つけることができます。
2018102201
直木賞作家、佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになり話題になっていますが、佐藤さんが13年前にお書きになった『私の遺言』という本を読むと、あの世のことがよくわかります。
───人は死ぬと無になる。
佐藤さんもずっとそう思っていたそうです。
しかし、昭和五十年(1975年)に北海道の浦河という町の山の中腹に、夏の間だけ暮らす山荘を建てたのですが、そこでさまざまな超常現象に見舞われて、人生観を変えざるを得なかったのだそうです。

最初は、誰もいる筈のない二階からノッシノッシという誰かが歩く音が聞こえてきたそうです。
集落の人にそれをいうと、そりゃ熊だべさ、狐だべさというだけで、いったい何なんだろう、ふしぎだねえともいわず、精神状態を疑われて話は終わったそうです。
やがて超常現象はさらにエスカレートしていき、物がなくなったり、つけておいた電燈が消えていたり、きちんと揃えておいたスリッパの片方が遠くへ飛んでいたり・・・

美輪明宏さんに相談したところ、山荘を建てた土地は日本人に滅ぼされたアイヌの集落があった場所で、そのアイヌの恨みが地縛霊となって巣食っている・・・
そして佐藤家の先祖が作った因縁が因縁を呼んで、佐藤さんの肩にかかって来ている──。
美輪さんはそういったのだそうです。
そして、どうやら自分には佐藤家の先祖を成仏させねばならない役目があるのではないかと思うようになってきます。
このような目にあった所為なのか、佐藤さんはその後、霊体質になったそうです。

この世は3次元世界、あの世は4次元世界で、そこには物質も時間も空間も距離も重力もない、「波動」の上下によって厳格な縦割制度が作られていて、まず幽現界(現界と幽界の間)があり、その上に幽界、更にその上に霊界、神界と上がっていくのだそうです。
人が死んで肉体が消滅すると幽体が残り、幽体はひとまず幽現界へ行き(一般に死後四十九日は魂はこの世にいるといわれていますが、それが幽現界です。)、その上の幽界に上がると「成仏した」ことになるのだそうです。
(サアラ・池川明著の『「あの世」の本当のしくみ』では、幽界に行っては駄目で、アストラル界からお迎えが来るのを待ちなさいと書いてあります。)

死者は現世にいた時の心の「波動」によって行く場所が決まるので、心の「波動」が高ければ幽現界を通り越して真っ直ぐに幽界へ行けますが、そういう人は極めて稀で、たいていは四十九日を過ぎても幽現界に留まっているのだそうです。
幽現界は現世での執着物欲などを引きずったままの世界で、そのためなかなか幽界へ上がれず、死者の大半はここにいるといわれています。

幽現界に死者の魂が溢れている原因は現世で執着物欲の強い人が多いだけではなく、他にも2つの原因があると僕は思っています。
そのひとつは「死んだらそれまでだ」と考えていた人があの世に行くと、死んでいるのに「まだ自分はここに存在しているじゃないか、だから自分はまだ生きている」と思ってしまい、死んだことも気がつかない人が多いということ。
そしてもうひとつは、今は幽界は殆ど破壊されてなくなっているそうなので、波動が低くてアストラル界へ行けないとなると、行く場所がなくて幽現界を彷徨ってしまう人が多いということです。
幽現界から抜け出すためには(アストラル界へ行くためには)、生きている内にあの世の存在を認め、あの世の知識を深めていくことがとても重要なのだと思うのです。

それから、日本人の波動は低すぎます。
本にも書かれていましたが、昔は十代の子供が憑霊されることはまったくありませんでした。
子供の魂は純で穢れがないからです。
しかし、この頃は十代の憑霊が増えています。
これで、日本人の波動がいかに下がってきているかがわかります。
この現代社会は、「唯物論」社会の成れの果てです。
この世はまさに、ジョージ・オーウェルのSF小説『1984』の世界です。
しかし、逆に悪魔たちにとっては、きっとこんなに美味しい世界はないのでしょう。
日本人は恐れるべきことを恐れず、泣くべきを泣かず、怒るべきを怒らない人間になりつつある。理屈をいって勝手に納得する。心で動くのではなく観念に動かされる。人間はやさしくなければいけないから、やさしくしようと考える。だがそれはほんとうのやさしさではないやさしさだということに気がつかない。

人も社会も無機質になり、無機質な子供を育てる。無機質が無機質を呼ぶ。悪霊は無機質であるから同化し易い。少年たちは非人間的な殺人を犯す。だが、それは彼らの責任ではない。私は彼らを恐れるが、しかし憎むことは出来ない。

私の遺言/佐藤愛子著より
2018102202
ベルリンの壁が崩壊して共産主義と民主主義との対立が終わった後に、「あの世」のある派とない派の対立が始まったのかもしれないと語る人がいます。
ロシアという国は、もともととてもスピリチュアルな国なので、共産主義唯物論を広めるには無理があったのかもしれません。
旧ソ連時代は共産主義国でしたが、UFO関連や超能力などの非科学的分野は最先端をいっていたといいます。

1984年に旧ソ連の宇宙ステーション「サリュート7号」の宇宙飛行士6人が「7人の巨大な天使を見た」なんていう情報がソ連政府に報告されています。
ソ連政府はこの報告を機密扱いにしていましたが、ソ連崩壊と共に文書が流出して発覚したとのことです。
そんな情報が、まだまだ山ほど隠されているのかもしれません。
こんなことがあまりに多いので、マルクス主義が成り立たなくなっていき、それが切っ掛けでソ連崩壊へと繋がっていったのかもしれません。
つまり共産主義の崩壊は、唯物論の崩壊であったということです。
(因みに、2005年には当時のメドベージェフ首相がインタビューが終わった後、新大統領が「核のボタン」と一緒に受け取るものは、「宇宙人ファイル」なるものだと発言したりしています。)


スターリンもレーニンも、イルミ・・・もっといってしまえば、ユダヤ教(アシュケナジーム)のタルムードだったといいます。
つまり、悪魔崇拝者。
この悪魔崇拝者たちの総本山は英米です。
つまり、ロスチャイルドとロックフェラー。
彼らの正体が、映画『アイズ・ワイド・シャット』の中で描かれています。
スタンリー・キューブリック監督は、この映画の試写会5日後に不可解な死を遂げています。
メーソンだったモーツァルトも、『魔笛』の初演後に謎の死を遂げています。
『魔笛』には、メーソンの入会儀式が描かれているといわれています。
イルミ──幹部によって殺された可能性は、極めて高いです。

元FBIテッドー・ガンダーソン氏が、このような証言をしています。↓
イルミ──という人たちがいます。
1776年、アダム・ヴァイスハウプトが設立しました。
1773年、ヴァイスハウプトはロスチャイルド家の1人から、イルミ──という組織を作るよう任命され、1776年5月1日に達成したんですが、その日付は共産主義圏の祝日です。

彼が任命された目標は全部で25項目。
(1)人々を善ではなく悪に向けさせろ。
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(11)戦争をしかけよ。
1773年にヴァイスハウプトが書いた政策が、1937年に公式発表されたんです。
1937年に英米によって公式発表されました。
どちらの側の国々も負債を抱え込むよう、戦争を実行させよ。
また和平会議では、双方が領土を獲得しないようにせよ。
第二次世界大戦後のヤルタ会談が完璧な例です。
スターリン、ルーズベルト、チャーチル・・・
(12)我々は財を活用して、要求におとなしく従い、陰で操る者たちのゲームの駒となる候補者を議員に選ばなければならない。
彼らの助言者たちは、幼少の頃から世界情勢を支配するための訓練を受ける。 
今日の世界に、陰の操縦者たちがいるのは、まちがいないですね。
(13)メディアを支配せよ。
主流メディアが、有力者、インチキ政治家、官僚たちにコントロールされているのは、疑いの余地がありません。
米国ではあらゆる個人、団体、組織に重複するメンバーがかなりいますが、この「イルミ──」の原動力の1つは、悪魔崇拝カルトなのです。

アリスター・クローリーという人の情報から多くを学びました。
「 敵の心臓と肝臓を切り取り、まだ暖かい内にむさぼり食う野蛮人の習慣を、馬鹿げたことと非難するのは賢くない。いずれにせよ、古代の魔術師たちの理論はこうだった。生き物は皆すべて、エネルギーの貯蔵庫だ。その量は生き物の大きさと健康状態によって違う。その質は精神的・倫理的性質によって違う。エネルギーはその動物の死により、とつぜん解放される。だから、そのエネルギーが逃げないように、動物は“円”の内側──悪魔崇拝の円ですね──または三角形の内側で殺されるべきだ。儀式の性質に合う性質の動物を選ばなければならない。軍神を呼び出す魔術師には、適切な量の猛々しいエネルギーが有用だ。それはメスの子羊を犠牲にしても得られない。そのような場合には、童貞の雄羊がふさわしい。それが固有にもつ潜在的エネルギー総量が、まるまる残っているからだ。───ベストな霊的結果を得るには、選ばなければならない。完全に無垢で高い知性を持った少年が、一番申し分なく適切な生贄だ。」
人間の生贄の話しですよ、皆さん。
以前、「シベリウスの交響詩『エン・サガ』Op.9はワーグナーを意識して作られた」という記事に、「北欧神話」の中に描かれている「人間の生贄」のことについてちょっと触れました。
北欧神話がギリシャ神話、そしてユダヤ教やカトリックに繋がっていき、これが「闇の勢力」の正体だと書きました。
日本の御頭祭や御柱祭も、一種の生贄の儀式だと書きました。
御柱祭の柱は、昔は人柱だったとも・・・
そして今現在も、イルミ──によって生贄の儀式は行われているということです。

因みに聖書にも、古代のヨルダン東部に住んでいたアモン人は、ブロンズで「玉座に座ったモレクの像」を造り出し、それを生贄の祭壇として使っていたと書かれています。
像の内部には7つの生贄を入れる棚が設けられていて、そこに小麦粉、雉鳩、牝羊、牝山羊、子牛、牡牛、そして人間の新生児が入れられ、生きたままの状態で焼き殺されるのだそうです。
新生児は、いずれも王権を継ぐ者の第一子であったとされています。

やがて、モレクはフェニキアの主神であるバアルと同一視され、バアルはギリシャではゼウスと呼ばれるようになります。
古代ギリシャでは、オリンピック選手たちはゼウスに忠誠を誓わなければなりませんでした。
古代人たちは4年に一度オリンピアに集結して、スポーツ、生贄、賛歌を通じてゼウスを祀っていたのです。
つまり現在でも、オリンピックに参加するということは、ゼウス・・・いやバアル、さらに遡ればモレクに忠誠を誓っているようなものなのです。
そしてそれを裏で操っているのが、悪魔崇拝者イルミ──ということになるのです。

毎年10月31日はハロウィンですが、古代ケルト人が起源と考えられている祭で、 一般的に秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いがあるとされています。
しかし真実はまったく逆で、玄関にカボチャのお化けを飾ると玄関から悪霊が入って来て、その家族の首に悪魔の城壁を築くことになるのです。

このように、古代からずっと続けられてきた悪魔崇拝は、今現在も姿形を変えて行われているということです。
アメリカでは、毎年約10万人の子供たちが行方不明になっているといいます。
日本でも、万単位の子供たちが行方不明になったまま放置されています。
その内の何%の子供たちが、悪魔の生贄に捧げられているのでしょうか?
その子供たちの魂は、どうなってしまうのでしょうか?
悪魔とは、いったい何者なのでしょうか?

これは僕の想像ですが、「生き物は皆すべてエネルギーの貯蔵庫」なのだから、生贄に捧げられた子供たちの魂(エネルギー)は悪魔に吸い取られ、悪魔と一体化するのでしょう。
生贄だけではなく、自殺とか波動の低い状態で亡くなった者も、悪魔の恰好の餌食になるのだと思います。
こうなってくるとあの世があるとかないとか、そんな呑気なことをいっている場合ではない訳です。
あの世はまさに、戦争状態にあるのだと思います。
悪魔は子供たちからエネルギーを奪い、ますます大きく強くなっていきます。
人口増加と共に唯物論者が急激に増えたことで、地球そのものが悪の枢軸と化してしまっているかのようです。
2018102203
いつものように水元公園で撮った↑の写真には、2つのUFOが写っています。
あまりに小さすぎて黒い点にしか見えませんが、間違いなくUFOです。
拡大します。↓
2018102203b
UFOを目撃するかしないかは実は大きな違いで、この地球には高次元の宇宙人も来ているので、UFOをよく目撃する人は、死んだら5次元以上の惑星に連れて行ってもらえるらしいのです。
そのためにも、「波動」を上げることは大切らしいです。

『私の遺言』にも書かれています。
この文明の進歩が人の心を荒廃させ無機質な人間を作っている根元だと思うと・・・
目に見えて下って行くこの国の「波動」、それを高めるためには太陽を仰いで祈ることだと・・・
そうすると、我々の胃の後ろの方に太陽神経叢があって、そこで自律神経を調節するのだと・・・
朝の大気が清浄な時間に太陽を仰いで息を吸い込むと五感が鎮静化され、雑念妄念が遮断されて正しい霊感や直感の世界に入ることが出来るようになると・・・
一人一人がそれを行うことが日本の国の浄化につながるのだと・・・
それ以外にないのだと・・・

僕もその通りだと思います。
このブログに、似たようなことを散々書いてきました。
しかし、それだけではないと思います。

「波動」と同じくらい大切なものが「運の総量」なのだと思います。
誰かが誰かを騙して、何かを奪ったとします。
もし騙された被害者が騙した加害者を放置したとしたら、これでは不平等になります。
警察も裁判所も動かないし、加害者は無罪放免となります。
しかし「自然の真実」の世界では、加害者の罪が許されるなどといった理不尽は絶対にあってはならないのです。
つまり、公正な裁判・判決・刑の執行が、目に見えない世界で行われている訳です。
騙した加害者には相応のペナルティが課せられて、「運の総量」が減る訳です。
逆に「運の総量」を増やすためには、人助けなどをして「徳」を積むことです。
しかし「波動」が上がれば、そういうことも自然と成し遂げられていくのだと思います。

日本はいずれ、復活するのだと思います。


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先週、よくコメントをくださる「◯さん」にお会いしました。
コメントを書いてくださった方にお会いするのはこれが二度目なのですが、顔も全然知らない訳ですし、どういう方なのかわからないので、かなりコワい部分はあります。
でも、それはきっと◯さんにとっても同じだったと思います。
勇気を出していただいた◯さんに、とても感謝します。

なかなか不可思議現象をマトモに聞いてくれる人も少ないので、とても楽しく会話をすることができました。
ご本人は霊能力はないと仰られていますが、僕にはどうしても◯さんには凄い霊能力がお有りになるとしか思えないことが幾つもありました。
また、僕以外にも何人か不思議な体験をされている方にお会いになっているそうで、そういった話しも大変興味深かったです。

わざわざ遠いところから来ていただいたのに、健康ジュース(笑)をおごってもらったり、沢山のお土産までいただいてしまって、何だかとても悪いです。
本当に、ありがとうございました。
2018062601
最近、コメントをくださった「nanaさん」という方からは、足立幸子さんとそのお兄様の足立育朗さんという方が書かれた本が、僕のブログの内容にとても似通っているという情報をいただきました。
早速読んでいるのですが、確かにシンクロしている部分が沢山あると感じました。(もちろん足立さんたち兄妹に比べれば、僕など足元にも及びませんが・・・)
現代社会はありとあらゆる情報が錯綜している訳ですが、しかし真実はひとつなので、真実を探求していれば誰でも辿り着く場所は同じになる筈です。


足立幸子さんの著書『あるがままに生きる』は、本当に読んで字の如く、「深い部分の自分」が望んでいることをやればいいということが書かれているだけで、難しいことは一切書かれていません。
肉体(物質)は「個」ですが、そこから波動が上がっていくにつれて「潜在意識」から「超意識」へと変わっていきます。
その非常に波動の高いところ(静かなる波動の海)が「神・真我・おおもと・深い部分の自分」であって、そこは「個」を越えた「全員つながった所の自分」で、つまりこのブログでも何度も書いていますが、所謂「ワンネス」です。
今までは「個」の時代でしたが、これからは「おおもと」が主導権をとって生きていく時代なのだと書かれています。
何度もブログに書いているように、魚座の時代から水瓶座の時代に入ったということです。
セパレーションの時代からユニティの時代に入ったということです。

「深い部分の自分」に繋がるには、つまり波動を上げるには3つの条件があって、まずお金に対する執着、物に対する執着など、あらゆる「こだわり」を取り除くことだそうです。
「個」から「おおもと」に近づくためには、これは至極当然のことだと思います。
これは何も、仙人のような生活をしなければならないということではなく、「必要なだけあればいい」というような生き方になればいいということです。
「奪い合いの時代」は終わり、「分かち合いの時代」に入ったということです。

2つ目の条件は、「行動に移す」ということだそうです。
どんどん行動に移すことによって「おおもと」から新しいエネルギーが入ってきて、肉体に澱んでしまったエネルギーを出すことができる訳です。
その為には、頭の中をカラッポにしておく必要があるのです。
頭で考えることを止めなければ、エネルギーが滞ってしまうことになります。

そして3つ目の条件が、「深い部分の自分(神我・真我・本当の自分)」が望んでいることをやることなのだそうです。
「何だかわからないけど、あの人に電話をした方がいいみたい」「何だかわからないけど、あそこに行った方がいいみたい」みたいな、「何だかわからないけど」というのが「自分の深い部分」からの情報なのだそうで、その時がベストタイミングで、「閃いたら即行動に移す」ということが大変大事なのだそうです。
たとえ物理的に頭で考えて無理そうに思えても、「おおもと」からの情報は間違いないということです。
つまり僕から言わせれば、人間が頭で考え出すことなんて高が知れているということです。
2018062602
「あるがままに生きる」の「あるがまま」というのは、「わがまま」とは違うそうです。
自分も「あるがまま」にやるのですが、相手の「あるがまま」も受け入れるということなのだそうです。
「わがまま」というのは、相手の「あるがまま」は受け入れないということになりますから。
しかし、相手の「あるがまま」を受け入れるというのは、とても難しいと思います。
あの人は「こういう面は良いが、こういう面は悪い」とか、「好き」とか「嫌い」とか、自分の尺度で判断してしまいがちです。
そうではなく、「あの人は、こういう面とこういう面を持った人なんだ」とただただ受け入れて、ただただ見ることが、相手の「あるがまま」を見るということなのだそうです。


「宇宙というのはすごく良く出来たコンピュータで、真我の部分が大型コンピュータで、一人一人の脳は端末機」で、また「脳がハードウェア、意識がソフトウェアという感じ」なのだそうです。
「今からこういう情報がほしい」と思って、真我にインプットすると、閃きという形で端末機に返ってくるのだそうです。
それを「直観」というのだそうです。

「直観」はどうすれば来るのかというと、プログラムしてインプットした後は一度忘れることなのだそうです。
そして、頭がボーッとしてリラックスしている時に返って来るのだそうです。
頭をカラにしておくことが肝心のようです。
頭を使っている時は発信状態だから受信は塞がっていて、ボーッとしている時が受信状態で、その状態の時にどんどん閃きで情報が入ってくるのだそうです。
これは何となく、禅や瞑想に繋がっていきそうです。
「悟り」というのは、真我(深い部分の自分・おおもと)と繋がるということなのかもしれません。
ひょっとしたらアカシック・レコードというのも、このことなのかもしれません。
2018062603
人は一人ひとり固有の波動を持っていて、色にたとえると、一人ひとり固有の色を持っていて全員違います。
たとえばマンガ家の方にはかなり波動の高い方がいらっしゃって、「おおもと」から来た閃きで情報を得てそれをマンガで表現しておられるので、子供たちはそれに刺激を受けて宇宙の本質がわかってしまっているそうです。
ところが親が全然わかっていないから相変わらず自分の枠に子供をはめようとして、子供たちをおかしくしてしまっているのだそうです。

親が赤で子供がオレンジなら色が近いから親は子供を自分の色に染めやすいですが、子供が青なのにその子を無理矢理赤に染めようとしたら、その子をおかしくしてしまいます。
親は子供の色が違うことを認めた上で、「この子の色のままで、世の中で自分をうまく表現させてあげるには、私はどういうサポートが出来るんだろう」という風に捉えられればいい訳です。

名前さえも、意味なくついてはいないそうです。
たとえば、姓名判断で「この名前だと苦労するから変えた方がいい」と言われても、変えない方がいいそうです。
苦労する名前だったら、それはそういった苦労を味わうために地球に生まれて来ているそうなので。
名前を変えるなんて、「逃げ」なのだそうです。
2018062604
僕は、ドン・ミゲル・ルイスとその息子ドン・ホセ・ルイスによって書かれた『五つの約束』という本を思い出しました。
以前記事にもしましたが、ここでもう一度載せたいと思います。

僕らは、なぜこの世に生まれてきたのか?
古代の叡智では、このように語られている
僕らは無限からやって来て人体に宿ったメッセンジャーなのだと
僕らは生まれて成長し年を重ね、そして再び無限へと帰っていくのだと
生まれた時から、僕らには僕らになるべくプログラムがされていて
自分のことをどう思おうと、それでプログラムに影響が出ることはないのだと

人間は、生まれた時から言語を生み出すようにプログラムされている
その後身体が発育し始め、心が成熟し始め、そして話せるようになると
面倒を見てくれる人々から、彼らが持っている知識を教えられる
そして、どのようにするのが「正しい」振る舞いであるか
つまり「善人」になるかを学ぶのだ
そうやって、動物と同じように「飼い慣らされて」いくのだ

僕らは大人たちが望んでいることをすると「良い子」と言われ
大人たちが望んでいないことをすると「悪い子」と言われ
時には悪くもないのに罰せられたりもしてきた
良い子というほうびを貰えない恐怖から、他人を喜ばせようと努力するようになった
僕らは良くあろうと努めてきた
なぜなら悪人はほうびをもらえず、罰せられるから・・・

(途中略)

「飼い慣らされる」以前は、自分がどうであり
どういう風に見えるかなど気にすることはなかった
僕らは真実に生きていたから真実を語り、僕らの注意はその瞬間瞬間に向けられ
未来を怖れたり、過去を恥じたりしなかった

「飼い慣らし」によって、他のすべての人々から受け入れてもらうために
本来の自分で生きることができなくなった
人間に生まれつき備わっていた正常な本来の性質は
「飼い慣らされる」過程において失われてしまった
僕らは、その失われてしまったものを一生をかけて捜し始めた
本来の自分である自由を失ってしまったので、自由を探求し
幸せを失ってしまったので、幸せを捜し求め
自分が美しいことを信じなくなってしまったので、美を探究し始めたのだ

僕らは愛を求めている
なぜなら愛とは自分の外にあると教えられ、そう信じるようにと学んできたから
僕らは正しさを求めている
自分たちが教わった信念体系には、公正さなどこれっぽちもないから
僕らは真実を求めている
なぜなら自分の心の中に蓄えてきた知識しか僕らは信じていないから
そして言うまでもなく、依然として完全性を求めている
今や僕らも
「完全なものなどどこにもいない」ということを信じるようになったから


I am what I am. 
I accept myself as I am. 
I don't need to please other people by pretending to be what I am not. 
I can never be what I am not. 
I can only be me, and that's it.

Don Miguel Ruiz

(訳)
私は私
私は自分自身を私として認める
私は自分でないもののフリをして他人を喜ばせる必要はない
私は私でないものには決してなれない
私はただ私でありえるだけ、ただそれだけ

ドン・ミゲル・ルイス

そういえば、槇原敬之さんの作詞作曲でSMAPが歌った『世界に一つだけの花』という曲が発売されたのは15年前なのに、今でも売れ続けているそうです。
その頃、僕は子供たちにボイストレーニングを指導していて、この曲を初めて聴いた時に僕は気に入ってしまって、何となく教材にしていました。

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one 花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うその中で 一番になりたがる? そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい〜♪

この曲が発売された時、「NO.1にならなくてもいいという考え方は良くない、NO.1になりたいと思うからこそみんな切磋琢磨して成長していけるのだから」と、強く批判されている方もいました。
しかし、槇原さんはきっと見えない世界から感化されて作ったのだと思います。
これは槇原さん個人の考えではなく、きっと「おおもと」からの情報だったのだと思います。
宇宙の意志だったのだと思います。
今でも売れ続けているということは、地球の波動がかなり上がって来て、多くの人が「深い部分の自分」と繋がり始めている証拠かもしれません。

サッカーW杯が始まっていますが、優勝できる国はたったひとつしかありません。
それ以外の国は、みんな敗戦の悲しみを味わうことになるのです。
しかし今回は、優勝国よりももっと印象に残る国が現れるかもしれません。
その国は、きっと日本だと思います。
世界が「NO.1」ではなく「Only one」を賞賛する時代。
これから、そんな時代へと突入していくのです。


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