piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

タグ:チェルノブイリ

まず最初に、お断りをしておかなければなりません。
前回の記事で、瞑想をしている時に南米のシャーマンと繋がったと書きました。
しかし、南米のシャーマンではなかった様です。
詳しくは、前回の記事の最後の(追伸)をご覧ください。


そういえば、南米といえばもうすぐリオデジャネイロオリンピックが始まります。
開会式は日本時間の8月6日の早朝で、この日は広島原爆の日でもあります。
そこに目をつけたのが、開会式の演出を指揮する映画「シティ・オブ・ゴッド」でアカデミー監督賞候補にもなっている映画監督のフェルナンド・メイレレス氏。
メイレレス氏は環境問題をテーマに掲げていて、開会式の中で広島に向けて黙とうをする企画を考えていたそうなのですが、全世界の人たちを公平に見るのが五輪の趣旨なので、アメリカ人のことも考慮するとそれが出来なくなったそうです。

「戦争は一番の環境破壊」だと、僕はかなり昔に旧ブログの中で書いたことがあります。
その後、故筑紫哲也さんがお亡くなりになる直前に「戦争は一番の環境破壊」だということを、遺言の様に訴えかけていたのを思い出します。
もちろん原爆だけではなく、原発も同じです。
多くの政治家や専門家が安全だクリーンだなどと言ってきましたが、事故が起きたらどんなことが起きるのか?
この世はチェルノブイリや福島の様な想定外のことが起きる訳です。
3日前のニュースでも、もんじゅの断層は「少なくとも過去12万~13万年前以降は活動していない」と判断して評価書案を取りまとめたということですが、しかし13万年ぶりに活動するなんてことはないとは言い切れないと思います。
熊本の例もありますし、何といっても地球の歴史は46億年ですから、たかだか十数万年では参考にはならないと思います。
本当に有識者と呼ばれている人たちは、何を考えているのだろう?
原発利権の犬は、日本経済界に相当奥深くまで浸透してしまっているに違いありません。
犬というのは、米国1%の勢力の傀儡のことです。

それは兎も角、メイレレス氏は開会式の中に日本に向けてのメッセージも考えているそうなので、今から楽しみです。


さて、環境問題を考えながら、今日は自然の写真をいっぱい貼ろうかと思います。
晴れた日には葛飾区にある水元公園までサイクリングをしてくるのが日課になっているのですが、先日は写真を撮ることを目的として行ってきました。
本当は自然を満喫することの方が大事で写真はそれを邪魔してしまうのだけれど、目的を写真を撮ることに切り替えてしまえば、それもまた良いのです。

写真は見るものではなく、写真は読むものだと思っています。
自分で言うのもなんですが、いずれもかなりの作品に仕上がっています。
是非是非、写真アート作品を読んで、ご鑑賞ください。
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松戸から江戸川左岸自転車道を通って葛飾橋を渡って数分で、水元公園釣仙郷(ちょうせんきょう)入口に着きます。(写真↑東金町5丁目交差点)
そこから水元公園沿いに西へしばらく行くと、南蔵院しばられ地蔵尊があるので、まずここでイイ写真が撮れる様にお願いをしました。
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公園内は釣りをしている人が多いのですが、釣った魚を横取りしようと狙っているサギが釣り人のすぐ真横にいたりするので、笑ってしまいます。
人の背丈程もありそうな巨大なサギがいるのですが、この日も見かけたのですが、すぐに飛んで行ってしまって撮らせてはもらえませんでした。
釣り人の他にも、ベンチで気持ちよさそうに寝ているおっさん、大自然の中で寝そべって読書をする若者、結婚式の記念撮影をしている人たちなどなど、色んな人が公園にはいます。
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ワザと手前の植物に焦点を当て、背景をわずかにぼやかす。↓
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画家の名前を忘れてしまいましたが、こんな様な絵があったと思います。↓
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もうしばらく奥に行くと、ここは本当に東京なのかと思ってしまうほど、うっそうと茂った森の中へと入って行きます。
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さらに行くと、バードサンクチュアリーがあります。
撮れますかと訊くと「ダメだね」と返ってきます。
カワセミを撮っているそうですが、ほとんど姿を見せないみたいです。
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四角い穴を覗くと・・・。
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時々けたたましい轟音をあげながら、僕の頭上にヘリコプターが飛んで行きます。
どうやら2羽のカラスが僕の後を付いてきている様です。
実はYouTubeでkagomeさんの動画を見てからというもの、ヘリコプターにシェイプシフトしたシリウスUFOとおそらくUFOと何だかの関係性のある2羽のカラスを頻繁に目撃する様になりました。
ヘリコプターの写真は撮れませんでしたが、2羽のカラスたちにはちょっとモデルになってもらいました。
木の曲線とカラスたち、なかなかの構図だと思います。
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2本の木とベンチで佇む2羽のカラス・・・そのまま写真のタイトルにしてしまってもいいかも・・・。
本当は佇むというよりは、僕をリサーチしているのだけれども・・・。
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この日は花を撮るという目的がありました。
その幾つかを載せたいと思います。
これは葉と花の対比を考えて撮ってみました。
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夏といえばヒマワリ。
定番だけれども、逆にだからこそ撮るのが難しい。
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広い草原で寝そべりました。
近くに咲いていたアザミに焦点を合わせて、遠くの林を撮る。
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泥水が濃ければ濃いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせるそうです。 
泥水とは人生におきかえれば、辛いこと、悲しいこと、大変なことであって、泥水ではなく真水に近い様なきれいな水である場合には、本当に小さな花しか咲かないそうです。
蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせることであって、その花の中に実があるのが 「悟り」 なのだそうです。
人は色々な辛さ、悲しみ、大変なことを経験しない限り、悟ることはできないということらしいです。
それをお釈迦様は後世の人に伝えるべく、その象徴として蓮の花が台座に選ばれているのだそうです。
そんなことを噛み締めながら撮った一枚・・・。
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確か幼稚園の頃だったか?
僕は2回ぐらいここに遊びに来たのを憶えています。
その時の印象が、兎に角だだっ広い原っぱがあったということと、その中にフィールドアスレチックがあったということ。
この景色を見るのは、たぶんその時以来・・・。
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縦長と横長、大と小という対照として捉える他、ベンチと柳の木の擬人化を意識しています。
2人の老人の様な・・・。
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捉えたかったのは、広さとみどりのやさしさ。
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最後に、マイチャリをモデルにして・・・。
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もちろんこれらは作られた自然ではあるし、僕は雑草も好きなのだけれど、今日も行きましたが草原の草が全部刈られてしまっていました。
でもこれは都会の公園の宿命だと思います。
これはこれで素晴らしい文化だと思いますし、人間と自然の共存の中に生じる美しさというものがあります。
これは本当の自然ではありませんが、安らぎ、憩いの場所としては最高です。
ここは都会のオアシス、素晴らしいエネルギーに満ち溢れています。
人間は、こうしたエネルギーに触れることが、何よりも大事です。
人間は自然と共生していかなければ、生きてはいけません。
環境は大事です。

それはこの3次元世界に住む人々だけが感じていることはなく、パラレルワールドの住人やシリウスUFOまでもが、そのことを訴えかけてきます。


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東日本大震災から、もうすぐ5年が経とうとしています。
5年前の3月11日に、いったい何が起こったのか?
福島第一原発事故による放射能漏れもまだ収束したとはとてもいえない状況で、そして何より核廃棄物の最終処分の方法はまったくの未解決のままなのに、川内原発に続いて高浜原発も再稼働させてしまう政府の目的とはいったい?

2011年3月11日14時46分18.1秒、牡鹿半島の東南東約130km・仙台市の東方沖70km付近の太平洋(三陸沖)の海底、深さ約24kmを震源として発生し、そこから始まった断層の破壊は3分間も続き、震源域は南北450km、東西200kmに及び、地震の規模はマグニチュード9.0で、そのエネルギーは阪神大震災の1400倍に達したそうです。

陸側のプレートの先端部分が海底で大きく跳ね上がったために、海水が大きく持ち上げられて巨大な津波になりました。
山手線の内側の9倍に相当する561平方キロメートルが、津波に浸水しました。
現時点で死者は12都道府県で1万5894人(関連死除く)、行方不明者は6県で2563人となっています。
震度6弱の揺れが収まった後、南三陸町役場の本庁舎を出て、隣の防災対策庁舎 2階の危機管理室に駆け込みました。しかし、波が川を遡上しているのが窓から見え、高さ12mの屋上に避難しました。海岸線が土煙で黄色くなり、建物はドミノ倒しのように崩れていきます。映画の特撮を見ているようでした。津波にのまれたのは間もなくです。

波は、本庁舎をバリバリと音を立てて壊し、こちらに襲ってきました。私は、たまたま非常階段の手すりに足がひっかかり、流されずにすみました。しかし、50人ほどいた職員や町の人たちは私を含めて10人になっていました。 皆ずぶぬれで、ぼうぜん自失でした。周囲の建物もほとんど消えてしまいました。

その後も続く津波を警戒しているうち、日が沈み、 雪が降ってきました。庁舎の中で、おしくらまんじゅうまでしましたが、歯がかちかち音を立て、震えが止まらない。地獄のような寒さでした。助かったのは、たばこを吸う職員のライターでした。朝まで生きていられる。そう思いました。


約1000人が身を寄せる町総合体育館に入り、災害対策本部を設置します。そこはやがて、天国と地獄が同居したような場所になります。何日かぶりに再会できて、感激の涙を流す人。遺体安置所になったエリアで泣き崩れている人。避難所だから近くでご飯を食べている人もいる。悲惨でした。

まず、やらないといけなかったのは被災状況の把握と食料の確保です。震災翌日、記者会見を開きます。「津波が引くと、50人いた職員や町民らが10人になっていたんだ」「うちの情報流してけろ」。ありのままを泣きながら話しました。役場も流され、金もない。ともかく惨状を伝え、支援物資を届けてもらうしかない。そんな思いでした。記者会見はその後も、ほぼ毎日2回開くようにしました。


小学生の時、1960年のチリ地震津波で旧志津川町(現南三陸町)の自宅を流され、今回の震災でまた流された。南三陸は約120年の間に4度も津波に襲われている。この経験と教訓を次世代に生かさないといけない。高台移転を復興の基本にしました。

ただ、国のやり取りでは苦労しました。土地のかさ上げや集団移転をしようにも、規則や制限などがあるため、仕事がいちいち止まる。「制度を復興に当てはめるのではなく、復興に制度を合わせてください」と復興庁に何度も言いました。災害はいつ、どこで起きるか分かりません。迅速に対応するべきです。
(2016年1月25日⦅月⦆の読売新聞、震災5年—証言— ①から抜粋、宮城県南三陸町長、佐藤仁さん)
生きていれば、いつどこで何があるかわからない。
特にこの日本は地震大国であり、世界でも有数な火山列島な訳で、台風なども含めれば毎年日本のそこかしこで自然災害が発生しています。
記事には、南三陸は約120年の間に4度も津波に襲われていると書かれていますが、この経験と教訓がまったく活かされていなかったと言わざるを得ません。

そして今、最も危険視されているのが南海トラフ地震。
いつ起こるのかは分かりませんが、政府が発表した南海トラフ地震の被害想定は「死者32万人」となっています。
高知県の人だったか?忘れましたが、テレビで観たのですが、沿岸部に住んでいる人のインタビューが忘れられません。
「来たら、その時が最後だ。」と言って完全に諦めていました。
きっとあの東日本大震災の地獄の光景をテレビで観ていたでしょうし、新聞や雑誌で情報は掴んでいるとは思いますが、お金も余裕もないのでしょうね。
せめて政府が「死者32万人」と被害想定を出しているのなら、政府が資金を出して住居を高台へ移転させるなどすべきだと思うのですが(防衛費などにお金を加算させるのではなく)・・・今の政府がやる筈ありませんね。(因みに、2016年度の予算で防衛費は5兆500億円以上になる見込み)
高知県など地元では、高くて丈夫な建物の建設が進められているそうですが・・・30m級の津波が来ても耐えられる高層ビルの様な建物じゃないと、なんだか簡単に流されそうです。(津波避難タワーも見ましたが、とても低すぎて話にならない)
まったく東日本大震災の教訓が活かされていない。
1時間の予定だった福山哲郎副長官(当時)との面会は、2時間半になっていました。「村をゴーストタウンにしたくない」。その一心でこちらが粘ったからです。

渡された紙には、三つの要点が、大きな文字で書かれていました。〈計画的避難区域〉〈年間被曝線量20ミリシーベルト〉〈おおむね1か月の間に避難〉。頭のいい人たちが考えた言葉だなと思いました。1か月かけて計画的に村民全員を避難させるエリア、というわけです。私は何度も食い下がりました。避難するにしても、再生への足がかりを残す具体的な方法を示してもらいたかったのです。

しかし、福山さんは「住民の健康を守るのが大切」「避難してもらいたい」と言うばかりです。政府が原子力災害対策特別措置法に基づく避難指示を出したのは4月22日。この日付を生涯忘れません。


20ミリシーベルト以上は避難、計画的避難区域では事業も認めないというのが原則です。ただ、ちゃんとした建物の中なら、毎日8時間仕事して1年間積算しても20ミリシーベルトにならないのではないか。そんな発想が浮かびました。
 
村にある精密機械工場などが操業を続けることができれば、避難指示が解除された後の足がかりになる。あちこち測って換算すると、やはり年間20ミリシーベルトに満たない。室内勤務の会社に声をかけました。8事業所が操業継続に前向きでした。

村の特別養護老人ホームも20ミリシーベルト未満でした。福島県内では当時、病院や福祉施設にいた高齢者が、避難後に亡くなるケースが相次ぎました。県内の病院にいた妻の母親も転院1か月後に亡くなりました。特養はやはり残したほうがいい。

特養と8事業所が事業継続を国に要望し、何度も激しいやり取りをした末、全村避難中の特例として認められました。ゴーストタウン化を極力抑えられる。踊らんばかりの喜びでした。通いの約550人の雇用も確保できました。


 原子力災害はゼロからのスタートではない。マイナスからゼロに向かい、何世代にもわたって不安と闘って進まなければならないからです。人口も減るでしょう。

ただ、いま村に戻ろうとしている人は、かなり前向きな古里志向の人です。ないものねだりより、あるもの探し。道は平たんではないけれど、まるきり閉ざされているわけではない。そう考えるようにしています。 
(2016年1月26日⦅火⦆の読売新聞、震災5年—証言— ②から抜粋、福島県飯舘村長、菅野典雄さん)
そこに暮らしている人たちの苦しみは、テレビなどからではなかなか伝わらない。
村長さんという立場として村民のことを思う時、やはり雇用など生きていく上で最低限度のこと、避難指示が解除された後のことを考えるのは当然のことだと思います。
村民の健康のことしか考えていない政府とのやり取りでの苦悩が窺えます。

そういえば一昨日、丸川環境相が除染の基準が年間被曝量1mSvとなっている点について「何の科学的根拠もなく細野環境相(当時)が決めた」と発言した問題で、国会で「誤解を与えた」と発言を撤回して陳謝しました。
しかし政府は「20mSvまでは帰宅してよい」と決めていますが、「1mSv以上は危険だ」という錯覚が人々に刷り込まれたために除染も帰宅も進まなくなっているので、丸川氏の指摘は、実は正しいのかもしれません。
3月12日午後3時36分、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋から白煙が上がりました。そのテレビ映像を首相官邸の一室で見た時、すぐに悟りました。「ああ、水素爆発だ」

津波で電源を失った原子炉は冷却できなくなり、燃料が過熱して水素が発生します。その日の朝、福島第一原発へ視察に向かうヘリの機内で、菅直人首相(当時)に水素の危険性を聞かれたのですが、「格納容器には(燃焼を防ぐ)窒素を入れている。水素による爆発はないでしょう」と話したばかりでした。

それより私が心配したのは、高温の蒸気によって格納容器の圧力が限界を超え、容器が壊れて大量の放射性物質が飛散する事態でした。午後2時半、格納容器から蒸気を排出して圧力を下げる「ベント」が成功したと聞き、危機は去ったと喜んでいました。

しかし、実は水素が格納容器の中にとどまらず、建屋内に漏れ出していたのです。それが爆発を起こしたのです。「考えてみれば当たり前の話。なぜ気付かなかったのだろう」。胸の内で、自分の見通しの甘さを何度も責めました。爆発は、科学者としての信用をも吹き飛ばしてしまいました。


12日朝、菅首相と一緒に福島第一原発まで行った時のことです。なぜベントがなかなかできないのか、東電の武藤栄副社長の説明は、とても参考になりました。電源や弁がどういう状態なのか分かったのです。次の対策を考えるため、原発で何が起きているのかをもっと聞き出したかった。ところが、首相はその話を遮ってしまった。大事な機会を逸しました。

原子力を知らない政治家との対話には苦労しました。その一つが海水注入問題です。管首相は海水によって再臨界が起きないかと聞いてきました。科学者はデータがない限り、断定的に言いません。それで私は「(可能性が)ゼロとは言えない」と答えました。これを政治家たちは「危険性がある」と受け止めてしまった。科学者が使う言葉を、違う意味に取られてしまったのです。

もちろん、自分自身に対する反省と後悔も大きいですよ。11日夕方、原子炉を冷やせない緊急状態になったことを伝える報告文が、東電から届きましたが、そこに書かれていた「念のために(報告する)」という言葉に引きずられ、「大丈夫だ」と思い込んでしまいました。私は甘かったのです。

その結果、(炉内のデータを得るのに必要な)直流電源すら失っていた惨状に、思いが至りませんでした。福島第一原発へバッテリーを空輸するよう、早い段階で提案していたら、その後の相次ぐ爆発を食い止められたかもしれません。


1986年、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きても、日本は過酷事故対策に向き合ってきませんでした。99年のJOC臨界事故の後に誕生した保安院も、万が一に備えた対策の強化には後ろ向きでした。想定を超えた事故を認めると、「原発は安全」という考え方を否定することになるからです。

私は2010年に原子力安全委員会に就き、安全委で過酷事故対策を強化しようとしました。しかし、手始めとなる公開会合の5日前、福島の事故が起きてしまった。

多くの被災者を生む事故を招いたことに、責任を感じています。なぜもっと全速力で改革に取り組まなかったのでしょう。結局、私は何ができたのか。今も同じ問いを繰り返す日々です。せめて、あの事故で何が起きたのかを忘れないうちに後世に伝えねばという思いで、最近は講演や執筆をしています。
(2016年1月27日⦅水⦆の読売新聞、震災5年—証言— ③から抜粋、元原子力安全委員長、斑目春樹さん)
思い違いや思い込みが、大惨事に繋がることは多いです。
それに、こういうことは多くの人の命がかかっているので甘かったでは済まされない。
しかし考えてみると、当時は原子力ムラという産・官・学の癒着によって、世間では「想定外」などという言葉はタブーとされていました。
そんな中、斑目さんが行おうとしていた過酷事故対策強化は一筋の光だったのかもしれません。
しかし、いかんせん遅過ぎた。

起きてしまったことはもう後戻りできませんが、再度繰り返しになりますが、問題はこの教訓をどう活かしていくかにあると思います。
しかし、危険視されている南海トラフ地震の対策に国は消極的で、それどころか川内原発と高浜原発を再稼働させてしまった。
耳にタコができるほど聞かされた「安心安全」という言葉に誤摩化されていますが、よりにもよって川内原発の目と鼻の先にある桜島が、今年の1月4日と2月5日に噴火を起こしました。

福島第一原発事故は、不幸中の幸いだったと言ってもいい部分が確かにあります。
しかし桜島の噴火による川内原発の事故なんてことがあったら、不幸中の幸いなんてことは決してありません。
なぜ、国はそんなことにも気がつかないのか?
そんなに利権が大事なのか?
国民の命よりもそれが大事なのか?


読売新聞の「震災5年—証言—」は全部で⑥まであったのですが、今日はここまでにしておきます。
でもこれだけではただの普通のブログになってしまうので、次回は不可思議blogならではの原発に関する記事を書きたいと思っています。


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昨日、夕食の準備が終わって居間に座ったら、マーラーの交響曲第10番アダージョがテレビから流れていました。
どうやら園子温監督の「希望の国」という映画を家族が見ていたらしいのです。
この映画のテーマ音楽のように、マーラーの第10番が流れてきます。

内容は、長島県(架空の県)の東方沖で起こった大地震によって原子力発電所が事故を起こし、 酪農家の小野泰彦一家は避難区域に指定されるのだけれど、痴呆を患う妻・智恵子に慣れない場所での避難生活でストレスを与えたくなく、また先祖代々住み続けて来たこの土地以外に自分たちの行き場はない泰彦は、牛たちを猟銃で射殺すると智恵子とともに心中してしまうという、なんとも居た堪れないようなあらすじに、食事も喉に通らなくなってしまいました。

そして極めつけのマラ10。
この世の中にこんな凄い音楽が存在するなんて信じられないと思いながら、必死に涙を堪えて咀嚼で誤摩化す。
最初から見ていた家族たちはまったくの無表情で黙々と食べているのに対し、エンディングしか見ていない僕がなんでこんな涙目にならなければならないんだろうか?
兎に角、この音楽、この音楽が凄過ぎる。
マーラーという作曲家がその昔この世界に存在していたということ事態が、あまりに奇跡的過ぎる。



それはそうと、原発事故といえば、もう3年も経つというのに福島第一原発が未だに収拾がつかない状態ですね。
現在も放射性物質が海に垂れ流し状態です。
つい先日も、人為的操作が原因でタンクの汚染水漏れが起きたばかりだというのに、今度は掘削工事でケーブルに傷がついて4号機プール冷却停止とは、なんという恐ろしさ。
使用済み燃料取り出し作業は去年の11月に始まったばかりで、約1年も掛かるのです。
ただただ無事に終わるのを願うばかりです。
作業員の皆さん、本当に命懸けの作業ですが、世界を救ってください。


東日本大震災から約1年後に日本で公開された映画「チェルノブイリ・ハート」と同時上映された短編映画「ホワイト・ホース」が衝撃的で今でも忘れられません。
チェルノブイリ・ハートとは、赤ちゃんの心臓に穴が空いてしまう病気のこと。
放射能によって引き起こされる病気は他にも甲状腺ガンや白血病、先天的な脳性麻痺や脊髄損傷、水頭症、悪性腫瘍なども引き起こします。
そうやって障害を抱えて生まれてきて、親が治療費も払えずに捨てられた子供たちが集まる施設がチェルノブイリ近郊には幾つもあるそうです。
 
人間はこれだけの過ちを冒しておきながら、また再び同じ過ちを冒すつもりなのでしょうか?
先日の東京都知事選でも原発推進の自民党推薦の舛添氏が大勝しました。
その時に安倍晋三首相は、安全が確認された原発の再稼働を進める考えを示しています。
安全って、一体どこまでが安全と言えるのでしょうか?
これ程の地震大国で、これ程の東電の人為的ミスが続き、且つまたテロや戦争が起きたら・・・ましてや今現在福島原発4号機が大変危険な作業が行われているというのに・・・。
これに懲りずに、細川
&小泉両元首相の脱原発タッグの今後の巻き返しに期待したいところです。


神はこの地球の次元を上げんと動かれたり。
今のままなれば、地球はいずれ破滅となりにけり。
環境破壊が叫ばれつつも進まぬ対策。
危険と知りつつも使い続ける物質、機械。
そこにあるは金銭欲と危険への認識の甘さ。
自分には危険及ばぬと思う浅はかさなり。
利益追求、我欲追求の心ある限り、危険な物はこの世から無くならぬ。
何よりも人の命と地球生命全てを大切にする心取り戻さねば
この世はいつまでも危険と隣あわせならん。
人間は知恵深きなれば、力を合わさば安全なる文明の開発も容易きなり。
なれど思惑がぶつかりてそも叶わず。
いかほどの天災、人災あらば人は思い知るや。
人間は肉体ある限り、物質無くば生きられぬ。
我を捨て、この世を浄化し、魂を清め、この地球の次元高めらば
自然と愛ある文明、物質へと変化せん。
さなる世の到来までこの世の膿出しは続くと心得るべけれ。



さて、もう3月です。
春ももうそろそろと言いたいところですが、今日は冷たい雨が降っています。
北国では今日も雪だそうです。
遠い春・・・。

今日は早く春が来ればいいなという願いを込めて、「サクラ」という曲を載せます。
ピアノ小品曲集「エピクロスの庭」の第6曲目の曲です。



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