piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

タグ:安保法

台風も過ぎ去り選挙明けとなった今日、予想はしていたもののこれほど自民が圧勝してしまうと、「本当に日本という国は・・・」とあれやこれやとぼやきたくなってきてしまいます。
自民圧勝の最大要因は、希望の党の大援護射撃にあったと言ってもいいと思います。
「小池氏は自民のマッチポンプにすぎない」と言っても、誰も信じないかもしれませんが・・・。

政治のことを書くと、やっぱりどうしても誰かを批判することになってしまうのであまり書きたくないのですが、こうなってくると書かざるを得ません。
書いても当局から狙われるほどのアクセスではないし、きっとただの陰謀論者だと思って殆どの人は相手にしないと思うので、だったらとことん書いてやろうと考えましたw
(もちろん僕は陰謀論者などではなく、ありのままの真実を書こうとしているだけですが・・・)

自民党と希望の党は一枚岩だと前回の記事に書きましたが、つまり自民と対極になるような政党を自民自らが作り出し、その政党が何か問題を起こしたり国民の信頼を裏切るようなことを意図的に計画して、そうやってその政党の支持率を落とすことによって自民党を勝利に導かせているということです。
つまり小池氏のあの「リベラル排除」発言などは、希望の党の支持率を意図的に落とすための計算しつくされた発言だったと見るべきです。
(「自民と連立排除せず」発言も、もはや「第2自民党」というべき決定的なものでした。)

これは、自民党の常套手段です。
希望の党だけではなく、そもそも共産党とも一枚岩です。
共産と聞いただけで、日本人はすぐに中国や北朝鮮などの独裁政権国家と関連づけてしまうほど嫌っています。
そんな共産党が日本で政権を取ることは、絶対にないのです。
そんな共産党が自民党の正反対の意見を言い続けていれば、共産党の意見がどんなに正論であろうが、自民党の意見がどんなに常軌を逸していようが、共産党はヒールであり続け、自民党はヒーローであり続けるのです。
共産党が政権を取りたいのであれば、共産という文字を取ってしまえばいいのになぜ取らないのか?
それは、自民党がヒーローであり続けるための演出だからということです。
共産党の下部の人たちはそのことを知らないと思いますが、上層部はそれを知っていると思います。
最近、何だか共産党の意見がまともに聞こえてくるのも、いかに自民党の政策がおかしいかということになるのかもしれません。

そんなどこかおかしい自民党が、圧勝してしまう訳です。
共産党がモリカケ解散だとどんなに批判しようが、消費税引き上げて原発再稼働しようがアベノミクス失敗しようが経済格差が広がろうが、相変わらず保守的に考える人が多い日本の国民は、安倍自民なら国を豊かにし北朝鮮の脅威から国を守ってくれるのだと信じているのでしょう。
他の政党では不安だと・・・。
結局それも新党を結成しては壊し、また立ち上げては壊すということを繰り返して、自民が国民の目を欺かせてきたということです。
そうやって、自民自身が自民以外に支持できる政党ができないようにしているのです。

自公、維新、そして希望も右派。
立憲民主は枝野幸男代表は違うと思いますが、瓦解した民進から希望に合流しなかった人たち(所謂リベラルといわれる人たち)は左派。
選挙は「中道がない2極構図になった」のだと、作家の高村薫氏がAERAで語っています。(選挙前のインタビューでですが・・・。)
高村氏は「私も含めて有権者の概ね半分は、政治的には穏健な中道のはずですが、その人たちが票を投じる先がない。」と語っていますが、本当にそうだそうだと読みながら頷いていました。
世の中をちゃんと見ている人はいるのだなと、こういう方がこの世にはちゃんと存在しているのだなと、そう思うと何やらそれが奇跡的なことのように思えてきて目頭が熱くなりました。
(僕の記事が信じられなくても、高村氏が仰られていることなら信じられると思います。)

因みに僕はどこに入れたかといえば、憲法改正は反対で「脱原発」支持なので、立憲民主か共産か社民ということになりますが、共産と社民は問題外、立憲民主も殆どが左派ですが、唯一中道の枝野代表のこれからに期待して立憲民主に入れました。
しかし枝野代表はフクイチの事故の時には官房長官になっていて、放射線量について「直ちに人体や健康に影響を与える数値ではない」と発言していて大きな問題となりましたが、この問題はまだ解決していないと思います。
そういうマイナスなイメージも含めて、立憲民主党の今後を注目していきたいです。
得てして、期待すると裏切られるものですが・・・。
しかし、自民の息のかかった政党ではないと思うので・・・。

さて、仮に希望の党が与党側に回らなくても自公は3分の2を上回ったので、憲法改正の発議が極めて濃厚となってきました。
(おまけに希望の党という隠し球を温存する形で・・・。)
闇の勢力から大目玉を食らわずにすんだ安倍首相は、安堵していることでしょう。
これでアベノミクス3本の矢ならぬ、戦争への3本の矢が放たれることになります。
集団的自衛権、安保法、そして憲法改正です。
多くの若い人たちは政治に関心がないようですが、徴兵制が導入されてはじめてことの深刻さに気がつくのでしょう。
殆どの人は今の日本に徴兵制など有り得ないと考えているようですが、悪魔は忍び足でゆっくりと誰にも気がつかれないように近づいてくるのです。
気がついた時には、もう手遅れ。
日本は、七十数年前の戦争をしていた時代に逆戻りしようとしているのです。

敵は北朝鮮ではありません。
北朝鮮は闇の勢力の傀儡で、日本を戦争に引きずり込ませるための道具にすぎません。
日本兵が駆り出されるその場所は、おそらく中東です。

何にしても、それが起こってしまったらすべてが終わりです。
地下に核シェルターを作って、数年分の食料を蓄えておかないとダメです。
それができるのは、政治家と金持ち(1%の富裕層、闇の勢力)だけです。
このままだと、ジョージアガイドストーンに書かれているように進んでいってしまいます。
あの石碑を建てたのは、闇の勢力に違いありません。

しかし、悪魔だけがこの世を支配している訳ではありません。
世界がどのような状況になろうと、神の国は我々の心の中、目に見えない所にちゃんと存在しています。
目に見えるものだけに拘らないこと。
それを信じるのではなく、努力してそれを自ら体験すること、不可思議を体感することこそが真実への唯一の道であり、平和への道なのです。
2017101205


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ここの所、雨や曇りばかりでなかなかお日様が顔を出してくれないので、体調が思わしくありません。
ちょっと涼しくなっただけで風邪気味になったり、ちょっと変なお菓子を食べただけで、すぐにお腹を壊してしまったりしています。
季節の変わり目は体調を崩しやすいので、皆さんもお気をつけ下さい。

さて、北朝鮮は北海道上空を通り過ぎるミサイルを放ったり、大陸間弾道ミサイルを搭載するための水爆実験を行ったりと、相も変わらず挑発が繰り返されています。
おそらく、日本人の誰もが北朝鮮に対して憤りを感じていると思います。
もし本当に戦争にでもなったら、いったい日本はどこまで巻き込まれてしまうのかと、心配になっている方も多いと思います。

それにしても世界からこれだけ非難を浴びているにも関わらず、北朝鮮はなぜそこまで核開発を押し進めるのか?
どう考えても、不思議です。
本当に金正恩は、アメリカと対等に話しができるようにするために核開発をしているのでしょうか?
それともアメリカが恐いから、防衛処置としてなのでしょうか?(イラクのようにならないために)
裏で操っている人たちがいる・・・こういうと陰謀論に聞こえるかもしれませんが、実はそう考えればすべての点と線が繋がってくるのです。

そもそも根っこにある朝鮮問題を紐解いていかなければ、何も見えてきません。
1950年に勃発した朝鮮戦争は、南朝鮮(韓国)軍&国連軍vs北朝鮮軍&中国軍の争いでした。
実は、アメリカと旧ソ連は参戦していないのです。
つまり裏で操っている人たちというのは、アメリカと旧ソ連(ロシア)のことです。(特にアメリカの1%の人たち、闇の勢力)

1950年1月12日に、アメリカの当時のアチソン国務長官が演説で「南朝鮮(韓国)はアメリカの防衛戦の外だ」と発言しました。(不後退防衛線、アチソン・ライン)
それを聞いた金日成が北朝鮮軍の南朝鮮への攻撃を一斉に開始させて、一気に釜山まで攻め入りました。
南朝鮮のために国連軍が参戦するためには、安全保障理事会の常任理事国が一国でも反対したらできません。
常任理事国には当然旧ソ連も含まれている訳ですが、なんとスターリンは旧ソ連の代表に安保理決議に欠席しろと命令したのだとグロムイコ外務大臣の回顧録に書いてあります。
つまり、旧ソ連は国連軍の参戦に反対しなかった。
これが何を意味しているのか?

それから1994年には、金正日の時ですが、米朝枠組み合意というのがアメリカが音頭をとってできています。
これは、北朝鮮が核を保有するのをアメリカが認めたということです。
この時に開発された原発は、なんと日本のお金が使われています。
つまり、日本国民の税金が使われているということです。
日本の税金が、今現在北朝鮮の核の脅威として帰ってきているということです。

2003年にアメリカは大量破壊兵器を保持していることを理由にイラクを軍事攻撃していますが、しかし実際には大量破壊兵器などなく、それにも関わらずフセイン大統領は処刑されていて、しかも攻撃をしたアメリカを非難するメディアもとても少ないです。
そんな北朝鮮よりもよっぽど健全なイラクには攻撃をしているのに、北朝鮮には攻撃しない。
なぜだと思いますか?
なぜなら、今の北朝鮮を存続させているのは他でもない、アメリカだからということです。
アメリカの軍産複合体が潤うためには、今の朝鮮問題ほど美味しいものはない。
だから朝鮮問題を解決させないまま、意図的にずっとアメリカは放置してきた訳です。
拉致問題がなかなか解決されていかないのも、日本政府もアメリカに加担しているからです。
日本はアメリカの言いなりです。
戦後、日本はGHQによって完全に骨抜きにされてしまっているのです。

そして、北朝鮮にはもっともっと核実験をしてもらい、ミサイルを日本近海にどんどん落としてもらいたい。
そうすれば、日本も韓国も焦って武器を買ってくれるから金儲けができる。
これがきっとアメリカ軍産複合体の本音です。
1%の闇の勢力の本音です。
最近ネットで目につくのは、「アメリカに頼っていては駄目だ!」とか「日本の軍事力を高める事が戦争の抑止に繋がる。国の平和に繋がる。」というような意見です。
まさに、闇の勢力の思う壷です。
トランプ大統領は昨日、自身のTwitterに「日本と韓国がアメリカから軍事装備を購入することを認める」と投稿しています。
日本は北朝鮮と戦争をする気はないのに、あたかも「日本も当然戦争に加わる」と決めつけているかのようです。
集団的自衛権や安保法案が碌に議論もされずに可決されてしまったのも、きっとアメリカの裏からの圧力があったからです。
奴らの目的はただ一つ、そうやってアメリカの軍産複合体が潤っていくことです。
すべては、北朝鮮やロシアも絡めたアメリカの自作自演です。

こう考えてくると、北朝鮮が大陸間弾道ミサイルでアメリカ本土を攻撃できるようになっても、金正恩は本当にはそれをやらないような気がしてきます。
また、そんなアメリカ本土を攻撃できるようなミサイルを北朝鮮が開発しても、トランプ大統領は本当には北朝鮮を攻撃しないような気もしてきます。
すべてが、すれすれのぎりぎりの所を通って何も起こらないかもしれませんが、まかり間違ってということが起きないとも限りません。
トランプ大統領は、行き当たりばったりで何をしでかすかわからない所がありますから。

兎に角、戦争にだけは絶対になってはいけません。
小野寺防衛大臣は今日、今回の核実験の爆発規模について約160キロトンと推定値を上方修正しましました。
もしこれが東京に落とされたら、約30〜50万人が死亡するという規模だそうです。
日本には原発が現在54基(フクイチも含めて)もあります。(内、現在稼働しているのは5基)
それを考えれば、放射能汚染で地球が滅亡してしまうでしょう。
北海道にも泊原発があります。
先日の北海道上空を通り過ぎていったミサイルが、もしまかり間違って泊原発に落ちていたらなんて考えると、背筋が寒くなります。
これは、大変な問題なのです。
しかしこれも不思議なのだけれど、本当にそんな危機感を持っている日本人はとても少ない。

ついでに言っておきますが、北朝鮮は核保有国です。
アメリカが先手を打って、破壊漏らしがないような短期間で集中的な北朝鮮の軍事施設や装備への破壊を行い使用不能にしてしまうだろうと予想している人もいますが、しかし、核施設に核攻撃を行ったらいったいどうなることになるのか?
チェルノブイリやフクイチの事故を上回るようなとんでもない量の放射能が、世界中にまき散らされることになります。
人間は当分の間、地上で暮らすことができなくなるでしょう。
トランプ大統領は、そのことを一体全体わかっているのかどうか?

いや、世界統一政府(闇の勢力)が地球の人口を5億人にしたいと考えているのなら、そのためには現在の地球の人口の74億人の内の69億人を消去しなければならないから、もしトランプ大統領が闇の勢力の傀儡なら、ひょっとしたらそれをやるかもしれない。
それを想定して、金持ちはみんな地下に核シェルター作ったりしていますから。 
これも皆、 闇の勢力がずっと長年にわたってシミュレートしてきたことなのかもしれない。
トランプ大統領が闇の勢力の傀儡でなければいいのだけれど・・・。 
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そんなことを言ったって、一般人の自分には何もすることができない・・・そう思っているかもしれませんが、それは唯物論的思考です。
何度もこのブログに書いてきたように、この3次元世界は幻想です。
真実は自分の身体の内側にあります。
それは量子物理学によって、明らかになりつつあります。
(しかし幻想だからといって、この世界の生活を疎かにしてはいけません。むしろその逆で、外側は内側の鏡であって、心技体が揃って磨かれてこそ魂が磨かれていくのです。特に食生活が大切。肉食厳禁。)

僕らは魔法使いで、3次元世界で生活をしている内に魔法の使い方を忘れてしまったのです。
しかし僕らには、瞑想や祈りによって大難を小難に、小難を無難に変える術をまだ持っています。
できるだけ多くの人が同じ祈りをすれば、100%間違いなく危機を脱することができます。
今ほど、同時瞑想が必要な時期はないかもしれません。

奴らの策略に乗っかってはいけません。
奴らの目的は、僕らに恐怖心を植え付けることです。
奴らの大好物は、人間の恐怖心です。
僕らが怯えなければ、奴らはエネルギーを失います。


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ニュースは連日、自然災害の脅威を伝えています。
先週は大雨で鬼怒川の堤防が決壊し、多くの家屋が水に浸りました。
それから東京湾で最大震度5弱(M5.3)の地震があったり、阿蘇山で噴火が発生して警戒レベルが3に引き上がりました。
昨日はチリ中部沖でM8.3の地震が発生して、日本でも津波注意報が発令されました。

日本の国土の面積は、全世界のたった0.28%しかありません。
それにも関わらず、例えばスイスの再保険会社スイス・リーが2013年にまとめた「自然災害リスクの高い都市ランキング」では東京・横浜が世界1位となり、他にも大阪・神戸が5位、名古屋が6位と、トップ10に3つのランクインとなっています。
注目すべきは、9位のロサンゼルスを除けば全てアジアということです。
逆に、イギリスの様に全く自然災害がない国もあります。(因みにイギリスでは、たまに小さな地震がある程度)

1.東京・横浜(日本)
2.マニラ(フィリピン)
3.珠江デルタ(中国)
5.大阪・神戸(日本)
5.ジャカルタ(インドネシア)
6.名古屋(日本)
7.コルカタ(インド)
8.上海(中国)
9.ロサンゼルス(米国)
 
この日本という国は、古の頃よりこうした自然災害が多くありました。
何も今にはじまったのではなく、古文書の中にも沢山の自然災害の記述が残されています。
むしろ、ここ数年は安定していたのだと語る学者もいます。
あの3・11以来、日本はどうやらまた活動期に入ったということらしいです。
先日の東京湾の地震も最大震度が5弱だったから良かったものの、もっと大きな地震になっていた可能性はある訳です。
その可能性は科学的にもずっと以前から示唆されてきた訳で、むしろ起こらない方が不思議なくらいなのです。

日本人は古代の頃から自然災害に遭ってきたので、DNAにもきっとそれが組み込まれていて、それが日本人の性質を作り出していると言ってもいいのかもしれません。
大和(やまと)という国は読んで字の如く「大いなる和」であって、皆で助け合い支え合いながら生きていくという意味が込められていると思うのです。
それがこの日本の風土で培われてきた日本人独特の気質だと思うのです。
でもこれは、今の日本人が忘れかけていることでもあります。
ひょっとしたらこれらの災害は、その「大いなる和」を思い出せという天からのメッセージなのかもしれません。



ところで僕は霊能者ではないので何とも言えないのですが、スピ系ブログを覗いてみると、案の定どのブログも今回の自然災害に霊的な意味合いを持たせています。
僕のブログもひょっとしたらスピ系に入ってくるのかもしれませんが、ただひとつ違うとすれば、それは「信じる」というのはとても危険なことで、常に「疑う」姿勢が大事だということを念頭において記事を書いているということかもしれないです。
無闇矢鱈に人の話を鵜呑みにするのは、危険極まりないことです。
本当にこの自然災害は神様からの警告なのか・・・?
もしかしたら自然災害を巧みに利用して、人々を恐怖に煽り立てているだけかもしれません。
そうした情報の9割以上はガセネタだと思った方がいいかもしれません。
なぜなら、真実は社会に浸透していかないからです。
この社会は、真実をひた隠しに隠そうする社会だからです。
しかし、我々は常に真実の探求者でなければなりません。
自分の心に訊いて何も響かないのであれば、そこには真実が存在しない可能性があります。
真実は自分の外にではなく、自分の中にあります。

神様にも、色々な神様が存在します。
そもそも、僕には神様の定義がよく分かりません。
日本の神道では、人は死ねば例外なく全ての人の魂が神様となって崇められます。
アニミズム信仰では、生きとし生けるものだけではなく石でさえも神様になってしまいます。
正反対に一神教のカトリックでは、キリストのみが神様です。
神様は宇宙人だったという説もあります。
因みに僕は、この宇宙人説がもっとも納得がいくのですが・・・(体験上)
もちろん、深いところでアニミズムも・・・(所謂ワンネス)


カタリ派によれば、この世は悪神が創ったとされています。
だから天上界の霊に戻る為にはこの世のものに執着せず、精神の世界に生きるべきだとしています。
「ブラジルで1匹の蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こるか?(バタフライ効果)」と気象学者のエドワード・ローレンツは問いかけました。
この世は蜘蛛の巣の様に繋がっていて(次元を超えて)、たったひとりの何でもない様な思いや行動が、やがて宇宙の隅々にまで影響を与えていくということです。
「千里の道も一歩から」と老子は言いました。
マニ教に伝えられている「光と闇の戦い」は、今現在でも続けられています。
その戦いは、ずっとずっと歴史を辿って行くと、シュメールに繋がっていきます。
つまり、エンキとエンリルの戦い。
それがメーソンとカトリックに繋がります。
「光と闇の戦い」や「エンキとエンリルの戦い」は、言わば「精神と物質の戦い」だと言ってもいいかもしれません。。
前回の記事で、僕は「平和への祈りは必ず通じる」というタイトルを付けました。
人ひとりの「平和への祈り」は小さな一歩ですが、それはやがて大河の様に変わるのです。



この間久しぶりにTSUTAYAに行ったら懐かしいタルコフスキーの映画のDVDが棚に列んでいて、思わず「ノスタルジア」と「サクリファイス」の2本を借りてきました。
何年前だったか忘れましたが、確か新宿かどこかの映画館でタルコフスキー祭りみたいなのをやっていて、僕はその時に全作品を観てきました。
「ノスタルジア」と「サクリファイス」はその時に上映されなかったのだけれど、いつかは観たいと思っていました。
でも、ずっと観る機会に恵まれませんでした。
だから本当に、実に久しぶりに世にも不思議なタルコフスキーの世界に触れることができて感無量でした。

しかし、あまりにも難し過ぎてよく分からない。
観終わった後、ネットでタルコフスキーの映画を解説している記事などを探して読みました。
特に面白かったのが、作曲家の故武満徹氏のインタビュー記事です。

僕が映画を好きなのは、映画は音楽だ、と思っているからなんです。タルコフスキーの映画には音楽が少ない。これは一貫してるんだけど、それは彼の映画が音楽的だからなのであって、ことさら音楽が入る意味がないんだろうと思うんです。限りなく音楽というものに近づこうとしている映画だ。


そのヴィジョンは他人に見せたいというものではなくて、何よりも自分が見たいんですよね。そこが彼の素晴らしい芸術家たるゆえんでしょうね。人に見せることが巧い映画監督は、いっぱいいますからね。


僕たちは、いまなんとなく他人の顔を気にして生きていく状況に置かれている。それがソビエトだとさらにそのスケールも大きいわけですね。日本では、まあ他人の顔を気にしているとは言っても、せいぜい上司や親の顔を気にしている程度のなまぬるさなんでしょうね。そのために、厳しく自分を凝視(みつめ)る監督は、日本ではごくわずかしかいない。


近ごろ人間の音に対する感性は、鈍ってきていて、とくに映画の場合、音が大きくなってきたということもあるんですけど、無神経になってきている。かならずしもドルビー・システムが悪いわけじゃないけどね。その無神経さと、タルコフスキーの感性は、対極にある。映画が音を手にしたときは、人間みな音に対してある驚きをもって、無垢な態度で、その音を聞き出そうとしたと思うんです。それがいつか機械の方が先に進んだために、人間が聞き出さなくてはいけない音を、機械に任せきりにしてしまった。人間の感性というフィルターを通さずにね。


退化していると言ってもいいでしょうね。技術は進歩して、昔だったら到底再生できないような音まで、フィルムで出せるようになっているけど、残念ながら、それと同時に人間の感性は鈍くなってきている。その中で、ブレッソンやタルコフスキー、『情事』を撮っていた頃のアントニオー二といった人たちは、素晴らしい感受性を持っていた。本当にタルコフスキーは最後までみずみずしい耳を持っていた。彼は音楽家になりたかったようですね。


武満徹インタビュー/アンドレイ・タルコフスキー──芸術家の避けられない宿命より抜粋)

感性というか、霊性というか、食べ物とメディアによる洗脳もあるのだろうけれど、近頃は本当に人間の退化を著しく感じます。
もちろんこれは映画の技術のことを言っているのだけれど、それ以外のところでも感じます。
タルコフスキーの映画は、とても霊的です。
その為、現代人にはなかなか受け入れられないのかもしれません。
友人がタルコフスキーの「ストーカー」という映画を散々に酷評していたのを思い出しましたが(笑)、確かに僕もあの映画には理解不能な箇所がありました。
僕や友人だけでなく、おそらく多くの人が理解不能に陥ったと思うのですが、タルコフスキーはそんなことはまったく気にせずに自分の内なる真実を撮り続けた。
外にではなく、自分の中にあるものを表現し続けた。
それで成功しているのだから、彼は紛れもなく真の天才だった。

僕は幼い頃に、何度かタルコフスキーの映画のワンシーンだと思われる夢を見ました。
例えば建物の中に池があって、僕はその池の真ん中に立っているという夢。
その池は、まさに「ノスタルジア」や「ストーカー」などに出てくる、あの「象徴的な水」でした。
あの夢の中の水は自分自身の心に関係していると長い間思っていたのですが、タルコフスキーの映画を観た瞬間に、あぁ、あの夢はタルコフスキーの心の中を表していたんだと分かりました。
僕は時々、赤の他人の心の中を夢で見てしまうことがあるんです。
他にも、「ストーカー」に出てくる「水が滝の如く流れ落ちる乾燥室」や「鏡」の炎のシーンも夢で見ました。
まだタルコフスキーの名前も知らない幼い頃に・・・。
滝や炎の夢は、映画の中の静から動へ、あるいは暗から明へという変化そのもので、夢の中とはいえもの凄い衝撃があったので、今でも鮮明に覚えています。
「象徴的な水」の正体はいったい何なのだろうと不思議に思っていたのですが、きっとあれは何かもの凄く悲しいことがあって、その悲しみを癒す為の泉なのではないかと、今では直感的に思っています。
その悲しみは誰々のものということではなくて、人類に共通して存在しているもの、つまり潜在意識的な何かなのです。
タルコフスキーの映画は極めて個性的だと思われがちですが、実はその根底にはそうした潜在意識的なものが流れていて、それが未だに多くの人を魅了して止まない理由なのだと考えています。

故武満徹氏は「彼の映画が音楽的」と評していますが、本当にそう思います。
しかし、僕はもっとそれ以上のものを感じていて、音がとても霊的なのです。
その霊的な音は、幼かった頃のことを思い出してしまいます。
家の外から聞こえてくる「カーンカーン」という工事の音や飛行機の「ゴォー」という音に、僕には何だかその音自体に命がある様に感じていました。
言霊という言葉がありますが、音霊とでも言うんでしょうか?
地下鉄の駅のホームにいると、暗くて何も見えないトンネルの向こうから聞こえてくる「ガァー」という音。
何か怪獣の様な恐ろしいものを感じて震えていたのを思い出します。
タルコフスキーの映画で使われている音はどれも、まったく幼い頃に僕が不安げに聞いていた音そのものなのです。
3次元の世界に生きていながら、4次元の世界を感じている様な・・・。







遺作となったこの「サクリファイス」↑という映画は、1986年のチェルノブイリ原発事故の年に作られました。
この枯れてしまった生命の木は日本を表していて、この日本の木を再生させようとする子供の姿は実は「救世主」を表現しているそうです。
この枯れたしまった木は、東日本大震災で奇跡的に残った「奇跡の一本松」を彷彿とさせます。

国会は安保関連法案の審議の真っ最中。
国会前では、今日も安保法案に反対するデモ集会が開かれています。
タルコフスキーの言う様に日本から「救世主」が現れるのだとしたら、まさに今この瞬間なのかもしれません。

人の生きる目的はずばり、霊性の向上です。
宇宙は次元を超えて繋がっています。
恐れずに、ひたすら祈り続けましょう。


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このブログの前回の更新とその前の更新が約1ヶ月半も空いてしまったのですが、その間に携帯の方にもの凄い量の迷惑メールが来ました。
昼間だけでなく真夜中でも届くので、結構困りました。
一度に2〜3通来ることもありました。
中身は全部英語で読めません。
しかもかなり文章が長い。
「これってひょっとして、ワケのわからないことばっかりブログに書いているからそれに対する嫌がらせ?」なんて思ったりもして・・・。
(別に僕はワケのわからないことなどこれっぽっちも書いているつもりもなく、いつだって超まじめなのだけれど・・・もちろん非科学的なブログなので、一般社会人的にみればワケがわからないかもしれませんが・・・)

でも以前にも、ずっと更新していなかった時に似た様なことがあったので、ひょっとしたら更新をしたら治まるかもしれないとも思って、それを期待しました。
そうしたら、本当に前回の更新の後あたりからピタリと来なくなりました。
本当にキレイにピタッと。

ということは、誰かがブログの更新を促していたと・・・。
あるいは、僕の作曲と何か関係が・・・。
・・・なんて思っていたら、たった今また迷惑メールが2通立て続けに来ました。
「ひょっとしたら、僕は誰かに監視されているのかもしれない。メールが来るタイミングがスゴ過ぎる。コレ、送り主が地上の人間とは限らないかもしれない。」
などなどと思ってしまったのですが、考え過ぎだと怒る方ももちろんいるでしょうが、僕の直感はよく当たります。

何があっても、どんなことがあっても、腹を立てないこと。
でも無理に感情を押さえつけるのはもっと良くないので、腹の立つことは全部その時に吐き出してしまい、いつまでもその感情を抱え込まないこと。
悲しい感情もそうで、そういった負の感情をいつまでも抱え込んでいると低い周波数に慣れてしまい、その周波数がさらに追い打ちをかける様にさらなる負のスパイラルへと入っていってしまう。
だからいかに負の感情が沸き起こった時の対処の仕方が大事かということなのですが、今は僕はその訓練の時期なのかもしれません。
迷惑メールには、そんなメッセージが隠されている様な気がするのです。
なんて書いている内に、また迷惑メールが立て続けに2通・・・。
コレ、ただのサギメール・・・?
(イヤやっぱり、例えば朝に目が覚めた後に「おはよう」とでも言っているかの様に実にタイミングよく来るので、どうみてもパラレルワールドから来たメールとしか思えないのだけれど・・・。)

(追伸:実験的にわざとアドレスを変えなかったのだけれど、ちょっと限界を感じてきたのでアドレスを変えました。当然といえば当然なのだけれど、迷惑メールは完全になくなりました。今まで子供の癇癪みたいに煩かったケータイが今では死んだ様に静か。もしパラレルワールドからのメールだったら、アドレスを変えたとしても来ているだろうに・・・。しかし、あたかもタイミングを計ったかの様に、目が覚めて10秒も経たない内にメールが来るというのは、やっぱり今考えてみても不思議・・・。)



さて、ブログお休み期間中、世間では色々なことがありました。
川内原発1号機の再稼働、そしてよりにもよって、そこからわずか52キロしか離れていない桜島の警戒レベル4への引き上げ。(昨日3に引き下がりましたが)
鳩山元首相の土下座に、東京オリンピックのエンブレムの使用中止。
相次ぐ爆発事故に、JR東日本での不審火。
それから衆議院で安保法案の可決、そして全国で一斉に反対デモ。
小沢一郎氏や坂本龍一氏もデモに参加していたみたいです。

安保法案は僕も反対ですが、ただ幾つか気になることがあります。
安保法が必要だと考えておられる方々はおそらく以下のことを心配しているのだと思うのですが、ちょっとだけ簡単に書きますと、今のこの日本の平和はアメリカの核の傘の下にあります。
しかしそのアメリカは年々弱まってきています。
核軍縮と叫びながらオバマは軍事費を増やしている訳ですが、しかしそれとは逆行する様に経済や外交では大変な凋落ぶりを見せています。
アメリカは世界の警察という役割を持っていた訳ですが、もはや国内がこの様な状態なのでそれどころではなく、今は完全に警察という役割を捨ててしまっています。
ロシアのウクライナ侵攻、マレーシア航空機の墜落事故、シリア内戦、IS問題、中国の南シナ海の軍事基地化などでも、アメリカはなんら有効な手を打つことはありませんでした。

日本を守る「核の傘」が完全になくなってしまったら、日本は当然自分で守るしかなくなってくる訳です。
例えば原発が必要なのは電気が不足するからとか何とかと言っているのは口実で、本当の目的はその時に原発から核兵器を作れる様にしておくことにあるのです。
その分野での日本の技術は、実は世界一なのだそうです。
つまり恐ろしいのが、その時に原発は抑止力になるという政治家や官僚の思い込みなのです。
だから、この狭い日本の国土に54基(アメリカ、フランスに続く世界の第3位)も作ってしまった。
この人たちは広島や長崎のことなど、もはやどうでもいいらしい。
少なくとも、電力不足を補うのにこれ程の原発が必要だというのがまったくの嘘だというのは、猛烈に暑かった今年の夏に一度も電力不足にならなかったことが証明しています。

今や、日本にとって気になるのが中国やロシアの台頭です。
世界の嫌われ者、習近平やプーチンは日本贔屓な所があるから今の所は安心だと僕は思っているのですが、中国はバブルが崩壊した後に何を仕出かすか分からないし、プーチンの後にまたメドヴェージェフが就任でもしたら、今度は北方領土だけでは済まなくて北海道辺りまで攻め込んで来るかもしれません。
北朝鮮と韓国もなにやら緊迫した状況が続いているし、日本の近隣諸国がとてもとても危険な状態にあるのは間違いありません。
だから強力な抑止力が必要だと考えるのは至って普通なことですし、とてもよく分かります。
戦争反対は綺麗事だというのもその通りだと思います。

しかしそれでも、僕は戦争反対です。
核というのは一度に何万人もの人間を殺すことのできる、最大の悪の権化ともいうべきものです。
その悪の権化に守られている平和が、本当に真の平和だといえるのでしょうか?

その辺の所を上手くバランスを取りながら政治家は国を動かしていかなければならないのだけれど、今のその場しのぎの政治家たちにいったい何ができるというのでしょうか?
我々は、もっと上の平和を目指すべきなのです。



鳩山元首相の土下座に対するもの凄いバッシングも気になります。
正直、彼はあまりにも純粋過ぎるのかもしれません。
僕の目から見ると彼は決して間違ったことはしていないのだけれど、今の日本の社会の現状を見れば、彼の行動が非難の的となるのは当然です。

彼を非難しているのは、日本の利益を第一に考える人たちです。
つまりナショナリズムな人たちです。
彼はフリーメイソンとして当然のことをしたまでです。
彼は「友愛」を掲げ、ナショナリズムを否定します。
世界市民である彼にとっては、日本のナショナリズムも韓国のナショナリズムも同等なのです。
彼にとって国家の威信とはヤクザの面子の様なもので、その様なものがあってはいつまで経っても本当の平和は訪れない。
だから、この危機的な状況に世界を救いたい一心でこの様な行動を取ってしまう。
特に明確なビジョンがある訳でもなく・・・自身が首相だった頃にやりたいことが何一つできなかった様に・・・。

しかし僕が問題だと感じるのは、むしろナショナリズムな人たちなのです。
なぜ違う民族というだけで、こんなにも歪み合うのでしょうか?
これではナチスドイツや戦前の日本と同じではないでしょうか。
一時期流行語にもなった養老孟司氏の「バカの壁」を思い起こします。
バカの壁
 我々人間は、自分の脳に入ることしか理解できない。学問が最終的に突き当たる壁は自分の脳である。著者は、この状態を指して「バカの壁」と表現する。知りたくないことは自主的に情報を遮断し、耳を貸さないというのも「バカの壁」の一種。その延長線上には民族間の戦争やテロがあるという。

 現代人はいつの間にか、自分の周りに様々な「壁」を作ってしまった。例えば、情報は日々刻々変化し続け、それを受け止める人間は変化しないという思い込みや、個性や独創性を礼賛する風潮などはその典型例で、実態とは「あべこべ」だという。

 「バカの壁」は思考停止を招く。安易に「わかる」「絶対の真実がある」と思い込んでは、強固な「壁」の中に住むことになると戒めている。
(メディア掲載レビューほか )
この「バカの壁」は完全な唯物論者にも通じる所があります。
この世界のあらゆる事象はすべて科学的に解明できると信じ込んでいて、非科学的なことを言う人を鼻で笑っているのです。
高学歴で博識な人程そうです。
しかし実際には、この人たちの思考回路の方がずっと危険なのです。
そしてこの世界は、この人たちが考えているよりももっとずっとずっと・・・想像を絶する程深いのです。

ナポレオン・ヒルは「思考は現実化する」と解きました。
多くの人の祈りによって、未来は変えられます。
いや、祈りによって未来は変えられてきたと言うべきかもしれません。
ひょっとしたら、東京は大地震で火の海と化していたかもしれません。
ひょっとしたら、人類は核戦争によって滅んでいたかもしれません。
しかしそうならなかったのは、人の祈りがあったからなのかもしれません。
そしてこれからも、そんなことは起こらないのでしょう。
色々と不安を掻き立てる様な情報が錯綜していますが、99%そんなことが起こる可能性はないと言えます。
祈りのその先には、真の平和があるから・・・。
唯物論者には、まったく理解できないことでしょうが・・・。
(もっとも99%の人が唯物論者なので、1%の瞑想者の祈りが大変重要だということ。)


ちょっとだけ簡単に書くつもりが、ついついこんなにも長くなってしまいました。
政治のことを書くと必ず誰かの批判に繋がってしまうので、人をジャッジしないと決めている僕としてはとても不本意な記事となってしまいました。
次回はもうちょっと不可思議な記事にしたいと思っています。


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