実に3週間半ぶりの更新となります。
旧ブログを含めて約10年間ブログを書き続けてきましたが、こんなに長く空いてしまったのはひょっとしたら初めてかもしれない。m(_ _)m
作曲の方をいい加減なんとか完成させないとと思って、ブログの方を後回しにしていたら、風邪を拗らせてしまい作曲の方も途中でリタイヤという具合で、調子がなかなか上がっていきません。
今日も風邪なのか花粉症なのか、それともダブルパンチを喰らっているのか、よくわからない状態。。。
(そういえば、生まれて初めてレコーディングしたのがこの季節だった。あの時、歌の先生はワザとこの最悪の季節を狙ったのかなぁ。まあ、これがこれまでの僕の人生。)
言い訳はこれ位にして(苦笑)、本当の僕の不安は、このブログの内容が内容だけに、いったい僕の話をどれ位の人が信じてくれているのか?ということです。
風邪なんかを拗らせると、妙に不安になってくる。
いったいどうすれば、もっと自分に自信を持てるのか?
最近考えることといえば、あそこのあの文章は間違っていないか?とか、とんでもないことを書いて、誰かに馬鹿にされていやしないか?なんてこと。
(もちろん、初めからそんなこと覚悟で書いているのですが・・・。)
大事なのは内なる自分の世界で、外の世界(物質世界)に囚われていてはいけないと、ずっとこのブログでも書き続けてきたのに、自分自身が全然わかっていなかったということなのかもしれません。
しかし見方を変えれば、音楽とか絵画とか芸術というのは、精神が乱れて堕落したその先に見えてきたものを形にしていくという所があって、だから言ってみれば心身共に健全な所からは何も生まれないともいえます。
前回にも書きましたが、そこには深いドラマがあって、そのドラマを味わい尽くすことによって、慈悲の心とか、人間らしさというのを思い出すのかもしれません。
(要は、内と外のバランス。宗教的になりすぎてもいけないし、物質主義的になりすぎてもいけないということ。)
乱れに乱れて、ひとつの芸術作品を生み出す。
これは辛い辛い作業です。
挙げ句に、誰からも賞賛されない。
画家のマネは言っています。
最悪なのは、誰にも相手にされないことだと。
ここで思い出す訳です。
そこで本当に大事になってくるのが、外ではなく内なる自分だと。
そして、成功はまったく役立たないと。
これは霊的修行のためにやっているのだと・・・。
(つまり、物質的な執着が霊的修行のためになるとわかってやっているのならいいけれど⦅失敗が霊的修行に繋がる⦆、そうではないのならただネガティブになるだけであって、挙げ句に成功してしまったら元も興もないということ。つまり、本当の最悪は成功してしまうこと。)
しかしそんな乱れた状態であっても、不思議と前回の記事にも書いたイエスの夢の続きは何度か見ていました。
決まって朝目覚める寸前に見る夢なので、霊的な意味合いが濃いです。
前回は3333333という数字が書いてある紙を見ているという夢でしたが、その次は虫食い問題の四角の中に「平和」という文字を入れるという夢でした。
その次に見た夢は、inde〜という英単語でした。
パソコンの辞書で調べてみると、すぐにわかりました。
「independence」という単語です。
他にも「Indépendants」とか「indexation」とかいう単語もありましたが、ちょっと違う気がします。
「independence」の意味は、「自主、独立、独立心」で、「Independence Day」といえばアメリカの独立記念日で、なんだかそれっぽいです。(同名のSF映画もありました。)
それから、その次に見た夢が、ロックなんか聴かないでヘンデルを聴きなさいという夢でした。
実は、昔からMr.Childrenが好きで最近もよく聴く様になっていたのだけれど、イエスや天使たちはどうやらそれは良くないと言っている様でした。
夢の中では、ミスチルの音楽がヘンデルの音楽に置き換えられていきました。
その日は一日中、ヘンデルを聴いていました。
(どうやら天使たちは、桜井君の怒鳴った様な歌い方がお気に召さないらしい。ということは、怒鳴っていない曲ならいいのかな?)
それらを並べてみます。
3333333、平和、independence(独立心)?、ヘンデル。
はて?4つの事柄には関連性がある様な、ない様な。
うん、いや、なんとなくだけれど、なんとなくだけれど、見えてくるものがあります。
僕らがどう生きればいいのかがわかるというか、これは天使からの大切なメッセージの様な気がしてきます。
皆さんは、どうお考えでしょうか?
ところでヘンデルというと、僕は正直言ってすぐに退屈してしまう曲ばかりという印象です。
同時期の作曲家、例えばバッハとかハイドンに比べるとメリハリが少なくて平坦なので、申し訳ないけれどすぐに飽きてしまう。
言ってみれば、真に天国的な音楽なのかもしれません。
我々人間ていうのは不思議なもので、地獄の様な悪や暗がそこにないと興味が湧いてこない。
(勧善懲悪的なハリウッド映画や日本の時代劇みたいに)
しかしその辺の所を自己改革していかないと、いつまでもこの重たい物質世界から逃れることはできないのかもしれません。
もっともっとこういう音楽を、我々は聴かなければならないのかもしれません。↓
因みにこの「オンブラ・マイ・フ」という曲は、ソプラノ歌手キャスリーン・バトルによる録音、実相寺昭雄監督による映像で、1986年夏からニッカウヰスキーのCMに使用され、日本で大きな反響を巻き起こしました。
そして、この録音を含む9曲入りアルバム『オンブラ・マイ・フ/キャスリーン・バトル』がキングレコードから発売されて、20万枚のセールスを記録しました。
覚えていらっしゃる方も多いかと思います。
またこの曲は「世界で初めて電波に乗せて放送された音楽」でもあって、1906年12月24日、レジナルド・フェッセンデンによって行われた初めてのラジオ実験放送でレコード演奏されました。
(wikipediaより)
YouTubeにキャスリーン・バトルの動画もありましたが、僕はこのジェニファー・ラーモアの声がとても好きなので引っ張ってきました。
それに映像もありがちな森の中とかではなく、工業地帯のど真ん中で歌うラーモアさんが印象的で、最後に工場が森に変わっていく所にもメッセージ性を感じました。
イエスは砂漠緑化運動をしていたという話を、最近何かで読んだ気がします。
僕はずっと前から、イエス(天使たち)と植物(特に樹木)には、何か霊的な強い結び付きがある様な気がしてなりませんでした。
植物は癒しの象徴、平和の象徴の様な気がしてなりません。
安易に伐採したり、枯らしたりしてはいけないのかもしれません。
↑の動画の映像は、どこか福島第一原発の映像とダブって見えてきてしまいます。
僕にはこんな気がしてくるのです。
核という神の領域を超えてしまった人間の罪を、植物が優しく覆ってくれていると・・・。
人間が植物に愛を持って接していれば、植物も愛を持って人間を助けてくれる。
その逆もまた然りで・・・。
旧ブログを含めて約10年間ブログを書き続けてきましたが、こんなに長く空いてしまったのはひょっとしたら初めてかもしれない。m(_ _)m
作曲の方をいい加減なんとか完成させないとと思って、ブログの方を後回しにしていたら、風邪を拗らせてしまい作曲の方も途中でリタイヤという具合で、調子がなかなか上がっていきません。
今日も風邪なのか花粉症なのか、それともダブルパンチを喰らっているのか、よくわからない状態。。。
(そういえば、生まれて初めてレコーディングしたのがこの季節だった。あの時、歌の先生はワザとこの最悪の季節を狙ったのかなぁ。まあ、これがこれまでの僕の人生。)
言い訳はこれ位にして(苦笑)、本当の僕の不安は、このブログの内容が内容だけに、いったい僕の話をどれ位の人が信じてくれているのか?ということです。
風邪なんかを拗らせると、妙に不安になってくる。
いったいどうすれば、もっと自分に自信を持てるのか?
最近考えることといえば、あそこのあの文章は間違っていないか?とか、とんでもないことを書いて、誰かに馬鹿にされていやしないか?なんてこと。
(もちろん、初めからそんなこと覚悟で書いているのですが・・・。)
大事なのは内なる自分の世界で、外の世界(物質世界)に囚われていてはいけないと、ずっとこのブログでも書き続けてきたのに、自分自身が全然わかっていなかったということなのかもしれません。
しかし見方を変えれば、音楽とか絵画とか芸術というのは、精神が乱れて堕落したその先に見えてきたものを形にしていくという所があって、だから言ってみれば心身共に健全な所からは何も生まれないともいえます。
前回にも書きましたが、そこには深いドラマがあって、そのドラマを味わい尽くすことによって、慈悲の心とか、人間らしさというのを思い出すのかもしれません。
(要は、内と外のバランス。宗教的になりすぎてもいけないし、物質主義的になりすぎてもいけないということ。)
乱れに乱れて、ひとつの芸術作品を生み出す。
これは辛い辛い作業です。
挙げ句に、誰からも賞賛されない。
画家のマネは言っています。
最悪なのは、誰にも相手にされないことだと。
ここで思い出す訳です。
そこで本当に大事になってくるのが、外ではなく内なる自分だと。
そして、成功はまったく役立たないと。
これは霊的修行のためにやっているのだと・・・。
(つまり、物質的な執着が霊的修行のためになるとわかってやっているのならいいけれど⦅失敗が霊的修行に繋がる⦆、そうではないのならただネガティブになるだけであって、挙げ句に成功してしまったら元も興もないということ。つまり、本当の最悪は成功してしまうこと。)
しかしそんな乱れた状態であっても、不思議と前回の記事にも書いたイエスの夢の続きは何度か見ていました。
決まって朝目覚める寸前に見る夢なので、霊的な意味合いが濃いです。
前回は3333333という数字が書いてある紙を見ているという夢でしたが、その次は虫食い問題の四角の中に「平和」という文字を入れるという夢でした。
その次に見た夢は、inde〜という英単語でした。
パソコンの辞書で調べてみると、すぐにわかりました。
「independence」という単語です。
他にも「Indépendants」とか「indexation」とかいう単語もありましたが、ちょっと違う気がします。
「independence」の意味は、「自主、独立、独立心」で、「Independence Day」といえばアメリカの独立記念日で、なんだかそれっぽいです。(同名のSF映画もありました。)
それから、その次に見た夢が、ロックなんか聴かないでヘンデルを聴きなさいという夢でした。
実は、昔からMr.Childrenが好きで最近もよく聴く様になっていたのだけれど、イエスや天使たちはどうやらそれは良くないと言っている様でした。
夢の中では、ミスチルの音楽がヘンデルの音楽に置き換えられていきました。
その日は一日中、ヘンデルを聴いていました。
(どうやら天使たちは、桜井君の怒鳴った様な歌い方がお気に召さないらしい。ということは、怒鳴っていない曲ならいいのかな?)
それらを並べてみます。
3333333、平和、independence(独立心)?、ヘンデル。
はて?4つの事柄には関連性がある様な、ない様な。
うん、いや、なんとなくだけれど、なんとなくだけれど、見えてくるものがあります。
僕らがどう生きればいいのかがわかるというか、これは天使からの大切なメッセージの様な気がしてきます。
皆さんは、どうお考えでしょうか?
ところでヘンデルというと、僕は正直言ってすぐに退屈してしまう曲ばかりという印象です。
同時期の作曲家、例えばバッハとかハイドンに比べるとメリハリが少なくて平坦なので、申し訳ないけれどすぐに飽きてしまう。
言ってみれば、真に天国的な音楽なのかもしれません。
我々人間ていうのは不思議なもので、地獄の様な悪や暗がそこにないと興味が湧いてこない。
(勧善懲悪的なハリウッド映画や日本の時代劇みたいに)
しかしその辺の所を自己改革していかないと、いつまでもこの重たい物質世界から逃れることはできないのかもしれません。
もっともっとこういう音楽を、我々は聴かなければならないのかもしれません。↓
原詩
Ombra mai fù
di vegetabile
cara ed amabile
soave più
日本語訳
こんな木陰は 今まで決してなかった
緑の木陰
親しく そして愛らしい
よりやさしい木陰は
因みにこの「オンブラ・マイ・フ」という曲は、ソプラノ歌手キャスリーン・バトルによる録音、実相寺昭雄監督による映像で、1986年夏からニッカウヰスキーのCMに使用され、日本で大きな反響を巻き起こしました。
そして、この録音を含む9曲入りアルバム『オンブラ・マイ・フ/キャスリーン・バトル』がキングレコードから発売されて、20万枚のセールスを記録しました。
覚えていらっしゃる方も多いかと思います。
またこの曲は「世界で初めて電波に乗せて放送された音楽」でもあって、1906年12月24日、レジナルド・フェッセンデンによって行われた初めてのラジオ実験放送でレコード演奏されました。
(wikipediaより)
YouTubeにキャスリーン・バトルの動画もありましたが、僕はこのジェニファー・ラーモアの声がとても好きなので引っ張ってきました。
それに映像もありがちな森の中とかではなく、工業地帯のど真ん中で歌うラーモアさんが印象的で、最後に工場が森に変わっていく所にもメッセージ性を感じました。
イエスは砂漠緑化運動をしていたという話を、最近何かで読んだ気がします。
僕はずっと前から、イエス(天使たち)と植物(特に樹木)には、何か霊的な強い結び付きがある様な気がしてなりませんでした。
植物は癒しの象徴、平和の象徴の様な気がしてなりません。
安易に伐採したり、枯らしたりしてはいけないのかもしれません。
↑の動画の映像は、どこか福島第一原発の映像とダブって見えてきてしまいます。
僕にはこんな気がしてくるのです。
核という神の領域を超えてしまった人間の罪を、植物が優しく覆ってくれていると・・・。
人間が植物に愛を持って接していれば、植物も愛を持って人間を助けてくれる。
その逆もまた然りで・・・。
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