piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

タグ:歳差運動

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今日は、何となく思っていることをダラダラと書いていきます。

なぜなのか?
今年は植物がもの凄く生き生きとしているように思えるのです。
植物だけではなく、鳥たちの鳴き声も例年になくとても元気に聞こえてきます。
ウグイスが一日中ずっと鳴き続けています。
僕が唱えるマントラと、競っているかのよう・・・

今年に入ってからというもの、不穏な空気も感じていました。
途轍もなく悪いことが起きそうな予感もありました。
もちろん、その予感は今でも続いています。
しかし、その悪い予感を払い除けるように、あたかも高次元の風が吹き抜けていくかのようです。

このコロナ禍については色々いわれていますが、本当はいったい何を意味しているのでしょうか?
自然にとっては、これはデトックスとなっているのでしょうか?
工場の機械が止まり、飛行機の飛ぶ回数も減り、車や電車の量も減って、人が外に出歩かなくなっているのが、地球にとっては良いのでしょうか?
緊急事態宣言で多くの会社が潰れてお金で苦しんでいる人たちがいる一方で、毎日満員電車に揺られて通勤するということから開放され、テレワークという新しい生活スタイルを覚えて、悠々自適に暮らし始めている人も多い筈
もうこのスタイルは元には戻らないでしょう。

新しい文化が生まれる前には疫病が流行っていたというのは、歴史が証明しています。
たとえば、ニュートンが万有引力を発見した時、ロンドンではペストが大流行していました。
1665年にペストで大学が休校となり、ニュートンはリンカーンシャーの実家で2年間を過しています。
落ちるリンゴを見てひらめいたのはこの時で、後にニュートンはこの期間を「創造的休暇 」と呼んでいます。
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この3次元世界にいながら、僕らはもう5次元世界の片影を見ることができます。
5次元世界の地球、つまり新しい地球アルスの片影を見ている人は、今どれくらいいるのでしょうか?
おそらくそういう人は信心深く、心が清らかで、波動の高い人でしょう。
他人の喜びを、自分の喜びのように感じる人でしょう。
困っている人を見ると、放っておけない人でしょう。
そういう人は、この3次元世界で生きるのを、とても辛く感じていたことでしょう。
なぜなら、この社会は本当に正しい人が落ちぶれていく構造になっていたからです。

作家で占星術者のマドモアゼル・愛さんもYouTube動画で語っておられましたが、社会に出て有名になって大活躍をして、評価されて権威や権力を持って大金持ちになるというのは、それ自体がインチキであるか、もしくはある目的を持った力に使われているか、大体はどちらかなのだと、、、
つまり、正直者が馬鹿を見る時代でした。
もちろん、それが本物の実力である場合もありますが、しかしそれを取り上げてくれるかどうかで、さらなる発展が決まります。
また、1人の時の思想は立派だったのに、何人も集まってきて集団となってしまうと思想は曲げられ、結局はお金や権力といったもので汚されていくということもあったと思います。
それが「魚座の時代」でした。

地球の回転軸の向きは少しずつ変わっていき、26700年で一回りするのですが、それは「歳差運動」と呼ばれています。
その時期その時期によって12星座のどこかの影響を受けていて、2150年ごとに星座が変わっていくので、その度に時代の大転換が起こるといわれています。
だいたい紀元前130年の辺りからずっと続いていた「魚座の時代」は2017年で終わり、今は「水瓶座の時代」に入っているそうです。
「魚座の時代」は、集団でいることが安全であり、そこから爪弾きにされたら生きていけない時代でした。
「水瓶座の時代」はそれとは正反対となり、集団の中にいることよりも一個人の能力が尊重されていく時代になります。
高次元と繋がっていて、自分の天命を知っていて、心の清らかな者しか生きられない時代に入っているのです。
急には変わりませんが、徐々にその片鱗が見え隠れしてきています。

まったく逆のパラレルワールドへ行く可能性もありました。
しかし、今は地球が死の星になるような予感はまったく無く、アルスの片影を目にしているということは、人類は着実にアルスへの道を歩んでいることになります。
まだ気を抜くことはできませんが、このコロナ禍によって大きく前進したのかもしれません。
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今年も家の庭には、奇麗な草花がたくさん咲きました。
冒頭の写真の紫色の花は、「タツナミソウ(立浪草)」です。
昨年の春から咲き始めたのですが、今年も咲きました。
北西側の塀のブロックとブロックの間から出てきたのですが、徐々に西側の方に勢力を伸ばしていってます。

名前の由来は、花が同じ方向を向いて咲き、波立った時の泡のようにみえることから名づけられたといわれています。
また、北斎が描く立浪に似ていることから、この名が付いたという説もあります。

タツナミソウは漢方としても利用されています。
漢方では色々な名前があって、向天盞、耳挖草、大力草、煙管草、偏向花などとも呼ばれていて、根を干して煎じたものを薬として飲むようです。

花言葉は「私の命を捧げます」・・・だそうです。
今どき、こんなことを言う人はいるのでしょうか?
高次元世界の言葉です。
だから花から放たれているエネルギーの波動が高い。
これこそ、新しい地球アルスの片影なのではないかと思ってしまいます。
こんな清らかで美しい花が、なぜ家の裏庭に咲いている?

2つ目の写真のオレンジ色の花の種類は、色々と調べてみたのですがわかりませんでした。
この花もブロックの間から生えてきました。
まったく見たことのない花なので、珍しい草なのではないかと思っています。
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桃の実がなってきました。
まだ小豆大の大きさですが・・・
実を大きくするために間引きした方がいいのか、そのまま放っておいた方がいいのか迷っています。

でも、食べるために植えたのではなくて、桃は地球上で一番波動の高い植物だから植えたのです。
桃といえば、古くは古事記にも登場してきます。
他にも桃太郎伝説、桃源郷などなど、僕の中では高次元世界、新しい地球アルスをイメージさせてくれる植物です。
チャクラでいうと、サハスラーラチャクラ(第7チャクラ、頭の天辺)に刺激を与えます。
卑弥呼は、たくさんの桃の種を使って呪術を行っていたという話もあります。
他人から変な人だと思われるかもしれませんが、桃に話しかけたりするだけで波動が上がります。
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タツナミソウは漢方薬としても使われていると前述しましたが、他にもミツバやヨモギなど、食べられる草が生えてきています。
これは、庭に龍が訪れるようになったからだと思っています。
龍の姿を見ることはできませんが、5次元の以上の高次元世界で生きていて、日本人を見守っているのです。

日本列島は龍の形をしていますし、古事記によれば、神武天皇の祖母の豊玉姫の正体は鮫になっていますが、龍だとする説もあります。
アカデミズムは当然偽書だとしていますが、「先代旧事本記」によれば、神武天皇の身長は約3メートル、頭には9センチほどの角が2本あって、それはまるで雪のような色をしていたそうです。
背中には龍のような背びれがあり、尾の裏側には大きな鱗が72枚あって、105歳の時に皇太子の位に就かれたとあります。

こんなことを書いても信じる人は少ないと思いますが、僕は龍に纏わる不可思議体験を何度かしているので、龍が別次元に存在していることは間違いないようです。
神社に奉られている神様の多くは龍神系です。
もちろん、そんなのは神話にすぎなくて真実ではないと考える人が殆どだと思いますが、ではなぜ神社の総元締である天皇は、毎日日本の国民のために古代から続く儀式を行い祈られているのでしょうか?
ただの単なるパフォーマンス?・・・ただのパフォーマンスであの大嘗祭の時に一晩で27億円超も使ったのですか?
一般人にはわからないような深い深い理由がそこにあるからだと考えるしかありません。
この世は、普通の人が考えているよりも、遥かに神秘に満ち溢れているのです。

動く水を庭に置いておくと、龍が水を飲みにやってくるようです。
噴水、ししおどし、つくばい、などなど。
僕の家の庭にはつくばいを置いていますが、猫ちゃんが水を飲みに来たり、鳥が水浴びをしに来たりもします。
目には見えないけれど、きっと龍も水を飲みに来ているのだと・・・

証拠はあります。
前述したように、食べれる草がたくさん生えているということ。
波動の高い草がたくさん生えているということ。
そして、いい苔がたくさん生えているということ。
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ところどころで、このような見事な苔が生えてきています。↑
この苔を、僕は龍のまくらと名付けました。
龍のいるところには、必ず良い苔が生えてくるのです。



龍は水辺で暮らしていますが、水というと、僕は音楽家になろうとしていたので、ラヴェルの「水の戯れ」を思い出します。
ラヴェルは「オーケストラの魔術師」といわれるくらいオーケストレーションが卓越していて、自作のピアノ曲を幾つかオーケストラ用に編曲していますが、名曲中の名曲である「水の戯れ」になぜオーケストラ版がないのかが不思議でした。

ラヴェルは1900年から5回にわたって有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みるのですが、2回目の時は3位、3回目と4回目の時も入賞を逃し、年齢制限により最後の挑戦となる1905年の時には予選落ちとなってしまい、すでに「亡き王女のためのパヴァーヌ」や「水の戯れ」を発表していたラヴェルが予選落ちしたことは大スキャンダルとなり、この「ラヴェル事件」により、パリ音楽院院長のテオドール・デュボワは辞職に追い込まれ、後任院長となったフォーレがパリ音楽院のカリキュラム改革に乗り出す結果となってしまいます。(Wikipediaより)
1907年にエドゥアール・ラロの息子ピエール・ラロが、この作品をドビュッシーの盗作として非難し、論争が起こりました。
その問題となったドビュッシーの「版画」は1903年の作で、ラヴェルの「水の戯れ」は1901年の作なので、どちらが盗作なのかは明らかです。

ラヴェルがどれほどこの「水の戯れ」によって苦汁を飲まされていたかを考えると、もうオーケストレーションなんてやる気など起こらなかったのかもしれません。
「社会に出て有名になって大活躍をして、評価されて権威や権力を持って大金持ちになるというのは、それ自体がインチキであるか、もしくはある目的を持った力に使われているか、大体はどちらかだ、、、つまり、正直者が馬鹿を見る時代だ」と前述しましたが、ラヴェルもその犠牲者だったのかもしれません。
因みに、これは天才発明家ニコラ・テスラにもいえると思います。

この「水の戯れ」のオーケストラバージョンを、YouTubeで見つけました。↓
誰がアレンジしているのかはわかりませんが、水の動きを見事に表現していて、ラヴェルもビックリの美しさです。
アニメーションも美しいです。
これこそが、新しい地球アルスの姿だと思うのです。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のある一文を思い出します。
「河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」



勝手に拝借しますm(__)m

Geoffrey Simon & Philharmonia Orchestra
Maurice Ravel - Jeux d'eau (orchestral version)





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この時期になると子供のいる家はどこもイルミネーションをつけるので、人通りの少ない住宅街も夜になるとキラキラしていて、何だか大人でさえもメンヘンチックになってしまいます。
欧米と違って日本はクリスチャンが少ないのに、どうしてこんなにも日本人はクリスマスが好きなのだろうと思ってしまいます。

これも一種の洗脳です。
お金儲けのための行事にすぎません。
この行事の経済効果は、7,000億円以上なのだそうです。
企業が仕掛けた戦略に、我々は盲目的に従っているだけです。
重要なのは、それが我々の思想や精神の状態や子供の教育や魂のレベルに、どのように影響していくのかということです。
その辺をもっと深く掘り下げていくと、これも陰謀論に繋がっていってしまいますが・・・


クリスマスといえばサンタロース。
1931年にコカ・コーラ社のクリスマスキャンペーンで、赤い服に白いあごひげをたくわえた陽気なサンタロースを画家のハッドン・サンドブロムが描いたのが最初で、それが世界中に広まっていきました。
サンタクロースのモデルは、実在した守護聖人、聖ニコラウス(生誕、西暦270年頃、ローマ帝国リュキア属州のパタラ)という伝説の人物だといわれています。
今でもドイツでは12月6日に聖ニコラウスの日というのがあって、もう一つのクリスマスと呼ばれているそうです。

聖ニコラウスは司祭杖と金色の本を持ち歩いていて、その本には子供の1年間の行いが全部記されているので、子供が1年間いい子にしていたかどうかを聖ニコラウスはすべてお見通しなのだそうです。
聖ニコラウスはいい子にしていた子供にはご褒美のお菓子をくれるので、ドイツではこの日は1日中、子供たちの喜ぶ声が響き渡るのだそうです。

しかし、逆に悪い子がそのまま良い子にならないと、彼が引き連れているクランプスという鬼が鞭でおしりを叩いたり、大きな袋に子供を入れてどこかへ連れて行ってしまうこともあって、酷い時には、そのまま川の中に捨ててしまうそうです。
服の色は黒ですが大きな袋を持っているので、聖ニコラウスではなく寧ろクランプスの方がサンタロースに近いかもしれません。

クランプスは、秋田のナマハゲとよく似ています。
血液検査をしてみると秋田県人はわずかに白人の血が混じっているそうですから、その昔ゲンマン系の人たちが渡来してきて秋田に定着したのかもしれません。
つまり、ナマハゲはもともとクランプスだった可能性が高い訳です。

そのクランプスですが、今では聖ニコラウスに付き添って悪い子にお仕置きをするという存在になっていますが、実は現実にクランプスという鬼は存在していて、人間の子供を食料にしていたという話しもあります。
僕は夢の中で、ナマハゲは極めて波動の低い宇宙人だということを確認しています。
光に弱いので、陽の当たらない地下で生活をしていて、夜になると子供をさらいに地下から出てくるのです。

ブルワー・リットンのSF小説『来るべき種族』をかのヒトラーが真実であるとして、チベットに何度も調査団を派遣して地底王国アガルタを探させました。
第一次世界大戦において、あれほどのハイパーインフレをおこしたドイツが、あっという間に隣国を次々と征服していくほどの軍事力を、なぜ持てたのか?
それは、地球人より遥かに進化した地底人の技術を手に入れることが出来たからだとしか考えられません。
最近よく、火山口から出入りをするUFOが無人カメラなどに撮影されているように、どうやら宇宙人の基地は地球の内部にあるようです。
つまり、地底人は宇宙人なのです。

1934年にはドイツの探検家テオドール・イリオンが理想郷「シャンバラ」を捜し求めてチベットに単身入国し、サンポ渓谷(別名「神秘の谷」)に地下都市があるという情報を耳にして潜入していきます。
そして、「ゾンビのような目」をした無表情な女性に導かれて「光の王子」と名乗る最高位の人物に会うことに成功するのですが、徐々にそこは人肉食の習性を持ち人間の魂を奪い取る「闇の霊団」の国であることに気づきはじめ、決死の脱出を図ったのだそうです。
クランプスとナマハゲの正体は、正にこの人たちということになります。
現実にあった話しを、宗教の中に子供の教育の一環として取り入れたということなのでしょう。
nikolaus_krampus

















(wikipedia)


「クリスマスとは何の日?」と訊ねると、殆どの人はイエス・キリストの誕生日だと答えると思います。
しかし、実はキリストの誕生に関する出生記録はまったく残っていません。
クリスマスが12月25日に祝われた最古の記録は西暦354年で、教皇ユリウス1世がニケヤの公会議でこの日をキリストの誕生日と布告しているのです。

キリスト教が浸透していったのは古代ローマ帝国の時代なのですが、キリスト教が流行する前はミトラ教が流行していました。
ミトラ教は太陽神のミトラスを称える太陽信仰なので、日照時間が一番短くなる「冬至」を境に日が長くなることから、「太陽神ミトラスが復活する日」として毎年12月25日にお祝いのお祭りをしていたのです。

キリスト教が流行ってくると、いよいよローマ帝国もキリスト教を国教だと定めざるを得なくなります。
しかし、ミトラ教に慣れ親しんでいた民衆との間に軋轢が生じました。
そこでキリスト教側は仕方なく、民衆に根付いたミトラ教の習慣をキリスト教の習慣に組み込むことにしたのです。
だから、ミトラ教とキリスト教は瓜二つの宗教なのです。

ミトラ教は紀元前1700年頃にトルコで生まれた古代宗教です。
大女神アーディティから生まれたのがミトラ、ヴァルナ、 アーリマン、バガ、ダクシャ、アムシャ、インドラの七柱の神々で、その内のミトラ神を最高神・至高神として崇拝するという宗教でした。
アーリマンはゾロアスター教では悪神として登場しますし、インドラはヒンズー教の英雄で日本でも帝釈天として親しまれているように、ミトラ教はすべての宗教の大元といっていいのかもしれません。

ローマ帝国にミトラ教が伝わったのは、 ポントゥス王国がポンペイウス率いるローマ帝国海軍に敗れた時でした。
捕虜になった兵士からローマの兵士に伝わり、やがてギリシャ神話と習合したミトラ教がローマ軍の移動にともないローマ帝国全土に広がっていきました。
やがてミトラ教の思想は、ストア学派や新プラトン学派らの援護をも受けるようになりました。
ミトラ教は西暦304年にローマ帝国の国教になり、 西暦380年にテオドシウス1世によりキリスト教が国教化されるまでの約76年間、ローマ帝国の国教となっていました。

ミトラ教が国教となってから数年間、キリスト教はローマ帝国から弾圧されていました。
コンスタンティヌス帝が西暦313年に 『ミラノの勅令』を発布し,あらゆる宗教の信仰の自由が認めるられると、キリスト教は最大ライバルのミトラ教の主神ミトラ神の誕生日をキリストの誕生日とするなどして、徐々に乗っ取っていきました。
キリスト教がローマ帝国で力を持つようになると、 今度はミトラ教が迫害されるようになり、そして消滅してしまいました。
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最新の科学的な調査で、イエス・キリストの本当の誕生日は、実は紀元前6年4月17日(土)だったということがわかってきています。
2002年12月にヒストリーチャンネルのクリスマス特集番組「聖夜の研究」の中で、「ベツレヘムの星」について採り上げられていて、その中で天文学者「マイケル・R・モルナー博士」の説が紹介されていました。
イエスが誕生した時にバビロニア地方から訪れたマギたちは、占星術を用いて未来を予言する学者であったことから、モルナー博士はバビロニア占星術が「ベツレヘムの星」に関係していると考え、「木星食の時にイエスが誕生した。」という現在の説に至ったそうです。
そして、天文シミュレータのソフトウェアで検証した結果、イエス・キリストの本当の誕生日が紀元前6年4月17日(土)であることを確信したのだそうです。

星占いでは、生まれた時に太陽が位置している星座を、その人のお誕生日の星座としています。
しかし地球の歳差運動によって、星占いが創作された今から約3000年前のものとはだいぶ違ってしまっています。
イエス・キリストの星座は、実際には魚座の位置に太陽がきていました。
原始キリスト教徒たちが「魚」をイエスの象徴としていたのは、ここからきているらしいのです。

キリスト教といえば、聖書です。
聖書という書物は、僕は本当にあった出来事を悪魔が改竄したものだと考えています。
聖書の中には沢山の暗号や予言めいたことが書き加えられていて、サブリミナル的に悪魔の計画を人類の潜在意識の中に取り込ませることによって、人類をコントロールしようとしてきたのだと思っています。
悪魔というのは、この監獄地球を監視している看守たちのボスなのです。
聖書とは、地球人の魂が地球から脱出できないようにするためのツールです。
聖書を読んではいけない、教会へ行ってはいけない、これが僕の主張です。

本当のキリスト教は、つまり原始キリスト教は一神教ではなかったのだと思います。
死海文書などにも、そのようなことが書かれています。
僕は以前、「イエスは本当はアニミズムを伝えたかったのだ」ということを記事にしたことがあります。
「砂漠に木を植えよう」というような緑化運動もしていました。
「私を通してでないと、天国には行けない」などとは、一言も語っていなかったのだと思います。
胸に手を当てて目を閉じて、心の奥深くに意識を集中させれば、本当のイエスの姿が浮かび上がってくる筈です。
その姿はきっと、誰からも愛されるような、素朴で実に人間らしいお姿だったのではないでしょうか。
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今から2年前の大晦日に、高校の頃からの友達が突然訪ねてきました。
その友達とは、昔は大晦日に2人で紅白を観た後に明治神宮に一緒に初詣に行ったり、クリスマスは2人とも彼女なんていないので寂しくケーキを食べたりしていました。
でも数年前からあまり会わなくなりました。
それが突然2年前に訪ねてきて、「もう会わない。お別れにきた。」といいました。
「クリスチャンになったから、もう神社にはお参りに行かない。」ともいいました。

それから2年間まったく会わなかったのですが、それがこの間彼がまた家に訪ねてきました。
「やっぱり、お前はオレの大事な友達だった。それがやっとわかった。だから、また友達になってくれる?」といいました。
やれやれ、もう会わないだとか、やっぱり友達になってだとか・・・僕はそういう・・・何というか、形式張ったというか、約束事がどうとか、義理とか人情だとかが大嫌いなのだけれど、相変わらず彼はそんな僕の心の中に平気でどんどん土足で入り込んでくる。
また会う度にこんな気持ちにさせられるのかと思うとげんなりしてくるのだけれど、僕は誰かを特別に大切にしたりするのではなく、この世に存在するすべての人(物)を公平に大切にしようと心に決めているので、「いいですよ。」と答えました。

友達は、彼女が出来たといいました。
僕は知っているといいました。
「夢で彼女がいるのを見たから・・・僕が見る夢は現実になることが多いんだ。」
友達は、よくわからないというような顔をしました。
宗教に入っても、そういうことは信じられないのかなぁ?
まあカトリックだったら、輪廻転生を完全否定していますが・・・

僕もキリスト教の知識は、このようなブログをずっと書き続けてきたから結構あるとは思うので、友達とそんな議論でも交わしますか(笑)


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僕は時々、ブログを書くというよりも書かされているという感じになったりします。
今回は色々とシンクロが重なっているので、書く前から既に記事に書く内容は決められてしまっているのではないかとさえ思っています。

その内容とは、あるフランス映画を紹介するということなのですが、その映画のタイトルは書かないことにします。
なぜなら、この映画は事実上発禁の状態で、EUでは上映禁止でDVDの販売も禁止になっているからです。
YouTubeにも何度か投稿されていますが、なぜかすぐに消されてしまいます。
でも最近、タイトルを変えてアップしてくださった方がいました。
またいつ消去されてしまうかわからないので、まだ観たことのない方は今のうちにぜひ観て頂けたらと思います。↓

https://www.youtube.com/watch?v=RBLfpTE6WsA&t=618s
 
こちらからでも観られます。↓

http://www.veoh.com/watch/v88594004eWn9Gt5s

http://www.nicovideo.jp/watch/sm32424142

これだけアップされていたら大丈夫だとは思いますが、消されないことを祈ります。

(以前に、僕のパソコンが古過ぎてYouTubeで動画を観ることができないと書いたことがありましたが、リロードすることによって観ることができることに気がつきました。コメントを書くことや、もちろんアップロードすることもできませんが・・・)


しかし、なぜ発禁状態になっているのか?
なぜYouTubeにアップすると、すぐに消されてしまうのか?ということです。
映画の内容はコミカルなもので、そんな反社会的とか、危険な要素はまったく見当たりません。

(ここからネタバレが含まれます。)
白い玉のような乗り物に乗って地球にやってきた異星人(ミラ)が、地球で出会った人と会話をしただけで、その地球人は社会の常識から切り離されて、その人が元々持っていた純真な心が表に現れてきてしまいます。
3週間前に作った古いケーキを販売していた女性がそのケーキを車めがけて投げ捨てたり、男性が履いていた靴や靴下を「こんなもの」と言って道路に投げ捨てたりします。

それは映画の中で、「切断」という言葉で表されています。
もしも汚職をしている政治家がいて、その政治家が「切断」されたらどうなるのでしょう?
実はこの映画は完全版ではなく、約20分間カットされてしまっています。
その約20分間の内容というのが、まさに汚職している政治家が「切断」されて、すべてをバラしてしまうといった内容なのです。
そして、なんとある政治団体から訴訟を起こされて、この映画を作った監督さんは敗訴しているのです。

そうなのです。
この映画を観た人は、みんな「切断」されてしまうのです。
実際にこの日本でも、この映画を観た人が翌日に会社に辞表を提出したり、夫に離婚届を提出したという女性もいるようです。
そんな感じでこの映画を観た人が次々と「切断」されていったら、社会が崩壊してしまう訳です。
そうなったら世界中の権威ある政治家たちが、この社会を裏で牛耳ってずっと美味しい思いをしてきた地球の支配者たちが、とても困る訳です。
だから必死で阻止しようと発禁にしたり、YouTubeにアップされたら消してしまう訳です。

しかし、何度もこのブログに書いてきたように、魚座の時代は過ぎ去って2017年(2021年?)から水瓶座の時代に入ります。
水瓶座の時代は、「公平、中立、自立、社会改革、明確化、究極のチームプレイ、解放」の時代です。
魚座の時代に築き上げられてきた社会体制はすべて崩壊していき、そして今は新しい水瓶座の時代へと移り変わっていく過渡期にあるのです。
まさにこの映画は、そうした時代の移り変りの「魁(さきがけ)」ともいえる映画なのです。

日本の政治も、モリカケ問題(最近、何だかネトウヨが猛反撃しているようですが・・・)や財務省事務次官のセクハラ疑惑、それに新潟県知事の女性問題なんていうのもありましたが、これはほんの序の口に過ぎず、何かやましいことが隠されていれば、これからもっともっと暴かれていくことになると思います。

話が逸れましたが、この映画を制作した監督さんは女優としてもご活躍されていて、この映画の主役もされています。
また脚本や演出などもされているので、もの凄く多忙な日々を過ごされているそうです。
ある日、クタクタになって家に帰ると、家にご神木があるのだそうですが、そのご神木から突然メッセージのようなものが送られてきてダウンロードしたのだそうです。
そして、そのダウンロードしたものを形にしたのが、この映画なのだそうです。
木というのは地球の電波塔のようなものだと、以前に僕はブログに書きました。
僕は、この映画は地球から送られてきたメッセージなのだと思うのです。
そして、そのメッセージをできるだけ多くの人に知ってもらう必要があるのだと思います。

僕が個人的に印象に残っているのが、ほんのワンシーンなのですが、女性(産婦人科医の奥さん)が駅のホームのテーブルでひとり食事をしていると、突然キャベツの葉っぱの美しさに気がついて見とれてしまう場面です。(映画のちょうど真ん中よりやや後ろ)
神秘思想家シュタイナーが『いかにして高次の世界を認識するか』という本の中で、「自分が美しいと感じた花の様子を真剣に詳細に観察すること」を訓練のひとつとして書いています。
隠れていたものが明確化していくということは、それは今まで気がつかなかった美しさに気づくということでもあって、それが高次の世界の感覚に近づいていくということなのかもしれません。
僕は最近、これまでにないくらいに感覚が鋭くなってきているのを感じています。
僕だけではなく、きっと世界中の人の感覚が鋭くなってきているのだと思います。


ところで、この映画の記事を書いていて、凄く不可解なことに突き当たりました。
この映画は、1996年の作品になっています。
色々ググって調べてみても、wikipediaを見てみても、やはり1996年になっています。
1996年ということは、今から22年前ということになります。
僕は今51才なのですが、22年前となると29才ということになります。
29才というと僕はとうに音楽大学を出て親父の仕事の手伝いをしていて、そしてクラシック音楽を諦めてポップスの作曲家を目指していた頃です。
僕はそれよりももっと前に、この映画を観た記憶があるのです。
確か僕がこの映画を最初に観たのは、たぶん中学生の頃です。
ひょっとしたら高校生の頃だったかもしれませんが、そうだとしても今から約35年前ということになります。

しかも、テレビで観ました。
テレ東でお昼頃にやる午後のロードショーだったと思います。
テレビで放映されるのは製作されてから数年後ですから、さらに古い映画ということになります。
つまり僕の記憶では、この映画は1980年頃の作品なのです。
これだけ特殊な映画なので、記憶違いということはまずないと思います。
映画に登場してくるパソコンは、はっきりとはわかりませんが、たぶん1980年代の「IBM personal computer」だと思うのですが、1996年に普及していたパソコンではないような気がします。

もしサバを読んでいるのだそしたら、なぜそんなことをしているのでしょうか?
女性の年齢ならわかりますが・・・
それとも、これはマンデラエフェクトなのでしょうか?

もうひとつ、個人的に不可解に思っていることがあります。
主人公のミラやその息子たちが、白い玉のような宇宙船に乗って地球にやってきますが、僕は子供の頃に白い玉のような宇宙船に乗って地球にやってくる夢を見たことがあります。
ひとりではなく、4人乗っていました。
映画よりももっと大きい玉の宇宙船で、倍以上あったと思います。
地球に着いた時、タクシーの上に着陸してしまって、その瞬間タクシーはオーバーヒートしてしまい、街は大停電となりました。
自分以外の3人は衝撃で地上に投げ出されてしまい、僕はビルの屋上にいて、投げ出された3人とタクシーの運転手の安否が心配で、屋上からゆっくりと地上へ降りていくという夢でした。

僕は自分自身のことではなく、まったく別の人がこれから体験すること、または体験したことを夢で見てしまうことがあります。
おそらく、この地球に訪れる異星人がこれから体験することを、僕は夢の中で見てしまったのです。
実際に、別の星から白い玉のUFOに乗ってこの地球にやってくる異星人がいるということです。
彼らはきっと、イエスのような高次の世界の存在なのです。


さて、この映画には「水」という重要なキーワードが出てきます。
映画の冒頭で、動物と人間の「目」と流れる「水」が映し出されます。
そして、遠くの人と交信する時に、足に「水」をつけます。
「水」は、何を意味しているのでしょうか?

人間の身体の約60%は水でできていて、胎児は体重の約90%、赤ちゃんは約75%、子供は約70%、成人は約60%、老人では50%と年齢によって分かれるそうです。
つまり人間の身体は、基本的に水で作られているようなものなのです。
水は、音の影響を強く受けます。
僕らは常に音の振動と、その音の周波数の影響を受けているのです。
普段聞いている音によって、健康になったり病気になったり、プラス思考になったりマイナス思考になったり、また運が良くなったり悪くなったりもするのです。

現在は、ほぼすべての音楽の楽器においての調律は「 A=440Hz」となっています。
1939年のロンドン国際会議と1953年の国際標準化機構によって、国際基準値「 A=440Hz」が制定されました。
「 A=440Hz」は人間の脳に悪影響を及ぼし、精神を不安定にさせます。
現在のメディア、テレビやラジオから流れてくる音もすべて「 A=440Hz」になっています。
この周波数はマインドコントロールされやすい脳環境になるので、闇の勢力が人間を裏からコントロールしやすくなるのです。
「ジョン・レノンを殺した凶気の調律 A=440Hz」という本がありますが、その本によればジョン・レノンのチューニングは528Hzで、この周波数は愛の周波数(奇跡の周波数とも)といわれているそうです。
この528Hzチューニングが広まらないように、ジョンは殺されたといわれています。

また、432Hzは宇宙の周波数といわれています。
シュタイナーはこう言っています。
「 A=432Hz に基づいた音楽は、霊的自由へ人々をいざなうでしょう。人間の内耳は A=432Hz に基づき構築されているのです。」
432を60倍すると25920という数字になって、これは惑星歳差運動周期の年数になります。

グラハム・ハンコックは、『神々の指紋』の中でこう書いています。
宇宙規模の大変動について全ての知識を網羅して語られているという古代中国の伝承書物の数は432巻であり、10800連、40音節からなるインドの聖典リグ・ヴェーダの全音節数は432000音節で、北欧神話に出てくるヴァルハラの戦士の数は43200であると・・・
また、太陽が歳差運動により60度移動するのに必要な年数は4320年であり、マヤの12トゥン=3/5カトゥンは4320日(木星の公転周期にも近似)であり、そのまた10倍の43200日は6カトゥンであり、エジプトにあるギザの大ピラミッドは地球の北半球の1/43200の縮図になっているとも・・・
watersound_432_440
ドイツの音響研究家であり写真家でもあるアレクサンダー・ローテルワッセー氏が、水滴と音を用いて音の振動に対する水の反応から振動写真を作り出しています。
写真↑は、左が宇宙の周波数といわれている「 A=432Hz」の波紋で、右が悪魔の周波数といわれている「 A=440Hz」の波紋です。
ご覧の通り、「 A=432Hz」の波紋の方が美しい形をしています。

すべての音(周波数)には、それぞれ固有の形が存在していることが実験でわかっているそうです。
たとえば、花びらの形をしていたり、カメの甲羅のような紋様が現れたり、クラゲみたいなのが現れたりするそうです。
(これは『ウォーター・サウンド・イメージ』という本に書かれています。)

音(周波数)がどれだけ生命の身体に影響を与えているのかということが、なんとなくわかるかと思います。
胎児は体重の約90%が水でできている訳ですから、母親の胎内の中でどれだけ音の影響を受けているかということです。
きっと母親の鼓動の音が、胎児にとっては最高の周波数なのだと思います。
また、母親がテレビばかり見ていたら、どれだけ胎児に悪い影響を与えることになるかしれません。

このように、食事から栄養を摂るように、音も体内に吸収されていきます。
最近は「DNAを修復させる周波数528Hz」というCDがあったり「身体の水分が良い共鳴を起こす周波数432Hz」なんていうのもあったり、またYouTubeにも沢山アップされているので、寝る時とかのBGMにしたりして、普段から聴くようにされるといいと思います。
お店に入って最近流行の音楽なんかが聞こえてきた時に、いかにそうした音楽が汚れた音(周波数)なのかがわかるようになるかと思います。

異星人ミラが足に水をつけて祖国にいる息子たちとの交信を始めると、近くにあるテレビやラジオや機械がみんなおかしくなってしまうというのも、なんだか地球の気持ちを表しているような気がします。
「なんでみんなそんな嫌な音を聞いているの。もっといい音を聞けばいいのに・・・」って、地球が言っているのかもしれません。
あるいは、地上で飛び交っている人工的な音に嫌気がさしているのかもしれません。

今は水瓶座の時代です。
緑の星とは、きっと未来の地球なのです。
いや、今の地球の願いなのかもしれません。
貨幣経済がなくなって、争いや競争もなくなって、美しい植物や動物たちに囲まれて、みんなが楽しく生きている、そんな世界を僕らも思い描こうではありませんか。

この映画の最後は笑いで終わっています。
しかし、地球から来た姉妹は、なぜ皆が笑っているのかがわかりません。
ミラの息子たちは、言葉で説明するのは難しいと言います。
風が冗談を言って、笑わせたのでしょうか?
波動の高さが、笑いを引き起こしたのでしょうか?
高次の世界は、笑いに溢れているのでしょうか?
僕らが今までまったく知り得ることのできなかった世界が、この地球に齎されようとしているのかもしれません。


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頭で考えても理解できないことは、この世の中には沢山あります。
例えば、どうして僕らは自転車を乗りこなせることができるのでしょうか?
生まれてすぐに、自転車に乗れる人などいません。
何度も練習しているうちに、いつの間にか乗れる様になります。
そのメカニズムをその専門分野の大学教授か誰かが科学的に証明しようとすれば、難しい数式を用いてでも解き明かせることができるかもしれません。

では傷が治るのはどうしてなのでしょうか?
傷ができると血が出て、やがて血が固まってかさぶたになり、何日か経つと傷は完全に塞がって何もしなくても自然に治っていきます。
実はなぜそうなるのかが、西洋医学ではまだ解明されていないのです。
しかし東洋医学では、体細胞が万能細胞に変化するからだと説明されています。
脳から何だかの信号が送られてきて、その信号をキャッチした体細胞が万能細胞に変化するのかもしれません。
万能細胞・・・つまりSTAP細胞。(細胞の初期化)
どうやら、小保方さんは決して間違ったことを言っていないらしい・・・。
ここにも陰謀の影が色濃くあるようです。

ちょっと話しが逸れましたが、さらに具体例を挙げていきます。
地球の地軸は1年経つとほんの僅かずつズレていき、何年か経つと一周してまた元の位置に戻ります。
これを歳差運動といって、その周期は約2万6000年です。
この歳差運動のことを、古代マヤ人たちは知っていました。
今現在はコンピューターによってはじき出すことのできるこの数値を、コンピューターなど無かった時代に、なぜ古代マヤの人たちは知っていたのでしょうか?

マヤ人たちはこの2万6000年を半分に割り、前半の1万3000年をユニティ(合一)の時代、後半の1万3000年を分離の時代という風に分けました。
今から1万3000年前に、どうやらあのノアの大洪水があったようです。
そのノアの大洪水から1万3000年後の今年の9月3日が、分離の時代とユニティの時代のクロスポイントとなる日になるようです。
その日は2012年12月21日だと長い間思われていましたが、この日はうるう年を含めないで計算された日なので、うるう年を含めると2015年9月3日が本当のマヤのカレンダーが終わる日となるようです。

もしこのことが事実だとしても、この日に人類が滅ぶなんてことは有り得ません。
分離の時代からユニティの時代へ移行するだけです。
つまりこの資本主義経済社会が崩壊して貧富の差が無くなり、国境も無くなり、すべての人が平等で平和に暮らせる時代が来るということです。
おそらくすぐにではなく、徐々にそうなっていくのかもしれません。
9月3日という特定の日に何かが起こるということではないようです。

この世界は2万6000年前のどこかの誰かが想像した世界で、その世界で僕らは輪廻転生を繰り返しながらずっと生かされてきました。
そしてこの分離の時代は、形式的には今年の9月3日に終わることになります。
これから訪れようとしているユニティの時代は、僕らが新たに想像して創っていかなければならない時代です。
だから、すべての人が平等で貧富の差が無く、上も下も無い、優も劣も無い、そしてお互いに相手のことを尊重し合える様なそんな世界を、僕は瞑想をしている時に思い描くのです。
そんな時代が本当に来れば良いとね・・・。

9月3日よりもさらに大事な日があるそうです。
3月20日(日本時間では18時頃)に皆既日食があります。
その後の4月4日(日本時間では20時頃で、これは日本でも観測可能)にも、立て続けに皆既日食があります。
この16日間が、ユニティの時代を迎えるに当たっての最重要期間となるみたいです。
この期間は、波動の低い行動や愚痴や他人への批判を極力避け、心を高い波動で維持していくことが大事なようです。
というのも、どうやらこの期間の人々の心の動きによって、人類の未来が大きく左右されていくみたいだからです。

いよいよ頭で考えても絶対に理解することができなかったことが、ひとつひとつ解明されて理解できるようになる時代に突入しようとしています。
高い波動を保っていれば、おそらく驚きの連続でしょう。
だいたい今現在、科学的に証明されているのは、宇宙から見ればわずか4%にしか過ぎず、96%も知らないことがあるのですから。



この世は幻想に過ぎないと語る人たちがいます。
僕も体験上、この世はマトリックスだと思っています。
それはまるで、あのトータルリコールという映画のようです。
あの映画を初めて観た時は、当然これは遠い未来のことを描いた作品で、現実には有り得ないことだと僕は思って観ていました。
しかし遠い未来のことではなく、あれはまさに今のこの世界のことを描いているのだと感じています。
つまり、真実は別の次元にあるのだと・・・。
僕らはサムシング・グレートというとんでもなく巨大な存在から2万6000年間も常に監視され、常に試されているのです。
つまりこの世は、人が神になれるかどうかの試験場なのです。 

そうした目に見えないものの存在を知っているからこそ、そうしたものから多分に影響を受けているからこそ、僕は瞑想を続けるのです。
すべての人、生きとし生けるものの心の平和を願うのです。
もちろん試験に受かるかどうかではなく、願うこと自体が自然体であるかどうかということが大事です。
真実への扉のカギは、自分の心の内なる図書館に隠されています。
その図書館、いや地球の歴史書とはつまり、アカシック・レコードのことです。
自分の心の中に、すべての答えが眠っているということです。
それこそが、本当の意味での真実なのです。
その真実に触れられるかどうかは、心が清らかであるかどうかに掛かっているのです。


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