今日は、何となく思っていることをダラダラと書いていきます。
なぜなのか?
今年は植物がもの凄く生き生きとしているように思えるのです。
植物だけではなく、鳥たちの鳴き声も例年になくとても元気に聞こえてきます。
ウグイスが一日中ずっと鳴き続けています。
僕が唱えるマントラと、競っているかのよう・・・
今年に入ってからというもの、不穏な空気も感じていました。
途轍もなく悪いことが起きそうな予感もありました。
もちろん、その予感は今でも続いています。
しかし、その悪い予感を払い除けるように、あたかも高次元の風が吹き抜けていくかのようです。
このコロナ禍については色々いわれていますが、本当はいったい何を意味しているのでしょうか?
自然にとっては、これはデトックスとなっているのでしょうか?
工場の機械が止まり、飛行機の飛ぶ回数も減り、車や電車の量も減って、人が外に出歩かなくなっているのが、地球にとっては良いのでしょうか?
緊急事態宣言で多くの会社が潰れてお金で苦しんでいる人たちがいる一方で、毎日満員電車に揺られて通勤するということから開放され、テレワークという新しい生活スタイルを覚えて、悠々自適に暮らし始めている人も多い筈
もうこのスタイルは元には戻らないでしょう。
新しい文化が生まれる前には疫病が流行っていたというのは、歴史が証明しています。
たとえば、ニュートンが万有引力を発見した時、ロンドンではペストが大流行していました。
1665年にペストで大学が休校となり、ニュートンはリンカーンシャーの実家で2年間を過しています。
落ちるリンゴを見てひらめいたのはこの時で、後にニュートンはこの期間を「創造的休暇 」と呼んでいます。
この3次元世界にいながら、僕らはもう5次元世界の片影を見ることができます。
5次元世界の地球、つまり新しい地球アルスの片影を見ている人は、今どれくらいいるのでしょうか?
おそらくそういう人は信心深く、心が清らかで、波動の高い人でしょう。
他人の喜びを、自分の喜びのように感じる人でしょう。
困っている人を見ると、放っておけない人でしょう。
そういう人は、この3次元世界で生きるのを、とても辛く感じていたことでしょう。
なぜなら、この社会は本当に正しい人が落ちぶれていく構造になっていたからです。
作家で占星術者のマドモアゼル・愛さんもYouTube動画で語っておられましたが、社会に出て有名になって大活躍をして、評価されて権威や権力を持って大金持ちになるというのは、それ自体がインチキであるか、もしくはある目的を持った力に使われているか、大体はどちらかなのだと、、、
つまり、正直者が馬鹿を見る時代でした。
もちろん、それが本物の実力である場合もありますが、しかしそれを取り上げてくれるかどうかで、さらなる発展が決まります。
また、1人の時の思想は立派だったのに、何人も集まってきて集団となってしまうと思想は曲げられ、結局はお金や権力といったもので汚されていくということもあったと思います。
それが「魚座の時代」でした。
地球の回転軸の向きは少しずつ変わっていき、26700年で一回りするのですが、それは「歳差運動」と呼ばれています。
その時期その時期によって12星座のどこかの影響を受けていて、2150年ごとに星座が変わっていくので、その度に時代の大転換が起こるといわれています。
だいたい紀元前130年の辺りからずっと続いていた「魚座の時代」は2017年で終わり、今は「水瓶座の時代」に入っているそうです。
「魚座の時代」は、集団でいることが安全であり、そこから爪弾きにされたら生きていけない時代でした。
「水瓶座の時代」はそれとは正反対となり、集団の中にいることよりも一個人の能力が尊重されていく時代になります。
高次元と繋がっていて、自分の天命を知っていて、心の清らかな者しか生きられない時代に入っているのです。
急には変わりませんが、徐々にその片鱗が見え隠れしてきています。
まったく逆のパラレルワールドへ行く可能性もありました。
しかし、今は地球が死の星になるような予感はまったく無く、アルスの片影を目にしているということは、人類は着実にアルスへの道を歩んでいることになります。
まだ気を抜くことはできませんが、このコロナ禍によって大きく前進したのかもしれません。
今年も家の庭には、奇麗な草花がたくさん咲きました。
冒頭の写真の紫色の花は、「タツナミソウ(立浪草)」です。
昨年の春から咲き始めたのですが、今年も咲きました。
北西側の塀のブロックとブロックの間から出てきたのですが、徐々に西側の方に勢力を伸ばしていってます。
名前の由来は、花が同じ方向を向いて咲き、波立った時の泡のようにみえることから名づけられたといわれています。
また、北斎が描く立浪に似ていることから、この名が付いたという説もあります。
タツナミソウは漢方としても利用されています。
漢方では色々な名前があって、向天盞、耳挖草、大力草、煙管草、偏向花などとも呼ばれていて、根を干して煎じたものを薬として飲むようです。
花言葉は「私の命を捧げます」・・・だそうです。
今どき、こんなことを言う人はいるのでしょうか?
高次元世界の言葉です。
だから花から放たれているエネルギーの波動が高い。
これこそ、新しい地球アルスの片影なのではないかと思ってしまいます。
こんな清らかで美しい花が、なぜ家の裏庭に咲いている?
2つ目の写真のオレンジ色の花の種類は、色々と調べてみたのですがわかりませんでした。
この花もブロックの間から生えてきました。
まったく見たことのない花なので、珍しい草なのではないかと思っています。
桃の実がなってきました。
まだ小豆大の大きさですが・・・
実を大きくするために間引きした方がいいのか、そのまま放っておいた方がいいのか迷っています。
でも、食べるために植えたのではなくて、桃は地球上で一番波動の高い植物だから植えたのです。
桃といえば、古くは古事記にも登場してきます。
他にも桃太郎伝説、桃源郷などなど、僕の中では高次元世界、新しい地球アルスをイメージさせてくれる植物です。
チャクラでいうと、サハスラーラチャクラ(第7チャクラ、頭の天辺)に刺激を与えます。
卑弥呼は、たくさんの桃の種を使って呪術を行っていたという話もあります。
他人から変な人だと思われるかもしれませんが、桃に話しかけたりするだけで波動が上がります。
タツナミソウは漢方薬としても使われていると前述しましたが、他にもミツバやヨモギなど、食べられる草が生えてきています。
これは、庭に龍が訪れるようになったからだと思っています。
龍の姿を見ることはできませんが、5次元の以上の高次元世界で生きていて、日本人を見守っているのです。
日本列島は龍の形をしていますし、古事記によれば、神武天皇の祖母の豊玉姫の正体は鮫になっていますが、龍だとする説もあります。
アカデミズムは当然偽書だとしていますが、「先代旧事本記」によれば、神武天皇の身長は約3メートル、頭には9センチほどの角が2本あって、それはまるで雪のような色をしていたそうです。
背中には龍のような背びれがあり、尾の裏側には大きな鱗が72枚あって、105歳の時に皇太子の位に就かれたとあります。
こんなことを書いても信じる人は少ないと思いますが、僕は龍に纏わる不可思議体験を何度かしているので、龍が別次元に存在していることは間違いないようです。
神社に奉られている神様の多くは龍神系です。
もちろん、そんなのは神話にすぎなくて真実ではないと考える人が殆どだと思いますが、ではなぜ神社の総元締である天皇は、毎日日本の国民のために古代から続く儀式を行い祈られているのでしょうか?
ただの単なるパフォーマンス?・・・ただのパフォーマンスであの大嘗祭の時に一晩で27億円超も使ったのですか?
一般人にはわからないような深い深い理由がそこにあるからだと考えるしかありません。
この世は、普通の人が考えているよりも、遥かに神秘に満ち溢れているのです。
動く水を庭に置いておくと、龍が水を飲みにやってくるようです。
噴水、ししおどし、つくばい、などなど。
僕の家の庭にはつくばいを置いていますが、猫ちゃんが水を飲みに来たり、鳥が水浴びをしに来たりもします。
目には見えないけれど、きっと龍も水を飲みに来ているのだと・・・
証拠はあります。
前述したように、食べれる草がたくさん生えているということ。
波動の高い草がたくさん生えているということ。
そして、いい苔がたくさん生えているということ。
ところどころで、このような見事な苔が生えてきています。↑
この苔を、僕は龍のまくらと名付けました。
龍のいるところには、必ず良い苔が生えてくるのです。
龍は水辺で暮らしていますが、水というと、僕は音楽家になろうとしていたので、ラヴェルの「水の戯れ」を思い出します。
ラヴェルは「オーケストラの魔術師」といわれるくらいオーケストレーションが卓越していて、自作のピアノ曲を幾つかオーケストラ用に編曲していますが、名曲中の名曲である「水の戯れ」になぜオーケストラ版がないのかが不思議でした。
ラヴェルは1900年から5回にわたって有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みるのですが、2回目の時は3位、3回目と4回目の時も入賞を逃し、年齢制限により最後の挑戦となる1905年の時には予選落ちとなってしまい、すでに「亡き王女のためのパヴァーヌ」や「水の戯れ」を発表していたラヴェルが予選落ちしたことは大スキャンダルとなり、この「ラヴェル事件」により、パリ音楽院院長のテオドール・デュボワは辞職に追い込まれ、後任院長となったフォーレがパリ音楽院のカリキュラム改革に乗り出す結果となってしまいます。(Wikipediaより)
1907年にエドゥアール・ラロの息子ピエール・ラロが、この作品をドビュッシーの盗作として非難し、論争が起こりました。
その問題となったドビュッシーの「版画」は1903年の作で、ラヴェルの「水の戯れ」は1901年の作なので、どちらが盗作なのかは明らかです。
ラヴェルがどれほどこの「水の戯れ」によって苦汁を飲まされていたかを考えると、もうオーケストレーションなんてやる気など起こらなかったのかもしれません。
「社会に出て有名になって大活躍をして、評価されて権威や権力を持って大金持ちになるというのは、それ自体がインチキであるか、もしくはある目的を持った力に使われているか、大体はどちらかだ、、、つまり、正直者が馬鹿を見る時代だ」と前述しましたが、ラヴェルもその犠牲者だったのかもしれません。
因みに、これは天才発明家ニコラ・テスラにもいえると思います。
この「水の戯れ」のオーケストラバージョンを、YouTubeで見つけました。↓
誰がアレンジしているのかはわかりませんが、水の動きを見事に表現していて、ラヴェルもビックリの美しさです。
アニメーションも美しいです。
これこそが、新しい地球アルスの姿だと思うのです。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のある一文を思い出します。
「河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」
勝手に拝借しますm(__)m
Geoffrey Simon & Philharmonia Orchestra
Maurice Ravel - Jeux d'eau (orchestral version)
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