piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

タグ:無意識

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今年も残すところあと僅か。
気がつけば、僕の21日参りも今日が最終日でした。
でも、3日間ぐらい冷水行を怠ったり、3日間ぐらいなぜかお参りをした記憶がなかったり、それからお祈りをする内容が21日間の前半と後半で少し変わってしまったかもしれないので、そういった自分の中の一抹の不安を拭い去るためにも、来年の元旦までお参りを続けていこうと思っています。

お参りをする前日には、前述したように冷水行をして、それをしながら不動明王の真言を唱えて悪霊を追い払い、ひふみ祝詞を唱えながら日本の国土や日本国民の集団意識の次元上昇、レムリア意識の復活を祈ります。
全部唱えるのに5分以上はかかっていると思いますが、その間ずっと冷水シャワーを浴び続けています。

唯物論者や不可知論者にとっては、きっとこんなことするなんて気が知れないでしょう。
しかし僕が今まで体験してきた多くの不可思議な出来事を考えれば、こういったことこそが何よりも大事なのだということを感じざるを得なくなってくる訳です。
そしてそれが自分の未来だけでなく、この日本の未来、世界の未来、宇宙の未来にまで影響を及ぼしていくとなると、これはもう誰が何と言おうと、あるいはたとえ誰からも相手にされなかったとしても、ただ只管に自分がやるべきことを淡々とこなしていくことが僕の使命だとしか考えられなくなってくる訳です。
誰も通らなかった道を、ただ只管に孤独に淡々と歩いていく、、それは自分のためでもあり、また多くの人々のためでもあり、、、。

これはどこかのお寺で修行を積むのとは違います。
仙人になって山で生活するのとも違います。
それではお寺とか仙人とか、そういう自分の居場所みたいなものが確立されています。
一緒に修行をする仲間もいたりします。
しかし、それではダメなのです。
外面的な形が伴ってしまってはダメなのです。
形(格好)で誤魔化して、その気になっていてもダメなのです。
形ができてしまったら逆に道から逸れてしまい、それでは本当の意味での真実には辿り着けません。
真実は自分の外側にあるのではなく、内側にあります。
象牙の塔を登るように、この道は孤独でなければなりません。
目に見えない世界から、そのことを強く強く主張するようなメッセージが届けられてくるのです。

今、僕のサハスラーラチャクラ(クラウンチャクラ、天頂チャクラ)は、どうやら開いているようです。
そういえば道を歩いている時に、突然周りの景色がマゼンタピンク色(紫色)に染まることがありました。
突然そうなるので、一瞬僕は貧血にでもなったのかと思うのですが、頭痛や胸が苦しくなるといったような症状はまったくありません。
あの瞬間、僕は高次元の世界と繋がっていたのだと今は考えています。

それから、こんなことも以前に何度かありました。
僕の頭のすぐ上には目には見えない扉があって、その扉が一瞬だけパッと開き、そこから誰かが一言だけ僕に向かって何かを叫び、その後すぐに扉がバタンと締まる、、、なんてこともあったのです。
暗い夜道を歩いている時とか、友達と別れた後の駅の改札口とかで突然そんなことがあるので、いつもビックリするのです。

そして最近知ったのですが、すべての人の頭上には高次に繋がる扉があって、その扉を開けると高次にアクセスすることができるのだそうです。
その高次の色は、紫色ということらしいです。
(スピ系で一般的にいわれている高次の色は紫色ですが、僕の体験ではマゼンダピンク色といった方が近いので、このブログではマゼンタピンク色で統一していきたいと思います)
しかし今の今まで、僕はそれを上手くコントロールすることができませんでした。
危険が迫ってきた時や、あるいは祝福の時にだけ、それを知らせるために周りの景色がマゼンダピンク色になったり、高次の扉が一瞬だけ開いたりしていたのかもしれない、、、
しかしもし、ずっと高次元世界と繋がりっぱなしになることができれば、つまりサハスラーラチャクラが完全に開き切ってしまえば、もう何も怖いものなどなくなります。
そしてどうやら、僕はその一歩手前まで来ているらしい。
21日参りをしたことで、さらにそうなる可能性は強くなったのかもしれない。

すべての答えは、この3次元物質世界だけに焦点を当てていても辿り着けません。
この3次元物質世界は、宇宙から見ればたったの5%です。
残りの95%の未知なる領域に、フロンティアは存在します。
そこに、地球を8次元領域まで上昇させる叡智があるハズです。
その叡智を手にするためには、サハスラーラチャクラが開かなくてはなりません。
しかしいずれは、すべての人間がサハスラーラチャクラを開くことができるようになるのだと僕は思っています。
それが風の時代、水瓶座の時代です。
すべての人間のサードアイも開いてしまうので、誰もが何もかもを見破ってしまうことになり、誰もウソをつくことができなくなります。



しかしまだまだ、それはひとつのパラレル世界に過ぎません。
未来はこれから本当にどのようになっていくのか誰にもわかりません。
油断を許さない状態は続いていきます。
しかし僕の中でハッキリとわかったことがあります。
今年のクリスマスを過ぎた辺りから、キリスト意識を強く感じるようになりました。
これが何を意味しているのかといえば、物質文明の崩壊と精神文明の到来ということなのだと思います。
レムリア意識の蘇りです。
つまり、それにイエスが強く関わっているということです。
これは僕の中では、トンデモなくもの凄い大発見なのです。

この間、マントラを唱えながら瞑想していた時に、イエスの顔が頭の中に浮かんできました。
イエスは、冒頭に貼り付けた絵のような顔をしていました。
これは妄想なのか?それとも本当にイエスが近くにいるのだろうか?
そう思っていると、身体に電氣が走りました。
どうやらイエスという言葉に、強く反応するように電氣が走るようでした。

その翌日、水元公園に行く途中、江戸川の縁をサイクリングしている時に、シラサギがツガイで僕の頭上を飛んでいきました。
僕の頭上に来た時に、1羽が「グワッグワッ」と鳴きました。
水元公園を一周してきて、そしてみさと公園のいつものベンチで太陽礼拝をして目を瞑ってガヤトリーマントラを唱えました。
目を開けたら、僕の足元から1mぐらいの近距離にハクセキレイがいました。
ハクセキレイはそこから飛んできて僕の腕に止まろうとしましたが、やっまりできなくて、また僕の足元から1mぐらいのところに止まりました。
2回同じ行動を繰り返しましたが、やっぱり僕の腕に止まるまでには至らなかった。

僕はまた目を瞑って、マントラを唱えました。
唱え終わって目を開けると、ハクセキレイはもういませんでした。
しかしいつの間にかたくさんのユリカモメが集まってきて、僕の近くの池の水面に着水しました。
目に見えない世界で、何かが確かに起こっているようでした。
昨夜のイエスの顔を思い出しました。
その瞬間に、また身体に電氣が走りました。
どうやら鳥たちは僕に集まってきているのではなくて、イエスに集まってきているようでした。



僕は何度もブログに書きましたが、クリスチャンではありません。
僕は無宗教です。
だからこそ、、、だからこそなのです。
イエスは宗教という悪に立ち向かっていった人です。
律法に雁字搦めになっているパリサイ人たちを戒めたのです。

今のこの日本の社会を見てください。
聖書に書かれている当時のユダヤ社会と瓜二つではありませんか。
こう生きなければいけない、ああ生きなければいけない、こういう意見はダメ、ああいう意見を言わないと人から認められないなどなど、、、何という窮屈な社会なのでしょうか?
ステレオタイプでいないと、長いものには巻かれていないと、みんなと同じ意見を持っていないと、上からの指示には従わないと、この社会では生きてはいけないのだと、、、、、そんなバカな話ありますか?
それが、それこそが、この世の中を悪くしているとも知らずに、、、
それこそが、悪魔がこの世に仕掛けた最大のワナです。
イエスは、そこに戦いを挑んでいったのです。

この3次元物質世界は、数年後には完全に崩壊します。
その崩壊と共に、一般常識、社会的常識というワナに引っかかった人たちも淘汰されていきます。
実に多くの人たちが、そのワナに引っかかっています。
流石は、頭のもの凄くキレる悪魔たちです。
どんなことをしようが悪魔たちは新しい地球には行くことができないので、多くの人間を道連れにしてしまおうと必死で最後の悪足掻きを続けています。
そしてさらに、あわよくば新しい地球への移行を阻止することができるかもしれないと、、、
おお神よ、彼らをお赦し下さい、、、。



しかし前述したように、目に見えない存在たちは、外の世界のことなどどうでもいいと伝えてきます。
自分の内側に焦点を当て続けていればいいのだと、、、
所詮、この3次元物質世界など誰かがデザインしたシミュレーション世界に過ぎない。
つまりマトリックスだということ。
そして、このシミュレーションゲームは終わりに近づいてきている。
近いうちにこの肉体というアバターから抜け出して、本当の自分(高次の自分)に還る時が来る。
その本当の自分というのは、自分の内側、それもハートに存在している。

つまり、自分の内側の波動を上げることだけに焦点を当てていればいい訳です。
それが結果的に、多くの人を救うことに繋がっていくのだと思うのです。
潜在意識は、全人類に繋がっています。
目に見えない存在たちが、一生懸命に僕のサハスララーラチャクラに刺激を与えていたのは、そういうことだったのかもしれません。
そしてその上で、グラウンディングも大事になってきます。
ヴェシカパイシス、つまりバランスが大事ということです。
陰と陽の中心に、高次の扉を開くカギがある訳です。(高次へと繋がる扉という意味ではなく、この3次元物質世界の地球を次元上昇させるための扉という意味)

では、その扉は身体のどの部分にあるのかといえば、ハートにあるということです。
ハートには十字架が隠されています。
イエスが磔になった、あの十字架です。
あの十字架を、すべての人がハートの中に持っているのです。
縦の線は宇宙と地球を結ぶもの、横の線は過去と未来を結ぶもの。
その中心と中心が合わさった場所、そこに高次へと繋がる扉があるのです。
2つのヴェシカパイシスが合わさった場所です。
ヴェシカパイシスがひとりではなく、何人も重なってできたのがフラワー・オブ・ライフです。
アセンションはイエスを通して行われるとは、このことだったのです。
すべての人のハートは、イエスのハートと繋がっていたのです。
そしてとうとう、そのハートの扉を開く時が来たのです。
カギを見つけ出し、その扉を開くかどうかは、それはあなた次第です。



僕はちょっと、余計なことに意識を向け過ぎているようです。
しかし、それではこのブログに書くことがなくなってしまいます。
今日あったことだけを短く書いて、毎日ブログ更新した方がいいかもしれないとも考えました。
そうすると、きっとアクセス数もグンと上がるでしょう。
でもそういうシステムにしているのも、僕は悪魔たちの仕業だと思っているのです。
書いている内容には殆ど意味がなく、毎日更新さえすればアクセス数が伸びるなんて、悪魔の仕業に決まっています。
念仏さえ唱えていれば浄土に行けるみたいな、、、そんなバカな。
僕はイエスのように、こうした悪魔の所業には徹底的に逆らっていきたいと思います。

これからは、自分のリズムだけを大事にしていくべきです。
自分のハートが刻むそのリズムを感じ、大地のリズムを感じ、宇宙のリズムを感じることによって、物質的な豊かさを手にするかのように、目に見えない高次元からのエネルギーを得ることができます。
今はまさに、そうしたものの収穫期に来ています。
僕は大地のリズムや宇宙のリズムを、実際に体感したことが何度もあります。
神社にお参りした後は、それはそれはもの凄いものがあります。
夜の道路工事の点滅灯のように、ずっと一定のリズムを刻んでいる光が見えるのです。
それは宇宙の鼓動なのです。
神社にお参りをして神と繋がるということは、そういうことなのです。

ハートを使って、もっともっと地球と繋がるべきです。
もっともっと宇宙と繋がるべきです。
分析とか、計算とかはしないで、ハートの感覚だけでいくと、高次元の存在と二人三脚で生きることができるようになります。
高次元からのメッセージを受信しながら動いていくことができるので、100%絶対に間違いのない生き方ができるようになります。
結果を気にせずに、今を楽しみながら生きていくことができるようになります。

僕は内側の感覚を、もっともっと信じなければなりません。
まだ時々、恐れを感じてしまいます。
恐れはエゴから発生します。
恐れを感じた瞬間に、天使が離れていってしまう感覚があります。
しかし今ならまだ、すぐに戻ってきてくれます。
焦らずにひとつひとつ階段を上がっていくように、僕もまだまだ魂を成長させていかなければなりません。
祈り続けてきたものが現実化していくタイミングが、もうすぐそこまで来ているのだから、、、



クジラの歌、魂の歌、それはレムリアの祈り。
その歌を、僕もかつては歌っていた。
その歌は、地球の隅々まで響き渡っていた。
それは今はもう、失われてしまった記憶。
しかし、近いうちにレムリアは復活するという。
僕はその時の記憶を完全に取り戻すことができるのだろうか?

僕はあなた方を信じます。
目には見えないあなた方を信じます。
ハートの十字架でイエスと繋がり、あなた方と繋がります。
自分の内側を信じます。



今回のMVは、Lemurian Home Coming - Anders Holteにします。
訳すと、レムリア人の帰省です。
これは音楽として聴くのではなく、瞑想とか深い祈りの中で聴くといいです。
非常に心地の良い波動を放っています。
浄化されます。
まるでクジラの歌のようです。



勝手に拝借しますm(__)m




それでは、良いお年をお迎えください。



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前々回の記事辺りから、急激にアクセス数(PV)が減少してきました。
先月は一番多くて500あったのが、近頃は100いくのがやっとという状態です。(アクセス数などまったく気にしていませんが)
理由は、あまりにも信じられないことを書いてきたからかもしれません。
当然です。
唯物論者でなくても、僕の記事は普通の人は信じないと思います。

しかし、「モーツァルトの魂が降りてきた」とか「これは地球からのメッセージだ」といったような話は本当に僕の中では信憑性が高くて、ただの勘違いということは絶対にないと思います。
それに人間ではない何か、つまり自然とか目に見えない何かが、前回の記事を凄く賞賛してくれているのを感じています。
「よくぞ書いた!」というような・・・
もし大きな間違いをしていれば、誰かから非難されているような感覚がずっと続くのですが、そういう感覚はまったくありません。
なので、前回の記事は間違いがあったとしても、おそらく1つか2つだと思います。

それでもやはり、普通の人から見れば、相当にぶっ飛んだ記事だったと思います。
それなのに拍手が4つもついていました。(謝)
とてもありがたい気持ちでいっぱいです。
たとえ1つだったとしても、嬉しいです。
こんなぶっ飛んでいる記事でも、信じてくれているんですね・・・(ノд・。) グスン
本当に、ありがたいです。
信じて正解です。
僕の不可思議体験は、すべて本当にあったことです。
推理で書いている記事でも、9割以上は真実だと言える自信があります。
なぜ、そう言い切れるのかということなのですが・・・



見えないものをまったく信じない人は、不可思議現象が目の前で起こっていても、気のせいにしたり錯覚だと思ったりします。
逆に不思議大好き人間は、何てことのない自然現象を、幽霊のせいにしてしまったりします。
間違いなく目の前に不可思議現象が起こっていることを、たとえ他人に証明できるものがなくても、自分の中にだけでもいいので証明できるものがあれば、自分の中での信憑性は高くなります。
要は、その起こった出来事に対して、自分自身がどう捉えるかです。

もし空にジグザグに動く飛行物体があれば、それが飛行機である筈がなく、UFOである可能性は限りなく高いでしょう。
もちろん、自分以外の誰かが同じものを見ていれば、それは申し分ないですが・・・
しかし、もしその瞬間を動画に撮っていなくて、周りに話しても誰も信じてくれなくても、1度でもそうした体験をしたことがあるのであれば、その人のものの考え方は180度変わっていく筈です。
この世界には、科学では説明のつかないものがあるのだと・・・
その人は、生き方さえも変えていく筈です。
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Collective Evolution 様 の記事より勝手に拝借しましたm(__)m



幽霊やUFOはもちろん不可思議な存在ですが、しかし世の中で一番不可思議なのは、ひょっとしたら自分自身の存在なのかもしれません。
私とはいったい誰なのか?
意識とは何なのか?
自然とは人の意識が作らなかったものだと、養老孟司先生は語ります。
そして、人間も自然なのだと・・・
眠るのも起きるのも、意識してやってはいない。
産まれるのも、死ぬのも・・・
心臓は意識せずに動いています。
腸内には100-1000兆もの細菌が働いていて、人はそれを意識することはできません。
極端な話、人の一生についても、自分の知らないところで自分の人生のシナリオを書いている存在がいるかもしれません。
人間が自然を支配しているというのはそれこそ錯覚で、本当は人間は自然に管理されているのかもしれません。

映画『燃えよドラゴン』の中で、ブルース・リーは弟子にこう言いました。
「考えるな、感じろ」と・・・
これは、「自分の技のことは考えず、相手がどう出てくるのかを感じて的確に対応しろ」という風に解釈できるかもしれません。
しかしそれは同時に、こう捉えることもできます。
「誰もが意識して力をコントロールしているけれど、究極的には潜在意識を使え」ということです。
「自分自身の内側、自分自身の細胞に重心を置け」ということです。
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着ぐるみ追い剥ぎペンギン 様 の記事より勝手に拝借しましたm(__)m



脳内にあるニューロンという神経細胞には、制約とかルールというものがまったくありません。
鍛えれば鍛えるほど強化し続け、ひとつのことを延々と追求していけば、その神経細胞は留まることを知らずに成長していきます。
真っ白な画用紙のような脳を持つ赤ちゃんは、まさに知識を習得する天才です。
しかし、くだらない学校教育によって、殆どの子供はその才能の芽を摘み取られていってしまいます。
親や学校の先生から見て良い子が一番の犠牲者で、むしろ落ちこぼれやはみ出し者の方がまだ伸びしろが残されている分だけマシといったところです。

つまり、この世の中で本当に大事なものは意識できるところにはなく、潜在意識下にあるということです。
これを極めることができれば、目に見えないものを見ることができ、異次元世界を感じることができ、思考の現実化も可能になってくる。。
「細胞」を意識することができれば、「細胞」には時間というものが存在しないので、未来に何が起こるのかを予測することができます。
チャクラはアンテナなので、地球や宇宙の情報、そして目の前にいる人間がどんな人間なのかということまで瞬時にキャッチすることができるようになります。
これが、第七感なのかもしれません。
第七感を覚醒させるためには、神経細胞が一番多い小脳の活性化がカギを握るようです。

因みに、魔界から情報を受け取っている場合もあるので、ガヤトリーマントラを普段から唱えておく必要があります。
実は魔界の方がそうした力は強力なので、占い師やスピ系の人たちは皆その力に魅せられてしまうのです。
そうなってしまえば後はもう闇の餌食になるだけなので、そうならないように気をつけていなければなりません。

瞑想にも無に近づいていく瞑想とかマインドフルネス瞑想とか色々ありますが、僕は瞑想しながらガヤトリーマントラを1マラ唱えています。
瞑想中に闇の世界に入らないように、ガヤトリー女神に守ってもらうのです。
そして平和、平穏、平等、調和が可能な新しい地球アルスをイメージするのです。
このイメージする力が強ければ強いほど、その現実化はより強力なものになっていきます。
このイメージ力の強化も、ガヤトリー女神のエネルギーが欠かせないのです。
要は、想像力です。
その想像力が、闇の力を完璧に封印するのです。

人間というのは、普通に生活していれば、誰でも必ずネガティブなことを考えてしまいます。
それが闇にエネルギーを与えてしまうのは間違いありません。
僕はずっとネガティブ人間だったので、それがよくわかります。
人間は闇の世界に入りやすく、光の世界には入り難いのです。
瞑想もネガティブエネルギーが強くなれば、その瞑想によって世界が闇に包まれます。
自分自身の魂が、闇の世界をどれだけ拒絶するかにかかっています。
どれだけ反発するか、どれだけ怒るのか、そしてどれだけ光に憧れるのか・・・
そうした気持ちが、強力なパワーとなっていきます。
怒りはネガティブではなく、パワーの源(原動力)です。
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360百科 様 より



今までこの地球は、宇宙の牢獄でした。
イルミなどの支配層は魔界の住民で、牢獄地球の管理人(看守)でした。
イルミはまず、学校で子供たちに伸びしろを削ぐような宇宙の常識から逸脱した教育をさせます。
勉強すれば一流の大学に入れて、一流の企業に就職でき、年収はウン千万で、、、という洗脳をさせます。
しかし現実は、どんなに頑張ってもピラミッドの階段を一つずつ上がっていくだけで何も変わっていかない。
やがて、このヒエラルキー構造の社会から離れない限り、いつまでも奴隷のままだということに気がつくのです。
そのことに気がついた人間はまだ幸せですが、殆どの人間はまったく気がつかずに生涯を終えてしまいます。
しかし、時間も幻想です。
年を取るということも幻想です。
死んでもまた強制的に、魂の癒えぬまま、すべてを忘れて赤ん坊になってこの地上に戻ってきてしまいます。
それは、魂の劣化に繋がります。

イルミはこの3次元物質世界しか存在しないと洗脳することで、魂をこの牢獄地球に閉じ込めておくのです。
学校教育、受験戦争、就職活動、拝金主義、テレビや映画による洗脳、、イルミのトラップはそれだけではありません。
農薬や食品添加物によって病人が増え、そして医者や病院や製薬会社が儲かり、それらはすべてロ〇チャイルド財閥(イルミ)と繋がっています。

中でも最大のトラップといえるのが、肉食です。
自然の豊かなところで幸せに生きてきた牛や豚ならまだしも、金儲け主義で大量生産で、どれだけ劣悪な環境で育ってきた牛や豚かわからないような肉を食べれば、飼育の時のストレスや屠殺される時の恐怖や苦痛の低い波動も同時に体内に入っていくので、肉を食べた人は波動を落とします。
その波動はさらにヒエラルキー社会から離れられなくなり、霊格は下がり、洗脳されやすくなり、永遠に奴隷のままです。
地球の看守は奴隷に、輪廻転生で富豪と貧民(勝者と敗者、天国と地獄)を交互に体験させるのです。
つまりそうやって、この輪廻の輪から永遠に抜け出せなくなるという訳です。

問題なのが、その肉食がその人自身だけの問題なのではなくて、地球全体の波動も落としてしまうということなのです。
地球が宇宙の仲間入りを果たせるかどうかというのも、言ってみればこれからどれだけ肉食を止める人が出てくるのかということにかかっているのです。
人間がこの肉体を持ったまま、新しい地球アルスに渡れるのかどうか。。
イルミは必至でそれを阻止しようと、今日も一生懸命にテレビで芸能人が食レポをやっています。
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KELLEPICS / pixaboy 様 より



新しい地球アルスとは、5次元以上に存在するもう一つの地球で、思ったことが即現実化する天国の世界です。
ただ仕事をしてお金をもらって家族を作るということから離れ、すべてのカルマから解放されて、そこでの生きる目標は、自分自身の探求や独自性を極めるといったことになるのです。
もちろん教育も、才能の芽が摘み取られない教育になっています。
つまり、ただただ魂の成長あるのみということです。

そうなることを、イルミはもっとも恐れています。
支配層が恐れているのは、人間の底知れぬ未知なる力です。
波動は伝染します。
そして怒りのパワーは最強です。



古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りが、「梵我一如」の思想です。
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想です。(Wikipediaより)
それを応用したのが、ヴェーダ祭式の「同一視の論理」です。
獲物の足跡を実際の足と同一視して、それに傷をつければ、獲物は遠くへ逃げられないのだそうです。
ウパニシャッド(ヴェーダの「奥義書」または「秘教」)の哲人たちは、それを瞑想で用いました。
瞑想でAをBと同一のものとみなして意識を集中し、分別による知を乗り越えて、対象が直観され、主観は対象の中に入り、対象と融和し、対象そのものになり、同化します。
こうして瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を得ることができます。

これは、量子物理学者ニック・ボストロム教授のシミュレーション仮説に繋がってきます。
この世界がポストヒューマンのPC内部だと考えれば、物質の素材は情報ということになります。
映画『マトリックス』のように、すべては数値化されているのです。
つまり、デジタルなのです。
二重スリット実験のように、素粒子は人間の思考によってその動き方や姿を変えていきます。
人間の思考が究極に洗練されると、情報を書き換えて物質を自由にコントロールすることができるようになります。
すべての物質は、牢獄地球の檻のようなものです。
老子が、現実は幻想だと語ったように・・・
人間は物質を超越してしまえば、この地球という牢獄から抜け出せます。

どれだけの人が、こうした真実に気づくことができるのか?
それが、地球人が肉体を持ったままアルスへ渡ることができるのかどうかということに繋がります。
幽界は壊されましたが、どうやらこの地上にはまだまだ魔界の看守たちがウヨウヨいるようです。
至る所に、彼らの仕掛けたトラップがあります。
惑わされて、闇の餌食になんてならないでください。

まず、肉食をやめてください。
考えるのではなく、感じてみてください。
そして、利他主義であること。
悪や世の不条理に対しては、怒り狂ってください。
怒りのパワーを最大限に活かしてください。
Castles_Fantastic_world_floating_castle_Clouds
1ZOOM.ME 様 より



これが真実。
真実はひとつ。
あとはフェイク。。
誰が何と言おうと、、、僕の中では。
あとは、僕に続く人がいるのかどうか???



参考資料
たわごとリレー#1 たわごと企画再登場❣️Saarahat サアラさん(大宇宙中央議会内 アインソフ・メンバー) ホスト:よっちゃん&あきらちゃん) よっちゃん&あきらちゃんの たわごとトーク 様 YouTube
【漫画版アキラ考察】アキラはSFではない「究極のメタファー」(真夏の都市伝説祭り2020〜音楽と共に〜) イチゼロシステム 様 YouTube



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2020080101
人は、いつかはこの世を去る
しかし、魂は永遠
なのに、なぜ人は死後のことを考えながら生きようとしないのか?

僕は前回の記事で、そう書きました。
俳優の三浦春馬さん(享年30)の衝撃的な自死から10日余りが経ちました。
僕は春馬さんのことを詳しくは知らないのですが、時々NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」という番組のMCをされているのを拝見していました。

このことは記事にしない方がいいとずっと思っていたのですが(それこそ本当に頭がおかしいと思われかねないので......)、ひょっとしたら記事にした方が世の中のためになるかもしれないと思うようになってきたので、思い切って記事にします。

実は、お亡くなりになられた翌日ぐらいに、彼の魂が来ました。
その日はハッキリと、彼の存在を感じていました。
今も来ているのかもしれませんが、僕はあまり意識しないようにしています。
彼の孤独感、彼の悲しみに共鳴してしまうと、僕まで闇に飲み込まれてしまうので、、、

その日以来、毎日マントラを唱える前に、春馬さんの魂をお救い下さいと祈るようしています。
彼はなぜ、死を選んでしまったのか?
どうやら、あの天使のような笑顔の裏に、闇を抱えていたようです。
彼に限らず、芸能人が闇を抱えてしまうことは、本当に多いようです。

「週刊文春」8月6日号 では、春馬さんが遺した日記の一部が報じられています。
そこには《僕の人間性を全否定するような出来事があり、たちまち鬱状態に陥り、自暴自棄になった》《仲の良い人に会うときに「死にたい」と思っていることを悟られたくなかった。「ウソの笑顔」を作り、毎日ウソをつくのが苦痛だった》などと綴られています。

「人間性を全否定するような出来事」とは一体何なのか?
家庭間での問題か?異性の問題か?それともSNSで誹謗中傷されたのか?
外目からはファンがたくさんいて、お金をたくさん稼いでいて、羨ましいと思っていた人もたくさんいたと思います。
しかし彼の心は、深い精神的な孤独に覆われていたようです。
周囲にたくさん人がいて、多くの人から愛されているのに、孤独を抱えてしまう。
そして「ウソの笑顔」を作って、その孤独を隠すことによって、ますます泥沼にはまっていく。

誰かにすべてを打ち明けていれば、こんなことにはならなかっただろうに、病気を理由に仕事なんて休めばよかったのに、それを許さない職場の環境というのがあるのです。
その環境は自由とは程遠く、それは奴隷そのものです。
成功すればするほど、名声を得れば得るほど、ますます身動きが取れなくなっていく。
それを発散できる場所があればいいのですが、そうすることのできない真面目な人間は追い込まれていきます。
2020080102
最近は普通の人でも、SNSによって奴隷化してしまう人が増えています。
たとえばインスタグラムで、自分の幸せな瞬間を写真に撮って、それを人に見せびらかしたりしますが、実はそれを見た人が自分の不幸を感じてしまうことがよくあります。(インスタグラムというのは、それを目的に作られています)
目には見えませんが、そうした不幸の感情は潜在意識下でちゃんと投稿した人に伝わっていってます。
写真を見せびらかしている人は、ただ自分が幸せだということを周りに自慢したいだけかもしれません。
しかし、それが妬みや嫉妬を買い、他者のネガティブな感情が意識下で溜まっていくと鬱になりやすくなるのです。
それが人気芸能人ともなれば嫉妬はその人に集中していきますから、よっぽどその人は意識をしっかり持っていないと闇の餌食となります。

SNSの登場で、それは人気芸能人だけの問題では無くなったということです。
SNSには法の秩序がないので、言葉の暴力が絶えません。
言葉の暴力は、時に人に死ほどの苦しみを与えます。

ちょっとした失敗や意見の相違などで、人間性を全否定してくる人もいます。
たとえば、自粛警察という言葉が流行っていますが、まるでマスクをしない人の人間性を疑うような風潮もいつの間にかできてしまいました。
もちろんエチケットとして人前ではマスクをすべきですが、人間性を全否定するというのはあまりにもおかしいです。

科学が発展し、経済が豊かになり、便利さを追求していった結果、人間は欲望の奴隷と化していきました。
自由意志を損ない、民主主義を損ないました。
教育や拝金主義というサバイバルレースを激化させ、そうやって人間の精神を崩壊させ、人間をロボット化させ、支配層の支配しやすい環境を作ってきました。

テレワークを社会に定着させようとしているのも、支配層なのかもしれません。
刑事ドラマなどで、よく「刑事(デカ)は足で稼げ」という台詞が出てきますが、現場に何度も足を運んでいないと見えてこないものがあるように、パソコンの画面からでは伝わらないものがあって、それこそが本当に大事だったりします。
新型コロナは、そういった意味で人と人の距離を遠ざけ、一人ひとりを孤立化させるのが狙いです。

また、アバターによって、いくらでも理想的な自分を作り出せます。
つまり前述したインスタグラムと同じで、「ウソ」の自分を作り出せます。
その「ウソ」は、回り回って全部自分に返ってくることもわからずに、、、
内閣府で出している「ムーンショット計画」は、まさにその極みです。
多くの人は、それが進歩だと思っているのかもせれませんが、結局はそれが自由を奪い、奴隷化し、人間の進化を阻むのです。

時々、春馬さんのような天使の心を持った人や何でも見抜いてしまう本物の超能力者が現れると、洗脳者はその人を徹底的に攻撃し、この社会から爪弾きにします。
SNSとはその最適化、カスタマイズなのです。
日本のディストピア化は、すでに中国以上かもしれません。
だから賢いマトモな人は、マトモじゃないフリをしたりしている。。
狙われないように・・・

自死の殆どは、悪霊の憑依によるものです。
自死ではあっても、その場合は殆ど悪霊に殺されたようなものです。(だから完全な自死ではないので、僕は地獄からその人の魂を救うことができる・・・)
鬱状態になることによって、悪霊はその低波動の臭いを嗅ぎつけ憑依するのです。
コロナやSNSの登場により、今や社会は隠れ鬱の人で溢れ返っています。
パンドラの箱は完全に開き切り、悪霊どもは片っ端から人々を餌食にして地獄に連れ去ろうとしている訳で......
これが人間牧場なのです。
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今、中国が大変なことになっているのだそうです。
上海では今世紀でもっとも長かった梅雨が明けたそうですが、内陸部では長江流域を中心に今でも豪雨が続き、長江中流域にある三峡ダムが決壊する危険が高まっているそうです。
三峡ダムは世界最大のダムで、2009年に完成したことによって電力の供給と工業用水を確保できるようになり、それにより武漢などの街が発展し、そこを拠点にして習近平は一帯一路構想を推し進めることができるようになりました。
今や自動車の部品などは、殆どが中国製です。
もし三峡ダムが決壊すれば、武漢などの下流域の街はすべて水に沈みます。
そうすると自動車の部品などが入ってこなくなるので、世界中の自動車工場が閉鎖に追い込まれます。
新型コロナとイナゴ襲来のトリプルパンチで大恐慌が起こり、経済を回復させるために各国で本格的な戦争を始めるというのが闇側のシナリオです。

この中国での豪雨も、気象兵器だと思われます。
このままでは一帯一路によって世界の経済を一手に握られかねない中国を、今のうちに叩いておこうとしたのです。
武漢コロナから始まり、イナゴ襲来によって穀物は食い荒らされ、トドメに中国の心臓である三峡ダムが決壊されれば、中国は完全に崩壊します。
これらは全部、中国を崩壊させるために人為的に起こされたものです。
もしそうなれば、おそらく13憶の中国の人々は難民となり、食料を求めて日本に押し寄せてきます。

しかし、そもそも日本もその頃には大恐慌の影響を受けているので、中国人を助けることなどできなくなっています。
ひょっとしたら、紙幣が紙切れ同然になっているかもしれません。
日本も国の借金が凄い訳ですから(今年3月末の時点で1114兆5400億円)、その借金をチャラにできる政府にとっては、実は都合がよかったりして......
今年の秋頃がもっとも危険です。
まさに、夜明けの晩です。
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しかし、死ねば物質的なものはすべて無くなります。
所詮はこの世は幻想、仮想現実の世界です。
何があっても動じないこと。。
恐怖や不安な感情は、悪魔や悪霊たちの大好物です。
前回の記事にも書きましたが、ふるいに掛けられても落ちない生き方をしていれば、何も心配することはありません。

今月に入ってから日本も長かった梅雨が明けましたが、また水元公園までのサイクリングを始めました。
水元公園で写真を撮りまくっています。
やはり、自然の波動は最高です。
植物たちや昆虫たちと、久しぶりに仲良くなっています

そういえば、サワガニが道を横断していて轢きそうになったので、急ブレーキをかけました。
「へぇー、カニなんているんだ」と思いながら、自転車から降りてしばらくカニさんを観察しました。
カニさんはその間、まったく微動だに動きませんでした。
僕はカニさんと波動が合ってしまったかもしれない。
「そろそろ行くね、じゃあね」とテレパシーを送ると、カニさんは確かにハサミを2回振って、バイバイをしました。
僕もバイバイをしました。(本当に変な人と思われるかもしれませんが、、、笑)
写真は撮りませんでした。
何やらカニさんに霊的なものを感じていたので、写真とか物質的なものより、カニさんとの出会いの瞬間を大切にしたかったんです。
その後、自転車に乗りながら、自然が僕を賞賛してくれているのを感じていました。

ベートーヴェンやモーツァルトを聴くのも、波動が上がります。
前々回の記事にも書きましたが、モーツァルトの音楽は「神が人間に与えた贈り物」だといわれています。
モーツァルトを聴いても全然いいと思わない人は、申し訳ないですが、その人は神を知らない人です。

波動を上げるには、昔のいい映画を観て感動するのもいいかもしれません。
もちろん映画にもよりますが、、、
映画でなくても、すべての感動は波動を上げます。

でも一番は作りものではなく、自然の中に感動を見つけることだと思います。
自然が最強だと思います。
波動が上がれば、それが魂の成長へと繋がっていきます。

人間関係やお金のことや食事や着るものばかりに拘っていれば、魂の成長は止まります。
ネガティブは、逆に魂を劣化させます。
今のこの社会は、人の心をネガティブにするように作られています。
そのネガティブの大本なのが、利己主義です。
日本人は、元々は利他主義でした。
それを変えてしまったのが、欧米化でした。
GHQによる、日本人白痴化計画でした。
しかし縄文のDNAが目覚めだし、ユダヤの血が騒ぎだし、徐々に多くの日本人が本当の真実に気づき始めています。

僕は最近、体感的に発見したことがあります。
「宇宙は愛で出来ている・・・」ということです。
この宇宙の愛から一番遠ざかってしまったのが、この社会です。
春馬さんの死は、きっとこの社会に生きる一人ひとりに向けてのメッセージです。
そのメッセージが水輪の如く、世界に広がっていくことを願っています。



最後に、もっとも僕が神を感じる音楽をYouTubeから引っ張ってきて載せたいと思います。
モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」です。
信じないと思いますが、モーツァルトの魂が降りてきたこともあります。
その間中、ずっとこの「ジュピター」が頭の中で流れていました。
それは「神が人間に与えた贈り物」の中でも、この曲はもっとも重要だということを顕していました。
ずっと僕は疑問に思っていました。
なぜ全知全能なる神、ゼウスの守護するジュピターなのか?
土星ではなく、金星でも火星でもなく、地球でもなく、なぜ木星なのか?
ひょっとしたらジュピターとは、創造主なのかもしれません。
メーソンになったモーツァルトは、きっと知ってしまったに違いありません。
真の神と悪魔の存在を・・・



勝手に拝借しますm(__)m




春馬さんのご冥福をお祈りいたします。



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早いもので、今年もあと3日。
目に見えないものの存在を知ることの大切さや、人の生きる目的の様なことを中心に書いてきましたが、このブログも立ち上げて、もうあと少しで2年が経とうとしています。
自分のこれまでの半生を振り返ってみると、一言で言ってしまえば、それは失敗の半生、後悔の半生だったと思います。
しかし「成功は役立たない」というOSHOさんの言葉に勇気づけられ、その言葉の意味をしっかりと把握し、では本当に役立つものは何なのか?ということを、このブログで自分自身の不可思議な体験も交えながら探り続けてきました。

この社会を見渡してみると、目に見えるものしか信じていない人たちで溢れています。
頭ごなしに「そんなことある筈がない」と徹底的に否定する人たちに、ではそれを否定できる決定的な証拠はあるのですか?と僕は問いたいのです。
この人たちだって、ちょっと目線をずらせば世の中の見え方が違ってくる筈なのです。
しかし、頑に否定し続けます。
なぜなら、それを肯定すれば自分のこれまでの人生をすべて否定することになるからです。
自分の人生を否定するということは、それはとても勇気のいることです。
そして「成功は役立つ」のは当たり前だと、いつまでも信じていたいのです。

逆に正反対の人もいます。
オカルト好きな人たちのことですが、ただ面白いからとか興奮するというだけで、ワケのわからない話を簡単に信じてしまうのは大変に危険なことです。
しかも、そのオカルトの大部分は魔界的なものです。
宗教も、オカルトとまったく同じです。
どこどこの教祖様がサディズムではないと言い切れますか?

真実を探求していくということは、人が思っている以上に大切なことです。
そしてそれこそが人がこの世で生きていく使命、神が望んでいることだと感じるのです。
真実はきっと、表社会の裏の裏の裏にあります。
だから真実を知るには、真実を見通す目が必要になってきます。
それは3次元的な裏表の社会とかそういうことではなくて、異次元をも見通す目ということです。
その目は、鍛えれば誰もが持つことができる筈です。
頭から否定するのではなく、とりあえずやってみて、それでも何もなかったら否定すればいいのです。
ですが、おそらく殆どの人が何かを感じ、何かを得る筈です。
僕はその筋の専門家でも何でもなく、まったくの独自の方法でやっていますが、奇跡は日常的に起きる様になります。

その独自の鍛え方の簡単な具体例を挙げていくと、まず肉類(牛、豚、鳥など)を食べない、牛乳を飲まない、輸入された食品はなるべく食べない、それから毎日ガヤトリーマントラを唱える、最低一日一回は人の嫌がる仕事をする、なるべく靴やスリッパなどは履かないでたまには裸足で土の上を歩いたりする、木造の家に住む、太陽を拝み感謝する、コーヒーや紅茶は飲まない、風呂上がりに冷水シャワーを浴びるなどなど。(冷水シャワーは心臓の弱い人や高血圧の人、高齢者は避けて下さい。)
これらの幾つかの方法は、以前にこのブログで採り上げました。

(中にはそんなにストイックにならなくても、生まれつき透視能力の高い方もいらっしゃるとは思いますが、実験的に色々と試してみることも必要だし、また個人個人の段階によっても方法は違ってきます。つまり、これはあくまでも現段階での僕独自の方法ということになります。しかしこれが実体験になる訳だし、かなり的確なことだと思うし、またすべての人に当てはまってくることだと思っています。)

それから瞑想する時には、僕は第三の目を意識する様にしています。
一度、第三の目から離れて左のこめかみに意識を集中させて、次に右のこめかみに意識を集中させて、また真ん中に持っていくと第三の目がより大きく開いた様な感じがしてきます。
そして、ガヤトリーマントラを唱えます。
その時に太極図を頭に描き、光と闇、善と悪の融合をイメージします。
やがてすべてがひとつとなって、真の心の平穏が訪れます。
(光と闇の融合、これは宇宙規模の最大の目的⦅実験⦆といってもいいです。)

ところで「そんなことしなくたって、今の私は幸せだからそれでいいじゃないか」とお思いになる方もいると思いますが、その幸せは明日も続くと思いますか?
明後日も続くと思いますか?
1年後は?10年後は?それこそ死後の世界にまで行っても幸せは続くと思いますか?
そんなことは絶対にありません。
それとも死後の世界など存在しなくて、死んだら意識も何も無くなってしまうと思っているのなら、その証拠はどこにあるのですか?
科学的な観点からも、そんな証拠はどこにもありません。
(科学者たちが臨死体験に対して色々な学説を唱えていますが、どれも決定的な結論には至っていません。)

それから、今を幸せと思うことは大切だとは思いますが、いったい何に対して幸せなのかということが問題です。
金持ちだから幸せだとか、好きな人と一緒にいられるから幸せだとか、友達がいっぱいいるから幸せだとかそういう幸せと、ただ今生きているということだけを感謝している幸せ、過去や未来のことを一切考えない今この瞬間に対してだけの幸せは、これはまったく別なものです。
後者の幸せは、欲を超越しています。
これこそが至福だと思うのです。
瞑想をしている時に、たとえ一瞬だけでもその至福を感じることが出来たのなら、それで十分です。
大事なのは、その一瞬の至福を毎日感じることです。
それだけで、世界は変わっていきます。


ところで、スピリチュアル系ブログなんかを読んでいると、よくハイアーセルフ(高次の自己)という言葉を目にします。
しかし実際にハイアーセルフと繋がることの出来る人など、極めて少ないと思われます。
なぜならハイアーセルフと繋がるためには、どうやらまずロウアーセルフ(低次の自己)に繋がる必要があるらしいのです。
ロウアーセルフとは地球のことです。
つまりロウアーセルフには、地球上の生きとし生けるすべてのものが繋がることができます。
おそらく人間以外の動植物と、古代から営われてきた生活を今も実践している原住民たちは、常にロウアーセルフと繋がっているのだと思われます。
しかし我々現代人だって、無意識(潜在意識、集合無意識)の中で繋がっています。

地球を人間の年齢に例えるのなら、わずか2歳から6歳の少女になるらしいです。
そのわずか6歳の少女に難しい哲学の本を読み聞かせてみたところで、また仏教がどうだとか聖書がどうだとか言い聞かせてみたところで、興味を示す筈がありません。
少女に関心を持ってもらうためには、無邪気さや純粋無垢な心が必要です。

僕らの本当の先生は白髪の博識のある教授などではなく、実は庭に生えている雑草です。
雑草は風が吹くと、みんな同じ方向に傾きます。
一本だけ違う方向に傾くなんてことは絶対に有り得ません。
そんな雑草や自然に興味を持ち、心を清らかにすることで、きっと地球という少女に繋がることができます。
それによって、きっとハイアーセルフにも同時に繋がることができます。

2歳から6歳の少女というと、僕は以前にブログに何度か書きましたが、3人の子供の神様の内のひとりの少女のことを思い起こしてしまいます。
彼女を最初に目撃したのは確か20数年前で、つい最近も彼女を見かけました。
20数年も経っているのに、彼女は6歳ぐらいの女の子のままでした。
顔もまったく変わっていませんでした。
似た様な顔をした女の子がいただけと思うかもしれませんが、しかし僕はあの子は地球さんだったのだと、どこかで強く感じるのです。



毎年そうなのですが、僕は年の暮れには必ず来年のテーマを掲げています。
これは自分自身のために掲げているのではなく、時にはふっと天から降りてくることもあれば、いつの間にか頭の中に言葉があったりするので、これは神様から我々に与えられた重要なメッセージだと思っています。
僕は瞑想やガヤトリーマントラを唱える時に、その言葉を思い浮かべて、その言葉が地球全体に行き渡っていくのをイメージします。

今年のテーマは「浄化すること」でした。
僕自身も、今までの半生で染み付いてしまっていた後悔の念や悲しみといった感情を捨て去ることをテーマとして、今年一年を過ごしてきました。
来年のテーマは「童心に返る」です。
無理にハイアーセルフに繋がろうなんてことは考えないで、「子供の頃に置いてきた夢を思い出し〜♪(Kalafina「fairytale」の歌詞の冒頭)」てみては如何でしょうか?
自然の美しさを感じたり動物たちと触れ合ったり、また古代へのロマンに思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
そうやって大人になってからずっと忘れてしまっていた童心を、1年を掛けて思い出してみてください。
それはやがて、世界的な大きな繋がりとなっていくことでしょう。
それはきっとこの地球にとって、とても大事なことなのでしょう。


そういえば、童心に返ることができる、とっておきの映画が来年の初めに封切りされます。(2016年1月15日)
「パディントン」という映画なのですが、僕は「パディントンのクリスマス」という音楽を作曲して、以前に動画をブログに載せていて、ここで再度引っ張ってこようかと思います。
よかったら聴いてみて下さい。
それでは皆さん、良いお年を。

こちらが映画「パディントン」の予告

piabu作曲「パディントンのクリスマス」


参考資料
フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密/ドランヴァロ・メルキゼデク著

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随分とブログ更新が遅れてしまいました。
アクセス数そのものは少ないのですが、毎日の様に訪問してくださっている方も何人かいらしているので、本当に感謝致しますし、申し訳ありませんでした。
作曲を本格的に始めてしまうと、他のものが何も手につかなくなってしまいます。
昔はその辺は器用にこなしていたのですが、どうも最近は・・・。
でもいい加減更新させないとと思って、何とかPCに向かってこうしてキーボードを叩いています。
キーボードのuとjとmのキーが打ってもウンともスンともいわなくなって駄目になってしまって、それでもかなパレットを使いながら何とかやってます。



さて、今日の本題に入ろうと思います。
これはもう何度も記事にしてきたことですし、またこのテーマかとお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、しかしこれは人類にとって普遍的なテーマですし、その部分の捉え方によっては生き方までもが変わってきてしまいますし、また自分の不可思議体験と照らし合わせていけば光が見出せると僕は確信もしているので、これからも何度もこのブログで採り上げていくことになると思います。

地球には、大きく分けると2パターンの人間がいると思います。 
目に見えるものしか信じない唯物論者と目に見えないものを信じている観念論者。
後者は、更に4つに分けられると思います。
井上円了の言うところの「仮怪」「誤怪」「偽怪」
「真怪」
つまり、殆どのオカルトや都市伝説などは自然現象や心理的要因や人為的なもので、「真怪」と呼べるものはほんの僅かしかないということです。
おそらく、「真怪」は全ての怪現象の1%にも満たないのかもしれません。

そしてあとの1つは、変人に思われるのが嫌で、目に見えないものが見えていてもそれを決して口にしない人・・・。
現在の多くの日本人は、唯物論者は知的で科学的な良識ある大人というイメージを持っていて、逆に観念論者は迷信的で非科学的で暗愚な人物だという風なイメージを持っています。

世の中の怪現象の99%以上が「仮怪」「誤怪」「偽怪」なので、それも当然のことと思います。
オウムなど新興宗教が引き起こしてきた数々の事件によって、そういう得体の知れないものに対する免疫が国民に植え付けられてきたのだと思います。
しかし忘れてはならないのは、本当に大事なのが僅か1%にも満たない「真怪」の世界なのだということ。

僕はこれまでに、何度も不可解な現象を目の当たりにしてきましたし、不可解な写真もブログに載せてきました。
その中には、ひょっとしたら「仮怪」(自然現象によって実際に発生する妖怪)の様なものが少しは含まれているのかもしれません。
しかし、やはり冷静に判断しても、どの現象も「真怪」としか思えないものばかりです。

以前記事に、突然空が眩しく光ったと思ったら、その光が薄い雲を伝って拡散していって、まるで巨人の神経細胞を伝う電気の様だったと書きました。(2014/08/04の記事の一番最後)
こんなものを目撃してしまう人など、いったい他にいるのでしょうか?
今考えてみると、これもやはりUFOの仕業だった様な気がしてくるのですが・・・。
この間の夜も、薄い雲の上を飛ぶ巨大な光る物体を見ました。
それを見た時は、まるで映画『未知との遭遇』を体感してしまったかの様な気持ちになりました。
矢追純一さんの提示する写真や映像が本物かどうかは解りませんが、UFOは間違いなく存在しているというのが僕の意見です。
何故なら百聞は一見に如かずで、はっきりとこの目で見てきたからです。
もし僕がこんなにも不可思議現象を目の当たりにしていなかったら、おそらく生粋の唯物論者になっていたと思います。


この間、NHKスペシャル立花隆氏の「臨死体験」を観ました。
立花氏の豊富な知識と取材力はとても尊敬してしまうのですが、これほどまで「臨死体験」を取材して、自身も似た様な体験もされていて、それでも尚かつ、脳が活動を停止したら意識も無くなるという主張を一貫して変えずにいるというのには、本当になんと言ったらいいのか・・・。
しかし、どこまでも非現実的なものを疑っていく姿勢は、見習うべきことかもしれません。
特筆すべき点は、立花氏ほどの現実主義者で著名な作家が、目に見えないものを真剣に採り上げているということにあると思います。
何故採り上げるのかといえば、あの世は存在しないというのはあくまでも立花氏個人の考えに過ぎず、現在の科学では100%存在しないとは言い切れないものがあるからなのかもしれません。

つまり最終的な判定は、立花氏自身も未だにつけられてはいないのではないかという気がします。
あの世が存在していようとなかろうと、臨死体験のもたらす幻覚作用が人生の終末に穏やかな安らぎの瞬間のあることを知らせてくれるのだとしたら、それで十分だとする、これも結局一種の哲学的な世界に終始してしまっているからです。
哲学、つまりひとつの考え方であって、あの世が存在しないことを科学的に証明できた訳ではない。
ただ、今まで現代人に強く忌避されてきた領域に科学的なメスが入れられることによって、誰もがいつかは通らなければならない"死"に対する意識を強く持たせたことの意義は大きいと思うのです。


あの世が存在するとかしないとかということや、「真怪」かどうかというジャッジは、ここまで、いやそれ以上にもっともっと突き詰めていく必要があるということです。
これはまだまだ入り口に過ぎなくて、おそらくその先には人類が想像もつかない様な素晴らしい世界が広がっているに違いありません。
筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、それを「サムシング・グレート」と名付けました。(動画↓)
村上和雄氏といえば、日本人が持つ特有の遺伝子、YAP遺伝子を発見されたことでも有名です。



量子物理学者デヴィッド・ボームの「内蔵秩序」という言葉を思い出します。

「内蔵秩序」とは、たとえば植物の種子。
それだけ見れば、単にある形をした小さな粒としてしか僕らには認識できない。
種を土に蒔き、水分と適度な温度を与えると根が生えてきて
茎が伸びて葉っぱが出て、やがてその植物の形を僕らの前に現し始める。
種子の中に内蔵されていた情報が、僕らにわかる形で表出してきたのである。
種子だけを見た時は、この植物の形はわからない。
つまり、この植物の生長した姿を目で見ることはできない。
しかし種子の中には、その植物を特徴づけている情報がしっかりと内蔵されている。
宇宙の各部分に、このように目に見えない宇宙全体の情報が
内蔵されているというのがボームの考えだ。
それこそまさに神が創りたもうた秩序、自然の摂理ではないか。
すべてのものと繋がっていて、そして決して分離することのない、僕らには見ることの出来ない宇宙の秩序。
僕は以前、ブログにこの様な記事を載せました。
このボームの「内蔵秩序」が、村上和雄氏の「サムシング・グレート」と同じであることは、もちろん言うまでもありません。
神の存在を知るということは、それほど難しいことではない様な気がしてきます。

こうなると、ひょっとしたら人生も生まれる前から既に設計されていたと考えても、それほど不思議ではなくなってきます。
では何故生まれるのかというと、「因果応報」という言葉が浮かんできます。
つまり、よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。
この世は神様が主催する学校の様なところで、人間は「輪廻転生」や「永劫回帰」することによって魂を成長させようとしているのだと思います。
知識は円に似ています。円の内側は私たちのすでに知っている部分です。科学者たちはこの円の境界線のところで奮闘しており、研究して新しい発見をすることによって、知識の円の縁をさらに拡大させていきます。しかし、そのうち矛盾に遭遇します。ものごとを知れば知るほど、実は自分は何も知らないということに気がつくのです。円が小さかった時はたくさん知っていると思っていたのに、円が大きくなるにしたがって外周が大きくなると同時に、円の外にある未知の部分もさらに大きくなっていくのです。(途中略)私たちは今、科学の知識の円を大きくすることはできても、円の外に私たちを導くことはできないことに気づき始めています。

私たちは、遠くは惑星や星、銀河まで、さまざまな所を探求しました。しかし、まだ探求していない所が一カ所だけあります。それは自分たちの内面です。内面を深く探求するとき、捜し求めていたすべての知識や叡智を発見します。その瞬間にすべてを知り、それゆえ、それまで知識の円の外にあったものはまったくなくなります。そして、知識の円そのものがなくなります。探求は終わりを迎えます。私たち自身から始まった発見の旅は、遠く外へ向かっていき、最後に私たち自身に戻ってきて、内面で終わるのです。(サイババの光明瞑想より)
"自然界に秩序が発生した時は、同じ量だけの無秩序が排泄される"のだと養老孟司氏は語っています。(動画↓15:05〜)
だからバランスを取る為に、どこかで無秩序を補わなければならない。
秩序(意識)と無秩序(無意識)は対になっていて、意識(秩序)を使った人間が外の世界を作っているのが文明社会。
だから新幹線は時間通りにくるのだけれど、これをやるためには、どこかに無秩序を排泄しなければならなくて、それがエネルギー問題になっているのだそうです。




便利は不便とはよくいいますが、我々は便利さを追求するあまりに、無秩序(無意識)の存在をどこかに置き忘れてきたのかもしれません。
果たして今の人間社会は、我々をお創りになられた「サムシング・グレート」が望まれている社会なのでしょうか?
もしこれ以上無秩序の存在に目をやらずにいたら、現代の文明が崩壊の方向へと向かっていくのは当然のことと思われます。
いずれは「因果応報」によって清算せざるを得ない時が来るのです。
一昨日、御嶽山が噴火しましたが、噴火の他にも地震や台風は自然界における正にそれです。

これからは、もっと人間一人ひとりが精神(魂)的な成長を志し、円の外側(科学)にではなく、内面を深く探求していかなければならないのだと思います。


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