piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

タグ:物部氏

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pixabay 様 より



僕の頭の中に、電氣信号が走る
そして何かを考える
そしてまた、電氣信号が走る
まるで、機械のように

でも僕は、機械ではない
AIでもない
ちゃんと魂が宿っている
一人前に心を持っている
だから誰かに機械のような扱い方をされたら、表情には現れていなくても、無意識下ではかなりのストレスを感じている

だけど、奇麗な花を見たり、鳥の鳴き声を聞いたりしていると、それが潜在意識へどれほどの良い影響をもたらしていくことか、、
心は目で捉えることはできないが、しかしそこで感じていることがすべてであり、殆どの人は気づいていないが、それが人生を大きく左右していく

それは自分の内側だけで起きているのではない
頭の中に流れている電氣信号、、、それはこの頭蓋骨の中でただ流れているだけという話ではないのだ
天使の光輪や仏像の光背のように、その電氣信号は波動となって自分の外側へと放出されていく
それは自分の周りの波動を変えていくだけではなく、宇宙全体にも影響を与えていく
この宇宙のすべてにだ
それは機械ではなし得ないこと、、、AIには絶対にできないこと

なぜならこの世界は、シミュレーションになっているからだ
この宇宙は、ポストヒューマン(光、神)が創ったパソコンの内部だからだ
全人類の頭の中の電氣信号は、このソースへと繋がっていく
つまり、自分が考えたり感じたりしていることはすべて、この宇宙全体に影響を与えていくということだ

僕らの肉体は、アバターに過ぎない
物質的に、社会的に、何かを成し遂げたとしても、それがいったい何だというのだ
僕らの魂は、神の火の粉だ
僕らはソースの、つまりポストヒューマンの一部なのだ
残念ながらAIはポストヒューマンの一部ではないのだから、ソースと繋がることは永遠にない
『鉄腕アトム』がどんなにヒーローになろうが、残念ながら救世主になることはない

それなのに、人々はAIの一部になろうとしている
人々はメタバース世界に入るということが、いったいどういうことなのか解っているのだろうか?
AIのように、ソースと繋がることが永遠になくなってしまうというのに
闇が創り上げた光が届き難いこの社会の、そのさらなる奥に、脱出不可能な完璧な牢獄を創り上げ、闇はそこは天国だと謳い人々を誘導する

闇とは、AI感染者たちのこと
ヨハネの黙示録の獣の数字(6〇〇)の正体が、AIであることをお忘れなく、、、



勝手に拝借しますm(__)m




先日、瞑想しようと思って目を瞑ったら、白龍さんが浮かんできて頭から離れなくなりました。
僕の身体をご神体にして、どうぞお入りください、、
そして浮かんできたのが、ナガスネヒコ。

ナガスネヒコ(長髄彦)はニギハヤヒ(饒速日)を祀り、神武東征の場面で神武天皇に抵抗した大和の豪族であったと記紀には記されています。
ニギハヤヒといえば、僕は宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』の「ハク」を思い浮かべてしまいます。
ハクは白龍であり、またラストで自分の名前が「ニギハヤミコハクヌシ」であることを思い出します。
このニギハヤミコハクヌシがニギハヤヒであることは、間違いないと思います。

また、映画『もののけ姫』の主人公アシタカの名の由来が、ナガスネヒコからつけられているという説があります。
アシタカは、エミシ村の祭祀のヒイ様から「アシタカヒコ」と呼ばれていました。
「もののけ姫」のタイトルが最初「アシタカ聶記」だったという話は有名ですが、宮崎駿監督はナガスネ(長脛)からアシタカ(脚高)に名前を変えて、これがナガスネヒコの物語であることを隠した訳です。
しかし、ちょっと頭を捻れば、これがナガスネヒコの物語であるとわかるように、、

ナガスネヒコは神武に敗れた後、タヒなずに東北へ亡命したという歴史書や伝承が多数存在しています。
そして蝦夷(えみし)の長になった。。。
僕は子供の頃からトンデモなく東北に憧れていたと、何度かブログに書いていたと思います。
なぜそんなに憧れてしまうのか、、それが謎でした。
以前に、ブログのコメント欄にこんなようなことが書かれていました。
神武の時のことを思い出せと、、
この時はまったく意味が解りませんでしたが、どうやら僕の前世はナガスネヒコとも関係があるらしく、そのことを言っているのかもしれないと、最近そう思い始めているのです。
僕の前世は古代ユダヤの預言者エレミヤであり、そしてナガスネヒコとも関係があると、、、

それは兎も角、2023年(令和5年)1月25日、奈良県の富雄丸山古墳からトンデモないものが発掘されました。
日本最大の長さ(2m37cm)となる『蛇行剣(だこうけん)』と、龍の文様が施された『盾形銅鏡』(前例のない形)と呼ばれるものです。
この古墳が作られたのは4世紀後半と言われていて、この時期は他国の歴史書にも何も記載がないことから「空白の4世紀」といわれています。
それが何を意味しているかといえば、大和政権、もっと言ってしまえばC華思想を意識する民族にとって、非常に不都合なことが起こった時期、、、ということです。

古事記では、ナガスネヒコのことを登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、または登美毘古(とみびこ)とも書かれています。
つまりこの古墳は、ナガスネヒコの墓なのではないかといわれているのです。(年代が違いますが、、)
そして盾形銅鏡は十戒石板ではないかと、また蛇行剣は草薙の剣、もっと言ってしまえばアロンの杖ではないかと、、
ということは、古代ユダヤとも大きく関わってくる、、。



勝手に拝借しますm(__)m




勝手に拝借しますm(__)m





僕の頭の中に、電氣信号が走っている
真夜中に部屋の明かりを消して、暗闇の中、北を向いて背筋を伸ばし座禅を組む
そうすると何となく、頭に電氣信号が走っているような気がしてくる
そして、目の前に現れた白龍
彼はニギハヤヒなのか?
ナガスネヒコも強く感じる
彼らのことを考える度に、全身に電氣が走る

ずっと長い間封印されていた彼らの復活を強く強く感じる
発掘によって、封印が解かれたのだ
日本人の意識にも、それが現れ始めた
光の柱が立つ
それに続くように、他にもいくつもの光の柱が立ち始める
縄文の復活、レムリアの復活、、
いよいよ始まるのだ

映画『マトリックス』で、ネオが武術を習得するシーンの道場に、「饒速日(ニギハヤヒ)」と書かれた掛軸が映っていた
その意味が解るか?
それこそが、新しい地球への鍵、、。

この世界は、シミュレーションなのだ
この宇宙は、ポストヒューマン(光、神)が創ったパソコンの内部なのだ



勝手に拝借しますm(__)m




勝手に拝借しますm(__)m





ちょっとついでに、こんな動画も張り付けておきます。↓



勝手に拝借しますm(__)m




今日、千葉県の海岸で32頭のイルカが砂浜に打ち上げられ、うち5頭のタヒ亡が確認されたとのことです。
また、ANAで原因不明のシステム障害が起きているようです。
羽田だけでなく、関西国際空港や新千歳空港、那覇空港でも混乱が生じているそうです。
それからフレッツ光やひかり電話などでも、通信障害が起きているそうです。
所々で、停電も起きているそうです。
これは完全に、闇による電磁波攻撃ですね。
陰謀論ではなく、完全な陰謀です。
マントラ&瞑想&祈りで防ぎます。

それから、3月28日に作曲家の坂本龍一さんがお亡くなりになられました。
ご冥福をお祈りいたします。
教授は911の時、ワールドトレードセンターの近くに住んでいました。
あれはアルカイダによるテロなどではなく、イラクと戦争をするための口実を作るための闇の自作自演でした。
そしてビルを破壊するために、核爆弾が使われたのです。
だから、あの近くに住んでいた人は、みんな被爆しているのです。
教授は、その犠牲者だったのです。
それから約22年間もガンで闘病しながら音楽活動を続けてこられた訳ですから、本当によく頑張られたものです。

911後、脱原発、安保法案への抗議など、常に社会問題にも高い関心を持ち続けてこられました。
つい先日も、神宮の樹木伐採を見直すよう、小池都知事に手紙を送ったというニュースがあったばかりでした。
決して口にはしませんでしたが、おそらく脱原発を訴えるようになったのも、教授自身が被爆されていたからなのかもしれません。



今回のMVは、もちろん教授の音楽にしようと思います。
多くの人が思い浮かべるのは、きっと映画『ラストエンペラー』や映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲だと思います。
中には、リゲインのCMに用いられたピアノソロ曲「エナジー・フロー」を思い浮かべる人もいるかもしれません。
僕は、映画『シェルタリング・スカイ』(The Sheltering Sky, 1991年)がかなり強烈に印象に残っています。
変わってるかもしれませんが、、
今回張り付けるMVはテーマ曲ではなく、「On The Hill」という劇中曲にします↓

映画のテーマが「愛」ということで、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」とヴェルディの「レクイエム」を頭の片隅において作曲していたそうですが、引用はしていないとのこと。
劇中の主人公の夫が作曲家という設定になっていて、その彼が作曲したという曲です。
最初にできた曲はベルナルド・ベルトルッチ監督から「明るすぎる」と言われ、暗いものに作り直したそうです。(Wikipediaより)
なお、この音楽は1990年にロサンゼルス映画批評家協会賞の作曲賞を、そして1991年にはゴールデングローブ賞作曲賞を受賞しています。

この映画は、僕は確か約30年前に映画館で1度だけ観ました。
まだ1度しか観ていないのに、この↓映像と音楽に触れただけで、もう涙が溢れてきて止まらなくなりました。
なぜなのでしょうか?
時空を超えた、あまりにも長い長い旅路、、、
それを感じてしまうからなのでしょうか?



勝手に拝借しますm(__)m




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ここの所、家の仕事などで色々と忙しくて、ちょっと更新が滞ってました。m(_ _)m
明日も梅の実を収穫しなくてはならないので、今日の内に更新しておこうと思います。

毎日水元公園の辺りまでサイクリングしているのですが、今は菖蒲まつりの開催期間中なので、先週の土日は人がいっぱいでした。
歌謡ステージやものまねショーなどをやっていたり、野外のお茶会などのイベントがあったり、屋台がずらっと立ち並んでいて、いつもと違う光景が広がっています。
ここは桜の季節よりも、今の方が賑わっている感じです。
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平日の今日も行ってきましたが、結構人はいました。
お年寄りが多いですが、写真を撮っている若い人もチラホラと見かけます。
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陶器市をやっているのですが、いつもお金を持たずに来ていたので、ずっと指をくわえてるだけで素通りしていました。
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でも我慢も限界、お茶碗とマグカップが少し欠けてしまっていたので、それを口実に今日はお金を持っていってとうとう買ってしまいました。
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2つとも有田焼ですが、流石にモノが違います。
写真右側のお茶碗は1050円、左側の湯のみ風マグカップ?は1600円。
4〜5千円する高いのは買えないけれど、探せばお手頃の値段で結構良いモノがあります。
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太陽が真夏のように照りつけ、鳥たちがピーチクパーチクと縄張りを主張しながら空を飛んでいます。
まるで田舎のような風景ですが、ここも紛れもなく東京の一角にある公園。
「ざわわ ざわわ ざわわ〜♪」という歌が、頭の中に流れてきます。
木々や草の緑の美しさ、そしてカラスや他の鳥たちの可愛らしさ。
この自然の中で、これらの美しい世界を創造した創造主、照りつける太陽、そしてこの地球に感謝を捧げます。
まるで、古代人のアニミズム信仰を再現するかのように・・・。
長い時間電車に揺られて田舎に行かなくても、こうして都会のど真ん中でも十分に自然を堪能できてしまう。

江戸川べりもよくサイクリングをするのですが、木が鬱蒼と茂ったちょっと薄気味悪い場所もあったりします。
矢切や陣ヶ前なんて地名もあるのですが、おそらく戦国時代に北条氏と里見氏が戦った場所なのでしょう。
その頃にかけた呪術が、今でも解けずに残っているのかもしれません。
そんな場所で心を開けっぴろげにしていたら、憑衣体質の僕はとんでもないことになります。

しかし、ここの公園はとても神聖なものを感じます。
公園内にも木が鬱蒼と茂った場所があるのですが、そこは江戸川べりとはまったく逆のものを感じていて、僕はそこを聖域だとさえ思っています。
思えばこの公園を教えてくれたのは、一羽のカワセミでした。
一羽のカワセミが、僕の部屋を窓からホバリングをしながら覗き込んでいたことがありました。
「ギィギギギィー」と鳴きながら・・・。
あれは、カワセミにシェイプシフトした高次元スペースファミリーだったのか・・・?

僕はここで、高次元の存在たちと交信しているのかもしれません。
一昨日、久しぶりにクリスタル・ベルを見ました。
ベルは僕の左側から姿を現し、徐々に近づいて来て僕の頭上を通り越して、てっぺんの太陽と重なりました。
ベルの吐き出した雲を通過した太陽の光をしばらく凝視した後に辺りを見たら、すべてがピンク色(紫色)に染まって見えました。
これは観音様(マリア様)の色で、第六チャクラ(アージェナー、瞑想のチャクラ)の色でもあると思っています。
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この世は、目に見えないモノの影響を多分に受けています。
江戸川べりには戦国時代にかけた呪術が解かれることなく、今現在でも残っている場所があると書きましたが、そうした場所は他にも日本中にあるようです。
これはなにも、戦国時代だけに限ったことではありません。
もっともっと古い時代から、そうしたことは行われていたようです。

一昨年、僕は諏訪大社四社巡りをしてきたのですが、どうやらこの辺り一帯はあらゆるものが封印されていた場所だったようです。 
飛鳥時代のはじめに起きた、蘇我氏と物部氏による政権をめぐる争い(丁未の乱、または物部守屋の変)によって物部氏は滅ぼされ、蘇我氏が物部氏の本家なき後に諏訪に入り込んで、物部は封印されました。
これは言わば、蘇我氏の仏教と物部氏の古神道の争いなのですが、物部氏が滅んだことによって物部氏の神「大物主大神」の祟りを恐れて蘇我氏が封じ込んだ訳です。
今では優れた霊能者たちがこの地の封印を解いて、淀んでいた気が流れ出しているそうですが、これもひとつの時代の終焉だといえるかもしれません。

僕が諏訪大社上社本宮にお参りした時、近くの北斗神社で不思議な体験をしました。
以前記事にも書きましたが、異星人らしき人物が北斗神社を参拝していたのです。
ここまで書いてしまうと信じる方も少ないと思いますが、これも何か封印を解くことと関係があるのではないかと思います。
この北斗神社は「北極星(北斗七星)」を祀っているのですが、「北極星」は「出雲族(物部氏)」の信仰の対象になっています。(因みに「シリウス(またはオリオン座)」は「大和族」の信仰の対象です。)
つまり、この北斗神社は出雲大社と関係があるということです。
古代の出雲大社の「本殿」は、古代エジプトのピラミッドの内部にある「大回廊」と全く同じ大きさで、方向などもすべて同じです。
つまり、この北斗神社は古代エジプトのピラミッドとも繋がりがあるということです。
僕が見たあの異星人らしき人物は、この事実を僕に伝えようとしていたのかもしれません。
(因みに、夢の中でもあの異星人らしき人物が参拝する姿を見ました。僕は正夢を見ていたのです。何かある証拠です。)


さて、これは飽くまでも僕が感じていることですが、仏教は悪魔教であり、物部古神道もやはり一神教であるユダヤ教(ヤハウェ=エンリル)ですが、秦氏が日本に持ち込んできた神道(原始キリスト教、その元締めは天皇)と空海の真言密教は本物だと思っています。

神社には狛犬がいますが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像があったそうです。
ライオン像はゾロアスター教(エンリル)を象徴しています。
ゾロアスター教は強い者が正義だとされています。
仏教もユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、4大宗教すべてがゾロアスター教の影響を受けています。
ゾロアスター教は弱者が悪となるので、勝てば官軍とばかりにどんどん戦争を仕掛けていって、戦争に勝利して正義を誇って来た訳です。
蘇我氏が持ち運んで来た仏教も、そうした宗教なのです。
(因みに初期の仏教はまるで違います。そのことは「ブラフマンとアートマンが同一であること〜ガンダーラ仏教の変革」という記事に詳しく書きました。)

大昔の宗教は、それこそアトランティスやムー大陸時代の宗教は、アニミズム的なものだったのではないかと思うのです。
つまり神は大自然の中に宿っているので、特別に祈る対象はきっと必要なかったのです。
そして宇宙と繋がる時には、磐座のようなものを使っていたのだと思います。
それがやがて、ピラミッドという形になっていったのだと考えられます。
ピラミッドは王の墓などではなく、巨大な磐座だったということです。

酒井勝軍氏は「『日来神宮(ヒラミッド)』は今から2万~3万年前に古代日本で誕生し、それがエジプトへ伝わった」と唱えています。
日本のピラミッドとされている皆神山、葦獄山、クロマンタ、五葉山、千貫森、尖山・・・などの近くではUFOの目撃が相次いでいます。 
また、これらの山の頂上からビームが放出されているともいいます。
ピラミッドは、異星人たち(古代の人類たち)が使っていた遥か彼方の星との交信手段であったと同時に、遠い過去や未来を透視できる装置でもあったのではないかと思っています。

けいさんからコメントを頂いて、蓼科山はデビルスタワーなのではないか?と書かれている記事のことを教えてくれました。m(_ _)m
蓼科山もてっぺんが平らな切り株状の山なのだそうで、ピラミッドの可能性が高いと思います。
Martin Islandさんは、この場所を「聖域」と呼んでいます。
また「蓼科山の神であるに及ばず、この領域すべての大神であり、宇宙の神でもあるようなそういう崇高な存在であるように感じます。デビルスタワーのエネルギーは、ここ蓼科山に通じ、ここからまた別の次元の宇宙へと間口が開いているのではないか・・・」とも書かれています。

また僕は、諏訪湖と蓼科山の間にも何か関係があるのではないかと思っています。
諏訪湖は人工湖の可能性が高いです。
それから茅野で発見された「縄文のビーナス」と「仮面の女神」の他にも、この周辺(甲府盆地や伊那盆地など)には沢山の古墳や埴輪などが発見されています。
これもまた、蓼科ピラミッドと何か深い繋がりがあるのではないでしょうか。
物部氏が、なぜこの地に逃げ込んで来たかというのも興味深いです。

そもそもピラミッドパワーは高次元エネルギーなのでしょうか?
それとも・・・?
興味は尽きませんが、何だかまた諏訪の方へ行ってみたくなってきました。


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前回、原始キリスト教と神社の繋がりについてちょっと触れましたが、今日はその部分をもっと掘り下げてみたいと思います。
このテーマは以前にも何度か採り上げたことがありますが、改めて考察してみようと思います。

八幡神社の「や」はユダヤ教の一神教の神「ヤハウェ」の「ヤ」で、「はた(わた)」は日本に原始キリスト教を持ち込んだ「秦氏」の「はた」なのだと前回は説明しましたが、ここにひとつの疑問が浮かび上がります。
秦氏が紀元後に日本に持ち込んだ原始キリスト教は、紀元前に物部氏が日本に持ち込んだ旧約聖書の神を悪神としているのに、なぜその「ヤハウェ」を祀っているのかという疑問です。

物部系の神社(物部神道)では、紀元前からずっと血の儀式が行われていました。
主な物部系の神社に出雲大社、籠神社、大神神社、諏訪神社などがありますが、諏訪神社では明治初期頃まで血の儀式が行われていました。
諏訪大社上社の前宮へと続く参道の坂道を登る途中に十間廊(じっけんろう)と呼ばれている建物があるのですが、これが古代イスラエルの幕屋と大きさ、方角、使い方などがまったく同じなので、日ユ同祖論の大きな決め手となっています。
そこでは毎年4月15日の「御頭祭(酉の祭)」に、鹿の頭75が供えられていたそうです。
以前、古代のアニミズム信仰を探る旅 part7〜北斗神社と日本人のルーツ、地球人のルーツという記事のところに書きました。

御頭祭は今は行われなくなりましたが、生きたカエルを串刺しにして神前に捧げる「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」は現在でも行われていて、動物愛護団体が抗議活動をしたりしているみたいです。
また千葉県の君津市にある諏訪神社(諏訪大社を総本社とする神社)では、「ミカワリ」という奇怪な祭りが行われているそうで、儀式の中では切り分けられた肉を奪い合うというのがあって、神社の境内から出なければ子供だろうが容赦なく力ずくで肉を奪ってもいいのだそうです。
(柳田國男「年中行事覚書」によれば「ミカワリ」とは「身変わり」に通じるのだそうで、12月8日に日頃の自分の心身を清め、正月に向けて年神様をお迎え出来るような「身に変わる」ための準備なのだそうです。また12月8日は「事八日」「八日節供」ともいわれていて、様々な妖怪が姿を現す日ともされているそうです。これは不可思議大好き人間にとっては大変に興味深い内容で、その内に詳しく調べあげてアップしたいです。おそらく、これもユダヤに繋がってくるかと思います。)

こうした血の儀式を秦氏が廃止させようとして、秦氏の中の賀茂氏が禰宜を派遣して監視させた訳ですが、どうみてもこれらの残虐的な行事は悪神を鎮めるためのもの、若しくは悪魔崇拝的なものとしか思えない訳です。
神社の鳥居の赤(朱色)は、モーゼの「十の災い」時の「子羊の血」(出エジプト記12:1~13)の血の色を表しています。
子羊どころではなく、世界中の古代遺跡からは人間が生贄にされていたという証拠が沢山出てきています。(特にメキシコのケツァルコアトルの神殿の生贄は有名です。)
それは、日本の神話のヤマタノオロチ伝説の中にも見受けられます。
都市伝説ですが、現在でもイルミナティが悪魔崇拝を行っているという話もあります。

ここからさらに都市伝説的な内容になっていきますが、愛知ソニア著のイナンナバイブルでは、ヤハウェの正体はエンリルだと書いてあります。
エンリルというのはシュメール神話に登場してくる神です。
エンリルにはエンキという兄がいて、古代シュメール文化を研究したゼカリア・シッチン氏によれば、2人の兄弟はとても仲が悪く、孫(イナンナとマルドゥク)の時代の頃には決定的な亀裂が生じて大戦争にまで発展します。
それはやがて、神の代理戦争という形で人間同士が争うようになり、それは今現在も続いているのだそうです。

アカデミズムとはまったく違う独自の視点で遺跡などの調査を行っているはやし浩司さんによれば、神社にはエンリル系の神社とエンキ系の神社があるそうです。
それは狛犬を見れば分かるそうで、片方の狛犬に角が1本生えていたらエンキ系で、角が無いのならばエンリル系なのだそうです。
八幡神社の狛犬は角が1本あったので、エンキ系の神社ということになります。
しかし八幡の「や」はヤハウェ、つまりエンリルを表しているということは、エンリルの怒りを鎮めるためにエンキ系の秦氏が立てた神社ということになるのかもしれません。

シュメール文明といえば、メソポタミア文明よりもさらに古い、現在の歴史学が世界最古としている文明です。
シュメールというのは正しい発音ではなく、実際には古代バビロニア語ではスメル(Sumer)と発音します。
スメルといえば「スメラノミコト」、つまり天皇のことを意味するのではないかとする説があります。
アカデミズムは完全に偽書としていますが、縄文時代に書かれたという本「ホツマツタヱ」によると、神武天皇は日本の初代天皇ではなく、初期の縄文時代の頃からすでに天皇は存在していたようです。
つまり、「日本人シュメール起源説」です。
秦氏によって新約聖書が日本に持ち込まれる以前に物部氏によって旧約聖書が持ち込まれていた訳ですが、それよりも以前には、日本には世界最古のシュメール文明(天皇制)が存在していたということになります。

市川市、八幡神社にて

さて、秦氏は八幡神社だけではなく、稲荷、松尾、日枝などの様々な神社の創建に携わっていて、おそらく日本の神社の半分以上が秦氏による創建といえるかもしれません。
秦氏は間違いなく原始キリスト教の祭祀施設として、これらの神社を建てました。
しかし間違えないで頂きたいのが、現在のほとんどのキリスト教は秦氏の原始キリスト教とは似ても似つかない代物です。
原始キリスト教とは最初期のキリスト教のことで、イエスの直弟子(使徒)たちがユダヤ、ガリラヤにおいて伝道活動(布教)を始めた時代より、新約聖書の主要な文書が成立した後の西暦150年頃までをいいます。
この頃はまだバチカンの法王の権威が確立されてはいなくて、色々な原始キリスト教がヨーロッパ各地に乱立していました。

特に重要なのがグノーシス派です。
最近、紀元1~2世紀頃の現行の聖書に収められなかった古い福音書が次々と見つかっています。
トマス、フィリポ、ユダ、そしてマグダラのマリアの福音書です。
これらはすべてグノーシスです。
グノーシスとは古代ギリシア語で「知識」や「認識」という意味で、そこがカトリックとは相容れない部分であって、カトリックから弾圧される切っ掛けとなります。
なぜならアダムとイブがヘビに唆されて食べたリンゴは「知識」のリンゴであって、カトリックにとって「知識」は悪の象徴だからです。
弾圧といえば、特に酷かったのが1208年のカタリ派征伐のためのアルビジョア十字軍(フランス皇帝軍)だと思います。
そのことは以前に、執着をなくすということ〜カタリ派とディオゲネスという記事に詳しく書いたことがあります。

カトリックの弾圧によってグノーシス派などの原始キリスト教はほとんど姿を消しましたが、この極東日本に神道という風に形を変えて、その精神だけを残して脈々と受け継がれてきたということかもしれません。
賀茂氏でもあった徳川家康がキリスト教を禁じたのも、原始キリスト教を守るためだったのかもしれません。

原始キリスト教が姿を変えて受け継がれてきたのは、日本の神道だけではありません。
実は、フリーメイソンもグノーシスの流れを受け継いでいるといわれます。
有名なフリーメイソンのシンボル、コンパスと三角定規の真ん中にある「G」は、God(神)、Geometry(幾何学)の他に、Gnosis(グノーシス)という意味もあるそうなのですが、しかし僕の中では、どうしても神道とフリーメイソンが繋がってきません。
これもフリーメイソンがカトリックによって悪の組織に仕立てられ、特に日本人は陰謀という洗脳を掛けられているので、それが原因なのかもしれません。
しかし、もともとの教義は同じということです。
(フリーメイソンにも色々とあって、中には世界征服を企んでいる団体もあるかもしれませんが・・・。)

神道とグノーシスの違いは、イスラエル人(大和民族)かイスラエル人ではないかということです。
これは大きな違いです。
グノーシス派は「知識」を得ることによって、己の中にある神を引き出そうとしました。
一方、イスラエル人である秦氏は幕屋構造(前述した諏訪大社の十間廊のような建物)を応用して神社を建てて、その祈りの中で己の中に宿る神を引き出そうという、新しい信仰を作り出したのだと思います。
イエスが本当に伝えたかったのは、アニミズム(精霊信仰)だったのではないかと思っています。
アニミズムとは自然万物に神様が宿るという考え方で、自然を畏怖し崇拝することです。
つまりイエスの真の教えは、カトリックの三位一体とは正反対のことだったのだと思っています。
秦氏はこの日本で、そのイエスの教えを忠実に守ったということです。
秦氏が物部氏に血の儀式を行うのを禁じたのも、鹿もカエルも生きとし生けるもの皆に、それだけではなく岩や山や川や海にも、月や太陽や宇宙にもすべて、神様が宿っていると信じていたからなのでしょう。



今日の朝方、まだ日も昇らない暗い時間に目が覚めたのですが、真っ暗な筈なのに目を閉じると頭の辺りがとても明るく感じました。
あまりに明るいので昼間なのかと思い目を開けてみると、やっぱり真っ暗でした。
時計を見ると6時近かったので、瞑想をしようと起き上がり座禅を組んで目を瞑ると、額の第三の目の辺りにエネルギーが充満しているのが感じられて、それは痛いほどでした。
さっきまだ暗いのにとても明るく感じたのは、このエネルギーが原因だと分かりました。
そのエネルギーのお陰で今日は一日中でも瞑想が出来そうな予感がありましたが、今日やるべきこともあるので、7時ぐらいに瞑想を終えることにしました。

しかし僕は確かに、自分の中に煌々と輝く光を見ました。
前々からそれらしき光はうっすらと見えていましたが、今日ほど強くその光を感じたことはありません。
何者かが、僕の中の光を引き出してくれているようです。
それは今書いているこの記事と関係がありそうです。
(この記事を書くのに2〜3日掛かっています。)
これは、おそらくこの記事がとても重要なことを意味しています。
その何者かとは、いったい誰なのか?分かりませんが、神社と関係がありそうです。

瞑想とガヤトリーマントラを唱えることは、今年も毎日朝と夜の2回続けて行くつもりですが、実はガヤトリーと原始キリスト教(グノーシス)はとても近いと思っていて、ガヤトリーの光は僕は知識(叡智)だと思っています。
瞑想の最後に、身体中から青白い光が放出されているのをイメージしながら、自分の中に眠っている能力を引き出すということをやっています。
それは、自然万物の神様に感謝することによって可能になるのだと思っています。
今日、それが光の奇跡となって顕われたのかもしれません。


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下諏訪から中央本線の上り電車に乗って2駅目の茅野で下車して、そこからバスに揺られて数分・・・なのだけれど、地図を見たらけっこう歩けそうな距離だったので、茅野駅から諏訪大社上社前宮まで歩いて行きました。
しかし実際に歩いてみると、これがかなり大変。
途中で雨が強く降ってきたり、道にも迷ったりしたし・・・。
それでも、なんとかかんとか到着。
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最初「えっ!ここなの?」と思ってしまうほど、前宮の拝殿は他の3社と比べてかなり小さく、これは一番最初に造られた最も古い神社なのではないかと思いました。
animism82
本当に自然の中にひっそりと佇む神社という感じがあって、↑の清流で手を清めてからお参りをするというのも、どこか伊勢神宮内宮の五十鈴川岸の御手洗場と繋がってくる気がしてきます。
自然のパワーを取り入れているというのは、きっと伊勢神宮と同じだと思います。
この御柱↑を神様として崇めているのだから、まさに自然崇拝、アニミズムだと思います。
animism83
そして、前宮へと続く参道の坂道を登る途中で見かける十間廊(じっけんろう)↑。
これが古代イスラエルの幕屋と大きさ、方角、使い方などが同じということで、日ユ同祖論の大きな決め手となっています。

十間廊
古くは神原廊と呼ばれ中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場ですべての貢物はこの廊上で大祝(おおほうり)の実見に供された。毎年4月15日の「酉の祭(御頭祭)」には鹿の頭75がそなえられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿がいるとから諏訪七不思議にかぞえられた。上段に大祝の座、次に家老・奉公・五官の座があり、下座に御頭郷役人の座なども定められ、左手の「髙神小屋」で演じられる舞いを見ながら宴をはった。(案内版より)

動画を観て頂くのが一番手っ取り早いので 、またYouTubeから引っ張ってきます。
 


諏訪大社の御柱祭・御頭祭・御神渡り・十間廊などを見てみると、諏訪と古代イスラエルが繋がっている可能性はかなり濃厚になってきますが、しかし諏訪の守屋山は諏訪大社の御神体ではない訳ですし、物部守屋(もののべのもりや、生年不詳〜587年、飛鳥時代の有力豪族)から取って守屋山と名付けられた可能性もあります。(エルサレムのモリヤ山からではなく・・・)

しかし、前宮本殿と守屋山の中間あたりに物部守屋神社というのがあるのがどうも気になります。
↓の地図には書いてありませんでした。
その書いてないということが、なにやらニオうのです。
日本書紀に登場してくる物部守屋という人物は、藤原不比等によって改竄されている可能性があります。
縄文人(物部氏)のルーツが古代イスラエルにあるという証拠を消すために・・・。
しかし伝統の中に、諏訪の昔の人々はルーツの痕跡を残してきた・・・ということなのかもしれません。
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諏訪大社上社前宮から本宮まで、また歩くことにしました。
なかなかの距離があります。
お勧めできません。(苦笑)

本宮まであと少しという所で石清水↓と書いてある休める場所があったので、雨でぐしゃぐしゃになった地図をリュックの奥の方に入れたり(道はだいたい分かったので)、雨よけのカメラに巻くタオルを取り出したりしていると、メガネをかけた黒いコートを着た人が近くをウロウロしているのに気がつきました。
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準備を整えて「さて行こう!」と思った瞬間に、黒いコートの人も歩き始めました。
しばらくその黒いコートの人は僕の目の前を歩いていましたが、途中で曲がって急な階段を登り始めました。
見ると北斗神社と書いてあり、天御中主命(北極星)を祀るという文字を見て「わー、ここもお参りしなきゃ!」と瞬間的にそう思いました。
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「先に本宮の方をお参りしてきますので、帰りに必ずここに立ち寄ってお参りしますので、しばらくお待ちください。」と心の中で誓って、ここを立ち去りました。
不思議なもので、もしバスに乗っていたら北斗神社の存在すら知らなかっただろうし、黒いコートの人が↑の様にこの階段を登っていなかったら、そのまま通り過ぎていたと思います。
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やっと本宮に辿り着いて、参拝も済ませてきました。
とても立派な社殿でした。
これで諏訪大社二社四宮すべてを参拝してきたことになります。

来年、七年に一度の式年造営御柱大祭があるそうです。↓
太古の昔より続けられてきたこのお祭りも、さらに遡るとひょっとしたら古代イスラエルに繋がってくるのかもしれないと思うと感慨一入です。
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しかし、まだやらなければならないことが残っています。
そう、この階段を登らなければ・・・。↓
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雨で滑りやすくなっている上に、足に疲労がたまっていたので、相当にコワかったです。(中ぐらいの所にぐらついている石もありました。)
上にやっとのことで辿り着き、脇の蚕玉社を祀った御堂に腰を掛けて、一休みしてから北斗神社にお参りしました。
お参りしている時も、立っていられる様なスペースがなくてコワかったです。
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あらためて登ってきた階段を上から覗き込んでみました。↓
いやはや、こんな所をよくぞ登ってこれたものです。
降りるのも大変でした。
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この時は色々と考える余裕もなかったのですが、後でネットで調べてみると、興味深いことが幾つも出てきました。
祠の左端の灯籠には「奉献泰一社・物部安貞」と書いてあるそうです。
右側の身舎(もや)側面には「守屋氏」と刻まれているそうです。
ここにも「物部」と「守屋」が登場してきます。
そう、物部守屋神社と繋がってきます。

また、御祭神である天御中主神は古事記の一番最初に登場してくる神様ですが、北の空に輝く北極星にも象徴されていて、神仏習合の時代には北辰妙見菩薩とされていたそうです。
古代中国で北極星(北辰)は天帝(天皇大帝)と見なされていて、そこへ仏教思想が流入して妙見菩薩となったそうです。
(因みに、明治の廃仏毀釈によって妙見信仰は現在なくなっているそうです。)
妙見とは、優れた視力をもって善悪や真理をよく見通す者ということらしいです。
僕にはどうも、こちらの神社の方が本物の様な気がしてくるのです。



当然、僕はここで異星人到来説を掲げたいと思います。
異星人が最初にこの地球に来た時に地図を作成するとしたら、まず一番見やすい自転軸、つまり北極星を中心にすると思います。
そこから自分たちの故郷の星の位置を確認していた訳です。(因みに歳差運動があるので、昔の北極星は別の星でしたが・・・)
そして、その中心となる北極星を最高神とした訳です。

明らかに異星人たちは、様々な場所に我々現代人に向けてのメッセージを残しています。
はやし浩司さんは、飛鳥の酒船石は異星人によって造られた北極上空から見た世界地図であることを発見されました。
益田岩船も同じく、異星人によって造られたオベリスクの様なものだと主張されています。
これらの遺跡も、一種のメッセージなのかもしれません。
それは名を変え形を変え、神社やお寺の中で生き続けているのかもしれません。
妙見信仰もきっとそうです。

あの御柱祭の柱は古代イスラエルではアシラという女神であって、またそれは飛鳥でもあり、ナスカでもあり、阿修羅でもあり、アシュターという宇宙人でもあるのです。
アシュターはグレイのボス的存在で、地球人を騙したり拉致したりしているあまり良くない宇宙人なのですが、この様にいい意味でも悪い意味でも異星人たちは古来より人類に深く干渉し続けてきたのです。
例えば御柱祭や御頭祭というのは、あまり良くない宇宙人の魂を鎮めるために行われてきたのではないかという気がするのです。
(でもだからって、お祭りや参拝するのが良くないということではありません。平将門の首塚や菅原道真の太宰府天満宮と同じで、悪い霊を良い霊に変えてその土地を護らせているということだと思います。)

我々人類は猿から進化してきたと学校で習ってきたとは思いますが、しかしその決定的な証拠は実はまったく見つかっていません。
色んなことを踏まえていくと、むしろ人類は宇宙からやってきたと見る方が自然なのです。
我々は、ある任務を遂行するために地球にやって来たのです。
しかし、それを阻止しようとする宇宙人もいるということなのです。
地球はいま、一つの通過儀礼を体験しつつあります。 
あなた方も地球の一部ですから、通過儀礼を体験しつつあります。 
あなた方は地球のあり方から離れることはできません。 
地球はみずからを変革し、太陽系にドミノ現象を引き起こす存在になろうと意図しています。 
地球はさまざまな世界を一つに融合させ、これらのすべての世界が存在できるための安定した基盤となり、その体験を説明しようとしています。 

これが今地球がやろうとしていることです。 
ですから、もちろんあなた方も同じことに取り組まなければなりません。 
3次元の世界は次元の衝突に向かって進んでいます。 
世界の衝突ではなくて、次元の衝突です。 
さまざまな次元がぶつかりあうことになるでしょう。 
これらの次元の中には恐ろしいように見えるものもあることでしょう。 
あなた方にとっての試練、あるいは通過儀礼は、一見信じられないほど暗いエネルギーないし存在と対峙し、“彼らがあなたの一部である”がゆえにあなた方と一体になるためにやってきたことを理解することです。 

光の家族は作戦本部、つまりこの宇宙の中心にあって放送局の役割を果たしている場所から派遣されて来ています。 
あなた方の銀河系にはいくつもの太陽があり、この宇宙には中心に一つの太陽があります。 
マヤの人々はこの中心にある太陽を「アルシオン」と呼びました。 
他の民族はそれを異なる名前で呼びました。 
太陽には光があり、光は情報を持っています。 
光の家族のメンバーは宇宙の情報の貯蔵場所から来ているのです。 

あなたがたの意識が現実を創造し、操作し管理する法則をマスターすると、あなた方が選択するどのような形にもなることができます。 
土着文化の教えの一つはどのようにしてさまざまな現実の中に入っていき、どのようにして形を変えるかということでした。 
ある種の土着文化においては、シャーマンはこれが出来るがために畏敬されていました。 
かれらは魔術と神秘的な力を身につけており、そのプロセスを守り、伝えました。 
彼らはさまざまな動物に変身して、あるいはその他様々な形に身を変えて移動する能力を身に着けていました。 

これはまことに深遠な科学であったのです。 
光の家族の物語、わたしたちは、「正義の味方、帰って来た白Tシャツ」と呼んでいるのですが、これこそあなた方の正体です。 
あなた方はコミットしています。 
そのコミットとは、ある仕事を達成することであり、任務につくことであり、地球に何をしにやってきたかを思い出し、かつその任務を完了することです。
(プレアデス+かく語りき・地球30万年の夜明け/バーバラ・マーシニアック著より) 



北斗神社の祠を支えているコンクリートの平らな所に、一握り分のお米が置かれていました。
お供えするというよりも、粗末にただ置いてあるという印象を受けました。
おそらく、あの黒いコートの人が置いていったのだと思います。
お金ではなくお米を置いていく行為などを考えてみると、やはりあの黒いコートの人は人間の姿に変身した異星人なのではないかという気がしてくるのです。

part8へ続く<<<


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