piabuの不思議blog

オカルトでも陰謀論でもなく、この世界に隠されている本当の真実を自分自身に起こった不可思議な体験を元に探求しています。人間はなぜ生きなければならないのか?異次元世界はどうなっているのか?知れば知るほどに、この世界が摩訶不思議なもので溢れていることに気づくのです。

タグ:里見氏

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pixabay 様 より



時々、本当にこの世界のことがわからなくなる
たとえば瞑想している時とかに、悟りにも似た何かを掴みかけるのだけれど、あとちょっとのところでそれはスルリとかわしてすり抜けていってしまう
その何かをもう一度掴もうと試みれば試みるほど、余計に泥沼にハマっていってしまう
もし自分が唯物論者だったら、目に見えるモノがすべてだと考えていたら、きっとこんなに頭を悩ますこともなかったのだろうに

これまで、数々のあり得ないような信じられないような体験を、僕は確かにしてきた
勘違いしないで頂きたいのは、僕は霊能者でもなければ超能力者でもない
透視をすることなんて、第3の目を活性化させるような訓練を毎日しているけれども、未だにできやしない
しかし僕は確かに、、確かにだ、、、
人間の姿をした人間ではない何者かに出逢ってきた
幼い頃から、今に至るまで、、
彼らはいったい全体、本当に何者なのだ?



そのことで、いくらだって妄想に耽ることはできる
あれは幽霊だったのかもしれない、異星人だったのかもしれない、、あの地に封印されている神様だったかもしれない、、、なんてね
牢獄地球の看守だと、以前にブログに書いたこともあった
だけど本当のことは、何もわからない
確かなことは、彼らは間違いなく、人間の姿をした人間ではない何者かだということ

なぜなのだ、なぜ僕にだけ、このような体験をさせるのだ
なぜ僕にだけ、その複雑極まりない宇宙の真理を突きつける
誰か、僕と同じような体験をしている人がいたら教えて欲しい
是非、名乗り出てきて欲しい
しかし、未だ出会ったことはない
まるで、僕ひとりだけの宿命であるかのように、、、

今は光と闇の最終局面であることを彼らが教えてくれているのだと、僕はいつしか無意識的にそう信じることに決めていた
確信することはできないけれど、自分の直感を信じて前に突き進むことに決めていたんだ
答えが見つかってからでは、もう遅い
何が何だか訳が分からないけれど、これからも目に見えない何かに突き動かされるままにしていようと
それが闇ではなく、光であるのなら、、。

闇ほど、自分は光だと語る
だから、気をつけていなければならない
得てしてマスクを取れば、その正体は見た目とは正反対の存在だったりする
見た目に騙されるな
闇ほど、自分は高次元の人間だと、もっとも優れたスピリチュアリストだと偉そうにほざく
その言葉にコロッと騙されて、どれだけの人間が闇落ちしていったことか、、、
だいたい、自分を光だとか高次元だとか言っている時点で、もうそこに上下関係ができてしまっているではないか
このヒエラルキー社会と、奴隷社会と、何ら変わりがないではないか
真の神を知っている人間は、恐ろしくてとてもじゃないけれど、そんなことは口が裂けても言えない
本当の光側の人間というのは、‟要石”のような存在、、、だから自分の幸せなどコレっぽっちも考えていない
天命を全うするのに必死なのだから、自分の地位とか幸せなどを考える余裕はない



真の神の意志は、昨年のW杯に中にも示されていた
驕ったり相手を見くびっていれば叩き落され、怒りを秘めていたり常に相手をリスペクトしていれば勝ち上がっていった
勝って大騒ぎするなんて、以ての外
何が光で何が闇なのか、、これを見れば一目瞭然

3次元的に誰が光側で誰が闇側なのか、、、それはその人の言葉や行動でだいたいわかってしまう
しかし霊的な存在、別次元の存在たちを見分けるのは意外と難しい
チャネリングの大部分は、光のフリをしている闇だ
霊的な闇は頭がよく、実にずる賢い
ヤツらに騙されている人は、とても多い
しかし当然のことながら、本物の光だって存在している

そして、僕の目の前に現れた不可思議な謎の人物たち、、
それは間違いなく、人間の姿をした人間ではない何者かだった
勘違いや気のせいなどでは絶対にない
その闇とか光とかを、真の意味で超越しているような存在たち、、
そうした存在たちは、言葉ではなく、その仕草やその存在を示すことで僕にメッセージを残していった
そして、とても難解なクイズを僕に与えた

僕は僕なりに考えて答えを出してブログに書いてはきたけれど、真実は果たしてどうなのか?
マントラ&瞑想&祈りを毎日繰り返し、その答えを体感を通じて導き出そうと試みてきてはいるけれど、答えを見出しそうになる寸前のところでスルリとかわされすり抜けて行ってしまう、その歯がゆさ、、
まるで、弄ばれているかのように、、、
山を越えても、その先にはまた山があるように、次元を超えてもまたその先に別の次元があって、その答えはどんな賢者であろうとも、そうそうに導き出せるものではないのかもしれない
しかし、それでも唯物論者たちに比べれば、まだマシだと思っている
宇宙の真理に近づこうと常に試みていることが、もっとも重要なのだから、、。



2023年に入ってからも、相変わらず闇の傍若無人さを強く強く感じます。
何度も何度も、闇は僕を闇側へ引きずり込もうと憑依してきます。
その度にガヤトリーマントラを唱えて、何とか堪えています。

先日、YouTubeで映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』(1954年公開) がアップされていたので、ちょっとだけ観てみようと思ってクリックして観ていたら、あまりに面白過ぎて最後まで観てしまいました。
東千代之介が犬塚信乃をやっていて、中村錦之助(萬屋錦之介)も犬飼現八役で出演しています。
以前にもブログに書いたと思いますが、僕は何度か里見氏と関係ありそうな霊に取り憑かれたことがあります。
また、馬琴の「南総里見八犬伝」に登場してくる8人の犬士たちの母「伏姫」が籠ったとされる「伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)」で、僕は不可思議な人物に出逢っています。
間違いなく、何かがあるのです。
だから「里見八犬伝」という字を見ただけで、いつも見過ごせなくなってしまうのです。

5年ほど前に、里見氏の彷徨える霊たちを解放する目的で、房総を旅したことがあります。
館山城、稲村城跡、犬掛古戦場(里見の墓)、それから伏姫が生まれ育ったといわれる滝田城跡でも、そこに来ると必ず決まって聞こえてくる音があるのです。
その音は、どうやら僕にしか聞こえてこないのです。
以前に友達と一緒に来た時に「あの音何?聞こえない?変な音」と訊くと、「わからない、何にも聞こえない」と、誰に訊いてもそう答えるのです。
その音は、草刈り機で草を刈っているような、あるいは大きな空調機が回っているような、そんなような音でした。
一軒の家も建っていない、山の奥深くなのに、、、
耳を澄ましてよく聞いてみると、何だか大勢の里見の兵たちが気勢を上げて敵地へ攻め込んで行く時の声のようで、その音に重いフィルターがかかったような感じなのです。
そしてそのように思った瞬間に、確かに身体中に電気が走ったのです。

5年前の時はひとり旅だったので、それこそ誰もいない山の中をひとりで歩いていたので、それはもう大変でした。
手を合わしてガヤトリーマントラを唱えて、里見氏の霊を慰めました。
しばらくしたら、その不可思議な音は聞こえなくなりました。
しかし、家に帰ってきたら、背中がもの凄く重くて痛い。。。
憑依されているのは間違いありませんでした。
何日もマントラを唱えて霊を慰めて、一週間くらいでやっと除霊できたと思います。

先日、映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』を見終わったあとのことですが、またあの時の背中の痛みを感じました。
なんとなんと!映画を観ただけなのに、またあの厄介な里見氏の霊が取り憑いてきたようです。
霊は、こういう媒体(電磁気)を伝って憑依してくることもあるのです。
瞑想していてわかったのですが、実はまだ彷徨い続けている里見氏の霊たちがたくさんいるようなのです。
それもこれもすべて、おそらく闇の策略。
闇が僕に、この映画を観るように意図的に仕組んだ。
でも、毎日行っている儀式のお陰で、1日で背中の痛みも辛さもなくなりました。

瞑想している時に、ふと思い出したことがあります。
そういえば僕は、「伏姫籠穴」の入り口の少し前のところで、何度も同じ人物とすれ違い、すれ違いざまに僕はその人物に「伏姫籠穴はまだまだ先ですか?」と尋ねるのです。
そしてその人は毎回、「あっ!伏姫籠穴はすぐそこです。あそこに入り口があるので、そこを入ってず~っと階段を登っていったところにあります」と答えるのです。
丸眼鏡をした今時の若い女性で、ボーイッシュな声でハキハキと喋る感じです。
同じ場所でその女性と3回すれ違い、僕は3回同じ質問をし、3回その女性はその質問に答えたことになります。
最初は確か中学の時に学校で行って、2回目は友達との自転車の旅、そして3回目は5年前のひとり旅。
2回目も3回目も、僕は以前にその女性とすれ違っていることをすっかり忘れてしまっていました。
もう、忘れることはないでしょう。
もし、もう一度あの場所に行ってあの女性とすれ違ったら、いったい僕はどうなってしまうのやら、、心臓破裂しそうになるかもしれない。。。

それにしても、あの女性はいったい何者なのだろう?
考えてみると、学校で行った時も友達と行った時も、山道があまりにも長くて、なかなか着かなくて、いつの間にかみんなと逸れてたったひとりになってしまい、とても心細くなった瞬間にあの女性は現れて、それでいつも僕は本当にこの道でいいのかを訊いてしまうのです。
そして、あんなに行きは長くて大変だったのに、なぜか帰りはあっという間で楽だった。
おかしいんです、、絶対に、、。

それだけではなく、里見氏ゆかりの地はどこも嫌な感じがするのだけれど、「伏姫籠穴」だけはとても清らかな空気が流れていて、自然や建造物もとても美しく、ずっといたいと思うような場所なのです。
伏姫にはモデルがいて、それは里見家6代目当主の里見義堯の娘「種姫」だといわれています。
北条氏との戦(国府台の戦い、1564年)で25歳の夫、正木信茂を亡くし、種姫は25歳で未亡人となり、この山中深くに寺を建てて籠り、夫の菩提を弔いながら生涯を終えたといいます。

僕はどう考えても、どう考えても、あの女性は種姫の御霊が現代風の女性の姿になって現れたとしか思えないのですね。
馬琴の「南総里見八犬伝」を読んだたくさんの読書女子たちが、この聖地を訪れ祈ったのだと思います。
そして種姫の御霊が、彼女たちのファッションを真似て現代の女子に扮して僕の目の前に現れたのだと、、
そんなバカなと思うかもしれませんが、僕にはそうとしか考えられない、、。

でもなぜ、僕にしかその姿を現わさないのか?
それと同時に、いったいなぜ、これほどまでに里見氏の霊は僕を憎むのか?
その本当の真実は、まったくわかりません。
でも、推測ですが、おそらく僕の前世とは関係ありません。
血が関係している。。。

里見家最後の当主の里見忠義は、僕のご先祖様でもある徳川家康の側近だった本多正信の謀略により改易され、館山から伯耆の倉吉へ配流されています。
忠義はさらに鳥取藩主池田光政に4千石まで取り上げられ、百人扶持の知行とされ、享年28歳の若さで無念の死を迎え、里見氏は事実上滅亡します。
忠義の死去から3ヶ月後、板倉昌察ら8人の側近が殉死し、忠義とともに大岳院に葬られ「八賢士」と讃えられます。
この話を元にして、馬琴は「南総里見八犬伝」を書いたといわれています。
つまり、僕が里見氏の霊に呪われてしまうのは、きっと本多正信への恨みがあるからなのです。

でもなぜ、他の親戚たちには何もなく、僕だけにこんな目に遭わせるのか?
そしてなぜ、種姫が僕の目の前に現れたのか?
本当にこれも僕の憶測になってしまいますが、おそらく僕はこの里見氏の怨念を鎮めるために生まれてきた。(本多家と里見家を仲直りさせるため)
種姫も多くの人の祈りによって位の高い神のような存在になり、そして彼女もまた、里見氏の怨念を鎮めようとしていて、それができる人間が現れるのを待っていた。
そして、さらに深堀りをしてみれば、こうした怨念や呪いがかけられている土地が多く存在している限り、地球と、そしてできる限りの多くの人々の心と身体を次元上昇させるのは難しい、、、ということもあるのかもしれません。



でもいったい全体、僕は何者なのだろう?
普通に生きたかったのに、普通でいることを神は許さなかった

レミヤ様、、、つい最近、夢の中で僕はそう呼ばれた
夢の中で、喫茶店で同席した女性が僕にそう言ったのだ
「あなたは、レミヤ様なのですか?」と、、、
僕は「いいえ、違います」と言った
目が覚めてすぐにネットで検索してみたら、古代ユダヤの預言者エレミヤが出てきた

ウーン、、まさかね
でも、ひょっとしたら、、、



今回の最後のMVは、Mustafa Avşaroğluで「The Girl in the Woods, She Is Your Destiny」です。
タイトルの意味は、「森の中の少女、彼女はあなたの運命です」。
不可思議なことが起こるのは、森の中が多いです。
森は、もともと神聖な場所だったのでしょうね。



勝手に拝借しますm(__)m




追伸
レミヤではなく、レミネだったかもしれません。
どちらにしても、僕はレミ何とかではないと思っています。
預言者エレミヤだなんて、とんでもないこと、、、
ただ数年前にも、似たような夢を見ているのです。
やはり知らない女性から「あなたはレミ〇様ですか?」と訊かれました。
その時も、レミはドレミファソのレミだから、そうやって覚えていました。
2回同じような夢を見るということは、間違いなく何かがあります。
いつの日か、答えが見つかればいいなと思っています。



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僕が無目的な旅をする理由のひとつに、電車の中で本を読むというのがあります。
静かな部屋の中で読むよりも、ガタゴトと揺られながら電車の中で読んでいる方が頭の中に入ってきやすくなるからです。
本を読みながら鈍行を乗り継いでいたら名古屋に着いてしまったとか、新潟に着いてしまったとか、そんなことがありました。

案外本屋で本を買うことは少なく、大概はキヨスクとかに並べられている本をざっと見回して面白そうなタイトルの本を見つけて、お菓子やお茶などと一緒に買ったりします。
それ以外は、読みたいと思う本があったら本屋で探すのも面倒なので、アマゾンで買ってしまったりします。

でもつい先日、珍しく本屋で本を買いました。
理由は、あと1冊何か買うとポイント10倍クーポンがもらえるからでした。(そこでよく雑誌などを買っていたので、ポイントが溜まっていて・・・)
しかも、その日がキャンペーンの最終日。
「何か買わなきゃ」と思うと、逆に何を買えばいいのかわからなくなるものです。
最近、歴史ものが好きなので歴史研究的なもの、それも里見氏を巡る旅をしてきたばかりだったので里見氏に関係のあるものがあれば最高だと思ったのですが、読みたいと思えるものがなかなか見つかりません。

そこへ『
E = mc2のからくり エネルギーと質量はなぜ「等しい」のか』(山田克哉著、ブルーバックス)という物理学の本が目に入ってきました。
「難し過ぎて、僕の頭じゃ理解できないだろうな」と思いつつ、手に取って何行か読んでみると、初歩の初歩から「
E = mc2のからくり」を解き明かすと書いてあったので、これだと思い迷わず買いました。

読み進めていくうちに、身体に電気が走りはじめました。
これは僕が長年興味を抱いてきたことだから、興奮して何だか楽しくなってきます。
たとえば、こんなことが書かれています
E = mc2」とは、エネルギー(E)と質量(m)は定数である光速度(c)の2乗を介して等価であるということを示しています。
今コーヒーを飲んでいて、「ちょっとぬるいな」と感じて電子レンジで温めるとします。
するとコーヒーカップが温められて、カップが持つ熱エネルギーが増加して、「
E = mc2」を通してカップの質量も増えるそうです。
もちろん、どんな計測器でも検出できないほど微量ですが・・・

これはエネルギー(
E)が質量(m)へと変換されたからなのですが、逆に質量(m)がエネルギー(E)に変換されているのが原子爆弾です。
原子爆弾で、変換される際に極めて大きな役割を果たしてくるのが(
c2)です。
わずかな質量(
m)でも、「c=30万km/s」という大きな値が2乗されることで、途轍もない巨大なエネルギー(E)が生み出されるという訳です。
einstein
宇宙空間は、まったくの真空だと最近まで思われていました。
しかしそうではなく、量子力学によれば、宇宙の至る所で絶えず素粒子が発生したり消滅したりしているそうです。(真空のゆらぎ)
ひとつの素粒子には、例外なく対の素粒子が存在します。
物質を構成する物質素粒子「フェルミオン」と、その物質素粒子を糊づけする素粒子「ボゾン」です。
この2つの素粒子をブラックホールの淵に置いた時、マイナスの粒子はブラックホールに引き込まれ、プラスの粒子は放射線となってブラックホールから逃げ出す(ホーキング放射)ということを以前のブログ記事に書きました。

僕ら人間の身体も、この2つの素粒子によって形成されています。
個々の素粒子は生きているとはとてもいえない状態なのに、沢山の「フェルミオン」が集まって「ボゾン」によって糊づけされた「細胞」が構成されると、なぜかそこに「生命」が発生します。
そして、僕らには「意識」があります。
こう考えていくと、いったい「意識」とは何なのでしょうか?
では、霊とは?
魂とは?


このブログは、科学を扱ったブログではありません。
かといって、スピリチュアルのブログでもありません。
僕自身の不可思議な体験を元にして、真実を追究していくブログです。
異次元の存在は、量子物理学によって明らかになってきています。
だから、量子物理学のことを理解していく必要があります。

この社会の本当の姿とは?
僕らがこの世界で生きている本当の意味とは?
真実の歴史とは?
今やNHKでさえも嘘の報道をしている時代です。
しかしすべてが明らかになった時、貴方はその衝撃に耐えられますか?・・・ということです。
mariah_E=mc2
先日、こんな夢を見ました。
見知らぬ男の子が僕の家を訪ねてきて部屋の中に入ると、何故か僕の部屋の中に幕末の新撰組の墓石が置かれていて、男の子はその墓石の霊たちと何やら会話をし始めました。
僕には霊の姿は見えず、声も聞こえませんでした。
暫くすると男の子は部屋の隅の方に行って、壁に寄りかかるように座りました。
「君には霊の姿が見えるのか?沖田総司の霊とか、ここに来ているのか?」
僕はそう訊きましたが、男の子は何も答えません。
「どんな表情してた?なんて言ってた?」
そう訊いてみると「戸惑ってたよ」と男の子は言いました。

僕は実際に、房総を旅してきました。
その時に、里見氏の墓の前で霊に取り憑かれました。
たぶん僕は、里見氏の墓の「念」を家に持って帰ってきてしまったのだと思います。
その里見氏の墓が、何故か夢の中で新撰組の墓に変わっていたのです。

夢の続きですが、部屋にあるソファーに男性がくつろいで座っていました。
傍観者だと、直ぐにわかりました。
目に見えない異次元世界から、ずっとこの3次元世界を傍観している存在だと感じました。
僕は傍観者に訊きました。
「あなたはこの僕をどのように見ているのですか?まったくどうしようもないヤツに見えますか?それとも、まあまあよくやっている方ですか?それとも、案外スゴいことを僕はやっていたりしますか?僕は僕自身の真実を知りたい。僕には僕の本当の姿がまったくわからないんです。本当にまったく・・・」
傍観者はくつろいだ姿勢を崩さずに、ただじっと僕の話しを聞いていましたが、僕の疑問に答えることはありませんでした。
僕の話しを聞き終わった時に、傍観者は頬にやや笑みを浮かべたように見えました。

夢は、まるであの世の世界でした。
あたかも時間が止まってしまっていて、念だけが存在しているかのように・・・
しかし、あの男の子も傍観者も宇宙人だったのかもしれません。
その存在を、夢の中で示したのかもしれません。

この後の夢の続きはこうです。
なぜか突然、幸せそうなカップルが部屋の中に現れて、卵料理を作っていました。
そして作り終わると陽の当たるテーブルの席について、2人とも笑顔でケチャップをかけ合っていました。
そして、この夢の最初はこうでした。
空に沢山のクリスタル・ベル(UFO)が現れて、ベルたちのいつもの白い尾がすべて黄色い尾になっていました。
その黄色があまりにも鮮やかで、身体に電気が走りました。
この電気は明らかに僕が反応したのではなくて、僕に取り憑いている霊が反応していました。

夢判断で黄色は、平和、平安、ハーモニー、中央、中心、直観力、外交的、陽気、知的、焼き尽くす生命力、一切の過剰という意味があります。
そして美しい黄色は、直観力が冴えて閃き通りに行動すると幸運が訪れるという暗示があります。
どうやら、僕の願いは叶うようです。
里見氏の未浄霊は、どうやら救われるようです。

ガヤトリーマントラの「シャンティー」という言葉が効果抜群でした。
これは夢のお告げで知りました。
冬も行っていた冷水行も、もの凄い効果がありました。
そして、方々回ってきた神社やお寺の御利益がありました。
shukuzu
日本は、あの世と密接な関係のある国です。
あの世が清められれば、日本が清められます。
また、日本は世界の縮図です。
日本が清められれば、世界が清められます。
だから、呪術や怨念によって時間が止まってしまっている場所を浄化させる必要があったのです。

今現在、シリア情勢が混迷をきたしています。
アメリカとロシアの関係が悪化していて、極めて危険な状況です。
しかし、何としても第3次世界大戦だけは避けなければなりません。
起きたら最後、世界は終わります。
E = mc2」の威力は、星を破壊するほど凄まじいものです。
ディープステートの終焉に世界が巻き込まれるなんていうことは、絶対に許されないことです。

今、闇の勢力と地球を守ろうとしているグループが、目に見えないところで激しい戦争をしています。
どちらが勝者になるのかは、人間次第なのです。
この地球を真に美しい星にするのか、死の星にするのかは、我々人間にかかっているのです。
もう地球の支配者の言いなりになるのはやめて、自分本位な考え方もやめて、皆が幸せに暮らせる世界を求めていくべきです。
もうすでに魚座の時代は過ぎ去り、今は水瓶座の時代なのだから。

時間が止まってしまっている場所には、空気を入れ換えて、陽の光を当てて、新しいエネルギー(
E)を取り入れなければなりません。
もちろん、原子爆弾のような巨大な(
E)ではなく、「1/fのゆらぎ」のようなとても柔らかな(E)で・・・
1:f noise


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そもそもこの房総の旅をしようと思った切っ掛けは、幼い頃に見た夢を思い出したからです。
真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)から真間川沿いに東へ歩くと、真間小学校の川の反対側に浮嶋弁財天(写真↓)があります。
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僕が小学生の頃にこの近くに住んでいたのですが、その頃に何度も同じような恐い夢を見ました。
真間川沿いに長い白木の台が並べてあって、その台の上に一列に数体の生首が置かれていて、その生首たちが夜中に一斉に口を開けて「うぁぁぁ〜」と叫び始めるという夢です。

このことは、以前にブログ記事にしました。
ここら辺りは、戦国時代に里見氏と北条氏が争った場所です。
負けた里見氏の多くの家臣たちが、この場所で処刑されたようです。
ここの弁財天は、処刑されて生首を晒された人たちの霊を慰めるために建てられたのだと思います。
旅から帰って来た後、浮嶋弁財天にお参りする必要があると感じて、この間の日曜にお参りして来ました。

その後、真間山弘法寺にもお参りしました。
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そういえば、弘法寺に「伏姫桜」というしだれ桜があります。
「伏姫桜」の名前の由来は謎とされていますが、実は伏姫のモデルといわれている姫がいるそうです。
種姫という姫で、里見義堯の娘だそうです。
(ということは、里見義実のモデルは里見義堯かもしれません。)
種姫は正木時茂の嫡男・信茂に嫁ぎます。
正木信茂が21歳の時に、父・正木時茂から家督を受け継ぎますが、若年ながら既に里見軍の中心的な人物だったようです。
しかし、正木信茂は第二次国府台合戦で25歳という若さで戦死してしまいます。
そして、その正木信茂が戦死した場所というのが、真間山弘法寺(市河城⦅市川城⦆とも)の下だったのだそうです。

里見公園(国府台城跡)に「夜泣き石」と呼ばれている石があります。
国府台合戦で死亡した里見広次の末娘の姫が父の霊を弔うために、はるばる安房の国から国府台の戦場の地に辿り着くと、戦場跡の凄惨な情景を目にして恐怖と悲しみに打ちひしがれ、傍らにあった石にもたれて泣き続け、ついに息絶えてしまったそうです。
それから毎夜、この石から悲しい泣き声が聞こえてくるようになり、里人たちはこの石を「夜泣き石」と呼ぶようになったのだそうです。
その後一人の武士が通りかかり、この哀れな姫を供養したそうで、それからは泣き声が聞こえなくなったと伝えられています。
しかし記録によれば、里見広次は15歳の初陣で戦死したことになっています。
姫はこの時12〜13歳だったと伝えられているので、何だかおかしな話しになってきます。

もしこの姫が里見広次の姫ではなく、正木信茂の妻・種姫だったらどうでしょうか?
種姫は夫の死後、若くして尼僧になり、晩年には養老渓谷駅の近くにある宝林寺を建立してそこですごしています。
(折角養老渓谷駅で降りているのに、宝林寺に行かなかったのは残念。)
種姫はきっとこの国府台に来ていて、凄惨な戦場跡を目の当たりにしているのです。
そして夫の亡骸があった場所に桜を植えて、それがやがて「伏姫桜」になったのだと・・・(写真↓)
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里見公園も気になっていたので、行ってみました。
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桜が満開で日曜ということもあって、もの凄い人でした。
野外コンサートが催されていて、アイドルなんかも来ていたようです。
400年以上前にここで悲惨な戦いがあったなんて考えられないほど、明るくて陽気で出来上がった人もいっぱいいました。

しかしちょっと散策してみると、まだ当時の面影が残っている場所があります。
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写真↑の左側に写っている石が、前述した「夜泣き石」です。
真ん中の奥に写っている3つの碑は、左側が里見諸士群亡塚で、中央が里見諸将霊墓で、右側が里見広次公廟だそうです。
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近くには、「明戸古墳石棺」があります。(写真↓)
明戸古墳は六世紀後葉に作られた全長40mの前方後円墳ですが、土が崩れて石棺が地上に出てしまっています。
天保七年(1836年)に発行された「江戸名所図絵」には、この2つの墓は里見広次と正木内膳の墓と書かれているそうですが、周辺から埴輪が採集されていることから、今はそれは誤りだということがわかっています。
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気になるのは、正木内膳と書かれていることです。
正木内膳とは、まさしく種姫の夫・正木信茂のことだと思います。
墓は古墳時代のもので正木信茂の墓ではありませんが、そう言い伝えられているということは、間違いなくこの近くに信茂の墓があるということです。
僕はあの「伏姫桜」こそ、正木信茂の墓なのではないかと思うのです。
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僕は里見氏の霊を慰めるためだけではなく、北条氏側とも和解して欲しいと願い、江戸川の向こう側にある「縛られ地蔵尊」にもお参りしてきました。
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途中、いつも通りに水元公園にも行きました。
里見公園ほどではありませんでしたが、やっぱり人がいっぱいでした。
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いい季節ですね。
桜の花が散るが如くに、里見氏の無念の思いも癒されますように。
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今日は仏教系にばかりお参りしていたので、神道系もということで、松戸神社にもお参りしてきました。
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そういえば、今年は戌年(犬年)だったんですね。
すっかり忘れていました。
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ところで僕は里見忠義の霊に取り憑かれていたと思うのですが、どうやら僕の想いが伝わったらしく、もう怨んではいないようです。
しかし背中の痛みはまだ感じていて、まだ誰かが憑依しているようです。
里見義豊の墓で憑依してきたので、義豊かもしれません。
しかし、義豊に恨まれる道理はありません。

ひょっとしたら玉梓の霊か、あるいはそれに匹敵する霊かもしれません。
いや、この感覚は以前にも感じていた感覚です。
以前に僕に取り憑いていた霊が除霊によって一端離れて、またあの墓の前で取り憑いてきたようです。
同じ霊に、同じ場所で取り憑かれたということです。
里見氏と深く関わっている霊です。

何れにしても、僕は霊と戦う気はありません。
水瓶座の時代は「解放」の時代であると共に、「公平」という時代でもあります。
上も下もなく、優も劣もなく、善も悪もない、そうした時代を目指さなければなりません。
取り憑いてきた霊に、ひたすら説得するのみです。
要は、如何にして癒すかということです。
今日もまだ憑いていますが、背中の痛みは徐々にやわらいできています。


こんなことがあっても、実は僕は楽しくて仕様がありません。
謎を解明していくって、本当に楽しくてワクワクしてきます。
好奇心って、本当に大切です。
皆さんも是非、何かにワクワクしながら楽しんで生きて下さい。

おわり


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伏姫籠穴よりさらに山奥にある「八犬士終焉の地」にも行きたかったのですが、観光案内所の人が「道が崩落しているらしいのでお勧めできません。」と言っていたので、諦めて滝田城跡を目指しました。
県道258号線(県道富山丸山線)は坂道が多いと観光案内所の人が言っていましたが、結構僕はサイクリングで足を鍛えているので、心地よい汗をかいたといった感じです。
それにこの道は景色がとても素晴らしく、棚田(写真↓)が所々に見られます。
因みに、県道88号線(県道富津館山線)を富津方面に行くと有名な大山千枚田があります。
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犬掛に出てから県道88号線を館山方面に行くと、滝田に着きます。
「滝田城址→」という標識があったので、その道をしばらく行くと入り口が見えてきます。
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柵があって入っていいのかどうなのかわからないので、近くで農作業をしている人に訊いてみました。
「そのロープを解いて中に入ってください。そこをずっと登って行くと道が2つに分かれていて、確か左の道を行くと滝田城跡に出るのかな?私も子供の頃に一度登ったことがあるけど、それ以来登ってないからねえ。もっと大きくてわかりやすい標識を建てればいいのに、これじゃ、わかりにくいわよねえ。」
とにかくロープを解いて中に入っていいようなので、農家の人にお礼をして登っていきました。
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標識があっても、その方向に道がなくなっていたりして・・・(写真↑)
勘を頼りに登って行くしかありません。

途中、こんなに眺めの良い景色が見れる場所もあります。
向こうに見える山は、伊予ケ岳だと思います。(写真↓)
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やっぱりあの音が聞こえてきました。
大勢の里見の兵たちが気勢を上げて敵地へ攻め込んで行くような音です。
フィルターがかかって、大きな空調機が回っているような音にも聞こえますが、間違いなく霊的な音です。
絶対に何かあります。
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滝田城跡に着きました。
あの音は聞こえなくなっていました。
辺りは開けていて明るく、桜が綺麗に咲いていました。
滝田城主郭・城主一色九郎と書かれています。(写真↑)

「南総里見八犬伝」で有名な里見氏の初代・里見義実の時代にはもう滝田城は築城されていたようです。
第3代・里見義豊の時代は拠点であった稲村城の守りの要、そして北進政策の拠点として重視されていて、城代は義豊の妹婿の一色氏が置かれていました。

里見義豊が当主の座を脅かそうとする叔父の里見実堯を誅殺した後、実堯の子・里見義堯(さとみよしたか)が北条の力を得て逆襲、妙本寺付近で合戦になります。
その合戦に敗れた里見義豊は、近くの滝田城に立て篭もりますが支えきれなくなり、真里谷城の武田氏を頼って上総に逃れ、滝田城はほどなく落城して城代の一色九郎は自刃します。
翌年に、里見義豊は真里谷武田氏の援軍を得て安房に南下しますが、滝田城下で里見義堯の奇襲を受けます。(犬掛の合戦)
これにより里見義豊勢は数百人が討ち取られて敗走、里見義豊も戦死(または自害)して前期里見氏の嫡流は滅亡します。
この一連の里見氏の内訌は、「稲村の変(または天文の内訌)」と呼ばれています。
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一番高い櫓台跡には、鉄塔が建っていました。
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僕がここに来るのは2回目です。
この景色、どこかで見たことあると思っていたのですが、そういえば思い出しました。
高校生の時に自転車で千葉県を一周した時があって、その時は友達4人で来ていました。
1人で来ると、また周りの景色がまるで違って見えてきます。

「南総里見八犬伝」では、滝田城は伏姫が生まれ育った城となっています。
幼い伏姫が、愛犬の八房と滝田城の周りを飛び跳ねたりして遊んでいる姿が思い浮かびます。
今は巨大な鉄塔が建っていて、当時を偲ばせるものは何もありませんが・・・


滝田から県道88号線を少し北上したところに、八房の誕生の地があります。
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「八房と狸の像」に着いた時、一匹の猫が出迎えてくれました。
あたかも、僕を待ってくれていたかのように・・・
急いでカメラを取り出していると、ゆっくりと歩き出して草むらの中に隠れてしまいました。
「まって〜いかないで〜」
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近くにある春日神社にお参りしました。
「ここは八房の誕生の地ということで、お参りに来ました。ここはまた古戦場跡でもあります。どうか里見氏の彷徨える霊をお慰めし、宇宙のマスターソウルの元へ還りますようにお祈り致します。」
そうお祈りしていると「そうか。わかった。」というような声が聞こえたような気がしました。
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そして、里見義豊と里見義堯が激戦を繰り広げた古戦場へと向かいます。
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こんなに小さな碑です。
「古戦」と読めますが、「場」の字は土に埋もれてしまっているのでしょうか?
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ここでまた、あの不思議な音が聞こえてきました。
「里見氏の墓」へと向かいます。
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里見義道とその息子・里見義豊のお墓です。(写真↑)
不思議な音は、ますます強くなってきました。
お墓の向こう側から、もの凄い音量で聞こえてきます。

手を合わせてお祈りしている時に、僕の身体に何かが憑依してきて、背中がもの凄く痛くなりました。
里見義豊の霊かもしれません。
急いでお墓から少し離れて、ガヤトリーマントラを唱えてみました。
そして「どうか皆さん、宇宙のマスターソウルの元へお還りください。時代は解放の時代に入りました。皆さんを解放させるためにここにきました。あなた方はこれまで十分に苦しんでこられた。もう苦しむ必要はありません。どうぞ楽になってください。」と、声を出して言いました。
音は徐々に小さくなって、消えていきました。
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最後に、JR岩井駅のすぐ近くにある「伏姫と八房像」の写真を撮りました。(写真↓)
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逆光だったので太陽の乱反射が写ってしまいましたが、八房の像の上のあたりに写っている白い光の線はちょっと気になります。
太陽が影響しているようにも見えますが、僕はかなりの確率で霊的なものが写っているとみています。

つづく


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今回の旅の目的は、里見氏の彷徨える霊たちを解放するということでした。
それは、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」とも大きく関わってきます。
この館山城は、そのメインイベントというべき城です。
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もともと古館があった丘に、里見義頼が館山城を建てる計画をして、その息子の里見義康の代に完成、安房岡本城から本拠をこの地に移します。
里見義康は豊臣秀吉の小田原攻めに参加しますが「関東惣無事令違反」を咎められ、代々苦心して手に入れてきた上総半国を没収されて、この安房一国に退いたのです。
おそらく、これは秀吉の謀略だったと思います。

そして里見義康の息子、里見忠義の代になると、徳川家康の謀略によって今度は館山から伯耆の倉吉へ配流となります。
理由はともかく、江戸に近く江戸湾入り口を抑えられることへの潜在的恐怖感、そして豊臣氏との縁のある外様への警戒感から安房から退去させたかった、ということでしょう。
里見忠義はさらに鳥取藩主池田光政に4千石まで取り上げられ、百人扶持の知行とされます。
そして、享年28歳の若さで無念の死を迎えます。
これにより、房総に名を馳せた戦国大名・里見氏は事実上滅亡します。
里見忠義の死去の後、板倉昌察ら8人の側近が殉死し、忠義とともに大岳院に葬られて「八賢士」と讃えられました。(6人、7人説も)
彼らが「南総里見八犬伝」の「八犬士」のモデルになったといわれています。

館山城から南東の方角へしばらく行ったところに、八遺臣の供養塔があります。
後に伝え開いた里見氏の旧臣が分骨して持ち帰り、建てたといわれている墓です。
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ここは、以前にも2〜3回ぐらい来たことがあります。
何回来ても、僕はちょっと薄気味悪さを感じてしまいます。
実はなぜそう感じてしまうのかが、今回の旅でわかったのです。
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館山城跡のある城山公園に近づくにしたがって、どこからともなく妙な音が聞こえてきました。
地下鉄のトンネルの暗闇のずっと向こうから電車が走ってくるような、そんな音でした。
あるいは大きな空調機が回っているような、そんな音にも聞こえました。
とても不思議な音でしたが、草刈り機で草を刈っている人がいるのかもしれないと思って、あまり気にしないようにしていました。

館山城(博物館分館)に着いた時は聞こえなくなりましたが、八遺臣の墓のあたりから、また聞こえてきました。
館山駅へ向かう途中で、これは間違いなく霊的な音だと気づきました。
これは、大勢の里見の兵たちが気勢を上げて敵地へ攻め込んで行く時の音です。
その音に、重いフィルターが掛かったような感じです。
それがわかった時、身体に電気が走りました。

そういえば、僕は以前にここに来た時も、この音を聞いたような気がします。
ここではなかったかもしれませんが、間違いなく子供の頃にどこかでこの音を何度も聞いています。
この後に僕が行った、伏姫が生まれ育ったといわれている滝田城跡や犬掛古戦場(里見の墓)でも、この音が聞こえてきました。
里見の墓で、僕は里見忠義の霊に取り憑かれます。
なぜなのか?
家に帰ってきて色々調べたのですが、その原因がわかりました。

里見忠義は慶長16年(1611年)に、老中大久保忠隣の孫娘を正室として迎えます。
大久保忠隣は、1614年の幕閣における本多正信・正純親子との抗争に敗れて失脚してしまいます。
この大久保忠隣事件への連座、そして館山城の城郭の無届改修、身上に対して家臣の召抱えが多すぎるなどの理由で、里見忠義は改易されてしまいます。
これは徳川家康の謀略というより、完全に本多正信・正純親子の謀(はかりごと)です。
この謀によって、里見氏は滅んだようなものです。
本多正信は僕のご先祖様だったと考えれば、当然忠義の霊は正信の子孫の僕を怨んで取り憑くでしょう。
僕は、ご先祖様の尻拭いをしていたのです。


館山の安い民宿を朝6時半頃に出て、館山城跡を見て回った後、館山駅からJR内房線に乗って岩井駅で降りました。
駅前の観光案内所で自転車を借りて、伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)を目指しました。
伏姫籠穴の立て看板のあるところから細道をだいぶ走ってきたのですが、まだ着かないので道を間違えているのかなと思っていると、反対側から丸めがねをした、ちょっとお洒落ないかにも文学少女といった趣きの女性が「こんにちは」と声をかけてきたので、「こんにちは、伏姫籠穴ってこちらの方向でいいんですか?」と僕は訊きました。
「はい、もうすぐそこで、そこの階段をずぅ〜っと登って行ったところにあります。」と、とてもハキハキした声で教えてくれました。
きっと、「南総里見八犬伝」を読んでここに来たんだと思います。
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立派な門があって、なかなか風情のある場所です。
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山桜と新緑がとても美しく、ここの自然の波動はすごく気持ちが良いです。
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伏姫籠穴は、思っていたよりも小さな穴でした。
本当に伏姫は、こんなに小さな穴に八房と籠って読経をしていたのでしょうか?
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5円玉が財布の中になかったので、50円玉を一枚置きました。
穴の開いた硬貨が、霊を救うことになります。
本当はもっと、穴の開いた硬貨を用意しておくべきだったのですが・・・
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「南総里見八犬伝」は滝沢馬琴の小説ですが、前回の記事にも書きましたが、まったくの作り話ではなく、幾つもの実話を繋ぎ合わせて書かれたものだと僕は思っています。
伏姫は実在の人物か、もしくはモデルになった人物がいるということです。

実をいうと伏姫籠穴に入った時、伏姫の霊を感じていました。
この清らかな自然の波動と伏姫の気配が相俟って、ひょっとしたらさっき挨拶を交わした丸めがねの文学少女は伏姫の化身だったのかもしれないなんて、勝手に妄想したりしていました。

つづく


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