pixabay 様 より
時々、本当にこの世界のことがわからなくなる
たとえば瞑想している時とかに、悟りにも似た何かを掴みかけるのだけれど、あとちょっとのところでそれはスルリとかわしてすり抜けていってしまう
その何かをもう一度掴もうと試みれば試みるほど、余計に泥沼にハマっていってしまう
もし自分が唯物論者だったら、目に見えるモノがすべてだと考えていたら、きっとこんなに頭を悩ますこともなかったのだろうに
これまで、数々のあり得ないような信じられないような体験を、僕は確かにしてきた
勘違いしないで頂きたいのは、僕は霊能者でもなければ超能力者でもない
透視をすることなんて、第3の目を活性化させるような訓練を毎日しているけれども、未だにできやしない
しかし僕は確かに、、確かにだ、、、
人間の姿をした人間ではない何者かに出逢ってきた
幼い頃から、今に至るまで、、
彼らはいったい全体、本当に何者なのだ?
そのことで、いくらだって妄想に耽ることはできる
あれは幽霊だったのかもしれない、異星人だったのかもしれない、、あの地に封印されている神様だったかもしれない、、、なんてね
牢獄地球の看守だと、以前にブログに書いたこともあった
だけど本当のことは、何もわからない
確かなことは、彼らは間違いなく、人間の姿をした人間ではない何者かだということ
なぜなのだ、なぜ僕にだけ、このような体験をさせるのだ
なぜ僕にだけ、その複雑極まりない宇宙の真理を突きつける
誰か、僕と同じような体験をしている人がいたら教えて欲しい
是非、名乗り出てきて欲しい
しかし、未だ出会ったことはない
まるで、僕ひとりだけの宿命であるかのように、、、
今は光と闇の最終局面であることを彼らが教えてくれているのだと、僕はいつしか無意識的にそう信じることに決めていた
確信することはできないけれど、自分の直感を信じて前に突き進むことに決めていたんだ
答えが見つかってからでは、もう遅い
何が何だか訳が分からないけれど、これからも目に見えない何かに突き動かされるままにしていようと
それが闇ではなく、光であるのなら、、。
闇ほど、自分は光だと語る
だから、気をつけていなければならない
得てしてマスクを取れば、その正体は見た目とは正反対の存在だったりする
見た目に騙されるな
闇ほど、自分は高次元の人間だと、もっとも優れたスピリチュアリストだと偉そうにほざく
その言葉にコロッと騙されて、どれだけの人間が闇落ちしていったことか、、、
だいたい、自分を光だとか高次元だとか言っている時点で、もうそこに上下関係ができてしまっているではないか
このヒエラルキー社会と、奴隷社会と、何ら変わりがないではないか
真の神を知っている人間は、恐ろしくてとてもじゃないけれど、そんなことは口が裂けても言えない
本当の光側の人間というのは、‟要石”のような存在、、、だから自分の幸せなどコレっぽっちも考えていない
天命を全うするのに必死なのだから、自分の地位とか幸せなどを考える余裕はない
真の神の意志は、昨年のW杯に中にも示されていた
驕ったり相手を見くびっていれば叩き落され、怒りを秘めていたり常に相手をリスペクトしていれば勝ち上がっていった
勝って大騒ぎするなんて、以ての外
何が光で何が闇なのか、、これを見れば一目瞭然
3次元的に誰が光側で誰が闇側なのか、、、それはその人の言葉や行動でだいたいわかってしまう
しかし霊的な存在、別次元の存在たちを見分けるのは意外と難しい
チャネリングの大部分は、光のフリをしている闇だ
霊的な闇は頭がよく、実にずる賢い
ヤツらに騙されている人は、とても多い
しかし当然のことながら、本物の光だって存在している
そして、僕の目の前に現れた不可思議な謎の人物たち、、
それは間違いなく、人間の姿をした人間ではない何者かだった
勘違いや気のせいなどでは絶対にない
その闇とか光とかを、真の意味で超越しているような存在たち、、
そうした存在たちは、言葉ではなく、その仕草やその存在を示すことで僕にメッセージを残していった
そして、とても難解なクイズを僕に与えた
僕は僕なりに考えて答えを出してブログに書いてはきたけれど、真実は果たしてどうなのか?
マントラ&瞑想&祈りを毎日繰り返し、その答えを体感を通じて導き出そうと試みてきてはいるけれど、答えを見出しそうになる寸前のところでスルリとかわされすり抜けて行ってしまう、その歯がゆさ、、
まるで、弄ばれているかのように、、、
山を越えても、その先にはまた山があるように、次元を超えてもまたその先に別の次元があって、その答えはどんな賢者であろうとも、そうそうに導き出せるものではないのかもしれない
しかし、それでも唯物論者たちに比べれば、まだマシだと思っている
宇宙の真理に近づこうと常に試みていることが、もっとも重要なのだから、、。
2023年に入ってからも、相変わらず闇の傍若無人さを強く強く感じます。
何度も何度も、闇は僕を闇側へ引きずり込もうと憑依してきます。
その度にガヤトリーマントラを唱えて、何とか堪えています。
先日、YouTubeで映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』(1954年公開) がアップされていたので、ちょっとだけ観てみようと思ってクリックして観ていたら、あまりに面白過ぎて最後まで観てしまいました。
東千代之介が犬塚信乃をやっていて、中村錦之助(萬屋錦之介)も犬飼現八役で出演しています。
以前にもブログに書いたと思いますが、僕は何度か里見氏と関係ありそうな霊に取り憑かれたことがあります。
また、馬琴の「南総里見八犬伝」に登場してくる8人の犬士たちの母「伏姫」が籠ったとされる「伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)」で、僕は不可思議な人物に出逢っています。
間違いなく、何かがあるのです。
だから「里見八犬伝」という字を見ただけで、いつも見過ごせなくなってしまうのです。
5年ほど前に、里見氏の彷徨える霊たちを解放する目的で、房総を旅したことがあります。
館山城、稲村城跡、犬掛古戦場(里見の墓)、それから伏姫が生まれ育ったといわれる滝田城跡でも、そこに来ると必ず決まって聞こえてくる音があるのです。
その音は、どうやら僕にしか聞こえてこないのです。
以前に友達と一緒に来た時に「あの音何?聞こえない?変な音」と訊くと、「わからない、何にも聞こえない」と、誰に訊いてもそう答えるのです。
その音は、草刈り機で草を刈っているような、あるいは大きな空調機が回っているような、そんなような音でした。
一軒の家も建っていない、山の奥深くなのに、、、
耳を澄ましてよく聞いてみると、何だか大勢の里見の兵たちが気勢を上げて敵地へ攻め込んで行く時の声のようで、その音に重いフィルターがかかったような感じなのです。
そしてそのように思った瞬間に、確かに身体中に電気が走ったのです。
5年前の時はひとり旅だったので、それこそ誰もいない山の中をひとりで歩いていたので、それはもう大変でした。
手を合わしてガヤトリーマントラを唱えて、里見氏の霊を慰めました。
しばらくしたら、その不可思議な音は聞こえなくなりました。
しかし、家に帰ってきたら、背中がもの凄く重くて痛い。。。
憑依されているのは間違いありませんでした。
何日もマントラを唱えて霊を慰めて、一週間くらいでやっと除霊できたと思います。
先日、映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』を見終わったあとのことですが、またあの時の背中の痛みを感じました。
なんとなんと!映画を観ただけなのに、またあの厄介な里見氏の霊が取り憑いてきたようです。
霊は、こういう媒体(電磁気)を伝って憑依してくることもあるのです。
瞑想していてわかったのですが、実はまだ彷徨い続けている里見氏の霊たちがたくさんいるようなのです。
それもこれもすべて、おそらく闇の策略。
闇が僕に、この映画を観るように意図的に仕組んだ。
でも、毎日行っている儀式のお陰で、1日で背中の痛みも辛さもなくなりました。
瞑想している時に、ふと思い出したことがあります。
そういえば僕は、「伏姫籠穴」の入り口の少し前のところで、何度も同じ人物とすれ違い、すれ違いざまに僕はその人物に「伏姫籠穴はまだまだ先ですか?」と尋ねるのです。
そしてその人は毎回、「あっ!伏姫籠穴はすぐそこです。あそこに入り口があるので、そこを入ってず~っと階段を登っていったところにあります」と答えるのです。
丸眼鏡をした今時の若い女性で、ボーイッシュな声でハキハキと喋る感じです。
同じ場所でその女性と3回すれ違い、僕は3回同じ質問をし、3回その女性はその質問に答えたことになります。
最初は確か中学の時に学校で行って、2回目は友達との自転車の旅、そして3回目は5年前のひとり旅。
2回目も3回目も、僕は以前にその女性とすれ違っていることをすっかり忘れてしまっていました。
もう、忘れることはないでしょう。
もし、もう一度あの場所に行ってあの女性とすれ違ったら、いったい僕はどうなってしまうのやら、、心臓破裂しそうになるかもしれない。。。
それにしても、あの女性はいったい何者なのだろう?
考えてみると、学校で行った時も友達と行った時も、山道があまりにも長くて、なかなか着かなくて、いつの間にかみんなと逸れてたったひとりになってしまい、とても心細くなった瞬間にあの女性は現れて、それでいつも僕は本当にこの道でいいのかを訊いてしまうのです。
そして、あんなに行きは長くて大変だったのに、なぜか帰りはあっという間で楽だった。
おかしいんです、、絶対に、、。
それだけではなく、里見氏ゆかりの地はどこも嫌な感じがするのだけれど、「伏姫籠穴」だけはとても清らかな空気が流れていて、自然や建造物もとても美しく、ずっといたいと思うような場所なのです。
伏姫にはモデルがいて、それは里見家6代目当主の里見義堯の娘「種姫」だといわれています。
北条氏との戦(国府台の戦い、1564年)で25歳の夫、正木信茂を亡くし、種姫は25歳で未亡人となり、この山中深くに寺を建てて籠り、夫の菩提を弔いながら生涯を終えたといいます。
5年前の時はひとり旅だったので、それこそ誰もいない山の中をひとりで歩いていたので、それはもう大変でした。
手を合わしてガヤトリーマントラを唱えて、里見氏の霊を慰めました。
しばらくしたら、その不可思議な音は聞こえなくなりました。
しかし、家に帰ってきたら、背中がもの凄く重くて痛い。。。
憑依されているのは間違いありませんでした。
何日もマントラを唱えて霊を慰めて、一週間くらいでやっと除霊できたと思います。
先日、映画『里見八犬傳 妖刀村雨丸』を見終わったあとのことですが、またあの時の背中の痛みを感じました。
なんとなんと!映画を観ただけなのに、またあの厄介な里見氏の霊が取り憑いてきたようです。
霊は、こういう媒体(電磁気)を伝って憑依してくることもあるのです。
瞑想していてわかったのですが、実はまだ彷徨い続けている里見氏の霊たちがたくさんいるようなのです。
それもこれもすべて、おそらく闇の策略。
闇が僕に、この映画を観るように意図的に仕組んだ。
でも、毎日行っている儀式のお陰で、1日で背中の痛みも辛さもなくなりました。
瞑想している時に、ふと思い出したことがあります。
そういえば僕は、「伏姫籠穴」の入り口の少し前のところで、何度も同じ人物とすれ違い、すれ違いざまに僕はその人物に「伏姫籠穴はまだまだ先ですか?」と尋ねるのです。
そしてその人は毎回、「あっ!伏姫籠穴はすぐそこです。あそこに入り口があるので、そこを入ってず~っと階段を登っていったところにあります」と答えるのです。
丸眼鏡をした今時の若い女性で、ボーイッシュな声でハキハキと喋る感じです。
同じ場所でその女性と3回すれ違い、僕は3回同じ質問をし、3回その女性はその質問に答えたことになります。
最初は確か中学の時に学校で行って、2回目は友達との自転車の旅、そして3回目は5年前のひとり旅。
2回目も3回目も、僕は以前にその女性とすれ違っていることをすっかり忘れてしまっていました。
もう、忘れることはないでしょう。
もし、もう一度あの場所に行ってあの女性とすれ違ったら、いったい僕はどうなってしまうのやら、、心臓破裂しそうになるかもしれない。。。
それにしても、あの女性はいったい何者なのだろう?
考えてみると、学校で行った時も友達と行った時も、山道があまりにも長くて、なかなか着かなくて、いつの間にかみんなと逸れてたったひとりになってしまい、とても心細くなった瞬間にあの女性は現れて、それでいつも僕は本当にこの道でいいのかを訊いてしまうのです。
そして、あんなに行きは長くて大変だったのに、なぜか帰りはあっという間で楽だった。
おかしいんです、、絶対に、、。
それだけではなく、里見氏ゆかりの地はどこも嫌な感じがするのだけれど、「伏姫籠穴」だけはとても清らかな空気が流れていて、自然や建造物もとても美しく、ずっといたいと思うような場所なのです。
伏姫にはモデルがいて、それは里見家6代目当主の里見義堯の娘「種姫」だといわれています。
北条氏との戦(国府台の戦い、1564年)で25歳の夫、正木信茂を亡くし、種姫は25歳で未亡人となり、この山中深くに寺を建てて籠り、夫の菩提を弔いながら生涯を終えたといいます。
僕はどう考えても、どう考えても、あの女性は種姫の御霊が現代風の女性の姿になって現れたとしか思えないのですね。
馬琴の「南総里見八犬伝」を読んだたくさんの読書女子たちが、この聖地を訪れ祈ったのだと思います。
そして種姫の御霊が、彼女たちのファッションを真似て現代の女子に扮して僕の目の前に現れたのだと、、
そんなバカなと思うかもしれませんが、僕にはそうとしか考えられない、、。
でもなぜ、僕にしかその姿を現わさないのか?
それと同時に、いったいなぜ、これほどまでに里見氏の霊は僕を憎むのか?
その本当の真実は、まったくわかりません。
でも、推測ですが、おそらく僕の前世とは関係ありません。
血が関係している。。。
里見家最後の当主の里見忠義は、僕のご先祖様でもある徳川家康の側近だった本多正信の謀略により改易され、館山から伯耆の倉吉へ配流されています。
忠義の死去から3ヶ月後、板倉昌察ら8人の側近が殉死し、忠義とともに大岳院に葬られ「八賢士」と讃えられます。
この話を元にして、馬琴は「南総里見八犬伝」を書いたといわれています。
つまり、僕が里見氏の霊に呪われてしまうのは、きっと本多正信への恨みがあるからなのです。
でもなぜ、他の親戚たちには何もなく、僕だけにこんな目に遭わせるのか?
そしてなぜ、種姫が僕の目の前に現れたのか?
本当にこれも僕の憶測になってしまいますが、おそらく僕はこの里見氏の怨念を鎮めるために生まれてきた。(本多家と里見家を仲直りさせるため)
種姫も多くの人の祈りによって位の高い神のような存在になり、そして彼女もまた、里見氏の怨念を鎮めようとしていて、それができる人間が現れるのを待っていた。
そして、さらに深堀りをしてみれば、こうした怨念や呪いがかけられている土地が多く存在している限り、地球と、そしてできる限りの多くの人々の心と身体を次元上昇させるのは難しい、、、ということもあるのかもしれません。
でもいったい全体、僕は何者なのだろう?
普通に生きたかったのに、普通でいることを神は許さなかった
レミヤ様、、、つい最近、夢の中で僕はそう呼ばれた
夢の中で、喫茶店で同席した女性が僕にそう言ったのだ
「あなたは、レミヤ様なのですか?」と、、、
僕は「いいえ、違います」と言った
目が覚めてすぐにネットで検索してみたら、古代ユダヤの預言者エレミヤが出てきた
ウーン、、まさかね
でも、ひょっとしたら、、、
今回の最後のMVは、Mustafa Avşaroğluで「The Girl in the Woods, She Is Your Destiny」です。
タイトルの意味は、「森の中の少女、彼女はあなたの運命です」。
不可思議なことが起こるのは、森の中が多いです。
森は、もともと神聖な場所だったのでしょうね。
勝手に拝借しますm(__)m
追伸
レミヤではなく、レミネだったかもしれません。
どちらにしても、僕はレミ何とかではないと思っています。
預言者エレミヤだなんて、とんでもないこと、、、
ただ数年前にも、似たような夢を見ているのです。
やはり知らない女性から「あなたはレミ〇様ですか?」と訊かれました。
その時も、レミはドレミファソのレミだから、そうやって覚えていました。
2回同じような夢を見るということは、間違いなく何かがあります。
いつの日か、答えが見つかればいいなと思っています。
ランキングに参加しています。
レミヤではなく、レミネだったかもしれません。
どちらにしても、僕はレミ何とかではないと思っています。
預言者エレミヤだなんて、とんでもないこと、、、
ただ数年前にも、似たような夢を見ているのです。
やはり知らない女性から「あなたはレミ〇様ですか?」と訊かれました。
その時も、レミはドレミファソのレミだから、そうやって覚えていました。
2回同じような夢を見るということは、間違いなく何かがあります。
いつの日か、答えが見つかればいいなと思っています。
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