pixabay 様 より
「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう Silent night,Holy night 〜♪」
街全体がイルミネーションでキラキラになり、お店の前にはサンタクロースやトナカイさんがいて、お菓子屋さんのショーケースにはクリスマスケーキが並び、どこもクリスマスムード一色。
この季節が訪れる度に、街角から流れてくるあのメロディー。
「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ Silent night,Holy night 〜♪」
今まで何回、このフレーズを聴いただろうか?
まるで、何かの暗号であるかのように、、、
山下達郎さんといえば、今年の8月頃にジャニーズ問題でネット炎上していましたが、それにも関わらずオリコンアルバムランキングでは1位2位を独占していました。
もう70才になられているというのに、何というバイタリティーなのでしょうか!?
それにしても、このクリスマス・イブという曲がリリースされたのは1983年ですから、実に40年間もクリスマスの定番ソングであり続けてきたということになります。失恋ソングなのに、悲しい歌詞なのに、どうしてみんなこんなにこの曲が好きなのだろう?
そういえば僕が幼い頃、「私たちは大人になったら結婚するの」と言っていた女の子がいました。
「未来のことなんてわかるハズがないのに、どうして結婚するなんてわかるの?」と僕は訊きました。
「そう決められているから。でもそんなこと言っても、わかるハズがないわよね。ごめんね。でも時が来ればわかるから。」と答えました。(正確には覚えていませんが、彼女がこのようなことを言ったのは確かです。)
彼女と僕は前世で何だかの縁があったのかもしれません。
そう考えるのが一番自然です。
きっと彼女は前世のことを覚えていたのでしょう。
しかし僕は、まったく記憶がない、、、
確か20才を過ぎた頃だったか?
彼女と2人だけでお話をする機会がありました。
その会話は、10分間ぐらい世間話をするだけで終わりました。
それからさらに数年後、彼女が職場の同僚と結婚するという話を聞きました。
その彼女が一番好きだった曲、それは山下達郎のクリスマス・イブでした。
そして不思議なことに、僕がその後に知り合ってきた女性の何人かは山下達郎さんのファンでした。
でもいつもなぜか、お別れしてしまう。。。
僕は子供の頃、ポップスにはあまり興味がなくて、クラシックばかり聴いていました。
周りの友達も知り合う女の子たちも、みんな好きなジャンルは、、、当然のことのようにポップスでした。
さらに、よく聴くのは洋楽だなんて言う男子は、ちょっとカッコよくてモテるみたいな、、、
しかし普段からマーラーやワーグナーなんかをよく聴く人なんて、彼らからすればもう宇宙人みたいな存在です。
理解不能な領域です。
マイノリティーの中のマイノリティーです。
僕は国立音楽大学の作曲学科というところに行っていたのですが、そこでさえマーラーやワーグナーが好きな人は学校中を探してみても1人いればいい方です。
でももしマーラーやワーグナーが好きだという変わった人というか、個性的というか、アクの強い人というか、そんな人がいたら、それこそ僕は本当に興奮して鼻血を出してしまうかもしれない(苦笑)
でもそんな人には、奇跡でも起こらない限り出逢うことはない、、。
今の今までずっと生きてきて、それを僕は痛感しています。
そんなこんなの僕が、クリスマス・イブが一番好きだというような極々一般的な人とわかり合えるハズもない訳なのです、、、(失礼)
僕は子供の頃からずっと、流行っているものなんてどうでもよくて、それよりも自然の美しさだとか、生き物だとか、そうしたものを表現している芸術作品などがどうしようもなく好きでした。
どうしてなのかはわかりませんが、ひょっとしたら僕の前世と関係があるのかもしれません。
兎にも角にも、それでは誰とも友達になれないと思い、無理にでもポップスを好きになってみたりもしました。
一時はポップス系の作曲家を目指してみたりもしましたが、かなり良いところまで行ったとは思うのですが、しかし結局は人に騙せれて撃沈、、、。
でも、そんなこんなで一旦音楽から離れてみると、これから音楽はどのように進化していくべきなのかとか、そういうことが何となく見えてきたりして、それでブログの最後にMVの動画を貼り付けていたのです。
本物の音楽は、本物のスピリチュアルに繋がっていきます。
僕は音楽とスピリチュアルは、とても密接な関係にあると考えています。
このブログを書き始めた頃のブログテーマは主に作曲のことだったのですが、いつの間にかスピリチュアル系になっていったのも、これも僕の気まぐれではなく、何者かにそのように導かれていたのかもしれません。
そこが音楽のフロンティアになるのだと、、
これから時代は、スピリチュアルが中心になっていきます。
それと共に、きっとスピリチュアル的な音楽も注目されていくのだと思います。
それはこれまでの企業戦略的というか、売れるとか売れないとかというレベルではなく、地球レベルの、宇宙レベルの音楽ということです。
そうした時代のパイオニア的な作曲家が世界にはたくさんいて、そうした人たちを探すのも僕の楽しみのひとつになっています。
目には見えませんが、徐々にではありますが、日本人の性格が変わっていっているのがわかります。
コロナにワクチンに戦争に物価高に、そして最近では政治家の政治資金パーティー裏金疑惑などなど、色々ありますからね。
多くの人が、何かに気づき始めているようです。
このようにして、物質中心主義から精神中心主義へと変化していけば、きっと人類は光の時代を迎えることができるのでしょう。
クリスマスという日も、その認識を一人ひとりが改めていかなければならないのだと思います。
今のクリスマスもバレンタインも、これは富裕層をターゲットにしたマーケティングです。
街角から流れてくる多くのクリスマスソングも同じです。
これは僕は、悪魔の戦略だと思っています。
楽しい思いをするのはいつも、幸福な人たちだけです。
不幸な人はますます不幸な気持ちになるだけです。
ネガティブエネルギー増幅期間です。
日本では楽しいクリスマスソングより、別れの悲しいクリスマスソングが流行るのも、日本人をネガティブにさせるためなのではないかと考えてしまいます。
悪魔の戦略といえば、政治もそうです。
いつまで経っても、金持ち優遇政策は変わっていかない。
だから金持ちはますます至福を肥やし、貧乏人はますます貧乏になるだけ。
格差はますます広がるだけ。
そして、クリスマスがイエスの誕生日だと思っている人は、未だに多い訳です。
それならば、どうしてそのイエスという人物が何を語っていたのかということまで人々は考えないのでしょうか?
悪魔の戦略には引っ掛かるのに、光の声は人々の心の中に響いていかない、、、。
不思議です、、、実に不思議です。
因みにイエスの誕生日は、紀元前6年4月17日(土)ということが、科学的調査でわかっています。
イエス誕生の地ベツレヘムは今の時期はとても寒くなり、馬小屋で赤ちゃんを産めるような環境ではなくなるとのことです。
なぜ12月25日がイエスの誕生日になったのかといえば、西暦354年に教皇ユリウス1世がニケヤの公会議でこの日をキリストの誕生日と布告したからです。
コンスタンティヌス帝が西暦313年に 『ミラノの勅令』を発布するまで、ローマ帝国の国教はミトラ教でした。
ミトラス神の誕生日は12月25日なのですが、キリスト教が国教になってもこの日に祝う風習はそのまま残りました。
つまり、ミトラス神の誕生日がそのままイエスの生誕日になったという訳です。
ミトラス神の生涯とイエスの生涯はまったく同じなので、この頃にミトラ教はすべてキリスト教に乗っ取られたといっていいでしょう。
つまり、新約聖書に書かれているイエスの生涯のいくつかは、実はミトラス神の生涯だったということになります。
では本当のイエスの生涯は、、、ということになる訳です。
つまり、度々このブログに採り上げてきた原始キリスト教こそが、本当の本物のキリスト教ということになります。
原始キリスト教の殆どは滅ぼされてしまいましたが、しかしこの日本の神道の中に今もひっそりと息づいている訳です。
日本の聖域、神社の中に、、、
主に出雲系はユダヤですが、秦氏系は原始キリスト教で間違いないと思います。
ユダヤの一神教の神ヤハウェはシュメールの神エンリルに乗っ取られていましたが、イエスは本来の宇宙の教え(エンキ系、上座部仏教、多神教的なヤハウェ本来の教え)を世に広めた高次元存在です。
だから、神社は光側にとって非常に重要なのです。
そして闇側はそれに気づき、神社を、日本の聖域を、破壊しにきているのです。
8日から始めてきた21日参りも、今日で15日目になります。
気がつけば、あと6日です。
そして不可思議現象も、相変わらず頻繁に起こっています。
何が起ころうと、僕はやるべきことを淡々と最後までやり抜くのみです。
今日は冬至ですが、おそらく21日間の中で今日が一番大事なのだと思います。
ミトラス神は太陽の神なので、日照時間が一番短くなる冬至を過ぎて日が長くなり始める25日(今年は23日)を復活祭として祝ったのでしょう。
それにしても、いったいなぜ昔の人はそんなにも冬至が大事だったのでしょうか?
世界中の古代文明に、なぜか冬至を祝っていた痕跡が数多く残されているのです。
エジプトのカルナク神殿は、冬至の日の朝だけ太陽の光が神殿の奥まで一直線に届くのはなぜなのでしょうか?
マチュピチュの太陽の神殿の東の窓からは冬至に朝だけ、南の窓からは夏至の朝だけ太陽が射し込むのはなぜでしょうか?
アイルランドのボイン渓谷のニューグレンジ遺跡でも、冬至の朝だけ石室に太陽の光が一直線に射し込みます。
イギリスの巨石遺跡ストーンヘンジでは、毎年冬至の日の出を迎える儀式が行われていて、世界各地から約5000人が集まるそうです。
日本の古代遺跡においては、その痕跡は数え切れないほどあります。
青森県の大森勝山遺跡は、冬至になると太陽が岩木山山頂に沈む地点に立地しています。
山梨県北杜市の金生遺跡からは、冬至にだけ甲斐駒ヶ岳の山頂へと沈む太陽が見られます。
縄文時代の遺跡で一番有名な三内丸山遺跡の六本柱建物も、夏至と冬至に、建物のちょうど真ん中から太陽の光が入ってくるように設計されています。
他にも、上毛三山の山麓にある縄文遺跡や群馬県安中市にある天神原遺跡にも似たようなものが見られます。
太陽と関係の深い農耕民族にとって、1年の始まりとされていた冬至が特別に重要な日であったことは間違いありません。
それは司祭などの支配者たちにとっても同じでした。
暦を人々に教えることは、支配者の重要なお役目でした。
しかし、それは一般的で学者的な解釈です。
これからはスピリチュアルの時代な訳ですから、もっとスピリチュアルな解釈をしていくべきです。
これは言ってみれば、もっともスピリチュアルなことだと思うのです。
古代人たちは、宇宙と交信することができたのです。
そして冬至の日というのは、祈りのパワーがもっとも強くなる日なのだということを知っていたのです。
もっと重要なのは、冬至の次の日、今年であれば12月23日の日の出が来年の運勢に非常に強く関わってくるということです。
だから、古代人たちは全世界でこの日に儀式をして祈りを捧げたのです。
祈りで重要なのは、ただ只管に感謝をするということです。
たとえ今現在ひとりで生きているとしても、それでも目に見えない存在たちに支えられて生きているということに感謝をすべきなのです。
それを冬至の日に、もしくは23日に朝日に祈り捧げることです。
それが復活祭の本当の行事なのです。
それによって2024年と2025年の大難を小難に、小難を無難にすることができるのです。
たったひとりの祈りであっても、それが世界を救うことに繋がっていくのです。
21日参りをしていて、様々な不可思議現象が起きていると書きましたが、12月18日と今日の冬至の日は特に凄かったです。
18日の前日の17日、僕は部屋の中にいると、庭に白いネコがちょこんと座っていて僕を見ていました。
初めて見るネコです。
まん丸の目ではなく普通の目で、時々目を細めたりしていたので、どうやら僕を警戒しているようではありませんでした。
結構遠く離れたところから僕をジッと見ていたので、僕に会いにきたのかもしれないと思いました。
ひょっとしたら氏神様の化身かもしれない、、、と思ったら、全身に電氣が走りました。
「えっ?氏神様?、、、本当に氏神様なの?」と心の中で思うと、それに反応するかのようにさらに電氣が走りました。
僕はまさにあの映画『すずめの戸締り』を体現していると思いました。
ここの氏神様はネコの姿をしていると思っていたのですが、僕は氏神様とご対面してしまったことになる。。。
その次の日、参拝しようと思って参道を歩いている時に、彩雲が現れました。
その彩雲は神社の目の前まで来ると、あっという間に消えてしまいました。
僕の頭の中は?でいっぱいになっていて、その状態のままで拝殿で手を合わせて目を瞑っていると、瞼にもの凄く恐ろしい顔をした龍の顔が浮かんできました。
目が吊り上がり、牙を剥き出しにした龍の顔が、、、
映画『すずめの戸締り』に出てくる「ミミズ」と格闘している龍の姿かもしれないと思いました。
その場所は地中というより、地球の核という感じもしました。
人間のネガティブな感情が重い波動となって地球の中心に集まり、それが地上付近にまで上がってくると様々な天変地異となって現象化してくる訳です。
僕の祈りが龍神に伝わり、その重い波動を癒しているというイメージが湧いてきました。
これももちろん、僕の妄想かもしれませんが、、、
今日は神社で拝んでいると、2羽のカラスが僕のすぐ近くまで来て僕の様子を伺っていました。
あと最近なぜか、祈り終わって狭い参道を通って大銀杏のところまでくると、帽子を被ったおじさんが立っていたりするのです。
今日は、ちょっとお辞儀をしたら、おじさんもお辞儀をしました。
ひょっとしたらおじさんは人間ではないかもしれないなんて、僕は思っているのです。
そう思わなければ、辻褄が合わないのです。
あと、自転車を漕いでいたらハトが道のど真ん中にいて引いてしまいそうになり、ブレーキをかけてギリギリ止まったのですが、それでもハトはまったく動かなくて僕をジッと見ていた、、、なんていうこともありました。
そんなこんなで、たとえ何があろうと、21日参りは必ずやり遂げようと思っています。
今まで僕も結構、個人的な願いを祈っていた頃もありました。
しかしそんな個人的な願いは絶対に叶わないのだと悟りました。
なぜなら、もっと大きな地球レベルの、宇宙レベルの祈りを捧げるために生まれてきたのだから、、、。
前述しましたが、中でも一番パワーがあるのが感謝の祈りです。
感謝の祈りが回り回って、自分自身の至福へと繋がっていくのです。
それは宇宙の秩序、宇宙の叡智を知るということです。
そしてその宇宙と人間が一番繋がるのが、今日という冬至の日、もしくは明日の朝の日の光なのです。
今回のMVは明後日がクリスマス・イブなので、やはりクリスマスに関係してくるMVにしたいと思うのですが、あまりに数が多すぎて困りました。
僕自身が一番聴きたいのはマーラーの第2番「復活」ですが、1時間以上もある曲なので聴く人もいないのではないかと思うので(苦笑)やめておきます。
困ってしまった理由が、企業戦略としての音楽ばかりだからです。
もっと精神的な、祈りのような音楽を、僕はこの時期には聴いていたいです。
僕はクリスチャンではありませんが、ロウソクを灯して、心清らかに過ごしていたい。
手を合わせて、世界の平和を祈っていたい。
そのようにして、クリスマスムードを存分に味わいたいです。
クリスマスはイエスの誕生日ではありませんが、古代から続けられてきた復活祭として、そういう気分を味わいたいです。
イエスが生まれたベツレヘムは、今の時期はとても寒くなるのだと書きましたが、そこから西に70数キロ離れた場所にあるガザ地区では、今でもまだイスラエル軍による地上戦が続けられています。
ガザのパレスチナの人々は、寒い上に食料も飲み水もなく、イスラエル軍にいつ殺されるかわからない、、、そんな状況なのだと思います。
こんなことは、とても許されることではありません。
クリスマス休戦もないようです。
しかしこれは最後の、本当に最後の、闇の悪足掻きなのだと僕は考えています。
あとは日本人の集団意識の問題です。
日本人のDNAの中に眠っていたものが、いよいよ覚醒する時が近づいて来ているのだと考えています。
真のユダヤの血、イエスの血統が、この地獄のような地球を愛の光の星に変えるのです。
イエスが日本人だったというのは、本当のことです。
だから日本人の覚醒が、その祈りが、同じ正統ユダヤの血を引くガザのパレスチナの人々をも救うことになるのです。
そしてそれが、地球の次元を上昇させていくのです。
今回貼り付けるMVは、Lindsey Stirling - O Holy Night (Official Music Video)にします。
短い4分半の動画の中に、誕生から復活までのイエスの生涯を感動的に描いています。
Lindsey Stirlingさんのバイオリンと歌声、それに表情とパフォーマンスも美しいです。
勝手に拝借しますm(__)m
追伸
23日のお昼過ぎに追伸を書いています。
午前中に神社にお参りして、家に帰ってきてYouTubeを開いてみたら、おすすめにマーラーの復活の動画が上がっていました。
ちょっとだけ聴いてみようと思って聴いてみたら、出だしから心を撃ち抜かれるような演奏をしていたので、夢中になってとうとう最後まで聴いてしまいました。
これもきっと、神様のお導きなのでしょう。
クラシック音楽にご興味がある方は、ぜひご覧になってみて下さい。⇩
Gustav Mahler: Sinfonie Nr. 2 c-Moll mit Andrew Manze | NDR Radiophilharmonie
マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』 歌詞対訳
音楽というのは、その人のすべてが表れてくるものです。
音楽に限らず、人間というのは先天的なセンスと後天的な知性によってすべてが決まるのだと僕は思っています。
アンドルー・マンゼさんの指揮は、稀に見るセンスの良さと豊富な知識を感じます。
僕はこんなにも繊細で美しいマーラーの復活を初めて聴いたかもしれない。
1時間半にも及ぶ長い演奏ですが、ずっと涙が溢れてきて止まりませんでした。
僕と同じようにこの音楽を聴いていて涙が止まらなくなった方がいましたら、ぜひコメントを下さい。
23日の午後から、太陽の光の波動が一気に変わったような気がします。
それとリンクするかのように、復活の合唱が始まりました。(1:10:43〜)
本当の意味での新しい時代の夜明けが始まりました。
これは地球だけの夜明けなのではなく、おそらく宇宙全体の夜明けなのでしょう。
復活を聴き終わった今、その感触を日の光を浴びて全身で味わっています。
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